お花見に国立に行きました。
国立の街に来たのは何十年ぶりかです。
国立の並木通りに咲く桜は満開で、大変美しくもありました。
国立駅から続く桜並木は1.8km、桜の木は約300本だそうです。
桜の木はもうかなり老大木になっていますが、それが街の風格を作り出しているようです。
駅前から真っ直ぐ伸びる大学通りもなかなか洒落ています。
真ん中に片側2車線の車道と幅1.5mほどの自転車道があり、
車道に沿ってなんと7~8m幅の緑地があり、その内側に4~5mの幅の歩道があります。
その緑地に桜が植えられ、チューリップ、イカリソウ・・・の草花も植えられています。
なんとも親しみのある道路になっています。

この街の中心には、広く、ゆったりした一橋大学があります。
私の卒業した都心の大学は、いつも学生で溢れていました。
大違いです。
散歩途中で寄ったGEORGE’Sはお店の半分がピサのお店、半分がおしゃれな雑貨のお店になっていました。
ピサのお店には大きなピザ用の鉄の窯が置かれています。
焼いたピサが即食べられます。
裏庭のテラスには大きなパラソルが置かれ、そちらでも食事ができるようになっています。
そういえば、かなり以前に国立の街についての本を友人にもらったことを思いましました。
帰宅してから懸命に探したら、なんとか見つかりました。
「くにたち商店街形成史 国立大学町を中心として 1923~1999
国立の自然と文化を守る会編」
というタイトルです。

国立の街を愛する街の人々の想いが感じられます。
国立の街ができた頃の経緯やその後の経緯についてまとめられています。
非売品のようで、価格がついていません。
ネットで検索すれば、
「日本の古本屋」から 最低価格4000円で出品されていました。
通常の出版物よりこうした本の方が街の人々から沢山の資料が集められているから貴重だというのでしょうか。
ウィキペディアなどを参照しながら国立の街についてしらべてみると、結構面白いことがわかりました。
国立の街は、西武グループの創立者堤康次郎史によりドイツの大学都市ゲッチンゲンを参考にして作られたそうですが、
そのスケールの大きさに呆れます。
100万坪 330万m2からの土地を取得し、そこに一橋大学を誘致し、鉄道の駅を作り、街を作ったというのです。
時は大正デモクラシーの時代でしたが、
1923年に関東大震災で都心が壊滅したこともあり、郊外に新しい理想都市が求められたことも背景にあってのだろうと思います。
東急沿線の田園調布もほぼ同じ頃に計画されています。
それにしても大学の敷地が314,494m2、約10万坪と広大なのと計画地の1割にもなっているのには呆れます。
JRの駅も建設され、寄付されているようです。
広島も広島大学が元々の位置にあったら、広島の街も随分と違った街になったろうと思わずにはいられません。
街を創るには「こうした街に住みたい」といういう理想が必要なようです。
オーストラリアの首都キャンベラは1908年に作られたそうですから、ほぼ同じ頃に作られたといってもいいと思いますが、国の政策として作られただけに、首都機能に加えてオーストラリア国立大学、美術館・・・が大きな湖を囲んで作られています。
美しい都市です。
でも流川のような繁華街がないのはちょっと残念です。
繁華街を作るにはそれなりの歴史が必要なようです。
元安川
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