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2014年9月17日 (水)

朝日新聞の誤報

朝日新聞の誤報が続き、朝日新聞に対する風当たりは相当強く、読売新聞などは便乗した営業活動を行っているようです。

確かに、報道機関の誤報は批難されるべきものであり、それが恣意的なものであれば、簡単な謝罪で済むものではありません。

そもそも日本では報道機関の記事に対する内部の検証システムが弱く、事実誤認や判断の間違いについても、殆ど訂正はなく、検証記事も殆どないのが現状です。

それは、内部に独立した検証組織を備え、未だに911や、イラク戦争で、米国政府が何を間違えたか、どうして報道機関は政府の間違いをそのまま報道したのか、という検証記事や検証番組が作られているアメリカの報道機関と比べると、日本の報道機関はあまりにお粗末です。

原発について、電力について、日本の原発は安全だとか、平和利用だとか、あるいは原発がなければ電力不足になるとか、そういう報道をしたメディアは、今、目の当たりにしている現実を見て、過去の報道を検証しないのでしょうか。

そもそも慰安婦問題について「軍による強制があったのかなかったのか」に拘っていることにも違和感があります。

慰安婦の人達は、どの組織が強制したか、どこの国籍の人間が強制したかに関わらず、それを利用したのは日本軍の軍人や兵士であったことには間違いないわけです。

それを誰が強制したかに拘るということは、人権意識の欠如としか理解できません。

また、吉田調書の最も注目すべきことは、原発というものは、日本壊滅まで考えるほどの大きな事故を引き起こす、ということです。

命令違反があろうがなかろうが、その事実に変わりはありません。

吉田調書には事故で全電源が喪失したときの絶望感、東電本店への不信感などが、生々しく記録されています。それを読めば、原発事故がどれほど壊滅的な被害を及ぼすものか、よく分かります。

そして、その原発が、まだ日本国土には50基以上あるという現実にも目を向けざるを得なくなります。

朝日新聞の誤報は簡単に許せるものではありません。
しかし、誤報であったことで、免責されるものは何一つない、ということも再確認すべきことです。

そして、以下のような報道を海外メディアでしか見れないとすれば、誤報の前に、日本の報道機関に存在意義はなくなります。

泉田裕彦・新潟県知事記者会見 〜日本外国特派員協会
http://www.youtube.com/watch?v=ruAhATd6whQ

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日本のマスコミに欠けているのは、「事実」や「真実」を客観的、論理的、実用的に定義して、その上で、定義通りに事実や真実を伝えることの重要性が認識されていないことなのではないでしょうか。

真実についての、アメリカの法廷の標準的な言葉は次のようなものです。先ず、廷吏が証人に聞くのですが、

Do you solemnly swear to tell the truth, the whole truth, and nothing but the truth?

直訳すると、「あなたは、真実、すべての真実を述べ、そして真実以外は何も述べない、と厳粛に誓いますか」ですが、「solemnly」のところは、「良心に従って」くらいに意訳したいところです。証人は「I do.」と答えます。集合論的に、納得のゆく定義の仕方です。

今回の朝日の「誤報」は、「真実以外」つまり嘘を真実だと報道してしまったのですが、それと同じくらい大切な、「すべての真実」についての反省は全くありません。

マスコミが、自分たちの狭い世界の中でしか通用しない先入観を元に、自分勝手なストーリーや結論を先に作り出して、そのストーリーや結論にうまく合うコメントや数字だけを使う、というやり方は日常茶飯事です。

取材に当って、何らかのストーリーがないと、物事は見えてきませんが、それは「仮説」として扱い、取材の過程で分ってくる様々な事実や真実を元に、その仮説を修正したり、新たな仮説を作ったりすることが大切なのではないでしょうか。それが科学の進歩につながりましたし、その他の分野でも、そのような努力の末に、少しは「すべての真実」に近づけるはずなのですが――。

マスコミの取材を受け、その結果が紙面になった時に、自分の言ったことが余りにも反映されていないため、「マスコミは信用できない」と感じる人がいかに多いかという「事実」がこのことを雄弁に物語っているのではないでしょうか。

善意のマスコミ人もいるようなのですが、構造的にマスコミの体質を変える方法はないのでしょうか。

投稿: 京橋川 | 2014年9月17日 (水) 12時36分


新聞、週刊誌、テレビのメディアは、
エンターテイメントになってしまったようですね。
それを自覚していないのは、
その世界にいる人々自身のようです。

投稿: ゲン | 2014年9月17日 (水) 13時47分

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

日本のマスコミに欠けているのは、「事実」や「真実」を客観的、論理的、実用的に定義して、その上で、定義通りに事実や真実を伝えることの重要性が認識されていないことなのではないでしょうか。

真実についての、アメリカの法廷の標準的な言葉は次のようなものです。先ず、廷吏が証人に聞くのですが、

Do you solemnly swear to tell the truth, the whole truth, and nothing but the truth?

直訳すると、「あなたは、真実、すべての真実を述べ、そして真実以外は何も述べない、と厳粛に誓いますか」ですが、「solemnly」のところは、「良心に従って」くらいに意訳したいところです。証人は「I do.」と答えます。集合論的に、納得のゆく定義の仕方です。

今回の朝日の「誤報」は、「真実以外」つまり嘘を真実だと報道してしまったのですが、それと同じくらい大切な、「すべての真実」についての反省は全くありません。

マスコミが、自分たちの狭い世界の中でしか通用しない先入観を元に、自分勝手なストーリーや結論を先に作り出して、そのストーリーや結論にうまく合うコメントや数字だけを使う、というやり方は日常茶飯事です。

取材に当って、何らかのストーリーがないと、物事は見えてきませんが、それは「仮説」として扱い、取材の過程で分ってくる様々な事実や真実を元に、その仮説を修正したり、新たな仮説を作ったりすることが大切なのではないでしょうか。それが科学の進歩につながりましたし、その他の分野でも、そのような努力の末に、少しは「すべての真実」に近づけるはずなのですが――。

マスコミの取材を受け、その結果が紙面になった時に、自分の言ったことが余りにも反映されていないため、「マスコミは信用できない」と感じる人がいかに多いかという「事実」がこのことを雄弁に物語っているのではないでしょうか。

善意のマスコミ人もいるようなのですが、構造的にマスコミの体質を変える方法はないのでしょうか。


新聞、週刊誌、テレビのメディアは、
エンターテイメントになってしまったようですね。
それを自覚していないのは、
その世界にいる人々自身のようです。

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