広島舞踏界発展のため松若雅優由さんの今後の活躍期待
日本舞踊松若流直門宗師範松若雅優由さん(広島市佐伯区)が、このほど雅優由会発足30年になり、宗家、家元ら大勢の人が出席し、広島サンプラザで祝賀会を催した。またその日の夕方、厳島神社の高舞台で宗家と松若さんが舞を奉納した。
松若さんにとって、30年は決して平坦な道でなかった。信用金庫に勤めていた夫、睦郎さんの助言で藤間流から松若流に移ったのだが、その2年後の昭和60年睦郎さんが病気のため急死。名取「寿恵雅延」となり、弟子も増えつつあった時代だ。
将来の不安を抱えた松若さんは途方に暮れ、涙する毎日を送っていた。そんな時、知人の邦楽家新田得二郎さん(故人)が松若さんを激励しようと、自ら作詞作曲した「想夫恋
舞扇」という歌を作ってくれた。
<かざす扇の 松絵の中に あなたのお顔がまた浮かぶ 心配しないでいいの 残る子供を抱きしめて 強く生きるから>
さっそくレコード化、振り付けをしてその年の発表会で2人の娘さんと踊った。その後は発表会のたびに踊った。今ではこの曲が入門課題曲となっている。
この歌のおかげで、良き理解者だった夫の死を乗り越えることができた。現在は地元を拠点に、中国新聞、はつかいち文化ホールさくらぴあ、佐伯区文化センター、サンプラザを始め、周辺の公民館などで指導。平成7年から歌謡教室の指導者との交流を深め、一緒にチャリティー公演「歌と踊りのハーモニー」も開催し、今年18回を迎えた。福祉団体への寄付も忘れない。
また日中友好使節団として、訪中したり、ハワイ・コナ親善大使としてハワイでも公演。文化庁の伝統文化子供教室の日本舞踊の講師にも任命されている。
子育ても大変だったが、長男の息子さんは自営業のかたわら運転手兼マネジャー、2人の娘さんや孫まで踊る舞踊一家とて幸せな毎日を送っている。30周年を期に、会の後援会長に元全国市議会議長会の会長、藤田博之さんが就いた。
「すばらしい弟子や地域の多くの人に支えられ、今の私がある。30年を振り返って、皆さんに感謝する気持ちをさらに大切にしていきたい」と松若さん。広島の舞踊界発展のためにも、今後の活躍を期待したい。
上村和博
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