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2010年12月

2010年12月31日 (金)

「被爆者認定基準」見直し作業

 原爆症認定制度を見直す検討会が始めた。

 原爆症の認定基準は集団訴訟で国の相次ぐ敗訴で見直され、2008年4月から①被爆地点が爆心地から3-5キロ以内②投下から100時間以内に2キロ以内入市③投下から2週間以内に2キロ以内に1週間滞在…の条件を設定。ガン、白血病、副甲状腺機能亢進症、白内障、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、肝機能障害、を積極認定する、それ以外は別個の総合判断する…。この結果、常に予算枠にはまる2000人しかいなかった認定患者は訴訟・和解を中心に6400人に増えた。

 所が今年度の場合で見つと7~9月に処分を決めた認定申請1800件余りで認定は350件、却下は1500件余だった。4~6月間の認定率は15%、今回は19%で殆んどが「放射線起因性が認められない」と言う却下理由になっている。

 嘗ては1%以下の認定患者の「積極認定基準」はかなり緩和・改善されたとはいえ、それでも被爆者が制度の見直しを求める背景には、結果的に爆心地から近距離で被爆した場合しか認定されておらず、対象の病気も増えていない点がある。

 今回の見直しについて厚生労働省は菅総理が8・6式典で平成17年度に行った実態調査を活用して「見直し検討をする」との発言がベースになっている…と説明している。

 私はこの時の実態調査項目の検討委員を務めたことから「『…実態調査』解析報告書」が忘れた頃、先日になって厚労省から送られてきた。

 17年の調査は厚労省が10年ごとに行っている被爆者健康調査で初めて海外にいる被爆者も3000人余も在外公館を通じて対象に加えた。

 調査では日常生活の中で誰かの手助けや見守りが必要と考えている被爆者は40%と一般の12%より高く、在外被爆者は「被爆者である事で苦労や心配がある…89%」「老後の生活」「経済上の困窮」をあげている。
 この調査は既に5年前で老齢化はされに進んでいる事を考え合わせると実態に沿った見直しが進められるか、「放射線起因性」の判断をどう進めるか…が大きな課題になる。

 検討会は月一・ペースで行われるが来年度以降も国の予算は厳しい。しかしあくまでも
国家補償の精神を活かし、積極認定を強化する形で「国の積極認定」が看板倒れにならない事を…祈りたい。

 再度、審査却下を受けた高齢被爆者達が長時間かけて更に訴訟に持ち込むことが無いような制度見直しを注文したい。 <10日:記>

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2010年12月30日 (木)

吉本氏「京都一年滞在記」④

京都にいるときに読んだ本で感じたこと。

加賀乙彦「不幸な国の幸福論」「悪魔のささやき」

この精神科医の2冊はお勧めです。経済的には豊かになったように見えるが、年間3万人を超える自殺者が出ている。うつ病や子供の虐待など精神的病理がとても増えている。
これらの問題に精神科医の著者が今の日本を分析しています。
情報が一方的に流れてきて幸せの概念が偏ってきている。経済的に豊かになればすべて幸せになれるとの概念が定着してきている。だが人はそれぞれ個性があり幸せは個々人が作るものである。この基本が今狂い始めているのが原因ではないかと?資本主義は欲望を煽ることで発展する社会です。自力だけを求めて進んでいけば全員がすべて良くなるとは思えません。もう一回今の自分をしっかり見つめなおして、自分にあった幸せを作るべきだと著者は訴えています。そのためには「不幸を幸福に変える心の技術」を見つける必要があると思います。人間は体の健康にはいろんなことに努力しています。これも大切なことだと思います。でも心の健康のための努力についてはあまりしていないように思われます。
そのためには心を鍛えて生きて行く、これが「不幸を幸福に変える心の技術」ではないでしょうか?

養老孟司「養老訓」を読んで
現代人は概念的思考が強くなってきている。感覚的思考が衰えている。
概念的思考とは「違うものを同じにすること」それには言葉がとても大きな役割を果たしている。「現代人は概念的思考が優先して、感覚的思考が後退していることです」つまり頭でっかちになって目の前が見えなくなってきている。都市化する脳ともいっています。
すべて合理的にしようと考える。これはいいように思えるが良く考えると大きな問題を抱えている。例えば不合理なものとして死に向かって生きている事実とか病気にかかるとかも不合理なものとして考えるようになってきている。概念的思考が中心になってくると皆同じ考え方をするようになってくる。
これの一番大きな原因はテレビである。個人の視点が消えカメラを通しての全員同じ目線で見る概念的思考を強めることになる。
今よく政治家が口癖のように言う「国民目線」これなどはとてもいい例だと思われる。
「国民って」誰?年収100万から年収数億円の人々が皆国民です。
国民って何処を指すのでしょうか?
朝のみのもんたが国民の代表のような発言をして人気取りに躍起です。
でも彼は年収数十億円稼いでいる人です。彼くらい稼いでいる人がいかにも底辺の人の立場に立ったような国民発言に惑わされているのがテレビです。

和田秀樹「テレビの大罪」この中にも同じことが書いてあります。
テレビは犬が人をかめば放送しないが、人が犬をかめば放送する。
珍しいことを放送することで興味を引き視聴率を上げようとしている。
政治のことなども批判することだけは得意だけれどもテレビ自体のビジョンは何もない。
コメンテターと称する人たちに語らせて事実についてはその人の責任にしている。
コメンテター自体がいかにも知ったかぶりして適当な刺激的なことを話す人ほど重宝される。テレビはうそではないけれどかなり歪んだ事実を一方的に流すことによって真実に見せかけようとしている。そんなテレビ自体を考える時機が今来ているのではないでしょうか?単純思考を大量に作るテレビは「生きにくい人を大量に作る」ことになっている

この4冊の本は現代のわれわれに教えてくれる優れた本でした。
今情報が大量に流される時代われわれは自分で考え自分の生き方を見つけなければ
自分の幸せは見つけられないと学びました。そのためには「ますます本を読む」これしかないなと思いました。

このことから考えたこと。最近の料理店のことについて概念的思考の現代人は雑誌などで取り上げられた店に異様に並んで集中するようになっています。
若い人から年寄りまで並んでいます。ラーメーンなどは若い人と年寄りでは味覚が違うのに不思議です。
ですから店屋も雑誌で取り上げてもらうように個性を強く打ち出して雑誌に載れば
美味しいとの概念作りに精を出しています。
京都で並んでいる店は全部旅行雑誌に取りあげられているところです。
概念的思考を増えているのをうまく利用した商売です。
皆と同じ考え方、共通感覚でいたい現代人。そのほうが楽だし無難だと考えていると思われます。でもそれではなかなかうまくいきません。しっかり自分を見つめ自分を作っていく以外に自分の人生はないと思われます。最近「正義の話をしよう」が売れています。
まさにこの本こそ自分で考え自分の哲学を見つけよう、と問いかけている本だと思います。

京都での1年間とても楽しい1年でした。今でもあの綺麗な紅葉は忘れられません。
作られた美しさです。少し歩けば色んなお寺がありそこを散歩できとても落ち着くことが出来ます。大都市でこんなところは京都だけでしょう。京都に住む人たちは京都のお寺にはほとんど行きません。もったいないと思いますが住んでいれば判るような気もします。
観光としての京都と住む京都とは確かに違うのかもしれません。私たちは観光としての京都が好きなのかもしれません。

春と秋には毎年京都に行こうと心に決めながら観光のまち京都を離れて、住みやすさナンバーワンを言われている博多に行きます。
九州の生活を楽しもうと考えています。

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2010年12月29日 (水)

吉本氏「京都一年滞在記」③

京都の企業

次に考えたことは京都では100年以上続いている企業は1000社以上あるそうです。なぜそんなに長い歴史のある企業が沢山あるのか考えて見ました。
京都は時代に翻弄され続けた都市です。平安時代以降1000年近く日本の政治、経済の中心でした。そのために京都は日本経済の中心として経済システムを作って発展していました。ところが豊臣時代になると秀吉は大阪に経済の中心を移しました。
その後、江戸時代になると今度家康は江戸に経済の中心を移し、明治の時代になると天皇が東京に移ったのです。天皇が東京に移ったのを期に京都から東京に移った商売人が数多くあったそうです(虎屋などなど)。さすがにこのときの京都の落ち込み方は大変で、まるで廃墟のような状態になり、人々もかなり落ち込んだような状態だったようです。このように時代に翻弄されながらも長く続いている企業秘密は何なのでしょうか?
調べてみると①家族を中心に小さくまとまって、伝統を守りながら質素に続けていく②時代の変化に合わせながら大きく大胆に変えていく。この2つが京都企業の長く続いた秘訣だと思います。大きく時代が変わる中じっと耐えて伝統を重んじていく方法と時代が変わるならそれに合わせて歴史と技術を生かしたて大きく変えていく。
① に当たる企業が8割くらい。②に当たる企業が2割くらいだと思います。
② に当たる企業は数多く日本の先端企業になっています。例えば京セラ、任天堂、日本写真印刷、日本電産、島津製作所、ワコール、村田製作所、佐川急便、MK などなど。どの企業も伝統を生かしながら新しい技術開発をして発展しています。
① の企業は和菓子屋さん。お漬物屋、繊維関係、飲食関係などなど。これもたくさんあります。
まさに時代に翻弄されながらもこのように京都の企業は発展してきたのではないでしょうか?学ぶべきものが沢山残されています。

料理について

京都の料理はすばらしいです。水がとてもいいことが原点にあると思います。
京都の地下には大量の水がたまっているそうです。だからとても美味しい水があります。
日本料理にとって水はとても大切なものです。
それとやはり歴史が大きな力になっていると思われます。古くから都として栄え、貴族や商人たちが培ってきた食文化が引き継がれています。
また観光客が年間5000万人も来ることも京都の料理を美味しくさせていると思います。
ただし何処も料金は高いです。
料理の世界にも伝統を守って続けている店と、その伝統を打ち破るような革新的な店もかなりあります。これも京都の心意気だと思われます。京都は伝統を守る思想と大きく変えようとする思想が互いに競い合って発展しているところだと思います。
それと京都は盆地でとても土地が狭いところです。ですから情報が伝わりやすいもの関係しているかもしれません。
料理屋がとてもおしゃれです。味だけではなく見た目も美味しくなるように、町屋を使ったり、器に凝ったり、景色を取り入れたり、色んな工夫をしてとても料理を美味しくしています。筍、鱧、豆腐、油揚げ美味しいです。
京野菜を含め食材も本当に良く考えられていて、すばらしいです。
1年間堪能しました

京都の桜と紅葉と青紅葉

京都に行くなら3月末から4月中旬の桜の時期
桜の見所  やはり醍醐寺、仁和寺、円山公園、鴨川のほとり、植物園、清水寺、龍安寺、
御所、常照皇寺、勝持寺、平安神宮、少し離れて八幡の堤、琵琶湖-海津大崎、
そして原谷苑、平野神社、大津の石山寺、三井寺。山科の毘沙門堂、哲学の道、銀閣寺
などでしょう。
梅では南城宮、北天満宮、御所、
紅葉は11月末から12月はじめ
清水寺、高台寺、南禅寺、永観堂、東福寺、泉湧堂、神護寺、善峰寺、浄瑠璃寺、毘沙門堂、天竜寺、光悦寺、源光庵、比叡山、西明寺、曼朱院門跡、正暦寺、長谷寺、室生寺、三室戸寺、実相院、真如堂、石山寺、常寂光寺、二尊院、宝匡院

5月末の青紅葉
三千院、東福寺、詩仙堂、実相院

どれも「素晴らしいの」一言です。さすがに1200年の時間をかけて造ってきた美しさです。
特に庭が素敵でした。庭の中に配置した紅葉も色んな種類を植えていてそれぞれが違う色で見事でした。今年は昨年より色が濃く出ていて感動しました。

京都の庭
無隣庵、桂離宮、修学院離宮、醍醐寺、南禅寺、天竜寺、西本願寺の飛雲閣
どれもすばらしいです。

私たちが一番好きなお寺は真如堂と法然院です。家から歩いて10分、1年中行ってました。

京都が一番落ち込んだ、明治維新で天皇が東京に移った時に京都を復活させようと琵琶湖から水を引く治水工事をして、日本発の水力発電をした人がいます。京都の初代知事です。
困難極まりない工事をやりのけて京都復活の足がかりを作りました。       
またもっとも古い文化を持ち保守的と思われた京都府で革新府政を作り「憲法を暮らしの中に」をスローガンに美しい古都を守ろうと頑張ったに蜷川さんにも感動しました。
現代では京セラの稲盛さんが京都賞を作って、毎年3人の若い研究者たちに文化や科学の発展のために各5000万円ずつ贈っています。今年はIPS細胞の山中教授が選ばれています。世界のいろんな国の人が選ばれて日本版ノーベル賞です。これも凄いなーと思いました。京都には成功した人たちが若い人を育てようとする文化があります。
京都は奥がとても深いところだと感じました。

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2010年12月28日 (火)

吉本氏「京都滞在一年記」②

仏教について

京都であまりにも立派なお寺を見て回り仏教のことを知りたくなりました。
日本の仏教は大きく自力と他力に分かれています。
自力とは自らを鍛えて色んな雑念(欲望)などに打ち勝っていこうとする。「勝間勝代」派
他力とはどんなに鍛えても無理なものは無理。それよりはお祈りをしてあるがままの自分を見つめて生きていこう。香川リカ 派(われわれは生きているのではなく生かされている)とても大雑把に言えばこんな感じだと思います。
自力の宗派は比叡山の天台宗、高野山の真言宗、日蓮宗、などなどがあります。
他力は親鸞の浄土真宗、法然の浄土宗、などなど
宗派の大きいのは①親鸞の浄土真宗「あらゆる自己のはからい「自力」を捨てて、阿弥陀仏の本願力を信じることによってのみ救われる」が1200万人、②空海「弘法大使」の真言宗「人間も本来は仏である」が1000万人、③法然の浄土宗「念仏を唱えることによって極楽浄土に往生できる」が650万人、④最澄の天台宗「すべての衆生は仏になれる」120万人、⑤日蓮の日蓮宗「「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えれば仏と心がつながり、この身が仏になれる」360万人「これから分かれたのが創価学会」日本の仏教の中で他の宗派を認めない宗教。⑥道元の曹洞宗「即心是仏―ひたすら座禅に生き、自分の中に仏性を見出し、この姿こそ仏であると信じる」150万人⑦栄西の臨済宗「生まれつき持っている人間性を座禅によって目覚めさせ人生を豊かに生きていくこと」100万人⑧奈良の仏教は「南都六宗」
といわれ何処の宗派にも属さず、仏教を広めるために日本で始めての入ってきたころの思想が色濃く残っている。ですから京都に比べてとても質素である。
とても大雑把ですがこれが日本の仏教だと思います。

仏教はお釈迦様の思想を広めようと中国から渡ってきて、聖徳太子などが日本に積極的に持ち込んだ。日本の中には土着のそれぞれの信仰があったのですが、政治の安定と中国からの影響で広めようとしたと思われる。
そのおかげで薬や学問なども盛んになり日本の文化や政治の発展に欠かせないものになっていきます。日本の古い時代は仏教の時代です。仏教によって日本は大きく発展して民衆の中にも広がっていきます。日本は仏教とともに中国から色んなものが入ってきて大きく発展していきます。

全く学問がない時代に仏教の勉強をして中国からのいろんな情報を持っていた仏教者たちは、普通の人と比べればはるかに知識や情報があったと思われます。ですから医者であり弁護士であり学者(知識人)のような存在だったから人々はお寺の尊敬の念を持ったのではないでしょうか?

また京都から栄えた華道、茶道、日本画、庭園、建築などの日本独特の文化も寺を中心にして発展したと思われます。(もちろん貴族、武士も絡みますが)
京都のお寺にはこれらのものがすべて残っています。
仏教が一番栄えた時代の栄華が京都だと思います。
鎌倉時代以降、仏教は武士を中心にしたものでした。武士たちが戦をするのに仏教にすがって戦の勝利を願って祭るものとして存在していたと思われます
その後。武士だけの仏教から民衆の間にまで仏教に広げたのが法然、親鸞の浄土宗教です。
封建制という不条理な世界で祈るしか変えようのない社会で民衆のあいだで仏教は広まっていったのでした。
今の時代では想像も出来ない時代でした。どんなに優れた脳力を持っていても身分で
農民は農民、商人は商人にしか成りようが無かったのです。 また病気や天災、貧困に苦しみ、人間はこの不条理の救いとして仏教にすがったと思われます。         

時の権力に擦り寄っていたところが大きなお寺を作っています。
一番の代表例が南禅寺です。江戸時代まではあまり大きくないお寺でしたが、家康に取り入った南禅寺の住職が江戸時代の宗教の総元締めになり立派な寺を作ったのです。
何処のお寺も似たり寄ったりです。
世界的にも優れた建築、仏像、日本画、茶道、華道、書道、庭文化、またわれわれの生活の中にも数多く残されています。
われわれの今ある文化の中に大きな影響力を残しています。仏教がとても大きな存在であると思われます。

明治時代になると仏教は排除され始めます。天皇制ですから中国から入ってきた仏教は排除され始め日本古来の神道が尊重され始められます。
明治維新時「廃仏毀釈」が起こりお寺はなくなり神社が作られます。奈良の興福寺では昨日までお坊さんだった人が今日からは春日大社の神主になったといわれています。
このときに無くなった仏像や日本画は膨大な数に上ります。これが焼かれてしまったのは
大きな文化の喪失です。

この時代から仏教は力をなくしていきます。仏教の時代が終わったのです。
鎖国が終わり海外から色んな科学が入ってくるようになると、神や仏に頼っていたものが
科学で解明され始めてきたのです。明治時代では夏目漱石、森鴎外などもヨーロッパの文学を学びそれを日本に持ち込み日本の文学の先駆者になったのと同じだと思われます。
明治の先駆者といわれている人々はほとんどヨーロッパ、アメリカから学んでそれを広めた人たちでした。福沢諭吉(学校)、医学、軍事、文学、美術、建築、農業、これらの
日本の明治以降のこれまでの日本の発展の基礎はこのときに始まったのです。

大げさにいえば今われわれと仏教の関係があるのはお葬式のときと法事くらいでしょうか?
またいろんなことのお願いのお寺へのお参り(ほとんどおまじない)くらいでしょうか?
明治時代からは仏教はわれわれから離れていきます。

仏教を学ぶ中で私が考えたことは自力と他力のことでした。
世の中の流れを見ていても自力と他力を私たちは選んでいるように思われます。
今の民主党の政権は他力の政権だと思われます。年寄りと子供たちに優しい。小泉、竹中路線の反動でしょう。教育でも学習重視の教育とゆとり教育が交互に進められます。  
これからの政権は自力のほうに進むような気がします。教育もゆとりから学習重視に変わってきました。
私は個人の中でも自力と他力をしっかり持って生きるのが必要ではないだろうかと思います。
生きていく中で今は自力が必要だ(困難だけれどもここは頑張らなくてはいけない、自分の成長にとって)また他力が必要なとき(病気やどうやってもうまくいかないときに、努力だけでは克服できないとき)。この相反することを自分の中でしっかり見つめて自分の生き方に生かせていくのが大切ではないかと思いました。

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2010年12月27日 (月)

フィギュア

友人からクリスマスプレゼントにと小さなフィギュアをもらった。
可愛い・・・

パソコンを置いているテーブルの脇に飾ることにした。

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以前は、ジャコメッティ―だロダンだと、しかめつらしい彫刻こそ、彫刻だと思っていたが、このフィギュアは日本人が独自に創りだした彫刻だ。
サブカルチャーとしてちょっと馬鹿にされているが、それもおかしい。

先日は、ベルサイユ宮殿に展示された村上たかし氏のアニメ風のキャラクターの作品が物議を醸した。
しかし彼の作品は立派な彫刻として、数億円の価格で取引されているという。

それなら、これだって相当な価格になるかもしれない?

高さ10センチ位。
数万個のコピーが作られ、売られているのだと思う。
まあいいとこ千円?
でも脇に置かれているだけで、気分が楽しくなる。

水木しげるのマンガ、げげげの鬼太郎のキャラクターの置かれた境港市の水木ロードの人気も凄いようだ。

ヨーロッパの彫刻はキリスト教文明の世界観から生まれたものだ。
それとは全く別次元で生まれたこっちの方が、よほど今日的で、世界的なんじゃないかなと思えてきた。

これが芸術だとか、なんとか、議論しているうちに、世界はどんどん変わっていっている。
面白い。

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2010年12月26日 (日)

水辺のジャズとイベント放送局

12月3日、金曜日の夜、友人に誘われて、京橋川のたもと、オープンカフェの対岸で催されたジャズのライブを聞きに行った。
風が強く、寒かった。
こんなに寒いのに、人出は随分と多かった。
この日のメンバーはサックス藤井さん、ピアノゆみゆみ、ボーカル因幡さんとのことだ。

「ホットワイン?
そんなの美味いわけないじゃないの」
と、イチャモンをつけながら、屋台のホットワインをのみ、おでんを食べ、ジャズを聞き、友達とおしゃべりをした。
ホットワインも結構美味かった。

熱燗なんてもあるといいのに!

1_3

演奏スペースとお客のスペースを分けるブルーのイルミネーションも奇麗だった。
脇に飾られたポスターもなかなかシャレている。

川には雁木タクシーが浮かび、1個200円でキャンドルも売っていた。

雁木組と両側の町内会の共催だという。
雁木組が両側の町内会を繋ぐ役割をはたしているようだ。
今年でもう4回目になるというが、知らなかった。

広島に、また1つ、楽しいスポットを見つけた!

広島では、1年をとして、こうしたイベントがあちこちで開かれているが、TV、新聞のニュースで、後で知ることの方が多い。
ネットで、市内で開かれるイベントの予告と実況を専門に流す放送局があったらいいのにと思うことが多々ある。
誰かそんな放送局をやらないかなー。

イベントをやる人が自由に書き込めるようなHPをつくってもいいだろうと思う。

観光コンベンションビューローでやってもいいだろうが、もっといい加減な方が楽しいHPになりそうだ。

Kさん、どうですか!
やってください。

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2010年12月25日 (土)

自力と他力とオリンピック

12月14日の朝日新聞に、浄土真宗本願寺派・大谷光真門主と文化人類学者・上田紀行氏の対談本「今、ここに生きる仏教」の出版を機に行われた記者会見での発言が紹介されていた。

上田氏は、
「浄土真宗では、自分が何かをする『自力』は人間のおごりで、何もせずに阿弥陀様に任せる『他力』こそが、正しいとする風潮が根強い」
そうした他力だのみを、
「例えば、広島の人が核兵器をなくそうと自分で署名を集めるのは『自力』であって、阿弥陀様の『他力』に任せておけばいい、というのでは平和がなりたっていくのでしょうか」
といっている。

大谷門主は「不完全な人間としては、何をしても失敗することはありますが、まず目の前の課題に挑戦してみることです。どんな失敗をしても阿弥陀様の『他力』に支えられているという安心感から、失敗を承知で取り組むのが、人としての務めだと思います」
といわれている。

このことを、オリンピック広島大会にあてはめてみると、どうなるんだろうか。

次期広島商工会議所会頭に決まった深山氏は「経済界には資金調達を含めて実現が難しいという意見が多いように思う」ともいっているが、「課題をクリアして実現できるなら、それは素晴らしいことだ」ともいっている。

オリンピック開催が実現できたら、こんな素晴らしいことはないと、私も思う。

北京や東京、ロンドンのような大都会同様のことを、広島でやろうったって、そりゃ無理なことは明らかだ。
だから広島で開催するのは不可能だと決めつけるのは、ちょっと能がない。
勿体ない。
ここは皆で知恵を出して、どうしたら実現できるかを考えたらどうだろうか。

「オリンピック広島開催について、広島市からまだ話を聞いえていない」というが、それは上田氏の指摘するところの『他力』と同じ意味ではないだろうか。

この際、広島市の『他力』に任せておくだけでなく、各種スポーツ団体、市民が、積極的に発言、提案し、オリンピックの可能性を探っていったらどうだろうか。

結果として失敗しても、それは大谷門主のいわれる「阿弥陀様の『他力』に支えられている」ということになるのではないだろうか。

1_2

今回の広島市の作成した計画書も、北京や東京、ロンドンと全く違ったレベルのオリンピックを提案になっている。
随分とユニークな内容だ。

それは、これからの広島市の公共事業の有り方、市民の進めるイベントの有り方にも随分と参考になるはずだ。
課題をクリアするためにした努力は、必ず次に繋がるはずだ。
決して無駄にはならないと思う。

広島大会が実現すれば、それは同時に、これからのオリンピックの有り方に新たな可能性を開くことにもなるはずだ。

オリンピックを広島で開催することの経済波及効果について、まだどこも発表していないが、広島開催が実現したら、広島経済への波及効果だって数千億円にはなるはずだ。
過去のオリンピックでは、世界的なスケールでの、経済波及効果は軽く数兆円を超すといわれている。

オリンピックを広島に誘致することが失敗したとしても、そのために負う広島市のリスクは25億円というわけだが、その程度の額は、広島がオリンピックに立候補することを“考えている”といっただけで、凄まじい量の新聞、TVに取り上げられたことを広告宣伝費に換算すれば、すでに充分回収できているともいえるだろう。

「他力と自力」について、改めて考えさせられた。

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2010年12月24日 (金)

吉本氏「京都一年滞在記」①

 汐文社の吉本会長が現場を離れて全国各地を一年ごとに転住する計画を立て、着実に4年目を迎え福岡に腰を落ちつけたようだ。
 札幌、沖縄、京都に次ぐ4番目。
 昨年京都に移った時は「来年は広島…」を考えていたようだが…。
 青森におられる奥様のお母さんの健康を気遣って出かけるのには広島より空路が便利な福岡に変更したようだ。

 「各地を一年ごとの転住」と言えば“贅沢で気楽な第二の人生“と映る羨ましいばかりの話であるが,保証人をはじめ日用品の買い足し、電気用品の購入と「転住」の面倒くささ、煩わしさは事の他大変なようだ。とは言え目的意識がはっきりした転住丈に『見て聞いて、体験する一年』は、出版編集者として情緒と感性に包まれた感想は独特な文化論となって響くものがある。今回も4回にわたって転載させて頂く。ご覧ください。

京都感想記

沖縄から11月に京都に移ってきました。京都でも札幌、沖縄の時と同じように住むところでは契約の問題などで苦労しました。やっと見つけたところは平安神宮のそばの岡崎で場所としてはとても良い所です。(年をとってからの引越しは大変ですが、脳にとってはとてもいいことではないかと思います。頭をすごく使います。どれだけ手際よく自分たちが望んでいる部屋を見つけるか。家電製品、生活用品を売ってる場所を探し(乗用車に乗る分しか荷物は無いから)。新しい土地ですから知り合いもいません。脳に対してはとても刺激的な10日間です。)
また京都でも毎日10キロを歩きました。
ほとんどが鴨川コースで時々哲学の道コースです。
沖縄と同じで5月までは朝9時から6-10月までは朝5時半から1時間半です。夏の京都は沖縄より温度が上がります。毎日35度を越え今年は38日間続きました。これにはさすがに参りました。真夏の京都観光だけは止めたほうがいいと思います。
一年間の感想を思いつくままに書いてみたいと思います。

観光について

年間5000万人の観光客が訪れる京都。左右が10キロ、北と南が20キロくらいのとても土地が狭い盆地です。冬は底冷えの寒さ、夏は盆地のためとても暑い。人口145万人がすむ街です。
第2次世界大戦のときにアメリカは日本の文化を残すために京都、奈良はほとんど空襲をしませんでした。彼らはもう日本のすべてを知った上で戦争していたと思われます。
そのおかげで今の京都があると思います。もし空襲を受けてすべてのお寺がなくなっていれば今の京都はないと思われます。その残された財産を大切に育てて今の京都の文化はあると思います。京都のお寺は本当に凄いです。商売上手です。
京都の最大の産業ではないかと思われます。これこそが京都経済人の原点です。
自分たちが造ったものではなく、過去の日本人の財産である建築物や文化財を利用して高い拝観料を取り、ほとんど宗教とは無縁の観光に力を入れています。
お寺は春と秋には昼だけでは物足りなくて、夜もライトアップして人を集めています
いろんなお寺が競い合いながら集客の戦術を取っています。観光産業のお手本です。(ただし今でも仏教を広めようと一所懸命頑張っているお寺ももちろん沢山あります。夏になると朝5時半ころから説教をするお寺として知恩院などなどかなりあり、多くの人が参加します。また法然院では毎月何回も色んな企画をして仏教を広めようと努力しています。)
いまや東京のディズニーランドと京都のお寺観光が日本の最大の観光産業でしょう。
京都の第三次産業比率は日本一です。

私は沖縄に昨年1年間住みました。沖縄は京都と全く反対に戦争ですべてが焼き払われ
何も残っていませんでした。
何だか不思議な気持ちになりました。沖縄に比べて京都人はとても気位が高いように思いました。権利意識がとても高く他の地から来た人に対してとても冷たい感じがします。京都人の中に入っていくのは難しいと思いました。よく言われている「いけず」も何度も感じました。それと自転車がとても多いところです。盆地で狭いし車は混むのでそのためと、
京都市の人口の1割が学生だということもあると思います。自転車のマナーは最低です。
日本で自転車の事故が人口比最高です。信号無視、歩道を凄いスピードで走る。
譲らない!!
一方で本当の京都言葉はきれいです。ゆったりしていて日本人のやさしさを感じるようです。まねできませんでした。
こんなことを感じました。

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2010年12月23日 (木)

梨園プリンスのご乱行?

 新聞もテレビも連日、歌舞伎界のプリンス市川海老蔵の傷害事件を賑々しく伝えている。
 事件発生から2週間になる7日夜、当のご本人が松竹の社長と弁護士同席で会見し「無期限謹慎」を発表した。中止する興業の売り上げだけでも6~70億円に達するとか、歌舞伎界は大変な痛手を被る事になる…一俳優のご乱行…と見るだけでなく、歌舞伎界へ対する国や自治体などの抜本対策も必要なのかもしれない。

 事の起こりは先月25日朝、大けがをした市川海老蔵が自宅に帰って来た。驚いた新妻の麻央さんが警察に連絡し救急入院、手術。父の団十郎さんは会見で「酔いつぶれた人を介抱していたら突然殴られた…」と話し「遠因は、本人にもあると思う…」と話していた。

 加害者とされる26歳の元暴走族のリーダーの逮捕情が出たが「世間の状況が公平な状態になるまで出ない…」などテレビのワイド番組の情報は錯綜している。
 元暴走族仲間と飲酒中の海老蔵は「人間国宝になる…」とか「国から2億出る…」と発言していたと言い、相手が先に手を出して自分は被害者等。
 しかし、ご乱行は間違いない。

 そもそも歌舞伎界の事を“梨園”と言うのは何故か?
 ご存知の方も多いと思うが改めて少しウエキペディアでピックアップしてみた。

 中国・唐時代、楊貴妃に熱をあげた事で知られる玄宗皇帝に由来する。音楽に舞踏の愛好家だった玄宗皇帝は自らも舞楽を教えていた。そこには多くの梨の木があったことから音楽や舞踏を学ぶものを 「梨園の弟子」と言い、転じてその世界を『梨園』と呼んだ。

 日本ではこれに習って歌舞伎と言う特殊な社会を「梨園」と言い、この世界の名門の出の子供を「梨園の貴公子・御曹子」と呼び、てきぱきと仕切る聡明な夫人を「梨園の妻」と呼ぶ。

 歌舞伎は17世紀の初頭、京都で出雲大社の巫女「出雲の阿国」と呼ばれる女性の踊りが斬新で派手な風俗を取り込んでいた為“歌舞伎踊り”と称され演者は“川原乞食”とも蔑称された時代もあった。

 歌舞伎は明治以降に一般化したもので、親から子、子から孫へと家の芸を伝承するという歌舞伎の世界は身分制が厳しい社会。名門の出でないとどんな修行を積んでも主役級の約は貰えず、一生下積みの大部屋俳優で厳しい門閥制度の世界だ。
 名門の出であれば幼少の頃(3歳)から舞踊、三味線、義太夫などの稽古の連続で、付き人一体の指導で、子供としての遊などはない世界で一般的な常識や市民感覚の薄い特殊な世界の人間として育てられた。従って、とかくヤンチャに育つのは彼らの専売特許…?と見られて来た節が強い…。

 因みに歌舞伎そのものは‘65年に国の無形文化財に指定され俳優では坂田籐十郎、10代目尾上菊五郎等6人が『人間国宝』の指定を受けている。

 『人間国宝』は俗称で文科大臣が『文化財保護法』に基づいて指定した『重要無形文化財保持者』で認定された人をそう呼んでいる。
 歌舞伎、能楽、演劇、文楽、雅愕、舞踊、音楽、工芸の82の分野で今は115人が『人間国宝』の認定を受けている。
 国宝には年間で200万円の特別助成金が出されている。これは文化功労者の年350万円の年金に次ぐ国が支払う褒章制度における唯一の助成金がある。

 海老蔵はいずれ『人間国宝』の指定を受けられるチャンスに恵まれている、数少ない伝統芸能継承者の一人である上に、この200万円を何十年か受け続けると「2億円…」と勘違いしたのだろうか…。事業仕分け的発想で見れば「不要」なのかもしれない?

 歌舞伎は一度だけ、広島出身の国立劇場の養成所に入った若衆の取材でお目にかかった。それ以外には全く縁が無く、従って興味や関心も薄いが、こう連日テレビの話題になるとつい<岡目八目>的 興味をそそられてしまった。

 大衆演劇の人気者の梅沢富十郎は「伝統芸能に胡坐をかいた許せない行為」と厳しい反省を求めていたが、当然のことだ。

 会見の席で神妙にあくまで被害者の立場を主張したが「私のおごりが招いた…」と強い反省の姿勢を見せた。海老蔵が一皮むけるとまたいい役者に成長するのだろうか…?文化の育成には昔から「時間とカネがかかる…」と言われてきた。

 それにしても、逮捕状の出ている26歳の加害者?の逮捕等…「喧嘩両成敗」になるのか、今後はまだ多くの曲折を辿る事になるだろう。成り行きが注目される…。<8日:記>

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2010年12月22日 (水)

広島の思想を伝える・金井利博②

 '45年9月にGHQが出した『プレスコード』は原爆や被爆者問題の報道に関して ‘52年4月に解除されるまで厳しい報道規制が続けられた。

 金井は報道が規制され沈黙する半面で文学による静かな告発に傾注し、密かに原爆関係の資料収集を始めていた。’54年3月ビキニ水爆実験で第五福竜丸が「死の灰」を浴び、東京杉並の主婦達から始まった全国的な原水爆禁止運動が急速に発展した。こうした動きに被爆の原点に拘り続ける金井は「国の責任で原爆被害の実態調査が必要」と訴えて『原水爆白書運動』を提唱し、被爆者の実態に迫る連載企画記事を相次いで発表する。
 しかし、‘52年8月6日に朝日新聞が『アサヒグラフ』で初めて原爆被害の初公開特集号を発行し、後れを取った金井は悔しい思いに包まれた…。

 勢いよく発展した原水禁運動は’63年の9回原水禁界大会でイデオロギーの相違や政治的信念の違いから社会党系原水禁国民会議と共産党系の原水協に分裂し、混迷する。

 ‘’64年8月5日、原水爆被災三県連絡会議主催の「文学人・学者部会」で金井は「原爆は威力として知られたか。人間的悲惨として知られたか…」で始まる『原水爆被災白書を国連へ提出の件』を提案。未だ知られていない「人間的悲惨さ」を科学的に明らかにし、原水爆被災の実態を見つめ直し、世界に伝えよう」と呼びかけた。

 原爆白書運動は社会運動として広がり要望書が政府に出される高まりを見せ、原爆被災資料の返還運動や広島の復元調査運動なども生んでいく…。
,NHK広島の「爆心地図復元運動」ともあいまって「原爆被災白書推進委員会」の結成に発展する。日本学術会議の全面的支援を受けて被爆を国民的な体験にまで昇華させた…。

 著書「核権力‐ヒロシマの告発」(’70.6)で威力としての核兵器が核抑止論によって正当化されるのに対して、他の戦争被害者との連携も視野に入れて、広島における人間的悲惨を根底に、核権力の構造と核廃絶の道を探ろうとしていた…。
 『原爆は威力として知られたのか、人間的悲惨として知られのか』を問い続けた…。

 金井が提唱した思想は被爆者の受けた無差別攻撃と差別待遇がある。無差別攻撃は戦争被害(直接被害~社会の外面的被害)差別待遇は社会被害(間接被害~社会の無い面被害)が繰り返されぬよう「警告」する必要がある…と指摘した。
 無差別攻撃には①原爆攻撃は、戦闘員と非戦闘員を無差別に対象とした②原爆攻撃は戦時被害を平時被害と無産別にした。放射能被害は終わらぬ戦争…。③原爆攻撃は既知の被害と未知の被害を無差別に与えた…と分析した。
 更に金井の言う三つの差別待遇は①生活上の差別②補償上の差別(→被爆者援護法へ)③意識上の差別待遇を挙げている。

 こうした人間的悲惨さを基盤とすることで得られた『核権力』への批判力はインド、パキスタン、イラン、北朝鮮、イスラエル等の核兵器開発・保有疑惑が核の水平拡散とテロとしての使用可能性を高めている…。

 金井の思想と行動や個性は原爆報道に携わった若い記者たちに大きな影響を与え「金井学校」と呼ばれるような記者群を育てた。平岡敬、大牟田稔らが中心となって金井が提唱した『広島の平和思想』を育み中国新聞の原爆報道を日本のジャーナリズムを牽引する形で構築、実践していく。原爆小頭症を告発したRCCの秋信利彦をはじめ新聞社の枠を超えて影響を受けたものは多い。梶山季之や大江健三郎なども金井の思想を受け継ぐ形でヒロシマに関わり…『ヒロシマの平和思想』を構築し…今も、脈々と生きている。

 造り酒屋の後継ぎに生まれたがご本人はまるで下戸だった。ご子息の宏一郎氏(前RCC社長)と席を並べた縁で金井利博氏と何度かご一緒した。下戸ながら酒豪?の息子と友人への気遣いか、ツイ飲みすぎた父君を二人で両側から抱えながら屋台などをはしごした…記憶は今も以外に鮮明だ…。

 ‘74年6月16日、取締役論説委員長の金井利博は、2年前に発病された膵臓癌で60歳の若さで亡くなった。中国新聞の原爆、被爆者問題にとどまらず「ヒロシマの平和思想の中興の祖」として残された足跡は大きい。

 次回シリーズ3回目は「原爆の子」の編者:長田新広大名誉教授:2月5日(土)
 問い合わせ、申し込み:広島平和文化センター平和連帯推進課:082-242-7821

 広島大学文書館:730-8524 東広島市鑑山一丁目―1-1  082-424-6050
       http://home.hiroshima-u.ac.jp/hau

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2010年12月21日 (火)

広島の思想を伝える・金井利博①

 シリーズ講座「広島の平和思想を伝える」に飛び入り参加した。二回目の講座は広島大学の文書館長の小池聖一教授が原爆報道の礎を築いた中国新聞の『金井利博(1914~74)と原水爆白書運動』についての講演だった。

1

 この講座は広島市と平和文化センター、市立大が被爆65周年の今年「平和を希求し核兵器廃絶を願う広島の思想を生みだしてきた先人の考えや行動を知り後世に伝えて行く」ために企画した。一回目は10月に大江健三郎だった。

 この日、小池聖一教授は被爆と共に生きる広島の記者として核兵器の問題を人間の側から見つめ続けた中国新聞記者「金井利博」にスポットを当てた。

 小池教授は10年前?に金井さんのご子息・宏一郎氏から8000点にも及ぶ資料の寄贈を受けて整理し分析研究を進め、これまでに金井、平岡敬、大牟田稔等の中国新聞の記者達の取り組んできた記録展等も企画して来た。

 金井は旧制広高九大と進み朝日新聞に入るが3月後に召集され退職。戦後シベリア抑留後に帰還。妹が後に社長会長を務めた山本朗氏に嫁いでいた縁で中国新聞に‘47年に入る。

 一般的に記者達は終戦によって軍によって厳しかった言論統制から解放されるが広島は
'45年9月に出されたGHQによるプレスコードで原爆や被爆者問題は厳しい規制で全く扱えない状況だった。戦争への嫌悪感やノーモア広島には触れるが慰霊や復興が報道の中心になって、本来のジャーナリズムは沈黙していた。
 元々文学志向の強かった金井はこうした状況を踏まえて文学の世界を通じた静かな告発を目指す。中国文化連盟発行の「中国文化」や中国新聞社の「月刊中国」誌上で文学志望の青年たちに執筆を勧め、’49年には広島ペンクラブの設立に尽力し、文学を通じた静かな告発に取り組む。

 この時期から原爆関係資料の収集を始め、‘52年に社会学芸部(後の文化部)に移り農民文学の山代巴や民俗学者の宮本常一の影響で地域文化の振興にあたる。山代からは情熱を宮本からは人を見る目を教えられる…と、小池教授は指摘する。
 ビキニ水爆実験による第五福竜丸事件の「死の灰」を機に金井達の広島の平和思想が「原爆白書運動」として本格的に動き出す。≪続く≫

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2010年12月20日 (月)

基町市営駐車場

広島市営の基町市営駐車場は、県庁の東、相生通りを1つ北に入ったところにある。

紙屋町地区のデパートの利用者、商店、基町地区に働く人たちにとっては、貴重な駐車場としてその役割を果たしてきた。

駐車場の収容台数は562台、延べ床面積19,704M2、というから、かなり大きい。
作られたのは、1970年4月というから、竣工後、もうすでに40年経っている。
老朽化もかなり進んでいる。

1_4

しっかり作られているから、それほど目立たないが、そろそろ大規模な改修が必要だろう。
改修するとなれば、数億円の費用がかかるはずだ。
財政難の広島市としては結構な負担だ。

基町駐車場は、現在広島市都市公社が指定管理者として運営を行い、07年度には広島市に2.6億円納付しているという。
しかし、この基町の駐車場については、広島市の計画でも、今後毎年5%程度の利用の減少を見込んでいるようだ。

ちょっと統計が古いが、
4年前の2006年現在、広島市営駐車場は路上を含めて、21か所、約2,000台あり、収入は13.1億円あったという。
ピークの1998年には20.1億円もあったというから、毎年約1億円、減少してきたことになる。

反面、民間駐車場は1999年には148ヶ所、1.3万台であったものが、2005年には236ヶ所、1.6万台に増えている。
以降も、民間駐車場は増え続けている。

昔は違法駐車が多く、駐車違反を取り締まるだけではどうしようもなくなく、建物を建てるときには、駐車場も作らなければいけないという付置義務という法律もつくられた。
そうしたこともあってか、駐車場経営はビジネスと成り立つようになり、民間駐車場ビルがどんどん作られるようになった。
それだけでなく、ちょっとした空き地をコインパーキングとして無人で利用する技術も開発され、いまでは市内では駐車場は充分確保されるようになった。

市営駐車場もそれなりの役割を果たしてはいるが、広島市が駐車場を経営しなければいけない理由は、そろそろ終わったといえそうだ。
駐車場付置義務という法律だってそろそろ不要になってきている。

この基町の市営駐車場についても、広島市の長期計画の中には、すでに売却するという検討項目として入っているようだが、早く売却したほうがいいだろうと思う。

民間が取得すれば、駐車場ビルという単機能のビルではなく、駐車場を取り込んだ事務所とか店舗とかを含めた複合ビルとなるだろうことが予想される。

1階はカフェでもレストランでも本屋でもいい。
1階レベルに何かお店が入れば、この地域の賑わいを作りだすことにもなるだろうと思う。

街は時代と共にどんどん変わる。

基町駐車場もそろそろ変化を検討する時になったようだ。

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2010年12月19日 (日)

鹿島 広島支店ビル

袋町の市民交流プラザの近く、平和大通りに寄ったところに鹿島のビルがある。
結構大きな、立派な建物だ。

1_3

1階がエントランスロビーと駐車場になっていることもあり、
袋町通りのオシャレなお店の賑わいがここで切れてしまっている。
ちょっと残念だ。

建築的なデザインもしっかりしているが、街とのつながりがない。
建築家が陥りやすいことではある。

建設産業が一世を風靡した時代は終わり、建設業会のトップに君臨した鹿島の勢いを象徴する建物だったろうが、それが今は何処か寂しげだ。
建設業華やかなりし時代は、昔は夜になっても、どの階に明かりも点いていただろうに、今は夜になると殆どの階の明かりは消えている。

そろそろビルのあり方、使い方を変化させる時がきたようだ。

街との繋がりを考えるなら、1階をカフェもある鹿島のショールームにでもしたらどうだろうか。
2階から上も、もっと多様な使い方出来そうだ。

その方が鹿島としても、収益的にはいいだろうと思う。

それにしても街との繋がりができ、ここが賑やかになれば、県の所有するクリスタルビルも随分と様子が変わってくるだろうと思う。

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2010年12月18日 (土)

雁木巡り

先日、東京から来た友人が「雁木」を指して、「これ、東京じゃ見たことないけど?」と言っていた。

東京にはない?

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雁木は、広島の川には、あちこちにある。
極くあたりまえの景色になっている。
誰も雁木が珍しいとは思わないが、いわれてみれば、東京の川にはない。

市内を流れる川は、海の干満の影響をうけ、水面の高低差が4M以上にもなる。
雁木は、その変化に対応するために考え出された石積みで作られた階段だ。
近年では桟橋が作られるようになってからは、こうした階段は作られることはなくなったという。

雁木は、荷物の積み下ろし用のための広いものから、洗濯用に使ったという狭いものまである。
川に直行しているのが普通だが、川に並行しているのもあるし、天井付きのもある。

全部あわせると、市内には300ヶ所以上もあるという。
その多くは、明治後期から、大正にかけてつくられたようだ。

文化的にも価値があるということで、日本土木学会の「選奨土木遺産」にも選ばれた。

そんなに価値があるとは知らなかった。
それなら、この際、全ての雁木に名前をつけて、番号でもいい、雁木タクシーと連携して、「広島・雁木巡り」を1つのイベントにしたらどうだろうか。

そもそも、雁木は向こうとこっちを結びつける場だった。
全部を巡り終わったら、西国88ヵ所のお寺巡りではないが、結願「いい相手に巡り会えます」といったらいい。
雁木は近頃流行りのパワースポットというわけだ。

300ヶ所もある雁木のリストを作ることは、個人で作ろうとしたら大変だ。
ネットを使って、市民からの写真とその位置を募集し、HP上で公開するとしたらいい。
雁木組が中心になって、広島市と観光コンベンションビューローを巻き込んで、リストを作ることも、市民参加型のイベントとしたらいい。

雁木組も雁木1ヶ所に3人が拘わってくれれば、300×3→900人の組織になる。

300ヶ所以上あるといわれる広島の雁木も、ローマのスペイン広場の下にあるバルカッチャの噴水のような広島の名所になるかもしれない。

そうなれば、雁木タクシーの利用客も増える?

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2010年12月17日 (金)

自宅で省エネ「現金化」

 自宅で省エネして現金が貰える市民参加の「CO2排出量取引制度」が広島市で始まった。
 全国で初めての試みで、関係方面の関心を呼んでいるようだ。

 『市民参加のCO2排出量取引制度』は市内でCO2の効率的な削減を図ると共に家庭における排出量削減に応じて経済的なインセンティブを付与しその削減量を企業の排出削減の手段として利用する目的で、削減量に応じたお金や市内の協賛店で利用できるサービス券をもらえる。市民の省エネ活動と意識改革の後押しとなる先進的な取り組みだ。

 今年度の参加者1,000人は既に決まって11月からスタートした。参加者は電気と都市ガスの11~12月分の検針票の合計が対象で、使用料を報告し、昨年同期の使用料と比べて、減った量をCO2に換算する。CO2削減量1キロに対して5円が支給される。

 広島市の試算によると各家庭の省エネで一月の電気ガス料金3032円節約すれば地球温暖化の原因防止対策の温室効果ガスであるCO2の排出量730キログラム削減でき、広島市からの現金支給額は二月分で730円になる。削減達成できなければ現金支給は受けられない。

 CO2排出量の買い取り制度を達成する為の省エネの具体策と言えば省エネタイプのエアコンの買い替えや控えめの温度設定、不要な電気製品のコンセントを抜く事や風呂の追いだきを控える等。成果の割に“こまめな節電”が求められる。

 削減されたCO2は商店や工場など市内の事業所に買ってもらう。条例で定められた以上のエネルギー量を使う事業所はCO2消費量を減らす努力義務が定められている。
 家庭からのCO2排出量購入金額について市は一トン当たり5000円程度を上乗せし、6500円で販売するという。また、市はCO2排出量削減の現金支給とは別に制度に応募した全員に協賛店の商品割引やポイント加算を受けられるサービス権を配布し応援する。

 達成度は市のホームページ上で公表される。達成できない場合、事業所は購入したCO2削減量を自分達の実績から差し引くことが出来る…。
 環境省によると京都府がCO2排出削減家庭に協賛社の店で商品引き換えポイントを支給しているが、現金が払われる制度の導入は広島市が初めて。
 成り行きと成果が注目される。来年度と12年度も行われる予定だ。

<問い合わせ> 082-293-1535  http://www4.city.hiroshima.jp/co2torihiki

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2010年12月16日 (木)

エコポイントとTVのデジカル化促進の課題

 家電のエコポイント制度でもらえるポイントが12月1日購入分からほぼ半減する。
 2代目のデジタルTVの買い替えをと思いながら未だエコポイント目当ての購入はした事が無く、新年以降に持ち越してしまった…。

 そもそもエコポイント制度は地球温暖化対策や経済活性化と地上波デジタル対応のテレビの普及を図る目的でスタートさせた。11月末までは統一省エネラベル4以上の製品で地上デジタル対応テレビ、エアコン、冷蔵庫のグリ-ン家電を購入すると様々な商品サービスと交換可能な家電エコポイントが取得できた。

 全国の量販店では土日は勿論、期限が迫って来た平日でも行列が出来11月は前年比でテレビは5~6倍、エアコン2~3倍、冷蔵庫も2~3倍の売れ行きとなった。
 しかし、これだけ購買が集中的になれば年末商戦は休業状態…は避けられまい。
 エコポイントは車や家などにも適用され、不況風が厳しい時だけに経済活性化の支援にそれなりの効果を発揮した。デジタルテレビの普及率は広島で97~8%、全国でもそれに近い結果を生んだのは間違いない。

 政府予算は補正でほぼ倍額の6900億円に増額されたが、今後は条件が厳しくなりポイントはほぼ半減する上対象商品も少なくなる。

 息子は自動車のエコポンを活かした春にホンダの新車に乗り換えた。
 娘は何度か足を運んだ結果、先月中に40インチ薄型デジタルを購入した。

 しかし、この制度の在り方はこれで良いのか?考えてしまう。
 来年7月で廃止される地上波テレビのアナログ放送を考える時、10万、100万人の単位でデジタルテレビを購入できない人達が出るのではなかろうか…。国家の責任で放送システィムが変更され、電波法上では“国民のもの”と位置付けられているテレビが突然見られなくなる人が出る…事態が起きる可能性が十分にあると考えられる。

 エコポイントは国家賠償の感覚は無いが「気持ちの上で責任」を背負った形が見える。
 エコポイントとは全く別問題のこれら『デジタルテレビ購入不能な人達』への国の対応はどうされるのだろうか…当然、検討されているだろうが、見えてこない。
 国家が「国民の見て知る権利」を奪いかねない状況になりかねない事は重大な事だ…。

 国はデジタル放送対応不能な人達への対策を示す事が急がれるのではないか?

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2010年12月15日 (水)

相次ぐ機密漏えい

 尖閣列島における中国船の衝突映像がYouチューブに流出して一月になる。
 “内部告発者”の海上保安官は逮捕される事もなく事件の決着はまだ付いていない。
 この間に内外で相次いで大きな機密の漏えいが発覚して問題を投げかけている。

 警視庁の内部資料と見られる国際テロ関係の情報が流出して一月余り。大量の電子ファイルが世界中のパソコンにダウンロードされている。その資料がそっくり印刷出版された。タイトルは「流出『公安テロ情報』全データ」よく売れていると云う。出版社は個人情報や著作権については「すでに流出いるデータである以上、出版の重要性が勝る。警察は自らの情報と認めておらず、流出情報として出版する権利がある」と主張している。

 顔写真や交友関係など個人情報をさらされたイスラム教徒の申し入れに対して裁判所が販売を差し止める仮処分命令を出した。しかし、警察はいまだに流出資料を「本物」と認めないばかりか出版に対しても全く手を打たず、被害者対応もしていない。なぜ?

 一方、機密情報の暴露で知られるサイト『ウイキリークス』が米国の外交文書25万件を入手し、一部を公開し大きな反響を巻き起こしている。米国が各国首脳をこき下ろし、スパイ活動の指示など米国の外交威信を大きく傷つける大量の秘密文書が暴露された。
 この背景には秘密文書を流通させる軍のネットワークに60万人以上の政府・軍関係者がアクセス出来た…問題があるようだ。内部告発によるものと見られている…。
 ウイキリークスは各国の機密や企業の秘密情報を暴露するウエブサイトで、豪州出身の元ハッカーが欧米の記者達と組んで‘06年に創設し、ボランティア運営されている。

 機密の映像とは言え海上保安庁の内部ではある時期まで誰でも見る事が出来た。海上保安大学の共有ホルダーからコピーした43歳の海上保安官は「一人でも多くの人達に日本の海で起こっている事を見て、考えて欲しかった」と内部告発の動機を語っている。

 出版の自由や言論の自由は民主主義の根幹であり、政府による情報公開が消極的・限定的な場合は本来メディアが情報の公開・暴露を果たすのが役割だ。しかし、その役割は十分に果たすのは極めて厳しく、その不満がいまやこうしたウエッブサイトに寄せられる“正義”の内部告発が果たしている点は世界で共通している。

 公務員が非公開の機密情報を勝手に漏洩する事に対する批判や危機管理を懸念する声とは別に“機密情報”の扱いの基本的に考え型と対応が迫られている…。
改めて、国民の知る権利に沿った情報の公開の進展が望まれる…。<3日:記>

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2010年12月14日 (火)

師走の風景

 今年の師走は晴天に恵まれてスタートした。一年の締めくくりの月が気持ち良いお天気でスタートすると得をしたような気分になる。
 社会活動から身を引き、病気を抱えての日暮らしの身ではあるが一年の締めくくりはそれなりに大事にしたい…。新しい年を恙無く迎えられる喜びはひとしおである。

 あまり街中へ外出しないせいもあるが街頭でジングルベルやクリスマスソングを聞く機会が少ない為、師走の慌ただしさを殆んど感じる事が無くなった。

 「師走」は当て字で語源的には諸説あるらしいが「僧侶が経をあげるためにあちこちをかけ馳せる月」つまり『師馳せ』『四季の果てる月』を意味する…と言うのが一般的。
 今でも地域や家によっては残っていると思うが、私達が子供の頃、お盆は当然の事、暮れにも同じようにお寺さんが必ずお参りに来られた…。つまり、昭和20年代には確実に身近な所、日常生活の中に“師走”はあった…?と言える。
 残念ながら、今その状態が私の田舎の実家にも無くなっている…?

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 我が家で言えば師走一日に小さなサンタクロース人形とクリスマスツリーが飾られる。
 夫婦2人の暮らしになって20年近く,年々子供や孫たちの影響も薄らいで暮れの行事や習慣も地味で静かなものになった。

 冬至にはカボチャを食べてゆず湯に入る。一年でいちばん昼間が短く本格的な寒さが始まるこの時期は野菜不足をカボチャでビタミンにカロチィンを補うと云う合理的な食習慣は昔の人の知恵が生きている…。

 お歳暮は元々、新年を迎えるために祖先の霊を祭る為に必要な物を親元へ送り届け供えてもらう…ものだった。お世話になった方々への感謝をこめて贈っていたお歳暮も退職後、付き合い範囲を小さくしたのに伴って極少数になって煩わしさも少なくなった。

 マンション暮らしだと暮れの大掃除など大袈裟な行事?は無いが、ガラス戸を洗ったり廊下やベランダなどを少し念入りに洗い流す…と言って程度の師走行事だ。
 あとは孫達と一緒にクリスマス・忘年会を終えれば、大晦日の年越しそばで締めくくる。
 新しい年に生きる希望をつないで…、淡々と静かな歳末・師走風景を過ごす事になる…。

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2010年12月13日 (月)

3ナンバーでも小型?

最近プリウスのタクシーを良く見かける。
小型車だが、乗って見ると、意外と社内は広い。
乗り心地もいい。
小型車だから、料金も安い。

しかし、プリウスは3ナンバーだ。
3ナンバーって、大きい車のことをいうんじゃなかったっけ?
どうして、小型なの?

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以前、私の乗っていた車は、排気量は2000cc以下なのに、車体が大きいからと3ナンバーだった。
ちょっと儲けたなとも思ったが、税金は高く、ちょっと失敗したかなという感じもあった。
そういう車は、本当は3ナンバーの車ではないということで、お化け3ナンバー、略して「オバサン」として、車に詳しい人からは、ちょっと馬鹿にされていたようだ。

それにしても、「3ナンバーの車が、タクシーでは小型車というのは、ちょっとおかしいんじゃないの」ということで、ネットで調べてみた。

「通常タクシーは、3ナンバーの車は大型車、
5ナンバーで、車の長さが4.6M以上は中型車、
5ナンバーでも、車の長さが4.6M以下は小型車」
と規定されているようだ。

ということでは、プリウスは車体の長さからの規定によるではなく、幅が3ナンバーに該当するが、エンジンの排気量が1500cc、1800ccと小さいので、タクシーでは小型車として分類されているようだ。

お客にしてみれば、プリウスは
「小型車だから料金は安い。
その割に、居住性がいい」
ということがいえるようだ。

プリウスのタクシーのオーナーにしてみれば、
「ちょっと車の値段は高いが、燃費がLPGよりいい。
お客の評判はまあまあだから、充分元がとれる」
という計算になるのだろう。

技術の進歩は、法律の枠の中で、なんとも不思議な現象を引き起こしている。

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2010年12月12日 (日)

看板― お店の前の人形

金座街の子供服のお店「しんや」の前に、かなり大きな木製の人形が椅子に座った形で置かれている。

通りかかりの子供たちが「なに?このおじさん」と興味を持ちそうだ。
このお店のシンボルになっている。

1_5

随分シャレてると、いつも気になっていた。

ふと、上をみたら、2階の白い壁にも、数人のグループの人形が飾られている。
ヘーッ、
こんな看板もいい。

文字だけの看板より、ずっと楽しい。
2階部分にも、人形が飾られているというのが、またいい。

「しんや」は広島では少なくなってしまった老舗のようだ。
2,3階は子供服のオーダーのお店になっている。

そういえば、昔は子供服だって皆オーダーだった。
今は子供服のオーダーなんてひどく贅沢なことになってしまったが、こんなお店が残っているのは、広島だからのことだろう。

ユニクロみたいな店ばっかりでは、街が面白くない。

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2010年12月11日 (土)

茶房金木犀

yumilyさんのブログに茶房金木犀が紹介されていた。

よし、行ってみようと、
カーナビに目的地としてセットしようとしたが、上手くセットできない。
お店の名前でと思ったがこれは、検索できない。
電話番号を探したが、載っているのは携帯の番号だ。
仕方なく、住所を書き込み、検索した。

広島市内か北に約50分、結構遠い。

HPは随分とオシャレだが、カフェもなかなかオシャレだ。

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手木の柱の門の向こうに鬱蒼とした庭があり、その奥に片流れの茶色の木造の建物がある。
建物は川に面している。
手前にはバルコニーがあり、そこでも飲食が出来るようになっている。
気持ちよさそうだが、寒いから止めた。

中に入ると、手作りの木の大きなテーブルとイスが置かれ、吹き抜けの部屋の真ん中には薪ストーブがある。
木が燃えるのを見ながら、コーヒーを飲むのは、なかなかオツなもんだ。

隣接してオーナーの工房がある。
ちょっとユーモラスな表情の木製の小さな人形が沢山並べられている

2階はフェルトの雑貨の展示がされている。
その時々で様々の展示会をしているようだ。

オーナーの思い入れだけで成り立っているお店だ。

こうした知る人ぞ知るといったお店は、ブログがなければ、知ることもなかったろうし、ナビがなければ、探すのが難しく、とても行こうとは思わないだろう。

後からきたグループは福山から来たという。
やはりネットで知って、来たようだ。

時代の変化を改めて感じる。

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2010年12月10日 (金)

五輪招致の年内決断延期と世論調査

 広島でアジア大会を開いて16年。中国広州アジア大会が終わった。
 発展途上の中国で開かれて大会は2年前の北京五輪と同様に大仕掛けの施設が目立った。
 「広島五輪」はこれらのアジア大会に比べてもオリンピック精神を活かす『新しい五輪モデル』としての提案意義が大きい…。
 しかし、やや旧聞になるが中国新聞が行った五輪招致の世論調査の結果「計画案の説明が不十分」の意見に秋葉市長は「年内としてきた招致決断時期を遅らせる」方向を示した。

 広島市は『2020年広島夏季五輪の開催基本計画』を平和の理念と低コスト化を掲げ、総事業費を4491億円で‘16年招致を目指した東京、福岡より3000億円前後を圧縮し、広島市の負担も僅か52億円に抑えた。財政計画では寄付金を1千億円近く見込み、競技は県内外の37会場、28競技304種目を予定。競技場や選手村で仮設設備を多用し、世界の様々な地域で開催出来る『新しい五輪モデル』を提唱している。

 一連の報道によると、市は市議会全員協議会で『基本計画案』の集中審議をし、全8区で説明会を開いた。市議会では総事業費の内約3割を寄付などで見込んでいる点を疑問視・批判する声が出された。一方、市の負担を「よくぞ52億円に圧縮した」、「大都市でなくても開催できる素晴らしいモデル」などの評価もあったが更なる市民理解への注文があった。

 市民説明会は8区で640人が参加した。一千億と見込んでいる寄付金の集め方や財政計画を不安視する意見が示された。一方で『核兵器の無い新しい時代を象徴するイベント』を謳う平和の理念には賛同の声が多かった。

 昨年10月に、五輪構想が発表されて初めて市民が是非を判断する具体的な材料が示された訳で議論はスタートラインに着いた状況だ。従って、一度の議会説明と各市で一巡した説明会で十分な賛否が議論されたとは言い難い…。

 加えて、中国新聞が11月5~7日に行った世論調査は「反対44.5%」「賛成27.1%」「どちらとも言えない28.4%」。反対理由は「市の借金増大など財政的心配82.2%」賛成は「市の発展につながる64.2%」。市民への説明不足の指摘が85%のぼった。
 「賛成21.1%」は少ないようだが、昨年8月オリンピック招致構想を発表した時に比べればかなり理解が進んだと言える。

 核兵器廃絶と言う広島の使命をオリンピックと言う世界平和の祭典と言う舞台を重ね合わせて実現できるチャンスは2度とない無い…。

 秋葉市長は今しばらく時間をかけて広島市民と平和市長会議加盟都市の市民のより深い理解と協力を得る意味は大きい。

 ノーベル平和賞受賞者サミット最終日の「広島宣言」発信のようなインターネット仕掛けをするにも年末年始の特別企画を打ち出す為にもここは「年内決断」を見送って、後3月~半年後に宣言をしたらいい。

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2010年12月 9日 (木)

全盲歌手の自伝的コンサート

 NPO法人ふくし文化塾廿日市の平理事長のお誘いで全盲のシンガーソングライターの「堀内佳コンサート」に出かけた。
 法人10周年の記念事業で県民文化センターのホールは満席の盛況だった。

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 堀内佳さん(49)は高知県四万十市生まれ。1歳の時、先天性の目の癌によって両眼を摘出して、全盲になる。

 胎児の時に既に目の異常を指摘されたお母さんは治療を求めて全国の眼科を訪ね歩いた…その母が『たとえ目が見えなくても、命の重さは同じ。置かれた立場の中で、一生懸命生きてさえいればきっと素晴らしい人生を送ることが出来る』と教えられた。
 父は彼を自然の中に積極的に連れ出して『自分で限界を決めないで、前向きに生きて行けば、世界は広がる』『障害者として生きるな』と教えられた。

 コンサートはいきなり人生スタートのモノローグから始まる。
 声量と語り口はから“自伝講談?巷談”とも言えるモノローグだ。

 5歳で親元を離れて、高知市の県立盲学校へ入学する。
 互いに身体の不自由を持つ級友が「眼はどうなっているの?」と言えば、眼球の無い目の空洞を置けて見せ、砂をかけられいじめに遭う…。

 父母の教えは「決してめげない」明るく逞しい子供に育っていく。

 中学に進んだ頃からレコードなどの音だけを頼りに、独学でギターを弾き始める。弾き方を知らない少年は畳に置いたギターとつま弾くだけだった。工夫の結果、左利きの少年はガタ―を抱えてみた…。左手でつま弾き、右手で音を取った…。
 写真のように、普通とはだいぶ違うスタイルの演奏スタイルになってしまった…。

 高校になって同級生とバンドを結成し,FM放送などに出演するが‘84年に専科を卒業し、土佐市の整形外科に鍼師として就職しながらソロ活動を始める…。

 ‘87年の“全国わたぼうし音楽祭“で文部大臣奨励賞を受賞。‘90年から高知放送でラジオパーソナリティーとして出演、軽妙な語り口と得意の歌で人気を得て、シンガーソングライターとしての活動を本格化させる。

 高知県西部の故郷、四万十の言葉と広島弁に共通なイントネーションがある…と指摘する。土佐弁とは全く違う響きがそれらしさを感じさせる。

 故郷を謳った『平田』両親への思いを謳う『実家』、患者のお爺さんとの思い出『徳弘のおじいちゃん』。会場と一緒に歌う童謡もイイ…。
 目が見えない彼の詩には「色や光や風」があり、人の温かさと暮らし、生活感がある。

 ‘08年には悪性リンパ腫に見舞われ闘病。幸い、いまは元気を取り戻してセカンドアルバム「この指とまれ」と「ねんねこの歌」が好評を博して全国を巡演している。
 コンサートを聞いて、いじめや虐待など悩みを抱える子供たちからのSOSや相談が多く、正面から向かい合っている。

 正味2時間の弾き語りは正しく彼が生きて来た『苦難の道の自伝』と言えよう。
 しかし、決して暗くて悲しい道ばかりではない『明るく逞しく優しい道』も謳う…。
 「命の大切さ」「前向きに生きることのすばらしさ」を謳い、語り続けている…。
 聞く人の心をゆすり、掴み、元気を与える…歌声は天性のものだろうか…。
 インターネットで視聴でき、CDの購入も出来ます。
 是非お聴きの上、機会があればコンサートにお出かけください。

問い合わせ:堀内佳応援クラブ『にじいろ佳倶楽部』
http://www.nijiiro-kei.com/message.htm

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2010年12月 8日 (水)

冬支度

 暑さが長引く近年は朝晩の冷え込みが本格的になる10月下旬から11月にかけて紅葉が始まる頃になると遅い「冬支度」が始まる…。

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 身近なところで目に触れる「冬支度」は平和公園や平和大通りの選定作業だ。10月の声を聞くと市
から委託された植木業者が梯子や足場を必要としない最新の機材を駆使して刈り込み剪定をする。
 今は広葉樹の70%が落葉して冬支度を進めている。

 この後、落ち葉を寝かして発酵させた堆肥を木々の間に敷き詰めて植木の養生をして越冬させる。

 街中のマンション暮らしをしていると季節の切り替えは冷暖房器具のフィルターの清掃後、スイッチの切り替えで完了する。冬支度も瞬時に支度出来る。

我が家の冬対策は全面南向きの採光に加えて3基の冷暖房機があれば炬燵もストーブもヒーターも使わない。従って、冬仕度は何時でもスイッチ切り替えで完了する。
 所が、大病して以後の私は足の冷えが酷く「足の暖房」が必要で、色々な素材を試して来た。ジェルをレンジで加熱するアンカやお湯を注ぐ湯たんぽにホットカーペットなどを工夫してみた。“帯に短し、襷に長し”でなかなか足の保温に適した暖房器具が難しい。

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 5年前に買った電気アンカを今年も出してみた。60~100Vを強、中、弱と切り替えるが手を当てて
熱いようでは使えない。低温火傷の原因になりかねない。手にほんのり暖かい程度 が適温で中々良い。

 温暖化で秋が短くなったのか?今年の冬の足は全国的には1週間から10日も早かった。渡り鳥の飛来地でもハクチョウやナベツルが例年より早く姿を見せ、八幡側河口でもカモ達が目立ち始めたようだ。

 例年なら元安川に姿を見せるコガモの姿はまだ見ないが、天気図は日々“西高東低”の日が増えている。「目にはさやかに見えねども…」自然は着実に「冬支度」が進行中だ。
 夕闇と共に点灯するドルミネーションが冬の寒空に輝きを増している…。

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2010年12月 7日 (火)

映画「弁護士・布施辰治」

 布施辰治と言う百年前に活動した弁護士を描いたドキュメンタリー・ドラマ映画を観た。
 いま何故「布施辰治」なのか?
 朝鮮人の人権擁護と朝鮮独立運動への支援、普通選挙権運動など日本の民主化運動の先駆者の生涯を資料と証言とドラマでつづっている。
 布施の生誕130年と日韓合併百年を機に民衆の視点から歴史を見直す感動の映画だ。
 この映画を一般公開する実行委員会が発足した。

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 布施辰治は宮城県石巻市出身、隣の女川町出身で映画の制作委員会の代表を務めた元日弁連会長の阿部三郎弁護士らが「平和を求め正義を貫いた郷土の生んだ偉大な人物の生き方に光を当てよう」と取り組んだ。

 脚本・監督は山本薩夫、今井正、橘祐典に師事し小林多喜二や田中正造などのドキュメメンタリー映画を手掛けている池田博穂。「民衆の視点から歴史を見直し、過酷な時代に命をかけて闘った人間の覚悟を胸に刻みたい」と狙いを語っている。

 1910年、日本は朝鮮併合を強行し、農民から土地を奪い、言葉や文字も日本語化させ氏名も日本名に変えさせる「同化政策」を進めた。故郷を捨てざるを得なかった朝鮮人は日本に渡り炭坑や紡績、造船、鋳物工場など劣悪な条件で働かせられた。
 日露戦争に勝利した日本は中国大陸へ侵略を進め、国内では驚異的なインフレが進む。
 生活苦から自殺や捨て子、社会的犯罪や労働争議が多発し、米よこせデモに百万人以上が参加するなど、騒然とした時代を迎えた。

 明治法律学校(現・明治大学)で学んだ布施は、1921年21歳で判検事試験に合格し検事として踏み出した。しかし、足尾鉱毒事件での田中正造の活動を通じて「検事の仕事とは虎や狼の行為だ」と検事を辞めて弁護士の道を進み、トルストイに共鳴して人道主義に心酔し「社会運動の一平卒となる」と弾圧と闘う弁護士活動を終生貫いていく…。

 朝鮮独立宣言(‘19年)が出され運動が盛り上がり、弾圧が激しくなるとその弁護を引き受けながら、朝鮮にわたり各地で朝鮮総督府政治への痛烈に批判を展開する。
関東大震災の時に起きた朝鮮人の虐待事件の真相を明らかにさせる闘いやでっち上がられた朝鮮人による“大逆罪”(天皇殺害計画)事件の弁護に立つ…。
 こうした布施の活動に対して権力の攻撃は壮烈で治安維持法違反事件の弁護での言動を問題にした懲戒、布施の弁論を問題視しての新聞紙法違反、そして弁護士資格の剥奪、治安維持法違反で投獄…。

 京大で学生運動に取り組んでいた息子が検挙され44年に獄死する。
 弁護士資格を奪われて息子の弁護も出来ず「俺の息子ゆえに殺された」との思いを強くし、戦後はいち早く弁護士資格を取り戻し、朝鮮建国憲法の私稿作成に取り組む活動を開始し、三鷹、松川、メーデー事件等公安事件の弁護に関わり、73歳の生涯を閉じる。

 韓国政府は2004年、独立に寄与したあい愛国の士に贈られる「建国勲章」を贈った。

 布施の生誕130年、韓国強制併合100年に、虐げられた者、社会的弱者の立場に身を置き生涯は「民衆と共に生き、民衆の為に死す」を貫いた弁護士の存在をクローズアップさせて語りかける…。
 日本にもこんな凄い人がいた…清々しさと共に勇気を奮い起させる…映画だ。

 上映会:西区民文化センターで2月18日(金)
 ① 10時~ ②14時~ ③18時半~上映予定
 会費=1000円(当日:1300円) 大学生以下800円

 問い合わせ:ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」広島上映実行委員会
      広島市中区堺町1-2-9 貴志ビル1F
      http://www.h-eigacennter.co.jp
      E-mail =info@h-eigasenter.co.jp   082-293-1119

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2010年12月 6日 (月)

AGRI

袋町小学校の東に、また1軒、新しいレストランができた。
お店の前は密生するかのように沢山の植物がおかれている。
赤いテントと黒い壁とのコントラストが奇麗だ。
植物の間を通ってお店に入ることもできるが、その脇の通路の中ほどから、入るのが正式のようだ。

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白を基調にしたお店の中はなかなかオシャレだ。
奥行はかなりある。

「おばんざいとお酒の楽しめる店」というのがキャッチフレーズだ。
この日は「おばんざいランチ」を頼んだ。

AGRIというから、野菜を主にした料理かと思っていたが、店主の女性は元々魚屋をしていたそうで、瀬戸内海の新鮮な魚の料理を出したいと言っていた。
面白いコンセプトだ。

いわれてみれば、小魚とイカの煮物が、小皿に盛られて出された。
魚の名前を教えてもらったが、忘れた。
瀬戸内海の新鮮な魚というとすぐ刺身や鮨と思うが、そうではなく、煮ても、新鮮な魚の方が美味しいのだという。
それはそうだろう。

「おばんざい」とは京都で日常的なお惣菜を指す言葉だというが、
店主の女性は、京都で修業したというわけではないという。

広島は瀬戸内海に面しているのに、こんな形で魚を料理して食べさせる店はいままでなかった。
おいおいメニューも増えるだろう。
楽しみだ。

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2010年12月 5日 (日)

使いやすいバス→楽しいバス

先日、東京から来た友人が、
「このバス停はどうなっているの?
どのバス停から乗ればいいのか、さっぱりわからないじゃないか。
これじゃ、とてもバスに乗る気にならないよ」といっていた。

「広島市の都心交通対策実行委員会で、発行しているバスの案内マップを見ても、ますます混乱するだけだ。
とても見る気にならない」と嘆いていた。

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私も広島に住んで、随分になるが、路面電車は良く乗るが、バスは、空港へのリムジンバス以外は、ほとんど乗ったことがない。

どうもバスは好きになれないということもあるが、それにしても、このわかりにくさには、ちょっと呆れた。

誰もが同じように感じるようで、
2003年には広島電鉄、広島交通、広島バス、中国JRバスが中心になり、広島市、国交省と一緒に「使いやすい公共交通推進委員会」が作られ、いろいろ研究がされてきたという。

それ以降、バス停、バス路線の解りにくさ、使いにくさは、いく分は改善されたのだろうが、この状況をみるとまだまだと感じがする。

わかりにくさだけが理由ではないと思うが、
広島市内のバス利用客は1991年頃までは1日30万人くらいの利用客があったのが、以降毎年減少傾向にあり、2002年には1日18万人程度と、ほぼ半減している。
それ以降も、多分この減少傾向は止まっていないと思われる。

郊外のバス路線では「赤字だからと、便数が減らされ、便数が少ないから不便だと、住民が減り、乗る人が更に減る」という負のスパイラルに陥っている。

通勤路線のバスについては、渋滞による時間が不安定だということに対しては、バスの専用レーンを設けたりしている。
広島市はそうした面ではかなり先進的な試みされている。

にも拘わらず、バスだけでなく、路面電車の利用客も減っていることをみると、郊外型大型ショッピングセンターが増え、都心に来る人の数が減っていることが、構造的な理由だとも思える。

だからといって、いまさら、ソレイユやアルパークを潰すわけにはいかない。
ということでは、中心市街地の魅力を高めることも必要だろうが、バスの魅力を高め、バスの利用客を増やすことも必要ではないだろうか。

最近市内のバス停は、広告付きのオシャレなバス停が増えてきた。
そんなバス停では、バスを待つのも、さして苦痛ではなくなった。

バス停だけでなく、バスに乗ることをも、もっと楽しくなる工夫をしたらどうだろうか。

今市内を走っているバスは、あまり乗りたくなるようなバスではない。

ロンドンの2階建ての真っ赤なバスとかは、一度乗って見たいと思う。
そんなバスを広島でも導入したらどうだろうか。

デザイン総研がデザインしたというボンバスは、なかなかオシャレだ。
かよこバスみたいなバスが本当に走ったら、私も乗って見たいと思う。

グワーンと音を立て、排気ガスを撒き散らすような、老朽化したバスでなく、環境にも優しいということでは、ディーゼルエンジンのバスを電気バスにすることも考えたらどうだろうか。

運転手だって、なにも男である必要はないだろう。
もっと女性の運転手が増えたらいい。

タクシーでは運転手が女性であることを売りにした、「なでしこタクシー」というのもある。
そんなタクシーに乗り合わせた時は、女性の運転手とのおしゃべりするのは楽しいもんだ。

かって、アメリカで女性がオートマチックのバスを運転しているのをみたことがある。
バスのオートマというのもびっくりしたが、それをやすやすと操作しているのが女性であることにも驚いた。

広島では、路面電車の運転手が女性だった歴史がある。
近頃、バスはもちろん、路面電車も、女性の運転手は見かけない。

いまでは、ほとんどの女性は乗用車の運転免許証は持っている。
バスの運転を、バス路線の沿線に住むパートの主婦に任せるようにしたら、人件費だってそんなにかからないだろうと思う。
そうなれば、バスの便数も増やせるかもしれない。

「使いやすいバス」というのもそうだが、さらに「乗りたくなるバス」にするにはどうしたらいいいかという工夫が、必要ではないだろうか。

広島から、「女性の運転する、楽しい電気バス」が創りだされ、世界に発信できたら面白い。
広島はその可能性がある街だと思う。

それが「スマートシティー広島」だ。

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2010年12月 4日 (土)

スマートハウス 各戸が発電装置を持つ?

日経アーキテクチャー、11月22日号の特集で、スマートハウスを取り上げていた。
これからは住宅内にある照明、TV等の電化製品の全てが、コンピューターで管理される住宅が作られるようになるというのだ。

住宅をコンピューターで管理する。
何それ?

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いわれてみれば、我が家だって、そこいら中に電気のコードが走り回り、もう収拾がつかなくなっている。
壁に取り付けられたコンセントから延長コードが延ばされ、そこに4〜5穴のコンセントが付けられ、パソコン等の機器につながっている。
典型的な「蛸あし配線」になっている。

パソコンも本体だけでなく、ディスプレイ、プリンターがあり、それが電話機、ファックスにも繋がっているから、パソコンのテーブルの後ろは、どのコードがどこにつながっているのか、さっぱりわからい。
なにかあった時、確認するだけでも結構大変だ。

家の中には、そのほかにも電気製品はまだまだ沢山ある。
TV、冷蔵庫、ポット、オーブン、電気カーペット、電気ヒーター、洗濯機、ズボンプレッサー、髭そり器、電気歯磨き器と、数え上げたらきりがないほど電気機器に囲まれて生活している。
携帯電話、カメラの充電器もある。
照明、エアコンも当然電化製品だ。

私の家は違うが、最近は防犯機器がついていたり、病院と契約しての医療機器も付けられるお宅もある。

誰もが、電化製品に取り囲まれて生活している。
いつのまにか、そうした機器なしでは生活が成り立たなくなっている。

スマートハウスでは、使用エネルギーを抑えるにはどうしたらいいのかという視点から、それぞれの使用状況をパソコン、携帯電話の画面に「見える化」して、制御しようということのようだ。

さらには住宅の竣工図を取り込み、修繕の履歴を管理することで、建物のLCCを削減し、長寿命化しようということも進められているという。

たしかに建物は人間と同様、時間がたてばあちこちが痛んでくる。
雨漏りをしたとか、トイレの水が流れなくなったとか、玄関の鍵が壊れたとか、色々トラブルが起こってくる。

住宅も人間同様、生きていれば、住宅の医者にかかる必要があるのだ。
そんなとき、その建物に関する情報が即座に取り出せるようになっていれば便利なことは確かだ。

建物を維持管理する費用は、作る時の費用に比べ、大体4〜5倍かかるといわれている。
それをケチるとロクなことはない。
きちんと管理していれば、建物の長寿命化にもなる。

住宅は、人間以上にコンピューターで情報を管理し易い、すべき対象かもしれない。

そうしたことが大きなテーマになってきたのは、電気機器全てパソコンで管理することが可能になってきたこと来たことにもよるが、最近では屋根の上に太陽光発電のパネルを取り付け、自ら発電システムを持つことが可能になってきたこと、さらに発電した電気を、ガレージにある車の蓄電池に蓄電するということも可能になりつつあるということで、発電から蓄電、そして電気を使用するを1軒の住宅の中で終結させることの可能性が生まれてきたことが、背景にあるようだ。
それが今いわれる、さらに新しいスマートハウスの概念のようだ。

先日の新聞には、伊藤忠が車の電池は、車の電池としての寿命が切れても、住宅用の電池として使えるので、そのための会社を立ち上げたと出ていた。

プリウス、インサイト等のハイブリッド車になると、もう、コンピューターに車を付けて走っている感じだが、
建築もコンピューターに屋根と柱がついて、その中に人間がいるという感じになってきたようだ。

車は一気に、ハイブリッドカー、EVに転換しつつあるが、それは高性能で、廉価な電池の開発されたことによるところが大きいという。

巨大な火力発電所や原子力発電所等の発電システムは送電によるエネルギーロスはかなり大きいとも聞く。
車は電気のみで走るEVに進化していくといわれているが、案外そうではなく、ガソリンエンジンという発電装置を積んだハイブリッド車の方が、案外これからの時代には適っているかもしれない。

車のガソリンエンジンを使った発電装置を、個々の住宅が持つことにも可能な時代がくるかもしれない。
そのほうが案外効率的かもしれない。
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天然ガスは地球上に無限あるそうだ。
広島ガスは、天然ガスを使った家庭用発電装置と蓄電池を一体化した装置を開発すれば、案外売れるかもしれない。
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エネルギーの地産地消、自産自消は、広島から始まる
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2010年12月 3日 (金)

「二人の大臣の発言」の真意?

 菅内閣、二人の大臣の発言が厳しい追及を受けている。
 柳田法務大臣の「国会答弁は二つ覚えておけばいい」と仙石官房長官の自衛隊「暴力装置」発言だ。二人ともいち早くお詫びをしてしまったが、この二人の発言の持つ意味合いには大きな違いがある…。

 柳田法相は14日広島で開かれた大臣就任祝賀会の席で「二つの答弁を」『個別事案については答えを差し控える』と『法と証拠に基づいて適切にやっている』を“旨く使い回し”を繰り返せば、何も知らない私でも大臣なんて出来ますよ…と発言して参会者の笑いを誘った…と言うものだ。
 新聞テレビの取材陣も居並ぶ中での発言に、身内の祝賀という気安さがあったにせよ、“国会軽視“と追及を受けて「思慮不足だった」と弁解して済むものではないだろう。
 法の番人の元締めの存在である。大臣の中でも最も経験と専門知識が求められる役割だ。軽佻浮薄、軽率の誹りは免れない…。

 郵便不正事件の検察特捜の改ざん事件や尖閣諸島問題でも「この二つの使い回し」ですり抜けて来た…とするならば「甚だしい国会軽視」と言わざるを得ない。自民党政権時代に不用意な発言をして大臣の席を去った議員は多い。総理もかばい、本人も続投の意思表示をしていたが、今朝(22日)になって、補正予算を人質にされて辞任した。

 一方、仙石官房長官は18日の予算委員会で自衛隊を「暴力装置」と言い、直後に『実力組織』と言い直し、「法律上の用語としては不適切だった。自衛隊に皆さんに謝罪する」と陳謝した。菅総理も「自衛隊の皆さんのプライドを傷つけた…」と詫びた。

 この発言の背景には、かつて学生運動に身を投じていた仙石長官の思想信条が思わず出てしまった…との見方が指摘されている。全共闘華やかな時代の“左翼用語”として片付けるのではなく、憲法9条をはじめ“民主党の自衛隊観”を問い直し、見つめ直すべきではなかろうか…。

 憲法9条は『戦争の放棄と戦力の不保持、交戦権の否認』を定めている等の解釈のため、日本国内の法令や政府見解では軍隊に相当しないとしてきた。
 しかし、防衛組織“と考えている他国は無い…。事実上の軍事組織であり活動の内容や設置の目的は正しく『軍隊』である…と考えられている。

 一般市民・国民が武装を禁じられた日本では、武力で実力を行使できる警察・海上保安は内に、自衛隊は外に対する「暴力装置」として治安や平和維持の体制が許されている。
 『暴力』という言葉が適切か不適切かは別問題で、組織としての存在は『暴力装置』であるとの認識はウエーバーならずとも仙石大臣をはじめ、今でも安保世代の多くの国民が考えている…。

 その『軍隊と同様』の自衛隊はまず、語彙として『力・物理的強制力で成し遂げる…暴力装置』である事を冷静に認識する必要があるのではなかろうか…?

 従って、「法律上の用語として不適切…」ではなく、政治学、社会学的には常識でも『法律上の用語として“誤解”を招きかねない…』との意味合いであれば理解される。

 菅内閣が補正予算の可決をかけて『暴力装置』の質疑を深めれば更に混乱を大きくする…との読みが、いち早く「お詫び」になったと考えられる。

 これこそ、民主党政権が抱える国防と憲法解釈を巡る最大の課題として「党内世論の確立」が急務ではないだろうか?  <22日朝:記>

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2010年12月 2日 (木)

森永ヒ素ミルク事件と工場閉鎖

 「森永乳業の徳島工場、来年9月で閉鎖」という小さな記事が掲載された。生産拠点の集約に伴う閉鎖とあるが普通の工場整理とは大きな違いが秘められた閉鎖だ…。

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 昭和30年、今から55年前に乳児用粉ミルクの製造工程でヒ素が混入し、このミルクを飲んだ乳児が西日本中心に相次いで急逝ヒ素中毒で130人が死亡、約1万3千人に健康被害を出す「森永ヒ素ミルク事件」を引き起こした工場だ。

 当時は世間体が悪いなど障害を隠す傾向が強く消費者の権利も確立されていない時期で満足な救済がされず多くの子ども達が苦しんだ。

 事件から14年後の昭和44年(69年)阪大の丸山博教授の追跡調査「14年目の訪問」で粉ミルクによる脳性まひ等の後遺症が続いている事実が明らかになり、被害者は「守る会」を中心に結束し実態を次々に明らかにして公表した。
 これを契機に、全国で本格的な被害者救済の運動がやっと始まった。

 広島県内にも被害者は多く寝たきりや発達の遅れた子供たちが多く、私も訪問調査に同行して積極的に取材報道した。当時の永野県知事の次男も被害者の一人だった事から「守る会」の運動に理解があった事は余り知られていない。

 スポンサー圧力があったのかどうか、広島のマスコミは殆んど取材しなかった。
 民放にとって“スポンサーは神様”。この頃、大スポンサーの恥部をめくる記事が多いRCCは森永乳業は敬遠し営業は頭を抱えていたらしい…。

 後に、ひろしま生協の理事長を務められた冨田さん達が取り組んだ「森永製品不買運動」や、当時RCCが毎月発行していた文化誌「放送RCC」に書いたルポ記事「エンゼルは殺しのマーク」に、クレームが付けられ廃刊に追い込まれる事態が起きた…。

 幸か不幸か?私に直接クレームが付けられたり、取材にブレーキがかけられることは無かった。上司やデスクが食い止めていた可能性はある…。しかし、営業的には大きな打撃をこうむっていたようだ。

 森永乳業と被害者の間でも紆余曲折あったが、森永は昭和48年(`73年)、被害者団体と旧厚生省の3者間で「責任を認め」、生涯にわたる生活支援などの30億円の支給で合意し、財団法人「ひかり協会」を発足させ、被害者救済の仕組みが出来た。

 ひかり協会の発表によると、3月現在で、全国の被害者は今も1万3429人、内10人に脳性まひや知的障害の後遺症を抱えている。当時の死亡者は130人だったが、その後、後遺症などで亡くなった人は千人を超えている。

 事件から55年、被害者たちは55歳になり、森永は今も年間17億円を協会に支出しているが、親の高齢化で被害者の暮らしをどう維持するか新たな課題も生まれている。

 一工場の閉鎖の陰に起きた歴史を今一度振り返り、改めて記憶と記録に刻み込んでおきたい。水俣病やサリドマイド禍と言った公害や薬害が社会問題化する以前に「製造責任」と言う言葉も無かった時代だったことを思い起こして…。
 被害児と家族は今も後遺症と闘っている事を忘れてはならない…。
 食の安全はますます脅かされている…。
 日本の経済成長の歪みの中で起きた歴史の一頁と片付けてはいけない…。
 そんな悲しい歴史の影を背負った工場の閉鎖だ…。

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2010年12月 1日 (水)

ノーベル平和賞サミット「宣言」の世界発信

 歴代のノーベル平和賞の受賞者が参加する「ノーベル平和賞受賞世界サミット」は14日平和公園で平和アピールを行い、インターネットで世界へ向けて「核なき世界の実現に向けた取り組み」を宣言して閉会した。
 「ヒロシマ」が広島から世界同時に発信されたのは初で、広島市の取り組みが評価される。

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 広島市はRCCに委託して平和公園と周辺で携帯電話やパソコン等のモバイル端末で様々な情報を伝える「広島P2オーカー」を本年度から立ち上げた。これを活かしての同時生中継。
 世界中でパソコンから同時視聴できる…。
 その為にRCCが中継車を出してカメラ3台を駆使して会場の模様をつぶさに発進した。

 従来、RCCが8・6式典中継の画像を利用して、インターネット中継をして「平和宣言」を多言語で伝える取り組みはしてきたが、今回の様な世界規模の会議や情報の発信は初めての試み。「p2ウオーカー」を活用すれば大いに活きた情報発信が出来る…意味合いを証明した。
I Tに強い副市長の就任が実現に働いた?と見られ、今後の発展が期待される。

 宣言は「核兵器の使用は人道に反する犯罪であり、禁止されなければならない」と明記した上で、米露に対して新核軍縮条約の速やかな批准と、すべての種類の核兵器を大幅に削除するための交渉を要求するなど、核廃絶への行動を政府や市民に求める6項目を盛り込んだ。

 また、イタリアの元サッカー選手に平和サミット賞が贈られたが、図らずも創価学会員である事を強調の余り興ざめしてしまったのは私だけではなかろう。それにしても“いま日本で一番ノーベル賞を欲しがっている人”と言われる池田大作氏と創価学会がノーベル賞の世界にまで手を伸ばしている力を見せつけた場面でもあった…。
 同時に核兵器の恐ろしさを世界に伝えた被爆者に敬意を表して日本被団協にも特別賞が贈られた。
受賞者の一人ミアンマーのアウンサン・スーチ―の自宅軟禁解除を歓迎する声明が出された反面、当初盛り込まれると見られていた中国初の受賞者で民主活動家の劉暁波氏らに関する人権問題は盛り込まれなかった。「核廃絶のテーマに丈に焦点を当てたかった」と…。
 また、誰かが手をまわして『ノーベル賞授賞式には出席しないで』と要請してきた中国政府への配慮があったのだろうか?

 新聞やテレビの報道は広島県内でありせいぜい部分的に全国で、世界にストレートに広島が伝わる機会は極めて少ない。日本のマスコミの商業性を考えれば無理からぬ事情ではあるが…限界が見えてくる。

 その点、インターネットの威力はいまや無視できない。
 Youチューブが伝えた『尖閣・映像』は世界を駆け巡っている。

 オリンピック問題を含めて「核兵器廃絶」を広島、日本国内レベルで扱い、議論していては全く時代遅れ…と認識しない限り『ヒロシマの世界化』の壁は厚い。
 世界的視野から考えると遅きに失した感もあるが、遅ればせながら「ヒロシマの世界化対策」に広島市自らが立ち上がり手を打った意義は地味ではあるが小さくない。
今後、こうした取り組みが積極的多様に進められ発進されることが期待される…。

 それにしても、同時期にオバマにメドベージェフの米露に中国の首脳が横浜にいるのは皮肉な結果だったが、オバマ米国大統領の来広は国内の情勢から考えると厳しい…事だったのだろう。
今後の彼の「核なき世界」への闘いを期待したいものだ…。

<15日:記>

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