「何れ菖蒲か杜若」と書いて、 「いずれあやめ か かきつばた」と読む
実家近くの東村山市の北山公園の菖蒲の花を見にいった。
6300m2という敷地はさして広くないが、敷地全体が菖蒲園になっている。
年に1度の菖蒲まつりを周辺の人々は楽しみにしているようだ。
300種、8,000株(約10万本)というが、白、紫、黄色の花菖蒲が咲き、壮観だ。
20〜30店の屋台が出、野点の茶席、お琴の演奏もされる。
人力車も2台あり、乗る人も多く、走り回っている。
ボランティアのガイドさんさの説明も初めて聞いたが、
これが結構面白い。
「いずれ菖蒲か杜若」とよくいわれるが、
元々は、いずれ劣らぬ美人が2人いるときに、どちらも美しく、決めかねるということから、選択に迷うことのたとえに使われるようになったのだという。
菖蒲と書いて「アヤメ」と読むのだというが、
実は、花の咲く花菖蒲と菖蒲は違うのだという。
5月の菖蒲湯等に使われるショウブは、ショウブ科(古くはサトイモ科)に分類される別種の植物だという。
花菖蒲とアヤメと杜若はいずれもアヤメ科だが、
花弁の元をみると、花菖蒲が黄色の目型模様、あやめが網目模様、杜若が白の目型模様になっているので判別できるのだというが、
私には判りそうにない。
また咲く時期も異なり
杜若は5月中旬、あやめは5月中旬~下旬、花菖蒲が5月下旬~6月下旬に咲くのだという。
ここ北山公園にも杜若はあるが、すでに花は散ってしまっていた。
ここに咲いている花菖蒲には
「江戸系 沖津白波」とか名前がつけられているが、なんでわざわざ「江戸系〇〇」とかいうのかいつも不思議に思っていたが、
江戸時代の初期、徳川将軍が大変花菖蒲を好まれたことから、肥後の殿様は肥後に持ち帰り独自の品種を作り出したことで、それは「肥後系」と呼ばれるようになり、
伊勢の殿様が持ち帰って育てたのが「伊勢系」と呼ばれるようになったのだという。
部下がボスの好みに合わせるというのは、何処にあっても同じようだ。
可笑しい。
北山公園周辺には、この花菖蒲に取り憑かれたマニアックな趣味人が相当にいることも確かだろうが、
こうした菖蒲の花を愛でるという文化が、江戸時代に始まるというのも面白い。
江戸時代は、封建時代として、暗黒の時代だともいわれてきたが、案外そうではなく、
平和であったことで、
こうしたクールジャパンと呼ばれる文化が生まれ、育った時代であるともいえそうだ。
元安川
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