俺の戦争と平和
戦後70年、平和を当たり前のように満喫している今の日本に、最近昭和の始めのころに体験した暗い戦争の記憶が蘇ってくるようないろいろな事象が起こっているように見える。
戦争とはどんなものか、平和はどんなに有難いものかを知ってほしいと思う。そのための参考になればと俺の戦争体験を綴ることにした。
俺の人生の約6分の1に相当する幼少期の14年間は、俗に言う「昭和15年戦争」(昭和6年の満州事変から20年の太平洋戦争の集結まで)の真っただ中にあったことを気付かされた。
俺は昭和5年(1930)に山口県下関市で生まれたが、翌昭和6年(1931)には15年戦争の発端となる満州事変(日本は宣戦布告をしない戦争を「戦争」とは呼ばず「事変」と称した)が始まっている。
満州事変後の昭和初期には軍によるクーデターや事件が多く、主なものに昭和7年(1932)の5.15事件(海軍の青年将校らによる反乱事件、当時の犬養総理大臣暗殺)、2.26事件(陸軍皇道派の青年将校らによる総理大臣邸ほか重臣邸の襲撃事件、高橋是清大臣、斉藤実内大臣他数名を暗殺)などがある。もとより幼かった俺の記憶にはもちろんなく後で知ったことではあるが。
昭和8年(1933)日本国有鉄道(通称「国鉄」)に勤めていた父の転勤で下関から当時日本の領土であった朝鮮半島の釜山に引っ越した。俺が3歳の時である。
釜山は性格には朝鮮総督府慶尚南道釜山府と言い、慶尚南道庁がおかれた朝鮮半島南部一の大都市であり、下関との間は国鉄の定期航路である関釜連絡船で結ばれていた。そして釜山は満州事変後に日本の手によって急速に開発が進められた(侵略が進んだという方が正しいかも)満州(今の中国東北地方)への鉄道の起点でもあった。
釜山では中心街から少し離れた大新町というところに国鉄が用意した借家があり、そこに住むようになった。すぐ隣は小学校、10分ほど歩いたところに市場、公園や幼稚園などがあり、また朝鮮人(今の韓国人)部落も近くにあってそこの子供たちともよく遊んだものである。
俺は4歳で九徳幼稚園に入園、6歳で釜山府立第二尋常小学校に入学した。昭和12年(1937)のことである。
その年の7月盧溝橋事件をきっかけに日中戦争(当時は「支那事変」と称した)が勃発し、平穏だった街にも兵隊の姿がしばしば見られるようになった。兵隊を中国(支那)の前線に送り出すために日本から朝鮮半島経由で多くの列車が満州へ向け運行されたと思われる。釜山はその中継基地になっていたのであろう。
当時の小学校には必ず、おなじみの二宮金次郎の像や奉安殿(昭和天皇・皇后の写真を飾った拝殿)が置かれ、講堂には大きな日の丸が常時掲げられていた。
俺が入った小学校は日本人小学校で朝鮮人(今の韓国人)は入学が許されていなかったため、日本人の日本語による授業を受けられる環境が整っており、朝鮮に居るのに朝鮮語(今は韓国語と言うが)を使うこともなく、日本人として何の疑問もなくごく当たり前に学校生活を送っていた。
また、市場の店舗では多くの朝鮮人が商売をしていたが、すべて日本語が通じるため何の違和感もなく買い物もしていたように思う。そして街の中央の小高い丘の上には龍頭山神社というお宮が日本人の手によって建てられており、正月元旦には朝暗いうちに家を出て初詣に行ったものである。
小学校一年の教科書として記憶にあるものは、「サイタサイタサクラガサイタ」「ススメススメヘイタイススメ」などで始まる国語の教科書のほか、「修身」という授業もあり、軍人教育が小学生から始まっていたと言える。朝礼では、教育勅語(今で言う教育基本法にあたるもので、当時は天皇陛下が教育の基本を示す言葉を勅語という形で示していた)が読まれ、難しい文章の勅語を暗記させられたものである。
昭和12年(1937)12月には当時の中国の首都であった南京を攻略したというニュースで街は提灯行列であふれ、また、昭和15年(1940)は紀元2600年にあたるとして国中で盛大な記念行事が催されたことを覚えている。
当時日本の歴史教科書では、日本の始まりは神武天皇が即位した年が建国年で、日本の歴史はここからはじまるとされていた。(実際は古事記による伝説部分が多く、歴代天皇のうち初代から10代頃までにはその存在さえも疑問視されているものがある)。したがって、小学校の頃から神武天皇から124代の今上天皇(昭和天皇)までの名前をすべて暗記することが歴史の勉強の一つになっていたものである。
因みに戦前の祝祭日は、次のように天皇の行事に因んだものが多かった。
1月1日元旦、2月11日紀元節(建国記念日)、3月21日春季皇霊祭(春分の日)、4月29日天長節(昭和天皇の誕生日)、9月20日秋季皇霊祭(秋分の日)、10月17日神掌祭、11月3日明治節(明治天皇の誕生日)、11月23日新掌祭。
そのほか祝祭日ではないが記念日として、3月6日の地久節(皇后陛下の誕生日)、3月10日の陸軍記念日、5月27日の海軍記念日や8月20日の海の記念日なども。
・・・次回に続く 平成27年(2015年)7月記 網本汀司
*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。


時々拝読している者です。
私も含め、若い世代にとっては、戦争や昭和はどうしても歴史の教科書の中の話となってしまいがちですが、このように、その時代を生きられた方 個人の視点からの文章があると、実感がわいてきます。
続きの記事をまた読ませていただければありがたいです。
投稿: アラサー | 2015年8月22日 (土) 09時06分
工場長様
貴重な記録を有難う御座います。泰子さんが網本汀司氏に嫁いだという御関係でしょうか。このように、私たちにも良く分る視点から歴史を検証することは、今年の新年の御挨拶の中で天皇陛下もお勧めになっていますね。このような努力の積み重ねで、今のきな臭い政治を変えられると信じています。
投稿: 高齢者 | 2015年8月22日 (土) 17時24分
アラサーさん
私から見れば一世代前、今の若い人達からみても僅かニ世代前の出来事です。そんな僅かな期間に風化させてはいけないことですね。
投稿: 工場長 | 2015年8月24日 (月) 22時27分
高齢者さん
お察しのように、網本汀司さんは、網本泰子さんの夫です。こうした極普通の国民の視点から書かれたものも伝える価値のあるものだと思います。
こうしたことを書くのは、本人も辛いことも多いと思いますが、少しでも書き残してもらえば、ありがたいと思います。
投稿: 工場長 | 2015年8月24日 (月) 22時32分
« 外来種・ホンビノスガイ | トップページ | 葛西臨海水族館でビールを飲む »
「平和問題」カテゴリの記事
- 【夫婦の手記】15年戦争とヒロシマの記憶〜戦火を生き抜いた二人が綴る真実の歌(2026.05.04)
- 「緊急事態を想定した避難施設の確保に関する基本方針」を閣議決定(2026.05.03)
- 男性? 女性?(2026.04.27)
- どうする日本は・・・(2026.04.19)
- あの日を忘れない:15歳の少女の証言(2026.04.18)



時々拝読している者です。
私も含め、若い世代にとっては、戦争や昭和はどうしても歴史の教科書の中の話となってしまいがちですが、このように、その時代を生きられた方 個人の視点からの文章があると、実感がわいてきます。
続きの記事をまた読ませていただければありがたいです。
投稿: アラサー | 2015年8月22日 (土) 09時06分
工場長様
貴重な記録を有難う御座います。泰子さんが網本汀司氏に嫁いだという御関係でしょうか。このように、私たちにも良く分る視点から歴史を検証することは、今年の新年の御挨拶の中で天皇陛下もお勧めになっていますね。このような努力の積み重ねで、今のきな臭い政治を変えられると信じています。
投稿: 高齢者 | 2015年8月22日 (土) 17時24分
アラサーさん
私から見れば一世代前、今の若い人達からみても僅かニ世代前の出来事です。そんな僅かな期間に風化させてはいけないことですね。
投稿: 工場長 | 2015年8月24日 (月) 22時27分
高齢者さん
お察しのように、網本汀司さんは、網本泰子さんの夫です。こうした極普通の国民の視点から書かれたものも伝える価値のあるものだと思います。
こうしたことを書くのは、本人も辛いことも多いと思いますが、少しでも書き残してもらえば、ありがたいと思います。
投稿: 工場長 | 2015年8月24日 (月) 22時32分