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2011年1月

2011年1月28日 (金)

三滝寺

広島市の西、三滝山の谷間の細い道を上がった突き当たりに真言宗のお寺、三滝寺はある。
三滝茶屋で食事したあと、隣接する三滝寺を散歩した。

被爆を免れたのだろうか古い建物が、鬱蒼とした木々の間に、急な斜面の大きな岩の上に幾棟も建っている。
茅葺の建物であったり、瓦の建物があったりする。
門をくぐった直ぐの所にはコンクリートの建物もある。
どれもそれほど大きくはないが、なかなか味わいのあるいい建物だ。
歴史の古さを感じる。
環境も素晴らしい。

本堂までの参道の両脇には、膨大な数の石仏が並んでいる。
被爆して亡くなった人を弔う石仏であったり、この世界を救おうと布教に努める大きなブロンズ製のお坊さんの像もある。
夜、歩いたら、気持ち悪くなりそうだ。
しかしなんともユニークなお寺だ。
こんなお寺は他の都市で見たことがない。

3

ネットで調べてみると
「三滝寺は、広島市の北西三滝山の谷間に位置する真言宗高野山派の古刹である。開創は、真言宗の開祖弘法大師空海が大同4年(809年)、唐への留学を終えての帰路、当山に立ち寄られて聖観世音菩薩の梵字を自然石に刻まれ滝の飛沫のかかる岩窟に安置されたことに始まると伝えられている。
爾来千百有余年、芸州銀山城主武田氏や安芸藩主浅野公の信仰と庇護を受けるとともに、広く一般の人々の信仰を集めてきた。
境内には、県の重要文化財の朱色の多宝塔があり、塔内には国の重要文化財である木造阿弥陀如来坐像が安置されている。
境内は、幽明、梵音、駒ケ滝の三つの滝を有していることから三滝寺と呼ばれている。浅野公はじめ信徒の植えた楓が鬱蒼と繁り、緑陰の岩は苔むして深山幽谷の趣がある」
と書かれている。
広島にとって、貴重な文化財であることがわかる。

立派なお寺なのに、市内からのアクセスが悪いせいか、あまり訪れる人はいない。
勿体ない。

お寺の手前にある三滝茶屋も、昔は随分と高級な料亭だったが、今は見る影もない。

三滝寺と三滝茶屋を上手く結び付けられれば、訪れる人も増え、ちょっとした観光スポットとなるはずだ。
もっと広島の文化財として評価されるべきお寺だ。

広島では珍しい真言宗のお寺だからだろうか。
勿体ない。

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2011年1月27日 (木)

折り鶴革命?

秋葉広島市長は、次の市長選にはでないとの不出馬会見を、You Tubeでおこなった.
http://www.youtube.com/watch?v=KJqVfFZPJ1s&feature=player_detailpage

出馬すれば、必ず当選するだろうという状況にあったから、誰もが次は必ず出馬するだろうと思っていた。
マスコミは、秋葉市長が「次の市長選に出馬する」といつ発言するかと、昨年末からずっと追いかけていた。

それが1月4日、新年の市役所職員への訓示、そして商工会議所での新年互例会で、「次は市長選に出ません」と発表したから、皆驚いた。
不出馬のいうことにも驚いたが、それを、TV、新聞等のマスメディアを通してなく、You Tubeを使ったということに、マスコミは酷く怒ったことに、わたしは驚いた。

朝日新聞も、毎日新聞も「秋葉市長の会見拒否は、説明責任を果たしていない。市民の知る権利を侵すものだ。おかしい」と社説で取り上げるほどの騒ぎになった。

秋葉市長の記者会見拒否は、あの佐藤栄作総理が、新聞社を追い出して、TVにだけ向かって、会見を行ったことと、比較して論じてもいた。

広島市は政令指定都市ではあるが、その一地方都市の市長である秋葉市長が次の選挙に出る、でないの発表が、ノーベル平和賞も受賞した日本国の総理大臣の引退会見と同列に論じられることに、私は驚いた。
同時に、今回の発表について、マスコミの記者会見を拒否し、ネットを使ったということに対して、相当にマスコミがヒステリックと言ってもいいほど、感情的になって、反応していることにも驚いた。
マスコミは、ネットに対して、相当に危機感を募らせているということの現われなどだろうとも思った。

それは別の見方をすれば、これだけの騒ぎを起こした秋葉市長の、時代に対する感覚が極めて鋭いということの証でもあるだろうと感じた。

チュニジアで先日ジャスミン革命と呼ばれる政変が起こった。
1人の若者の焼身自殺を引き金にして、23年間続いた独裁政権が倒れた。
日本のマスコミは、チュニジアには、高い20%近い失業率と独裁への不満があったから、当然だというような論調に変わって来ている。
それが背景にあったことは確かだろうが、それだけなら、普通は軍隊と警察が抑え込んでいて、そう簡単に、政府が転覆することはない。

このチュニジア革命の極めて大きな特徴は、大統領遺一族の豪華な生活が「ウィキリークス」に暴かれ、「ツイッターとフェイスブック」によって国民が繋がり、一気に不満が爆発し、あっという間に、政府転覆にまでなったということだ。
それも武力衝突が殆どなかったということで、死者は80名位で、政変が実現したようだ。
今までなら、そんなことは、想像すらできなかったことだ。

TV、新聞というマスコミは、チュニジアにもあっただろうと思うが、
それらは、この間、一体何をしていたんだろう。

チュニジアは、日本の外務省も、極めて政治的に安定している国として認めていた。
そんな国で、たった1ヶ月くらいの間に、状況は激変し、政変が起こったのだ。

チュニジアの大統領は、ウィキリークス、ツイッター、フェイスブックというネット情報なんて、それほど影響力があるとは思っていなかったのだろう。

鳩が豆鉄砲を食らったと良くいうが、
今川義元が、織田信長の桶狭間で、雨の夜の奇襲攻撃を食らったようなもんだったんだろうと思う。

全ての独裁国家は、このジャスミン革命が飛び火することを、皆恐れているという。

近頃の若者はネットでニュースもわかるからと、新聞は取らない、TVは見ないという。
それは新聞、TVを見るにはお金がかかるということもあるだろうが、どうもそう単純な理由ではないようだ。

TV、新聞では、その記事を書いた人の理解の仕方、思いが必ず入っている。
情報がそのままではない。
そのままの生の情報が1次情報とすれば、編集された情報は2次情報だといえる。
そうした2次情報を、若者たちは信用しなくなっているようだ。
それはつまり、今の若者たちは、マスコミ情報を信用しなくなってもいるということでもある。

ウィキリークスをみれば、数万ページになるかもしれないか、ともかく全ての情報が、見ようと思えば見られる。
被災地からは、ネットを使って、被災者がその場の様子を伝えることもできるようになった。
誰でもが、生の情報の発信者になれるのだ。
同じ被災地でも、ちょっと場所が違い、視点が違えば、様子は全く違ってくる。
そんな情報発信者が膨大な数になることも可能になったのだ。

今の若者はそうした生情報が、簡単に手に入れられることを知ってしまったのだ。

秋葉市長は、You Tube を使って、15分間もの間、自分の思いを伝えようとした。
見てくれるかどうかを別にすれば、何回かにわければ、何時間でも喋ることも可能だ。

You Tubeの発言に対して、膨大な量の書き込みもあった。
世論調査とはまったく違った形で、反応を確かめることも出来る。

そもそもTVで、15分間もの間、1人で喋ることなんて不可能だ。
そんなことはあり得ない。

新聞では、ポイントと記者の解釈した数行の言葉が取り上げられ、そこに、現場にいなかった整理部が、見出しを付けたりする。
見出しの言葉と、中の文章が全く違うなんてこともよくある。

片や、ブログ、ツイッターでは徹底して、個人の思いが書きこまれている。
これも、正しいか、正しくないかは別にして、まさに生の市民、国民の声だといえる。

ネット先進国の韓国では、新聞社がどんどん倒産しているという。

日本のマスコミも、そうしたネット情報に対する対応策を、今だ、講じ切れているとは思えない。

秋葉市長の、You Tube を使ったことは、いままで「情報を独占してきたマスコミが消滅する」という象徴的事件でとして、歴史に残るかもしれない。

チュニジアの政変はチュニジアを代表する花であるジャスミンにちなんでジャスミン革命といわれている。
それなら、秋葉市長のYou Tube を使っての今回の行動は、「折り鶴革命」とでもいわれるようになるかもしれない。
???

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2011年1月26日 (水)

雪の朝

1月16日の朝、目が覚めたら、昨晩の雪で、あたり一面、白くなっていた。
それほど雪は多くはなかったが、それでも明け方には-4.6℃と、この冬1番の冷え込みだったようだ。
寒かった。

この日は、1日中、晴れたり曇ったりという天気で、0℃を越えず、陽は射しているのに、雪がちらつくという変な天気だった。

中心市街地は、日曜日ということもあって、人通りは殆どなかったが、この寒さの中、袋町公園では小学生くらいの子供がサッカーボールを蹴って遊んでいた。

2

アストラムラインの毘沙門台駅から先は、前の晩、大分雪が降ったようだ。
気温が上がらなかったこともあって、雪は1週間経っても消えなかった。

今年は北の寒気団が下がって来て、日本海側に例年に比べ倍近い雪を降らせている。
福島県ではあまりに急な天候の変化で、数百台の車が動けなくなり、車の中で一晩、過ごさなければならなくなったという事件も起きた。

CO2による地球温暖化現象がいわれているが、温暖化は太陽の活動によるものであり、今年あたりから地球は寒冷期に向かうと言っている地球学者もいる。
なにか、その理論の方が正しく思えてくるほど、近頃寒い日が続いている。

先日はオーストラリアのクイーンズランド州のドイツとフランスを合わせた位の面積が洪水に襲われたという。
気候の変化が極めて限られた地域で、今まで起こったこともないような現象が起こっていることも確かだ。

広島は海があり、川があり、山があるという複雑な地形をしていることもあって、場所によって、随分と天候が違う。
台風の時だって、平和大橋の上を走る車が横転しているのに、大町のあたりでは、風もほとんど吹いていないなんて事もある。

そうした局地的天候の変化を楽しめているうちはいいが、その変化が予想を越えて起こるようになった。

雪にだって、広島市内の人はあまり慣れているとは思えない。
1Mを越す雪が、広島市内に降ったら、どうなるんだろう。

そうしたことに対する防御はどうしたらいいんだろうか。

完璧に防御しようと思うと、とんでもなくお金がかかる。
確率論的に、見ていって、諦めるより、しょうがないのかなー。

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2011年1月25日 (火)

旧市民球場の外観

旧市民球場の解体工事が進んできた。
まだ一部ではあるが、球場の外壁が白いパネルで覆われた。

先日東京から来た友人と街を歩いている時、「これ、いままでの外壁より、きれいだね」といわれた。

広島に住んでいる者にとっては、もう何十年も見慣れた景色だったから、旧市民球場の外壁が美しくないとは、特に感じなかったが、いわれてみれば、工事用の仮のパネルの方が、意外と、すっきりとしていて美しい。
仮囲い用のパネルだから、それほどきちんとデザインされているわけではないのに・・。
旧市民球場の外壁は、老朽化して痛んできたから、彼は余計そう感じたんだろうと思う
それにしても、可笑しい。

2_3

旧市民球場は、座席も狭く、急こう配だが、それでも球場の直径は約150Mとかなり大きい。
そごうの建物も随分大きく感じるが、市民球場はその倍の幅がある。
これだけ大きくなると、建築的スケールをはるかに越えている。
ダムのような土木的スケールの構造物だ。

広島駅近くの貨物ヤード跡地に建った新球場は直径約200Mだ。
旧市民球場より、さらに大きいが、その割にそんなに大きいとは感じない。
球場より、はるかに広いJRの軌道敷に隣接しているからだろうか。

彼が感じた旧市民球場の外壁の違和感も、そうした街中にあるべき建築のスケールを越えているからかも知れない。

計画では跡地が緑の芝生と林になる。
都会の喧騒の中にあって、
ゆったりした気分で憩える場になることを期待したい。

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2011年1月23日 (日)

ウサギの紙飛行機

先日友人のお宅を訪ねたら、玄関先にウサギをモチーフにした紙飛行機が飾られていた。
今年の干支はウサギだ。
随分シャレた干支の飾りだ。
元マツダのデザイナーだった福田成徳氏からいただいたのだという。

ウサギは1羽、2羽と数える。
ウサギはぴょん、ぴょんと飛ぶように走るから、鳥の同じように○羽と数えるようになったのだろうと思うが、
仏教の殺生すべからずということで、四足の動物は食べられなかったので、その言い訳に○羽と呼ぶようにしたのだろうか。

まあそれにしても、
そのウサギをモチーフに、紙飛行機を作ったというその発想が面白い。

紙飛行機といっても、さすが元マツダのデザイナーの作品だ。
きちんとデザインされているだけでなく、随分と精巧にできている。
両面の羽の部分は紙だが、ちゃんとリブが作られ、形が崩れないようになっている。

胴体部分は、バルサを削って、ウサギの胴、耳、目、足が作られている。
胴体の長さは約10CM、両翼の長さは約20CM程度の大きさだ。
さして大きくはない。

その素朴な、手作り感がなんともいえずいい。

2

福田さんは、ほんの遊びで作ったというが、作った人が面白いと思って作った思いが伝わってくる。
私も面白いと思った。
数千円のオーダーなら、お金を出して買ってもいいと思った。
この紙飛行機をネット販売のルートに乗せれば、そこそこ売れるのではないだろうか。

ということで、ネット販売に詳しい友人に聞いて見た。

「東京までの送料が600円、ネットで決済にかかる費用が10%、製作費&利益を700円とすると、販売価格は1500円になる。
日本全国どこにも紙飛行機は販売されていないから、上手くやれば売れるかもしれない。
そのためには全国紙飛行機コンクールとかを仕掛け、デザイン部門で賞を取るとかの箔をつければ、案外いけるのではないか」
という。

福田さんは、マツダにいたころあのRX500もデザインした人だという。
もう定年をすぎて大分経つようだが、まだまだ元気らしい。
そんな素晴らしい才能を持った人が、広島市内には沢山いると思う。
少子高齢化時代を迎え、定年を過ぎた人が、大量に生まれている。
そうした人たちを上手くコオディネートすれば、ちょっとしたビジネスが起こせるかもしれない。

ネット販売なら大量に作って、店先に並べる必要がない。
注文があった時に作ればいい。
リスクがない。
リタイアした人たちのビジネスとしては、ネット販売は向いているように思う。

ちょっと考えてみたらどうだろうか。
とその友人に話した。

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2011年1月22日 (土)

マスコミは事実を隠す

秋葉忠利広島市長が次の選挙に出ないということについて、マスコミの報道では、まるでYouTubeだけで、他は全て拒絶しているような印象を受けますが、事実は以下のような流れで、あらゆる人に対し説明をされています。

(1月4日朝)新年の挨拶で、部下である広島市役所の職員へ。
(1月4日昼)商工会議所の新年互礼会で、広島の政財界の人達へ。
(1月4日夕)ローカルテレビの生放送で、広島市民へ。
(1月4日夜)YouTubeで、で全ての人へ。

(1月7日)全国紙のインタビューを受ける

マスコミは事実を報道していません。

秋葉忠利広島市長不出馬会見
http://www.youtube.com/watch?v=KJqVfFZPJ1s

秋葉忠利・広島市長の単独インタビュー(産経新聞)
http://www.youtube.com/watch?v=SJD2rBKY6Uc

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2011年1月21日 (金)

タイガーマスクとオリンピック広島大会

昨年末、タイガーマスクと名乗る人物から、全国各地の児童養護施設にランドセルが届けられるようになった。

1月12日 現在で、全国47都道府県で確認されたのは299件もあるという。
まだまだ増えそうだ。

名前も最初はタイガーマスク伊達直人だけだったが、そうしたニュースがTVで報じられるようになると、矢吹丈、桃太郎と多様になり、贈る品物もベビーカー、文具、折り紙、現金と多様になってきた。

しかしどの贈り物にも共通しているのは、いずれも本名ではないということだ。

こうした現象を、精神科医の香山リカさんは
「児童虐待などで、子供に同情している人や、誰かを喜ばせたいと思っているが、素直に行動に移せなかった人が、正義のヒーローの名を借りることで、行動に移せたのではないか」
と分析している。

確かに、日本人は、あまり自分の名前を出すこと心良しとしない人が多いし、またそうして名前を出す人も嫌う傾向もある。
そうしたときに自分の気持ちを現すには、単に匿名とするのでなく、養護施設育ちのタイガーマスクとマンガのヒーローの名を借りて、自分の思いを表現するというのは、良くわかる気がする。

アメリカでなら、いいことをするのに、何で隠す必要があるんだということになるだろう。

今回のタイガーマスク現象の意味は、あまりマスコミは取り上げていないが、もう1つ意味があるように思う。

アメリカの心理学者のアブラハム・マズローは,
「人間の欲求は,5段階のピラミッドのようになっていて,第1段階が生理的欲求,第2段階が安全の欲求,第3段階が親和の欲求,第4段階が自我の欲求,第5段階が自己実現の欲求だとし、1段階目の欲求が満たされると,1段階上の欲求を志す。
生理的欲求と安全の欲求は,人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求,親和の欲求とは,他人と関りたい,他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求で,自我の欲求とは,自分が集団から価値ある存在と認められ,尊敬されることを求める認知欲求のことだ」
としている。

そんな面倒なことをいわなくとも、日本ではよく「衣食足りて礼節を知る」といわれている。
戦後、ようやく日本人も、食べることが、充足され、生き甲斐とか、周りへの配慮とかができるようになったということが背景にあるように思う。

しかしだからといって、今までの日本には、こうした寄付の文化がなかったということではない。
いままでの日本にも寄付行為に類することは沢山あった。
村祭りはそこに住む住民の寄付で運営されてきたし、お寺のお布施も金額が決まっていたわけでなく、そもそも寄付だ。
神社のお賽銭だってそうだ。

政治献金なんてのも寄付行為だ。
赤い羽根募金も寄付行為だ。

最近は寄付の仕方についても直接現金を渡すのでなく、インターネットを利用した寄付もできるようになった。
オバマ大統領が選挙戦の時、数百億円をネットで集めたと話題になった。

新球場作る時にだって、116万人の、広島市内の企業、個人から数十億円の寄付を集めた。

1.2億人の日本国民を対象にすれば、100倍ということになるから、算術上は数千億円を集めるということは可能だということになる。
60億人の世界市民、企業を対象にすれば、さらに多くの額を集めることも可能だということになる。

また1月15日の朝日新聞には、NPO法人「日本ファンドレイジング協会」の発行する寄付白書2010では、日本の個人、法人からの寄付額の総額は1.4兆円だが、アメリカは25.4兆円で、そのうち個人の寄付金額が82%ということが載っていた。

寄付行為とする内訳がどういうものか問題はあるが、それにしても、日本国内での寄付についての可能性はまだまだ充分残されているといえるだろう。

今回のタイガーマスク現象を見ても、日本国内での寄付行為に対する背景、環境が大きく変わってきている。
寄付の輪が拡がるのは、それほど難しいこととは思えない。

広島市に寄付すれば、所得控除の対象にもなる。
広島市役所の寄付受付窓口にオリンピック広島大会の口座を設けることも必要だろう。

こうした状況を見ると、オリンピック広島大会で目指す、1,000億円の寄付ということも、それほど非現実的な話ではないだろうと思えてくる。

問題は寄付のテーマをどうやって作るかということになる。
広島でオリンピックを開催するということは、人々に素晴らしい寄付のテーマを提供することになるではないだろうか。

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2011年1月20日 (木)

ガールズ競輪

先日なにげなく、TVを見ていたら、
「来年7月開催の競輪から、女子の競輪がスタートする。
今1期生35人が研修中」
と報じていた。

今まで女子競輪て、なかったの?
とネットで調べてみると、大学生と企業に所属している選手の競技は京王閣、小倉等で開かれているようだ。

それが、今度は2012年のロンドンオリンピックから正式種目になるということもあって、競輪協会としても、本腰で選手の養成を始め、興業としての新たな対象にしようと、考え始めたようだ。

大きく方向転換だ。

1_2

競輪に限らず、日本では競馬、競艇といった賭けごとは、なんとなく胡散臭い目で見られてきた。
女子が男に混じってというか、女子だけでも、男だけがやってきたことを女が始めると、それだけで胡散臭い目で見られていた。

女子プロレスだってそうだ。

それが今度はオリンピック種目になるという、お墨付きがついた。
俄然状況は変わった。

競輪は日本発祥のスポーツであるだけない。
競輪は日本で最大のプロ選手数を誇るのだという。
男子選手だけで、現在3500人もいるという。
これに今度は女子選手が加わる。

競輪で身を持ち崩したとなると問題だが、競輪は年寄りにとっては、最高の娯楽であり、最高にボケ防止にもなっている。
これだけ少子高齢化した時代にあっては、貴重な娯楽だ。

かわいい女の子が走り、女性の競輪フアンが増えれば、競輪がもっと健全な遊びにもなることも期待できる。
そうしてきちんと市民に認められれば、赤字に転落し、市のお荷物になろうかとしている、広島競輪も、かってのように、市の財政に貢献できるようになるはずだ。

私は友達に誘われ、競輪はいままでに数回しかやったことがないが、これでまた1つ、老後の楽しみが増えそうだ。

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2011年1月19日 (水)

110番の日 ― 白神社前交差点の事故

1月10日、たまたま白神社前の交差点を通りかかったら、パトカーが10台近くも、赤ランプを点滅させて停まっていた。
白いヘルメットを被った警察官もかなりの人数警備に出ていた。

何事?
と、見れば、なんとパトカー2台と、軽トラックが衝突し、1台のパトカーは横が、もう1台のパトカーは前部が潰れていた。

1

パトカーが赤ランプを点滅させ、信号を抜けようとして、事故った?
にしては、随分とおかしなぶつかり方だな、と思っていたら、

翌日の新聞に、
「13,14歳の子供が盗んだ車を運転、パトカーに追跡されて、信号で挟み撃ちになって停まった」
と出ていた。

13歳と14歳の子供が運転?
そんなことが可能なの?
と一瞬思ったが、今の車は、殆どがオートマだから、子供に運転できないことはない。

目が見えて、ハンドルを回す手が動き、アクセルとブレーキを踏める足があれば、誰だって運転できる。
オートマ車は、マニュアル車と違って、クラッチを操作するという面倒なプロセスがない。

まあいわば、大芝の交通公園のゴ―カードと全く同じだ。
ゴ―カードを運転したことのある子供なら、本物の自動車を運転したくなったとしても、おかしくはない。。

だからといって、免許証もないのに、盗んだ車を運手して、いいということにならないのは、当たり前の話だ。

しかし、考えてみれば、日本の運転免許制度もまったくおかしい。

私の友人は、30年位前に、アメリカで免許を取ったというが、そのときは、
「まず警察に行き、交通法規等に関する○×式の30問位のテストを受ける。
いわば学科試験だ。
それに合格すると、いわば仮免ということになり、隣に免許証をもった人を乗せ、市内を運転してもいいということになる。
交通法規の試験といっても極めて常識的なことだから、日本のように、自動車練習場にいって、講義を受けて、勉強することなんてこともしなかった。
学科試験の費用は15ドルだった。
仮免の書類をもって、市内のdriving schoolと看板の出ているビルの2階の小さな事務所を訪ね、1時間10ドルということで、5回分払ったら、即その受付に座っていたおじさんと一緒に下に降り、事務所の前に停めてある、車に乗り、街中を走ることになった。「ギャス!ギャス!」といわれ、
「ギャス? 何のこと?」と、何をしろといってるのか、よくわからなかった。
まあスタートするにはアクセルを踏まなければ、車は動かないからと、アクセルを踏んでスタートした。
ギャスとは、アクセルを踏めということらしく、正解だったようだ。

隣のおじさんの側にはブレーキがついていたが、それにしても、いわば学科に受かっただけで、即街中を運転するのだ。
日本であれば、練習場内のコースで相当な時間の練習をして、仮免をとって、街中に出ていく。

ともかく怖くて、まさにそろり、そろりの運転だった。
他の人にはさぞ迷惑だったと思うが、そんなのはアメリカでは当たり前のことのようで、後ろから警笛をならされることもなかった。

5時間、そんな運転をしたら、もうお前はOKだから、警察にいって、免許証をもらってこいといわれた。
5時間運転しただけでは、とても怖くて自分1人だけでは、街中を走る気にはなれないと、あと5時間練習して、それから警察にいった。
自動車学校の車で、警察にいき、警察官を隣に乗せ、警察官のいうturn to the left, rightと、指示されるように走って、最後にthree pointといわれた。
なんのことかわからなかったが、その道が行き止まりになっていたので、ちょっと横道に頭を突っ込み、Uターンして戻ってきた。
どうもそれが、three pointということだったらしい。

運転免許証を115ドルでとった。

当時と今と物価がちがうといっても、いずれにしろ数万円で、免許証を取得したことになる。

driver's license だから、大型だろうが、タクシーだろうが何でも運転できた。

日本に帰って来て、日本の免許証の書き換えるとき、どうしますかといわれ、別に普通自動車の運転さえできればいいよと、他の資格は申請しなかった。
必要があれば、またアメリカにいって、取ってくればいいと思ったこともある。
いま思うと、勿体ないことをした。

酔っ払い運転もした。
死にそうになったこともある。
アメリカでは公共交通機関は殆どないし、タクシーだってないから、酔ったからといって、車で帰らないわけにはいかない。
自分は幸いにして事故は起こさなかったが、酔っ払い運転で事故を起こしたら、それこそ大変なことになる」
といっていた。

車の免許とは、そうしたもんだろう。
車庫入れがどうの、曲がり方がどうの、高速道路の走り方がどうのと、煩く言う必要はない。
車の運転はさして難しいことではない。
きちんと交通ルールさえ理解させるようにすれば充分なはずだ。

そうしなければ、自動車練習場がやっていけなくなるし、警察の仕事がなくなるから、そうしているとしか思えない。
車の免許証取得に関連して、沢山のビジネスが成り立っているのだ。

今から、アメリカ並みに免許証取得を簡単にしたら、困るところは沢山でてくる。
倒産する企業もあるだろう。

だからといって、このままの免許証取得のシステムを残していいとは思えない。

免許センターでの交通安全協会への加入の申し込みという訳のわからない制度もやり玉にあがったこともあって、随分と変わった。

盗難車を運転していたから、パトカーに追い掛けられ、挟みうちにあって捕まった。

今回の13歳、14歳の中学生の子供が運転しての事故を契機にして、
日本の運転免許制度をもう一度基本から考え直す契機にしたらいい。

それも1月10日、110番の日という日に、捕まったというのも何かの因縁だ。

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2011年1月18日 (火)

タイガーマスク現象

 昨年クリスマスに前橋の児童相談所の玄関にランドセル10個のプレゼントが置かれていた。贈り主は漫画「タイガーマスクの主人公『伊達直人』だった。

 こんな世知辛い時代に明るい話題を提供するニュースとして伝えられた。
 『伊達直人』と言えばや次の世代のにはなじみ深い人だ。当初施設の関係者は気付かなかったようだが職員の一人が『タイガーマスク』と気付いた。

 「タイガーマスク」と言えば40年前に人気を博した梶原一騎原作のプロレス漫画でアニメ映画にもなった覆面レスラーだ。「巨人の星」や「あしたのジョー」と並ぶ代表作で、孤児院育ちの孤児の『伊達直人』は「タイガーマスク」として正義の戦士としてデビューし、孤児院を支えるヒーローだった。

 ランドセルが、7日には長野でも「遅れて来たサンタクロース」でランドセル6個が届いた。
 その後『伊達直人』は沖縄や岐阜、静岡、神奈川、長崎と現金や玩具の文房具などを届けている。本日は広島県でも2人の『伊達直人』が現れたと聞いて嬉しくなる。
 いまや47都道府県全県に伝搬し遺憾なく発揮している素晴らしい連鎖反応だ。

 勿論、これらの『伊達直人』は同一人物ではない。『伊達直人』の善意の行為に感動した人達だ。決して裕福な大金持ちの発想ではない。更に、日頃市民に直接接する事の大きい議員さんでもあり得ない。彼らは公職選挙法で「寄付の禁止」を後生大事にしている人達です。従って、日頃から「社会の役に立ちたい」と言う庶民の誰でもが心の中に持っている優しいほのぼのとした気持ちの持ち主であり「貧者の一灯」と考えたい。」

 万一、ここに『新成人』がいたとしたらこれほど嬉しく「日本の明日に光を生む…存在」と、ひとり合点で想像してみる。
 菅さんや民主党は正月返上で政局に右往左往しているが『日本も満更捨てたものでは無い』と、新たな施策に活かすだけの知恵をしぼっては如何だろう…。

 この「タイガーマスク現象」は貧しい時代の日本に『自分は食べずとも与えた佳き日本人の心が』が脈々と生きている事を思い起こさせ、壊れてしまった地域に再びコミュニティーを再行為させる『絆』なのかもしれない、
 この現象はあくまで日本人本来の持つ善意の発露であり、当分の間長引いてひとりでも多くの心をくすぐり続けて欲しい…ものだ。

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2011年1月17日 (月)

正月飾りと行事

 正月の飾りつけは各家庭によって色々あるだろう。昔ながらの伝統に従ったものから最近では民芸的なお飾りも多いと思う。
 我が家のお飾りは玄関のかわりしめ縄に玄関の稲穂に民芸調のお重ねになる。
 床の間には三宝に乗せた御鏡にミカンご幣飾りが付く。隣に獅子頭と新春の花“水仙”を添える。掛け軸は布の生地にしめ縄風の飾りをあしらっている。

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 これらの正月飾りは暮れの28日頃飾り、松の内が明ける7日には撤去する。

 そもそも正月飾りは門松をはじめしめ縄、玉飾り、床飾り、掛け軸、生花、鏡餅などがある。が、我が家ではいずれも簡易的な民芸調で古式にのっとったものは無く、我が家流だ。
 しかし、正月を迎えるにあたって無くてはならないお飾りに定着してきた・

 これらは昔から29日の飾りつけは「苦立て」と言って嫌う風習があったようだが、今では余り気にされない…。

 松の内が終わると七草粥に1「鏡開き」だ。縁起を担いで「鏡割り」と言う言い方を避けるのが習わしのようだ。鏡開きでぜんざいや雑煮で正月行事も締めくくる事になる。
 若いころは気にしなかったささやかながら正月飾りと行事をひとつひとつこなす事が今を生きる上でとても大事に思えて、大切にしている。

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2011年1月16日 (日)

2011年の御来光

 我が家のベランダで迎えた今年の初日の出だ。
 西高東低の典型的な冬型気象に見舞われ北陸や山陰では24時間以上も雪の中に千台もの車が閉じ込められ全国的に荒れ模様の元旦に広島は意外好天に恵まれ、我が家では7時40分に御来光を迎えられた。

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 下の写真は4年前の御来光。僅かに、位置がずれているが、ほぼ同じ位置で姿を見せた。
 健康と幸運を心をこめて祈った。

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 下の写真は4年前の御来光。僅かに、位置がずれているが、ほぼ同じ位置で姿を見せた。
 健康と幸運を心をこめて祈った。

 初日の出は本来1月1日の日の出が水平線や地平線から姿を現す事を指すが残念ながら我が家で東のビル群から現す。

 日本では一年に一度の最初の夜明けとして「めでたい」とされ、初日の出参りを意行う人が多い。

 この習慣は明治以降に宮中行事が庶民の間に広まり、全国各地に日の出スポットがある。
 因みに、広島では宮島の彌山や尾道の千光寺、新しところでは平和公園もそのひとつだ。
 日本では一年で一番先に昇って来る太陽を拝む事が出来る場所と言えば富士山と相場が決まっている。従って、各地の見晴らしのきくスポットがあげられる。

 一年の始まりの日の出を特別なものとして拝み、祈る習わしは、初日の出と共に『年観様』が現れると信じられていた事に由来…していると言われている。

 特に神や仏を崇拝し信仰している訳ではないが自然な行動は年にも増してと病気の成せる業なのだろうか?何はともあれ春に向けて散歩の再開が出来る程度の健康の回復を果たしたいものだ…。

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2011年1月15日 (土)

3Dテレビがやって来た

 孫達の家が遅ればせながらテレビの扡デジ化をした。3Dテレビだ。
 高校生と中学生の兄弟はスポーツの迫力が楽しめるとご満悦だ。

 3Dは3次元コンピューターグラフィックの立体映像・音響で所謂『飛び出す映像』だ。
 昨年、3D映画「アバダ―」の影響で一気に「3Dテレビ」にも火がついて家電量販店の売り場も3Dテレビの占めるスペースが幅を利かしている。

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 3D映像は人間が左右の目で少しだけ異なる映像を見ている。この「視差」が能の処理で奥行きや立体感を生みだす特徴を活かして、右目用と左目用の映像を交互に1秒間に60コマ、計120コマを交互に高速再生する。これを専用の3Dメガネで見る…のが臨場感のある3D映像として楽しめる。
 この原理を活かした写真映像は子供の頃の雑誌の付録でもあったのをご記憶の方も多いと思う。

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 やって来たのは40インチ・ソニーの<ブラビア>。基本的には映像素材が3D無ければ普通の薄型液晶デジタルだ。しかし、驚いた事にスイッチひとつで簡易3Dに早変わりする。
 勿論、3Dは専用の3Dカメラで記録された映像が使われるが、残念ながら作品や制作体制が十分整っていない。従って、今年が3D作品の制作元年として特にスポーツ中継で威力を発揮する事に成りそうだ。

 3Dテレビは次世代テレビで一般的にはもう少し先のことと思っていた。
 思いもせず身近に3Dテレビが入り家庭のテレビはいよいよ「次世代の3D時代」に入ったんだ…と言う事を実感した。

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2011年1月14日 (金)

キャットストリートとうらぶくろ

先日、久しぶりに原宿のキャットストリートを歩いた。
相変わらずの賑わいである。
さすが東京だともいえるが、確かにここには人を引き付ける何かがある。

通りを歩いているとウキウキしてくる。

思い思いの建物の中では、それぞれ極めて個性的な商品が売られている。
バッグであったり、ジーンズ、帽子、靴だったりするが、それぞれにデザインされ、自己主張をしている。
ここはどんな品物があるかな、見て回るだけでも楽しくなる。
ルイブトンやエルメスのようにブランド品ではないから、それほど高くはない。
数千円程度の商品が多い。
誰でもが買える程度の値段だ。

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この街の楽しさはそうした商品にもあるが、両側に立つ建築が面白い。
通りの両側にある建物は、コンクリートとガラスの建物が多いが、そのデザインが皆違っている。
バルコニーがある建物もあるし、なんでこんなところに庇があるのというようなヘンテコリンな建物もある。
有名な建築家が作った建物というのはないし、仮設建築物かなと思うような建物もある。
どれもそれほど工事費がかかっているわけではない。
中には、昔からここにあったのだろう木造の住宅をお店に改装したような建物もある。
そしてそれらの建物が通りに面して、必ずしも並行に建っているわけではない。
道路からの離れて建っているのもあるし、道路にぴったりと建っているのもある。
ちょっと空いたスペースには木が植えられていたり、なんとも不思議なマネキンが置かれたりしている。
殆ど全ての建物は3階程度の高さであり、エレベーター、エスカレーターはついていない。
これはこの街の建物の大きな特徴だ。

道は歩行者専用になっているが、その道の太さも場所によって違っている。
このキャットストリートは、下を流れる川の上に蓋をして作られたというからか、道は緩いカーブをしている。
だから、そんなまか不思議な街並になっているのだろうか。

しかし車は駄目だと、きちんと排除している。
いつくかの基本的なルールはあるのだろうと思う。

ここには、普通、街には嫌われる電柱だってある。
それがまたこの街の味になっている。

どこかゆったりとしている。
随分といい加減な街だなと言ってもいいかもしれない。
そうしたことが嚙み合わさって、なんとも人間臭い雰囲気の街を作りだしている。
ここにくると、何か生きていることの楽しさすら感じる。

ここには、建設にお金がかかっていると思われるようなビルもないし、本通りのような、お金のかかるアーケードだってない。
沢山のお店が各人勝手に自己主張をしていることが、街の面白さ、楽しさを作りだしているのだろう。

今シャッター街になっているような街でも、ちょっと手を加えれば、この程度の街はすぐ出来そうな感じがしてくる。
それが出来ないのはどうしてだろうか。

広島でいえば、「うらぶくろ」はそんな街になりつつあるようだ。
期待したい。

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2011年1月13日 (木)

元安川の朝

1月4日、仕事始めの朝、元安川の川べりを歩いた。
北陸、東北地方は大荒れの新年だったというが、この日の広島は、昨晩の雨もあがり、朝陽がまぶしい朝だった。
真っ青な空、朝陽に光る川面、川面に映るビルと木々の緑、陰影がくっきりし、なんとも美しい。
その向こうには権現岳の山並みも、素晴らしく奇麗だった。

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以前は元安川の川沿いの道にズラーッと沢山の車が駐車していたが、そんな車もいなくなり、川べりからは、大手町地区のマンション等の建物も見えるようになった。

数年後には、西村氏デザインの平和大橋の新しい歩道橋も完成する。

広島の街は立体的であり、海、山、川、ビル、船等多様な要素が揃っている。
東京から来た友人は、一様に、こうした広島の景色の素晴らしさに感激する。
広島に長く住んでいると、こうした美しさが当たり前になってしまって、何にも感じなくなっている。

正月という特別な日に改めて街の美しさを感じだ。

「故郷は 遠くにありて 思うものなり」
かな・・

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2011年1月12日 (水)

プリントバッグ

妻につきあって、歩いている途中に寄ったお店で、DKNYのバッグを買った。
冬に白地のバックもどうかと思ったが、形、ブランドもさることながら、綿の生地にニューヨークの新聞記事をプリントしたデザインも面白いし、それを樹脂でコーティングしている技術がまた面白いので、つい買ってしまった。
もともとの値段もさして高くはないが、それがセールになって、2~3割安くなっていたのにも釣られた。
まんまとお店の策に嵌ったわけである。

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こうしたプリント模様のバッグは、今ではそれほど珍しいことではないが、
先日、スエーデンだったかのメーカーが、運送会社のマークの入ったトラックの幌のキャンバス生地をカットして作ったバッグが、それ自体がデザインになっている面白さと、1品1品、全てデザインが違うということが受け、爆発的に売れたと報じていたのを見た覚えがある。
当然そんなに高いわけはないし、幌の生地をリサイクルしているということも環境にいいということも、評判になったようだ。

数万円もするルイブトンのバッグとかとも、基本的には製法等の技術も同じなんだろうと思う。

このバッグは8千円位したが、先日本通りのお店で買ったもっと大きく、同じような作りのバッグは千円だった。

ネットで検索してみると、こうしたプリントバッグはわんさか売られている。
中には数百円というのもある。

販売価格は数百円から数万円と大きな開きがあるが、原価は、どっちにしろ、たいした額ではない。
問題は、それをどう上手く売るかだろう。

ビジネスチャンスなんてどこにでも転がっているということだ。
それを上手くチャンスに出来るか否かが、勝負の分かれ目になるというのが、また面白い。

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2011年1月11日 (火)

ど根性リンゴ

長野県佐久市のリンゴ農家が7月に降った雹(ひょう)の被害に遭って傷つきながらも立派に実をつけたリンゴを「ど根性リンゴ『ドコリン君』」と銘打って売り出した。
郷里の農家の窮状を知った友人が取り寄せ、お裾分けを頂いた。

佐久市の望月地区は7月に降った雹に当って傷つき落下してしまう大きな被害を受けた。
傷つきながらも最後まで頑張って実った根性のあるリンゴと言う意味で『ドコリン君』が名付けられた。
商品として市場には出荷できないが、味は変わらない…と自信を持っての提供です。

佐久市では7月1日に、広範囲に直径1センチの大きな雹が降り、望月地域では18㌶が被害を受けた。この地区では例年540トンの収穫がある有数の産地ですが、ほぼ全滅状態の被害が出た。
傷ついて選果の手間がかかる一方、加工用では価格が安くなってしまう。
市や農家が「収入につなげられないか」と検討し、目を引く商品にしようと、傷の少ない物を「ど根性リンゴ」と名付けて売り出す事を決めた。
シールを張って色付かせ「根性」の文字を入れたリンゴも用意した。
絆創膏張ったリンゴのキャラクターも考案した

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私も頂いた直後、早速食べてみた。味は一級品です。リンゴ農家のご努力が少しでも活かされるならこうした取り組みは全国的に波及する事が期待される。

この冬の間現地の直売所で販売されているが、電話注文も出来る。

価格はよく判らないが、市場価格の半分にも満たないかも知れない。しかし、農家にとっては加工品に回すより佳いのだろう。全国から一つでも二つでも注文があれば農家の元気に繋がるエールになる。

問い合わせ:佐久市望月支所<0267-53-3111>

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2011年1月10日 (月)

畳の張替

 一般家庭の暮れの行事の一つに古くから煤払いに大掃除と畳や襖の張替えがある。
 マンション住まいでは殆んど忘れられた行事?の様に思う。
 我が家は10年前に小さな4LDKを2LDKにリホームして以来の畳の張替をした。

 新聞の折り込み広告で申し込むと2泊3日の予定で引き取り、配達据え付けをしてくれる。
 10枚の畳はいとも簡単に一人で持ち帰った。花梨のテーブルや椅子等重い家具もスキーのような道具を使って簡単に移動して30分で引き上げた。
 安佐北区白木町の業者は中国地方一円が営業範囲で鳥取や萩にも出かけている…。

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 我が家は前回「高級備後表」を使用しているので裏返して使えば良く、結果的には安上がりだった。

 畳み表と言えば嘗ては「備後表」と決まっていた。江戸時代からの産地で幕府への献上品の一つだったが最近では安い中国産に押され、しかも国産の90%は熊本の「肥後表」になり「備後表」の影は薄い。
 面白いのにはイ草に代えて和紙を織り込む「和紙畳」が人気を集めているようだ。
 日焼けしないのが特徴だがあのイ草独特の青臭い畳の匂いは無い…。

 昔から「女房と畳は新しい方が…」と言う俗な格言?がある。この本当の意味はあまり知られていない。…畳を大切に扱う、同じように陰で支えてくれる女房の労をねぎらう、そうすることで、互いに新鮮な感じを持つ事が出来る…と言う訓戒…。
 下世話に使われる意味とは正反対の意味がある…事を、改めて知り確認できた。

 私達の子供時代の通学路沿いには鍛冶屋に畳屋、自転車屋、散髪屋等があって時折、顔見知りのそれぞれのお店で邪魔に成らないように遊ばせてもらった…経験がある。
 職人さんの動きや作業を黙って見も守るなどが出来た時代。実家の畳代えは全部の部屋を一斉に代えるのでは無く、2~3部屋毎に代えるのが暮れの行事だった…。

 我が家の次の畳代えは早くても7~8年後か10年後…に成るのだろう。
 思わぬ暮れの行事?で、新しい畳の匂いを嗅ぎながら新年を迎える事になった…。
 気分一新である。

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2011年1月 9日 (日)

琴欧州の国から来た“柔チャン

暮れに、友人の悦子さんの紹介でブルガリア人のリュボフ・カラボヴァさんに会った。
30年前に社会主義体制下のブルガリアに一月余り取材に出かけた経験がある…ことが出会いの契機になったようだった…。
彼女は首都ソフィア生れ、ナショナル・スポーツ・アカデミー出身の38歳の女性柔道家だ。
がっちりした人を想像していたが163センチ52~3キロで闘って来た体格は以外にも華奢な感じのスマートで端正な顔立ちの美人だ。

日本でブルガリアと言えば「大関・琴欧州」の知名度が一番高い。レスリングの欧州ジュニアチャンピオンだった彼はオリンピックを目指していたが無差別級が廃止になったのを機に初めて欧州から大相撲の世界に入って来た事はよく知られている。日本との付き合いは以外にも1939年の三国同盟時代と以来と古く、政府間交流は盛んだ。しかし、それでも東欧州の「EU加盟国]とは言えまだまだ遠くよく知られていない国だのひとつだ。

彼女は<B・F・C :Bulgarian Friendship Club>ブルガリア・フレンドシップ・クラブと<Build peace ・Fight violence ・Cooperate >「 核や戦争や暴力を無くし平和拡大を考え実践する連帯」の『語呂合わせ』を結んだユニークな発想で国際交流に活動に取り組んでいる広島在住で唯一のブルガリア人平和活動家でもある。

中学生12歳の時初めて柔道に出会った。柔道を見た感想は「白いパジャマを着て礼をしながら取り組む姿」が滑稽で笑いが止まらなかった。しかし、指導者の勧めでその日の内に柔道を始め、感覚の鋭さとセンスの良さで初出場した大会で3位になった。

スポーツ万能だった彼女はめきめきと頭角を現し国立のスポーツ大学に進み、国際柔道連盟の5段に昇段した。‘92年のバルセロナ・オリンピックのブルガリアの代表選手になったが、3ケ月前にケガをして残念ながらオリンピックには出場が出来なかった。

‘94年には福岡で開かれた世界大会のブルガリア代表で初めて日本にやって来た。
所が、登録手続きの手違いでこれまた出場できなかった。

彼女は中学生の時、原爆ドームをあしらった広島のポスターを手に入れ、何時か日本へ行き「ヒロシマへ行きたい…」と思っていた。
福岡大会の不出場は彼女にとっては思わぬ「ラッキー」となつた。試合に出場出来ない合間を縫って一人で広島にやって来ると云う運命的な出来事に発展した…。

原爆資料館や原爆ドームに平和公園を一日中巡って「ヒロシマの思い」に慕った…。
思わぬヒロシマ訪問が少女時代から培った平和への取り組みの心に灯を付けた…。

‘95年にはブルガリアへ柔道の指導に来ていた日本人青年と結婚した。日本へのあこがれが結びつけた要因だった…と分析する…。
新婚時代をブルガリアで過ごした後、東京に来て5年を過ごし、柔道指導員の夫と共にエジプトで3年間暮らした。この間彼女も更に腕を磨き‘06年に6段の赤帯に昇進した。因みに、日本の女子柔道界のエースだった田村亮子選手(5段・黒帯)のことを考えると、彼女の存在の大きさが理解出来よう…。

07年には夫の郷里であり夢にまで見た広島にやって来た。
しかし、広島での生活は決して楽しいものではなかった。
夫の失職に暴力?など思いもしない出来事が降りかかって来た。
2人の子供に恵まれたが夫とは性格的にうまく行かず、今は別居状態が続いているが
友人、知人の支えがネアカの彼女を一層逞しくさせている…。

広島へ来るまでは英語が堪能な彼女の周りには英語が話せる人達が集まって、言葉に不自由無く過ごした。しかし、今となっては「逆に日本語の上達が遅れた」と振り返りながら、日本語の勉強にも磨きをかけている…。

国際規約によって結婚等で3年の指導資格が途切れ、今は国際柔道家として指導が出来ないのが如何にも無念のようだ。が、得意の英語の先生を中心に親子3人の暮らしを支えて頑張って来た。
彼女を支援する為に子供から大人まで英語と柔道を学びたい親子を是非彼女に紹介して欲しい。希望者は090-8600-9412<グランパ・佐々木>までご一報ください。

彼女はいま「柔道指導が出来ないのは寂しいが、お金は無くても、明るく楽しい人生を生きており、マイナスは無い…」と実に天真爛漫だ。
数少ない女性国際柔道の指導家として復活の道を探りながら英語とブルガリア語の指導をしながら、<B・F・C>の活動目標を目指している。

彼女に<B・F・C>の交流を立ち上がらせたのは大きな理由があった。
二国間交流の既存の友好協会に参加して監査を担当していた。たまたま協会の会費の支出を巡って『疑問?』を指摘したが、受け入れられなかった事に発している。
個人の意志で自由に会費が使われ、県や市の助成を受けながら、毎年観光旅行?に出かける事が目的のようになっている協会の存在そのものに強い不信と疑問を感じた。

規約も会費も今のところ無く「緩やかな交流」を目指して夏に立ち上げた<B・F・C>は既に100人を超え順調に国際交流組織に発展中だ。
当面、祖国の子ども達を広島にホームステーで招き真の国際平和交流を目指している。

年始、早々には昨年秋に広島を訪れた世界遺産「バラの谷」の街カザンラク市長から託されたバラを平和公園の「世界バラ園」に植える事業に参加する計画だ。

彼女の活動は始まったばかりだが彼女が播く種は着実に国際平和交流団体として芽を育み発展しつつあって、大いに期待出来そうだ…。頑張れブルガリアの「柔チャン」…。

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http://bfc-h.jimdo.com/

http://burugariaryouri.jimdo.com/

問い合わせ:<タウンNEWS広島平和大通り>グランパ:090-8600-9412

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2011年1月 8日 (土)

アニメイト Animateとマンガミックス産業

大手町のデオデオ店と鯉城会館の細い道を入ったところにanimateはある。
1階はコミック雑誌とCD、DVDのお店だ。
店内はかなり広い。

1階のお店を一旦でて、小さなフィギュアのショーケースの脇の階段をあがると、ワーッという感じで、フィギュアやアニメに関連した膨大なグッズが所せましと並べられている。

そうしたグッズを抱えた若者が、レジの前には行列をつくって並んでいる。

凄い熱気だ。
2階に上がる階段の入り口はトンネルを入るような感じだが、秘密の入り口といったようなシャレた雰囲気はない。
知っている人はどうぞ、ご勝手にといった、なんとも殺風景な入口というのにだ。

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衣装を買って着れば、そのマンガの主人公にもなれる。
コスプレといわれる世界だ。
コスプレのコスチューム来た女性がサービスをしてくれるお店だってある。

マンガ喫茶にいけば、コーヒーを読みながら、沢山マンガも読めるし、
パソコンでアニメも見られる。


マンガの出版、キャラクターの製作、カフェ茶等、マンガに関連して多種多様なビジネスが生まれている。
気が付けば、いつのまにか、強烈なマンガミックスの産業が育っていたというわけだ。

これがクールジャパンというのだろう。
改めて感動した。

アニメのキャラクターも黄色い髪の毛の少女であり、青い目の男であったりし、どこの国の人間がさっぱり分からない。
それでいいのだ!

大手町1丁目周辺にはアニメイトのようなお店が他にも数件ある。

ヨーロッパの絵画、彫刻、小説の世界には、ここまで徹底した連続性のある文化はない。
広島市現代美術館の入館者がどんどん減少するのは当たり前だと、思えてくる。

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2011年1月 7日 (金)

スヌーピー・ハッピー パーティー

12月26日(日)、そごう9階の催事場で開かれていたスヌーピー・ハッピー パーティーの展覧会を見に行った。
暮の日曜日の最終日ということもあってか、凄い混雑だった

殆どの人が招待券を手にしていた。
1枚で2人入れる。
入場券を買えば、1人500円だ。
私も、買物をしたときにもらったのだろう、招待券で入った。

スヌーピーのマンガは、子供の頃、よく見た。
どこかアメリカ的な豊かさとほのぼのとした雰囲気は、楽しい世界だった。

展覧会では、主人公のスヌーピーやチャーリー・ブラウンや登場人物たちの表情が、連載が始まった1950年代の頃から亡くなる2000年までの間に、徐々に変化していくのが紹介されていた。
そんなに変化しているとは、全く気付かなかった。

大きなスヌーピーの人形が乗っている犬小屋のトンネルがおかれ、子供たちがくぐれるようになっていたり、木製のベンチにシャーリーブラウンの実物大の人形が置かれ、自分の子供と写真が撮れるようになっていたりしていた。

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今回の展覧会は、作者のシュルツ美術館と提携しての開催だというが、こんな仕掛けは、いわゆる美術館ではなかなかしない。
もっと絵の歴史的背景とかが細かく説明され、客は静かに絵を見るというのが普通だ。

会場を出ると、スヌーピー関連のグッズ売り場が展覧会場の半分くらいの規模で設けられている。
マグカップ、バッグ、フィギュアマスコットトラップ、カレンダー、膝かけと一通りのグッズが売られている。
会場を出て、そのまま真っすぐ帰る人はいない。
グッズ売り場は凄い人だかりだった。

グッズを買うだけなら、ネットでも買える。

客は、展覧会をみて、スヌーピーに触れ、そしてグッズを買う。
デパートは、商品をイベントの一環として売る。
デパートのこれからのあり方を見たような気がする。

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2011年1月 6日 (木)

リミッティング・ビリーフとオリンピック広島大会

12月23日の朝日新聞朝刊スポーツ欄「2010余話」に、原田亜紀夫氏が、
「広島の限界?そんなものない」というタイトルの、ちょっと面白いコラムを書いていた。

広島皆実高校サッカー部の藤井潔監督は
「試合までに、どれだけ選手たちの『リミッティング・ビリーフ』を取り除いてやれるかだ」
といったという。

「リミッティング・ビリーフとは『できっこない』『勝てっこない』」ないというネガティブに思い込みのことだ」という。

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リミッティングは限界ということであり、ビリーフbeliefとは、believeの名詞形だ。
このリミッティング・ビリーフという言葉は、もともと心理学の用語で、スポーツ関係ではよく使われているらしい。

改めて、ネットで調べてみると
「リミッティング・ビリーフは、私たちの物の見方や考え方、感じ方を制限する『信念』や『思い込み』のことです。
リミッティング・ビリーフは、本来ならば自然である『自分らしい思考や感情、行動』を実現しようとすると、否定的に作用し、悩みや苦しみ、痛み、症状等を作り出します。
そして、わたしたちは『自分らしさ』『本来の自分』から遠のいてしまうのです」
と書かれている。

そういわれて見ると、私にも心当たりがある。
学生の頃、私もサッカーをやっていたが、伝統校に対しては、試合する前から気後れがしてしまい、試合が始まるとやたら相手の選手が上手く見え、とても勝てそうにないと諦めていたことがあった。
当然試合には負け、そしてしょうがないよな、とそれほど悔しくもなかった。
挙句の果てに、「こっちは怪我をしている選手もいたし」と言い訳まででてきた。

そんなことで、上手くなるわけもないし、勝てるわけもないということは、こうしていわれてみるとよくわかる。

広島にオリンピックを誘致することについても、広島市民の多くが『オリンピックなんてできっこない』と端から決めつけている感がある。

どうしたらオリンピックを広島で開くことができるかという可能性について、検討することすら「オリンピックありき」の議論はおかしいともいっている。

それは、まさにリミッティング・ビリーフという「オリンピックは広島で出来るわけがない」という否定的信念の状態に陥っていると言えるのではないだろうか。

新しく商工会議所会頭になった深山氏は「実現するにはいくもの問題をクリアしなければいけないが、広島でオリンピックができたら、それは素晴らしいことだ。」といっている。

広島市でオリンピックをやることに、国内でも今現在177都市もの市長が応援してくれている。

そんな沢山の応援団もいるのだ。
それならここでひとつ、広島皆実高校の藤井監督のいうように、知恵と情熱でリミッティング・ビリーフを取り除くことを考えてみたらどうだろうか。

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2011年1月 5日 (水)

スゴイと思うオバマの政治手腕

年末・年始は、マスコミでも一年を振り返る特集が沢山あると思いますが、日本の停滞している政治に比べ、オバマ政権は本当にスゴイと思います。これは 単に隣りの芝生ということではありません。

オバマ政権は「チェンジ」を掲げ、大きな支持を受け誕生し、発足前から、その精力的な動きには目を見張るものがありました。

しかし、アメリカの状況は日本より遙かに複雑で困難です。更に、この世界情勢に加え、国内でもティーパーティーなど草の根保守の台頭などで、非常に苦しい状況に追い込まれていました。そして、11月の中間選挙では「歴史的大敗」をしました。

ところが、それにも関わらず年末も迫ってから、どれをとっても困難だと思われていた法案を、立て続けに4本も通してしまったのです。ねじれ国会に与党分裂という状況は日本と似ていますが、結果はまるで違います。

公約に反するとも思える「ブッシュ減税」を丸呑みすると同時に、急激に世論として浮上し共和党を押し上げたティーパーティーなど草の根保守のイデオロギーとは絶対に相容れないであろう「対ロシア核軍縮条約の批准」「911テロ時の救急出動者への医療の無償化」「軍における同性愛の自由化」などを通したのはお見事という言うしかありません。

大統領と首相の権限、ホワイトハウスと官邸の差もあるかも知れません。それでも、NBCが「議会にこんなに仕事をさせたのはジョンソン大統領時代以来」だと報じていますから、オバマ大統領はアメリカでも秀逸な大統領と言えます。

選挙対策ではなく、必要な法案を通すために、国民への説明、与野党一人ひとりの議員に対する説得などは「そこまでやるか」と思うほどで、こういう政治があるということは、日本でも報道して欲しいものです。
日本の政治家が見習うべきことが沢山あります。

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2011年1月 4日 (火)

ジュンク堂 天満屋店

2010年10月、天満屋の7・8階に書店ジュンク堂がオープンした。

エレベーターを上がっていくと、目の前にドーンと書棚が現われる。
建築デザイン系の本がズラーッと並んでいる。
建築デザイン系の本は、大きく、分厚く、立派だから、かなりの迫力だ。
膨大な量の本が、建築家毎に分類されている。
あの建築家はこんなに本を出しているんだと改めて感心する。

こんな凄まじい量の建築系の書籍があるのは、図書館だけだろう。
ここが書店とはとても思えない。

売り場面積1,220坪、120万冊だという。

テレビが現れ、活字離れがいわれ、ネットで本を買うようになって、出版社も書店がどんどん潰れているという話を聞く。

それがどうだ、この本の量の凄まじさは。

圧倒されただけではない。
本の間を歩いていて、妙に興奮してきて、何冊も買ってしまった。

そごうの上にも紀伊国屋書店があるが、それとはまた違った興奮がここにはある。

通常、本は新聞の書評欄を見て、アマゾンで買うことが多い。
箱を開け、読みだすと、期待と違うことが良くあり、全く読まず、そのまま本棚に飾られている本が何10冊もある。

ここなら一応中を見てから買うから、期待と違ったということはまずない。
ネット情報では得られない本も多い。

棚から本を何冊も出したり、戻したりしていると、改めて先人たちの知識の凄さを感じる。

ここは歩くだけでも楽しい。
「知識の公園」を歩いているような楽しさがある。

脇にあるタリーズ・カフエで、さっき買ってきた本を拡げて読むのが、またいい。
ケーキセットが680円だ。
何か随分豊かになったように感じる。
ネットで得るのは、消耗品としての情報であって、知識ではないように思えてくるから、おかしい。

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こんな街の散歩の仕方もあるんだと、新たな発見をしたように感じた。
おかしい。

街を散歩するのもまた楽しくなった。

しかし随分とお金がかかる散歩だ。
しかしこの1冊の本を書いた人はどれほど勉強し、凄まじい時間とエネルギーを費やしていることを思えば、どんな高い本も安く感じられる。

亡くなった父親は、私が学生の頃、本を買うお金をくれといえば、黙ってだしてくれた。

広島にまた1つ楽しみが増えた。

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2011年1月 3日 (月)

広島ルミナリエ+広島ドリミネーション

12月に入って、本通り商店街のアーケードの垂れ幕が、イルミネーションに変わった。
奇麗だ。
LED電球3万球を使って「神秘の海」を表現したという。

年末のクリスマス気分を盛り上げている。

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平和大通りのドリミネーションは、お城や、船、馬車といったといった具象的な形が主だが、こちらは幾何学模様の品のいいイルミネーションになっている。

商店街のイルミネーションは、阪神大震災の復興のシンボルとなった神戸ルミナリエが有名だが、本通り商店街のイルミネーションも、広島ルミナリエといっていいレベルになっている。
ルミナリエluminarieとはもともとイタリア語でイルミネーションの意味だという。
神戸のルミナリエの固有名詞ではないようだ。

それなら広島本通りルミナリエとして、もっと充実したらいい。

本通り商店街にはアーケードには白いテントがかかっているが、それをもっと上手く使ったらどうだろうか。
例えばレーザー光線で、銀河系の無数の星の流れを表現し、その銀河系の流れの中を、折り鶴が飛ぶようにすれば、広島らしいルミナリエとなる。

LEDの赤や黄、青といった色を使えば、色とりどりの銀河系ができそうだ。
銀河系が流れ、折り鶴が東から西に、西から東に飛べば、もっと楽しくなりそうだ。

本通りは両側のお店が明るすぎるから、テントに模様を映しだすのは結構難しそうだが、工夫の余地はあると思う。

そうなれば、広島本通りルミナリエ+平和大通りドリミネーションとして、二つが一体になれば、広島の年末はもっと楽しく、賑やかになる。

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2011年1月 2日 (日)

Keiko LeeとSpeak Low

12月12日、ジャズ・カフェ Speak LowでKeiko Leeのコンサートにいった。
Speak LowのHPから、1カ月以上前に申し込んだのに、日曜日の夜の8:30からの席しか取れなかった。

当日、立ち見席には数十人がたっていた。
座り席は50~60席だから、立ち見席をいれても、客は100人にもならないだろう。
会場となったお店は白と黒を基調にした随分とオシャレなカフェだ。
来ている客も、普段街ではあまり見かけない随分とオシャレな服装のカップルが多かった。

Keiko Leeのボーカルも、都会的なシャレた雰囲気のジャズだ。

Keiko Leeは在日3世だという。
ハスキーな声で歌うジャズのスタンダードナンバーも何曲かあり、オリジナル曲も日本人的な感覚で歌うからだろうか、随分と親しみやすい。

Keiko Leeは、元々はクラブでジャズのピアノ伴奏をしていたというが、アンコールの弾き語りが特に良かった。
フアンの多いのも解る気がする。

Keiko LeeのCDは何枚も持っているが、記念にと改めてCDを買い、サインをしてもらった。
握手もしたが、細く長くしなやかに指に、ちょっとびっくりした。

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広島市内には何軒かジャズのライブの店があるが、それぞれちょっとずつ雰囲気が違う。

次はどんなコンサートをするんだろう。
広島にまた1つ新しい文化が生まれた。

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2011年1月 1日 (土)

「ポーランドの至宝展」は県民への正月プレゼント

 レンブラントのモナ・リザと呼ばれる「鏡の中の少女」などポーランド王室のコレクション展が押し迫った15日、県立美術館でオープンした。
 一か月足らずで東京で20万、大阪で23万と動員した「ポーランドの至宝展」は県立美術館始まって以来初の正月返上で12日まで無休で開館する。美術フアンの県民への思わぬ『お正月プレゼント』となりそうだ。

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 久しぶりの美術館を堪能した。
 額縁に手が掛ったレンブラントのモナ・リザと呼ばれる名画『鏡の中の少女』と『机の前の学者』のレンプラント作品2点はカーテンで仕切られ薄暗い荘厳な王宮の部屋の雰囲気に包まれている。薄明かりの中に佇む少女は今にも歩いて近づいて来そうな感じだ。
 日本初公開のレンブラント36歳の時の代表作だ。
 見る人を釘付けて展示室の動きが無い…。

 ポーランドは嘗てヨーロッパの大国として栄えた土壌を育んでいる国としても知られる。
 第二次世界大戦でナチによって瓦礫になったワルシャワ旧市街を展示されている絵画を参考に民衆の手で甦った街は‘80年に「破壊からの復元」が評価されて世界遺産に登録された。王宮の貴重なコレクションを守り抜いている事にも象徴され、広島展の大きな意義づけを成している…。

 ここには、ワルシャワのシンボルでもある王宮と歴代国王の居城が全面協力して絵画、工芸、彫刻をはじめ国立美術館のコレクションから19世紀のポーランド絵画の至宝が集結。
 ショパン直筆の書簡等の資料等も合わせて140点がポーランドの魅力に迫っている。

 嘗て県立美術館は官庁と同じ御用納めから御用初めまで一週間の閉館は当たり前だった。
 たまたま私が事業担当になった13年前、親しかった事務局長にこんな企画を持ちかけた。
 三が日で数十万人が参拝する護国神社を控えた美術館の閉館は勿体ない。初詣後に行く所が無い人は多く街に溢れている。2日から開館すれば一日2~3千人入場しても大変…と。
 RCCの周辺に立て看板を用意して「お帰りに、開館中の県立美術館へ…」と協力した。

 県市の関連組織の民営的経営が話題になり始めていた事も手伝って、早速実行に移され初年度から成功した。爾来、大晦日と元旦を含む数日の休館だけで維持してきた。
 しかし、年末年始を全部返上して開館するのは初めての試みだ。
開催期間が4週間と短い事も手伝ってか?「それに値する企画」が当てはまった…と言えそうだ。ヨーロッパに数ある至宝の中でも指折りの展覧会…と言える。
 美術フアンならずとも『県民への正月プレゼント』だ。
 この一点『鏡…』だけでも観る価値の高い美術展だ。是非、この機会にご覧頂きたい。

 開催期日は~1月12日(水)県立広島美術館:中区神幟町2-22 Tel:082-221-6246

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