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2011年3月

2011年3月31日 (木)

戸建て住宅の太陽光発電

福島原発の事故があってから、2週間、今度は放射能で水道水まで汚染され、水のペットボトルが即座に売り切れてしまったそうだ。
広島でも翌日の朝には、スーパー、コンビニ、どこにいっても、ペットボトルが売り切れて、なかった。

問題は、だから原発はもう作らない、ということで済むのかだ。
日本の電力の3割は原発だという。
原発を止めたら、相当に不自由な生活を強いられる。

今でも、東京は電力が足りないと大騒ぎだ。
電車は間引き運転で大混雑となり、工場は操業が滞り、病院では手術にも差し支えるような状況が起きているという。

原発に代わる発電システムはありえるのだろうか。
そんなの無理だ、だから、やっぱり原発は必要だから作るべきだということで結論づけるのでなく、なんとかする工夫する余地はないものだろうか。

私の友人が家を新築し、ソーラーパネルが発電を開始して2週間、その結果を公表してくれた。

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晴れの日ばかりではないが、楽に電力自給率は100%を維持している。

現在、国の政策で売電価格は買電価格の倍以上の価格となっているから、今のペースでいくと、ソーラーパネルは5年で償却し、6年目からは年間に50万円ほど稼ぐ計算になるという。

凄い。
これだけでも充分魅力的だが、そこで議論を終わらせては勿体ない。

北九州市のある工場は、石油による自社発電で充分自社の需要は賄い、九州電力に売電までしている。
それは、今回のような事故を想定してはなく、単純にその方が安いからだ。

こうしたケースをみると、
それぞれの工場、企業、家庭がそれぞれに小さな発電システムを設け、それをネットワーク化していくというようにすれば、案外、原発のように、ドカーンと大きな発電所を作らなくてもやっていけるのではないだろうか。
こうしたネットワークシステムを、今はやりの言葉でいえば、スマートグリッドということになるのだろうか。

コンピュータだって、ついこの前まで、
IBM360等の巨大なコンピュータが世界を覆い、IBMが世界を牛耳るのはないかとまでいわれた。

それがあの小さなパソコンのネットワークにとって変わられた。
同時にそれは、ネット社会という全く次元の違った情報社会を生み出した。

日本が世界で一番のコンピュータを目指す中で、アメリカ軍は日本製のゲーム機を並べて、スーパーコンピュータを創ってしまった。

ソーラー発電も馬鹿にしてはいけない。
友人のお宅のソーラーパネルと蓄電のシステムは、それだけのレベルになっているということを、教えてくれたようだ。

こうした日本にある素晴らしい技術が、一部の既得権を持った企業に潰されることのないよう、育てていって欲しいものだと改めて感じる。

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2011年3月29日 (火)

オリンピックとワークショップと1,000億円

3月13日の日曜日、旧日銀ビルの前を通ったら、「オリンピックについてのワークショップ」開かれていると、小さな看板が出ていた。
誰でも入っていいのかなという感じで、恐る恐る入って、後ろで傍聴した。
高校生、大学生、社会人等の若者たちが19名ほど集まって議論していた。
なかなか面白い展開だったので、結局最後まで聞いていた。

1チームが6~7人となり、3つのグループにわかれ、
オリンピック広島大会について、
1:心配なこと
2:楽しみなこと
3:こうすればいい
4:私はこんなことをしたい
というようなことについて、議論し、発表してくれた。

最初は幾分硬さがあったが、議論をして行くに従い、笑顔になり、「ワーッ、それ面白い!」「 いいなー」というような声も聞こえてきた。

最初の発表では、1,000億円の寄付金を集めるのが大変だろうとか、ゴミが大量に捨てられるのではないかとか、外国人が沢山来るから、安全は大丈夫かとかの意見があったが、
こうすればいいという議論になると、俄然皆いろんなアイデアを出し始めた。
・オリンピックだけのためのアイドルグループを作って、オリンピック広島大会をPRし、寄付金を募る。
・ツイッター、ブログで賛成者を増やしたい。
・平和君というぬいぐるみを作って売り、その収入を寄付する。
・広島に来た人をガイドして、その収入を寄付したい。
・ボランティアはそのときになってやれといっても無理だろうから、今からやる。
・英語だけでなく、各国語を勉強したい。
・宝くじを買って、当たったら募金する。
・世界の人が広島に来るのだから、恥ずかしくない広島を作っていきたい。
といったような発言もあった。

ワークショップで議論すること、そのものを楽しんでもいたが、
「オリンピック広島大会ができたら楽しいだろうな」という雰囲気が溢れていた。
当日の全員の記念写真を見ると、その時の気分が良くわかると思う。

参加者から、「今日の議論の内容を、是非公開して欲しい」という要望まで出された。

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大人は「1,000億円の寄付金を集めることは大変だ、集められなかったらどうするんだ」というように議論するが、
若者は「1,000億円を集めなければいけないなら、皆で集めようじゃないか」という。

「みんなで集めるということを、オリンピック広島大会に自分も参加するチャンスだ」とも捉えているようだ。
「オリンピック広島大会にのために、1,000億円を集める行為を、生き甲斐であり、楽しみに変えてしまっている。
その逞しさに、驚き、呆れた。

こんな展開は,広島市としては、全く想定していなかったことだろう。
市役所の担当者としては、今回のワークショップを開くことについてはかなり心配していたようだが、どうもそれは全くの杞憂に終わったようだ。
これからも続けたいといって いた。

オリンピック広島大会の進め方、あり方のモデルを見たような気がする。

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2011年3月27日 (日)

グランドプリンスホテル赤坂

この3月末をもってグランドプリンスホテル赤坂が閉鎖する。
赤プリ、赤プリといわれ、親しまれて来たホテルだ。

昭和2年に建てられたという、旧李王家の建物だけを残し、そのほかの建物は全て解体されるという。
あの丹下健三氏の設計になる高層のホテル棟も解体される。
赤坂見付けの地下鉄の駅を出ると正面にデーンと見えた。
東京のシンボルとなっていた建物だ。

解体の理由は、天井高が2.4Mと低く、高級といわれるホテルに相応しくないからだと説明されている。
たしかに最近建てられたパークハイアット等外資系のホテルの天井高はどれもかなり高いことは確かだ。

しかしどうもそれだけが理由ではなさそうだ。
村野藤吾氏の設計のホテルは、ベッド、椅子もどれも随分と低い。
当然天井高も低い。
それでもきちんとした高級感を作りだしている。
日本を代表する茶室は3畳、4畳という極めて狭い空間を宇宙を感じるような空間に変貌させている。

先日の日経アーキテクチャーをみると、新しい計画では、事務所棟の上にホテルを載せたビル1棟と脇に住宅棟の2棟を建てる計画になっている。
事務所+ホテル棟の高さは180Mとかなり高い。
計画建物の総床面積は22.7万m、2容積率は750%というから、総事業費は軽く1千億円を越えるだろう。
凄い計画だ。
これまで、この敷地の容積率は確か300%だった。
その容積率の倍以上の建物を建てようというわけだ。
近年になって、東京都心の容積率は緑地を確保する等の環境への配慮をすれば、大幅に緩和されるようになったことが背景にあるようだ。

東京の臍ともいえるあの敷地であれば、それはできるだけ大きな建物を建てたいというのは、企業としては当然のことではある。

丹下健三氏設計による新館が建てられたころは、あの敷地の容積率300%で、風致地区に指定されていたこともあって、高さが15Mしか建てられなかった。
300%の容積率を使うことすら、難しかった。
そこで、隣のニューオータニが138Mのホテルを建てたことを理由にして、プリンスホテルも同じ高さのホテルを建てた。
その後、敷地の北に五色と称する宴会場を建て、300%の容積率を目一杯に利用したという経過がある。

丹下健三氏設計したホテル棟は、外観はアルミパネルとガラス、1階のロビーは真白な大理石と、丹下氏らしい清楚な佇まいの建物である。
都心のお堀と緑のなかに建つ建築は大変美しくもあった。

赤坂プリンスホテルは、まだ超高層ビルの走りの時代にできた建物だ。
そのための工夫は至る所にされている。

あの敷地の地盤は関東ローム層の丘になっているということもあって、丘状の部分を切り取って、平らな盤にした上に、建物はポンと乗っているだけだという。
杭は打っていない。

客室棟は1辺が60Mだから、かなり長い。
真っすぐだったら120Mの廊下になる。
それを真ん中で折ってL字型にしたことで、廊下の長さをあまり感じさせないようになっている。

鉄骨を留めるボルトの頭1CMを削って平らにすることもしたという。
1CM×40階だと40CMになる。
10CMなら、×40階で4Mになる。
そうした工夫をするだけで、軽く1階分できてしまう計算になる。
鉄骨の梁を貫通するエアコンのダクトの太さについても随分工夫したようだ。
天井高をいかに低くするかは、大きなテーマだったことがわかる。

それにしても、一つのビルで22.7万m2なんて規模の建物は、人間的スケールを越えている。
六本木ヒルズは38万m2と、さらに大きいが、ここにいくと、どこか違和感がある。

ビジネスという単一の論理に従った時が危うい。
なにもそんなにでかいビルを作るのに拘るとロクなことはない。

先日の東北関東大震災のようなことが起これば、倒れなくとも、エレベーターが使えなくなるとか、給排水のパイプが壊れるとはあるだろう。
ビジネスの論理で、とてつもなくでかい建物を作ったはいいが、あまりのでかさに、自らの図体を持てあまし、経営的に破綻する怖れだって多分にある。

丹下健三氏設計のホテルは日本の文化でもある。
そのホテルを残すことが、よりグランドプリンス赤坂のステータスを高め、ビジネスにもなったはずだ。

丹下健三氏設計した赤坂プリンスホテルは、和の名建築として、保存運動が起こってもいい作品だ。
そうした運動が起こらないこともおかしい。
残念だ。
歴史建築物となるには、ちょっと新しすぎるのだろうか。
その理屈もちょっとおかしい。
竣工が1980年頃だから、まだ30年しか経っていない。
文部科学省指定の文化財になるには通常50年以上経っていることが条件とされるようだ。

ビジネスの論理で、解体するということは解らないわけではないが、それにしても無くなってしまうのは、ちょっと寂しい。
もうちょっと知恵を働かせるべきだったろうと思わずにはいられない。
それが、結果としてビジネスという視点からみても、良かった言うことになったかもしれないのだ。
壊したものは、もう戻らない。

広島の平和資料館、代々木の体育館等と一緒に、丹下健三作品一式を世界遺産としてしまうのもいいかもしれない。

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2011年3月25日 (金)

広島西飛行場と入間基地

3月9日の広島市議会本会議で、広島西飛行場の市営化予算は否決された。
再度空港として利用することは、まず不可能になる。

広島大学の移転問題にしてもそうだが、そんな間違いをいままで散々やってきた。
にも拘らず、今回の市議会の決定は、そんな間違いをもう一度繰り返したようだ。
議会の最終日、何人かの議員が熱を込めて「悔いを千載に残すな」と訴えた多くの市民を代弁した声は、反対のための反対をしているとしか思えない議員たちの耳には届かなかった。

西飛行場の管理権を持つ県は、これまでも市に協力してきたが、南道路や、商工センターへの架け橋になる橋の建設のためには、ヘリポート化を決断し、その手続きを始めなくてはならないという状況にあるのが現実だ。
そのことについては、湯崎知事は、何回も説明してきた。
残念ながら、今回市議会が否決したことで、広島市民の夢が消えてしまった。
それだけではない。
何かあったとき、かなり厳しい状況に置かれることも、覚悟しなければいけなくなった。

ここで改めて、西飛行場を「市営化」しようとしたことの意味と価値について考えてみたい。

都市にとって、空港という空のインフラを確保することは、極めて重要だ。
今回の東日本大地震にあっても、福島原発に重傷被爆者が発生した場合、広島市内の医療機関に搬送するための飛行場として広島西飛行場が挙げられている。
広島市で、今回の東日本地震のような大きくはなくとも、そうした災害がおこれば、街の中に、空からの補給拠点があることの効果は計り知れないほど大きい。
そんなことは、誰の目にも明らかなはずだ。

それに、本郷の広島空港が使えなくなることだってある。
そんなとき、西飛行場だけが残っていて、使えるということだってある。

そうした事態を想定すれば、空港の維持管理費がいくらかかるかなんてことは問題ではなくなる。
空港があることに価値があるのだ。

都市の周辺に、いくつかの空港を持つことは、必須のことだということは、一つのシステムとして、都市をみれば当然のことなのだ。

ジャンボ機が時代の要請にあわなくなったということで、姿を消した。
ジャンボ機の登場と軌を一にして、ハブ空港理論が持て囃されてきた。
そのハブ空港理論をベースにして、世界の空港は整備されてきたが、
今その空港のあり方も、パソコンによるネットワーク理論と同様、小さな空港を密に結ぶことに価値が生まれる時代になりつつある。

そうなれば、それはまさに広島西飛行場の出番になったはずだ。

広島には三原市本郷に広島空港があるから充分だというのが、今までの県の論理でもある。
広島空港は、市内からだと40~50分はかかる。
リムジンバスが市内と空港を結んでいるが、なにかあるとすぐ運行休止になる。
乗り遅れや新幹線に乗り換える時間等を考慮すると、随分と早く市内をでなければならない。
広島空港発の予定時間より2時間前には、市内をでないと危ない。
大変な時間の無駄だ。

西飛行場は、その立地の良さを考えれば、それなりの価値があることはすぐわかる。

しかし飛ぶ飛行機がないことにはどうしようもないだろうというのが、廃港論の主たる意見だ。
維持存続する費用、3~5億円になるといわれるお金をどうするかも問題だという。

今回の東日本大震災のような事態がありえるのだということになれば、西飛行場を存続させるか否かは、お金の問題ではないということになるということは、先ほどいった。

しかし平時だって、その費用をなんとかするということについては、手の打ちようはまだまだあった。

飛行機の便数を確保することについても、
西飛行場と中国と結ぶ便だって、これから益々増えていくことが見込まれていた。
高松空港と上海を結ぶ便は、これからスタートするらしいが、料金はなんと片道3,000円のチケットもあるという。

国内便はなんといっても東京便をいかに確保するかだろうが、
それだって、JALが倒産したことで、羽田の枠が空くから、それを使うという可能性もあった。

市営化して、交渉する時間的余裕を確保できれば、そうしたことを検討する余地もあった。
もっと別のやり方だってまだまだある。

先日の産経新聞で、横田基地の官民共用問題で、東京都の石原慎太郎知事が外務省のあまりのアメリカ国防省におもねた態度に激怒していた。
東京都が横田基地の官民共用を実現してくれるなら、広島西飛行場と横田基地を結ぶ便の可能性だってあった。

横田基地の存在は、東京の飛行空域をかなり制限している。
広島から羽田に着陸しようとする時、大島上空から、房総半島を大きく迂回するのは、東京の西の空が横田基地と厚木基地に使われている。
横田基地の、官民共用の意味は大きい。
厚木だっていい。
横田基地の官民共用の推進を、東京だけにまかせておくのではなく、広島市としても求めることも可能だった。
一緒にやれば、実現性だって高まっただろう。
そんな可能性も消してしまった。

基地は横田基地だけではない。
横田基地より、ちょっと北、所沢市の隣、狭山市に、自衛隊の使用する入間基地がある。
滑走路は2,000Mもある。
地元との協定で、戦闘機の使用はできないことになっているようだが、輸送機は50機配置されているという。
ジェット機の離発着はOKのようだ。
ここを官民共用とする手もあった。

入間の基地は、米軍基地ではなく、自衛隊の基地だ。

福岡空港、小松空港、新千歳空港等、民間機と共用している空港は多い。
入間空港の官民共用の可能性だって、ないわけではなかっただろう。

入間基地に、民間機が着陸するようになれば、地元狭山市周辺の発展にもなる。
入間基地は、西武新宿線と池袋線に挟まれているから、交通の便はいい。
新宿、池袋に、特急なら20分でいける。

狭山市長及び所沢市等周辺の市長とも協議して、広島市と一緒になって官民共用を目指すことは、市営化していれば、できたことだ。

横田基地、厚木基地、入間基地も含めて、日本にある全ての基地を、官民共用にすべきだという運動を、広島市が全国の自治体の先頭に立ってやることの可能性だって残されていた。

いままで日本は、空港特会を使ってじゃんじゃん飛行場を作ってきた。
そのあげく、静岡空港に限らず、国内の飛行場は殆ど赤字になってしまった。
作ることは考えてきたが、そのあとの経営ということについては、全く考えてこなかったというわけだ。

空港特会を、飛行場をつくるために使うのでなく、基地の官民共用化を進めるための費用とか、中国はじめアジア各国との便数の増加のための費用として使うような方向への転換も、広島市の主導でできたはずだ。

もう1つ、西飛行場には他の飛行場にはない要素があった。
飛行機の製作にもかかわっている三菱重工の観音工場が、西飛行場には隣接してある。
飛行場にこれだけ大きな工場が隣接しているのは、他には名古屋の小牧空港くらいだ。
小牧空港では三菱重工が自衛隊機の整備等を請け負っているという。
名古屋地区に三菱重工の航空機部門が立地しているのは、そうしたこともあるようだ。
それなら、広島は、民間機、近距離航空機の整備を、この三菱重工観音工場でやるようにすることも考えられた。
そうしたことができていれば、広島市にとって、新たな航空機産業を起こすことになるかもしれなかったのだ。

そうした交渉をするには時間が必要だ。
市営化して、1年間の時間的余裕があれば、その間に新たな計画を立て、先に進むということもできたはずだ。

今回の議会の否決は、そうした可能性を全て潰してしまった。
返す返すも残念だ。

残されたのは、広島市の夢を壊した議員たち、これからももっと多くの夢を壊し広島市民に実害を与え続けるであろう議員たちを選挙で落とすことくらいしかないだろうか。

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2011年3月23日 (水)

世界のモデル都市広島を創る

広島市と他の都市を比べてみると、違いは沢山あるが、
もっとも際だった違いは、広島は被爆都市であるということにつきるが、
それをもう少し詳しくみてみるみと、広島の人たちは、随分と不思議な思考をしていることに気づく。

広島の人々はヒロシマ、ひろしま、広島、HIROSHIMAを微妙に使い分けているのだ。

核廃絶を目指し、平和都市を目指す「ヒロシマ」
海も山もあり、路面電車が走り、環境にも優しく、女性にもシニアにも優しく、医療施設も充実し、広饗、上田宋箇流お茶の文化や芸術のある、住みやすい都市を目指す「ひろしま」
マツダがあり、JMSを初めとする広島型医療産業が育ちつつあり、ICTの先端都市を目指す「広島」
そして世界に発信し、世界の人々が集まり、交流する都市を目指す「HIROSHIMA」

それらを、微妙に使い分けながら、極めて多面的に、人々はまちづくり進めている。
なんとも素晴らしい知恵だと感心する。

これをさらに進めたのが、
平和都市ヒロシマ+住みやすい都市ひろしま+産業先端都市広島+世界の人々が交流する都市HIROSHIMA→世界のモデル都市広島を創る、ということにまとめたのが、
秋葉市長の掲げた「世界のモデル都市広島を創る」ということだったようだ。

一昨年作成した広島市総合基本計画でも世界のモデル都市広島を創るということをテーマに、レポートをまとめられている。
この中で、これからの広島市が目指すべき方向は、ほぼ網羅されている。

今年度、経団連が「サンライズレポート」という報告書をまとめた。
そのなかで未来都市モデルプロジェクトを取り上げている。
経団連という経済団体が「都市」を取り上げるというのは初めてだそうだ。

経団連としては、これからの時代は単に自動車を売るとかだけでなく、都市を売ろうということのようだ。
なんとも不思議な商品を設定するもんだ。
時代はどんどん変わっている。

そんなことをいうなら、広島市はそのモデル都市になるには極めて相応しい都市だ。
世界のモデルとなるような都市を作る責任と義務が広島にはあるが、
それは同時に、
ビジネスとしてみるとき、平和市長会議会長でもある広島市は、4,500以上の都市をすでにマーケットに持っているということでもある。

「世界のモデル都市広島を創る」というテーマのポテンシャルは大きく、深い。
それをどう具体化していくかが、今求められているようだ。
次の市長に期待したい。

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2011年3月21日 (月)

オリンピックと秋葉市長

オリンピック広島大会の計画案は、今までのオリンピックにはなかった提案が幾つも盛り込まれている。
116万人都市の広島市でも、オリンピックを開催することが可能なことは、いままでなんどか触れてきた。

オリンピック広島大会が実現できれば、何も東京や北京、ロンドンといった大都会でなくとも、オリンピックができるということでもある。
オリンピックの精神である平和を実現しようと思っている都市であれば、どこでも開けるようになるというモデルをオリンピック広島大会の計画では提案している。

その計画案の素晴らしさについてはJOC専務理事の市原氏も認めている。

しかし、市民の一部に「秋葉市長は、オリンピックを誘致したいと問題提起をしながら、市長選不出馬というのは無責任だ」という声がある。

「子孫に美田を残さず」という老子の言葉がある。
その言葉の意味は
「子孫に余分な財産など残してやるのは、怠惰を教えるようなもの。
賢にして財多ければその志を損ない、愚にして財多ければ、その過ちを増す」
ということのようだ。

秋葉市長は、お金ではなく、「オリンピック広島大会」というとてつもなく大きな夢を残してくれたというのが、正しいのではないだろうか。

「アジア大会ですら、広島市はお金がなくて、苦労した。
オリンピックはアジア大会を大きく上回る規模の大会だから、さらに膨大なお金がかかるはずだ。
とてもオリンピックを広島で開くのは無理だ」
というのでは、あまりに知恵がない。

「オリンピック広島大会を実現するにはさしてお金はいりません。
原則、いまある施設を使えば充分です。
沢山の技術開発の可能性もあります。
その経済効果も大きいのです」
と秋葉市長はいっている。

平和市長会議のメンバーである市長、大阪、広島県の知事も賛同し、支援を表明している。
こうしたことは、いままで、立候補した国内の他都市では、見かけなかったことだ。

広島市民より、はるかに他の都市の市長の方が、オリンピック広島大会の価値を理解してくれているようだ。
オリンピック広島大会を開催するには、
日本からの候補都市となっても、その先に、さらに大きな壁がある。
IOC委員をどう説得するかが、大きな壁だ。

東京は150億円も使いながら、その段階で敗れた。

その壁をどう越えるかだ。

「秋葉市長に、直接全員のIOCの委員を訪ね、オリンピック広島大会の実現のための協力要請をしてもらう」としたらどうだろうか。

秋葉市長の知名度からいえば、IOC委員は誰でもが会ってくれると思われる。
秋葉市長から直接IOC委員に「オリンピック広島大会の思いと計画内容を説明してもらう」ようにしたらどうだろうか。
広島市の思いと秋葉市長の英語力があれば、説得することだって充分可能だろうと思う。

こんなやり方なら、その費用だってそれほどはかからないだろう。
広島市のオリンピック計画案で見込んでいる25億円の費用の中で充分賄えるだろうはずだ。
東京都が使ったという150億円なんてかかるわけがない。
こんなことが可能なのは、広島市だからであり、秋葉市長がいるからだ。
その価値をもっと有効にいかすことを考えるべきだ。

オリンピック広島大会という素晴らしい夢を残してくれた、秋葉市長に改めて感謝したい。
と同時に、秋葉市長と一緒になって、オリンピック実現のために、知恵をだし、努力すべきだということを、今改めて感じる。

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2011年3月19日 (土)

市議会議員について

4月10日の統一地方選が近づいてきた。
新聞には、市議会議員立候補予定者の名前が載るようになった。
あちこちで、そうした人たちの後援会事務所も開かれるのも目にするようになった。
どこも公職選挙法に触れるからと、看板には名前が書かれていない。
どうもこの公職選挙法というのは良くわからない法律だ。
もっとも解りやすい法律なんてのは、あるんだろうかといいたくもなる。
建築基準法なんてのは最悪だ。
だから面白いという人もいるが、なんとかしてくれといいたくなる。

3月1日の日経新聞に、中央大学教授の佐々木信夫氏が、
「地方議員の数と報酬額が問題になっているが、現在の議員数は、戦前の制度を戦後追認したものであり、明確な説明根拠はない。
地方議員は兼業、兼職の許された非常勤の職であり、常勤職の国会議員と違い、歳費(給与)ではなく、報酬が支払われている。
報酬は給与とは違い、本来労働日数に応じて払われるものだ。
身分報酬でも、生活給でもない。
ただ戦後、地方自治法に規定がないこともあって、各自治体は月払いを条例で決め、次第に報酬額を部課長と均衡するようにし、各自治体が横並びになってきた。
議員は専門職なのか、ボランティアなのか、性格付けを明らかにする必要がある」
といっている。

エーッ、
地方議員は兼業を許されているの、
公務員でもないの、
労働日数に応じて「報酬」を払われる!
そんなの、知らなかった。

これでは広島市の様々の審議会の委員と、市議会議員の身分は同じではないか。
市議会議員と審議会委員の違いは、選挙で選ばれるか、市長に任命されるかの違いでしかないのだろうか。

市長は常勤で、給与が払われているから、退職金があるが、
市議会議員はそもそも非常勤で、兼職も許されているのだから、退職金がないというのは、
当然だといえばいえる。

国会議員は、常勤のであり、歳費(給与)が支払われ、その議員が各省の大臣になったり、総理大臣になったりすると国家公務員特別職になるという。

その国会議員と市議会議員は、明確にベースとなる法的立場が違うようだ。
市議会議員の延長線上に、市長があり、国会議員があると思われているが、どうもそれは間違いのようだ。
それは、単に選挙で選ばれるという手続きが同じだと言うことに過ぎないようだ。

先日の新聞には、全国806市議会で市長の提出した議案の99%が原案通り可決されているということが書かれていた。
地方議会は、まったくチェック機能を果たしていないと問題にされているが、広島市議会にあっては全く様子が違う。
広島市議会では、市長の提案のかなりは否決されてきた。
議員はモンスター・クレイマーでしかないと、いいたくなるような場面もあった。

行政のやることに、単にお墨付きを与えるような議会もおかしいと思うが、モンスター・クレイマーになっているのもまたおかしい。

前埼玉県志木市長だった穂坂邦夫氏は、
「議会は議決権という最高の裁定権を握っているにも拘わらず、執行責任を持とうとしない。
議会側も自治体執行部の予算案と対をなす予算案を編成して、市長と政策を競うべきだ」
といっている。

志木市では、そうした試みをしようとしたようだが、
市議会側が「市議会は予算案をチェックさえしていればいい。
議会が予算編成までするのは越権行為だ」
として断られたという。

議会側から、さまざまの計画の提案等がされていると思っていたが、どうも実際はそうではないらしい。

広島市議会議員から時々配布されてくるパンフレットを読むと、私はこんなことを実現したと書かれていることもあるが、あれはどういう経緯のなかで、実現したのだろうか。
こうして改めて選挙で選ばれた広島市議会議員が、日常的にどんな活動をしているのか、実はあまりしらないことをしった。

市民が市議会の活動について、もっと知ろうとする努力が必要だろうが、
議員の側からももっと積極的発信する仕組みも必要のようだ。

フェイスブック、ツイッターで中東では民衆による革命が起こったともいう。
本会議、委員会についても、You Tube、フェイスブック、ツイッター等を使って、もっと積極的に発信することも必要だろう。

ネットを使えば双方向でのコミュニケーションも可能だ。

次の市長にはそうした工夫も期待したい。

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2011年3月18日 (金)

被災者に空き家、空き室を

3月17日の中国新聞に「市営住宅55戸、被災者に提供」「無償で最長1年間」という記事が載っていた。

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今回の東日本大震災は阪神大震災をはるかに越える規模だ。
その惨状は目を覆うものがある。
家を失った人は30万人とも50万人ともいわれている。
街がそっくり津波にさらわれてしまったところも多く、どのくらい死者がいて、どのくらい家がなくなっているのか、本当の数字は、当分わかりそうにない。

TVでみると、いままであった街が、きれいに消えてしまっている街もある。
それはあたかも被爆直後の広島の街をみているようだ。

家を失い、学校を失った人たちは、住む家もなく、学ぶ学校もないという状況で過すことを強いられている。
暖房も効かない、真っ暗の小学校の体育館の中で、数十家族が過ごしているところもあるようだ。

そうした人たちを、広島の街で引き受けようというのが、今回の広島市の市営住宅の提供ということの意味だろう。

それにしても、55戸は少ない。
全く足りないはずだ。

広島市内の空き屋は、10万戸近くあると見込まれる。
それを提供してもらったらいい。
10万戸、全てとはいわない。
1割の1万戸、提供されれば、5万人ほどの人が広島で暮らせることになる。

被災者は、家を失っただけでなく、洋服から、鍋釜、TV、洗濯機、車等生活に必要な物すべて失っている。
広島に越してこられた方々に、地域の人たちがそうした物品を提供するようにすることも必要だろう。
お金の必要だろう。
広島の越してこられた被災者を、広島市民全員で支援する仕組みをつくる必要がある。

親を失った子供も沢山いる。
高台にある小学校は助かったが、街に住む両親は行方不明というケースもあるという
そうでなくとも当分の間、勉強する状況にないという子供も沢山いることだろう。
そうした子供たちのために、広島市内にある住宅の空いている部屋を提供してもらえないだろうか。
ホームステイとして、受け入れてもらうのだ。

今回は、戦時中の疎開の方がイメージに近いかもしれない。

被爆直後、私の友人のお母さんは、親を失った子供を何人も面倒見て、育てたといっていた。
そんな歴史が広島にはある。

広島市は市営住宅を被災者に提供するということで、市内の空き家、空き室を提供するには、どうしたらいいのか、どんな問題があるのかのお手本になる。

次は、広島市民、企業が活動する番だ。

福島原発の放射能汚染を恐れて、すでに首都圏から避難し始めている人もいるという。
最悪の事態になったら、どうするのかということも、シミュレーションしておく必要はありそうだ。

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2011年3月17日 (木)

広島市の市長選挙

2月18日には豊田氏が、翌19日には松井氏が、市長選への出馬を表明している。
2月22日、共産党は大西理氏を市長選に擁立することを決めた。
数日前には前島修氏も立候補を表明した。
元市議の大原邦夫氏(61歳)、元市議の桑田恭子氏(49歳)、それに呉羽山人氏、田中正之氏の4氏は、かなり早くから立候補を表明していた。
これで広島市の市長選挙の立候補者の顔ぶれはほぼ出そろった。

松井一実氏(58歳)は元厚生労働省中央労働委員会事務局長であり、
豊田麻子氏(44歳)は、総務省の技官であり、秋葉市長の3期目に初めての女性副市長として登用されたというのが、2人を特徴付けている。

松井氏は自民党の支援を受けることをかなり鮮明にしているが、豊田氏は民主党に対しては、幾分距離を置いている。
これだけ既成政党がメロメロになっているときに、支持母体が何処かを曖昧にするのは当然だろうが、市長とはそもそも市民のために政策を実行する人であるのだから、市民党というのが、正確なのかもしれない。

豊田氏につては、副市長であったということもあって、秋葉市政の後継であることは、誰が見てもはっきりしている。
そのわりに、オリンピックや西飛行場についてはいま一つはっきりした態度を示さないのは、ちょっと残念だ。

市長選が近づくに従って、
あらためて、広島市の市長選は、他の都市の市長選とはちょっと違っているということに気がつく。

広島市議会議員は広島市全域で55名、区を投票範囲とし、各区6~7名程度選出される中選挙区制となっている。
大体5,000票程度獲得すれば当選できる。
広島市民派は、市議は地元の利益を代表する人でいい、PTA会長や町内会会長等、地元のために尽くしてくれる人でいいと思っているようだ。
市議会議員になるには、日ごろの1人1人の選挙民とかなり密接な付き合いが求められ、俗にいわれる「どぶ板選挙」の運動をしなければ、票は獲得できない。
こうした状況は全国どこでも同じだ。

違っているのは、広島市の市長選だ。

市長になるには、全市を対象とし、当選するには15万票程度取得しなければいけない。
それもたった1人しか当選できない。
このことは市長選と市議選の選挙運動の仕方を大きく変えている。

そのとき、興味深いのは、広島市民は、広島市の市長は8月6日の平和宣言を全国に、世界にきちんと読みあげられる人でなければならないと思っているようだ。
平和宣言はTVで全国に放送されるし、その言葉全てが、翌日の全国紙に掲載される。
8月6日は、総理大臣、国連事務総長も出席する広。
島市にとっては極めて重要なイベントだ。
こんなことは、他の都市ではない。
広島市民は、その8・6のイベントを司る市長には、広島市民のプライドを代表する人であってほしいと思っているようだ。
市長を選ぶときには、そうした極めて観念的な基準で選んでいるようだ。

市長は、自分たちに身近な利益をもたらす人でなくともよい、もっとグローバルな視点を持って、長期的な視点にたって、メッセージを発信できる人であってほしいと思っているようだ。
市議会議員の延長線上に市長があるとは、思っていないようだ。

こんな現象は、他の都市の市長選にはまったく見られないことだ。

そうした市民の思いを、きちんと具体化してくれたのが、秋葉市長だったといえるようだ。

秋葉市長は東大の学生だった18歳の頃から、原水禁の世界大会の同時通訳として広島に拘わり、広島の思いを世界に伝えてきた。
大学卒業後は、アメリカで25年以上も大学教授として生活していた。

元々数学者だったこともあり、その思想は精緻に研ぎ澄まされ、行動は極めて清潔でストイックなものであった。

その姿は、広島市民の思いに適うものであったが、
それは同時に、秋葉氏自身を疲れさせることにもなっていた。

秋葉氏は、核廃絶の運動についても、誰かがやらなければ、人類は滅びてしまう、それをアメリカ人も日本人も世界の人が理解しなければいけないという思いからやってきたようだ。
市長になりたかったから市長になったわけではないようだ。
核廃絶を進めるには、広島市長にならざるをえないと思ってやってきたようだ。

秋葉氏は、いわば全ての業務を義務感、使命感でやってきたようだ。

普通は市長になりたくてなる。
秋葉市長は全く違うようだ。

一部の人は、オリンピック広島大会の誘致をいって、当選の見込みがなくなったから、次は出ないと決めたのだというようないい方をする人がいるが、それも全く違うだろう。

秋葉市長は、広島市民にオリンピック広島大会という夢を残してくれたのだ。
そのことについては、以前から何度かに分けて触れてきた。
ここでは改めて触れない。

広島市長の仕事は想像を越える激務だ。

広島市長には、通常の市長としての仕事と、平和に関する仕事がある。
核廃絶に賛同する4,500の世界の都市の市長が加盟する平和市長会議の会長としての仕事だ。

その政令指定都市の市長としての仕事となると、通常の市長としての業務に加えて、県から移譲された膨大な、いわば知事としての業務とがある。

つまり広島市長は3つの業務を兼務しているわけだ。

それだけでも、とてつもなく忙しいだろうということは容易に推察できるが、実はもっと大変だ。

広島市には、約5,000人以上の職員がいる。
それを選挙で選ばれたたった一人の市長が一つの方向に持っていこうというわけだけから、それはそれは大変になる。

つまり広島市長の業務量は(市長+県知事+平和市長会議)N乗というほどになる。

さらに厄介なのは、どんな政策であっても100%の人の賛成を得ることはできない。
必ず、反対者はいる。
反対意見の中に、大事なことが隠されていることもあるが、誤解に基づく批判、反対であることもある。
単なる誹謗、中傷であることもある。
そうした批判、反対意見は膨大な業務量に比例して多くなる。

そうしたことに対応していくのは、また膨大なエネルギーが要る。

そうしたことに対して、秋葉氏は超人的な能力と努力で、市長としての業務を遂行してきた。

選挙運動も普通の人とも全く違っていた。
秋葉氏は市長選の時も、「1票を秋葉忠利に入れてください」とは、秋葉氏自身は全くいってこなかった。

秋葉氏は、「核廃絶をしなければいけない。これまで私は広島市のために何をしてきたか。そしてこれから何をすべきか」を一生懸命伝えようとしていた。

そして、市長になったからは、
被爆から立ち上がった広島市を、世界のモデル都市にしようということで、個々の政策を立案し、進めてきた。
広島にオリンピックを誘致しようということも、広島市を世界の人に、知ってもらい、広島市の経済を活性化するためには必要だという思いから決断したようだ。

そんな秋葉氏を市長に選んできた人たちは、殆どが姿も見えず、大きな声も出さない人たちだ。

秋葉氏は市長になってからは、選挙運動を支えてくれた後援会の活動も一切してこなかったという。

それでも、1期目、2期目、3期目と回を重ねるごとに票を増やしてきた。

もし次も立候補していれば、当選は間違いなかったであろうことは、かなりの人が認めているところである。

しかしその肝心の秋葉氏は「もう充分に、私としての義務は果たした」という思いからだろう、
「誰か次の人がタスキを受けて欲しい。次の市長選には出ない」と表明した。

秋葉氏が、次の広島市長選に立候補しないと決断したことは大変残念なことではあるが、これ以上秋葉氏に負担を強いることは、もうできない。

ここで改めて、
広島市の市長選の特異性と、秋葉氏の思いとその行動の背景を考察することで、
次の広島市の市長には、どのような人が相応しいいのかを、今一度考えてみたい。

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2011年3月15日 (火)

東日本大震災 支援のお願い

東日本大震災で既に支援に動いている知人からのメールです。
皆様のご協力をお願いします。

被災の状況が日に日に明らかになり、言葉が出ません。
原子力発電所の状況もますます深刻化しています。
エコセンでは、東京(西日暮里)事務所に災害救援東京本部を設置し、
モンベル仙台店(青葉通り店)に現地本部をおいて救援活動を始めています。

広瀬と山中が救援チーム派遣前の確認などで福島に行ってきました。
以下、その際の広瀬からのレポートおよびご協力の呼びかけです。
[中垣]

食料などでは栃木以北のコンビニの棚は空っぽ、スーパーも空の棚が
目立ちました。
被害の状況は埼玉あたりから屋根が壊れている家があり、栃木からは
ブロック塀倒壊や屋根全壊など目立ちはじめていました。
困ったのはガソリンで、埼玉からすでに制限給油や閉店が出始め、
栃木からは開いている店には長蛇の列が出来て、それも福島などから
購入しに来る車も目立ちました。
現地では水、食料、ガソリンなどの燃料が切実に不足しています。
被災地以外での消費を抑えて、被災地に回るようにして行く必要があります。

陸域での家屋や土砂崩れなどの被害も深刻ですが、それよりも、
広域な沿岸部での津波による圧倒的な破壊のほうが桁外れの大きさです。
今回は国、県などによる避難所のカウントは2000程度ですが、
これはあらかじめ災害時の避難所とされた場所を集計している数字で、
実際には無数と言っていいほどの大小の避難している場所があります。
これらの把握も物資などの救援の手もまだ行きわたってはいません。

●モンベルアウトドア義援隊とエコセンの災害救援チームは連携して
 現地で活動していきます。
 基本的な作業は、アウトドア義援隊の主活動である被災者への寝袋や
 生活物資の配布などと、エコセン災害救援チームによる避難所での老人、
 こどものケアなどを含む生活支援全般を主任務にした活動をおこないます。
 エコセンではモンベル仙台店を本部として、周辺の避難所に活動拠点を
 増やしていく方針ですが、こうした各拠点で活動できるコーディネーター的
 人材を急募しています。
 なお、放射能の被爆や地震の再発等による危険性については、参加者に
 自己判断をお願いするとともに、被害や損害を受けた場合、エコセンは
 責任を一切負うことができませんので、あらかじめご了承ください。
 また今後の状況により、エコセンは現地での活動を中断する場合があります。

●災害救援活動を円滑にするために、エコセン@西日暮里事務局のある
 西日暮里の日能研ビルに「エコセン災害救援東京本部」を設置することに
 しました。さらに、(株)日能研の高木社長のご協力によって、今回の災害
 救援活動に関わる支援チームのために物資集積基地&地方から来る支援
 チーム(ボランティア)のためのスペースも確保できることになりました。

●日赤や一般の公的義援金は通常、被災自治体などへ寄付され、その後に
 自治体ごとの判断で支出されます。ボランティアセンターなどの直接的な
 救援活動に掛かる資金は、これらの義援金には関わらないために、独自の
 資金源が不可欠です。民間の専門団体による救援活動には多大な資金が必要で
 これらはすべて、チーム独自に災害救援基金を設けて、寄付を募ることになります。
 直接、送金していただける方はぜひ、エコセン宛によろしくお願いします。

みずほ銀行 動坂支店 普通 1093812
エコセン災害救援基金
(エコセンサイガイキュウエンキキン)

● 物資についてですが、以下のものが現状必要です。
 少量でも送っていただける方はよろしくお願いします。

【ボランティア活動用】
 車両、ガソリン、ガソリンタンク、ミネラルウォーター、保存食料、文具、
 水ポリタン、ボランティア用テント、シュラフ、マット、自炊用具、
 ゴミ袋(現地のゴミゼロを目指してボランティアが使ったゴミは東京に
 持ち帰ります)
 ※これらの他、普段は使いたくないのですが、・使い捨てマスク・使い捨て
 カッパ・使い捨て手袋・使い捨て食器なども今回の災害ではとくに必要です。 
【被災者用】
 紙おむつ、生理用品、ホッカイロ、粉ミルク、手軽に食べられる保存性のある
 食料、下着類など衣類、ゴミ袋
 ※物資はすべて小分けしてからダンボールに入れて、中身をマジックで
 大きく書いてください。

● エコセンでは、上記、カンパと物資の他に、救援ボランティアの
 申し込みをお願いしております。
 詳細は下記サイトをご確認ください。
http://www.ecotourism-center.jp/article.php/reliefe_01
ボランティアや物資の提供については、上記サイトの申込フォームを
ご利用くださいますようお願いいたします。
なお、上記以外の物資や大量発送の場合は、発送の前にご相談ください。

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住宅の介護保険制度

日本の住宅の寿命は平均26年といわれている。
日本では、建物には価値がないとされ、通常建物は解体され、更地にしてから、売却される。
老朽化したからとか、新築であるからとかに殆ど関係ない。

日本では、建物としての住宅を資産として保有、売却しようという習慣がない。
人の作った、古くなった住宅に住むということを好まないようだ。
まだ充分住めるのにというような住宅まで解体されてしまっている。
勿体ない話だ。

伊勢神宮の20年毎の遷宮に代表されるように、日本では古来、新しくあることが、尊重されてきたということはある。
新米、新酒といういい方もある。
女房と畳は新しい方がいいといういわれ方がされたりしてきた。

住宅は竣工した瞬間から老朽化が始まる。
特に古くなってくると、あちこち痛んでくる。
雨漏りがしたり、シロアリにやられたりすると痛みの進行は早い。
ほっとくとあっという間に廃屋になってしまう。

ビフォー&アフターという番組がつくられ、いままと見違えるような住宅が、随分と安くできるようなことをいっているが、現実はそうはいかない。

それこそ新築する以上のお金がかかったりする。

あんな大げさな改修工事をしなくとも、
住宅が古くなっても、住める状態に保ち、その価値を認められるようにするには、それなりの手入れが必要だ。

住宅も人間と同じだ。

老朽化した住宅は、人間の介護と同じように、手入れが必要なのだ。
しかしそれにはお金がかかる。
改修しようとした時に、そのお金を用意していないケースが多い。

人間に介護保険があるように、住宅の介護保険制度を作ることが必要のようだ。
保険会社と提携しての、住宅の介護保険制度を考えるべきなのではないだろうか。

そんな制度には、それこそ新しいビジネスの可能性だってある。

さらに人間の介護も介護士の資格が会った方がいいように、住宅の介護をするにも資格もあったほうがいいだろう。

住宅の工事に携わった経験のある人の方がいいということもあるだろうから、定年退職者の仕事を作ることにもなるかもしれない。

もっといえば 、
広島市郊外の団地の戸建て住宅に住む人々は老齢化し、1人住いが増えている。
空き家も増えている。
無縁社会が進行している。
これから、急激にそうした住宅の解体が進むことが想定される。

そうした住宅を解体せずに、利用できるようにするためにも、戸建て住宅をカフェ等として改装し、市民の集まる場所とするような、新たなコミュニティーを作るような仕掛けをすることも必要だろう。

住宅を著寿命化するためには、建築的にしっかりした住宅をつくるだけでなく、そうした様々の仕掛けをしていくことが求められているようだ。

「住宅の介護保険制度を創る」ということから、
広島の新しいビジネスを作りだせるかもしれない。

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2011年3月13日 (日)

シニアと人材派遣会社

日本の少子高齢化がいわれて久しい。

一般的に高齢化社会とは65歳以上をいうようだが、定年になる60歳からを高齢化社会としたほうが現実的なような気がする。

そこで広島市内の60歳以上の人口を調べてみると、広島市の統計では、平成22年度現在、全人口の26%、約30万人いるという。
凄い人数だ。
今後、まだまだ増える傾向にある。

そのうちどの程度の人が働いているのか、働きたいと思っているのか、解らないが、例えばそのうち3割の人が働きたいと思っているとすると、
30万人×30%→9万人
になる。

広島市シルバー人材センターのHP
http://www.silver.city.hiroshima.jp/silver/index.html
を見ると、
60歳以上で、登録している会員数は約5,000人だという。

随分と少ない。

第2の人生は晴耕雨読、悠々自適の生活がいいと嘯いている人もいるが、ちょっと勿体ない。
定年延長とか、嘱託となんらかの形で働いている人も相当数いると思うが、
適当な仕事がないから、仕方なく、自宅にこもっている人もかなりいると思う。

以前アメリカに行った時、ホテルのレストラン等で働いている人の殆どが、外国人と中高年の人なのに驚いたことがある。
日本では、そうしたところで働いている人のほんどが若者だ。

何かおかしい。

日本ではサービス業に拘わっている人の割合は、アメリカに比べてまだまだ相当に低い。

定年まで勤めた企業で取得した技術等高い能力を生かす仕事ができれば、それはそれでいいだろうが、何もそうしたことに拘らなくともいいだろう。

サービス業であれば、特別な技術がなくとも出来ることが多々ある。
そうした仕事を通して、世のため、人のために尽くすこともできるだろうし、それなりに収入の得ることも出来るだろうと思う。

しかしハローワークの窓口は、60歳の定年を過ぎた人で、いつも混雑しているとも聞く。
これもまたおかしい。

60歳の定年を過ぎた人が、もっと積極的に社会に関っていけるような仕組みを作ることが必要だろう。

広島市内にはいくつもの人材派遣会社がある。
派遣会社も若い人だけを対象とするのでなく、シニアの人たちの働き場所を自ら作り出し、中高年への紹介をもっと積極的にすべきだろう。
シニアの働き場所については、広島市のシルバー人材センターに任せておけばいいというのは、ちょっとおかしい。

日本政策投資銀行の藻谷氏は、国の活力は人口に比例するといっている。
藻谷氏のいう人口の中から、シニア人口が抜け落ちているようだ。
日本の高齢化率は世界でトップクラスだ。

シニアを現役労働人口が負担する割合が、今は3人に1人だが、そのうち1人で数人のシニアを支えなければいけなくなるという現象が起こることが懸念されている。

シニアの問題については、国としても考えなければいけない問題だが、
まずは、人材派遣会社が先頭をきって、そうした問題に取り組むべきだろう。

シニアが元気になれば、広島の街も、もっともっと賑やかになり、より魅力的な街になるはずだ。

人材派遣会社の活躍に期待するところは大きい。

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2011年3月11日 (金)

オリンピックは儲かる!

「オリンピックをやるお金があるなら、他にやるべきことがあるはずだ」
という声を聞く。

なんとなく、オリンピックをやると損するという雰囲気になっている。

本当に損するのだろうか。

アジア大会のとき、1.4兆円といわれる公共投資をやり、広島市の基金が空っぽになってしまったことは確かだ。
そのあと、広島市としては、やりたいこともやれず、財政非常事態宣言をして財政の健全化に努めてきたということもあった。

しかし、それがトラウマになって、そこから抜け出せないというのは、ちょっと寂しい。

アジア大会を開催したときには、その時代の、それなりの思い、背景があって開催したはずだ。
そうしたことをきちんと検証し、その反省の上にたって、オリンピックを開催する計画を考えればいいことではないだろうか。
そのトラウマを乗り越えるには、それなりの知恵と努力が必要だ。

お金のことをいうなら、いくらかかって、いくら儲かるかという話をするのが当然だ。

広島市はオリンピック広島大会の計画案について、You Tubeでも説明している。
http://www.youtube.com/watch?v=JAxztEMtK8s
計画案そのものは、よくできている。

さらに、広島市の負担、つまり広島市の支出についてみれば、「大会招致費15億円+ビッグアーチの整備費37億円=52億円となっている。
それだけの負担で、大会関連費用に必要な4、491億円を集め、オリンピックをやり、その経済波及効果が6931億円になると計算されている。

費用対効果という視点からみれば、133倍の効果があるということになる。
ビジネスとしてみれば、随分と儲かるプロジェクトだ。
ビジネスで良く使われる「てこの原理=レバレッジ効果」という手法を巧妙に使ったプロジェクトになっている。
上手い仕組みを考えたもんだ。

しかしそれでもまだ、オリンピック広島大会の運営費4,329億円の内982億円を寄付等で集めることは不可能だ。
その責任を広島市で負担することはできないという人もいる。

そもそもその運営費は、組織員会の負担すべきものであって、広島市が負担するものではない。
組織委員会のメンバーに広島市も加わることになるから、まったく責任がないということではないが、
オリンピック広島大会に立候補することが決まれば、IOCは日本国政府に、組織員会が赤字になった時の保証を求めてくるのが今までのパターンだ。
オリンピック広島大会も当然そうなるはずだ。

更に、その4,329億円と見込まれている組織委員会の収入そのものも、行政の試算らしく、すべていままでの前例に基づいて計算されている。

これだけネット社会になっているのに、組織委員会の収入項目に「ネットからの広告収入」は全く見込まれていない。
ネットで寄付金を集めるという手法もあるが、ネット絡みの広告収入というのもあるはずだ。
すでに、ネット絡みの広告費は、新聞を越え、TVに迫ろうとしている。
組織委員会としては、ネット絡みの広告収入をどう確保するかもこれからの新しい収入源として、大きな意味を持ってくるはずだが、それはまだ計算に入っていない。

またTV放映権収入を729億円、企業協賛金収入として1,182億円見込んでいるが、そうした収入源についても、中国、インド、ブラジル等の、凄まじい経済発展をしている開発途上国からの収入増は全く見込んでいない。

2010年の広州アジア大会のスポンサーは53社、その殆どは中国国内の企業からで、協賛金は計30億元(約379億円)を超え、いずれも歴代の過去最高を記録したというが、今回のオリンピック広島大会の計画案にあっては、その中国からの協賛金は、ほとんど見込んでいない。
因みに1994年の広島アジア大会の時の企業からの協賛金は49億円だったという。

前例がないのは計算にいれないというのが行政のやり方だから、まあ当然といえばいえるが、2020年という10年も先になれば、当然そうした類の収入源は確保されるようになっているはずだ。

982億円という金額についても、寄付金という形式にとらわれなければ、それほど難しいことではないということがわかる。

2012年のオリンピックの開催地決定のプレゼンテーションの際にはイギリスのブレア首相とフランスのシラク大統領が出馬し、ロンドンとパリが接戦を演じたが、結局ロンドンが競り勝った。
国家元首がわざわざ出て来ることの背景には、五輪が儲かるスポーツビジネスになっているという認識があるからだ。
そうでなければ、国民の人気をベースにする国家元首がわざわざ出て来るわけがない。

アテネ五輪の組織委員会は、巨額のスポンサー収入やテレビの放映権料で180億円の利益が出たという。
にもかかわらず、ギリシャ経済は破綻した。
オリンピックアテネ大会そのものは成功したが、開催した国の方がおかしくなってしまったというわけだ。

ギリシャは、オリンピックをやるためにと、地下鉄をつくったり、自動車道をつくったりした。
アジア大会の時の広島市と同じ様に、巨額のインフラ整備をしたのだ。

その資金調達も仕方もちょっとへんてこりんな調達方法をした。
そもそも、そうしたオリンピックを契機に、インフラ整備を進めようとすること自体が、開発途上国型のオリンピックだといえる。

広島ではそうしたインフラはすでに充分整備されている。

今回、広島市で考えているオリンピックは、新たなインフラ整備をすることなく、フラワーフェスティバルのように、仮設、特設スタジアムを作り、対応しようというのだ。

仮設施設だから、お粗末だなんてことはない。
万博の施設だって、基本的には全て仮設だ。
仮設だから、みすぼらしいとは誰もいわなかった。

却ってその方が、思いきった斬新なデザインにすることも可能だし、
それによって、新しい技術の開発もされてきた。

オリンピック広島大会の計画案では、競技施設整備費に1,071億円、選手村・メディア村整備費に1,007億円を想定している。

しかしそんな施設はオリンピックが終われば不要になる。
持っているだけでお金がかかる。

ロンドン大会でも8万人収容のメインスタジアムを作るが、オリンピックが終われば、2.5万人の施設に縮小するという。
広島でも、アジア大会のときつくった5万人収容のビッグアーチも、満席になったことは、アジア大会以降1~2回ある程度だろう。
ビッグアーチを維持管理するためには、実は膨大な費用がかかっている。

そうした反省にたって、様々の工夫がされているのが、オリンピック広島大会の計画案だ。

アジア大会で損したというトラウマにいつまで縛られていることはない。
それを乗り越える知恵を働かせ、努力をすればいいのだ。

何もしないでいては、広島の経済の活性化なんてない。
広島に、賑わいを創り出すことだって出来ない。

オリンピック広島大会はお金の面、ビジネスという面からいえば、充分儲かるのだ。
そしてオリンピックを契機に、広島の次の新しい産業を育てていけばいい。
そうした可能性がオリンピック広島大会には充分ある。

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2011年3月 9日 (水)

政治家は詩人でなくてはならない

これは、1988年、アメリカ大統領選挙の際に有名になった言葉です。発言したのは元アメリカ大統領のリチャード・ニクソン氏。ウォーターゲート事件で弾劾され、大統領を辞任したことで有名ですが、他方、国際通という点で抜きん出ていたと評価する人もいます。特に中国との国交回復がその証拠だと言われています。となると、政治的な犯罪の面、そして中国との関係という二点だけ取り上げても、わが国では田中角栄元総理のような存在だと言っても良いかもしれません。

引退後も田中氏は「キング・メーカー」として、次の総理を実質的に選び裏で操っていたと言われています。ニクソン氏には、そこまでの影響力はなかったようですが、88年の選挙の際にはどの候補が良いかと聞かれて、当時の候補の比較を「詩人」という視点から捉えて、間接的にではありますがきれいに答えていました。

その時点で有力候補として名前が挙がっていた中には、ジョージ・ブッシュ(父)副大統領、マイケル・デュカキス・マサチューセッツ州知事、そしてキング牧師の後継者と言われたジェシー・ジャクソン師がいました。その三人のニクソン評が実にぴったり三人の特徴を表していました。

曰く、「ジャクソン師は詩人、ブッシュ副大統領は散文(の書き手)、そしてデュカキス知事は人間ワープロだ」というものです。

ブッシュ副大統領だけが共和党、後の二人は間で民主党内での大統領候補を争っていた時期でしたが、民主党の候補はデュカキス氏に決まり、最終的な結果は皆さん御存知の通り、ブッシュ氏の大勝でした。

さてこの経緯を今回の広島市長選挙、あるいは他の選挙についての教訓として生かすとなると、どんなことが言えるでしょうか。

「市長は詩人でなくてはならない」

「でも当選するには、散文が一番」

「機械は、問題外」

当然、反論も成立します。「大統領選挙では、詩人は当選しなかった」「散文と言われた他の年の候補で当選しなかった人もいる」「コンピュータ付ブルドーザ」と言われた人は長く権力の座にいた等々です。

その他にも、何種類か考えられますが、さて、今回の選挙を予測する上で(別に予測しなくても良いのですが、マスコミは当然予測しますので、もう少しましな予測をするとしたら、という意味です)、歴史を繙いてどんな教訓を生かせば良いのでしょうか。

敢えて一つだけ教訓を挙げるとすると、ニクソン元大統領の言いたかったことは、そもそも政治を志すくらいの人は、高い理想を掲げ、その理想を格調高く表現できるくらいの人物であって欲しい、ということだったのではないでしょうか。

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2011年3月 6日 (日)

清 キヨ・マサ

清、キヨ・マサは、流川の新楽天地公園に面した古いビルの1階にある。
看板もなければ、ネットで検索しても載っていない。

古いビルの壁面の50CM位前に、薄茶色の土壁のような感じの壁が立てられ、そこに畳一畳ほどの大きさの穴が開けられ、それが入口になっている。
その壁の一部が20CM×10CM位が大きさにくり抜かれ、そこに小さな行燈がおかれ、「清」と書かれている。
近づいてみなければ、照明としか思えないような看板だ。
入口をくぐり、ちょっと横にそれると格子の玄関がある。

以前から前を通るとき、何の店かなーと、気になっていた。
なんのお店か外から見ただけでは全くわからない。

一見さんは、ちょっと入りにくい雰囲気がある。

たった50CMほどの隙間を利用して、茶色の壁を作っただけで、全く違ったお店の雰囲気が作りだされている。
なんとも不思議でもあるが、その巧みさに感心する。

0_3

先日、懇親会の後、友人を誘って、入ってみた。

中に入ると、大きな分厚い板カウンター席があり、ガラスのケースの中に魚の大きな切り身が並べられている。
これもちょっと普通の寿司屋とは違う。
カウンターの中には、鉢巻をし、白い作業衣を着た男性がいるので、ようやくここが寿司屋だということがわかる。

大きなカウンターの木は銀杏だという。
ヘーッ、そんなのがあるだと、ちょっと驚いた。

個室もある。

聞けば、リニューアルしてからもう2年近くたち、オーナーの桑原さんは、先代の時代からだとここで20年以上修業し、跡を継いだのだという。

もう他で食事をしてきた後なので、アン肝をちょっとあぶってもらい、広島産の冷酒を飲んだ。
刺身もちょっと現代風というか、粋な並べ方だ。。
美味い。

ここにも広島らしい文化があった。

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2011年3月 4日 (金)

アンデルセンと小谷サービスエリア

日久しぶりに、山陽自動車道の小谷サービスエリアに寄った。
小さい谷と書いて、KODANIと読む。
普通はKOTANIだが、どうしてか、広島では地名となると濁音が多い。
安佐南区にある大塚もおおづかと読む。

この日は土曜日、まだ10時くらいだというのに、駐車スペースを見つけるのが大変ないくらい混んでいた。
帰りに寄った下り線のサービスエリアは空いていたから、やはり混んでいた訳は、上り線のサービスエリアはアンデルセンが営業しているからのようだ。

0_2

以前来た時は、こんな感じではなかったはずだと、思って調べてみたら、2010年に全面リニューアルしましたと書かれていた。

確かに、随分と普通のサービスエリアと違っている。

向かって右のちょっと小ぶりの白い建物の前には、幅2M高さ6Mはあろうかというような大きな赤いパネルが置かれ、白抜きでMERMAID CAFEと書かれている。
シャレている。
看板が建物とは独立して建てられているのが、またいい。
こうしたところにも、アンデルセンの企業理念を感じる。

トイレも、通常のサービスエリアにあるような大きな空間に、ものすごい数の便器がズラーと並んでいるのでなく、幾つかの普通の大きさの部屋に分かれて、便器が置かれている。
あの集団ションベン場といったような、殺伐とした感じはない。

メインの建物の中のショップもフードコートも、本通りにあるアンデルセンのお店に似たような雰囲気だ。
お花のお店があり、お土産品コーナーも優しい。
「ラーメン・うどん」「丼・カレー」のコーナーの椅子もテーブルもちょっと洒落ている。
そんなにゴミゴミとしてもいない。

パンも石焼き窯を作って、ここで焼いているという。
ということなので、明日の朝食にとパンを買った。

しっかりとアンデルセンのコンセプトに沿って、建物を作っている。
感心した。

今までは、自動車道のサービスエリアの施設は全国どこにいっても同じような感じで作られてきた。
違いと言えば、建物のデザインが違う程度の感じだった。

それが、ここでは機能、配置、規模の中身がアンデルセンのコンセプトに基づいてきちんと決められ、それに相応しい建物の形が作られている。
高級なお店というわけではないが、随分と奇麗で、安らぎを感じさせるサービスエリアになっている。

こうしたことができるようになったのも、自動車道が民営化されたからだろうか。

これだけのことが出来るなら、どんどん民営化を進めて欲しい。

自動車道を走ることが、楽しくなった。

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2011年3月 2日 (水)

新聞休刊日を止める・夕刊を止める?

2月14日(月)は新聞休刊日だった。

玄関の前の新聞受けが空だと、妙に寂しくなる。

いつもはコーヒーを飲みながら新聞をよみ、TVを見ているが、こんな日は、手持ちぶたさで、どうしていいいかわからなくなる。
仕方なく、古いゴルフ雑誌を取り出して、見たりした。

そういえば、アメリカ・ハーバード大学に留学していたという友人が、日本が懐かしくなるとハーバード大学の東洋図書館イエンチャンにいって、数日遅れの朝日新聞を隅から隅まで読んでいたと言っていたことを思い出した。

ネットの発達した現在では、そんな必要もないだろうが、新聞を読むのが生活の一部になっている者にとっては、新聞がないと、一種の禁断症状みたいな感じを起こすようだ。

新聞には中毒症状といえる力があるようだ。

私の友人で死ぬ思いでタバコと止めた友人がいる。

しかし新聞を止めるのは、その気になれば、それほどの苦労はしなくともよさそうだ。

第一、ネットでみれば世の中で何が起こっているかは解る。

それに加えて、ウィキリークスのように、膨大な生の情報がネットに流失したり、尖閣ビデオ流失問題、秋葉市長の不出馬会見のように直接You Tubeから情報が入るようになったりしていると、新聞、TV等の記事があまり信用できなくなっているということもある。

チュニジアの政変もエジプトの政変も、ツィッターとフェイスブックで起こったといわれている。
チュニジア、エジプトのTV,新聞は一体なにをしていたんだといいたくなる。

しかし、そんな新聞でも、ないと、妙に寂しくなるから、おかしい。

日本の新聞休刊日は年に10日間程度のようだ。
もっと多いように感じていたが、新聞休刊日は意外と少ない。

しかし、新聞休刊日があるのは、当然のようになっているが、本当にそうだろうか。

ウィキペディアで調べてみると、「新聞休刊日は、労働基準法上の問題や輪転機の保守のために設けられている」とある。
???

そんなこというなら、鉄道にしても、コンビニにしても365日休みなく営業している施設、ビジネスはいくらでもある。
休みがなくとも、きちんと毎日営業している。

デイリースポーツとかのスポーツ専門紙には休刊日はない。
休刊日のあるのは、朝日、日経、中国新聞のような普通の新聞だ。

新聞休刊日があるということは、経営上の理由もあるだろうが、どうもそうした新聞社に、読者目線でのビジネス感覚がないのではないかといいたくなる。

それこそ、このまんま新聞休刊日をつづけていけば、別に新聞がなくともいいんじゃないのということになりかねない。

考え直す時が来たように思う。

0

もう1つ、
中国新聞の夕刊を取っているが、数分読めば、充分といえるような内容だ。
夕刊の料金も結構な額だ。
それ故にか、中国新聞の夕刊を購読している人は、朝刊に比べたら、随分と少ない。

それでも夕刊を発行している理由は色々あるのだろうが、
それもどうも新聞社の都合からという感じだ。

この際、夕刊は止めて、新聞休刊日をなくすほうが、読者としては有難い。

新聞社のビジネスモデルは、こうした様々の面でも、今変革の時を迎えているようだ。

しかしいい新聞記者であることと、新聞社のいい経営者であることは、全く別次元のことだ。
新聞社も外部の人材を導入する時が来ているのではないだろうか。

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