広島ブログランキング

  • 広島ブログ
無料ブログはココログ

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月

2010年11月30日 (火)

広島城の被爆樹

 久し振りに行った広島城址公園で知ってはいたが改めて城内にある被爆樹をみた。
 二の丸跡のお堀端にあるユーカリは被爆樹木の説明プレートがある。
 城内には数本の被爆に耐え今も生き続ける被爆樹がある。

 この場所は爆心から740メートルと近く遮蔽物が無く直爆した為に南面が熱線で黒こげに焼かれた。昭和21年の台風で高さ2,5メートルの所で折れたが、再び根元から新芽を吹き返して再生して生命力を示した。

123

 ユーカリはオーストラリア原産で世界中に分布しているが、この木の樹齢は約百で幹回りは2m余りある古木だがいつ誰が植樹したかは判らない。

 `98年に説明板が設置され`03年には倒壊防止の支柱が設置されている。

 城内には770m地点の中御門近くにマルバヤナギと言う柳の木もある。焼けた為、中が空洞になっていたが、樹木医の保養剤による手厚い養生で見事に復活している。

 大本営跡、910mの位置に大きな3本のクロガネモチがある。広島市はこれらの被爆樹を01年か延命治療をしている。
 この他RCCの北の緑地にある陸軍幼年学校の門柱のそばにある楠木も被爆樹。

 被爆樹は基本的には2キロ以内で被爆し今でも生存している樹木で、現在では160本の被爆樹が神社や寺の境内、被爆建物周辺を中心にある。どれも概ね樹齢百年を越す大樹に育って、生命力を誇っている。
 これらの存在は樹木医さん達の努力で「被爆樹リスト・マップ」が出来ている。広島市のHPなどインターネットで簡単に入手できる。マップを手に出かければ…広島再発見の手掛かりになる…

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月29日 (月)

「松の廊下」真山一郎さん引退に思う

 歌と浪曲「刃傷 松の廊下」(以下松の廊下)で知られる真山一郎さん(下松市出身。父母が広島)が体調不良のため浪曲界を引退した。芸能生活63年。二葉百合子さんも来年引退するから、歌謡浪曲の東西大御所がいなくなるのは大変さみしい。
 私が新聞社へ入社した昭和39年に、近くのキャバレーで「松の廊下」を聞いた。広島にゆかりのある歌なので覚え、持ち歌にした。歌手にも会って見たく、昭和45年広島公演の際楽屋を訪ねると、真山さんは気さくに応じてくれた。
 さらに親しくなったのは、昭和49年新聞社主催「東西浪曲大会」で広島県内4ヵ所を公演した時。天中軒雲月、玉川勝太郎、京山幸枝若、中村富士夫らと一緒に移動中、皆さんは花札をしていたが、真山さんは読書をしていた。「松の廊下」の歌と浪曲のひと節を習った。公演では「南部坂雪の別れ」「番場の忠太郎」「ああヒロシマ」「嗚呼吉田松陰」など演目の多い中、当時LPが20万枚も売れた「日本の母」が大評判で4ヵ所とも上演していただいた。
 歌の新曲が発売されると一緒にキャンペーンをし、昼はマスコミ、夜はスナックやバーを回る夜キャンをした。カラオケのない時代、重いテープレコーダーやスピーカーを持って回った。
 ある時「松の廊下」の歌詞を「浅野の家はこれまでか」を、「これからだ」と歌ってくれと客からの注文。真山さんは嫌な顔をせずに歌ったことがある。「河内の次郎長」がヒット賞を受賞した際は「少しはお役に立てたのでは」と喜んだものだ。
 芸能生活50年、60年、古稀、喜寿や文化庁長官表彰の時など節目に広島に来ていただき祝賀会を催した。
 真山さんは浪曲親友協会の法人化に尽力、会長を8期16年務めた。二代目は弟子の真山広若さんが襲名する。浪曲界に新風を吹き込んだ全編オーケストラでの真山スタイルの浪曲を継承する二代目に期待したい。
 全国に弟子は沢山いるが、山口県にも龍太郎さん、昭二郎さん、大五郎さんがいるので、来年は一緒に引退記念の会を広島で開きたい。浪曲の再生、後に続く者のためにも真山さんみたいな人にもっと光を当ててほしいと願うのは私だけであろうか。

上村和博

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月28日 (日)

カボチャの馬車とコスプレとゴミと本通り

つい最近まで、夜10時近くに本通り商店街を通ると、シャッターの閉まったお店の前にゴミ袋が山のように積みあげられていた。
紙の類いの袋だから、それほど不潔感は無いが、それでもゴミはゴミだから、美しいとはいえない。
お店も閉まって、ゴミ袋の積み上げられた、暗くなった本通り商店街を歩くのはちょっと怖かった。

先日、夜8時前、本通り商店街を歩いていたら、まだほとんどお店が開いているのに、何軒かのお店の前にゴミ袋が置かれていた。

なんでこんな時間に、と思っていたら、ゴミ収集車が集めて回っていた。

確かに、できるだけ速やかにゴミ袋を回収して回るというのは、いいことだが、歩行者専用の時間帯に、あんな大きなトラックが走るのはなんとも危険だ。
あんまり恰好もよくはない。

デズニーランドではゴミ収集とか、そうした裏方の仕事に対しては、そのために地下に巨大な空間が作られていると聞いたことがある。
地上の建物の同じくらいの地下空間があるというのだ。
パビリオンを運営するスタッフも、その地下道を通って担当の建物にいくらしい。
裏と表の使い分けが徹底している。

そんな空間を本通り商店街の下に作ろうとしたら、とんでもなくお金がかかる。
とても無理な話だ。

しかし、なにもそんな凄まじい裏空間を作る必要は無い。
もっとシャレたやり方あるはずだ。

新幹線のJR西日本の区間では、可愛い女の子がゴミ収集の専用カートを押して、集めにくる。
可愛い女の子だと、ゴミも美しくなる?

本通り商店街も、ゴミ収集活動を商店街のイベントにするような仕掛けることを考えたらどうだろうか。
可愛い女の子が美しいカートを押してゴミ袋を集めるようにしたらいい?

或いは、コスプレショーの一環として、コスプレの女子がゴミ集めをやってもいいだろう。

そういえばシンデレレラのお話も、普段家に残って掃除ばかりをさせられていたシンデレレラが、見かねた魔法使いが現われ、ぼろ服を美しいドレスに、カボチャを馬車に変えられ、宮殿にいったのが縁で、王子様に見染められて結婚するという話だった。
そのシンデレレラのように、コスプレの女の子も、今日一生懸命街の掃除をしていると、明日王子様に見染められるかもしれない?
ゴミ収集車だって、ドリミネーションに展示されているようなボチャの馬車をイメージした車にしたら、ゴミ収集も楽しくなるかもしれない?

1_6

そうなれば、本通り商店街では、毎晩、夜8時になるとコスプレショーが楽しめるようになるかもしれない?
本通り商店街は、夜8時になると沢山の観客が集まるようになるかもしれない?

コスプレマニアが清掃会社を作ってもいいだろう。
??
広島に極めてユニークな会社が1つ生まれるかもしれない。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月27日 (土)

collect with cafe  家具&カフェ

日が暮れると「うらぶくろ」の街は一変する。

夜になって街を歩くと「エッ、こんな店あった?」という新しい発見があちこちにある。
暗くなると、昼間見えなかったお店の中が見えるようになる。
暗闇のなかに、そこだけがひときわ鮮やかに、浮かび上がって見える。
それは奇麗だ。

このカフェと家具のお店、コレクトもそんな店の一つだ。

1_5

半階上がつたロビーのガラスの向こうにお店があるというのもシャレている。
私は半階下がるのも好きだが、半階上がるのがこんなにいいとは初めて知った。

道から、若いカップルがゆったりとした椅子に座り、食事をし、コーヒーを飲んでいるのが見える。

中に入ると、手前がカフェになっていて、左手奥に家具、食器が展示されている。
カフェに使われている家具も売り物のようだ。

豪華ではないが、なかなかオシャレな雰囲気を作り出している。
流れているモダンジャズもいい。

家具とカフェの組み合わせも面白いが、展示、使用されている家具は全て1960年代にデザインされた製品だ。
それもマルニとカリモクの製品が殆どというから面白い。
ユニークなコンセプトだ。

1960年代といえば、ようやく日本が貧しかった時代から脱皮し、経済的に豊かになろうとしていた時代だ。
建築家の丹下健三が東京オリンピックのために代々木体育館を設計し、剣持勇が家具のデザインでグッドデザイン賞を受賞するような時代だった。

畳に座る生活から、椅子の生活に変わろうとしていた時代でもある。
欧米の家具は、まだ高くて使えない時代でもあり、日本では天童木工とか、マルニ木工が日本の技術を生かした椅子、テーブルを盛んに作っていた。

今になって見ると、そんな時代の家具には、豪華ではないが、どこか人の温もりを感じる。
新しい家具なのに、どこか不思議な懐かしさもある。
それが、60年代を知らない若い人も60年代の家具を購入したいという理由のようだ。

1970年代生まれのオーナーにしても、そんな1960年代ことは全く知らないだろうが、その若者の感覚を上手く捉えて、ビジネスに繋げている。

商品は60年代の製品、それもマルニとカリモクに殆ど限定されている。
それにしてもそんな趣味の人は広島にはそれほど多いわけではないだろう。

このお店では、お店で直接売るだけなく、どちらかといえばネットで売るのを主としているようだ。
全国を相手にする、世界を相手にすれば、それはかなりの潜在顧客はいるだろうと思う。

ネット時代になってお店の有り方も様変わりしたようだ。

面白い時代になった。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月26日 (金)

電話帳

年末ということだろうか、新しい電話帳が届けられた。
エーッ、電話帳なんて使わないんだけど、どうしよう?と思った。
もう何年も、電話帳を1ページも開くことなく、廃棄処分の回収に回している。

以前は50音順の電話帳と職業別の電話帳2冊だったが、個人情報保護法が施行されてからは、職業別タウンページだけになった。
50音順の電話帳がなくなったことで不便になったといえばいえるが、もうここ何年も電話帳を使ったことがない私とっては別にどうってことはない。

1_4

電話帳なんていらない、もう止めたらいいだろうにと思っていたら、
今朝の新聞に「警察庁とNTT西日本からの重要なお知らせ」「振り込め詐欺に電話帳の情報が使われるケースが最近目立っています。電話帳への掲載をご希望されない方は、下記までご連絡ください」との広告がデカデカと載っていた。

振り込め詐欺に使われるのは50音順の電話帳だけでなく、職業別の個人名編の電話帳までが使われるらしい。

振り込み詐欺になんて、私はかかるわけがないと思っていたが、実は私も危うく振り込め詐欺に引っ掛かりそうになったことがある。
彼らはそのくらい巧妙だ。
電話番号と名前さえ解れば、充分ということだろう。

そんなことがあって以来、発信者がだれか解らないような電話には絶対出ないようにしている。
大体自宅にかかってくる電話にロクな話はない。
投資をしませんかとか、いたずら電話の類だ。
そんなのに付き合っているお金も暇もない。

話す必要がある相手は、大体全て携帯に登録されている。

そうでない相手、例えば市役所や予約をしたいレストランの電話番号は、ネットで検索すればいい。
しかし最近は、代表番号がなくなり、殆どダイヤルインになっていることもあってか、HP上で、電話番号を探すのが結構大変なこともある。
まあそれも仕方がない。
ちょっと探せばいいことだ。

携帯電話が登場し、あっという間に街中の電話ボックスが消えた。
ネットが登場したことで、電話帳の役割も無くなったようだ。
電話帳なんて、止めらいい。
資源の無駄だ。

捨てるのも面倒だ。
???

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月25日 (木)

広島城菊花展と紅葉

 週初めの8日、RCCへ行ったついでに広島城に立ちよって見た。フードフェスティバルにも行かなかったので数年振りの城址公園だった。

 銀杏やカエデが色付き始め、護国神社にはウイークデーにも拘らず七五三のお参りする家族連れの姿が結構沢山見受けられた。見頃は来週以降のようだが当分の間は楽しめそうだ。

 同じ城址内の二の丸と三の丸では39回目の「広島城大菊花展」が開かれていた。菊友会のメンバーが持ち寄った約2千鉢の菊が楽しめる秋恒例の風物詩だ。

 目を引くのは二の丸にある10m四方で高さ3.5mの作品「鯉の滝登り」だ。白い菊を流れる滝に見立て、滝を登る鯉を色とりどりの菊をあしらって一幅の絵画に仕上げている。

 制作には構想から完成まで8ケ月をかけ、会のメンバー80人が持ち寄った菊を使い菊人形とは一味もふた味も違った作品に成っている。

1_323

 展示は盆栽から大輪の一輪菊など実に多種多彩な菊が網羅されており、愛好家たちはカメラを手に楽しんでいる。小学生が育てた菊も展示され来場者の注目を集めていた。

 会場では菊友会の人達が百円から数千円の切り花や苗に盆栽も販売し、育て方や盆栽造りの指導もしている。残念ながら展示会は11月14日で終わるが、菊の育て方などは菊友会が年間通して指導してくれるようだ。

 県内の紅葉は県北では今が盛りで、宮島の紅葉谷など沿岸部は勤労感謝の日を挟む下旬にかけて盛りとなる。今夏の厳しい暑さが多くの枯葉を生んで紅葉は期待できないと思っていた。しかし、自然はそれなりに正直に反応してそれなりの紅葉を楽しませてくれる…。
 遠出は難しいが近場の紅葉も結構楽しめる。秋満喫の時だ。<11月9日:記>

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月24日 (水)

ドラマ『99年の愛』~移民と広島②)~

 物語は戦争を挟んで4兄弟の内2人の姉妹は日本で教育を受けさせたい父母の強い願いで帰国する。父の実家である島根の家は相変わらず貧しく、米国の伯父の仕送りで女学校を卒業し結婚した二人の叔母に預けられる。妹は沖縄へ姉は広島に引き取られる。

 しかし、戦況は悪化し米軍の沖縄上陸作戦で叔母家族は妹を残して全滅し、姉は広島で原爆に見舞われる。父母を知る日系二世の米軍人の助けで広島に辿りついた妹は被爆収容された姉と再会する。妹は後遺症に苦しむ姉を抱えて京都に逃れ、親切な医師の家族に助けられる。…が、姉は原爆症で逝ってしまう。
 食べるものにもこと欠いた日本の暮らしを背負った妹は祖国日本へ送り込んだ父母に捨てられたと思いこんで恨む…。
 米国への帰国を捨てて日本で生き抜き世界的なデザイナーとして成功する。

 今も米国へ反発しながらも生れ故郷忘れきれない妹は“孫の夢を果たす為”65年余振りイチローの野球を観るためシアトルを尋ね、二男や戦死した長男の兄嫁達と再会する。
 父母の思いを徐々に知り、帰国を喜ぶ半面、姉の死を巡って原爆投下をした“祖国米国”を厳しく非難する。
 『残酷な殺人兵器と判って使った米国は許せない』『原爆の惨たらしさを知って投下した米国が憎い』と吐露する。

 同時に、妹は白人と一緒になりたい孫娘に「日系人に対する差別と偏見が許せない」と今も白人に反発して、孫の結婚に反対する兄嫁に「ジャップと言われた裏返しの報復だ」と詰めよって、考え方が間違いと気付かせる…。日系人が持ち続けたであろう気持ちを「真の日米和解」の気持ちに導く…。

 ヒロシマはここを乗り越えてこそ「核兵器の廃絶」がある事を知っており、ここが『核廃絶・反核平和』の原点である事を、世界の人々にも理解して欲しい…と願っている。

 見事な山場の演出は橋田さんがどれ程多くの被爆者の手記や記録を丹念に読んで準備されたか…推察できる。

 ドラマとは言え、被爆者の胸に今も燻り続けている「米国への本音」をここまで明瞭に語らせた作品はこれまでに無かった?のではないか。
 また「差別と貧困で恨み骨髄の日系人の胸の内」を代弁させて、核兵器の恐怖と廃絶を告発し、日米友好と和解の精神を謳いあげた…。
 随所で溢れる涙と闘いながらの5日間、圧巻の11時間余だった。

 RCCの「アメリカの土」は45年前、広島・長崎で被爆し、その後帰国した2千人を下らないと言われた二世である在米被爆者の存在も知らせ、以後「在米被爆者協会」の結成や、広島・長崎への渡日治療の足掛かりもつくった。この番組が果たした役割は大きかった…。

 嘗ては軍国少女として生きた時代を振り返って橋田寿賀子さんが自身の生涯のテーマの「戦争と平和」を描く最後の作品として、構想と執筆に4年を費やした。
 橋田さんの遺言とも言える大作だ。

 6月には竹原市内の町並保存地区で200名以上の地元エキストラが参加してロケーションが行われた。

 関東地区では最終日の19.1%をトップに平均15.3%、広島地区は最終目の20.8%で平均18.1%はこの種のドラマとしては最高の結果ではなかろうか。

 RCCの「アメリカの土」は残念ながら全部の作品を留めるVTRは無いが、再放送に耐えうる1~2本はある…。再放送実現は不可能だろうか…?

 一世紀前に米国へ渡った貧しかった日系移民家族が、人種差別や戦争の苦難と逆境を乗り越えて生き抜いた家族愛をスケール大きく描かれた人間ドラマは「戦争・原爆と移民」という広島県人の忘れられない歴史の一頁でもある。
 当然、再放送も期待される。
 DVDが発売され再度見る機会が出来るのは嬉しい。<11月10日:記>

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月23日 (火)

ドラマ「99年の愛」~移民と広島①~

 「日本のテレビドラマ史上最大の5夜連続大河ドラマ」とTBSが意気込んだ『99年の愛』が放送され、通して観た。米国に移住した日系移民家族の開拓と戦争、差別、復興の日々を家族愛と日本人の誇りを頼りに生き抜いた4世代にわたる日米通史だ。『戦争はいけない』『原爆は許されない』の強いメッセージを込めた見応えのあるドラマだった。

 冒頭にシアトル・マリナーズのイチロー選手の姿が映る。65年前、同じ街で日系移民が収容され差別を受けた光と影の対比を映し出した。『戦争が何をもたらしたか』を一家族4世代が生きた一世紀の闘いの記録だ。

 99年前に奥出雲の貧農の次男坊が農業移民として渡米する。家族に送金しながらも日本から迎えた妻と4人の子どもに恵まれて、必死で働き自分の畑を持てるまでになった。
 そんな時、真珠湾攻撃で戦争が始まる。日系移民は砂漠の収容所に強制収容される。
 米国生まれの長男は進学した大学で知り合った日本の外交官の娘と結婚するが、米国人としての忠誠心を問われる。祖国日本への忠誠心を崩さない父と母の板挟みに成りながらも米軍人として志願し、日系二世だけで編成された隊員として欧州戦線に派遣される。
 長男は尻込みする隊員を鼓舞し勇猛果敢な戦いで戦果をあげるが戦死する。この功績が大統領の高い評価で日系人への蔑視と差別が解消される…契機となる。

 こうした事実を45年前にRCCが追って「アメリカの土」として放送した。
移民先進県?広島は明治18年のハワイの菅約移民以来米国、カナダ、ブラジルなどに広がって全国一の移民送出県になっていた。「進取の気性」の県民性と言われるが、財産分与を成し得ない貧しさの裏返しでしかなかった。それでも忍耐して踏ん張って成功者と言われる人達を多く輩出したのも広島だった。

1_2

 海外取材が自由化された最初の企画で当時1ドル360円の時代にふた月を超える長期にわたってハワイから米国西海岸の日系移民の差別と貧困と成功の足跡を追った。
 まだ無名に近かった梶山季之が構成した30分スタジオ番組12本、白黒のフイルム構成の特別番組2作品を放送した。

 嘗ては軍国少女だった橋田寿賀子は密やかに「戦争と平和」をテーマにし、今ここに「反核平和」を渾身の遺言として“被爆者の思い”を込めて…胸を打つ。  ≪続く≫

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月22日 (月)

亥の子祭り

 朝からあまり上手ではない太鼓の音が響いている。
 ベランダから見ると亥の子の太鼓だ。
 幼稚園児に小学校低学年30人くらいが父兄と一緒に町内を廻っている。

 太鼓のグループと亥の子餅の2グループに分かれて行動している様に見えるが、ひと固まりだ。

1

 先週末の白神社の秋祭りに続き、子供達にとっては2週連続のお祭りだ。

 亥の子は旧暦10月(亥の月)の亥の日に行われる行事で、西日本で見られる収穫祭で、古くは中国から伝わった行事だ。

 亥の子餅をついて食べて無病息災と子孫の繁栄を祈るのが習わしで…初冬の風物詩だ。
 亥の子石という丸い石に何本も縄をかけて四方八方から引いては落として地面にたたきつけ、各家を練り歩く…。息子や2人の孫達もお世話になって来た…。
 太鼓は小さな車輪がついた台車に乗せて叩きながら歩き回る。亥の子餅は畳半畳分の敷き物を持ち歩きながら各お家の前で「亥の子、いのこ、亥の子餅ついて、繁盛セイ! 繁盛セイ!!」と囃したてる。

 嘗ては、石を搗いて貰った家では餅やお菓子に小遣いなどを振る舞ったが、今では子ども会や町内会が用意したお菓子などをみんなに配っている…。

 私は全く経験が無く知らないが、話によれば何も頂けない家の前では「貧乏せい!貧乏せい!!」と囃していた地域があった…という記録?があるが、真偽のほどは判らない

 亥の子餅なるものがどんな餅だったのかも知らないが『亥の日に食べる餅』で特別なレシピがあったと云う記録は無い…。

 それにしても、すっかり忘れかけているお祭りが維持されている事は嬉しい事だ。
 地域の風俗習慣が細々でも継承されている事に、改めて関係者に感謝し、今後も続けられる事を心からお願いしたい…と思う。失われつつある地域コミュニティー復活のカギ、いや芽になる大切な財産とも…言える。 (11月7日:記)

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月21日 (日)

可笑屋

可部の街には古い民家が数多く残っている。
そんな古い民家の街並の価値は戦後ずっと忘れられていたが、近年になってようやくその価値が見直されるようになった。

この可笑屋は、150年前に建てられたという繭問屋旧松井邸を、地元の「NPO法人ウイングかべ」の人たち数年前に取得し、改築したという。

2008年6月には近隣の民家と共に「広島市街づくりデザイン賞(街並み部門)」も受賞したという。

1_3

可笑屋の黒い木部と白い壁と瓦の建物は大変美しい。
入口を入ると、すぐのところには兎の人形、布製のバッグ等の雑貨、絵ハガキ、お菓子、可部で作られたお米等が並べられている。
2階は手作りのテーブル、椅子が置かれ、カフェになっている。
コーヒーに大きなケーキが付いて600円だ。
安い。

2階の別の部屋には、小さなステージが設けられている。
コンサートや演劇もでき、カラオケ大会も催されるという。

別の部屋では手芸教室、パソコン教室も開かれているようだ。

ここ可笑屋は地域の人たちによって作られ、運営されているいわば民設民営の公民館、ホールといえる。
あちこちにある公民館、ホールより、地域の人たちの思いが伝わってくる。

可部に住む人たちだけでなく、私のように市内から来た人にとっても楽しい施設になっている。

可笑屋の隣には大きな古民家があるが、庇は腐り、ひしゃげて、今にも崩れそうになっている。
早急に手を加える必要がありそうだ。

こうした古民家は、原爆で古い建物を全て無くした広島にとっては極めて貴重な施設となっている。

改修して、宿泊施設として使ってもいいし、いろんな使い方ができそうだ。
昔ながらの醤油の醸造も復活して欲しい。

これからは、官が何か作って、市民がつかうというのでなく、この可笑屋のように、地元の人たちが施設をつくり、運営する活動に、行政が補助していく仕組みのほうがいいんじゃないだろうか。

可笑屋は、古民家としての価値と共に地域の施設としてのあり方について考えさせられた。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月20日 (土)

カフェ&ジャズ Speak Low

本通りの大手町側にSpeak Lowがオープンした。
もともとここはパチンコ屋だったところだ。
そんな面影はどこにもない。

随分とオシャレなお店だ。

本通りに面して開かれた扉をはいってすぐはちょっとした玄関ロビーになっている。
正面入り口には、1M×2Mほどの大きな額縁に入った書が飾られている。
その玄関ロビーから半階下がると、Café Bar Speak Lowはある。
この半階下がるという感じはなんとも趣がある。

1_2

ゆったりした椅子と低いテーブル、奥のステージには大きなグランドピアノとドラムセットが置かれている。
脇には大きなスピーカーがでんと2台並んでいる。

店内は白と黒に統一されている。

昼間はコーヒーとモダンジャズ。
夜はお酒と食事とモダンジャズ。
大きなスピーカーから流れる洗練されたモダンジャズは心地いい。

時々生演奏のコンサートが開かれる。

12月12日には、KEIKO LEEのコンサートがあるという。
料金は1人7,000円と高いが、東京の友人に、広島にこんなお店が出来て、KEIKO LEEのコンサートがあるよと教えたら、即、それを聞くためだけに、東京からくるという。

広島には何軒ものジャズライブの店があるが、
また1軒、ちょっと雰囲気を異にしたお店ができた。
楽しみがまた1つ増えた。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月19日 (金)

コスカレード広島=文化の多様性

「今度の週末、10月31日、旧日銀ビルで、コスプレをやってますから、是非見に来て下さい」と誘われた。

旧日銀ビルの地下に降りると、若者たちでごった返している。
凄い熱気だ。

女の子は可愛らしい衣装を着て、なんとも嬉しそうだ。
K氏は、はげ頭にサングラス、白く長いひげをつけ、赤い短パンを履いている。
漫画のキャラクター、亀仙人だという。
亀仙人は武道の達人にして、凄まじいほどのスケベだという。
「Kさんもそう?」
と聞くと、「そうですよー」と軽くいなされてしまった。

1

岩国基地からも、今回20~30名が参加しているという。
2M以上あろうかという大男が歌舞伎のような派手な装束を着て、1本刃の下駄をはいて立っている。
大きい!

看護婦のコスチュームをきた気持ち悪い男性もいた。
山口からきた40代の主婦は、昔コスプレが趣味だったとカミングアウトして、今度は旦那と子供と一緒に4人で参加したという。

コスプレの衣装を着て、街を歩くのは恥ずかしいという人は、コスプレの衣装を持ちこんで仲間内で楽しんでいる。
本当はコスプレをしたいんだけど、する機会がなかった人には、コスプレの衣装を貸して、コスプレを体験してもらおうということもしている。
「男性用の大きいサイズの衣装はありますか?」 という問い合わせも結構あったという。
当日は、500人を越える参加者があったというから凄い。
結構変な趣味の人がいるもんだ。

まだまだ日本では、コスプレはそれほど大ぴらにやるもんじゃないというような風潮がある。

アメリカではハロウインの時、子供たちが仮装して楽しむ。
今回はそのハロウインの日に、このコスプレ大会を開催するようにしたという。

でも日本だって結構昔から運動会の仮装行列は人気のイベントだ。

コスカレード(Cosquerade)とは「コスプレ」と「マスカレード(仮面舞踏会)」の造語だという。
10月30日にはマンガ、アニメのものつくり授業もしたという。
コスプレだけでなく、アニメ、マンガ、ゲーム等ジャパンポップカルチャーを楽しみ、サブカルチャーの力で広島を盛り上げようというのが目的だという。

広島発のポップカルチャーイベントというわけだ。

生物の多様性を確保することが、地球の、人類の存続には必須の条件だということが、先日の名古屋議定書で謳われた。

マツダ、三菱重工等のものづくりの文化に加えて、こうしたサブカルチャーの文化をそだて、多様な文化の街とすることが広島の街を発展させることになるのだと思う。

彼らの活動に期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月18日 (木)

劇団四季の公演に想う

 劇団四季の秋の公演、ミュージカル『コーラスライン』を観た。‘06年8月の10日間公演以来の上演だ。2時間半、休憩なしの公演は静かながら徐々に盛り上がり割れんばかりの拍手でカーテンコールが繰り返された。しかし、かつて無い気掛かりな事があった。

1_3

 ブロードウエーミュージカルで四季が‘79年の初演以来1800回を超える代表作の4年振りの広島公演だ。新作ミュージカルのダンサーを決めるオーディションを巡る人生ドラマが歌とダンスで華麗に繰り広げられ…、会場は盛り上がった。

 所が終演近くに成って気がついた。2階の空席が目立った。
 かつて、初日にこんな空席は見た事が無い…。

 1953年に学生演劇集団として発足した四季は最初からミュージカルケ気団だった訳ではない。‘61年に浅利慶太氏が日生劇場の役員に成り徐々にプロ劇団に変化して、’67年に株式会社「四季」を創立した。71年に越路吹雪の『アプローズ』をヒットさせ、’79年に『コーラスライン』が転機となった。‘ 83年に新宿でテントの仮設劇場で「CATS」のロングランを大ヒットさせて、勢いを得ながら成長してきた。
 以後、東京での文化の一極集中支配を避けて地方への出前講演に力を注ぎ、こども向けミュージカルにも力を入れた。同時に東京の専用劇場から名古屋、大阪、京都にも拡充し、来年1月には二度目の札幌・専用劇場がオープンする。

 広島では昭和40年?頃からRCCの主催で春・秋と年に広島と福山で公演をしてきた。
 最近では中国新聞とタッグを組んで関係者の永年の夢だったロングラン公演を‘01年の『オペラ座の怪人』’03年の『CATS』‘08年の『美女と野獣』本年の「マンマミーヤ」が実現し、観客目標をクリアーして来た。
 県外からの入り込み客は20%を超え、経済的波及効果は大きかった…。フアンをはじめ県、市、商工会議所など各界から専用劇場の誘致の声も高まって来ている…。

 所が、‘96年『オペラ座の怪人』以来340万人を集客して来た福岡キャナルシティーの常設劇場が不振から5月公演を最後に閉館してしまった。昨年秋頃から50~60%の低迷だった…。来年以降、年間3~4ケ月程度の上演が検討されているが、未定の部分が多い。
 単なる一時的な不況風の影響かどうか気掛かりである。

 広島公演の今後がどうなるか…?広島にも福岡の影響が出かけているのだろうか?
 “国際平和文化都市”の名に負けない街造りに市民の理解と協力が期待される。
 背伸びして専用劇場の設置や無理したロングラン企画をする事は無い。
 とは言え「ライオンキング」のロングラン公演は何としても早期実現が望まれる…。
 一方で広島の文化性を高める背丈にあった息長い公演が望まれる…。
 『コーラスライン』は12月13日福山、14日呉、15~16日広島再演がある。
 3月23日から27日は「クレージー・フォー・ユー」公演7回がALSOKホールである。

劇団四季予約センター:0120-489444
劇団四季広島オフィス 082-503-3411
http://489444.com   http://www.shiki.jp/

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月17日 (水)

「叙勲制度の仕分け?」

 今日、文化の日は文化勲章をはじめ多くの生存者が叙勲される日だ。
 日本の叙勲の中で賞金が付くものは文化功労章の年額350万円だけで、正しく勲章は名誉の授与である。

 戦時中は専ら戦争に功績をあげた軍人が幅を利かせ「戦意高揚」の大きな推進力として活用された。反省の意味がどれだけあったか判らないが昭和21年に中止された。
 しかし、世の中が落ち着いて来た昭和38年に閣議決定で再開される運びになって、今日に至っている。

 国の報奨制度は自治体の首長や各省庁の推薦で春は昭和天皇の誕生日に当る4月29日付け、秋は文化の日に「国家や公共に功労があったり、各界における優れた行いがあった人」を表彰する。しかし、永年この表彰制度は「官尊民卑」の典型として槍玉にあがり、等級をなくすなどの改正や民間人を増やしたとしているが、依然として「官尊民卑」は維持され続けている?…のではなかろうか。

 人は褒められる事をバネに躍進し発展する…?国家にとって必要な制度?でもある側面は多くの人が認めて来た。
 同じ叙勲でも自分の危険を顧みず人命救助した人に贈られる紅綬褒章や公益に(500万円以上)寄付した人に贈られる紺綬褒章、芸術文化に貢献した黄綬褒章などは国民誰からも支持されている…と考えられる。

 政治家と大学教授と官僚に司法関係者が大部分を占める今の叙勲制度は如何なものか?疑問を抱く国民は少なくない。とりわけ高給取りに成ってしまった地方自治議員や国会
議員は既に国民への奉仕者ではなく、職業政治家だ。叙勲対象外でしかるべきではないか?

 日本の叙勲には文化功労章以外に賞金こそ無いが勲章の製作費は年間数10億円?…はかかっている。叙勲の度に全国津々浦々で開かれる叙勲者を囲む祝賀会は経済効果の一つと考えてツベコベ言わない…のが大人なのだろうか。

 今や「仕分けの時代」だ。天下りと同じくらい官僚天下を支えて来た今の叙勲制度こそ仕分け・見直しの時期にあるのではなかろうか。
 冷静に考えて「日本の叙勲制度を仕分けする」時ではないか…?
 2度も3度も叙勲に湧く政治家や官僚達はなおさら要らない。
 改めて文化の日に考えてみようではないか

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月16日 (火)

アンデルセン「メルヘン文庫」

 アンデルセンの「メルヘン大賞」27集の『メルヘン文庫』(80p)が送られて来た。

 デンマークの童話作家アンデルセンが世界の人に夢と希望を与えたようにパンのある食卓を通じて幸せを届けたい…と店名に願いを込めた「アンデルセン」が創業35年を記念して童話の公募を始め、今年で27回目になった。

1_2

 アンデルセンは「メルヘン大賞」の公募を通じて多くの童話作家を育て児童文学者への登竜門として企業メセナを果たしてきた。

 今年の大賞は朝日新聞記者から4年前まで広島平和文化センターの理事長を務めた斎藤忠臣さんが選ばれた。彼は新聞社を引いた後、童話教室で手解きを受けながら「ヒロシマ」をテーマにした童話の執筆に挑戦している…と聞いた。

2_2

 斎藤さんは記者として2度の広島勤務を経験し、本社でも「原爆・平和問題」を担当したベテランで、原爆資料館で多の子供たちに接して、こどもに語れる童話が欲しいと思った…のが動機だった。

 1615点もの中からの選考された大賞の受賞作品「無人島の公衆電話」は記者時代に取材した実話を題材に創作された…。
 少年は夏休みに祖父の船でミカン山のある無人島に行った。10年前に無人島になったが、万一遭難した人が困らないように公衆電話を残していた。赤電話の前には10円玉が置いてあった…。おばあちゃんに電話を掛けて潮騒を聞かせてあげる…祖父母と孫のほのぼのとした心の触れ合いが、優しい挿絵で描かれている。…斎藤さんの次回作が楽しみだ。

 一般の優秀作品3点と子供部門の大賞「猫のおじいちゃん」が収録されており、1050円でアンデルセン本店やホームページhttp://www.andersen-net.jp/から購入できる。
 「アンデルセンのメルヘン大賞」事務局082-240-1003でも申し込める≪問い合わせも可≫
 28回の作品募集の締め切りは2011年1月12日 
 「アンデルセンメルヘン大賞HP」http://www.andersen.co.jp/mlhn/

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月15日 (月)

秋葉市長「マグサイサイ賞」受賞祝賀会

 アジアのノーベル賞と言われる今年のマグサイサイ賞に選ばれた秋葉市長の祝賀会が行われた。平和活動や草の根活動をする人達の呼び掛けで100人を超す人が参加し祝った。

1

 この賞はフィリピンのマグサイサイ大統領に因んで‘57年に創立され社会奉仕や平和国際理解などで功績があった個人や団体に贈られ、日本では‘71年市川房江‘01年に平山郁夫さん等、30人近くが受賞している。

2

 受賞理由は「核戦争の危険の無い世界を目指し、信念に満ちた確固たる指導力で、市民を動員して政府に働きかけ、政治的意思を形成した」と世界の4千を超える都市が加盟した「平和市長会議」等の活動を評価している。

 ブラジルの被爆者協会の森田会長も顔を見せ漫画家の中沢さんも入院中の病院から姿を見せ、浜井信三元市長のお孫さんもエールを送った。呼びかけ人の一人は「世界の誰とでも平和を語りビジネスも応える広島のセールスマン、核兵器をなくす為もっと世界を飛び回って…」等と熱いメッセージを送った。

 祝賀会場に展示された直径10㎝はある金メダルと賞状をバックに市長と一緒に記念写真に収まる姿が多く見受けられた。

 カラオケ好きの秋葉市長は夫婦で美空ひばりの名曲「一本の鉛筆」を披露した。本当は自分が費用を負担して皆さんを招待して聞いて頂きたい…気持ち…と喜びの気持ちを表し「広島が長年積み重ねて、世界から認められた市民の代理としての受賞」を強調した。
 「核兵器を無くする流れは止められない。世界の都市が集って都市の力を活かし世界市民の力を大きくする」と受賞によって更に活動が広まる事に期待を寄せた。

 秋葉市長は‘99年に衆議院から市長に初当選し、2020年までの核兵器廃絶を目指して世界の4000以上の都市が連帯する「平和市長会議」を束ね、国連のNPT再検討会議で活動し、注目をされて来た。

 本人は決して口にしないが、学生時代に原水爆禁止世界大会の通訳として広島に通い続け、米国の大学に籍を置いていた10年間、米国の地方紙記者を広島に招いて取材の機会を与えた「アキバ・プロジェクト」を主宰するなど40年を超えるヒロシマとの付き合いに『ヒロシマとヒバクシャ』を熟知した一人…との自負を持っているはずだ…。
 国会議員が市長に転身するよくあるパターンとは可なり違った経緯と経験を持っている。そんな秋葉忠利氏にも目を向けてみる必要がある。彼の発想は世界規模なのだ…。

 いま、2020年を目指した核兵器廃絶に向け「ヒロシマ・オリンピック」招致の基本計画案を示して検討中だ。オリンピックが目的ではない。核兵器廃絶の為にヒロシマ・ナガサキを改めてアピールするためだ。反対する声が大きく報道されるが、反対の根拠は薄い。財政的な根拠も実施の方策も市長と役人スタッフの企画を超えた反対案が見えない。
 マスコミやジャーナリストは厳しいチェックの役割は重要だ。しかし、寄付の方策を検証したり基本計画案を深めたり、これを凌ぐ実施案の提示はおろか反対する確固たる根拠も無く…財政的不安感を…示している。
 確かに、時間的余裕が無いのは極めて残念だ。議会との協調をどうとれるか…市民の理解はどれだけとれたのか…課題は大きい。

 一方、商業主義、経済至上主義で走って来たオリンピックが今、改めて新しいオリンピックの理念やあり方をIOC自身が探っている…と指摘されている。

 オリンピックは常に政治的課題を背負ってきている。いまこそ、都市力を結集して世界市民力を発揮できるオリンピックは核兵器廃絶を実現できる…と考えられる状況にある。

 秋葉市長のマグサイサイ賞受賞がその入り口を先導する…モノであることを期待したい。
 それにしても、各テーブルでは当然のように語られていた?来年4月の市長選挙への出馬話が出なかった…。当然、改めて年末議会の話題になることだろう…。
 ここで投げ出すわけにはいかない…。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月14日 (日)

新幹線vs飛行機

何だ、これは。
新幹線の「のぞみ」が今や10分間隔で運転されている。
アストラムライン並み?の便数ではないか。

1_7

先日横浜に行く必要があり、新横浜の方が、便利だからと迷うことなく新幹線を使った。
ちょっと早めに家を出たので、駅についてから、早い列車に変更した。

東京・広島間は普通・指定席だと18,550円だが、EX-IC割引では17,170円と1,380円安くなる。
3日前に早得ICを予約すれば、広島・東京間は15,500円だ。
EX-ICだけだと、料金はいく分高いが、その場で便を変更できるのがいい。

飛行機は更に安いチケットもある。
29日前に予約すれば、12,100円なんてチケットもある。
しかし変更が殆どできない。
場合によっては、半額引かれてしまうこともある。

やむを得ない都合で、便を変更しなければならないということは間々ある。
そんな懸念のある人にとっては、この程度の金額の差はリスク負担としてはやむを得ない額ともいえる。

さらに、広島市内・広島空港間のリムジンバスを使えば1,300円かかる。
広電に乗れば、広島駅まで150円だから、その差はさらに縮まる。

東京・広島間に、飛行機を使うか、新幹線を使うか、人によってその理由は色々あるだろう。

広島・東京間は飛行機だと1時間半程度だが、新幹線だと4時間かかる。

随分と違うようだが、実はそんな大きな差はない。
市内から空港まで約50分、出発前20分にはチェックインを済ませるというのが、普通だから、それを加えると、飛行機では広島・東京間は約3時間と見た方がよさそうだ。
それでも飛行機の方が1時間程度は早い。

私も一時、早くて、安いからと飛行機を良く利用していた。

しかし最近は、東京に行くには、どうも新幹線の方いいかなと思い始めている。

新幹線だと東京・広島間はびっちり4時間かかるが、その間本を読んだり、居眠りをしたり、食事をしたり出来る。
携帯電話も出来る。
最近は新幹線の中でネットも使えるようになった。

飛行機の中は携帯電話も、ネットも出来ない。

飛行機は見かけ早いが、乗ったり降りたり、空港で待っていたりと、それぞれの時間がブツギレになってしまい、落ち着いてなにかをすることができない

ネット時代には、飛行機より、どうも新幹線の方が相応しいといえるようだ。

新幹線は、なにしろ10分間隔くらいで出ているのだ。
待ち時間を考えたら、新幹線の方が早く着いたりする。

見かけの「早さ」だけでは、判断してはいけないということのようだ。
??
可笑しい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月13日 (土)

横浜港のクルージング

先日、ちょっと時間の余裕ができたので、横浜駅のまわりを散歩した。

新しく開発された横浜駅東口、そごうデパートの近くに、クルージング船の船着き場を見つけた。
駅の近くにクルージング船の乗り場があるなんて、なかなかいい。

山下公園行きが、後5分で出発だという。

山下公園まで、行って帰ってくるのに1時間程度かかるが、料金は1日券で1,000円だという。

横浜の街は、昔随分通ったが、海から見たことはない。
天気もいいし、波は殆どない。
早速、乗って見た。

船は元安川・宮島間を結んでいるアクアネットの船、うらら、きららより一回り大きい。
結構乗客は多い。

1_6

さすが横浜だ。

改めてこうして海から横浜の街を見ると、みなとみらい21のスカイスクレーパーは、どこにでもありそうな景観だ。
さして面白くもない。
上海だといわれても、そうかなと思うような景色だ。
海に面しての護岸部分もあまりきれいではない。
日本の海岸はどこでもそうだが、この横浜港も、海からの景観ということを、全く考えていないようだ。

港町横浜は有名だが、それは陸から見る横浜港の景観を指している。

これなら広島の平和公園と宮島を結ぶクルージング船、瀬戸内海のクルージング船、元安川の遊覧船の方がよほど楽しい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月12日 (金)

世界のモデル都市広島―人間と地球が共存できる都市

世界各国の「豊かさと環境への優しさの関係」を示すという図が、日経ビジネス2010・9・10号に紹介されていた。

この図の示すところは、「アメリカは生活の質は高いが、メチャクチャにガソリンを使うこともあり、地球に大きな負担をかけている国である。あまり好ましい国とはいえない。
 アフリカの国々は、地球に負荷はかけていないが、貧しく、生活の質は低い。あまり住みたい国とはいえない」
ということでは、「日本は生活の質が高く、環境負荷がそれほど高くない国としていい評価されることになり、中国は生活の質はそれほど高くはないが、環境負荷が低いということで、それぞれそれなりに好ましい国ということになる」ということのようだ。
ここでは、これからの時代にあっては、生活の質は高く、環境負荷の低くすることで、「人間と地球が共存できる国」になることだという。

1_5

これまで、生活の質をあげることが正しいこととされ、それが地球環境にどのような負担をかけているかというようなことについては、殆ど無視されてきた。
日本が戦争に負けて、食う物にも困った頃、あの豊かなアメリカは理想の国であり、日本はひたすらアメリカのような国なりたいと、追いかけてきた。
それがこの基準を当てはめると、「そうじゃない。アメリカのような国は好ましい国ではない。日本のような国の方が好ましい国だ」というのだ。

中国は、急激に経済発展を遂げていることで、どんどん地球環境に負担をかけるようになってきているので、そう簡単に地球と共存できる国になるとは思えない。
それでも、この日経ビジネスの記事を読むと、中国は負荷をかけない社会を作りだすにはどうしたらいいかということを目標にして、国をリードしているのだという。

国としてのこのようにきちんと基準をつくり、目標を定めれば、政策の立案は随分とやりやすくなることは確かだ。

この基準を都市に当てはめたらどうなるのだろうか。


最近はスマートシティということが、よくいわれる。
ネットで調べてみると、
『スマートシティとは、最新技術を駆使してエネルギー効率を高め、省資源化を徹底した環境配慮型の街を指し、そこではエネルギー関連はもちろん、水、交通、廃棄物など、あらゆる産業が絡み、多くの最新技術が使われる。
 その市場規模も巨大だ。スマートシティの中核技術の一つであるスマートグリッド(次世代送電網)について、日米欧で進められているプロジェクトの投資額を合計しただけでも、2030年までの累計で100兆円を大きく超える(野村証券の予測)。スマートシティ全体となると、都市インフラ整備への投資額が2030年までに世界で41兆米ドル(1米ドル91円の換算で約3730兆円)という途方もない数字になる(ブーズ・アンド・カンパニーの調査)』
だという。
凄まじいビジネスチャンスがそこにあるというのだ。
すでにスマートシティを実現するというビジネスとしてアラップグループ等の世界的な企業も生まれてきているという。

しかしこうした動きに対し、アメリカの社会学者のサスキア・サッセン氏は、そんな完全装備の都市は建設維持管理費が高く、とても持ちこたえられない、実験的な試みに留まるだろうと警告している。
これからの本当の都市の有り方は、企業化せずに生き続ける都市を目指すべきだといっている。
そうした都市を「グローバルシティ」と名付けているようだ。

「人間と地球環境が共存できる都市=グローバルシティ」と「スマートシティ」とは、同じ方向を目指しているように見えるが、その中身は随分と違うようだ。

広島市は、それほど広くない太田川のデルタ地帯にマンションが建ち、人の集積度はかなり高い。
路面電車の広電、アストラムラインが走り、中心市街地にデパート、市役所、事務所、病院等生活に必要な施設は全て揃っている。
広島市は100万都市であることで、広響、カープもあり、お茶の上田宗箇流があり、縮景園もある。
幾つもの大学もある。
マツダの工場があり、産業廃棄物の少ない、かなり高度なレベルのものつくりの都市になっている。
世界中から沢山の文化人もやってくる。
広島市は、生活の質はかなり高く、地球環境にかける負担も極めて低い都市だ。

グローバルシティ「人間と地球が共存できる都市」という視点からみれば、世界の都市が目指すべき都市は、広島市のような都市だということになる。
つまり、広島市は世界のモデル都市として最も相応しい都市だということになる。

一時、広島市は道路も狭いところが多く、街の広がりもないから、岡山に比べ発展性がない。
だから駄目だというようなことが良くいわれてきた。
それはアメリカ的な車社会を前提にした都市が望ましい都市であると思われていた時代のこといえそうだ。

この広島市の街の有り方を、各種のインフラ技術を、これからのまちづくりの技術として、海外の都市に輸出することを考えるべきかもしれない。

例えば、
広島市まちづくり市民交流プラザ、アステールプラザ等の中心市街地の施設の有り方。
NPO等まちづくりの活動。
中心市街地のデパート、市役所、病院の立地と駐車場システム。
路面電車の広電とアストラムラインとバスの組み合わせの交通システム。
アストラムラインの自転車のパークアンドライドのシステム。
そうしたことを上手く街づくりのメニューとしてに整理できれば、案外それは大きな輸出産業となるかもしれない。

そうなれば面白い。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月11日 (木)

金木犀と花粉症

 なんとなく元気がなく調子が良くない。季節の変わり目のせいだろうと思っていたが十河先生の診断は「きつい花粉症」だった。

 花粉症と言えば春先と思っている人が多い。しかし、今年は夏の猛暑の影響で、秋の花粉が厳しい状況にあるようで、この状況は来春までも継続する予報だ。

 花粉症とはスギ花粉などによって起こるアレルギー疾患で、花粉が目や鼻の粘膜に着くとくしゃみや鼻水に鼻づまりや涙が出る症状が特徴的だ。花粉症になるとこうした肉体的な症状に加えて睡眠不足や集中力の欠如にイライラ感に食欲不振を伴う…。
 従って、花粉の時期は外出から帰ると手洗いとうがいは欠かさないように心がけている。

1_4

 くしゃみの連発に小さな咳、食欲の減退で体重が久々に65キロを割っていた。特に、夕食の一杯も気が進まず暫く休息していた。何となく肺の腫瘍が動き出したのか?という不安を抱えて重い気持ちに成りかけていた。

 それでも午後の散歩はサボり癖がつかないように…と思って、毎日平和公園まで出かけていた。休憩時間が多く、今を盛りに馥郁とした香りを放っている金木犀の下のベンチを指定席にしていた。

 花粉症の80%がスギ花粉と言われているようだがブタクサやシラカバ、ハンノキ、ヨモギやキク科の花粉症などもある。十河先生は一般的に花はそれなりの花粉症を引き起こす可能性が強く、金木犀も花粉症を招くと指摘する。

 花粉症の予防や対策には食べ物の影響がよく言われる。肉や卵に乳製品の取りすぎはアレルギー体質に成りやすく、甘いものや冷たいものの取りすぎ、ビールは控えて日本酒かワイン。肉より魚。お案に麺類は控える…等など。神経質になるのはよくないが効果的な食生活に留意する事は大切なようだ。

 香りに惹かれて2週間毎日金木犀の花粉を浴びていた私が体調不良なのは当然の結果だ。
 漢方薬の処方を受けて今日で3日。咳、クシャミは無くなり食欲も戻って来た。
 思わぬ時期の花粉症はむしろ私の日常生活の警報として参考にしたい…と思っている。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月10日 (水)

ヒロシマ・アニメの映画化企画

 久々に汐文社の吉本会長から電話があった。こうの史代さんの漫画のアニメ映画化が持ち上がり準備に入ろうとしている。企画書を送るので読んで欲しいと企画書と漫画に監督の作品DVDなどが送られて来た。

1_3

 こうの史代(42)は広島市西区出身の漫画家で‘04年に発表した「夕凪の街・桜の国」が代表作。戦争が市井の人々にもたらす悲しみと苦しみを描き、多くの受賞をし映画化もされて大きな評判を得た人気作家。

 今回、映画化の企画は‘07年から‘09年に『漫画アクション』に連載された「この世界の片隅に」で、戦時中の広島が舞台。漁村で育った少女が呉に嫁ぎ、見知らぬ土地で新しい生活を踏み出す。昭和18年12月から20年の12月までの戦時中の2年間の「日常」を一カ月単位で生活感たっぷりに判り易く広島弁を織り込んで描写している。

 従来の戦災ものとは全く違うアプローチで描かれている。むごたらしい被災シーンを見せ場にしたり、傷ついた人達の悲壮感を声高に訴えたりしない。戦時統制下の厳しい台所事情の中で、さまざまな生活の知恵を絞り、日々の暮らしを営む、ひたすらに淡々と日常を見据え続けることで、やがて戦争という理不尽な暴力を浮かび上がらせていく…。

 制作を手掛けるのは電通や博報堂にNTVなどが出資している「マッドハウス」。40年の歴史を持つテレビや映画のアニメ作品の大手制作会社。社長の丸山政雄さんは虫プロ出身で「はだしのゲン」や「かっ飛ばせドリーマーズ~カープ誕生物語」など作品の制作も手掛けて来た広島に関わりが深く、関心も強い人物だ。

 脚本・監督は「魔女の宅急便」の制作に関わり「名犬ラッシー」で監督デビューした片淵須直氏(50)で昭和30年代の山口県防府市を舞台にした高樹のぶ子の自伝小説「マイマイ新子と千年の魔法」(‘09年)を制作している。
 これを観れば「この世界の片隅に」のアニメ化の実現が原作以上の訴求力を発揮できる可能性を期待させる…監督のロマンが見えてくる…ように想う。

 西条の田舎暮らしであったが多少この時代の暮らしを体験している戦中派にとって、アニメでしか表現できない「アニメだから表現出来る」日常生活の描写が期待され。呉線の列車に乗り、呉が近づくと車掌がまわって列車の窓を木枠の遮蔽を下して海が、海に浮かぶ軍艦や造船所が見えないようにした…今では実在しない風景を再現出来るアニメの力を呼び起こす事が出来る。

 監督は「戦争と言う暴力」は「日々の暮らしを破壊するために襲いかかってくるもの」であり、生活者は「暮らし抜く」と言うことで対抗するものと位置付けている。

 戦争が我々の生活にどんな影響を与え、何を奪っていくのか。日々の暮らしを営む「普通の人々」の視点から、厳しい現実に目を背けず表現する…
 観終わった観客達が日々を共に暮らす人達の存在をいとおしく感じ、思わず抱きしめたくなるような気持になれる…作品創りを目指したいと抱負を語っている。
 観客の涙腺を刺激するような安易な感動作で無く、一人一人が物語の意味を噛みしめられる、本物の感動を届けたい…との思いを込めている。

 こうの史代作品の映画化第二弾は広島・呉から発信される。
 アニメだからこそ期待は大きい。(10月27日記)

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月 9日 (火)

白神さんの秋祭り

 朝から白神社の秋祭りを知らせる打ち上げ花火の音が響いている。
 最近は伝統の祭りや行事が土日に移動して行われるケースが増えたが、白神社の秋祭りは28日~29日で変わらず行われている。

 白神社の秋祭りで変わらず続いている物に神楽がある。毎年、神楽の小屋掛けがされ、今年は県無形文化財指定の安芸太田町坂原神楽団が二夜にわたって奉納上演した。

1_22_2

 白神社のこの辺りは16世紀頃までは海で船がしばしば岩礁に衝突し座礁したので白い紙の目印を立てて船の安全を図り、小さな祠を建てて「白神」と呼んだのが始まりと言われている。毛利や福島の時代には広島の総氏子として崇められ住民から “しらかみさん”と親しまれて来た。
 白神さんの周辺には今も広島城の築城当時(1591年)の岩礁が残っていて海岸線であった名残を残している。また国泰寺(今は己斐上に移転)の愛宕池(市の指定文化財)の岩と一体のもので市街地に残っている広島の三角州の発達史の1ページを残している。

 社殿は原爆で焼失したが昭和30年12月に再建され、白神さんの秋祭りも復興し、今も伝統を守りながら継承されている。
 ここには神主さんは常駐しておらず、比治山神社が管理と運営をしているが立地が良く周辺に駐車場が多い事も手伝ってか、お正月の初詣や11月の七五三の参拝客も多く、秋祭りと並ぶ人出で賑わう繁華街の人気スポットのひとつだ。

 今年になった愛宕池など周辺の公園の整備が進み、目下半分の工事が行われている為か,嘗ては100軒を超える?露店が並んだ参道周辺はやっと30軒程度の出店になっているのは少し寂しい限りだ。出店の種類は昔ながらの懐かしい物で埋まっている…。
 学校帰りの中高校生が串焼きやおでんなどの買い食いをしている姿は何となく昔を思い出して懐かしい風景に映る…。
 原爆で城下町の伝統的な祭りや行事の復活が十分果たせなかった広島にとって、夏のとうかさんに冬のえべっさんと並んで白神さんの秋祭りは広島を代表する大切な風物詩だ。


*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月 8日 (月)

デトロイトから来た四川の人

 中国との縁は日中国交回復前年1971年の暮れに一月間中国各地を訪問した事に始まった。
 二度目の訪中は1984年の四川省訪問だった。広島県が四川省と友好提携をするのを機会に派遣された訪問団の一員として取材に走り回った。

 この訪問を機会に翌年四川省からやって来た四川大学の教授で四川省対外文化協会の会長の許川さんの強い働きかけで中国放送と四川広播電視庁の友好提携が実現し、四川との縁が深まった。隔年で交流団を派遣しあい本年で25年を迎え、本年5月にRCCから安東社長らが表敬訪問したと聞いている。

 県は当初、各界の若手を四川省から3ケ月間の招請事業を展開した。‘90年に四川広播電視庁の広報(日本語)担当者だった劉錦鋼さんがRCCでの研修生としてやってきた。
 彼女は四川省の観光大学で日本語を学んだか大変優秀だった。難しい日本語を使いこなす能力が高かった。この研修が縁となって‘92年には広島大学総合科学部の大学院の研修生に成り’94年に修士を終了した。

 この間、RCCは四川広播電視庁との交流のやり取りを殆んど彼女のサポートで進め、取材班も頻繁に送りこんだ。文化交流や四姑娘山の未踏壁への挑戦や世界遺産の黄龍や九寨溝にパンダの生態などまだ知られない四川省の姿を数多く紹介した。

 また、‘92年にはRCCがJNNの海外支局の一つを上海に開設する事に成り報道部長の私が開設準備を任された。北京や上海に出向きながらの準備に四川電視台が懇意な上海電視台を紹介してくれるなど交流は思わぬ形で拡大充実し、秋には正式開設に漕ぎつけた。
 この間も劉さんは四川から何かと上海支局へのサポートをして頂いた。
 その後、彼女の妹さんが修道大学に留学生として来広し、やがて山口の人と結婚した。

1

 私は報道を離れて四川と疎遠になっていたが、彼女は電視台を辞めて渡米したと妹さんから聞いていた。その劉さんから、突然の電話があった。

 デトロイトの日系企業LEDのニチア・アメリカの社員として働いている…。近く研修で徳島の阿波市へ行くので会いたい…との連絡だった。

2

 デトロイトは米国の自動車産業の基地であるが日系企業も多くLEDのニチア米国の社員である。名刺にはNITIAの「sales ・associate のJenny Liu」でアメリカ人のジェニー・劉さんだ。

 日亜に入社して3年が過ぎ阿波市にある日亜本社へ一週間の研修に派遣されたのだ。

 米国へ渡って10年?今や日米語を自在に操り、日系企業にとってはきっと貴重な戦力であり頭脳になっているものと思われる。

 何よりも驚いたのは、米国で結婚した彼女は4歳になったエニ―チャンを同伴して来た。
 既に47歳になる彼女は高齢出産を乗り越えて新しい家族を育んでいる。
 アメリカにおける彼女の決意と覚悟のほどを推し量ると嬉しい限りだ。

 研修中、娘さんは山口の妹さんに預けていたようだ。
 エニ―チャンは全くの英語だけ使う普通の米国の少女だ…。
 米国人の夫のことを聞く時間は無かったが、彼女は自由の国アメリカで少なくとも彼女らしい生き方を見つけて元気でいる…ことを十分感じられた。

 彼女が何故アメリカに渡ったのか?早くに母を亡くし、父の手で育った彼女は共産党青年同盟の幹部を務めたが、ある時期からその事を敢えて伏せるようになっていた?バランス感覚に優れ正義感の強い彼女は共産党独裁に疑問を感じ始めていたのではなかろうか?
 “天安門世代”の彼女は日本での生活と経験が徐々に自由な米国への憧れを膨らませ、世界は広く自由闊達と云う中華思想を膨らませる結果に繋がって行ったのではなかろうか…?

 RCCで彼女に何かと関わっていた5人が集まって、懐かしみ思い出話に花を咲かせた。
彼女にとって広島は、山口で暮らす妹さんがいる事も手伝って、心の故郷…?になっているのではないか…と、勝手に思ってしまう。
 今後、時に、広島にやって来る、いや、帰って来るのではなかろうか…?

 十分に話を聞く間は無いまま2時間余りが経過したが、今後彼女の米国での生活がより充実した暮らしになるように祈るばかりだ…。<10月31日:記>

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月 7日 (日)

駐車場を借りた時の事

既に解約しましたが、建て替えのため自宅を解体中、仮住まいマンションの近くに、2台目の車を置く駐車場を借りていました。それを借りる時の話です。

賃貸住宅などはネットでいくらでも探せましたが、駐車場の情報はあまりありません。しかし、実際には駐車場は至る所に増えています。それで、現地を見た方が早いと思い、マンション近くの駐車場を見て回ると、すぐ近くに「空きあり」と不動産屋の連絡先を書いた看板がありました。

その時、私が何より心配していたのは、1ヶ月という短期で貸してもらえるか、ということでした。家の方は半年でも尽く断られて苦労しました。駐車場なので、大家さんは準備も何もないし大丈夫だろうと思う反面、それでも家の時のこともあったので、一番気になっていたところです。

その場から電話をすると年配の男性が出てきたので、1ヶ月だけの契約をしたいと伝えました。すると「そかぁヤメときんさい。舗装もしとらんのに、高いけぇ。そのすぐ裏なら、もっと安うて舗装もしてあるけぇ、そっちにしんさい」まぁ一ヶ月とはいえ、安いにこしたことはありませんが、この対応には驚きました。

ただ、それより心配だったのは1ヶ月ということだったので、そこを再度確認すると
不動産屋「ん~、1ヶ月ね。そりゃあ困ったね」
私   「難しいですか?」
不動産屋「基本的に手数料が1ヶ月かかるけんね」
私   「それは構わないのですが、1ヶ月では難しいですか?」
不動産屋「いや、1ヶ月しか借りんのに、2ヶ月分払うのは勿体無いじゃろ」
私   「いや、それは構わないので、貸して頂ければ問題ないのですが」
不動産屋「いや、いや、そりゃ勿体ないよ。じゃが、わしらもそれが収入じゃけ、タダっちゅうワケにはいかんけねぇ」
私   「いや、手数料は規定通り取って頂いていいのですが、貸してもらえませんか?」
不動産屋「ん~・・・困ったのぉ~」
私   「あの、手数料1ヶ月分ならお支払いしますけど・・・家の建て替えで解体の時だけお願いしたいので」
不動産屋「あぁ建て替えね。どこで・・・いやいや、そんな個人の事情は聞いちゃいかんねぇ」
私   「いや、別に何を聞いてもらってもいいのですが、手数料は決まっているように払いますので1ヶ月貸してもらえませんか? 」
不動産屋「ん~・・・ところで駐車場は個人で借りるん? 会社で借りるん?」
私   「個人です」
不動産屋「じゃあ、きちんとした契約書じゃのうて、領収書だけでもええかいね?」
私   「かまいません」
不動産屋「ほんじゃぁ、こうしょうや。手数料を3千円だけ頂戴や。今時、携帯電話の事務手数料でも、そんくらい取るよね? そのくらいなら文句ないじゃろ? わしらもキチンとした契約書を3千円で作るんはキツイけど、領収だけでええんなら、3千円でええわ。それなら文句ないじゃろ?」
私   「はい、それでお願いします」(一度も文句は言ったことはなく、ひたすらお願いしていたのですが・・・)

結局、最初のところは月額1万5千円で、その裏は1万2千円でしたから、手数料を入れても1万5千円でした。

挙句に最後の言葉は「それにしても、アンタ、物分りがいいねぇ」
・・・(^^;

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月 6日 (土)

自販機とプリペイドカード

市民交流プラザのフリースペースの奥に自販機が置かれている。

1_3

なんとこの自販機は、プリペイドカードEdyが使える。

ジュースは、小80円、大90円だ。
即Edyで買った。

ついでにと、友人の分もEdyで買った。

カードをかざすだけでいいから、お金を使っているという感覚がない。
ちょっと怖くもあるが、カードに振り込まれた額までしか使えないから、クレジットカードのように、後で請求が来るなんてことがないから、まあ安心か。

そういえば、先日、クロネコヤマトの宅急便の支払いもEdyで済ませた。

コンビニで新聞やおにぎりを買った時の支払いは、殆どプリペイドカードで済ませている。
便利な時代になったもんだ。

近頃プリペイドカードを持つようになって、全く小銭を持たくなった。

プリペイドカードがあれば、小銭を探したりすることもないし、ポケットをジャラッジャラいわせずに済む。
随分と楽になった。

プリペイドカードで払えば、ポイントもつく。
Edyのポイントで、航空券を取得できるまでになるのは結構大変だろうが、それでも随分と得することは確かだ。

PASPYも自販機で使えるようにしたらいいと思うが、まだ使えない。
そうなるのも、時間の問題だろう。

アメリカ人はクレジットカードでの支払いを好むが、日本人は嫌う。
ネットで買い物したりするときにはクレジットカードが不可欠だが、クレジットカードが悪用されるかもししれないという心配は常に付きまとう。
どうも日本人にはプリペイドカードの方が向いているようだ。

ネットでの買い物にも、プリペイドカードを使えるようにしたら、もっと利用者が増えるように思うが、まだそんなシステムはない。
どうしてかな?

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月 5日 (金)

市民交流プラザのフリースペース

先日、パソコンに取り込まれている資料を、何人かのメンバーの意見を聞きながら、急遽修正しなければならないという事態が起こった。

カフェでもできないわけではないだろうが、パソコンの電源はどこ? プリンターはどうする?となると、カフェではちょっと難かしそうだいうことになった。

困っていた時、メンバーの1人が、それなら市民交流プラザのフリースペースがいいという。

何それ?

袋町小学校に隣接してある市民交流プラザは、シンポジュームなどで、度々利用していたが、そんなスペースがあるとは知らなかった。

そんなスペースがあるならと、日曜日だが、夜6時に集まることとした。
市の施設なのに、日曜日でも、夜10時まで使えるという。
素晴らしい。

1_2

フリースペースは、市民交流プラザの南棟3階エレベーターを下りてすぐのところにあった。
フリースペースというから、原則誰でもが無料で使えるのだという。

無料というのもいいが、数台のパソコンも置かれ、プリンターもある。
コピー機、印刷機もある。
脇にはちょっとした作業もできる部屋も設けられている。

この日は使わなかったが、無料で使える無線LANの装備もされているという。

作業は1時間くらいで終わった。

こんな素晴らしいスペースは、何も無料である必要はないだろうとすら感じる。
原則3時間無料としているが、1人当たり100円とか、200円とかとったらいい。

ここの運営費位は、収入で、賄えるようになるかもしれない。

100円じゃ無理かな?
もっと高くしてもいい。

ネット時代になっても、今回のように、何人かが直接顔を合わせて打ち合わせしなければ、仕事にならないということもある。

そうした時に、こんなスペースがあると便利だ。

これからの時代に適ったスペースだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月 4日 (木)

湯来ロッジ

 爽やかな秋の天気に誘われ、久しぶりに湯来までドライブした。

 特に当てがあったわけではない。
 途中で、湯来には湯来ロッジがあることを思い出し、湯来ロッジに行くことにした。
 開業以来ここはいつも混雑していて、駐車場に車を停めることもできなかったが、この日は時間も早かったせいか、なんとか停められた。

1

以前の湯来ロッジより大分楽しい施設になっている。
いつも混んでいるのが解る気がする。

ゲートを入った正面に本来の温泉施設と、宿泊施設がある。
その左側には湯来交流体験センターが設けられている。

ロビーを抜けると、川に接して歩道と広場があり、オープンカフェもある。
川とその向こうの鬱蒼とした森を見ながら、コーヒーを飲むのは気持ちよさそうだ。

ゲートを入ってすぐのところには、湯来の特産品売り場の建物があり、その先には足湯の建物が建っている。
さらにその奥には、神楽等の公演が出来るような野外ステージもある。

今回新築された湯来ロッジは、温泉を核にして、こうした多様な施設と多様なソフトが上手く組み合わされている。
そうした機能の集積、複合化をすることで、相乗効果を生み出し、利用者を増やすという仕掛けになっているようだ。

建物は広島県産だろうスギの木をメインにして作られているのもいい。
やはり木造建築は親しみやすさがある。

新湯来ロッジも11月1日で開業1周年になるという。

広島市の発表によると
10月19日までの延べ利用者数は宿泊、日帰り入浴、レストランを合わせて計約21万人だという。
閉鎖する前の年は8.6万人、その2.4倍になっているというから凄い。

湯来町が広島市に合併したことも、なんとなく広島市民にとっては、湯来ロッジが自分達の物という感じになって、より親近感を感じ、来やすくなったということもあるようだ。

当日は、4月に開校したという「広島ツーリズム大学」の講習会も開かれていたが、10分ほど参加者の間に紛れ込んで、話を聞いた。
河原の石の話、草花の話等なかなか面白かった。

次はちゃんと申し込んで話をきいてみたくなった。

体験交流センターのこうした活動に、これからの湯来ロッジの新たな可能性があるように思う。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月 3日 (水)

検事の犯罪と防止対策

 大阪地検特捜部で起きた証拠改ざん事件で、当時の部長と副部長が犯人隠避の罪で起訴され、懲戒免職になり監督責任を問われた多くの幹部達が処分を受けた。
 事件の張本人の元主任検事は11日付けで懲戒免職になっている。
 検事が事件の構図と異なる不利な証拠に手を加え、司法全体の信頼を損なった罪は重く当然の処分だ。が、二人は容疑を否定しており最高検と全面対決で公判が進むことになる。

 就任時以外には記者会見をしないと云う検事総長が異例の記者会見をして「前代未聞の事態」を国民に詫び「徹底した検証を行い、抜本的な改革案を講じたい」と組織改革に意欲を示した…と、報じられている。果たして、身内の犯罪を裁き改革できるのだろうか?

 「法の番人の不正」と言う、国民は何を信じて良いのか判らなくした罪は重く、少々の反省で信用が回復するものいでは無い…。これらの検事が有罪になるのは当然のことだ。
 しかし、罪に服した後、彼らは司法の道には戻れない…と言う意見もあるようだが弁護士の道を選ぶことが出来る…。「ヤメ検」の道を選ぶ権利を持っている事は間違いない。

 はたして司法の場を汚した者が権利とは言え「弁護士の道」を許されるのだろうか。
 ここは、単に元検事の犯罪を裁くだけで赦されるのだろうか?
 司法の場に最も不適切な事が立証された事になる人物に「ヤメ検の道」を開くことは、いかにも不適切…と考えるのが至当ではないだろうか。
 検事が犯した犯罪が有罪で確定した場合は「ヤメ検の道」は閉ざされる…法制化が必要ではないか…?

 最高検が発想する位の度量があれば失われた信頼を取り戻すのに一役買うことが出来るのではなかろうか。さもなければ法務大臣は法務省でせめてもの罪滅ぼしに立案を命じても良いのではなかろうか。
 今後、意図的な冤罪を生まない為にはどんな対応が必要か…。
 特捜部の存在を今後どう位置付けるのか改めて検証することも必要と考えられる。

 元主任は起訴事実を認めているが元上司の2人は否認しており法廷での対決がどう展開されるかが焦点になって来るが、少なくとも「二度と、繰り返させない為に何が必要か」が真剣に考えられ、思い切った対応が望まれる。

 「ヤメ検の道」を閉ざす事は一つの策でしかない。しかし、当面可能な対策として打つべき手の一つではないだろうか…?

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月 2日 (火)

ユニーク講座「はだしのゲンを英語で読む」

 中沢啓冶さんの「はだしのゲン」の英訳10巻が完成して一年になる。
 その英語版の「はだしのゲン」を読むユニークな読書会の講座が始まった。
 毎日新聞が運営する毎日文化センター広島の企画だ。

1_3

 「はだしのゲン」の外国語版は20 ケ国に及んでいるが、英語版は8巻まで出来ていた。翻訳ボランティア「プロジェクトゲン」の努力で9巻と10巻が昨年完成し全部の英訳が完成した。
 この夏、原水禁世界大会の外国人参加者に『英語版・はだしのゲン』を普及のために来広されたゲンプロジェクトの浅妻代表からこの企画を聞いていた。

 身近な日本の漫画を英語で読むことで「英語に慣れる機会、生きた英語を学ぶ切っ掛けズクリをしたい」とこの春館長に就任した山口一朗さんが企画して準備をすすめて来た。
 山口さんは毎日新聞の記者出身で7年前に広島支局に勤務した経験がある。支局在勤中には原爆関連の書籍が次々と絶版になっている本を取り上げた。300冊にも及ぶ「絶版になったヒロシマ」の本を一年半かけて『絶版』になった『ヒロシマ』を54回にわたって連載した。本を通じたヒロシマの掘り起こしに尽力した経験が、新しい企画の原点になった。

 山口さんは「はだしのゲンを英語で読む」講座について①ヒロシマの実相を英語で伝える②10巻を読み切るには相当な根気が必要で、読み通せばかなりの自信がつく③英語学習の成長期にある高校生や大学生の教材として良い…などと考えて講座の開設を決めた。
 と同時に山口さんはこの「英語版・はだしのゲン」を絶版にさせてはいけない…との強い思いも込めている。

 講師はヒロシマ通訳者・ガイド協会の柏博子さんで毎週火曜日の19:00~20:30、
受講料は一カ月。一般が4200円、学生は2100円、教材費は別に必要になるが、10巻1万4000円の本代は割引がある。
 ユニークな英語講座「はだしのゲンを英語で読む」はスタートしたばかりだ。
 申し込み・問い合わせ: 毎日文化センター広島:082-245-1414
  〒730-0042 広島市中区国泰寺町Ⅰ-1-3
  http://www.eisugakkan.ac.jp/mainichi/mainichi/

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年11月 1日 (月)

「歳末ドリミネーション」準備開始

 今年も先週から平和大通り沿いで歳末恒例の「ひろしまドルミネーション」の電飾の飾り付けが始まった。歳末ライトアップ作戦はすっかり広島の冬の風物詩に定着した。

1_2

 観光客や市民が安心してて夜の広島を楽しめる観光スポット創りをしようと‘02年にスタートさせた「ドリミネーション」は今年で9回目を迎える。

 当初は40日程度だったが徐々に増えて昨年からは正月3日までの54日間に拡大された。
 内容的には「おとぎの国」をコンセプトに、平和大通りやアリスガーデンなど市内中心部14エリアで約130万球の青色発光ダイオードがライトアップする。

 開会式は11月11日(木)17時半からクリスタルビル前の広場で行われ、期間中の土曜日には同じクリスタルビル前の広場でミニコンサートが開かれ、参加者の募集をしている。

 期間中には会場内のモニュメントをモチーフにした写真コンテストも行われ12月7日まで募集される。実行委員会は期間中の人出を3~40万人と見込んでいるが、近くに住んで毎日見ている者の実感は5~60万人、いや100万人近い人出ではないかと思ってしまう…。

 昨年から土曜日の夜はビールにおでんが販売されるようになったが、すぐに売り切れてしまう。人出にビールやコーヒーおでんに甘酒などは必須のアイテムだ。周辺の業者への配慮も大切だが、イベントにやって来る観光客や市民へのサービスをどう効果的に行うか…創意工夫が必要だ。公募してみては如何なものか…?

 これも、昨年も書いたように思うが3週間後に行われる「都道府県対抗の男子駅伝」まで、実験的に延長してみては?どうだろうか。観光客誘致のインパクトにならないだろうか?
 折角定着してきた広島の新しい観光資源の活用拡大は今後も大きな課題だ。

  <問い合わせ>ひろしまライトアップ事業実行委員会:082-247-6805

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

関連書籍

  • サイフもココロもハッピーに!ちょびリッチ
2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30