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文化・芸術

2017年6月14日 (水)

「何れ菖蒲か杜若」と書いて、 「いずれあやめ か かきつばた」と読む

実家近くの東村山市の北山公園の菖蒲の花を見にいった。

6300m2という敷地はさして広くないが、敷地全体が菖蒲園になっている。
年に1度の菖蒲まつりを周辺の人々は楽しみにしているようだ。
300種、8,000株(約10万本)というが、白、紫、黄色の花菖蒲が咲き、壮観だ。

20〜30店の屋台が出、野点の茶席、お琴の演奏もされる。
人力車も2台あり、乗る人も多く、走り回っている。

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ボランティアのガイドさんさの説明も初めて聞いたが、
これが結構面白い。

「いずれ菖蒲か杜若」とよくいわれるが、
元々は、いずれ劣らぬ美人が2人いるときに、どちらも美しく、決めかねるということから、選択に迷うことのたとえに使われるようになったのだという。

菖蒲と書いて「アヤメ」と読むのだというが、
実は、花の咲く花菖蒲と菖蒲は違うのだという。
5月の菖蒲湯等に使われるショウブは、ショウブ科(古くはサトイモ科)に分類される別種の植物だという。

花菖蒲とアヤメと杜若はいずれもアヤメ科だが、
花弁の元をみると、花菖蒲が黄色の目型模様、あやめが網目模様、杜若が白の目型模様になっているので判別できるのだというが、
私には判りそうにない。

また咲く時期も異なり
杜若は5月中旬、あやめは5月中旬~下旬、花菖蒲が5月下旬~6月下旬に咲くのだという。
ここ北山公園にも杜若はあるが、すでに花は散ってしまっていた。

ここに咲いている花菖蒲には
「江戸系 沖津白波」とか名前がつけられているが、なんでわざわざ「江戸系〇〇」とかいうのかいつも不思議に思っていたが、
江戸時代の初期、徳川将軍が大変花菖蒲を好まれたことから、肥後の殿様は肥後に持ち帰り独自の品種を作り出したことで、それは「肥後系」と呼ばれるようになり、
伊勢の殿様が持ち帰って育てたのが「伊勢系」と呼ばれるようになったのだという。
部下がボスの好みに合わせるというのは、何処にあっても同じようだ。
可笑しい。

北山公園周辺には、この花菖蒲に取り憑かれたマニアックな趣味人が相当にいることも確かだろうが、
こうした菖蒲の花を愛でるという文化が、江戸時代に始まるというのも面白い。


江戸時代は、封建時代として、暗黒の時代だともいわれてきたが、案外そうではなく、
平和であったことで、
こうしたクールジャパンと呼ばれる文化が生まれ、育った時代であるともいえそうだ。

元安川


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2017年6月12日 (月)

「村野藤吾の建築」展と街歩き

広島駅南口地下広場の壁面に設けられた現代美術館のPRスペースに、
「村野藤吾の建築」展の大きなポスターが貼られていた。
建築家の展覧会とは珍しい。

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会場を入ってすぐのコーナーには
「世界平和記念聖堂」の模型がおかれ、
壁には鉛筆描きのたくさんのスケッチ、図面が飾られている。
当時主任司祭であったフーゴ・ラサール神父が、自らも被爆した幟町の地に慰霊と平和を願う聖堂を建設するために大変な苦労をされたことは知っていたが、
設計について、神父が当時早稲田大学建築学科教授であった今井兼次氏に相談し、
「設計コンペを行ったが、1等当選案がなく、審査員の1人である村野藤吾氏に設計を任せることになった」とは知らなかった。
記念聖堂のレンガの積み方一つとっても、工事に携わった人々の思いを感じることができるし、あの四枚の花びらのような窓は日本文化を象徴する梅の花を感じさせてくれる。
その村野氏のいわば最初の作品が、1928年に建設された「南大阪教会」ということも初めて知った。
村野氏の建築図面約5万点は京都工業繊維大学に寄贈され、保存されているというが、
その村野氏の建築作品量の多さにも圧倒される。
建築家が生涯にかかわれる数をはるかに超えていることにも驚く。

今回展示されている建築模型は66点とのことだが、
大学の授業の一環として学生が作ったのだろうか、
それらの模型は、建築の面白さ、楽しさを見せてくれる。
日本の建築デザインの歴史を教えてもくれる。

今回の作品展では、あまりよく伝わらないが、
私は村野氏の設計した伊豆の三養荘新館等の数寄屋風の木造建築が大好きだ。
繊維で、粋で、なんとも艶かしい。

アーキウオークの人たちも広島の建築を紹介してくれているが、
広島には大高正人氏設計の基町の集合住宅、谷口吉生氏設計の広島市中工場、池原義郎氏設計のグランドプリンスホテル、この広島市現代美術館の設計をした黒川紀章氏等のたくさんの建築文化の蓄積がある。

いまテレビでは街歩き系の番組が人気だが、
そんな町歩きの視点を絡めての建築家、建築作品の展覧会を現代美術館でもしたらいい。
街歩きがもっと楽しくなるかもしれない。

元安川


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2017年6月10日 (土)

心豊かな1日 ・ チャリティーコンサート

東京赤坂の紀尾井ホールで行われた
「三井住友銀行 チャリティーコンサート・名曲のおもちゃ箱」に
妻と2人ででかけた。

私は映像がないと、すぐに退屈してしまうほうなので、
滅多に音楽会には行かないが、
妻がネットで応募したら当たったとのことで、「たまには」と妻に付き合うことにした。

出演はすべて三井住友銀行の社員。
今日のための練習も大変だったろうが、
ステージの緊張感が伝わり、こっちも一生懸命聴きいってしまった。

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女性合唱団が大ヒットしたキャンディーズの「年下の男の子」を
踊りながら、歌うのもちょっとコミカルで可笑しかった。
室内合奏団のヴィバルディの「四季より春」etc.のクラッシック、
最後に、観客と一緒になってスマップの「世界に一つだけの花」を歌った。
すべて日ごろよく耳にする曲ばかりなので、退屈することなく3時間を楽しめた。

休憩時間に、
ロビーのお店で、孫にと、キャラクターグッズの「こぐまちゃん」Tシャツ、お弁当箱を買った。
5人もいるからすぐ1万円を越した。
売り上げはすべて難民支援のために「国連UNHCR協会」に寄付されるという。

久しぶりのコンサート、それに難民支援の寄付、
何か心豊かな1日を過ごせたように感じた。

元安川


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2017年6月 8日 (木)

建築家 池原義郎先生が亡くなられた

グランドプリンスホテル広島を設計された芸術院会員でもある池原義郎氏が亡くなられた。
悲しさ、寂しさがジーンと広がってくる。

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6月27日 13:00から、早稲田大学大隈講堂で「偲ぶ会」が行われる。
http://www.asahi.com/articles/ASK5Y3F8XK5YUTIL009.html


先生は、
日本建築学会賞を受賞した所沢聖地霊園礼拝堂
日本芸術院賞を受賞した早稲田大学所沢キャンパス、
下関市唐戸市場、浅倉五十吉美術館etc.
たくさんの作品を残された。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/池原義郎

先生の建築についての思いは、
早稲田大学建築学科の作成したアーカイブスにも残されている。
http://waarchives.org/000033/

先生が早稲田大学建築学科の教授をされていた頃の教え子の1人である歌手の小田和正氏が早稲田大学池原研究室で学んだ頃のことについて、AERA、日経アーキテクチャに載っている。
https://dot.asahi.com/dot/2017022700026.html
https://kenplatz.nikkeibp.co.jp/pdf/NA/07/051100721/index.html
「無理に研究室に入れてもらったのに休学したり、最後に主任教授を怒らせたり、とんでもなかった。
まだその恩を池原先生に返していない。それはとっても心残りなんだ」
とも話されている。

先生の教えを受けた1人である私は、
研究の指導はもちろん、卒業してからも仕事も一緒にさせていただいたし、お酒もよく一緒に飲んだ。
研究室では、5時を過ぎると、助手が黙って、お酒をグラスに注いで持ってきた。
お酒ならなんでも嬉しそうに飲まれた。
もともと寡黙な先生だったが、いくら飲まれても、まったく変わらなかった。
よく喋るようになるわけでもないし、姿勢も変わらなかった。
そうしたことをよくご存知のクライアントから、焼酎がポリタンクで1ダースも届いたことがある。


池原先生は、
ガウディ、シュタイナーの作家研究と建物の使われ方の研究をベースに、
折り紙をヒントにしたと思われる作風を創り出し、
ディーテールにこだわり、粋で華やかな建築作品を作ってこられた。
色が使える数少ない建築家でもあった。

「工事が難しいと業者が泣いてますよ」
といったら、
「考える方も大変なんだよ」
といわれてしまった。

そんなこと、あんなことが思い出される。
今は「寂しい」だけだ。

元安川


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2017年5月 5日 (金)

動物園 と「ダーウィンがやって来た」

このゴールデンウイークに多摩動物公園にいった。
動物園は10年以上年前に広島市動物公園に行ったとき以来だから、随分と久しぶりだ。

モノレールの多摩動物公園駅を降りると、すぐ目の前がゲートだ。
大きなゾウの彫刻が、園内の管理用だろうか、ゲートの上を通るコンクリートの道路の柱を背負っている。
ゾウが道路を支えているように見える。
面白い。

園内には、こうした動物と人とのかかわりの仕方の、あっと驚くような仕掛けがあちこちで試みられている。

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多摩動物公園は多摩丘陵の東斜面にあり、
60haという広い敷地は、谷、尾根があり、鬱蒼とした森になっている。
その森の中にヒョウやシカやサイやコアラ等のゾーンが設けられ、
それらのゾーンがかなり離れ、その作り方もそれぞれ異なっているので、
あたかも全く別世界にきたように感じるようになっている。

どのゾーンでも、動物達は、金網の向こうにいるのではなく、
鉄柵のすぐ近く、手が届きそうなところだったり、透明のフェンスの向こうにいる。
巣は岩の裏にあるのだろうか。
あたかもそこで普段生活しているかのように横たわっている。

オランウータンは生活ゾーンから、電信柱ほどの高さに張られたロープを伝って150mもの先までいくこともできるようになっている。

網と細い鉄骨で組み立てられた巨大な空間の中には、
クロツラヘラサギ、クロトキ、コウノトリなどの鳥がいる。
その脇を、人は低い柵で仕切られた路を歩いて行けるようになっている。
たまに鳥たちが路を横切ることもあるようだ。
「ウォークインバードケイジ」だという。
上手い仕掛けだ。

モルモットのゾーンでは、
モルモットを抱けるようになっている。

カンガルーの彫刻の前では、お腹の袋から人が顔を出せるようになっていたり、
トナカイの彫刻には人が跨げるようにもなっている。
そんな子供たちを、親は皆懸命に写真を撮っている。

トナカイのゾーンでは抜け落ちた角が飾られていた。
長さ50cmくらいの比較的小さな角でも、1本、2.5kgもあるという。
そんな重いのが頭に乗っているとは、
ちょっと驚く。
それも毎年、オスもメスも生え変わるのだという。

そういえば、
「軽井沢の北、六里ヶ原の気候がトナカイの住むフィンランドの北の気候と似ているということで、フィンランドからトナカイを輸入して放したが、
あっと言う間に、全滅してしまった」と聞いたことがある。
人がほとんどいず、黴菌の全くない北極圏から、寒いとはいえ、黴菌だらけの日本にきたことで、トナカイは死亡してしまったということらしい。

ここのトナカイはどうして大丈夫なのか気になるところだ。

密猟等も含めて、様々の理由で絶滅の危機にある生物は多いという。
地球の生態系にとって、生物が多様であることの意味は大きい。
動物園は、その多様性の意味も教えてくれる。

毎週日曜日の夕方、NHKテレビで『ダーウィンが来た! 〜生きもの新伝説〜』を放送している。
自然界での動物の様々の生態が知れて、面白い。
2006年から放送しているというから、
その記録のストックはもう600本を超えているはずだ。

動物園に行けば、
「ダーウィンがきた」も見られるようにしたらいい。

広島市動物公園でも、NHKと協力し、そうしたことができるようにしたらどうだろうか。

動物園がより魅力的になり、多様な役割を果たすためには、
動物園そのものも多種多様化すべきなのだろう。


元安川


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2017年5月 3日 (水)

明日館と動態保存

山手線目白駅の近くに事務所を構える建築家の友人を訪ねた。
重要文化財になっている「明日館」が事務所のすぐ近くにあるからと案内してくれた。

池袋の駅近くに「明日館」があるのは知っていたが、こんなに近くにあるとは思わなかった。
「明日館」と書いてなんと読むのか、いつも気になっていたが、「みょうにちかん」と読むのだと初めて知った。

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大正12年の関東大震災を挟んで、大正10年から昭和2年にかけて建設されたというが、
自由学園の教育コンセプトと相まって、
その極めて斬新な建物は、当時の日本人には衝撃的だったろうと思われる。
そしてこの建物の周辺だけが、第2次世界大戦の戦火も奇跡的に免れ、
木造建築として、
今に残っているのは、極めて貴重なことだ。
確かに文化財に値する。


設計は旧帝国ホテルを設計したフランクロイドライト氏の弟子の遠藤新氏、
旧帝国ホテルと同様外部通路や基礎に大谷石を使い、
木造の建物そして椅子はライトの特徴的な幾何学模様で構成されている。

建物の天井、屋根は低い。
日本人の背の高さに合わせたということではなさそうだ。
カフェのテーブルも40cmくらいと低い。

元々は教室、ホールとして作られた部屋が、
今はコーサート、講演会、会議、カフェ、展示室、ショップとして使われている。
このように使用しながら保存することを「動態保存」というのだという。

旧広島日銀ビルも「動態保存」の重要文化財ということになる。


この明日館は、確かによく維持管理されているが、
建ってから90年以上も経ち、その間色々あったからだろうか、当初の建物と違ってしまっているような気がする。
どこか緊張感がない。

自由学園の東久留米キャンパスの建物の設計に遠藤新氏がどのように関わっているのか知らないが、
木造建築に限ってだが、私はそちらの方が好きだ。

歴史的建造物の元々あった形での保存の難しさを、改めて感じた。

元安川


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2017年4月27日 (木)

五月人形を飾った!

昨年末男の子の孫が生まれた。

息子が生まれた時、妻の両親からプレゼントされた五月人形を飾ることにした。

息子が生まれてすぐの頃は全て飾っていたが、
転勤等で部屋が狭くなったこともあり、鎧兜だけになり、
そのうち飾ることもやめてしまった。
息子も下の方は覚えていないという。

今年は何十年ぶりかで、三段飾りの全てを飾ったというわけだ。

納戸の奥から取り出すのも大変だったが、
組み立てるのも結構大変だった。

黒い漆の箱から鎧兜を取り出し、
箱の上に座らせ、両側に刀と弓矢、そして篝火を置き、
後に金屏風、前の段に陣太鼓、扇子を置く。
下の段には菖蒲と榊、その脇に鯉のぼりと吹き流しを置いた。

緑色の毛氈は見つからず、
仕方なく、アマゾンで注文し、取り寄せた。

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よく出来ている。
五月人形は男の子の無事な成長を願う意味もあるが、
こうして改めて見ると、これも立派な伝統工芸、アートだ。

オーストラリア育ちの息子の嫁さんは、
「素晴らしい!」と、喜んでいた。

北朝鮮問題も、なんとか外交的に解決し、
孫の時代も、平和であって欲しいと願っている。

元安川

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2017年4月25日 (火)

この木 なんの木 気になる木・・・

「芽吹き」の季節から、あっという間に「新緑」の季節になった。

立川の基地跡の「昭和記念公園」の樹木も随分と大きくなり、新緑も美しい。
公園の中央広場・みんなの広場に立つ「大きなケヤキの木」は、
芝生広場に毅然して立っている姿はなんとも格好いい。

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ここに来るといつも思い出すのはテレビの日立グループのCMソング、
「この木なんの木 気になる木
名前も知らない木ですから
名前も知らない 木になるでしょう

この木なんの木 気になる木
見たこともない木ですから
見たこともない 花が咲くでしょう

・・・・・・・」
だ。

最初の頃は、そうは思わなかったが、
これだけ大きくなると、あのCMはこの木かなとすら思えて来る。

このCMが最初に作られたのは1972年だそうで、
その時は、イラストの木で、
作詞を依頼した伊藤 アキラ氏に、
「これはなんの木ですか?」と聞かれ
「なんの木かわかりません」と答えたことから、
こんな歌詞が作られたという。

可笑しい!

2代目(1976年 - 1979年)からは
ハワイ・オアフ島のモアナルア・ガーデンのモンキーポッドになり、
木の種類も場所も変わりながら、いまではすでに9代目になっているという。

使われたモンキーポッドは、
樹齢:約120年
高さ:25m
幅 : 40m
もあるというが、
この昭和記念公園にあるケヤキの木は
高さ: 30m、幅:30m位はありそうだ。

この昭和記念公園公園ができたのは1983年というから、
このケヤキの樹齢はまだ、たかだか50~60年といったところだろうか。

日本には山形県に東根の大ケヤキと呼ばれる樹齢1.500年以上と推定され、天然記念物となっているケヤキもあるようだ。

このケヤキもいずれそうなるのだろうか。
楽しみだ。

元安川


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2017年4月19日 (水)

道の名前 GODZILLA ROAD・この世界の片隅に

私は全ての道に番号だけでなく、名前を付けるべきだと思っているが、
先日洒落た名前の道を見つけた。

靖国通りから歌舞伎町に入る道が
「ゴジラロード・GODZILLA ROAD」に改名された。

以前は「セントラルロード」と言っていたらしいが、
映画「シン・ゴジラ」の開演を記念して、名前を変更したとのことだ。

突き当たりの東宝シネマビルの低層階の屋上から、
バカでかいゴジラが屋上階を突き破って、顔を出し、ゴジラロードを睨んでいる。

命名権でゴジラロードになったのではなく、
地元の商店街が申し入れ、東宝と一緒になって、決めたようだ。
セントラルロードなんてありきたりの名称でなく、
歴史あるゴジラの映画とビルの屋上に置かれた巨大なゴジラをセットにして取り込んで、
道の名称を付けるいうのはなんとも素晴らしい発想だ。
ワンダフルだ。

道の入り口の両脇に立つ表示も
高さ10m、太さ60cm四方くらいの柱が逆L字形に両側に立っているが、
真ん中が開いている。
開いている部分に正面の東宝シネマの上映中の映画の巨大なポスターが見える。

全ての要素が、あたかも建物の建設する前から計画されていたかのように配置されている。

ヒットした「シン・ゴジラ」の公開時には、
「ゴジラロードには、『シン・ゴジラ』に登場するゴジラのサイズと同じ118.5メートルのレッドカーペットが敷かれ、総監督を務めた庵野秀明や、長谷川博己、竹野内豊、石原さとみら計11名のスタッフ&キャストが集結し、レッドカーペットイベントが行われた」
とのことだ。

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斜陽といわれる映画産業も、
こうして「まち」と一体になることに、
新しい可能性を見いだしたようだ。

広島には、
こうの史代さんのアニメ『この世界の片隅に』の舞台となった呉、広島の街がある。
そんな名前の道ができたら、素晴らしい!

元安川


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2017年4月15日 (土)

芽吹きとナショナルトラスト

都心から20kmほど西に「となりのトトロ」の舞台となったといわれる狭山丘陵がある。
東京都と埼玉県に跨り、狭山湖、多摩湖を囲み、
狭東西11km、南北4km、総面積約3,500haの広大な緑地が広がっている。
その狭山丘陵の東西南北は市街地に囲まれ、それこそ陸の孤島のようにある。

実家が、ここに越してきたきた頃、落ちる枯葉の音に驚いたことがある。
秋になるとクヌギ、コナラのドングリが屋根に落ちる音は目が醒めるくらいに大きい。

都心より5〜7℃くらい気温が低いこともあってか、
狭山丘陵の樹木はほとんど全てが落葉樹だ。
秋になると、くるぶし位まで落ち葉が山道を埋める。

ゴールデンウィーク前の今頃は、
ヤマザクラの白やピンクの花が咲き、赤い葉も、あたかも花のように、
クヌギ、コナラ、エゴ、カエデの芽からの数cmに伸びた薄緑、白い葉も花のようにみえる。
山一面を覆う薄緑の霞んだような様は、なんとも美しい。
満開の花が咲くのとは全く違った趣きがある。

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こんな様子を、日本人は「芽吹き」と呼び、
「冬の間、じっとこらえていた息を、いっせいに吹き出したようす」
「芽が出る、と同じように、
 幸運がめぐってくるという意味でも使われ、
 長い間の我慢や努力が報われるという含みがあります」
とも捉えてもいるようだ。

こうした四季折々に変化する日本のデリケートな美しさに惹かれ、
オーストラリアに住む息子の義理の両親は、度々日本に来られるようだ。

多摩湖狭山湖は東京都の水道水の貯水池として、近くに寄ることもできないほどに保護され、
周辺の緑地はほとんどは東京都立、埼玉県立の公園となって保護されている。

民有地については、
1990年頃からナショナルトラスト「トトロの森」が組織され、
土地を買い取り、古民家を移築し、残された里山の風景を守ろうと活動している。
すでに928,832,913円も集め、41ヶ所、7.万m2の土地取得しているという。
http://www.totoro.or.jp/intro/

広島には、元宇品の国立公園、比治山、アストラムラインで囲まれた権現山一帯と緑地はそれこそ山ほどあるが、
それは当たり前のこととして放置されている。
その美しさ、素晴らしさは、それなりにきちんと整備されなければ、荒れてしまう。
次の時代に伝えていく仕組みがこれから必要だ。

元安川


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