建築家 池原義郎先生が亡くなられた
グランドプリンスホテル広島を設計された芸術院会員でもある池原義郎氏が亡くなられた。
悲しさ、寂しさがジーンと広がってくる。
6月27日 13:00から、早稲田大学大隈講堂で「偲ぶ会」が行われる。
http://www.asahi.com/articles/ASK5Y3F8XK5YUTIL009.html
先生は、
日本建築学会賞を受賞した所沢聖地霊園礼拝堂
日本芸術院賞を受賞した早稲田大学所沢キャンパス、
下関市唐戸市場、浅倉五十吉美術館etc.
たくさんの作品を残された。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/池原義郎
先生の建築についての思いは、
早稲田大学建築学科の作成したアーカイブスにも残されている。
http://waarchives.org/000033/
先生が早稲田大学建築学科の教授をされていた頃の教え子の1人である歌手の小田和正氏が早稲田大学池原研究室で学んだ頃のことについて、AERA、日経アーキテクチャに載っている。
https://dot.asahi.com/dot/2017022700026.html
https://kenplatz.nikkeibp.co.jp/pdf/NA/07/051100721/index.html
「無理に研究室に入れてもらったのに休学したり、最後に主任教授を怒らせたり、とんでもなかった。
まだその恩を池原先生に返していない。それはとっても心残りなんだ」
とも話されている。
先生の教えを受けた1人である私は、
研究の指導はもちろん、卒業してからも仕事も一緒にさせていただいたし、お酒もよく一緒に飲んだ。
研究室では、5時を過ぎると、助手が黙って、お酒をグラスに注いで持ってきた。
お酒ならなんでも嬉しそうに飲まれた。
もともと寡黙な先生だったが、いくら飲まれても、まったく変わらなかった。
よく喋るようになるわけでもないし、姿勢も変わらなかった。
そうしたことをよくご存知のクライアントから、焼酎がポリタンクで1ダースも届いたことがある。
池原先生は、
ガウディ、シュタイナーの作家研究と建物の使われ方の研究をベースに、
折り紙をヒントにしたと思われる作風を創り出し、
ディーテールにこだわり、粋で華やかな建築作品を作ってこられた。
色が使える数少ない建築家でもあった。
「工事が難しいと業者が泣いてますよ」
といったら、
「考える方も大変なんだよ」
といわれてしまった。
そんなこと、あんなことが思い出される。
今は「寂しい」だけだ。
元安川
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