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2013年11月15日 (金)

Otto Hahn 講演会

Otto Hahn

----- 科学と人類と平和のための人生 -----

秋葉忠利
2013年11月3日


以下の説明は、雑誌『数学教室』の連載”The Better Anges”から、一部を転載させて頂いています。発行は数学教育協議会で、国土者から出ています。定期購読をして頂ければ、こんなに嬉しいことはありません。

《オットー・ハーン氏の孫による講演会》

2013年9月30日と10月2日の二回、オットー・ハーン氏の孫である、ディートリッヒ・ハーン氏による講演会が広島大学で開催されました。10月2日の講演は、私が英語で教えている大学院レベルの授業、「Peace Creation by Cities and Citizens」の第一回目の講義の時間を充て、同時に大学主催の平和講演という位置付けにもして貰いました。
市民向け講演の主催は、広島市を中心に平和と友好のためのボランティア活動を続けている非営利団体「World Friendship Center」、小生の広島大学等での講義やその他の講演の内容を市内のアクセスの良い場所で市民向けの催しとして開催、多くの皆さんに呼びかけて下さっている「ヒロシマ・アキバ塾」そして、広島大学の秋葉研究室でした。
  大学での講演は英語で行われる授業の一環ですので、当然、言葉は英語なのですが、学生や職員以外の方にも参加を呼び掛けていましたので、念のため、最初に講演内容の大雑把な要約をした上で、アウトラインとキーワードを日本語で記した資料を配りました。
  9月30日は、市民向けの講演でしたが、結果的には、それほど違った内容ではありませんでした。ただ、市民向けですので、日本語の通訳が必要でした。そのため時間的にはきつかったのですが、オットー・ハーン氏の両親の写真から始まって100枚以上の貴重な写真に沿いつつハーン氏の人生を辿る興味深い話になりました。結局、予定していた時間を30分以上超えても、熱心に聴き続ける人がほとんどで、主催した私たちがかえって感激してしまうほどでした。
  参加者数は、市民向けの講演で約95人、学生・職員向けの方は46人でした。

《Otto Hahn Peace Medal in Gold》(「オットー・ハーン平和賞」と略)

ディートリッヒ・ハーン氏(以下、ディートリッヒ氏と略。オットー・ハーン氏はOHと略)がそもそも広島訪問するに至ったきっかけは、今年の4月にベルリンで開かれたオットー・ハーン平和賞の授賞式で、この賞の創設者であるディートリッヒ氏にお会いしたことでした。
ディートリッヒ氏は、お祖父さん子です。それは、OHの一人息子であるハンノと彼の妻イルゼ、つまりディートリッヒ氏の両親は、まだディートリッヒ氏が子どもの頃に交通事故で亡くなり、ディートリッヒ氏は御祖父さんに育てられたからです。そのせいもあり、ディートリッヒ氏はOHに関しては世界で最高の理解者であり、資料をふんだんに使った500ページもの伝記も著しています。
ディートリッヒ氏と話すうちに、彼の「ヒロシマ」に対する特別な気持は、お祖父さんから受け継いだものであることが良く分りました。また、できるだけ早く広島を訪れたい、という気持も良く理解できました。そして広島で、OHについての講演ができれば、という希望にも沿いたいと思いました。日程を調整して、広島訪問は9月末から10月にかけて実現することになりました。

《広島で》

広島到着は夜でしたので、次の日には先ず、平和公園の慰霊碑に献花することから日程が始まりました。慰霊碑の前で、長い時間、頭を垂れて黙祷。そして最後には、両手を胸の前で合わせるタイ式のお辞儀で終わる、お祖父さんの代理という意味も込めての敬虔な時間でした。ディートリッヒ氏の奥様はタイ人ですので、タイ式のお辞儀は自然なのですが、彼自身の気持そして何よりお祖父さんの気持を表すのに一番相応しい形だったように思います。
続いて、ピースボランティアの橘光生氏と原田健一氏が平和記念資料館を案内してくれました。特に原田氏の英語による詳細かつ正確な案内で、被爆の実相についての理解が深まったそうですし、被爆者寺本貴司氏の被爆体験証言には心からの感動を覚えたと語ってくれました。
軽い食事、と言ってもディートリッヒ氏はベジタリアンで、量もそれほど多くは食べない人なので、それで十分だったようですが、日本の食事は気に入ってくれました。そして7時から、広大の東千田キャンパスで講演が始まりました。
ディートリッヒ氏は、1946年 フランクフルト・アム・マインで生まれました。芸術史家のハンノ・ハーン(1922-1960)の一人息子、核化学者オットー・ハーン(1879-1968)のただ一人の孫です。ベルリン芸術大学卒後、ジャーナリスト・(劇場・芸術等の)広報・マスコミ・コンサルタント、俳優としても活躍し、オットー・ハーンならびに核分裂の歴史についての数冊の書籍の執筆、編集に携わりました。また、ドイツ・ベルリン国連協会が授与する「オットー・ハーン・ピース・メダル・イン・ゴールド」の創設者で、ミュンヘンの「科学振興のためのマックス・プランク研究所」会員、ニューヨーク科学アカデミーの外国人会員でもあります。
「オットー・ハーン・ピース・メダル・イン・ゴールド」は1988年に創設され、2年に一度「平和と国際理解への卓越した貢献」に対して贈られます。ベルリン市長とドイツ国連協会の会長からメダルと賞状が手渡されます。これまでの受賞者の中には、哲学者のカール・ポパー、音楽家のユーディ・メニューイン、ミリアム・マケバやダニエル・バレンボイム、作家のハンス・キュング、政治家では、ミハエル・ゴルバチョフやメリー・ロビンソン等が入っています。そしてモハメッド・アリも受賞者です。

《講演》  

   アメリカの詩人、思想家であるラルフ・ウォルドウ・エマーソンは「本音で言えば、歴史は存在しない。あるのは個人が生きた証だ」と言っていますが、ディートリッヒ氏の講演を聞いて、その意味が分かったような気がしました。歴史を大きく動かした人物の視点や立場から、ある時代を経験することで、歴史をより深く理解できることに思いが至りました。
講演もタイ式のお辞儀から始まりました。以下、工場長さん編集のビデオに従って、ゆっくりと御覧頂ければ幸いです。通訳は大兼保子さんがボランティアとして、いつもの名通訳ぶりを発揮してくれました。

ディートリッヒ・ハーン講演会 1

ディートリッヒ・ハーン講演会 2

ディートリッヒ・ハーン講演会 3

ディートリッヒ・ハーン講演会 4

ディートリッヒ・ハーン講演会 5

ディートリッヒ・ハーン講演会 6

ディートリッヒ・ハーン講演会 8

《最後に》

市民講演の次の日には、ディートリッヒ氏を宮島に案内しました。厳島神社にも感激してくれましたが、彼がそれ以上に喜んだのは、自由に街中を歩く鹿でした。一頭ずつカメラに収め、話しかけ、宮島で最も長く時間を費やしたのは、鹿との対話だったと言っても良いくらいでした。ディートリッヒ氏は「これが、本当の平和だ」と何度も繰り返していました。
お祖父さんから引き継いだ広島への思いと共に、自分でも、どうしても一度は訪れなくてはならないと誓った広島で、慰霊碑に詣で、資料館で学び、お祖父さんと自分の思いを広島市民に伝えることができたからでしょうか、3世代にわたる重荷を下ろして安堵の気持が、鹿との対話になったように私には思えたのですが、宮島の持つそして広島の持つ不思議で大きな力を感じた数日でした。

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平和というと鳩をイメージしますが,鹿ですか。
言われてみれば,広島にも宮島にもふさわしい平和のシンボルという感じですね。

投稿: もみじ日記 | 2013年11月15日 (金) 21時26分

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平和問題」カテゴリの記事

コメント

平和というと鳩をイメージしますが,鹿ですか。
言われてみれば,広島にも宮島にもふさわしい平和のシンボルという感じですね。

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