「松の廊下」真山一郎さん引退に思う
歌と浪曲「刃傷 松の廊下」(以下松の廊下)で知られる真山一郎さん(下松市出身。父母が広島)が体調不良のため浪曲界を引退した。芸能生活63年。二葉百合子さんも来年引退するから、歌謡浪曲の東西大御所がいなくなるのは大変さみしい。
私が新聞社へ入社した昭和39年に、近くのキャバレーで「松の廊下」を聞いた。広島にゆかりのある歌なので覚え、持ち歌にした。歌手にも会って見たく、昭和45年広島公演の際楽屋を訪ねると、真山さんは気さくに応じてくれた。
さらに親しくなったのは、昭和49年新聞社主催「東西浪曲大会」で広島県内4ヵ所を公演した時。天中軒雲月、玉川勝太郎、京山幸枝若、中村富士夫らと一緒に移動中、皆さんは花札をしていたが、真山さんは読書をしていた。「松の廊下」の歌と浪曲のひと節を習った。公演では「南部坂雪の別れ」「番場の忠太郎」「ああヒロシマ」「嗚呼吉田松陰」など演目の多い中、当時LPが20万枚も売れた「日本の母」が大評判で4ヵ所とも上演していただいた。
歌の新曲が発売されると一緒にキャンペーンをし、昼はマスコミ、夜はスナックやバーを回る夜キャンをした。カラオケのない時代、重いテープレコーダーやスピーカーを持って回った。
ある時「松の廊下」の歌詞を「浅野の家はこれまでか」を、「これからだ」と歌ってくれと客からの注文。真山さんは嫌な顔をせずに歌ったことがある。「河内の次郎長」がヒット賞を受賞した際は「少しはお役に立てたのでは」と喜んだものだ。
芸能生活50年、60年、古稀、喜寿や文化庁長官表彰の時など節目に広島に来ていただき祝賀会を催した。
真山さんは浪曲親友協会の法人化に尽力、会長を8期16年務めた。二代目は弟子の真山広若さんが襲名する。浪曲界に新風を吹き込んだ全編オーケストラでの真山スタイルの浪曲を継承する二代目に期待したい。
全国に弟子は沢山いるが、山口県にも龍太郎さん、昭二郎さん、大五郎さんがいるので、来年は一緒に引退記念の会を広島で開きたい。浪曲の再生、後に続く者のためにも真山さんみたいな人にもっと光を当ててほしいと願うのは私だけであろうか。
上村和博
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