ネイチャー誌、サイエンス誌の9割は嘘だ
ノーベル賞を受賞した本庶佑氏が「ネイチャー誌、サイエンス誌の9割は嘘だ」と言ったとのことですが、
私はそこまで高いレベルの研究をしたことはないのですが、
若い頃の研究では随分と曖昧なデータに基づいて論文を書いたことがあります。
まあ9割も嘘だと言われると、恥いるばかりです。
友人がこの点についてChatGDPの解釈を聞いてみましたとのことで、教えてくれました。
----- ここからChatGPT4.0 -----
ノーベル賞受賞者である本庶佑先生が「ネイチャー誌、サイエンス誌の9割は嘘だ」と述べた発言について、深く考察することは、
科学の本質とその進歩の過程を理解する上で非常に重要です。
この発言は、一見すると科学界に対する厳しい批判のようにも聞こえますが、実際には科学研究の進行方法と、
知識の蓄積における課題を指摘したものと解釈することができます。
科学の未熟さと進化
本庶先生の発言は、科学というものがまだまだ未熟であること、そしてそれが自然なことであるという認識を示しています。
科学研究は試行錯誤の連続であり、新たな発見や理論は、常に既存の知識や仮説に挑戦する過程で生まれます。
そのため、先端科学の領域では、過去の認識を覆すような結果が出ることも珍しくありません。
この過程で生じる誤りや修正は、科学が成熟していく上で不可欠な要素なのです。
査読論文の限界と価値
「ネイチャー誌、サイエンス誌の9割は嘘だ」という発言は、査読論文システムにおける限界をも指摘しています。
査読プロセスは、研究の質を保証するための重要な手続きですが、あくまで既存の知識からの検証でしかなく、
全ての誤りや不正確さを事前に排除することはできません。
しかし、これは査読論文の価値を否定するものではなく、科学的知識の蓄積と進化において、誤りから学び、
より良い理解へと進む過程が必要であることを示唆しています。
新しい発見の前提
科学の最前線での研究は、既存の枠組みや理論に挑戦し、新しい知見を探求する過程です。
この探求においては、間違いや誤った方向への進出も含めて、全てが貴重な学びとなり得ます。
本庶先生の発言は、このような科学的探求の困難さと、それを受け入れることの重要性を強調しているのです。
何も新しいものは、完璧な知識や理論の上にのみ生まれるのではなく、間違いや不確実性を前提とした上での挑戦から生まれるのです。
結論
本庶佑先生の発言は、科学の進歩において誤りや修正が不可避であること、そしてそれが科学を成長させる原動力であることを示しています。
科学研究における挑戦と失敗は、新たな知識や理論の発見に不可欠なステップであり、科学の本質的な部分なのです。
この理解をもって、私たちは科学の進歩と発展を支える姿勢を持つべきでしょう。
----- ここまでChatGPT4.0 -----
何かホッとするChatGPTの文章です。
その後、私の研究を引き継いで、発展させてくれた若者たちはかなりの人数になりますが、卒業してからは研究職や教育職になっています。
それなりに私の意図するところは伝わったようですが、何かちょっと申し訳ない気もしています。
それにしてこのChatGPTの文章は素晴らしいですね。
評価すれば、ゆうでしょうね。
元安川
お客さんで似たような方がいらっしゃいます。
中学受験では(進学校と言えないレベルの中学まで)全て落ちたので
地元の中学に行ったのだが、そこでも中以下の成績だったので、父親
が「オール10を取ったら10万円やる」と言ったら中2の1学期から猛
勉強を始め、中2の2学期に本当にオール10を取り、高校から県外の
有名進学校に合格、その勢いで現役で東大へ行かれました。
速く知っていればうちも「10万円作戦」をやってみたのにw