村下孝蔵の命日
今日は村下孝蔵の命日、あれから17年が経ちました。
今年も8月に村下孝蔵を偲ぶイベント・コンサートが行われますが、既にキャンセル待ちのようです。
POPS系の歌手としては珍しく本人の死後10年が経過して初めて伝記が出版され、15年が過ぎて新聞で特集が組まれ、毎年のように偲ぶイベントにファンが集うことにも驚きますが、ネット上にもコンテンツは増え続けています。
ネット検索では、彼に関するブログなどの記事、写真、動画などは、見る度に増え、写真は私が撮ったものも多く流出(?)しており、17年間新たなものはないはずですが、ネット上では増え続けています。
以前、YouTubeで戦前のフルトヴェングラーやトスカニーニの演奏を見付けて驚いていましたが、村下孝蔵の演奏も再生回数が600万を超えるヒット曲の動画からアマチュア時代の録音までが公開されてきていて、本人の気持ちに関係なく公開され続けるコンテンツには、どうなのだろうかと思うものもあります。
かつては事務所側が本人の意向を汲んで公開しなかったものも、今では野放しのようですし、故人についての情報は「死人に口なし」という面もあります。
人間がAI(人工知能)に勝る点として「忘却」をあげる人もいます。
ネット上では「忘れられる権利」も議論されていますが、あくまでプライバシーと検索に関するもので、故人についてのデータが自動的に消えるようなことはありません。
マイナンバーの管理に関しては、削除まで義務付けられていますが、今にデータには公開期限を付加するような技術も必要になるかも知れません。
とは言え、今日は村下孝蔵を想う日です。
年末にベートーヴェンのシンフォニーを聴くように、今日は村下孝蔵の歌を聴いて過ごします。
https://www.youtube.com/watch?v=r7OwrzsX3Fk
https://www.youtube.com/watch?v=Kt4hw1Ax7Qc
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先日お墓参りに行きました。親族の方も来ていらっしゃいました。これからも、ずっとファンです。
投稿: 孝蔵ファン | 2016年6月24日 (金) 12時59分
昨日は私も久しぶりにYouTubeで村下孝蔵さんの曲を沢山聴きましたが、いつの間にか思っていたより歌詞を覚えている自分に驚きました。孝蔵さんが亡くなられる前は、工場長さんの作られていたファンの間でも公式扱いのホームページと、ファンの方が作られたホームページが1つか2つあったように思いますが、動画はもちろん演奏もありませんでした。それが今ではYouTubeで視聴し放題ですし、それも当時のテレビより良い画質や音質のものもあります。20年前には考えられなかったことですが、いつも時代の先を行かれている工場長さんの記事を読むと、この先10年20年でも大きく変わるのだろうと思いながら参考にさせていただいてます。
投稿: 古株 | 2016年6月25日 (土) 10時47分
昨日は11時27分に黙祷しました。
「春雨」からファンになりました。
初めて聴いたその歌声はあまりにも繊細で綺麗で、
それでいて心を揺さぶられる旋律を奏でていました。
その後「ゆうこ」も良く聴くようになり、
暗いけれどやはり心に深く残る 旋律と歌詞に魅了されました。
これからもずっとファンです。
投稿: 古参 | 2016年6月25日 (土) 11時28分
孝蔵ファンさん
お墓参りをする人、村下孝蔵ゆかりの地を巡る人、未だに根強いファンの方が多いですね。
投稿: 工場長 | 2016年6月25日 (土) 22時02分
古株さん
イライザさんの記事にもコメントしましたが、音楽を聴く媒体も機器も随分変わってきました。でも、音楽の価値は変わらないものだと思います。
ネット上には明らかに事実とは異なる情報も多くありますが、それによって音楽の価値が変わるものではありませんね。
投稿: 工場長 | 2016年6月25日 (土) 22時04分
古参さん
あの日は夕方のニュースで報道され、対応に追われたことを思い出しました。
今でも心にしみる歌詞、旋律、歌だと思います。
投稿: 工場長 | 2016年6月25日 (土) 22時05分
私に発売前のiPhoneを見せてくれた方が私がチャーの次に尊敬するギタリストである村下孝蔵のご友人であり私と同じ業界の裏のカリスマ氏であったことには仰天しましたが一つ質問です。遺作となった最後のアルバムについて須藤Pは収録は全て終わっていたとしていますが本当でしょうか。それから前妻のゆうこさんがブログで曲(歌詞)について解説されているものがありますが真に受けて良いものでしょうか。いずれも私には疑問符が付くのですが…
投稿: ヒロ | 2016年6月26日 (日) 08時53分
ヒロさん
音楽史上最も有名な楽曲の一つであるベートーヴェンの交響曲第5番の「運命」という通称は、冒頭そして第1楽章全体を支配し全体をも象徴する「ダダダダーン」という動機に対し、ベートーヴェン自身が「運命はこのように扉を叩く(開く)」と言ったとされることに由来しており、ピアノソナタ18番や23番などの同様のフレーズも「運命の動機」と言われています。
そして、ベートーヴェン自身は「運命」より高く評価したとされる交響曲第3番「英雄」はナポレオンを讃える曲として作曲されたものの、ナポレオンが皇帝に即位したことに激怒したベートーヴェンが「奴も俗物に過ぎなかったか」とナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話もよく知られています。
しかし、実際はウィーン楽友協会に現存する浄書総譜には表紙を破り取った形跡はないため、ベートーヴェンは終始ナポレオンを尊敬していた、とか「英雄」とはイェーナの戦いで戦死したプロイセン王子ルイ・フェルディナントではないか、という説もあります。
このように、それぞれの楽曲には「運命の動機」のように、ほぼ定説となっているようなエピソードもあれば、200年経っても諸説色々、未だに真偽が議論されているものもあります。
いずれにしても、音楽というのは、子どものように、親とはまた別の人格を持つもので、こんな風に育てたつもりが、あんな風になってしまった、ということも良くあるものです。
事実がどうであったか、より、それぞれの人が、どう感じるか、の方が重要なのではないかと思います。
投稿: 工場長 | 2016年6月26日 (日) 10時19分
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先日お墓参りに行きました。親族の方も来ていらっしゃいました。これからも、ずっとファンです。
投稿: 孝蔵ファン | 2016年6月24日 (金) 12時59分
昨日は私も久しぶりにYouTubeで村下孝蔵さんの曲を沢山聴きましたが、いつの間にか思っていたより歌詞を覚えている自分に驚きました。孝蔵さんが亡くなられる前は、工場長さんの作られていたファンの間でも公式扱いのホームページと、ファンの方が作られたホームページが1つか2つあったように思いますが、動画はもちろん演奏もありませんでした。それが今ではYouTubeで視聴し放題ですし、それも当時のテレビより良い画質や音質のものもあります。20年前には考えられなかったことですが、いつも時代の先を行かれている工場長さんの記事を読むと、この先10年20年でも大きく変わるのだろうと思いながら参考にさせていただいてます。
投稿: 古株 | 2016年6月25日 (土) 10時47分
昨日は11時27分に黙祷しました。
「春雨」からファンになりました。
初めて聴いたその歌声はあまりにも繊細で綺麗で、
それでいて心を揺さぶられる旋律を奏でていました。
その後「ゆうこ」も良く聴くようになり、
暗いけれどやはり心に深く残る 旋律と歌詞に魅了されました。
これからもずっとファンです。
投稿: 古参 | 2016年6月25日 (土) 11時28分
孝蔵ファンさん
お墓参りをする人、村下孝蔵ゆかりの地を巡る人、未だに根強いファンの方が多いですね。
投稿: 工場長 | 2016年6月25日 (土) 22時02分
古株さん
イライザさんの記事にもコメントしましたが、音楽を聴く媒体も機器も随分変わってきました。でも、音楽の価値は変わらないものだと思います。
ネット上には明らかに事実とは異なる情報も多くありますが、それによって音楽の価値が変わるものではありませんね。
投稿: 工場長 | 2016年6月25日 (土) 22時04分
古参さん
あの日は夕方のニュースで報道され、対応に追われたことを思い出しました。
今でも心にしみる歌詞、旋律、歌だと思います。
投稿: 工場長 | 2016年6月25日 (土) 22時05分
私に発売前のiPhoneを見せてくれた方が私がチャーの次に尊敬するギタリストである村下孝蔵のご友人であり私と同じ業界の裏のカリスマ氏であったことには仰天しましたが一つ質問です。遺作となった最後のアルバムについて須藤Pは収録は全て終わっていたとしていますが本当でしょうか。それから前妻のゆうこさんがブログで曲(歌詞)について解説されているものがありますが真に受けて良いものでしょうか。いずれも私には疑問符が付くのですが…
投稿: ヒロ | 2016年6月26日 (日) 08時53分
ヒロさん
音楽史上最も有名な楽曲の一つであるベートーヴェンの交響曲第5番の「運命」という通称は、冒頭そして第1楽章全体を支配し全体をも象徴する「ダダダダーン」という動機に対し、ベートーヴェン自身が「運命はこのように扉を叩く(開く)」と言ったとされることに由来しており、ピアノソナタ18番や23番などの同様のフレーズも「運命の動機」と言われています。
そして、ベートーヴェン自身は「運命」より高く評価したとされる交響曲第3番「英雄」はナポレオンを讃える曲として作曲されたものの、ナポレオンが皇帝に即位したことに激怒したベートーヴェンが「奴も俗物に過ぎなかったか」とナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てた、という逸話もよく知られています。
しかし、実際はウィーン楽友協会に現存する浄書総譜には表紙を破り取った形跡はないため、ベートーヴェンは終始ナポレオンを尊敬していた、とか「英雄」とはイェーナの戦いで戦死したプロイセン王子ルイ・フェルディナントではないか、という説もあります。
このように、それぞれの楽曲には「運命の動機」のように、ほぼ定説となっているようなエピソードもあれば、200年経っても諸説色々、未だに真偽が議論されているものもあります。
いずれにしても、音楽というのは、子どものように、親とはまた別の人格を持つもので、こんな風に育てたつもりが、あんな風になってしまった、ということも良くあるものです。
事実がどうであったか、より、それぞれの人が、どう感じるか、の方が重要なのではないかと思います。
投稿: 工場長 | 2016年6月26日 (日) 10時19分