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2011年7月

2011年7月31日 (日)

爪切り

引越ししたので、爪きりを見つからない。
どこに仕舞い込んだのだろう。
仕方なく、本通りの大創にいって、百円だからいいかと、爪切りを買った。
ちょっと変わった形だ。
これが意外と使いやすい。

しばらくしたら、以前買った爪きりが出てきた。
ご丁寧に2つのタイプの爪きりが出てきた。

先が直角に歯がついているタイプと、ハサミを小さくしたタイプのものだ。

今回百円ショップで買ったのは、この2つのタイプを足して2で割ったような形だ。
ハサミの先の爪を切る部分に、直角タイプの歯が付いている。
理に適っている。


Image002

ハサミタイプの爪切りは、随分以前に買ったので、いくらだったか覚えていないが、あとの2つは百円ショップで買ったものだ。

百円ショップで、こんなに気の利いたのが売られていては、普通の店はやっていけなくなるというのは、当然だろう。

「百円ショップを見て廻るというのを、趣味にしている人がいる」
というのを聞いたことがある。

私もそうなりそうだ。


元安川

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2011年7月29日 (金)

中国の新幹線事故

7月23日、中国の新幹線が追突、多数の死者がでるという痛ましい事故が起こった。

当初、原因は落雷による機器の破損によるといわれていたが、だんだん人為的ミスということが明らかになってきた。
運転手の技量不足ということもいわれている。

新幹線の運転手の研修期間がわずか2ヶ月だったともいわれているが、事はどうもそんな単純なことではないように感ずる。

「中国鉄道部は2010年12月の時点で、中国には世界一長い8,358kmの高速鉄道網があり[1、そのうちの2,197kmは世界最高の営業速度である350km/hに対応しており、
2011年末には13,073km、2015年末には25,000kmに達する計画であると発表している」
という。

日本の新幹線は1965年東海道新幹線の企業以来、46年間かけて、今年ようやく青森から鹿児島まで繋がった。
山形新幹線等を加えると、総延長は約3,020kmになる。

中国は、わずか5年間で、日本の4倍の距離を整備したというのだ。
凄まじいとしかいいようがない。

それだけ凄まじい工事を進めるために、中国はカナダ、日本、ドイツ、フランスの技術を導入し、そこに、中国が独自に開発をした技術を加えて、建設をしたというのだ。
その寄せ集めが、今回の事故に繋がったということもいわれている。

日本は車両に加え、運行管理と信号を含めた3点セットで新幹線は成立すると主張したらしいが、認められなかったという。
確かに日本が売り込もうとした3点セットも重要なことだが、実はもっと重要なことがある。


3点セットも、それを使いこなす能力のある職員がいなければ、どんなに素晴らしいATSシステムだろうと、宝の持ち腐れになる。
それだけではない、それぞれの場にいる職員の能力のすべてが完全でないと、今回のような事故になる。

マスゲームや、シンクロナイズドスイミングのように、全員が気持ちを一つになって、動いていないと、シンクロナイズドスイミングにもマスゲームにもならないのだ。
どこか1ヶ所でも違った動きをすれば、即それが事故になるというのが鉄道だ。
鉄道を運行するには、線として繋がっているハードとソフトのすべての要素が、システムとしてきちんとしていなければいけない。

今回の事故はATSが作動していなかったというが、作動していないということは、どういうことか、そんなときはどうすればいいのか回復させるにはどうすればいいのかまでを、きちんと鉄道員全員に理解させ、行動させるには、大変な時間の手間がかかる。

中国は2ヶ月の研修で新幹線の運転手にしているというが、日本では新幹線の運転手になるのに6年間の通常車両の運転手として実績と10ヶ月の研修が義務付けられているという。

新幹線を運行するには駅員から運転手、車両検査係まで全員がプロであることが求められる。
それが鉄道なのだ。

トップは駄目だけど、現場力が強いというのが日本だ。
鉄道は極めて日本に適ったシステムがだといえる。
その象徴が新幹線だ。

よその国の人が日本で1番驚くのが、電車の発車、到着時刻の正確さだといっていた。
その正確さを隅々までもとめられるのが、新幹線だ。

それが、道路と車の場合は違う。

道路は道路で安全につくり、車は車で安全に作り、安全に注意して運転すれば、安全は保たれる。
道路と車は、それぞれが独立している。

鉄道はそうはいかない。

東海道新幹線の長さ 552kmに対して、 JR東海の職員1.7万人のうち4分の1が新幹線の運行に関わっているとすると約4千人となる。
4千人×6=2.5万人となる。

中国の新幹線の長さは、日本の4倍だから、2.5万人×4=15万人の職員が新幹線の運行に関わっていることになる。
15万人もの極めて高度な技術をもった職員を養成しなければいけないというわけだ。

これは仮定に仮定をしての数字だが、私の言いたいことは、その数字の正確性に意味があるのでなく、ともかく何十万人という極めて高度な能力をもった職員を、4年間で教育しなければいけなかったということは、現実には、殆ど不可能だろうといいたいのだ。

ATCがあるから大丈夫だというのだろうが、それは逆だ。

技術が高度になればなるほど、それを使いこなすのは、さらに高度な能力をもっていないと使いこなせないのが技術だ。

中国の新幹線が、安全に運行されるには、まだまだ当分時間がかかるというべきだろう。

まだしばらくは、中国の新幹線に乗るのはちょっと心配だ。


元安川


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2011年7月26日 (火)

駅のゴミ箱

先日東京の地下鉄に乗った。
地下鉄は外を見るわけにも行かない。
駅の売店で新聞を買い、電車の中で読み、読み終わり、さあゴミ箱に捨てようと探したが、ホームのどこにもない。
私鉄、山手線、私鉄と乗り継いださい、その都度探したがない。

自販機の脇には缶とペットボトルを捨てるゴミ箱はある。
丸い小さな穴は、缶とペットボトル用で、新聞は入らないようになっている。

でも、ゴミ箱がないと、文句を言う人はいないようだ。

まあしかし、考えてみれば、駅にゴミ箱はなくとも別にそれほど困るわけではない。
ゴミは自宅まで持って帰り、ゴミの日に捨てればいい。

ゴミ箱がどこにでもあるというのは、それこそ「小さな親切、大きなお節介だ」ともいえる。


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以前広島でも9・11事件の起こったとき、アストラムラインの駅等街中のゴミ箱に封がされ、使えなくなったことがある。

そうした時には、だからといって、文句を言う人はいたとは聞かなかった。

しばらくして、ホームのゴミ箱は使えるようになった。
今は使える。

どうせなら、1年中使えなくしたらいい。

そのほうがゴミの収集費用もかからなく、会社にとってはいいだろう。
アストラムラインの駅だってそうしたらいい。

先日、ノルウエイのオスロで爆弾テロ事件があった。
ノーベル平和賞の授賞式もある治安は安定しているとされる国の首都で起こった事件だ。
その直後オスロから40KM離れた島で、銃の乱射事件が起こった。
2つの事件の犯人は、たった一人の男によるものだという。

「1人の信念のある男は10万人の力をもつ」という言葉を信奉しているようだが、その信念が、ちょっと狂っていれば、簡単に今回のような事件になるのが現代だ。

ゴミ箱は、そうした犯罪の発火点に、簡単になりえるのだ。

駅、公園等の公共の場のゴミ箱の設置は、余計なお節介であるというだけでない。
それを越えて、犯罪の発火点になる恐れもあるのだ。

そんな恐れのあるゴミ箱はサッサと撤去すべきだろう。


元安川

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2011年7月24日 (日)

カレンダーと希望学

「いつもの駅で いつもあう
セーラー服のお下げ髪
もう来る頃 もう来る頃
今日も待ちぼうけ
明日がある 明日がある
明日があるさ
・・・・・        」
という歌があった。

作詞 青島幸夫
作曲 中村八大

ニキビ面の坂本九の歌に、「ウン 俺だって・・」
と思ったもんだ。

今回、東日本大震災で家を失い、家族を失い、茫然自失の状態に陥った人たちは膨大な多い。
追い討ちをかけるように、フクシマ原発の事故で、ますます暗い未来しか描けない状況に陥っている。
希望を失っている。

「希望を科学する」として経済学、政治学、歴史学、哲学の分野を総動員して始めた東大教授の玄田有志氏が、
そんな被災地の人たちに、今、送って喜ばれたのはカレンダーだという。

とりあえず、自分は生き残り、住むところ、食べるものが確保できたとき、
さあこれからどうする、どうやって生きていけばいいのか、考えなければいけない状態になったとき、
「明日何をして、来週何をするかを自分で刻んでいくカレンダー」が、
価値をもってくるというのは、なんともシンボリックな話だ。

玄田教授は、「希望って、明日をどう生きるかみたいなところがある」
という。

そして「その希望は、政治によって与えられるものでなく、政治は1人1人の中に眠っている希望を呼び起こすことにある」
という。

「人はとかく政治に、希望を与えてくれることを期待するが、それは極めて危険なことだ」
ともいう。
「希望とは与えられるものでなく、カレンダーに書き込んだことを粛々とかなえていくところにある。
そこにしか希望は生まれない」
ともいう。

面白い見方だ。

こうしてみると、核廃絶について、秋葉元市長が試みた
「2020年までに、核廃絶する」ということは
そのスケジュールを示ししたことと、
「平和市長会議の参加都市を増やし、世界の都市をネットワーク化する」
として、世界の5,000近くの都市が参加するプログラムを作ったことは、
玄田教授の提唱する希望学的な論理に、極めて適っているということになる。


それをもっと身近なわが身に振り返ってみると、
手帳に明日の予定が書かれていず、真っ白だと、妙に落ち着かなくなることがある。

それをどうやって埋めるかが、これからの重要な課題だろう。

しかしそれは、
少子高齢化時代を迎えた今、日本の国全体の問題でもあるだろう。

貧乏暇なしという言葉がある。
貧乏であれば、否応なくカレンダーは埋まる?


私の手帳が、白いカレンダーだからというのは、いいこと?
心配することはないか!?


元安川

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2011年7月22日 (金)

エキナカのスタバ

新幹線品川駅で降りた。
広島駅を予定より早めに出たので、約束の時間まで、ちょっと時間がある。
改札口の上にあるスタバに入って、しばらく時間つぶしをすることにした。
入り口はどこ?
ちょっとわかりにくい。
階段を上がって、中に入ってみれば、結構広い。
100席以上はあるだろうか。
ほぼ満席だ。


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窓側のコンコース側に座って、下を通る人通りを見る。
ピシッと黒のスーツを着ているキャリアウーマンらしき女性、これから湘南の海に遊びに行くのだろうかなんとも不思議な服装のグループ。
いろんな人がいるもんだ。
そんな人通りを見ているのは、意外と楽しい。
こちらを見上げる人は誰もいない。

このカフェ・スタバは、切符売り場の上に、作られている。
JR東日本が積極的に進めるエキナカ・ビジネスの一環なのだろう。
なかなか上手くできている。

品川駅の東と西をつなぐ自由通路は、巾30Mくらいあり、天井も10Mくらいはあるだろうか、かなり高い。
客席とコンコースとの仕切りとなっているガラスは背の高さくらいしかない。
上は開放空間となっている。
いわばビアガーデンのカフェ版だ。
オープンな雰囲気がいい。

しかし、節電ということもあってか、結構暑い。
もっとも、これだけ空間が開放されていては、エアコンするのは、どだい無理だ。

こうした場所は、いままでなら、単なる改札口の上の屋上というだけで、使われることもなかつただったろうと思う。
しかしこのカフェ・スタバは、駅の利用する者にとっても都合がいいし、JR東日本にとっても貴重な収益源となっているはずだ。
これは、駅の空間の使い方に対するひとつの答えだ。

これもJRが民営化されたこと効果なのだろうか。

広島にも、そんな場所はいくらでもありそうだ。
JRに限らず、鉄道各社も考えたらいい。
山陽本線とアストラムラインの乗換駅にもこんなカフェを作ったらいい。


元安川

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2011年7月16日 (土)

反核平和コンサート

 広島では今夏も反核平和を訴えるコンサートが目白押しだ。 筆者の関係のあるコンサートを紹介する。 
 一つは7月30日、広島市中区の中国新聞ホールで開く「平和への祈りコンサートVOL.4~親から子、そして孫へ・・・語り継ぐヒロシマの夏~」。 主催はNPOシードオブピース(平和の種・道田涼子代表)
 道田さんは劇団四季で活躍後、広島へ帰り、歌と朗読による平和活動をしている。「被爆者の方々の体験を朗読劇にしたコンサートを通じて、平和の大切さを訴え、未来へつなげていきたい。平和の種が1人でも多く心の中に落ち、芽となり大きな樹になるよう頑張りたい」と話す。
 今回は、16歳で被爆した柳川良子さん(広島市中区千田町)の体験記を基に「一本の杖」を製作。ピアノ垣生悠比子さん、トランペット赤津勇介さん、バイオリン津田芳樹さん、シンセサイザー津田典子さんが音楽で盛り上げる。別に道田さんの歌や合唱もある。問い合わせは電話082・209・8826(道田)
 もう一つは平成17年の被爆60周年から5回開催した慰霊の夕べコンサートを引き継いで、新たに昨年から始めた「世界平和祈念チャリティコンサート」。8月12日、広島市東区の区民文化センターで開く。平和と命の大切さを訴え、東日本大震災早期復興の願いも込める。
 出演は、沖縄から、今全国の福祉施設を歌で慰問している砂川恵理歌さんや、広島市出身で東京で活躍している盲目のソプラノ歌手川端みきさん、朗読で平和を訴える「広島音読の会」、海外公演もしている「広島少年合唱隊」、太鼓で平和を願う「安芸府中奏作太鼓 楽打家」のみなさんと、多彩なプログラム。ピアノ演奏はすべて被爆ピアノを使用する。
 砂川さんは介護士の経験を持ち、NHKのど自慢に合格し歌手に転向。ある末期がん患者の言葉を基にした「一粒の種」という歌に出会い、話題になってNHKドキュメント番組に取り上げられた。今「smile seed project」を展開中。これまで慰問した施設は400ヶ所近い。コンサートの問い合わせは電話「082・288・2675(実行委事務局)
 こういったコンサートは継続することに意義があり、続けるには各方面の支援が必要だ。主催者の強いポリシーと情熱もいる。二つのコンサート以外にも、読者の協力を呼びかけたい。


上村和博

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2011年7月14日 (木)

引越し

8年間、勤務した会社を辞めた。
辞めることは、以前から解ってはいたが、それでもいざ辞めるとなると、いささか寂しくもあった。

しかしそんな寂しさは、次の仕事が急に決まったこともあって、その準備、そして引越し、各種手続きという忙しさの中で、すぐにどこかに吹き飛んでしまった。

今度の部屋は、以前に比べて大分狭い。
狭いが、はるかに住み心地がいい。
間取りもいいし、キッチン、風呂等の配置、器具もよく考えられて作られている。
あの馬鹿でかいアメリカ車に比べて、日本車の性能の良さというのはこうゆうことをいうのだろうと、妙なところで感心している。

しかし今回の引っ越しには参った。
引越しをするのは、今回で6回目だが、こんなに大変だったのは初めてだ。
いままで引越しをすべて女房任せにしていた報いだろうか。

このマンションに住んだのは、たった8年間だったのに、いつの間にかびっくりするほど荷物が増えている。
荷物が納戸に収まりきれなくなっている。
新しいマンションの部屋が、これまでより大分狭くなっていることもあるが、捨てなかったことが、一番の理由だ。
戦後の物のなかった時代に育った者にとっては、捨てるというのは、なかなかできない。
うちの子供たちは、そんな苦労をしてないせいだろう、平気でどんどん捨てる。
しかしこうなってみると、捨てるということ、そして少ない洋服、家具、食器で生活する術を覚えないと、とんでもないことになるというのを改めて知らされた。

それに、書類の量が猛烈に多かったのも参った。
関わったプロジェクトがそれだけ多かったということでもあるが、
届けられた書類を捨てずに溜め込んでいたからだ。
関係者が長い時間をかけて、苦労して作ってくれた書類だということもわかるし、
必要になることもあるだろうということもあって、ファイルにいれ、積み上げた書類が山になっている。

しかしこれだけ量が増えてしまうと、必要になったときに、探してもなかなか見つからない。
酷いときは、同じ資料を担当者に再度請求し、それが何部もファイルされていることもある。
そんな資料も実は2度みることは殆どない。

ということもあって、ここ数年は、できるだけ紙の資料は受け取らず、デジタイル情報を受け取るようにしていた。
辞めるにあたって、それら資料を整理したら、なんとUSBの6ギガ程度に収まってしまった。
爪の先ほどの大きさだ。

「エーッ、俺の8年間はこれだけ!」
という感じである。
なんか妙に空しさを感じた瞬間でもあった。

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本、雑誌もいつのまにか凄い量がたまっている。
最近は何か知りたいことがあれば、ネットで調べれば殆どのことは済む。
なにも膨大な本をもっている必要はない。
昔は、膨大な本に囲まれていることが知識人の証であったが、今では膨大な本を持っていることは、単に年寄りの証明でしかなくなったようだ。
新聞だった、雑誌だって、本だってネットでみることが可能になったから、見終わったら、クリックすれば、それでお終いだ。
跡形もなく消える。
捨てるなんて厄介で、勿体無いことをしなくて済む。

自宅に溜め込んだこれらの本も、もう捨てるべきなのだろうが、あの時の感動、苦労を思うと、ちょっと捨てる気になれない。
年をとったということであろうか。

引越しに伴う作業はそれだけでない。
各種変更手続きが大変だった。
いままでは会社の総務部の人たちがやってくれたことを、全て個人でやらなければいけなくなった。
健康保険の手続きが大変だった。
社会保険庁にいけば、手続きに20日間もかかるという。
いまだにお役所感覚から抜けられないのだろうと、文句をいいたくなった。

郵便局の住所変更は所定のはがきに書いて出して、本局で手続きをするので、1週間くらいかかるという。
ヤマト運輸は、いままで担当してくれていた人に、伝えればそれで済んだ。
郵便物の変更はネットでも出来るはずだと探したら、あった。
ちょっと面倒だったが、すぐできた。
郵便局はネットでの住所変更手続きが可能なことももっと宣伝すべきだろう。
ネットはNTTの所管だから、やらないのだろうか?

パソコンも、このマンションは光ケーブルが配線されているというので、これはNTTに勤務する友人に頼んでやってもらった。

ついでにTVのデジタルチューナーも、デオデオに頼んで取り付けた。
これがどうも具合が悪い。
通常の地上波の放送がみられない。
また来てもらわなければいけないようだ。

部屋の中はあちこちコードが走り回っている。
特にパソコン周りが酷い。
近年、こうしたネットがらみの技術進歩を否応なく思い知らされる引越しでもあった。

大変ではあっただけに、色々考えさせられる引越しだった。


元安川

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2011年7月11日 (月)

スクランブル交差点

十字路の交差点では、対角線上の斜め向こうに行こうとすると、普通は道路を2回横断しなければならない。
タイミングがわるいと信号を2回待つことになる。
ちょっとイライラしてくる。

スクランブル交差点ならそんなことはない。
人が交差点を横断するとき、車の信号は全て赤になる。
歩行者の横断時間と車の通行時間を明確に区分することで、歩行者はあらゆる方向にいける。

渋谷ハチ公前の交差点はスクランブル方式の典型的な例である。
世界的にも有名だという。
まあそれにしても凄い数の人が横断している。
そんなに凄い人が対角線線上に横断するのだから、かなりの人が互いにぶつかるだろうと思うが、案外上手い具合に流れている。
こんなに沢山の人が横断するのであれば、そりゃきちんと、人は人、車は車と分けたほうが安全だろうと、誰しもが思うことだろう。.

渋谷ハチ公前前の交差点ほど人通りは多くはないが、
広島市内にも、そのスクランブル方式の交差点は何ヶ所かある

平和公園から本通りに向かう元安橋東詰のカフェポンテのお店の前の交差点が代表だろう。

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平和公園の折り鶴の前を通って本川橋西詰の交差点にもある。
それに袋町小学校南の交差点にもある。

どれも平和公園周辺か、小学校の前というように、
車より人を優先すべきだという認識がされている場所に設けられているようだ。

スクランブル交差点は、もっと普及してもいいだろうと思うが、それほど普及はしていない。

車にとっては、通行時間が短くなり、通行量が減るから渋滞を招くことになるとの理由のようだ。
本当にそうか、ちょっと疑わしいように感ずる。

普通の交差点では、車は右折、左折をしようとするとき、横断歩道をわたる歩行者がいないことを確認してから、進行しなければならないのは当然だが、時々歩行者がよく見えないときもある。
自転車が急に突っ込んできたりし、ヒヤッとすることがある。
歩行者優先の権利がありますとばかりに、もたもた横断歩道を渡っていると、「早くわたれ!」とどなりたくなるときもある。

スクランブル交差点は車より人優先の方式だといわれているが、
スクランブル交差点は、人にとって安全な方式であるだけでなく、車にとっても安全だろうと思う。
車を運転する人にとって、スクランブル交差点は待ち時間は長くなるかもしれないが、安全であるというだけでなく、精神衛生上もいいのではないだろうか。

いままで、日本の全てのシステムが効率優先で進められてきた。
しかしその矛盾が今一気に噴出しているようだ。
福島原発の事故はその象徴だろう。

道路にしても、人の安全、快適さを優先したとき、どうあればいいのか、考え直すときに来ているのではないだろうか。

スクランブル交差点は、そうしたことに対する一つの答えであるように思う。


元安川


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2011年7月 9日 (土)

里山の家

先日、郊外の住宅地を歩いていたら、なかなかお洒落な家を見付けた。

外壁は赤の煉瓦タイル。
屋根は勾配のきつい三角形。
その屋根には、分厚い黒の石盤が貼られている。
庇はない。
建物の南側には、同じ三角屋根の形をしたガラスのサンルームが付いている。
暖炉があるのか、サンルームの横に煙突らしき太い鉄のパイプが立っている。
全体の雰囲気は、アーリーアメリカン風をちょっとアレンジしたような感じだ。

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家は、鬱蒼とした大きな樹に覆われている。
里山の雰囲気がそのまま残されている。
別荘のようだ。

コナラやエゴといった、落葉樹が殆どだ。
冬になれば葉は落ち、陽が射すだろうし、夏になれば大きな樹が陽を遮ることになるのだろう。
ちょっとしたエコハウスでもある。

生垣にはレンギョウが植えられているが、手入れもされず、伸び放題だ。
まあそれはそれで風情があっていい。

よく見ると、木立の中に、針金で作られた大きなキリンが立っている。
何それ?
クリスマスのイルミネーションでもなさそうだ。

こんな家に住むのも、また楽しそうだ。


元安川

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2011年7月 7日 (木)

ネット時代の住所と鍵

街中で、時々茶髪の若者が、ジーパンの腰に鍵束をジャラジャラいわせて歩いているのを見かける。
車の鍵、自宅の鍵、それに彼女の家の鍵・・・
それにしても多すぎる。
なんでそんなに沢山の鍵をもっているの、と不思議でもあったが、
ジャラジャラいわせているのが、恰好いいと思っているんだろう、
いまどきの若者のファッションなのだろうと思っていたが・・

しかしネット時代になって、気付いてみれば、私もとんでもなく多くの鍵をもっていることに、気付かされる。

このブログの書き込み用のアドレス、パスワードに始まり、
YAFOO、楽天、
You Tube
銀行、
学会、
会社、
大学、
審議会
ヨマト運輸



とまあ沢山ある。
今現在、私の持っているアドレスとパスワードは、もう26件になる。
これから、まだまだ増えそうだ。

それらにアクセスするのには、IDとパスワードが必要だ。
アドレスは文字通り住所であり、パスワードというのは、いわば鍵だ。

「パスワードは、4桁にしてください」といわれることもあるし、「10桁にしてください」といわれることもある。
「そのパスワードは使えませんから、別のパスワードにしてください」といわれることもある。
その都度覚えやすいようにと数字とアルファベットの組み合わせを工夫しているうちに、結局は種類が増え、どれがどれだったかもう殆ど思えきれなくなってしまっている。
呆れもするが、もううんざりしている。

しかしそうもいっていられない。
以前はアドレスとパスワードを手帳に書いていたが、いまは手帳と携帯に記録し、パソコンにはエクセルで書いて保存している。
これを盗まれたり、落としたりしたら、それこそ大変だ。

どうしたら、いいんだろう・・・・・


元安川

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2011年7月 5日 (火)

母の死

数年前こんな夏の暑い日だった。
母が亡くなった。
 
「おふくろが亡くなった」と、夕方6時頃、母と一緒にすんでいた弟から電話があった。 
新幹線、夜行列車を乗り継いでかけつた。 
81歳で亡くなった母の顔は、若々しく、穏やかで、本当に綺麗であった。
母は、「死ぬときは畳の上で死にたい。」と常々言っていた。 
母は、望んでいたように、離れの畳の上で亡くなった。
しかし、その死は、あまりにも覚悟した死であった。
亡くなる1年位前から腸捻転の発作を繰り返し、かなり苦しんでいた。 
しかし絶対に病院には入院しようとしなかった。
直接の死因となった腸捻転は、母の母親の死因と同じであったので、次に発作が起こったときは、自分は、もうこれで駄目だと覚悟したようである。
腸に水も溜まり、足にむくみもでるようになり、体の状態が悪くなっているのに、遠方住む私には何も知らせず、母は一人で死の準備を進めていった。
自分の生まれ育った村の実家へも、途中で倒れるかもしれないというような体で出かけて行き、「もう次は来られないよ。 これが最後だよ。」と伝えていた。
7月に入ってからは、菩提寺の東福寺から生前戒名も受けていた。
自分の死で、皆がショックを受けないようにと、配慮をしているかのように、何度も「もう駄目だよ」という言葉を繰り返しいっていた。
自分の死で、子供たちが困らないように、煩わしさも残らないようにと、葬儀のこと、その後のこと等、全てを弟に指示してあった。 
自分が死んだら、すぐ通夜、葬式をやるようにとの指示もあった。
葬式も、父の時のように、関係する皆さんに参列していただくような、盛大な葬儀ではなく、子供と孫だけのささやかな葬儀でよいと、その進め方、手はずも全て決めてあった。 
畳の上で亡くなると、医者の診断が必要となるが、そのときのためにと、近所の槙田内科医院に盆暮れの挨拶を欠かさずしていた。
亡くなるその瞬間前には、弟に、家の前のお宅2軒に、1升瓶を届けさせていた。 
弟が戻ってきたら、体は冷たくなり始め、硬直し始めていたという。
そのお宅の奥さん2人には、亡くなったあと、体を拭いてもらったそうだ。
葬儀は、父と同じ葬儀社であった。
母の葬儀用の写真は、弟のアルバムの中から選んだ。 
弟の小学校の父兄会に参加したときの小さな写真だったが、母は31歳と若々しく美しかった。 当時の雰囲気がよく出ている写真であった。 
母が父と結婚したときはまだ18歳だった。 
小学校に上がった頃、そんな若々しい母が、私はちょっと誇らしくもあった。 
着ている着物も、この夏の季節に相応しい浴衣であった。 
そんな母の写真を、偶然にも選べたことが嬉しかった。 
祭壇は色とりどりの花に囲まれ、若々しい母の写真とマッチし、本当に綺麗だった。
祭壇の設けられた離れも、天井が吹き抜けで、それこそこの日のために作られたような雰囲気であった。 
母にみせてやりたくなるほどの美しい母と祭壇であった。
枕経、通夜、告別式、初七日の法要のお経は、東福寺の若住職にあげてもらった。
離れの建物、綺麗な花の祭壇、花に囲まれた母の写真、そして子供と孫たちに囲まれ、母の望んでいたように、気持ちのこもったお葬式があげられたと思う。
お骨は、母の望みどおりに、父が守ってきた総本家の墓地に納めた。
当家の墓に入らなかったのは、弟のことを配慮したからでもあろうが、後妻であった母としては「先妻と同じ墓に入れば、嫉妬されるぞ」と、母の姉からアドバイスをされていたからのようである。
すべてが母の指示通りに進められた。 
あまりに、見事な死に際であった。

母の人生は、苦労の連続だった。
弟は、高校に入るとすぐ事故に巻き込まれ、その後肝臓を壊し、以来ずっと、生死の間を彷徨っているような人生であった。 
その弟を、母は、自分より先には絶対に死なせないと必死の看病を続けた。 
子供達、孫達が、ようやく夫々になんとか目処がついたというのを見届けて、安心したかのように、亡くなった。
私が大学に入ったといっても、博士号の学位をとったといっても、さして嬉しそうではなかった。 
孫の一人が、T大に入ったといっても、それ程嬉しがるわけでもなかった。
父を差し置いて、子供達にこうしろ、ああしろと指図することは一切なかった。
いつも、「調子に乗ってると失敗するよ。 皆さんに迷惑はかけでは駄目よ」と心配ばかりしていた。
私が、体調が悪いとき、仕事で上手くいかなったとき、何もいわなくとも、ちゃんと分かっていたようである。 
しばらくしてからいうと、「知っていたよ。」といわれた。
そして、いつも「私のことは心配しなくていい。自分のことだけ、ちゃんとやっていればいい。」といっていた。
いまにして思えば、長男である私には、格別の期待と愛着があったようである。
私は、35歳で結婚したが、それまでずっと両親と一緒に住んでいた。 
酔って、何時に帰っても、食事は用意されていた。 
朝には、スーツはピシッとアイロンが掛けられ、靴は磨かれていた。
そんなことは、私は当たり前のことと受け止めていた。
大正生まれの母は、明治生まれの男と結婚したせいか、私の妻が呆れるほどの男尊女卑であった。
「長男が結婚したら、一緒に住む。 死ぬときは長男と孫に看取られて死ぬ。」というささやかな夢をもっていたようだが、私はそれをことごとく裏切ってしまった。
私は、数年前から母と随分と遠く離れた地に住んでいる。 
母の面倒は全て弟に任せてしまっていた。
私は結婚して以降しばらくしてから、随分と長い間母と離れて暮らしているが、それでも、母が亡くなって、なにかぽっかり穴があいたような感じになっている。 
なんともいえない寂しさがある。
一緒に暮らしていた弟は、もっと寂しいだろう思う。

母の戒名は「福寿院慈雲美徳大姉」とつけられた。


元安川

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2011年7月 3日 (日)

安全と安心

工事現場には「安全第一」と書かれたポスターがあちこちに掲げられている。
工事現場は常に危険と隣りあわせだ。
クレーンが倒れたり、高い工事現場から落ちれば、人が死ぬこともある。
死者を出せばしばらく工事ができなるだけでなく、その現場は赤字になるのは必至だ。
だから、工事現場はなんとしても事故は避けようと必死だ。
「安全第一」という標語が必ず掲げられている。

アストラムラインのポスターには「安全・安心な公共交通機関」と書かれている。

JR西日本の福知山線事故があって以降、公共交通機関にあっても、安全への取り組みは様々に強化されている。

そんなとき、私たちはなんとなく、「安全と安心」をワンセットで使っている。
安全であれば、安心という感じだ。
しかし安全であれば、おのずと安心かといえば、どうも実は同じものではない。

電車の運転手の服装が乱れていたりすれば、こんな運転手に任せていてはいいのだろうかと不安になる。
安全だからというが、安心して乗っていられないというわけだ。
飛行機のパイロット、スチュワーデスがきりりとした恰好をしているのはそのためだというのがわかる。

近頃は自動制御のシステムの開発が進み、電車のドアの開け閉めから、出発、進行、停車までの間の運転、飛行機の離着陸まで、人が殆どかかわることなく、機械に任せたほうが安全なレベルにまでに技術は進んできた。

日本の技術の粋を集めた新幹線はその最たるものだろう。
運転は殆ど計器に任せており、運転手はひたすら神経を集中して、計器を見ているだけが仕事といえる状態のようだ。
それこそ、新横浜駅を出てしまえば、名古屋に着くまで、約2時間、ジーッと計器をみつめている以外、何もすることがないらしい。
座禅を組む代わりに、椅子に座って、ひたすら厳しい修行をしているようなもんだともいう。

運転席で何もすることがないからと、携帯電話をしたり、居眠り運転をしたりする運転手が出てきたりする。
それを見付けた乗客から投書が来ることもある。

交通機関にとって、安全であることと、安心な公共交通機関であることとは、必ずしも同じではないということがよくわかる。
安全は、必要条件ではあるが、充分条件ではないということである。

しかしこれが逆の場合もある。

安全だと信じていた原発があんな事故を起こした。
つまり安心していたら、実は安全ではなかったというわけである。

安全と安心の両方を確保するというのは、なかなか大変なことだというのが、今回の原発事故でよくわかった。
人間は生きている間は、油断せず、常に安全性をチェックすることを忘れてはいけないようだ。
疲れるなー。

安全と安心の違いをきちんと理解し、両方満たすことが、真の安全につながるといえるようだ。


元安川

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2011年7月 1日 (金)

イケメンと民主主義?

斎藤祐樹の人気は凄い。
今体調を崩し2軍で調整中だが、登板するとなれば、それでも大ぜいの観客が集まる。
街中のアンケートでも圧倒的人気だ。
誰もが好感をもつ若者のようだ。

甲子園で優勝投手になったとき、腰のポケットからとりだしたタオル地のハンケチで顔を拭う姿が恰好いいということで、ハンカチ王子と持て囃されもした。


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しかし人気の秘密は、もっとちがうところにあると、某TVの番組で報じていた。

彼の顔が、実は日本人の平均的な顔だからだというのだ。
それを実証するために、同じ年代の男性50人の顔を合成してみると、確かに斎藤祐樹のような顔になる。
戦後すぐのころの男性の写真を合成すると、もっと四角い顔になるようだ。

20年後の顔がどうなるかというと、もっと顎の細い顔になるという。

それは、日本人の食事の際の噛む量に比例しているようだ。

ちなみに日本人が1回の食事で噛む量は、弥生時代4000回、鎌倉時代2500回、江戸時代1500回、現代620回だそうだ。

そういわれてみると、チンパンジーの顔は、やたら歯が大きく、口が顔の半分を占めている。
チンパンジーは良く噛んでいるのだろう。

女性に持てようと思ったら、まずは噛む回数を減らすことが、必要なようだ。
いまさら、もう遅い?

しかし、それにしても、
平均すると、全体の顔のバランスがよくなり、誰にでも受け入れるようになるというのは、面白い。

そういえば、昔金丸信という建設大臣や副総理までやった自民党の重鎮が、
「足して2で割るのが、政治だ」といっていた。
平均すればいいというわけだ。
案外的を得た指摘かもしれない。

民主主義の多数決による決定というのも、美しいのだろうか。
???


元安川


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