「池原義郎先生を偲ぶ会」と弔電
「池原義郎先生を偲ぶ会」が、6月27日、早稲田大学大隈講堂で行われた。
池原先生の遺影は、
重要文化財に指定されているという早稲田大学を象徴する講堂のステージに設けられた白い花の祭壇に飾られていた。
私は池原先生の遺影を見るだけで、涙が出てきてしまった。
式が始まるまでの間、
池原先生の手がけられたグランドプリンスホテル広島、西武ドーム、そうして池原先生のインタビューの動画が映された。
「池原義郎先生を偲ぶ会」に先立ち、
早稲田大学芸術功労者表彰式が行われた。
鎌田総長から、表彰状とメダルが先生のご長男正氏に授与された。
先生の亡くなる2年前に授与が決まっていたが、健康が優れないので、順延されていたのだという。
「池原義郎先生を偲ぶ会」は、
日本芸術院第一部長 澄川 喜一 先生
早稲田大学名誉教授 穂積 信夫 先生
日本建築学会会長 古谷 誠章 先生
早稲田大学名誉教授 中川武選手先生
の弔辞が読まれた。
引き続いて、弔電の披露。
最初に、グランドプリンスホテル広島を建設した時の西武グループ代表の堤義明氏からの弔電。
「ご逝去の報に接し、悲しみに耐えません。
先生のモダンでありながら自然との調和を見事に実現された作品に感銘を受け、ライオンズ球場をはじめ、数多くの関連施設の設計をお願いしました。
以来、長きにわたりお付き合いをさせていただきましたが、その間、芸術院会員、そして日本を代表する建築家の重鎮となられても、その作品同様崇高で自然体のお人柄は変わることがありませんでした。
在りし日のお姿を偲びつつ、心からご冥福をお祈りいたします」
短くも、心の籠もった言葉に感動した。
続いて松井一実広島市長からの弔電が読まれた。
池原先生の広島との関わりはそれほど多くはないが、その影響は大きい。
広島カープの現在のドムドムスタジアムの設計コンペの審査委員長は、
西武ドームを設計した池原先生がされた。
参列者は800名くらいとのことだが、
池原研究室の卒業生の1人、歌手の小田和正氏も参列してくれた。
小田和正氏は日経アーキテクチャーのインタビューで、
「無理に研究室に入れてもらったのに休学したり、最後に主任教授を怒らせたり、とんでもなかった。まだその恩を池原先生に返していない。それはとっても心残りなんだ」と話している。
https://kenplatz.nikkeibp.co.jp/pdf/NA/07/051100721/index.html
小田和正氏は修士論文で「建築への決別」というタイトルの論文を書いて物議をかもしたが、
フッと、あの有名な歌「さよなら」が思い出された。
池原先生との思いはこの日の出席者1人1人に、それぞれにあるのだろう。
偲ぶ会が終わって、講堂を出た人達のかなりの人がすぐには立ち去らずに、
あちこちで、グループを作って何かお喋りしていた。
池原義郎先生が亡くなって、
私はただ寂しく、悲しい。
元安川
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