どのくらいの人が聴覚障害者と接したことがあるでしょうか。
現代のベートーヴェンと言われた佐村河内守氏のゴーストライターとして記者会見を行った新垣隆氏の会見を聞きながら、ふと心配に思ったことがあります。
新垣氏は会見の中で「私の認識では、会ってから今まで耳が聞こえないと感じたことは一度もない」と言いましたが、実は、そう感じる聴覚障害者は少なくありません。
ただ、「私が録音したものを、彼が聴き、コメントすることは何度もあった」とも言っているので、そこまで聞くと、佐村河内守氏の全ろうというのは虚偽なのかも知れませんが、このことで、本当の障害者まで疑われないかという心配をします。
視覚障害者に比べると、聴覚障害者は一見しただけではわかりません。先天的な全ろう者の場合は、話すと分かりますが、中途の場合は分かりませんし、唇の動きなどでかなり読取り、会話をしても全ろうであることがすぐには分からない人もいます。
私は視覚障害者に接する機会が多くありますが、一般的には分かりやすい全盲の人ですら、見えているのではないかと思うほど自然に振る舞える人もいます。
ただでさえ気づいてもらえないことの多い聴覚障害者に対して、疑惑の目が向けられることのないよう、この辺りのことはマスコミにも是非フォローして欲しいと思います。
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このブログを読んで改めて思いました。
手話を良く見ますが、実際に聴覚障害者というのは、ヘレン・ケラーとか、そういう人しか記憶になく、身近で接したことはありません。
それとも、気づいていないだけなのでしょうか。
投稿: アコ | 2014年2月 7日 (金) 09時43分
今朝テレビでも「全ろうと言っても少しは聞こえる人もいる」というようなことを言っていました。
韓国ドラマで全ろうの人が出てきますが、必ず「耳が聞こえない」という紙を見せていました。
耳が聞こえないというのは、見た目では分かりませんし、その分大変なことがあるでしょうね。
このことで、そういう人たちが変な疑惑の目で見られることがないように願いたいですね。
ところで、うちの主人は都合の悪い時だけ耳が聴こえなくなりますが、これは「演技」9割と思っています。
投稿: サチ | 2014年2月 7日 (金) 09時51分
私は初めて知る名前と曲でしたが、今朝のテレビで千住明さんが説明されていた言葉が印象的でした。確かにたくさんの方々に迷惑をかけたのは謝罪すべきですが
曲事態に罪はないのであまり(千住さんもほめていらっしゃったし)大事にならないようにと願います。たぶん売れすぎたせいでしょうが・・・皮肉なものです。
投稿: おおたき | 2014年2月 7日 (金) 10時48分
私のテニス仲間に聴覚障害者と思われる方がいます。
補聴器を付けているのを見れば障害ありと分かりますが,傍目には全くそれと分かりません。
偏見が生じないとよいですね。
また,曲には価値があり罪がないというのもその通りだと思います。
本当かどうか分かりませんが,芸能人本などはゴーストライターが多いと言いますし,売れたが故の反動という面も今回のニュースはあるのかもしれません。
投稿: もみじ日記 | 2014年2月 7日 (金) 21時15分
知り合いの障害者の方が「障害者を装っていたなら許せん」
みたいなことを云われてました。やはり我々健常者より
障害のある方が言われるとズッシリきます。
投稿: ⑦パパ | 2014年2月 8日 (土) 01時26分
アコさん
視覚障害者の場合、白杖を持っていますし、行動を見てもひと目で分かりますが、聴覚障害者は、もみじ日記さんも書かれているように分からない場合が多いと思います。
手話で話していれば分かりますが、後天的な視覚障害者の多くが点字を読めないように、手話のできない聴覚障害者も多くいます。それだけに他人から分かり難く、今度のようなことがあると、疑惑の目で見られる障害者が出ないか、それが心配です。
投稿: 工場長 | 2014年2月 8日 (土) 21時40分
サチさん
視覚でも聴覚でも100かゼロかということではなく、程度があり、全ろうという定義もゼロというわけではありません。
ただ、全盲の人は分かり易いですが、全ろうの人は、それこそ紙に書いたものでも示されないと分かりませんが、それすら真偽は確認のしようがありません。そういう人たちが疑われるようなことにならないように、マスコミにはしっかり説明して欲しいと思います。
ちなみに男性の耳が時々聞こえなくなるのは、女性の声があまりに心地良いためで、決して演技ではありません(^_^;)
投稿: 工場長 | 2014年2月 8日 (土) 21時44分
おおたきさん
100万枚のヒット曲でも知らない人は知りませんから、クラシックでは大ヒットとは言え、18万枚の曲ですから今回のことで初めて知った人も多いと思います。
確かに「HIROSHIMA」も素晴らしい曲ですが、それでも「全ろう」であるとか「広島の被爆二世」そして「HIROSHIMA」というタイトルでなければ、これだけ話題になり、これだけ売れたかということを考えると単にゴーストライターがいたということでは済まないようにも思います。
投稿: 工場長 | 2014年2月 8日 (土) 21時45分
もみじ日記さん
Wikiによると「タレント、政治家、スポーツ選手その他著名人の名前で出版されている本のかなりの割合が、多かれ少なかれゴーストを使っていると言われる。講談社の編集者だった伊藤寿男は、自分が担当した中でゴーストライターでなかったのは桂三枝と秋吉久美子だけ」とか「9割のビジネス書は、ゴーストライターが書いている」とあります。
ベートーヴェンの耳が聴こえていたとしても、スティービーワンダーや辻井伸行さんの目が見えていたとしても、作品の評価には殆ど影響しないと思います。
しかし、佐村河内さんの場合、「全ろう」「被爆二世」「ヒロシマ」抜きで、どこまで評価されたのか、そして今度は逆にハンディーを負って、どう評価されるのか、これからが本当の評価ですね。
投稿: 工場長 | 2014年2月 8日 (土) 21時48分
⑦パパさん
聴覚障害者として認定されるためには、耳にヘッドホンをして特定の周波数の音が聴こえるかどうかという純音聴力検査からはじまり、語音聴力検査、耳音響放射検査、ABR(聴性脳幹反応検査)そして内耳感覚細胞の反応を見るDPOAE(耳音響放射検査)なども行われます。
聴力検査は騙せたとしても、最終的には医師の(不正な)協力なしに聴覚障害者になることは難しいと思います。
いずれにしても、このことで障害者の立場が悪くなるようなことがあってはならないと思います。
投稿: 工場長 | 2014年2月 8日 (土) 21時50分
しつこくて済みません。ゴーストライターの件ですが問題は私たちのほうにあるのでは?と思うのですが。「障害があるとなんにもできない」そういう思い込みから枕詞に「全盲の」とか「全ろうの」とか入れたがり、売れるとそれを売り物にする人と決めつける。高橋選手は「僕が好きだから選んだ。誰が作曲したなんて関係ない」それでいいのではないかと思います。CDを売ろうとしたらたくさんの人の手を煩わせているはず。千住さんも彼が書いた図面?を見ながら「これを見れば曲が作れる」とおっしゃった。音符はかけなくても「共同制作」を認めてあげればと思います。何度も言いますが曲に罪はありませんから。ただ謝罪はもちろんです。
投稿: おおたき | 2014年2月12日 (水) 14時21分
おおたきさん
皮肉なことに出荷停止になったCDがチャートに入るくらい売れているようですね。
そして、今日、佐村河内さんの謝罪文の公開されました。
これについて、また明日書こうと思います。
投稿: 工場長 | 2014年2月12日 (水) 17時35分
私は手帳を持つ難聴者です。
ですが障害者と呼びません。
「障害者」・・・周囲を困らせている障害ともとれるいやな言葉ですね。
これに代わる素敵な言葉が欲しいですね。
佐村河内さんは高度な手話を理解できないと思いますよ。
大きくなってから難聴になった後天性の知人を何人も見ていますが、何年経っても手話を覚えることが容易ではなく、健聴者とも全ろう者ともコミュニケーションがうまくいっていない状況です。
30代で手話サークルに通ったくらいの程度で習得するのは並はずれた記憶力か手が器用な人でしょう。
手話は日本語とは別物の言語で本当に難しいのです。
英語と日本語の違いに似ています。
佐村河内さんが自ら「聴覚障害者」という手段を使った貪欲な行動に強烈にショックを受けているのは難聴者で、ますます肩身の狭い思いを強いられる方が増えるでしょう。
メディアでは2級というレベルに注目し検査方法で議論されていますが、難聴者にとって聴力レベルはまったく無意味であって、軽、中度の難聴者は、社会で苦しい思いされている。実力もあり能力もあるのに聴力がないというだけで社会が受け入れてくれない自分の能力以下の仕事、あるいは望まない職種で我慢している方も多いです。
それでも難聴者、耳に限らず身体に不自由している方も含め、積極的に障害者という言葉を使って成功をしようと思う人は少ない。いやほとんどいないでしょう。
偏見ではなく本当の実力を認めてほしいと思うから、障害者という言葉を持ちださない人が多いと思います。
「ハンデがあるのにすごいね!」は褒め言葉にならない侮辱でしかない。
実力を認めてくれたのかどうか疑問が残るだけです。
投稿: もっく | 2014年3月12日 (水) 22時53分
もっくさん
もともとは「障碍者」という漢字が当用漢字にないことから「障害者」という当て字になったものの、最近、役所などでは「障がい者」という表記に替わり、「障害がある方」「身体の不自由な方」「〜の困難な方」という表現も増えているように思います。
また「障がい力」とか、チャレンジド(Challenged=挑戦という使命や課題、挑戦するチャンスや資格を与えられた人)というように、肯定的に捉える考え方も出てきています。
それぞれの言葉の持つ意味や印象は置かれている立場によっても大きく違うと思いますが、先進国の多くは、それも個人差=個性と捉え、バリアフリーというよりユニバーサルつまり誰でもが生活し易い社会を目指していると思います。
特に高齢化により、私もそうですが、視力が衰え、聴力も衰え、足腰が弱くなり、ある意味で誰もが、いずれ障がい者になる時代です。
アメリカから来た人たちが、日本に障がい者がいないことに驚くことがあります。つまり会社であれ、市街地であれ、普通に生活する場に障がい者が少ないことです。
IBMの技術者としては最高職位であるフェローには全盲の女性がいますし、全米で最も人気のある小学校の校長も全盲です。ただ、彼らは障がい者ゆえに評価されたわけではなく、たまたま障がい者であったに過ぎまず、オフィスに普通に障がい者が働いています。
障がい者が「売り」になるような社会は、まだまだ後進国なのかも知れません。
投稿: 工場長 | 2014年3月13日 (木) 13時52分
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