身の安全を確保してください!
福岡、大分の豪雨はまだ続いている。
もう4日目になる。
7月5日、自宅に帰ってテレビをつけると、
「今まで経験したことのない大雨です」
「数十年に1度の大雨特別警報が発令されました」
「まず身の安全を確保してください」と報じている。
広島市内は曇り時々雨、
洪水なんて想像もできない。
画面には、川の水が溢れ、自宅が濁流に飲み込まれる様子が映されている。
凄い!
?
とみれば、「撮影 視聴者」と書かれている。
なるほど、そこに住む高校生が、スマホで撮った動画を投稿したそのままテレビ画面に使っているとのようだ。
その家に住む人の恐怖感がひしひしと伝わってくる。
NHKテレビでは気象予測の担当者がパソコンで雨雲の様子を操作しながら、
今の雨雲の状態、これから予報を、オタオタしながら説明していた。
東日本大震災にしてもそうだったが、
雨、風、地震による悲惨な被害は、今までは結果として伝えられていた。
それが今やスマホでだろう、
「現場からリアルタイムで、
誰でもが、放送局になって状況を伝えられるようになった」のだ。
そして、それをテレビが取り上げて放映している。
リアルタイムで放送できるというテレビというマス メディアと、
インターネットというパーソナル メディアとが大変上手く融合しているのを感じる。
そして翌日にはドローンを使って、
上空から被害の様子か報じられていた。
まあ、凄い時代になったもんだ。
それにもう1つ。
「今までに経験したことのない大雨」というが、
もう数十年のことだが、
宅地造成の計画をする時、確か1日の最大降雨量を100mmとして河川の堤防の高さを計画していたように記憶している。
それが今や日田市は観測史上最高の336mm/日とのことだし
朝倉市では1時間の最大降雨量は120mmを越えるとも報じていた。
かってフロリダでそんな凄い雨にあったことがあるが、
そうなると、もうワイパーが効かなくなってしまう。
仕方がないから、止まって、少し小雨になるのを待ったことがある。
そんな熱帯性のスコールが、日本でも極当たり前に起こるようになったということのようだ。
いやいや凄い時代になったもんだ。
元安川
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何十年に一度の大雨とかの表現にはいつも、と言うよりその事を学んだ時からとても違和感があります。
あくまで予測値でしょうし、人類が記録をつけ始めてからだと、たいした経験もないでしょうからね。
この予測値をどのように出しているのかは知りませんが、山の下に大昔に崩れたような地形があると、地震で崩れたのか、大雨で流れ崩れたのかと考えます。
もし、大雨だとかなりな雨量だろうな、地震だとかなりなエネルギーだろうなと考えます。
経験のない大災害は、もしかしたら過去にはもっと大きな大災害が繰り返されていたのではと思います。
人間の知能や技術がどんなに進歩しても、自然には抗えないなと、このような災害を見ていつも思います。
本当の意味での防災は不可能で、どれだけ減災できるしかないと。
投稿: やんじ | 2017年7月 8日 (土) 14時48分
やんじ様
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。
「防災」ではなく、「減災」以外にはないのではないかとのご指摘、
確かにそう思えてきますね。
ガンにしても、戦争にしても、災害にしてに、
人間はもっと謙虚になる必要があるように、感じますね。
投稿: 元安川 | 2017年7月 8日 (土) 18時06分
今ではレーダーによる細かい観測データがあるにも関わらず、いつまでもアメダスの僅かな観測所のデータのみを観測データとし「今までに経験したことのない大雨」という言葉を使うのは「治水」をないがしろにしていることを隠そうとしているのではないかと勘ぐりたくなりますが、国土を守る、ということは、軍事力ではなく、まずは治水からで、昔の大名の仕事も治水からだったと習ったように思います。
投稿: 工場長 | 2017年7月 8日 (土) 22時53分
工場長様
超高層ビルを建てる建築技術、瀬戸大橋を作る土木技術、ガン、iPS細胞に立ち向かう医学、そして原子物理学、
技術、科学に対する人類のおごりがあるように感じますね。
投稿: 元安川 | 2017年7月 9日 (日) 13時33分
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コメント
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何十年に一度の大雨とかの表現にはいつも、と言うよりその事を学んだ時からとても違和感があります。
あくまで予測値でしょうし、人類が記録をつけ始めてからだと、たいした経験もないでしょうからね。
この予測値をどのように出しているのかは知りませんが、山の下に大昔に崩れたような地形があると、地震で崩れたのか、大雨で流れ崩れたのかと考えます。
もし、大雨だとかなりな雨量だろうな、地震だとかなりなエネルギーだろうなと考えます。
経験のない大災害は、もしかしたら過去にはもっと大きな大災害が繰り返されていたのではと思います。
人間の知能や技術がどんなに進歩しても、自然には抗えないなと、このような災害を見ていつも思います。
本当の意味での防災は不可能で、どれだけ減災できるしかないと。
投稿: やんじ | 2017年7月 8日 (土) 14時48分
やんじ様
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。
「防災」ではなく、「減災」以外にはないのではないかとのご指摘、
確かにそう思えてきますね。
ガンにしても、戦争にしても、災害にしてに、
人間はもっと謙虚になる必要があるように、感じますね。
投稿: 元安川 | 2017年7月 8日 (土) 18時06分
今ではレーダーによる細かい観測データがあるにも関わらず、いつまでもアメダスの僅かな観測所のデータのみを観測データとし「今までに経験したことのない大雨」という言葉を使うのは「治水」をないがしろにしていることを隠そうとしているのではないかと勘ぐりたくなりますが、国土を守る、ということは、軍事力ではなく、まずは治水からで、昔の大名の仕事も治水からだったと習ったように思います。
投稿: 工場長 | 2017年7月 8日 (土) 22時53分
工場長様
超高層ビルを建てる建築技術、瀬戸大橋を作る土木技術、ガン、iPS細胞に立ち向かう医学、そして原子物理学、
技術、科学に対する人類のおごりがあるように感じますね。
投稿: 元安川 | 2017年7月 9日 (日) 13時33分