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2011年5月

2011年5月30日 (月)

癒しのスポット ―パセーラ屋上の広場とベトナミーズカフェ・ミス ホア

パセーラの6階屋上に奇麗な庭園風広場がある。
いついっても、殆ど人をみかけることはない。
広島の中心ともいえる紙屋町交差点からすぐなのに。

広場に面しては、ベトナミーズカフェ・ホアがある。

Image002


庭園に接した部分はオープンカフェとなっている。
カフェのガラス戸を開けて外に出られる。
周りの樹木も開業してから15年がたち、しっとりとした落ち着きのある空間を作りだしている。
オープンカフェには木製のテーブルと椅子が置かれ、初夏の昼下がり、ここでコーヒーを飲むのはなんとも心地よい。

景観も素晴らしい。
ひろしま美術館、広島市中央図書館の庭、お城とも繋がり、その向こうには権現山等の山並みが望める。

ベトナミーズカフェ・ホアはベトナム料理というから、なんとなく不味いだろうと思っていたが、これが意外と美味い。
イタリア料理で有名なマリオが経営していることもあってだろう、味は確かだ。

それでも、いついっても殆ど人をみかけることがないというのはどうしてだろう。
市街地の端という立地で、ちょっとアクセスしにくいということと、庭が建物の北側にあるせいで、ちょっと寂しいということだろうか。
庭に植えられた植物は太陽に向いて育つので美しくみえるということで、日本庭園は建物の北側に作られるのが本来のあり方だと聞いたことがある。

広場には舞台も設けられている。
野外コンサート等のイベントをするには恰好の場所だと思うが。
勿体ない。

ここは、知る人ぞ知る、
都心の隠れた癒しのスポットだ。


元安川

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2011年5月28日 (土)

これからの住い方 ―現代版 方丈庵

日経ビジネス 2011年5月9日号に東日本大震災で人々の住宅選択の基準が次の5点で大きく変わったと書かれていた。

①何よりも耐震力を重視するようになった。
②高層階の揺れ、停電時にエレベーターが使用できなくなるということから、マンションは高層より低層の方がよいと考えるようになった。
③津波、液状化を目の当たりにし、湾岸の埋立地より、台地に住みたいと考えるようになった。
④停電を経験したことで、オール電化は様子見になった。
⑤帰宅難民の辛さを実感し、電車が運行不能になっても、職場から帰宅できる場所に住みたいと考えるようになった。
という。

突き詰めれば、いままで効率等を基準して住宅選びをしてきたが、これからは、いざというときどうやって生き延びるかということを、基準に住宅選びをするようになったということだろう。
言葉を変えていえば、持続可能性ということが基準になったということだ。

しかしそれでもまだ、こうした問題については、技術が進化すれば、なんとかなるはずだという思いが何処かにあるように感ずる。
ということでは、この建物については、震度9.0でも大丈夫ですよといわれれば、また海に面した、眺望のいい高層マンションに戻ってくるということなのだろう。
そんなマンションは、戦車のように頑丈に作られているだろうことが想像できる。
そんな住宅に、誰だって住みたくはないはずだ。

住宅をそう捉えるのでなく、
「いざとなったら逃げればいい。
逃げやすい住宅はどんなものか。
壊れたらまた作り直せばいい。
できるだけ、自給自足に近い住み方をする」という基準から住宅を選ぶようになれば、もう少し軽く、美しい住宅となるはずだ。

そんな住宅とは、例えば、茶室のような住宅かもしれない。
茶室には、2畳半程度の大きさもある。
古来、日本には一茶ではないが、そうした生き方を理想とするような思想はあった。

有名な鴨長明が方丈記を書いた晩年の住まい、方丈庵は
<方丈記の中での紹介文>
その家のありさまよのつねにも似ず、廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。
所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。
土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。
もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。
そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。積むところわづかに二輌なり。
車の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。
いま日野山の奧にあとをかくして後、南にかりの日がくしをさし出して、竹のすのこを敷き、その西に閼伽棚を作り、うちには西の垣に添へて、阿彌陀の畫像を安置したてまつりて、落日をうけて、眉間のひかりとす。
かの帳のとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。
北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、黒き皮籠三四合を置く。
すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物を入れたり。
傍にこと、琵琶、おのおの一張をたつ。
いはゆるをりごと、つき琵琶これなり。
東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみを敷きて夜の床とす。
東の垣に窓をあけて、こゝにふづくゑを出せり。
枕の方にすびつあり。これを柴折りくぶるよすがとす。
庵の北に少地をしめ、あばらなるひめ垣をかこひて園とす。
すなはちもろもろの藥草をうゑたり。
かりの庵のありさまかくのごとし。
(ちなみに、1丈=10尺≒3m、方丈は3m四角の意)
と書かれている。

あながちそんな生活をすることは、今だって不可能ではないだろうが、凡人にはちょっと難しい。
そんな狭い住宅に住もうとすれば、持っている物はほとんど捨てなければいけなくなる。
TVだって見たいだろうし、冷蔵庫だって欲しいだろう。

しかし現代のIT時代にあっては、それに近い生活をすることは、不可能ではないようだ。
友人のM氏は書籍、CDの類は全て捨て、それこそ iPad 1個しか持たない生活をしている。
TVだってそれで見られる。
彼が最近作った住宅は家の中は殆ど空っぽだ。
電気も太陽光発電のパネルを屋根に取りつくけることで、全ての使用電力が賄えるのだという。
電気自動車のバッテリーを太陽発電のパネルと繋げれば、中国電力から電気を買わなく済むようになるのも、近々実現するかもしれない。
現代版方丈庵だ。

かって日本の住宅は狭いということで、日本人はウサギ小屋のような住宅に住んでいるといわれたこともある。
そんなこともあって、いままで日本人は皆なんとか広い住宅に住むことに憧れてきた。
マンションも100M2と広いことを売りにしたパンフレットを良く見かける。

しかし、茶室のような住宅での住まい方もあるのですよということがということが示せれば、そんな素晴らしいことはない。
それはそれこそ究極エコ住宅でもあるだろう。
今回の東日本大震災は、人々の生活の仕方、建築についての考え方を根本から変えたことは確かだ。

そんな生き方、住宅のあり方を、世界に示せたら面白い。


元安川*お願い
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2011年5月26日 (木)

被災地復興まで音楽イベント継続を

 先月「東日本大震災支援チャリティーコンサートを広島市中区で開いた。皆さんの支援したい気持ちが強く、おかげでチケットは早々と完売した。

 出演者、スタッフともボランティアで開催。 バンドネオン佐川峯、歌手南一誠、森本ケンタ、楽器演奏こゆみこ、つじなる木、司会小作恵里の出演者の皆さんと、来場者の皆さんの気持ちが一つになり、盛り上がったステージだった。 収益金と募金百余万円は広島市を通じて日本赤十字社へ送る。

 震災当初、コンサートやイベントが中止されたり、内容が自粛された。 今では”支援”という冠を付けたものが多く、海外でも開かれている。 今年35回を迎えたフラワーフェスティバルも「届けよう 希望 元気」というスローガンを別に掲げ、支援の輪を広げた。 県内の桜まつりなども会場募金をし、支援を訴えた。

 被災地の皆さんは地震、津波、原発事故とかってない苦難を抱え、大変な生活を余儀なくされている。そんな中、ホッと気持ちがほぐれ元気づけてくれたのが、津波に耐え、強く咲いた桜だったという。

 津波で冠水した桜の木が根元から折れながらも桜を満開にさせ、その下でボランティアの人が炊き出しをして花見をしたり、寺に避難した人たちで”さくらまつり”を開いたり。 桜は復興への希望の花となった。

 桜といえば、広島の被爆桜を思い起こす。 被爆して焼けながら幹を残し、たくましく芽吹き、花を咲かせ、被爆者に勇気を与えた。 その2世の苗木を市内の学校が全国の学校へ贈ったり、広島市は平和公園に植樹して桜並木を作る計画を進めている。

 来月25日に広島市内で第2回「ヒロシマ・音の記憶」コンサートが開かれる。 戦後すぐ、原爆で荒廃した広島を音楽で活気付けようと旧制高校の学生有志が「学生音楽連盟」を組織し、合同合唱団を結成。 チャリティーコンサートを開いたり、東京から一流の音楽家を招いたコンサートを企画したりした。 その時のコンサートの一部を再現する。

 今回の大震災後も、音楽で復興を支援し、被爆者を元気づけるイベントが多く開かれている。 こうしたイベントは一回限りでなく、完全復興するまで継続して行われ、被災地の早期復興の後押しとなることを願っている。


上村和博
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2011年5月24日 (火)

お城のコスカレード ―コスプレ世界大会

今年のコスカレードは5月8日(日)、広島城二の丸を会場にして開かれた。
当日は天気にも恵まれ、随分と賑やかだった。
お城をバックにしたコスプレの女の子たちは、更に可愛く見えたし、スーパー侍、ロボット、忍者たちはさらに逞しく見えた。
時代を越えたお城が会場というのも、良かったようだ。
参加者の誰もが随分と楽しいそうだった。

0085

昨年は旧日銀ビルで催された。
コスプレの子たちはなんとなく、写真に撮られるのを嫌がっている感じがした。
が、今年は殆どの子が写真に撮られることを楽しんでいるようだった。

コスプレも、ようやく市民権を得たようだ。

今年の観客は約1,200人、コスプレヤ―は200人を越えたという。
今年は3回目だというが、毎年参加者、観客も増えている。
素晴らしい。
継続は力なりということを改めて感じる。

一般の観客にも、コスプレの衣装を貸すサービスも始められた。
衣装によって違うが、100円からだ。
ウイッグも貸していた。
いいことだ。

もう、すっかり広島発のイベントとして定着した。


いずれは様々の衣装のコスプレヤーが、レッドカーペットを、音楽に合わせて歩き、
そのコスプレについてのナレーションもあったら、もっと面白くなりそうだ。

コスカレードはもともと仮面舞踏会という意味のマスカレードとコスプレの合成語だという。
コスカレードには、もっと華やかな舞台が相応しい。

しかし、コスプレはそもそもマンガ、アニメから出てきた世界ということもあって、衣装にも著作権等の問題があり、そう勝手にやっていいというわけではないようだ。

何事も、みるとやるとは大違いということのようだ。

フランスでもコスプレはかなりの人気があるらしい。
いずれ、それらと提携して、コスカレードの全国大会、世界大会をしたらいい。

コスカレード世界大会はそれこそ市民球場跡地で開催したらいい。

広島の楽しみが、また一つ大きく育ちつつある。
今後を期待したい。


元安川
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2011年5月22日 (日)

エンゼル小路とレストラン・バー独

流川のメインの通りに面して、ちょっとシャレたバー、レストランが並んでいる路地がある。
路地の幅は1間、1.9Mもない。
そんな狭い路地に面して、7~8軒の店が並んでいる。


Photo_2


こうした路地は、昔は○○横町とかいわれ、中年のおじさん相手の安い一杯飲み屋が並んでいたもんだ。

それが今、このエンゼル小路にあるお店は、どの店も随分とこじゃれた店になっている。
看板もそれぞれに凝っている。

突き当たりにあるレストラン・バー「独」は、そんなお店の一つだ。
入ってすぐのところには、幅の広いカウンター席がある。
入口ドアの横、壁を隔てて、テーブル席が設けられている。
プランニングはなかなか上手く考えられている。
濃い茶色の木の壁、白く塗られたコンクリートブロックの壁、
天井はない、その分高く、エアコン、照明機器はむき出しになっている。
ダンジャズのBGM、
壁にはカシニヨールの絵が飾られている。
本物ではなくプリントだが、一つ一つの要素がシャレた雰囲気を作り出している。

値段もまあまあだ。
お客は若い女性が多い。

銀座にもこうした路地はある。
中にあるお店は、意外と有名な老舗だったりする。

ここエンゼル小路には、そうした老舗があるのだろうか。

ソレイユ等のショッピングセンターのレストランはファミリー向けだが、ここには大人の雰囲気がある。

流川の衰退がいわれて久しい。
バブルの頃とは
お店の種類も随分変わって。
会社の経費で酒を飲む時代は終わって、若者たちの遊ぶ場所になっている。

エンゼル小路は、広島の新しい魅力の一つになっている。


元安川

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2011年5月20日 (金)

ドトール 金座街店

数か月前、金座街にドトールの新しいお店がオープンした。

Photo


間口はそれほど広くはないが、入口ドアは幾分奥待って設けられている。
そこに、椅子とテーブルが一組置かれている。
狭い空間だが、オープンカフェになっている。
その上の壁一面に植物が植えられている。
そんなちょっとした空間と、緑が、贅沢感とオシャレなお店のイメージを創り出している。

ドトールは、ちょっとオシャレな空間で、コーヒーを安く飲めるカフェということでスタートした。日本で最初だったように思う。
喫茶店からカフェに脱皮したというイメージを創ったともいえよう。
その後、そうした類のカフェとして、サンマルク、スターバックス等次々とできてきた。

いつの間にか、ドトールはそうしたカフェの中では、唯一タバコの吸える場としてのイメージが定着し、スーツを着たサラリーマンが営業の途中で休憩する場所というような雰囲気のお店になっていったように感じる。

それがこの金座街のお店にあっては、植物を植え、お店の中も木を多く使い、エコで、ちょっとオシャレな癒しの空間という雰囲気を創りだし、また一つ脱皮しようとしているようだ。

ここは若い女性客も多い。

喫煙スペースもあるが、ガラスで仕切られた向こうにある。

ホント、皆良く考えると感心する。

カフェは、それがなければ生きていけないというわけではない。
それだけに、デザインの自由度が高い。

次はどんなカフェが生まれるのだろうか。
楽しみだ。


元安川

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2011年5月18日 (水)

ガーデンアイランド構想 ―松濤園

このGWに、下蒲刈島の松濤園に行った。
休日ということで、のんびり支度していたら、家を出たのは、結局11時過ぎていた。

宇品のICから、広島高速に乗り、呉道路を走った。
呉道路は、社会実験ということで、無料だった。
無料なのだから、何もわざわざETCレーンの案内をする必要もないだろうにと思いながら、結局ETCレーンを通った。

終点の呉の出口付近は結構渋滞していた。
GWだからこの程度の渋滞は仕方がないだろう。

下蒲刈島に渡る安芸灘大橋の通行料は片道700円。
こっちはガラガラだ。
住民の人たちは無料かな、なんて考えながら渡った。
この橋がない頃は、下蒲刈島は不便なところだったんだろうな、なんてことも思いながら走った。

松濤園は海に面し、細長い敷地に建っている。
4,400m2というからかなりの広さだ。
園内には商家造りの民家や、復元したという番所もある。
敷地の北の端には、細川護煕氏から寄贈を受けたという門もあった。
どれも立派だ。
庭は奇麗に手入れされている。
部屋から望む海、対岸の上蒲刈島も美しい。
海側には防波堤を兼ねているのだろうか低い塀がある。
海岸に歩いて出られるようにしたらもっと面白かっただろうに。
古い瓦が埋め込まれた路は、なかなか風情があっていい。

ここ下蒲刈島は、江戸時代、朝鮮通信使の一行が立ち寄った港だったようだが、その様子が描かれた絵も展示されていた。
日本側約350人、朝鮮側約250人、計約600人の行列だったというから、凄い。
朝鮮の正使、副使、通詞は輿に乗っている。
なんとも豪勢だ。
江戸時代に朝鮮通信使の来日は計12回だったという。
徳川幕府の威力誇示が主たる目的だったのだろうが、
この不思議な服装は、鎖国していた時代にあって、当時の人々に強烈な印象を与えたろうことが覗える。

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木造の蘭東美術館では呉出身の日本画家其阿弥赫土氏の展覧会が開かれていた。
こんな素晴らしい展覧会をよくこんなところでやっていると感心した。

その別館だという白雪楼は、細くて急な階段をあがったところにある。
頼家から寄贈されたという茶室で、抹茶をいただいた。
その部屋からの見晴らしは素晴らしい。

近くには、国指定の登録有形文化財だという観瀾閣もある。

3館全ての観覧料は1,300円、帰りの安芸大橋の無料通行券がついている。
なんとも贅沢な1日だった。

しかしGW期間中だというのに、入場者は私たち夫婦2人と他に数組だけだ。
勿体ない。

これらの施設は1994年、当時の町長が、下蒲刈島全島庭園化事業として、農大の進士教授を顧問にして、造り上げたという。

島の中には、もっと色々施設があるようだ。
ハードは揃った。

もっと沢山の人々をひきつけるソフトをどう創りだすかが問題だ。

岡山の直島は、ベネッセコーポレーションがスポンサーになってアートの島を作り上げた。
広島にも、ベネッセのような志のあるスポンサーが出てきて欲しい。

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2011年5月16日 (月)

為末選手、平和大通りを走る ―ストリート陸上

今年のフラワーフェスティバルでは、平和公園前の平和大通りで、世界選手権400Mハードルで銅メダルを取った為末選手と、北京オリンピックの400Mリレーで銅メダルを取った浅原選手が走った。
棒高跳びの選手2人も、特設の競技施設を作って、飛んだ。

1_2

走路は、この日のために仮設的に作られたが、だからといって偽物というわけではない。
室内競技などで使われる本物だ。

走路は、移動式の全天候型に対応したゴム製のオールウェザートラックだ。
今回設けられたのは、3レーン、長さは70M、走るのはその内50Mだ。

もの凄い人だかりで、とても走っているところを見られるような状況ではなかった。
カメラを頭の上に高く掲げて、かろうじてウオーミングアップの場面を写真に収めることができた。

為末選手は4台のハードル置いて走った。

走る直ぐ脇に観客がいるというのは、選手にとってはかなり勝手が違うようだ。
選手にとっては、観客と一体になることができ、アドレナリンが出、実際の競技より、いい結果が出たともいっていた。

棒高跳びの選手にとっては、観客に、下から見られるというのは、これはまた、かなり雰囲気が違うようだ。
確かに、広域公園のビッグウエーブでもそうだが、観客席は、競技している場所からはかなり離れているし、高いところに設けられている。

観客と選手が近いというのは、見ている方も面白いし、選手にとってもいいというのであれば、何も陸上競技のすべてを競技場でやる必要はないということになる。

今日の観客だって、数千人はいるだろうと思う。
100Mのレースができる競技場と、観覧席を、きちんとつくれば、数万人を収容することだって可能だろうと思う。

オリンピックに限らず、陸上競技の100M、100Mハードル、棒高跳び、走り幅跳び等は平和大通りでやればいい。

そうなれば、陸上競技の人気もオリンピックの人気も大幅にアップするはずだ。

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2011年5月14日 (土)

これからのコミュニティーのあり方 ―五月丘まるごと展示会

5月3日、
第5回、五月が丘まるごと展示会を見に行った。
五月丘団地に住む人々が、自宅を開放して、それぞれ自分で作った作品を、展示、即売している。
コーラスや、映画の上映会もあるという。

そんな催しがあることを、この広島ブログで知った。
ネットで調べてみると、You Tubeで内容を紹介してもいる人もいる。

1

ナチュラルガーデン
五月が丘4丁目の高田さんは、自宅の庭を開放している。
植えられている植物の数は、数百種類になるのだろうか。
幾種類もの花が咲いている。
イングリッシュガーデンとか、難しい理屈をいうのでなく、庭作りを本当に楽しんでいるというのが、伝わってくる。
夫人は、押し花も教えているという。
庭の手入れはもっぱら奥さんで、旦那はアッシー君だと笑っていた。

亡くなった小笠原忠弘氏のアトリエでは、残された作品を見ることも出来た。

団地内の道では、案内図を手に歩いている人を何組も見かけた。

今年は30軒が参加しているとのことだが、始めた頃は18軒だったという。
年々増えているという。

五月丘団地は出来てもう30年近くなる。
戸数は2,800戸と多い。
住民は随分と高齢化しているようだが、当然、中には音楽、人形、絵、焼き物、庭作りと多様な趣味や才能を持っている人たちがいる。
そうした人たちが、極く限られた友人だけを対象に作品を見せるのでなく、一般の人、だれにでも見せようというのが、こうした試みだろう。
自宅を開放して見せるというのも、作品の作られた背景がわかって、それもまた面白い。

高田さんのように、
「もうしばらくすると、〇が咲いて奇麗ですよ。
いつでも、お出で下さい」
と言ってくれる人もいる。

この展示を切っ掛けに新しい人と人との交流が始まっているはずだ。

新しいコミュニティーのあり方を提案している。

こうした試みは、私の住む団地でも出来そうだ。
今度提案してみよう。

こうした展覧会を催すのは結構手間暇がかかりそうだ。
こうした団地のイベントを請け負うというビジネスもあり得る。

こうした試みが市内あちこちの団地で始まれば、広島の街ももっと楽しくなる。
期待したい。

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2011年5月12日 (木)

引きこもりは勿体ない ―ボランティア世代

今回の東日本大震災の被害は目を覆うばかりだ。

しかしそんな状況のなかにあっても、被災者は互いに助け合って、生活する様は感動的ですらある。
取材した海外のメディアは、そんな日本人を驚きをもって見、称賛している。
タヒチの大地震でも、インドネシアの大津波の際も、そうだったようだが、被災者は自分だけは生き延びようと、店舗を壊し、水を、食料を奪い合い、弱いものに暴行を加えるというのが当たり前にあったようだ。

しかし、今回東日本大震災にあっては、そうした美しい話は、被災地だけに限ったことではない。

被災者だけでなく、全ての国民が、被災者の痛みを分かち合い、被災者を助けようと様々の活動を始めている。

街角では義援金を募集する人たちを、沢山見かける。
こうした姿は阪神大震災のときにもあったが、それが今回は、全ての日本国民が、そして企業が義援金を出している。
街中のお店のカウンターの脇には、義援金を求める箱が置かれている。

孫正義さんは、百億円というとてつもない金額を寄付した。
石川遼は、今年開かれるゴルフ大会の賞金のすべてを、被災地に寄付するという。

こんなことは、いまだかってなかった。

お金だけではない。

今回は阪神大震災の時にも増して、沢山の人々がボランティアとして活動を始めた。

大学生は勿論、医師、介護士等の人々は、その若さと体力を、そして資格を生かし、被災地の人々を助けようとしている。
普段はサラリーマンとして仕事をしている人々も、少ない休日をやりくりして参加している。

新潟の大学院生がツイッターでボランティアを募集したら、アッという間に数千人の応募者が集まったという。

ボランティア向けの説明会も各地で開かれている。

ボランティアの活動も、当初は瓦礫の片付けといった、体力を要するものが主体だったようだが、時間が経つにつれ、順次その内容も変わり、数カ月もすると心のケアといった類の内容に変化していくという。

ボランティアの活動はさらに広がりを見せている。
車椅子を必要とする人もいるだろうからと、自分たちのもっている技術を持ち寄り、車椅子を組み立て、現地に送っているグループもある。

住むところをも失った人たちのためにと、自宅の空いている部屋を提供する人もいる。
ボランティア活動は、直接現地にいかなくともできるのだ。

少しでも被災者のお役に立ちたいという思いは、日本人の全てに広がっている。

今回の東日本大震災は、日本人の生き方を変えてしまったようだ。


1960年代、70年代は学生運動が吹き荒れた。
そのころ学生たちは
「権力は腐敗している。
今それを壊さなければ、日本は駄目になってしまう。
それを自分がやらなければ誰がやるんだ」
という思いが、その時代の若者たちにはあった。

学生のデモ隊と警官隊が衝突し、学生たちは石をなげ、火炎瓶の投げるという過激な行動になっていった。
店のガラスは壊され、車は焼かれるというようなことも起った。

それはもう一般市民にとっては、迷惑でしかないような状況になっていった。
広島大学が東広島に移転したのも、街にとって大学は迷惑施設だとみなされたということも大きな理由だった。

しかし、壊した後、どうするのかについて、明確なビジョンはなかった。
そして、その行動も、一般市民、国民の理解を得られるようにはならなかった。
一方、彼らは益々先鋭化し、過激になっていった。
それと共に、幾つもグループに分裂し、消滅していった。

そのあと、次の時代になると、若者は自分を見失い、自信を失い、生きる価値がわからなくなっていった。
引きこもり、登校拒否、メンタル社員といわれる現象である。

知的であることは、何事も否定的に批判することであるような状況にも陥った。
権力を否定することは、自分自身をも否定することになってしまったようだ。

1960年代の大学への進学率は8%程度であったが、その割合も徐々にふえ、いまでは50%程度になり、大学への入学は希望すれば誰でも入れるようになった。
当然それは、それほど大量の大学卒業生を、大学卒として、社会は受け入れることが難しいこととなっていった。

それは大学を卒業しても、それなりに受け入れられないことに、若者たちは自分の生き方に、自分の価値に疑問を持つようになり、自信を喪失することにもなっていったようだ。。

人々は、内と外の両面から否定されるという状況に陥ってしまったのだ。

しかし今回の大震災が起こって、人々は、ほんの少しのお金でも、寄付することで、被災者から感謝されるということも知った。
若さを生かし、持っている資格を生かした活動をすれば、それも感謝されるということも知った。
そんなボランティア活動は、多種多様にあることも知った。
何もしなくとも、ただ単に、被災者のそばに寄り添ってあげるだけでもいい。
自分にできることをすればいいのだ。

人々は、今回の大震災に遭遇し、自分が生きていることの有難さを知っただけでなく、自分が生きていることの意味と価値を、改めて確認することができたのだ。

こうしたボランティア活動は、継続性と、金銭的な裏付けがされるようになれば、NPO活動に発展し、ビジネスとして存在できる可能性もあることを教えてくれた。
社会企業家という新しい生き方も注目されている。

NPO活動は、東電のような巨大企業ではない。
学歴はさして重要ではない。
NPOは市民1人1人の思いが結集した組織だ。
小さな組織に大きな存在価値があることを、今回の大震災は教えてくれた。
大企業に就職することに価値があるとか、高学歴であることが、価値あるとの概念を、今回の大震災はひっくり返してしまった。

日本発の新しいビジネスモデルを生み出すことになるかもしれない。

日本の国内総生産は世界第3位なのに、幸福度となると、世界90位という調査結果もある。
日本人は経済的に豊かなのに、幸福と感じる度合いが低いというわけだ。

経済成長率も今年度はマイナスになるだろうが、来年度はプラス2%と予測されている。
来年度にあっては、幸福度も、GDPと一緒に、大きく伸びるだろうことが期待される。

1960年代、70年代の若者が全共闘世代と言われた。
2010年代の若者はボランティア世代、NPO世代、社会企業家世代と呼ばれるようになるかもしれない。

引きこもりで閉じこもっている人も、できることがある。
期待して待っている人がいるのだ。
引きこもっているなんて、「勿体ない」ことは止めた方がいい。

東日本大震災は日本人の生き方を変えてしまった。
大震災は悪いことばかりではない。

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2011年5月10日 (火)

がんばろう 日本! ―アキレス腱

今回の福島原発事故でわかってしまったことの一つに
「原発は、原子炉本体が壊れなくとも、冷却装置が壊れれば、原子炉は制御不能になり、放射線を撒き散らす」ということがある。

原子炉には、冷却装置というアキレス腱があったのだ。
原子炉本体がいくらを頑丈に作られていても、それでもう大丈夫だということにはならないというわけだ。
アキレス腱がどこにあるかがわかれば、そこを蹴っ飛ばせば、すぐ身動きができなくなるということでもある。

福島第1原発の設計図がネット上に流失したという。
そうであれば、どこをどう壊せばいいのかなんてことは、すぐにわかってしまう。

通常爆弾でもいいだろう。
冷却装置に、打ち込めば、冷却装置が壊れ、しばらくすると原子炉本体が制御不能になり、暴走し始め、放射線を撒き散らすことになる。
飲み水が汚染され、農地が汚染されれば、飲食にも事欠くようになる。
冷却装置を壊すだけで、核攻撃をしたのと同様の効果が得られるというわけだ。

ということであれば、北朝鮮にしても、膨大な資金と時間を費やして、核開発なんてやらなくていいということになる。

核弾頭をつけたミサイルをスカッドで撃ち落とすための、ミサイル防衛システムなんていう極めて高度な技術も意味がなくなってしまう。

日本もそんなもんの開発に、お金を使うなんてことは、止めたほうがよさそうだ。

しかし原子炉が壊れることで、放射能汚染が広がれば、北朝鮮も当然その被害を受けることになる。
だから北朝鮮は日本をせめてこないだろうと思うのは、ちょっと違うように思う。

冷戦時代には、核攻撃すれば、お互いに滅亡することになるから、そんな損なことはしないということが暗黙の了解事項としてあった。
フルシチョフのキューバへのミサイル基地建設計画とケネディーのキューバ封鎖作戦がそれだ。

しかしテロ国家、テロ集団は全く別の基準で行動する。
なにをしでかすかわからない、こちらがおもっていることと全く違う基準で行動をするのが、テロ国家であり、テロ集団だ。
想定外というのがあり得るのだ。

ということであれば、人類が生き延びるためには、これはもう原子炉をできるだけ早急に、それも1日も早く、地球上から撤去する以外にないということになる。

原発で、安く安定した電力を確保することで、経済発展をしようなんて、呑気なことはいってられなくなった。

生きるか死ぬかの瀬戸際に人類は立たされている、と自覚すべき時が来たようだ。

こうなれば、もう何が何でも、原発に代わるシステムを開発する以外になさそうだ。

日本は世界で唯一被爆した国として、核の恐ろしさを世界に訴えてきた。
それをいってきた国が、自ら核爆発の恐ろしさの中に飛び込んでしまったというのが、今回の福島原発の事故の構図だ。

その汚名を払うにも、もう原発依存の国家から脱皮する以外にない。
それができれば、それこそ日本は世界に誇れる国になる。
その技術を、世界に売れば、すごい経済発展だって可能になる。

日本はそうした国でありたい。

「がんばろう、日本!」
ダーッ!

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2011年5月 8日 (日)

美しいゴミ袋で、街を楽しくしよう

本通りは夜8時頃になると、シャッターの閉まったお店の前に段ボールの束と幾つものビニールのゴミ袋が置かれる。
しばらくすると、巨大なゴミ収集車がモンスターのように本通りに入って来て、ゴミ袋を集めて回る。
ゴミと言っても、生ごみはなく、紙の類だから、あまり汚らしさはないが、それでもゴミはゴミだ。
決して美しくはない。
生ごみは別途集めるのか、ゴミ袋がカラスに突っつかれて、プラスチックの弁当箱、紙コップ等が歩道に散乱することもない。

シャッターが降り、暗くなった本通りに、ゴミ袋が積み上げられると、なんとなく腐臭の匂いがするのだろうか。
そこに不良たちが集まってくる。

なんとかなんないのかなーと思っていたら、
ヨーロッパのまちつくりを紹介している「シビック プライド」という本のなかに、ゴミ袋そのものを美しくデザインし、街の風景を一変させているという都市の例が紹介されていた。

ネットで調べてみると、
“ゴミ袋を美しくデザインする”ことで、街を美しくしようというGARBAGE BAG ARTWORKグループの活動の一環のようだ。
ゴミ袋は、10袋380円から販売しているようだが、色々なデザイナー、ブランドの提携することで価格も2,000円位のもあれば、スポンサーがついて無償で配られる場合もあるようだ。
写真も添付されていた。

1

「臭いものには蓋をする。
汚いものは汚いのだから仕方がない」
と諦めていては、街は奇麗にはならない。
ゴミを入れる袋という機能性だけの袋を、見た目も美しい袋にしようというのは、逆転の発想だ。

シャッターは閉まっていても、お店の前に、花が咲いていたり、魚が泳いでいたりするのをみれば、夜の街を歩くのもなんとなく楽しくなるかもしれない。

本通り商店街でも、広島市立大学デザイン学科の生徒たちとコラボして、こんな美しいゴミ袋を作ったらいい。
デザインだって、袋の材質だってもっといいものが作れるかもしれない。

広島ではスーパーで買い物をしたとき、ビニールの袋を頼むと5円~10円する。

業務用のゴミ袋は、45リッター入りで1,040円もする。

広島市は、ゴミ袋を有料にしたことで、かなりゴミの量も減ったという。
美しくなるには、お金もかかるが、ゴミを処理する費用の方が、はるかにお金がかかる。
ゴミの量をへらせば、美しくデザインされたゴミ袋位の費用はでそうだ。

本通り商店街で、独自のゴミ袋を作るだけでなく、デザインされたゴミ袋を売れば、商売になるかもしれない。

美しいゴミ袋は街を美しくする。
そして街歩きを楽しくしてくれる。
ゴミし出しすらも、楽しくしてくれる。

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2011年5月 6日 (金)

元安川の汚れ

先日元安川の川べりを歩いていたら、やけに川の水が少なく、川底が随分と広がっていた。
これほど広い川底を見たことがない。
いつも目にする川底はちょっと黒ずんでみえていたのに、それがこの日に限って、ベージュに近い薄い茶色だった。

どうして?
元安川のヘドロが減った?

心なしか水も澄んで見えた。
気になり、雁木の階段を降り、川底を歩いて見た。

1_2

ヘドロなら、靴が泥の中にズボッと潜ってしまうはずだ。
と、おっかなびっくり、足を降ろしてみたが、靴跡が付く位で、潜るほどのことはない。
これなら、元宇品の西の海岸の砂浜と変わりない。

ヘドロでなく真砂土になっているから、ベージュ色に見えていたようだ。

そういえば、なんとなく潮の匂いもする。
確かに太田川の水もきれいになっている。

緑の藻も随分と増えている。

太田川の水量は、雨の日は多いが、このあたりの水位は、広島湾の干満によるほうが大きい

干満は普通1日2回ある。
満潮のときには川上に向かって水が流れる。
広島湾は干満による水位の差は4M以上ある。
そうした水の流れの多様さが、川底の砂を洗って奇麗にしているようだ。
東京の隅田川等に比べ、奇麗になるのが、はるかに早いように感じる。

市街地の下水道もほぼ100%完備された。

この調子でいけば、太田川で泳げるようになるのは、そんなに先のことではない?
カープの優勝とどっちが早い!

期待したい。

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2011年5月 4日 (水)

これで、日本の人口は増える! ―吊り橋理論

ラブホテルの駐車場が満杯で、道路にまで、車がはみ出していた。
こんなの初めて見た。

昼間、このホテルの駐車場に車を見かけることは殆どなかった。
ラブホテルにいくということは、なんとなく恥ずかしいということもあってか、車のナンバーを隠しているホテルすらあるくらいだ。
それがこの日は、そんなこと構ってられるかいう感じで、車は道路にはみ出し、ナンバーもこれ見よがしという感じで停められていた。

1

それもたった1日ではない。
ここんとこずっとだ。

変なことがあるもんだと、思っていたら、
週刊ポスト4月22日号に面白い記事が載ってていた。

「東日本大震災後、妙な現象が各地で起きている。
男性の元に、さして親しくない知り合いの女性から「会いたい」とメールがきたり、結婚相談所に登録する女性が急増している。
そうした現象は、カナダの心理学者、ダットンとアロンによって1974年に発表された吊り橋理論で説明される。
実験は、18~35歳までの独身男性を集め、渓谷に架かる揺れる吊り橋と揺れない橋の2ヶ所で行われた。
男性には、それぞれの橋を渡ってもらい、橋の中央で、同じ若い女性からアンケートを求めるようにした。
その際「結果などに関心があるなら後日電話を下さい」と電話番号を教えるという事を行った。
結果、揺れる吊り橋の方の男性からは、約半数の電話があったのに対し、揺れない橋の方からは、わずか12%の電話しかなかったというものである。
揺れる橋での緊張感を共有した事が、恋愛感情に発展する場合がある。

今回の地震とそれに続く余震と、放射能汚染で、人々は不安感に陥り、それが恋愛感情を刺激しているというわけである。」

そういえば、以前、動物行動学者が、
「オスとメスの2組のネズミを別々の箱に入れ、1組のネズミにはきちんと餌をやり安定した環境に置き、もう1組のネズミは、常時体を突っつき、いつも生命の危険にさらすような状態にした。
生命の危険を感じるようにしたネズミはどんどん子供を産んだ」
と書かれた本を読んだことがある。

今回の東日本大震災はまさに、その人間に生命の危険性を感じさせ、種の保存本能を刺激することになったようだ。

そんな話を友人にしたら
「東京では婚約指輪が前年比で2割くらい増えているらしい」
とも言っていた

その友人は、さらに
「息子は、彼女が、怖いと言うから、彼女の家に泊まるといって、近頃度々外泊するようになった。
なにか、人助けをしているかのように、堂々といってくる」
と嘆いていた。

しばらくして
「女の子に会ってくれということで、こんど一緒に食事することにした」
といっていた。

それまで、彼は
「うちの息子はもう30歳を越した。
それなのにガールフレンドの気配もない。
結婚しないんじゃないかと心配している」
といっていた。

「これで、息子さんも結婚するかもよ。おめでとう」
とお祝いをしてあげた。

こんなカップルが増えれば、日本の人口も一気に増えるかもしれない。
これで、少子化問題も一気に解決する?

大震災は悪いことばかりじゃない!?

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2011年5月 2日 (月)

首都を広島に! ―サステイナブル・キャピタルシティー・ヒロシマ

東日本大震災を受けて、首都機能移転問題が再燃している。

9.0というほどの大地震が、東京で起こるとは考えにくいが、何がおこるのかわからないのが、自然災害だ。
東京だって何が起こるか分からない。
今回の大地震は、大地震→大津波→原発事故と続き、そこから後は→停電→交通マヒ&操業停止→経済力の低下、そして放射能汚染と海外からの観光客の激減というように、その影響は次々と連鎖し、被害額はもう想定できなくなり、精神的影響も極めて深い傷をもたらしている。
いままでの経験したことのない現象が起こっている。

今回の大震災は、人の生き方、国のありかたそのものが問われることになった。

企業は、本社、工場を東日本から西日本へ移すことも検討しはじめた。

こうした状況の中で、首都機能も、このまま東京に置いておいていいのか、東京以外に移すべきではないかという議論が起こっている。

首都機能を移転することについては、戦後すぐから、何度も論じられてきた。

アメリカのように経済の中心であるニューヨークと政治の中心であるワシントンがあるように、政治と経済の中心を分けることによって、分散型の国土を形成し、過密の解消と地方の活性化を図ろうということが、最初の頃の議論であった。

バブル経済期の1999年には、地価の抑制策として、具体的に3つの候補地、栃木・福島地域、岐阜・愛知地域、三重・畿央地域が選定され、猛烈な誘致活動まで起こった。

そのころの計画案は、ブラジルのブラジリアのように、首都機能を中心して、30万人規模の都市をまったく新しく作るということで、その建設費は12兆円かかるともいわれた。
しかしそれは、まさにバブルの発想だということで、バブル経済崩壊と共にいつの間にか消えてしまった。

単に成長、効率を目的にするのであれば、東京へすべての機能を集中させることは、それはそれで理に適っている。
グローバル時代に対応するには、東京の力をもっともっと強めるべきだとも言われた。
そうしたこともあって、東京への一極集中は留まることなくいままで進んできた。

しかし、今回のような大震災が起こってみると、
「一極集中は危ない。バックアップ体制を整えておくことが必要だ」いうこともいわれるようになった。
「効率や、成長するにはどうしたらいいか」ということだけで考えるのでなく、「生き延びていくにはどうしたらいいのか。持続可能性を確保するにはどうしたらいいのか」ということ視点から考えなければならなくなった。

事を進める基準を根本から見直さざるをえなくなったということだ。

インターネットの技術は、「情報路、単線で繋いでいては、いざというときにあっては危ない。複数の経路があった方がいい」ということで、米軍が通信網の確保するための技術として開発された。

そしてさらに、その情報源も自社のサーバーだけに、にストックしておいては危ない、クラウドを使って別の場所にも置いておいた方がよいという議論も始まっている。

今回の大震災で、自動車メーカーは、東日本の工場からの部品供給ができず、操業停止、生産縮小に追い込まれている。
日本が世界に誇るビジネスモデルであった「在庫は出来る限り減らす」というトヨタの看板方式も、大きく変更を迫られている。
ある程度の在庫の余裕を持っている必要もあるだろうし、部品供給先を全国数か所に分散して確保しておく必要もあるということも知った。

こうしてみてみると、首都機能の移転についても、単に効率という基準から考えるのでなく、安全、持続可能性というと全く違った基準から議論すべきだということが見えて来る。

それは首都機能を移すと言うだけにとどまらず、地方分権をさらに進め、政府の機能をより小さくし、政府機能を政治のネットワークのなかに組み込むことが必要だということも重要な問題だということも見えて来る。

そうであれば、以前議論されたような、12兆円もかけて、首都機能を丸ごと移し、新しい都市と作るという必要はまったくないということになる。
ブラジリアのようなニュータウンをつくる必要はないというわけである。

それより、日本が機能不全に陥らないためには首都機能移転を急ぐべきだということでもある。
今の菅政権は機能不全に陥っているではないかというのは、別の議論だ。

首都機能が小さくなり、早く移転すべきだということになれば、既存のどこかの都市にくっつければいい。
既存の都市のインフラ等が使えるようにすれば、数兆円もあれば充分だろう。
時間もそれほどかからないだろう。

問題はどこに移すかだ。

平和国家を目指す日本の首都ということをいうなら、平和のシンボルである広島が、もっとも相応しい移転先ということになる。

戦争も、核開発も、人類の生存を脅かす愚かな人間の行為だ。
福島原発の事故は、核攻撃でなくとも、同様の被害があり得るということを明らかにした。
広島に日本の首都を移すことは、その戦争を、核をなくすべきだという日本からのメッセージだということを示すことにもなる。

福島原発の事故はエネルギー政策についても大きな問題提起をした。
新首都にあっては、人類を持続可能にするエネルギーは何かについても回答できる都市作りをして欲しい。
スマートシティーのモデル都市作りをしてほしい。

広島は、比較的地震、津波、台風等の自然災害が少ない都市である。
瀬戸内海に面していることで、東南海大地震が起こっても、津波の規模は数M程度であろうと予測されている。
瀬戸内海に面し、風光明媚な都市でもある。
平和都市広島は、これからの世界のあり方を示す都市を目指している。
平和市長会議の会長都市として、世界4600都市を繋げる都市にもなっている。

もうすこし具体的に候補地を探すなら、
規模的には、三菱重工の工場敷地を充てるのも一つの考えだろう。
政府機関のある霞が関、永田町の面積は1.5×1.5KMくらいだ。
それほど広くはない。

三菱重工の江波と観音の敷地を合わせれば、もっとある。
出島の埋め立て地もすぐ近くにある。
五日市にも埋め立て地はある。
これだけの規模の敷地があれば、それこそ今の規模の政府機能と、職員宿舎、そして、小中学校、店舗、公園等の生活環境上必要な施設も、建設することだって可能だろう。
広島高速道路を使えば、広島空港、岩国空港にだってそれほどかからない。
西飛行場も使えばいい。
船も接岸できる。
マリーナも隣接している。
広島なら、首都機能に必要な職住遊の揃った理想的な街がつくれるはずだ。

江波と観音、出島は海に面しているので、やっぱり心配だというのなら、西風新都だっていい。
まだまだ充分な土地はある。
自動車道、新幹線に接しているから、交通の便だっていい。

今やネット時代でもある。
リスクの分散ということも考えれば、何もすべての首都機能を広島に持ってこなくともいいかもしれない。
たとえば、文部科学省は京都に、農林水産省は北海道に、日銀は東京に残すというようにしてもいいだろう。

ドイツでは政府機関が首都ベルリン以外の各地(連邦裁判所と連邦憲法裁判所はカールスルーエ、中央銀行であるドイツ連邦銀行はフランクフルト、国防省などの一部省庁は旧西ドイツ首都のボン)に分散されているが、首都機能分散による非効率はあまり問題になってはいない。

広島に首都を移すことは、改めて世界に、平和と核廃絶の願いを発信することにもなる。
「日本の首都を広島に!」

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