ドラマ「99年の愛」~移民と広島①~
「日本のテレビドラマ史上最大の5夜連続大河ドラマ」とTBSが意気込んだ『99年の愛』が放送され、通して観た。米国に移住した日系移民家族の開拓と戦争、差別、復興の日々を家族愛と日本人の誇りを頼りに生き抜いた4世代にわたる日米通史だ。『戦争はいけない』『原爆は許されない』の強いメッセージを込めた見応えのあるドラマだった。
冒頭にシアトル・マリナーズのイチロー選手の姿が映る。65年前、同じ街で日系移民が収容され差別を受けた光と影の対比を映し出した。『戦争が何をもたらしたか』を一家族4世代が生きた一世紀の闘いの記録だ。
99年前に奥出雲の貧農の次男坊が農業移民として渡米する。家族に送金しながらも日本から迎えた妻と4人の子どもに恵まれて、必死で働き自分の畑を持てるまでになった。
そんな時、真珠湾攻撃で戦争が始まる。日系移民は砂漠の収容所に強制収容される。
米国生まれの長男は進学した大学で知り合った日本の外交官の娘と結婚するが、米国人としての忠誠心を問われる。祖国日本への忠誠心を崩さない父と母の板挟みに成りながらも米軍人として志願し、日系二世だけで編成された隊員として欧州戦線に派遣される。
長男は尻込みする隊員を鼓舞し勇猛果敢な戦いで戦果をあげるが戦死する。この功績が大統領の高い評価で日系人への蔑視と差別が解消される…契機となる。
こうした事実を45年前にRCCが追って「アメリカの土」として放送した。
移民先進県?広島は明治18年のハワイの菅約移民以来米国、カナダ、ブラジルなどに広がって全国一の移民送出県になっていた。「進取の気性」の県民性と言われるが、財産分与を成し得ない貧しさの裏返しでしかなかった。それでも忍耐して踏ん張って成功者と言われる人達を多く輩出したのも広島だった。
海外取材が自由化された最初の企画で当時1ドル360円の時代にふた月を超える長期にわたってハワイから米国西海岸の日系移民の差別と貧困と成功の足跡を追った。
まだ無名に近かった梶山季之が構成した30分スタジオ番組12本、白黒のフイルム構成の特別番組2作品を放送した。
嘗ては軍国少女だった橋田寿賀子は密やかに「戦争と平和」をテーマにし、今ここに「反核平和」を渾身の遺言として“被爆者の思い”を込めて…胸を打つ。 ≪続く≫
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