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2011年9月12日 (月)

二葉あき子さんの名曲歌い継いで

戦中戦後の歌謡界を代表する広島出身の歌手、二葉あき子さんが先月96歳で亡くなった。「夜のプラットホーム」や「フランチェスカの鐘」「水色のワルツ」「さよならルンバ」などのヒット曲は、今でも歌われている。
 筆者は長年親しくさせてもらった。平和コンサートなどにも支援していただき、米寿を迎え帰広してからも何度も食事に誘われた。いつもにこにこやさしく童女のような顔が目に浮かぶ。 
 東京の日本コロムビア本社で取材を済ませ、食事に焼肉レストランに行ったとき、筆者以上に食欲が旺盛だった。そして長男夫人が経営の「野ばら」という店でピアノに合わせて踊るなど、82歳(当時)とは思えないほどお元気だった。
 二葉さんは昭和20年8月6日、広島に原爆が投下された際、乗った芸備線三次行きの列車が遅れ、中山トンネル(広島市東区)に入ったため、被爆を免れた。その体験から戦後は「ヒロシマ」を意識し、平和を願う気持ちを託した歌がある。
 一つは「フランチェスカの鐘」。昭和24年日劇で歌っている時、客席の壁際に、原爆で亡くなった広島の親友や県立三次高女の教え子の幻が次々と現れたという。この曲を原爆犠牲者への鎮魂歌として歌い続けた。
 そのモニュメントが平成13年実家の三次市布野町に建立され、除幕式に同行した。今では観光名所になっている。
 もう一つは「本当は戦死者への鎮魂の思いを込めて歌っているのよ」と明かしてくれた「夜のプラットホーム」。これは戦時中に淡谷のり子さんが吹き込んだ映画の挿入歌。「さよならさよなら 君いつ帰る」の詞は生還を意味し、哀愁を帯びたメロディは兵士の士気を低下させると、発禁処分となった。
 昭和22年に二葉さんが吹き込み直して大ヒット。歌手として不動の地位を築いた歌。
 まだある。被爆40周年の昭和60年広島平和音楽祭で「祈り舟」という曲を歌っている。
 二葉さんの好きな歌「パダムパダム」の詞に「わたしの前を急ぐ足音は 未来の足音なの いずれめぐり来るさだめの足音」とある。昭和の歌謡史に大きな足跡を残した二葉さんのご冥福を祈り、これらの名曲を歌い継いでほしい。


上村和博


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コメント

モニュメントの立つ布野より、

私が小学生の頃、二葉あき子さんが息子と一緒に布野小学校を訪れ、全生徒400人の前で、息子(私と同じ年齢だった)のピアノ伴奏で歌ってくれたことを思い出します。

「へ~町の子はすごい、ピアノが弾けるんじゃ」と驚いたものです。平成13年には布野村で始めてのリサイタル、高齢でしたが2時間歌いっぱなしで、みんな喜びました。

二葉さんは平成16年には既に引退し、布野の家で過ごしていましたが、当時自治会の仕事をしていた関係から、衣装や写真叙勲の記録などを借りてギャラリーに飾り、皆さんに見ていただきました。

その二葉さんも亡くなられ寂しくなりました。

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