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2017年9月 9日 (土)

日野皓正の暴力

ブログ「ヒロシマの心を世界に」でもコメントさせて頂きましたが、イライザさんはもちろんのこと、「教育者は絶対的な権威を持って厳しく指導すべきだ」という立場の武田邦彦教授ですら、先日紹介した動画で、日野皓正を擁護する人の多いことに違和感を持っていました。

私は安倍政権の政策を批判するコメントで、この事件を取り上げましたが、中途半端で誤解を与えかねない気もして、改めてブログとして書くことにしました。

まず大原則として教育の場で、指導と称して暴力をふるえば、それは、太田光のコメント通り、教育そのものの否定にほかなりません。そのことは当然のこととした上で書きます。

まず、メディアでは見ていない音楽的な解説ですが、コメントにも書いたように、そもそもジャズという音楽はルールから外れること、約束を破ること、規則から逸脱することが前提であり、それこそが面白味であり醍醐味です。

そして、日本人のジャズが面白くないと言われる最大の理由は、日本のジャズ演奏家が「お約束の範囲」でしか「逸脱」しないからです。

そういう意味で、あの中学生は「お約束」を超えた逸脱をしてしまい、日野皓正が「特別に目をかけている」だけのことはあります。彼はおそらく「お約束」であった決められた小節でソロパートを譲るということからは大きく逸脱していました。

問題は「逸脱」からの「回帰」ですが、私のコメントでは、その中学生には「逸脱の限界を読んで、回帰する技能」まではなかったように読めますが、その場にいた人たちのいくつかの書き込みを見ると、もしかすると、日野皓正が思いもつかなかった「回帰」を見せた可能性もあります。

仮にそうでなく失敗したとしても、彼は力による指導より遥かに大きな教訓を得て、より大きく成長したはずです。

息子が小学生の頃、野外活動などで一緒になった他校の教師からは「全員が自発的に動き、指示待ちの生徒がいない」と驚かれていましたが、当時の校長は「成功体験も重要だが、失敗から学ぶことも重要」という方針で、野外活動の計画も生徒に任せ、ある年の生徒は島に行くのに米を忘れ、そのことに気づいた教師からも教えられることはありませんでしたが、自分たちで考え、島の人たちから少しづつ米を分けてもらうことで失敗をカバーしました。

そのように、子ども達は成功も失敗も体験し、自ら学ぶことで、指導者から教えられる以上のことを身につけていきます。

繰り返しになりますが、いずれにしても、暴力は教育の否定であり、指導力のなさを露呈するものでしかないことに間違いはありません。

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あれは往復ビンタなのか、それとも軽くどついっているのかよくわかりんませんが。
暴力は反対ですが、それはその行為を受けた本人が、心の中でどう受け止めるのかが重要ではないだろうかと思います。
この行為を暴力だと否定する人たちは、いじめで同級生に暴力をふるってる子供達は犯罪行為だというべきだとも思います。
ところで、ジャズですが、逸脱行為はジャズの見どころですが、でもどんな逸脱でも許されるものではないと思います。ソロを除けば。
一緒に演奏している仲間をリスペクトした上でないと、自分だけが長い時間を延々に演奏して例え元に戻したとしたも、他の演奏者を否定すような演奏は許されないでしょうね。
今回のこのドラマーは確かに上手かもしれませんが、他にもドラマーがいて中学生のドラマーなら彼ほどの力はないもしれません。だからといって自分の有能さを見せつける行為は許されるのでしょうか。
彼が、自分の力で演奏会を開催したのなら別ですが。
ところで、『 BLUE GIANT』といジャズマンがはご存知でしょうか?
父母を幼くして亡くした主人公が、兄が兄弟を養いなが安月給で買ってれたサックスで一流ジャズプレーヤーになっていく物語です。
その中で有能なプレーヤーとも力不足のプレーヤーとも一緒に演奏しますが、力不足のプレーヤーにのリスペクトします。けっして他のものを否定しない。
サックスの力もつけていきますが、人としても魅力的です。
この少年も、演奏の実力だけでなく、人としての大切なものを磨いて欲しいのですね。

それから、教育委員会が主催して中学生が演奏する演奏会の入場料が高すぎるのでは思うのは私だけでしょうか?

投稿: やんじ | 2017年9月10日 (日) 10時38分


「健全な魂は健全な肉体に宿る」というのは間違いで本来の意味は「健全な魂は健全な肉体にこそ宿って欲しい」=「健全な魂は健全な肉体には宿り難い」ということです。
最近は芸能界も政界も浮気で追求するのが流行りですが、浮気など芸の肥やしと言わないまでもせいぜい配偶者に対する罪ですし、政治家は微妙ですがスポーツマンや芸術家に人格を求めるのはどうかと思います。ベートーヴェンやモーツアルトも決して人格的に優れていたわけではないし有能な科学者やアスリートでも人格者ばかりというわけではないでしょう。

投稿: 凡人 | 2017年9月10日 (日) 22時01分


やんじさん

確かに映像でみる限り一般的な感覚としては「暴力」というほどのことではなかったとも思いますし、長く深く行われてきた指導の一コマでの是非の判断は難しいとも思いますが、その前後のことを含めて「力による指導」を行ったこと、そして世界的に著名な演奏家が公衆に対してそれを見せてしまったことで、メディアでは圧倒的に日野皓正の行為=力による指導の擁護論が多くみられたことに違和感があり、もしあれが名もない教師であれば、どれほどの非難を受けることなのか、とも思ったわけです。

実は、武田邦彦教授などは、あの程度の力の行使は全く問題ない、と考える立場であり、むしろ教育者の力の行使があまりに非難される社会に批判的な立場なのですが、今回はあまりに日野皓正という大御所に対する擁護論一色のメディアに対して違和感を持った、というもので、私の立場は違うものの、やはり同じ点に最も強い違和感を持ちました。

また「BLUE GIANT」でも主人公がセッションを始めた頃、公演の途中で客から「うるさい!」と言われて降ろされるという場面があったように思います。しかし、それでも主人公は反省することも自信を失うこともなかったように思いますが、そうした根拠のない絶対的な自信は、音楽でもスポーツでも科学でも、既存のものを大きく越えるレベルを目指す人にとって重要なものだとも思います。

投稿: 工場長 | 2017年9月11日 (月) 08時09分


凡人さん

確かに最近の興味本位で魔女狩り的なリンチのようなバッシングが目につくことは気になりますが「健全な魂は健全な肉体にこそ宿って欲しい」という願いは、困難であっても、あくまで理想像を求めるべきだという意味で間違ってはいないと思います。

その影響力から、どんな分野であれ、一流になる人には人格者であって欲しい、そう思います。

投稿: 工場長 | 2017年9月11日 (月) 08時13分


私は中学生も中学生だが、日野皓正も日野皓正だと思う。はみ出し過ぎと行き過ぎた指導でドッチモドッチ。

投稿: 喧嘩両成敗 | 2017年9月11日 (月) 19時46分


喧嘩両成敗さん

指導される立場と指導する立場を比較して、どちらが良いとか悪いという評価そのものに疑問があります。

指導される側は未熟であることが前提であり、特に中学生という精神的にも難しい年代であり、指導する側は世界的に評価されている演奏家ということを考えると、ドッチモドッチと言えるようなことではないと思います。

投稿: 工場長 | 2017年9月11日 (月) 20時00分

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コメント

あれは往復ビンタなのか、それとも軽くどついっているのかよくわかりんませんが。
暴力は反対ですが、それはその行為を受けた本人が、心の中でどう受け止めるのかが重要ではないだろうかと思います。
この行為を暴力だと否定する人たちは、いじめで同級生に暴力をふるってる子供達は犯罪行為だというべきだとも思います。
ところで、ジャズですが、逸脱行為はジャズの見どころですが、でもどんな逸脱でも許されるものではないと思います。ソロを除けば。
一緒に演奏している仲間をリスペクトした上でないと、自分だけが長い時間を延々に演奏して例え元に戻したとしたも、他の演奏者を否定すような演奏は許されないでしょうね。
今回のこのドラマーは確かに上手かもしれませんが、他にもドラマーがいて中学生のドラマーなら彼ほどの力はないもしれません。だからといって自分の有能さを見せつける行為は許されるのでしょうか。
彼が、自分の力で演奏会を開催したのなら別ですが。
ところで、『 BLUE GIANT』といジャズマンがはご存知でしょうか?
父母を幼くして亡くした主人公が、兄が兄弟を養いなが安月給で買ってれたサックスで一流ジャズプレーヤーになっていく物語です。
その中で有能なプレーヤーとも力不足のプレーヤーとも一緒に演奏しますが、力不足のプレーヤーにのリスペクトします。けっして他のものを否定しない。
サックスの力もつけていきますが、人としても魅力的です。
この少年も、演奏の実力だけでなく、人としての大切なものを磨いて欲しいのですね。

それから、教育委員会が主催して中学生が演奏する演奏会の入場料が高すぎるのでは思うのは私だけでしょうか?

「健全な魂は健全な肉体に宿る」というのは間違いで本来の意味は「健全な魂は健全な肉体にこそ宿って欲しい」=「健全な魂は健全な肉体には宿り難い」ということです。
最近は芸能界も政界も浮気で追求するのが流行りですが、浮気など芸の肥やしと言わないまでもせいぜい配偶者に対する罪ですし、政治家は微妙ですがスポーツマンや芸術家に人格を求めるのはどうかと思います。ベートーヴェンやモーツアルトも決して人格的に優れていたわけではないし有能な科学者やアスリートでも人格者ばかりというわけではないでしょう。

やんじさん

確かに映像でみる限り一般的な感覚としては「暴力」というほどのことではなかったとも思いますし、長く深く行われてきた指導の一コマでの是非の判断は難しいとも思いますが、その前後のことを含めて「力による指導」を行ったこと、そして世界的に著名な演奏家が公衆に対してそれを見せてしまったことで、メディアでは圧倒的に日野皓正の行為=力による指導の擁護論が多くみられたことに違和感があり、もしあれが名もない教師であれば、どれほどの非難を受けることなのか、とも思ったわけです。

実は、武田邦彦教授などは、あの程度の力の行使は全く問題ない、と考える立場であり、むしろ教育者の力の行使があまりに非難される社会に批判的な立場なのですが、今回はあまりに日野皓正という大御所に対する擁護論一色のメディアに対して違和感を持った、というもので、私の立場は違うものの、やはり同じ点に最も強い違和感を持ちました。

また「BLUE GIANT」でも主人公がセッションを始めた頃、公演の途中で客から「うるさい!」と言われて降ろされるという場面があったように思います。しかし、それでも主人公は反省することも自信を失うこともなかったように思いますが、そうした根拠のない絶対的な自信は、音楽でもスポーツでも科学でも、既存のものを大きく越えるレベルを目指す人にとって重要なものだとも思います。

凡人さん

確かに最近の興味本位で魔女狩り的なリンチのようなバッシングが目につくことは気になりますが「健全な魂は健全な肉体にこそ宿って欲しい」という願いは、困難であっても、あくまで理想像を求めるべきだという意味で間違ってはいないと思います。

その影響力から、どんな分野であれ、一流になる人には人格者であって欲しい、そう思います。

私は中学生も中学生だが、日野皓正も日野皓正だと思う。はみ出し過ぎと行き過ぎた指導でドッチモドッチ。

喧嘩両成敗さん

指導される立場と指導する立場を比較して、どちらが良いとか悪いという評価そのものに疑問があります。

指導される側は未熟であることが前提であり、特に中学生という精神的にも難しい年代であり、指導する側は世界的に評価されている演奏家ということを考えると、ドッチモドッチと言えるようなことではないと思います。

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