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2012年6月17日 (日)

人生の目標は「ガンになって死ぬ」こと

以下の記事は個人的な独断により多くの誤解を生む可能性のある内容を含みます。
河野美代子先生の「タウンNEWS 広島平和大通り」にもの申す。も一緒にご覧ください。


「病気の百貨店」とか「患者のプロ」と言われ、30枚近い診察券を持つ私ですが、もっかの目標は「ガンになって死ぬ」ことです。

人間は国籍、人種、性別、社会的身分や保有資産に関係なく、100%死にます。いずれ迎える、人生の最期を飾る死を、患者のプロの出した結論は「ガンで死にたい」でした。

私の両親は二人ともガンで亡くなりました。穏やかな死でした。ホスピスはいくつも見て周りましたが、映画「最高の人生の見つけ方」にも描かれているように、ガンは治療さえしなければ人生の最期を思い切り楽しめる病気です。

日本ではピンピンコロリが良いという人が多いのですが、私は残された家族への準備と、何より自分自身が人生の最期を心置きなく楽しめるガンが最高だと思っています。

このことは常々親しい知人にも話してきたことですが、ついにそういう本を見つけました。

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」自然死のすすめ。死ぬのはガンに限る。ただし、治療はせずに。

00gan_3

第一章:医療が「穏やかな死」を邪魔している
第二章:「できるだけの手を尽くす」は「できる限り苦しめる」
第三章:がんは完全放置にすれば痛まない
第四章:自分の死について考えると、生き方が変わる
第五章:「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がける

幻冬舎新書で中村仁一という医師の書いた本ですが、この本を読んで、今まで考えていたことが確信となりました。

昨日のブログのコメントで、緩和ケア医さんに教えて頂きましたが、その中村仁一先生の講演会が開催されるということなので、改めて以下に掲載しておきます。

日時:9月17日(月・祝)13:30
場所:広島国際会議場 大会議場ダリア
事前申込不要、入場料無料ということです。

誰にも訪れる死を考える良い機会だと思います。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。


昨日も書きましたが、ガンになったら、治療せずに安らかに天寿をまっとうしようと考えていますが、
ガンになって死にたい、とまでは思えないのは、まだ修行が足りないのでしょうね(^-^;

投稿: アコ | 2012年6月17日 (日) 07時58分


私もこの本を読み、死ぬ時はガンが良いと考えていますが、問題は時期ですね。
今はまだ「良い」とは思えませんが、それなら70歳になればいいのか、80歳ならいいのか、結論が出ません。
工場長様の年齢は知りませんが、既に「良い」と考えられているのであれば、それだけのことを成し遂げられ、充実した人生を送られたということなのでしょうね。

投稿: 星野 | 2012年6月17日 (日) 08時36分


ガンで死にたいのなら、原発をどんどん再稼働して、放射能のついた瓦礫を引き受ければいいだけなのでは。

投稿: 再稼働 | 2012年6月17日 (日) 09時13分


アコさん
日本人の3分の1はガンで死ぬと言われるくらいですし、両親もガンで亡くなりましたから、私の場合は「ガンで死ぬ」ことは望まなくても達成できそうです。

問題は「ガンになったら、苦しい闘いを避けて、ガンの助けを借りて楽に最期を迎える」ことでしょうか。
「修行」とかではなく、単なる知恵だと考えています。

投稿: 工場長 | 2012年6月17日 (日) 09時19分


星野さん
私は来年60歳ですが、放射能の寿命と比べると、人間の寿命はあまりに短く、もういつ死んでも誤差の範囲に思えます。

長生きすれば、まだまだ楽しいこともありますが、「最高の人生の見つけ方」のような最期を迎えるには、少しでも体力や知性そして感性のあるうちにガンになりたい、とも思います。

投稿: 工場長 | 2012年6月17日 (日) 09時20分


再稼働さん
ここで取り上げているのは、自然死としてのガンで、若い人や子どもに多くのガンを発症させる放射線は論外です。

また私個人は、レントゲンやPETーCTなどの医療被曝で「妊婦や子どもには近づいてはいけない」ほどの放射線を浴びていますので、ガンになる日も、そう遠くはないと希望を持っていますよ。

投稿: 工場長 | 2012年6月17日 (日) 09時25分


あくまで「自然死としてのガン」ということですね。
納得です。

子ども達にガンを広げようとする日本政府は許せません。

投稿: 通りすがり | 2012年6月17日 (日) 09時40分


通りすがりさん
もともと日本は医療放射線についての規制が甘く、そのためにガンが多いという論文もあります。
しかも、これまでは皆無だった食材にまで放射能入りの可能性が高いわけですから、これ以上は僅かな放射能でも拡げるべきではありませんね。

投稿: 工場長 | 2012年6月17日 (日) 22時40分


64歳で余命半年のすい臓がんと言われた私の父は、放射線、抗がん剤治療をすべて拒否し、9ヶ月後に亡くなりました。ラスト2ヶ月は呉国立病院の緩和ケア病棟で過ごしました。本人の意思で延命処置も一切しませんでしたが、ラストの3週間は、もだえるような倦怠感、苦しみを訴え続けました。あまりに苦しむので、先生に訴えて身体の機能を止める薬を処置(安楽死?)して頂きました(先生からは安楽死を勧められる事はありません)。確かに交通事故死などと違い「癌」には家族と過ごす最期の時間がもてます。が、父の最期は苦しいものでした。私が癌になった場合は、父みたいに我慢せず、早い段階で安楽死させてもらおうと決意しています。それなら癌で死んでもよいです。

投稿: さくら | 2012年6月18日 (月) 13時42分


さくらさん
すい臓がんは自覚症状がなく手遅れになることが多いガンですね。
骨への転移や神経や他の臓器への圧迫で痛みが出たということだと思いますが、モルヒネや神経ブロップは効かなかったのでしょうか。
延命処置の範囲(解釈)もかなり広いので、その辺りも十分に医師や家族と話しあっておくことが必要だと思います。

投稿: 工場長 | 2012年6月18日 (月) 18時40分


いつも楽しみに読ませて頂いています。私は工場長さんの記事と、この本に大賛成です。河野先生の記事も読ませて頂きましたが、改めて患者とその家族―医者との隔たりを感じました。私は市販の薬でもひどい副作用が出るので、処方される薬では当分大変なことになります。今では化学物質を拒絶出来る身体にむしろ感謝しております。私の両親は、私が3歳と10歳の時にガンで逝きました。治療を大変後悔しながら逝きました。私に残してくれた手紙には「人間には宿命がある。あくまでも自然に身を委ねて、医者には身を任せるな。宿命に沿った人生を全うするように」と書いてありました。育ててくれた祖父母も子に習い、寝たきりにも管も付けることなく枯れるように逝けました。両親は早くに逝きましたが、私は精神的にとても豊かな人生を送れています。私は長さより質を求める人生を選択したいです。人がどんなに苦しんでも死なせると「負け」になる現代医療と、原発に邁進するのみの科学者はぴったり重なります。
人間はもっと自然に生きれるのではないでしょうか?

投稿: 野ばら | 2012年6月19日 (火) 11時02分


野ばらさん
コメントそしてご賛同頂き、ありがとうございます。

今回の記事は河野先生ご指摘の通り配慮に欠け誤解も与える内容だったと思います。私の親戚や知人にもガンを治療し克服した人は多く、母が親しかった伯母も、若い頃から90歳に至るまで何度もガンを患いながら、その都度ガンを克服し、幸せな人生を過ごされました。

また、両親も最初から治療をしなかったわけではなく、その都度の判断で「負担も少なく、これをすればしばらくは思うような生活が出来る」というような治療については、何度か繰り返していました。ただ、ある段階で治療とは違う選択を行ったわけですが、その選択には複数の医師の意見と緩和ケア病棟の見学など、重い決断に至る過程がありました。

河野先生は何より生命(いのち)を大切に考えておられる方で、常人では考えられないほどの精力的な活動で生命の大切さを伝えておられ、お金目当てで生命を二の次にしてきた御用学者達とは正反対の方だと思います。私としては、今回の記事は河野先生のブログも読まれた上で、もう一つの選択肢として頂きたい思います。

どんな病気であれ、数百文字で書けるほど単純ではありません。
治療も電力と同じように、当事者が正確な情報を得て、判断し、選択できることが何より重要だと思います。

投稿: 工場長 | 2012年6月20日 (水) 08時12分

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昨日も書きましたが、ガンになったら、治療せずに安らかに天寿をまっとうしようと考えていますが、
ガンになって死にたい、とまでは思えないのは、まだ修行が足りないのでしょうね(^-^;

私もこの本を読み、死ぬ時はガンが良いと考えていますが、問題は時期ですね。
今はまだ「良い」とは思えませんが、それなら70歳になればいいのか、80歳ならいいのか、結論が出ません。
工場長様の年齢は知りませんが、既に「良い」と考えられているのであれば、それだけのことを成し遂げられ、充実した人生を送られたということなのでしょうね。

ガンで死にたいのなら、原発をどんどん再稼働して、放射能のついた瓦礫を引き受ければいいだけなのでは。

アコさん
日本人の3分の1はガンで死ぬと言われるくらいですし、両親もガンで亡くなりましたから、私の場合は「ガンで死ぬ」ことは望まなくても達成できそうです。

問題は「ガンになったら、苦しい闘いを避けて、ガンの助けを借りて楽に最期を迎える」ことでしょうか。
「修行」とかではなく、単なる知恵だと考えています。

星野さん
私は来年60歳ですが、放射能の寿命と比べると、人間の寿命はあまりに短く、もういつ死んでも誤差の範囲に思えます。

長生きすれば、まだまだ楽しいこともありますが、「最高の人生の見つけ方」のような最期を迎えるには、少しでも体力や知性そして感性のあるうちにガンになりたい、とも思います。

再稼働さん
ここで取り上げているのは、自然死としてのガンで、若い人や子どもに多くのガンを発症させる放射線は論外です。

また私個人は、レントゲンやPETーCTなどの医療被曝で「妊婦や子どもには近づいてはいけない」ほどの放射線を浴びていますので、ガンになる日も、そう遠くはないと希望を持っていますよ。

あくまで「自然死としてのガン」ということですね。
納得です。

子ども達にガンを広げようとする日本政府は許せません。

通りすがりさん
もともと日本は医療放射線についての規制が甘く、そのためにガンが多いという論文もあります。
しかも、これまでは皆無だった食材にまで放射能入りの可能性が高いわけですから、これ以上は僅かな放射能でも拡げるべきではありませんね。

64歳で余命半年のすい臓がんと言われた私の父は、放射線、抗がん剤治療をすべて拒否し、9ヶ月後に亡くなりました。ラスト2ヶ月は呉国立病院の緩和ケア病棟で過ごしました。本人の意思で延命処置も一切しませんでしたが、ラストの3週間は、もだえるような倦怠感、苦しみを訴え続けました。あまりに苦しむので、先生に訴えて身体の機能を止める薬を処置(安楽死?)して頂きました(先生からは安楽死を勧められる事はありません)。確かに交通事故死などと違い「癌」には家族と過ごす最期の時間がもてます。が、父の最期は苦しいものでした。私が癌になった場合は、父みたいに我慢せず、早い段階で安楽死させてもらおうと決意しています。それなら癌で死んでもよいです。

さくらさん
すい臓がんは自覚症状がなく手遅れになることが多いガンですね。
骨への転移や神経や他の臓器への圧迫で痛みが出たということだと思いますが、モルヒネや神経ブロップは効かなかったのでしょうか。
延命処置の範囲(解釈)もかなり広いので、その辺りも十分に医師や家族と話しあっておくことが必要だと思います。

いつも楽しみに読ませて頂いています。私は工場長さんの記事と、この本に大賛成です。河野先生の記事も読ませて頂きましたが、改めて患者とその家族―医者との隔たりを感じました。私は市販の薬でもひどい副作用が出るので、処方される薬では当分大変なことになります。今では化学物質を拒絶出来る身体にむしろ感謝しております。私の両親は、私が3歳と10歳の時にガンで逝きました。治療を大変後悔しながら逝きました。私に残してくれた手紙には「人間には宿命がある。あくまでも自然に身を委ねて、医者には身を任せるな。宿命に沿った人生を全うするように」と書いてありました。育ててくれた祖父母も子に習い、寝たきりにも管も付けることなく枯れるように逝けました。両親は早くに逝きましたが、私は精神的にとても豊かな人生を送れています。私は長さより質を求める人生を選択したいです。人がどんなに苦しんでも死なせると「負け」になる現代医療と、原発に邁進するのみの科学者はぴったり重なります。
人間はもっと自然に生きれるのではないでしょうか?

野ばらさん
コメントそしてご賛同頂き、ありがとうございます。

今回の記事は河野先生ご指摘の通り配慮に欠け誤解も与える内容だったと思います。私の親戚や知人にもガンを治療し克服した人は多く、母が親しかった伯母も、若い頃から90歳に至るまで何度もガンを患いながら、その都度ガンを克服し、幸せな人生を過ごされました。

また、両親も最初から治療をしなかったわけではなく、その都度の判断で「負担も少なく、これをすればしばらくは思うような生活が出来る」というような治療については、何度か繰り返していました。ただ、ある段階で治療とは違う選択を行ったわけですが、その選択には複数の医師の意見と緩和ケア病棟の見学など、重い決断に至る過程がありました。

河野先生は何より生命(いのち)を大切に考えておられる方で、常人では考えられないほどの精力的な活動で生命の大切さを伝えておられ、お金目当てで生命を二の次にしてきた御用学者達とは正反対の方だと思います。私としては、今回の記事は河野先生のブログも読まれた上で、もう一つの選択肢として頂きたい思います。

どんな病気であれ、数百文字で書けるほど単純ではありません。
治療も電力と同じように、当事者が正確な情報を得て、判断し、選択できることが何より重要だと思います。

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