池袋チャイナタウンと山下清海さんとサンシャインシティプリンスホテル
日経新聞の先日の夕刊に
池袋チャイナタウンの名付け親は、地理学者の山下清海さんです。
2008年に雑誌「地理」に書いたのが最初だとのことが書かれていました。
横浜の中華街には門があり、中華のお店が高度に集積した街ですが、池袋には中華のお店が街のあちこちに分散してあります。
そんな自然発生的にできたような街を「池袋チャイナタウン」と呼ぶのは上手いネーミングです。
池袋がアクセスがいいこともあって、池袋の街に徐々に中国人が集まってきたというのもその通りだと思います。
日本にはブラジル人が多い街、インド人が多い街とかがあちこちに徐々に形成されていっていますが、そうなった理由がそれぞれにそれなりに
あると思われます。
池袋の街に、中国人が集まってくることの契機を作ったのは 誰かといえば、それはサンシャインシティープリンスホテルの初代総支配人
だろうと思われます。
竣工したばかりのサンシャインシティプリンスホテルの集客に困った総支配人は台湾にまで出かけ、台湾中国人をサンシャインシティプリンス
ホテルに泊めるようにしたようです。。
それが契機だろうと思います。
その中国人の宿泊客達が池袋の街に出て、中華料理のレストランで食事をし、土産物を買いましたが、そうした中国人とお店が徐々に
増えていったことで、池袋がチャイナタウンと言われるようになったように思われます。
そうした現象がいつから始まったのかと言えば、
1978年4月6日、当時東洋一高い超高層ビル「サンシャイン60」の60階に「サンシャイン60 展望台」がオープンし、その下の59階の
レストランをサンシャインシティプリンスホテルが営業を始めましたが、同年10月5日には国内屈指の大型複合施設「サンシャインシティ」
が全面開業したとのことですから、
サンシャインシティプリンスホテルは、その1978年にオープンしたのだろうと思います。
1980年頃からは、サンシャインシティプリンスホテルのロビーに大量のキャリーバッグが置かれるようになったのにはびっくりした覚えが
あります。
そのサンシャインシティプリンスホテルに中国人宿泊客を集める努力が、現在の「池袋チャイナタウン」という新しい概念の街を創っていった
ようです。
面白いですね。
もっとも近年は国際化が進み、どの人が中国人かわからなくなりましたが・・・
元安川
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