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2010年10月

2010年10月31日 (日)

自転車のマナー向上運動

 最近、平和大通り周辺で写真のようなプラカードを持った人をよく見かける。
 尋ねてみると、広島市の交通安全局が民間に発注している自転車のマナー向上運動だ。

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 広島市は昨年からこの「自転車マナーアップ運動」を予算化して実施している。
 広島は自転車で30分も走れば大抵の場所に行ける自転車に適した街だ。従って、手軽で便利で環境に優しい自転車の利用者は年々増加の傾向にある。

 一方で自転車事故は増加傾向にある。
 平成8年に死者13人を含む1300人余だった広島市の自転車事故による負傷者は10年後には死者こそ9人と少し減ったが負傷者は1860人と大幅に増えている。
 高齢者の自転車事故も少なくないが小中高校生の事故が多く、取分け高校生の事故が全体の25%にもなっている。
 事故発生は薄暮の時間帯が一番多く、無灯火や一時停止の無視等による自転車側に原因があるケースが少なくない…ようだ。

 因みに酔っぱらって自転車に乗ると3月以下の懲役か百万以下の科料になる。また二人乗りは二万円以下、携帯電話しながらの走行や無灯火は五万円以下、車なら九千円の信号無視は3月以下の懲役か五万円以下の罰金、歩行者通行妨害は二万円以下と…意外に厳しい罰則規定は知られていない。しかし、自転車マナーはあくまでも歩行者優先が大原則だ。

 身近なところで自転車のルール違反で厳しい取り締まりを受けて罰金を取られた事例は知らないが全国的には年々違反摘発の数は増えつつあるようだ。

 近くの高校の生徒の下校時は右や左通行ばらばらの無秩序状態が幅を利かせる時間帯だ。取り締まりと罰則ではなかなか改善は望めない…、市が取り組む街頭でのマナーアップ作戦や学校での安全教育に加えて何よりも一般利用者の自覚の向上が大切だ。

 自転車のマナー低下はその街の品格を下げる。歩道と自転車道の整備や公設の自転車置き場が造られても一向に減らない放置自転車。国際平和文化都市を名乗る広島市はせめて自転車ルールが守られ自転車の活用が自慢できる“自転車文化都市”が名乗れる街を目指したい…ものだ。

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2010年10月30日 (土)

ゴミと本通り商店街とコスプレ

以前は夜の10時近くに本通り商店街を通ると、シャッターの閉まったお店の前にゴミ袋が山のように積みあげられていた。
紙の類いの袋だから、それほど不潔感は無いが、それでもゴミはゴミだから、美しいとはいえない。
お店も閉まって、暗くなった本通り商店街を歩くのはちょっと怖かった。

先日夜8時前、本通り商店街を歩いていたら、まだほとんどお店が開いているのに、何軒かのお店の前にゴミ袋が置かれていた。

なんでこんな時間に、と思っていたら、ゴミ収集車が集めて回っていた。

確かに、できるだけ速やかにゴミ袋を回収して回るというのは、いいことだが、歩行者専用になっている時間帯に、あんな大きなトラックが走るのはなんとも危険だ。
あんまり恰好もよくはない。

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デズニーランドではゴミ収集とか、そうした裏方の仕事に対しては、地下に巨大なシステムの空間が作られていると聞いたことがある。
地上の建物の同じくらいの地下空間があるということだ。
パビリオンを運営するスタッフも、その地下道を通って担当の建物にいくらしい。
裏と表の使い分けが徹底している。

そんな空間を本通り商店街の下に作ろうとしたら、とんでもないお金がかかる。
とても無理な話だ。

しかし、なにもそんな凄まじい裏空間を作る必要は無い。
もっとシャレたやり方あるはずだ。

新幹線のJR西日本区間では、可愛い女の子がゴミ収集の専用カートを押して、集めにくる。
ゴミも美しく感じる?

本通り商店街も、ゴミ収集を商店街のイベントにするような仕掛けを考えたらどうだろうか。
可愛い女の子と、美しいカートがあればいい?

或いは、コスプレショーの一環として、ゴミ集めをやってもいいだろう。

そういえばシンデレレラのお話も、普段家に残って掃除ばかりをさせられていたシンデレレラが、ある晩魔法使いの好意で美しいドレスとカボチャの馬車に乗って宮殿にいったのが縁で王子様に見染められるという話だった。
そのシンデレレラの話のように、今日一生懸命街の掃除をしていると、明日王子様に見染められるかもしれない?
カボチャの馬車ではないが、ゴミを回収する車だって、カボチャをイメージした車にしたっていい。

そうなれば、本通り商店街では、毎晩、夜8時になるとコスプレショーが楽しめるようになるかもしれない?
本通り商店街は、夜8時になると沢山の観客が集まるようになるかもしれない?

コスプレフアンの人々も、ただコスプレを着て、街の中を歩くだけでなく、街をきれいにする活動に参加することになるのだ。
清掃会社を作ってもいいだろう。

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2010年10月29日 (金)

農家の台所

袋町公園の近くに、農家でよく見かけるビニールハウスが建っていた。
何、これ?

一瞬驚く。

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お店の名前は「農家の台所」

5M四方位のビニールハウスの中には大きな冷蔵庫が置かれ、扉をあけると、キャベツ、さつまいも等かなりの量の野菜が並べられている。
中庭では原木のシイタケを栽培している。
地産地消を基本にしているという。
野菜へのこだわりを感じる。

ビニールハウスの奥はレストランになっている。
店頭のビニールハウスの中で売られている野菜を使った料理が食べられるようになっている。

ネットでみれば、この会社「国立ファーム」はもともとAVメーカーで、社長の高橋氏が農業に進出し、全国300軒の農家から送られてくる野菜を、野菜のプロが、野菜の説明をしながら、料理してくれるというビジネスを始めたのだという。

面白いコンセプトだ。

以前から魚については、お店の中に大きな水槽が置かれ、お客の注文した魚を網ですくって、刺身にしてくれたりするお店、活造りを売りにするお店は流川にもある。

このお店はいわばその農業版といえるかもしれない。

そういえば、東京では、LEDを使って屋内で野菜を育て、その野菜を使った料理を出すことを売りにしているレストランがあちこちに出来てきているという記事を読んだことがある。
その店の売りは、無農薬で育てているから、目の前の野菜を、そのまま洗わず食べられるっていた。

以前中国から輸入した餃子に有毒な農薬が混入していたといって大騒ぎになったことがある。

こうした形で野菜の安全性の品質保証をするだけでなく、新鮮さ、味も保証するという仕掛けがビジネスになるという時代になったということだろう。

品質保証の費用の分は高くなっていますよというのは当然のことだろうが、もともと野菜はそれほど高いわけではないから、ここの料理が他のお店と比べて高いというわけではなさそうだ。

料理を食べて、それが美味ければ、料理に使った野菜を、ビニールハウスの店頭の冷蔵庫から選んで、買って帰れるようにもなっている。

こんな個性的なお店があるのが、街の面白さであり、楽しさだろう。

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2010年10月28日 (木)

デパ屋→大人の遊び場

最近、東京のデパートの屋上が元気だという。

今若者に人気のフットサルのコートが作られたり、ビオトープが作られたり、コンサートが開かれたりしているという。
緑のお陰で、街中に鳥やトンボが戻ってきているという話も聞く。

リニューアルされ、賑やかになったデパートの屋上を「デパ屋」というようだ。

銀座の三越が増築され、その屋上が緑化され、奇麗な庭園もつくられ、随分沢山の人々で賑わっていた。

コーヒー、軽食をテイクアウトして、庭に面したオープンカフェで食べられるようになっている。
日が暮れれば、ビールを飲む女性たちで賑わうのだという。

庭園の片隅には小さな神社が建っている。
古い木造の造りだ。
その昔からこの場所にあったのだろうと思い、ネットで調べてみると、ここに建つのは「三圍神社(みめぐりじんじゃ)といい、何でも願い事の叶う縁起のよい神として、大正3年に遷座されて以来広く庶民より崇められております」
と書かれている。

東京のど真ん中、それも銀座の、極めて近代的なビルの屋上の一角に、こんな古い神社があるというのは、またなんともシャレている。

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近年デパートの衰退を象徴するかのように、デパートの屋上から子供遊園地が消えていっている。

昔はデパートの屋上の子供遊園地で遊び、最上階のレストランでお子様ランチを食べさせるというのが、優しい家庭を象徴する風景だった。

そんな子供遊園地も、そごうの屋上からも数か月前に撤去された。
あとは錆び付いた鉄骨が残されているだけだ。

なんとも寂しい。

そんなそごうの屋上も、リーガロイヤルホテルのレストランから丸見えだ。

そんなことは、そごうの屋上に限らない。
広島にあっては、どのビルの屋上も、クーラーが置かれていたり、物置になっていたりと全くの楽屋裏になっているのが実態だ。

ほかのビルだって同じだ。

広島の景観を大きく損なっている。

これでは、「尻隠して、頭隠さず」だ。

街の真ん中の地価の高いスペースを物置にしておくのはあまりに勿体ない。

建物の屋上をどうやって美しくするのかと同時に、どうやって収益空間にするのかは、これからの大きな課題だ。

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2010年10月27日 (水)

地球の裏側の救出劇とヒーロー

 日本の裏側に当るチリの鉱山で生き埋めに成っていた作業員の救出作業が日がな一日テレビ中継され33人が70日振りに生還した。歴史的な救出劇に世界の目が集まった…。

 チリと言えば「チリペッパー」と「チリ地震と津波」くらいしか思い浮かばない程、縁遠く日本の裏側に当る南米の国だ。
 その国で8月5日に地下700メートルの鉱山で崩落事故が発生し33人の作業員が生き埋めになった。
 全員の無事が確認されたのは事故発生から17日後だった。『48時間おきにスプーン2杯のツナとミルク1杯を全員で守った』。手分けをしてトンネル内の調査をし、自分達の置かれた状況を冷静につかみ、食料の配給の規則を決めて救出を待った。

 当初、「クリスマス前後」と伝えられた救出は国を挙げ、世界各国から宇宙技術や最先端技術の協力もあって2ケ月以上も早く実現した。

 チリは南米の太平洋に面して南北4500キロの縦長で日本の約二倍の広さにわずか1700万人が暮らすスペイン系が75%を占める国で、世界一の銅の生産国だ。
 この鉱山は事故などで閉鎖されていたが銅の価格急騰で2年前に操業を再開したが、安全面での問題を抱えたままでの操業をしていたようだ…。

 救出の模様はテレビで世界中に生中継され、映画の制作や本の出版が決まり彼らはいきなり世界のヒーローに躍り出た感じだ。この事故の為、愛人の存在が明るみになった人や結婚を決意した人、子どもの誕生を迎えた人など思いもしないプライバシーが明かされた。

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 日本の報道はテレビが現地から記者レポートや生中継、新聞は写真付きの特別ペ―ジが編成され、救出後は33人全員を一人一人写真付きで紹介するページもあった。

 何故、これまで日本のメディアが熱心な報道をするのか?
 暗いニュースばかり目立つ中で『極めて明るいニュース』に違いないが、33人を纏めた隠れたヒーローの存在が浮かんでいる…。

 現場監督の豊富な経験と優れた判断が過酷な地底生活を生還に導いた。
 33番目に救出されたルイス・ウルスワさん(54)が立役者だった。
 彼の言葉を借りれば「役割分担と規律が最も大事」「助けは必ず来る、希望を失うな」と言い続け、パニックや感情の対立を乗り越えた…。
 リーダーの「人間力」が試され発揮された…ように思える出来ごと?だった。

 何か、今の日本への教訓があるように思える。深く探って見習ってほしい…ものだ。

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2010年10月26日 (火)

中国人へ初のノーベル賞と政府対応

 ノーベル賞ウイークのハイライトは2人の日本人受賞者以上に中国の民主活動家で、国家転覆罪で服役中の劉暁波氏(54)に中国政府の圧力を跳ね返して中国国内に住む中国人としては初のノーベル賞の受賞が決まった事だろう。
 「長年、中国で基本的人権の確立のため非暴力的な手段で闘って来た」事が、受賞理由だ。

 ノルウエーのノーベル賞委員会は劉さんが1989年の天安門事件に参加し、共産党一党独裁体制の廃止などを世界人権宣言60周年の2008年12月にインターネット上で訴え,1万人を超える署名を集めたことや民主選挙の実施、政党政治の実現、人権や言論の自由の保障などの要求運動を評価した。中国の民主化を求める国際社会からの評価は更に高まっている…。

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 劉氏は天安門事件に至る民主化運動で指導的役割を果たしたとして反革命宣伝扇動罪で起訴され、以後一連の活動で罪を問われ、今年2月に懲役11年の実刑判決が確定し服役中。

 ノーベル賞の候補にあがると中国政府は『授与すれば中国とノルウエーの関係は悪化するだろう」と圧力を掛けていた。
 しかし、ノーベル賞委員会は圧力に屈しないで中国国籍を持つ中国人として初めてのノーベル・平和賞の授与を決めた。

 これに対して、中国政府は劉氏を『犯罪者』と批判したうえで、平和賞授与は『賞の趣旨に完全に背いており、平和賞に対する冒涜だ』と反発している。

 中国の人権に絡む受賞は‘89年のチィベットのダライ・ラマ14世以来のことで、‘91年受賞のミヤンマーの非暴力民主化運動に取り組むアウンサンスーチィーさんの人権闘争などと共通して国際的な支持と支援に拍車がかかるだろう…。
 しかし、あらゆる手段で一党独裁を貫こうとしている中国が、劉氏の受賞を契機にどう変化していくか…?劉氏の妻がノーベル賞の授賞式に代理出席できるかどうか…中国政府の対応が国際的に注目される。

 今や、中国は米国に次ぐ成長を誇る経済大国化したが、経済活動への参加は13億人民の内10%と言われ、貧富の格差拡大や官僚の汚職の横行、少数民族の不満など国民の反発は根強く中国指導部の試練は大きい。内政不干渉が原則とは言え、中国の民主化に消極的?な日本政府はどう対応するのか…も問われている。 <10月12日:記>

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2010年10月25日 (月)

秋のシンボル「イチョウと銀杏」 

 この時期の平和大通りや平和公園のイチョウの木には鈴なりの銀杏(ぎんなん)が実をつけ、多くの銀杏拾いの人が集まる。

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 銀杏は中国産で仏教と共に僧侶持がち込んだと言われ、寺の境内等に幹回り10mを越すような巨木が残っている落葉樹で2~30mの大木に成長する。扇状で、アヒルの足のような形の葉のイチョウは街路樹によく使われ、神宮外苑や大阪御堂筋の銀杏並木はよく知られ、落ち葉が黄色の絨毯を織成す。。

 銀杏は雌雄異株の木で、花弁を持たない不思議な花を咲かせる。4~5月ころ風媒花という風による受粉をする。実は黄色に熟れてこの時期に自然に落下するが、異臭を放つが殻を割って実は日本料理屋中華料理の素材として重宝される。茶碗蒸しには欠かせず、そのまま煎ると酒の肴によい…しかし、食べすぎには中毒を引き起こす恐れがあるようだ。

 銀杏拾いに慣れた人はビニールの手袋等を使っている。異臭にも増して怖いのは漆のような酷いかぶれ等の皮膚炎を引き起こしてしまうからだ。
 しかし、漢方では古くから喘息などの症状に対する咳止め用などの薬草として効用もあり、夜尿症や頻尿の改善にも使われて来たが、今イチョ葉エキスが改めて注目されている。
 ボケや痴呆症に効果があるとされ、イチョウ葉エキスの入った健康食品が増えている。

 日本ではまだ医薬品として認可されていないがドイツをはじめ世界55ケ国で医薬品として認められている。イチョウの葉は日本が輸出しており、日本での開発研究も更に進んでいる。

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 銀杏は全国各地に生息し食用の栽培もされているが、何故か東京や大阪など60を超える市町村が自治体の木やシンボルとして指定している。イチョウの葉2枚を組み合わせた東京大学のシンボルはよく知られ阪大、熊本大も使っている。それは各地にイチョウが象徴的に人との関わり  <神宮外苑のイチョウ並木のトンネル>が強い形で存在している証と考えられる。イチョウと銀杏は日本の秋のシンボルなのだ。

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2010年10月24日 (日)

「日本晴れ」

 子供の頃よく使った「日本晴れ」と言う言葉が、今はほとんど使われていない。
 「秋晴れ」と言う言葉もあるが、抜けるような晴天を「日本晴れ」と言う。
 空に雲ひとつなく晴れ上がった好天気のことで、「最上の好天」の意味だ。
 最近はどうして使わなくなったのだろうか?

 「日本晴れ」と言う言葉は、江戸時代には「気がすかっと晴れる」の意味にも使われている…との文献があるようだ。日本一、天下一などを誉め言葉から派生したと云う説もある。

 気象に関する情報は毎日TVやRなどから溢れんばかりの情報が流れるのに…?と思って少し調べてみた。『日本晴れ』は、日本気象協会が扱う『気象用語』でない事が判った。
 日本晴れは『快晴』で晴れ、晴天、晴れ間、日が射す…などが晴に使われる気象用語だ。

 「天高く馬肥ゆる秋」「今日は秋晴れで空が高い」「秋はやっぱり日本晴れ」は昔ながらの秋のいい時節を表現する言葉だ。秋を表す一般用語としては味わいのある言葉だが、残念ながら最近の気象情報では「気象用語でない」から、意識的に、一般用語は使われない。

 居ながらにして世界中の気象情報が即座に判る時代に即した気象用語足り得ない…つまり「日本晴れ」は気象に関する一般用語としても忘れられ、過去の言葉に成りつつある…のだろうか?

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 雲ひとつなく晴れた日が『日本晴れ』であるなら年中使えそうだが、秋空の印象が強い。
 しかし、梅雨の晴れ間の「五月晴れ」も「日本晴れ」の一つで季節を問わず使われている。

 実際はどうなのか?広島では雨の降る日は9月=9,8日,10月=6,6日と減り、雲の量15%未満は9月=2,1日、10月は4,8日で『快晴、快晴に近い日』が一年で最も多い月だ。

 広島では「日本晴れ」は10月が多いが、日常で殆んど使われないのが現状だ。
 決して死語に成った訳ではない。が、使わないと死語に成りかねない。
 時候を現す情緒的日本語をもっと活かしても良いのではなかろうか?
 金木犀の漂う公園で「日本晴れ」を見ながら感じる秋の風情だ…。

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2010年10月23日 (土)

赤城神社

神楽坂の坂を上りきったところに赤城神社はある。
神殿の境内から新宿の街が一望できる。
素晴らしい景観だ。

赤城神社はこの秋、新築された。
設計は今人気の若手建築家隈研吾氏だ。

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建物は思い切って単純化されている。
柱は木造だが、壁は全てガラスだ。
外から、中で行われる結婚式の様子も、全て見える。
神社は大きな屋根が特徴だが、その屋根だけの下にいるかように感じる。
神道らしい透明感のある建物だ。

神社の前に置かれた狛犬も随分と単純化され、妙に可愛らしい。

敷地内の保存樹木に指定されていた大きな樹木は、みな切られてしまったらしいが、周辺住民とのトラブルもあったようだ。

隣接してあった幼稚園の跡地には、マンションが建てられている。
近くの東京女子医大と提携し、いざというときには医療介護にも応じられるという。

少子高齢化時代の波がこんなところにもあった。

全国的に、神社は氏子も減り、経営は厳しくなって、敷地内にマンションを建設するケースは多いのだという。

マンションの1階はカフエになっている。
小さな複合開発だ。
これも時代の流れだろう。

神楽坂の街を散歩して、新宿の街を望み、カフエでコーヒーを飲むのもいい。

そのうち、広島駅北口にある東照宮等七福神の神社にもマンションやカフエが作られるのだろうか。
それはそれで楽しそうだ。

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2010年10月22日 (金)

まち歩き 谷根千

結婚式の翌日、谷中、千駄木、根津のあたりを散歩した。

JR山手線日暮里駅の北口の改札口の前の壁にはこの地域の街案内の地図が沢山並べられている。
いまではすっかりまち歩きの名所となっているようだ。

駅を出て、階段を下りると、ちょっと広い道路のすぐその先、谷中銀座と書かれた看板の下をくぐると、急に道幅が狭くなり、間口2間くらいの小さなお店がずらっと並んでいる。
道幅だって4Mもないだろう。

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道にはみ出して椅子、テープルがおかれ、鉄板の上ではイカが焼かれ、飴とかも売っていた。
そば屋さんもあった。
お店の中は薄暗く、かなりのお年寄りがサービスしていた。
サービスするというより、お客とお喋りしているという感じだ。
どのお店も、今では防災上、建築基準法上許可にならないだろう古い木造のお店だ。
そういえば昔こんなお店で食べた記憶がある。

本屋さんの店先では、そのお店をデザインした起こしハガキを売っていた。
記念にと1枚買った。
1枚350円だから結構高い。

谷中銀座を通り過ぎ、間口1間もない小さな帽子店があった。
ハンチングを買ったが、よく見れば中国製と書かれていた。

少しいくと、明らかに普通の住宅が、「玄関を入って、靴を脱いで2階にお上がりください。商品は2階あります」と書かれたお店もある。

いせ辰という千代紙のお店は宝永年間から続くという由緒あるお店のようだが、お店の構えはその辺にある10坪くらいの小さな木造のお店だ。

ここの千代紙は、紙はどこそこの和紙に、版木に掘られた模様を何枚も重ねて摺って、ようやく完成しますという説明書きが脇に添えられている。
千代紙も、模様の美しさだけだったら、普通の印刷の方がはるかに綺麗だし、安いだろうが、版画の芸術作品であるかような価値を感じ、数枚買った。

三崎坂の途中には、最近できたのだろうギャラリー81という北欧の金属飾り物のお店もある。
コーヒーも飲めるし、日本の銘酒も飲めるようになっている。

この街には様々の人の歴史や、思い入れ、文化がある。

ゆめタウンやイオンの郊外型大型ショッピングセンターとは明らかに違っている。

ショッピングセンターには商品を買いに行くが、ここに買い物に行くのではない。

人や歴史、文化に会いに行くのだ。

根津神社という大きな歴史ある建物もある。
隣接して、東大の本郷のキャンパス、芸大のキャンパスもある。
上野公園もある。

そんな様々な施設、文化がこの地域にはある。
それが街の楽しさ、面白さを作り出しているということを改めて感じる。

この地域に住む森あゆみ,仰木ひろみ、山崎範子さんの3人が地域のよさを伝えようと始めた雑誌の果たした役割は大きい。

1998年に発行された雑誌55号を1冊買った。
根津に住んでいた林芙美子の歩いた町についての3人の対談、千駄木の浜松学生寮の探訪記事、七輪についての蘊蓄がイラスト入りで紹介されている。

「町のアーカイヴス ベスト オブ 谷根千」には、
『最初は「私たちの住む街には東京には珍しい自然や、戦災、地震に耐えた建築物、暮らしぶり、人情が沢山ある。そんなことをきちんと紹介したいということで、わずか12ページの雑誌をつくり、お祭りで売ったら驚くほどの反響があり、予定以上に売れ、いつのまにか25年も続いた」と書かれている。

その雑誌谷根千1号が発行されたのが、19884年10月というから、世はバブルの最盛期、巨大開発が続々とされていた時代だ。
そうした流れに抵抗して生まれたのがこの雑誌だ。

その後、この雑誌がマスコミで大きく取り上げられ、いつのまにか谷中、根津、千駄ヶ谷の地域を谷根千と称するようになったようだ。

街作りに果たしたこの雑誌の役割は大きい。

広島にだって、これに類した話はたくさんあるはずだ。

JTゆめタウンやソレイユには、そんな話はない。

鷹橋商店街も、ソレイユもどきのあんなアーケードは取り外し、東京の資本の企業にお店を貸すのでなく、自分たちがお客と話をするお店作ったらどうだろうか。

必要な品物はもう皆充分すぎるほど持っている。

今時代が求めているのはこんな谷根千のような街ではないだろうか。

そのためには、広島にも森、仰木、山崎さんのような人、ネット時代にはネット時代なりの情報発信をできる人でてくることを期待したい。

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2010年10月21日 (木)

甥の結婚式

甥の結婚式が、10月10日、神楽坂の赤城神社であった。

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甥は、小学生の頃には大病をし、高校に入ってからはテニスの部活に夢中になっていて、勉強はほとんどしなかった。

それが突如芸大を受けると言い出し、美術の予備校に通い始めた。

芸大に入るのは大変だ。
特に美術学部に入学するのは大変で、5浪、6浪なんてのはざらにいるらしいと聞いていた。

彼はなんとか2浪で、入学した。
それでも親は心配していた。

芸大は、卒業しても就職をするのはほとんどいないらしい。
実際に就職するのは、1割もいないのではないかという。

彼も大学院をでたあと、大手のデザイン会社に就職したが、2年で辞めてしまった。
芸大の人からいわせれば、2年も努めたというのが、珍しいことだという。

凄い大学だ。
呆れた。

フリーターをやっていても、それなりに評価されるというのも、芸大だからだろうか。

大体芸大に進む若者は、食えるなんてことは、そもそも鼻から考えていないようだ。
そんなことを考えるやつは芸大になんかいかないのだろう。
慶応のMBAコースなんかに行くんだろうか。

その彼が、世の中の常識に沿って、きちんと結婚式をあげた。
それだけでなく、紋付袴、白無垢で、神社で結婚式までやった。
立派なもんだと、またびっくりした。

これからもそれなりにやっていくだろうと思う。

私はジョージ秋山の漫画『浮浪雲』(はぐれぐも)が大好きだ。
雲さんのような生き方ができたらいいなと、いつも思っているが、彼はそれを実践してくれそうだ。

頑張れよ、オイ!

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2010年10月20日 (水)

映画:イサム・野口の母の生涯「レオニー」の感動

 広島でイサム・野口と言えば多くの人は“平和大橋”と応える。
 原爆慰霊碑を設計の丹下健三と並ぶ知名度の高い世界的に著名な彫刻家であり芸術家だ。
 その彼の母の生き方を追った日米合作映画「レオニー」の試写をみた。夜9時からのスタートにも関わらず50人を超えるマスコミ関係者の参集で、改めて関心の高さを知った。

 松井久子監督(63)の戦争花嫁となった日本人女性を描いた「ユキエ」介護問題をテーマに百万人動員の『折り梅』に続く第三作。イサム野口の伝記を読んでレオニーの生き方に感動し、6年の歳月と13億円を掛け、完成させた大作だ(2時間16分)

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 20世紀初頭のニューヨーク。大学を出たレオニーは詩人で大学教授野口米次郎に編集者として接するうちに恋に落ち、身籠る。だが、差別や偏見の米国に壁壁のヨネは突然、日本に帰国する。
 男児を生んだレオニーは、子どもの将来を思い、日本に向かう…。日本のヨネには妻がいた。レオニーは妾的存在に嫌気がさして、ヨネと離別する…

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 しかし、母は日米の文化の狭間で、並はずれた息子の芸術的才能を見出し、米国で医師を目指した息子に“芸術家の魂”を注ぐ…。

 津田塾創設の津田梅子や小泉八雲の妻等が顔を出す設定は時代を理解する手助けだ。
 しかし、百年前の日米を舞台に、極めて困難な時代に自らの意志で日本を訪れ人生を切り開く米国人女性の健気にも力強い生涯を、諄々に静かに感動的に描いている。

 この映画は米国人の立場から日本を見つめ、時代と差別と貧困などを大胆に取り入れた百年前の日本を透かして見た…作品だ。しかし、決して苦難や悲運に立ち向かうヒロインとして描かれてはいない。
知的で情熱的な女性として母として一生を生き抜く姿に心をこめて描かれている。

 それは百年ではなく今に置き換えられる社会問題が秘められている…?。
 松井監督は百年をフィルターに今の日米関係や世界との繋がりを暗示しているようにも思われる。

 映画「レオニー」は時代を超えた日米や世界との関わりを改めて考えさせる、時代検証的な意味合いを強く持つ秀作だ。じんわり押し寄せる感動が堪らない…。

 生意気を言えば、広島でもイサム・野口を知る人は中高年に限られている。

 映画の重要な要素の一つは『タイトル』にある。『レオニー』では解説の必要がある。
 敵わぬ夢ではあるが、出来るものなら一般公開,までに「日米の狭間で生き抜く女性」「恋は人種や国を超える」「愛が天才を育む」等を強く連想させる『米日の谷間のユリ』『恋と憎悪が育てた天才』なども、もっと何も知らない映画フアンを巻き込める魅力的なタイトルを期待したい…。

 こんな思いを抱かされる見応えのある作品だ。
 監督の思い入れと時代を超えた人の思いを、ゆっくりとじっくりと心に刻む作品だ…。

 全くの余談だが、イサム・野口は李紅蘭で知られた女優の山口淑子さんと結婚し、香川の石切場にアトリエを持って広島へも度々足を運んでいる。
 因みに、原爆慰霊碑のデザインにも挑戦し、一旦は採用に成るが「原爆投下国の人間の作品」と言うことで外され、丹下健三の作品が選ばれた歴史経緯は余り知られていない。
 ただ、丹下の作品はイサムの作品が下敷きに成っている…と言われている。
 慰霊碑の不採用の代わりに東西の平和大橋のデザインが依頼されたのか…?
 また、彼は後年、米国大統領の慰霊碑を設計した事もあるが、逆に日系であると云う理由で却下された。
 戦争を挟んで生じた日米混血児に降りかかった災難は、逆に彼を更に大きな芸術家に育てた。母レオニーの先見性が改めて輝かしい…。

 こうした歴史の流れを考えた時に、最後に『平和大橋』のカットが欲しい…と思うのは私だけではない…と思う。
オバマ大統領、来広の機会には「原爆慰霊碑建設の裏話」として紹介されても良かろう。


上映問い合わせ:11月20日(土)~新天地:シネツイン②=中区新天地 082-246-7787
<特別・前売りチィケット> 広島映画センター=1000円:082-293-1119

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2010年10月19日 (火)

パイプの煙

 最近、平和公園の喫煙スポットで誰もいないのに『いい香り』を感じることがある。
 パイプで喫煙した後の匂いが長引いているのだ。
 やっと始まった金木犀の風香と入り混じって心地よい。新しい、秋の香り…?

 世はあげて禁煙ブームだ。今月からのたばこの値上げが『税収目当て』『禁煙効果』と様々な反響が大きい。
 300円商品が410~30円の値上げは過去にない高いアップ率で、確実に喫煙者と煙草の売り上げ本数は減少の傾向は間違いない。幸か不幸か税収は大きくは下がらない計算だ!

 屋内での禁煙エリアの拡大も喫煙者にとっては辛く、肩身を狭くしているようだ。
 しかし、ここ数年、屋外でも喫煙エリアの設定・拡大は煙草のポイ捨てを減らして街をきれいにする…実績を上げた。一方で『肺ガンの原因』節は禁煙促進のテコに成っている。

 5年前までは一日7~80本のヘビースモーカーだった私はタバコ値上げや規制が強化されるたびに不平不満に苦情を爆発させていた。しかし、最近では全く喫煙に未練はないが、煙を口で転がせて決して肺には吸引せず、香りを楽しむパイプに惹かれることがある…。

 一昨日、散歩中に冒頭の場所で『パイプの煙』を燻らせる人を見かけてつい声を掛けてしまった。30年来のパイプ党で一日4~5回の喫煙愛好家だ。パイプは一度火をつけると1時間前後は紫煙を燻らせるので、楽しみ時間は長い。

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 30年前に私も数年間ハマったことがある。パイプのコレクションが楽しみになって30本を棚に飾って楽しんだ時期もあった。
 ダンヒルやBBB等を手に香りの味を楽しんだ。物の本によるとパイプ党は世界中で増えているようだ。日本ではパイプ制作作家が多く1万から数万円の作品が人気を博しているようだ。

 バラの根のブライヤー海宝石にコーンと様々な材料を自分で削ってパイプ創りを楽しむ人もいる。こんな世知辛い時代にゆったりと「パイプの煙」の香りは思わぬ至福の時間のお裾分けを頂いた。今後は時々遭遇の楽しみが生まれた…。

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2010年10月18日 (月)

「ニコヨンが造った平和公園」吉田治平講演抜粋

 この欄3月24と5月8日付けの2回、「記者からニコヨンを生きた・吉田治平さん」を紹介した。5月8日から6月9日まで15回にわたって中国新聞の企画「生きて」に広島の戦後の労働界を牽引した労働運動家として連載されたので、ご存知の方もあろう。

 吉田さんは中国新聞の記者出身で’昭和25年、GHQの占領政策の一環で行われてレットパージ(共産党員や同調者の職場追放、解雇)で追われた。当時は250円という日給からそう呼ばれた失業対策事業:ニコヨンで組織された全日自治労の名物委員長だった。

 この日の講演は高校の教師達がつくる「広島の歴史をみてまわる会」が『被爆・戦争体験を聞く会』の11回目の例会で、平和公園内の国立追悼祈念館の集会室で開いた。

 吉田さんは父親が中国新聞の記者で福山支局長時代に支局で生まれた。父親は昭和11年に山口支局長で急死、苦労の連続が始まった。3男7女の10人兄弟の長男で一中を出て上京。外務省の雇員として電信課で働きながら中央大学の夜間の予科で学び、経済学部に進んだ。昭和18年の10月、学徒出陣で壮行会に参加後、徴兵検査で佐賀にあった陸軍の電信隊に配属された。

 九州各地で有線の架設に従事し、20年8月6日の広島への原爆投下は新聞で知った。
 軍務で厚木へ行く事になり15日に広島へ入って二次被爆した。女学院前の実家で太い骨と小さな骨二体を見つけた。母と10歳の末の双子の妹だった。他の兄弟達も被爆したが四女が苦しんで死んだ。この後厚木から九州に帰ったが既に上官がおらず、広島に戻った。

 子どもの頃から将来は新聞社で働く…と思って来た吉田さんは、原爆で多くの記者や社員を失い廃墟になった新聞社(現在の三越)に出かけて、トイレの掃除をしていて旧知の経済部長の目にとまり「経済記者」に採用された

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 入社の半年後に組合が出来、新聞の戦争責任を追及し、社内民主化を求める活動に没頭し、のめり込んでいった。
 不況の嵐が吹きまくる昭和24年、本日製鋼争議に立ち向かい翌年GHQのレットパージで11人が新聞社を追われる。地労委で復職を勝ち取ったが、元の職場の『夕刊ひろしま新聞社』は本社に吸収されて無く、幼い兄弟達を食わす為に止む無く失業対策事業の日雇いに飛び込んで行った。
 そこで、ボスが支配して日給のピンはねが起きており、組合も解散させられていた。
 手書きの壁新聞で失対情報をはり出し、広島自由労組を結成した。

 昭和24年に広島平和記念都市建設法が施行され広島の戦後復興が急速に展開される時期だった。「百メートル道路」や「平和公園」の建設は失対事業のニコヨンが支えとなって進められた。機械や重機は一切使わずスコップとツルハシで掘り起こし2人掛りでモッコの前後を担いで土砂を運んだ。

 掘ればそこら中から骨が出た。一か所に集めて無縁仏塚に祀った。「死者が息抜きできなくなるから石畳にはしたくない」と現場の声を主張しただ聞き入れられず『慰霊碑前の広場を芝生に…』することで妥協した。

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 講演後に平和公園に足を運んだ吉田さんは当時を思い興しながら浜井市長に「原水禁世界大会に間に合わせて」と要請されて突貫工事に取り組み、間に合わせた。広島の都市基盤を失対労働者の腕と力で造った自負は強い。
 広島の失業対策事業は引揚者と在日朝鮮人に半分は被爆者が占めていた。26年の国体の県営総合グランドや市営テニスコート等の競技場も失対が造った。
 市の年間予算の10%を超える失対事業の労働条件向上のため皆に押され、昭和30年の市議選で初当選し4期務めた。ピーク時には7200人いた失対も徐々に減り5期目を目指した46年には落選。事業が尻すぼみになるが活動は続けて来た。

 吉田さん自身は家族の被爆状況や被害実態には長年触れないできた。部落、朝鮮人と並んで被爆者差別のある事を体験してきたからだ。しかし、6年前、上京して被爆をひた隠し、独身を守り家族の為に働き詰めた妹さんが退職後、一人寂しく誰も気づかれないで倒れて逝ってしまった。
 吉田さんは最近まで自らの体験は語らず「知ってもらいたくない…」と思って来た。
 しかし、妹の孤独な突然死と米国のオバマ大統領が核廃絶を口にし、核廃絶が近づいた…という風潮に対する自らの反発がキッカケになった。
 同時に、病院で「あんたらはタダでええのう」と被爆者手帳を持つ人を羨むように声をかける人がいる。この現実は新しい差別が生まれる恐れが…怖いと吉田さんは考えている。

 原爆を広島市民に落としておいて、戦争を続けているのは何処の国か…。核兵器を完全になくしない限り信用できない…。これは黙っておれない…。そんな気持ちで筋金入りの88歳はまだまだ元気で活動し生きていく覚悟…意気軒昂だ。

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2010年10月17日 (日)

スイーツの秋

 先日までアイスクリームや冷菓が一日の癒しになっていた。
 元々、田舎育ちの私は物の不自由な頃でも祖母がつくってくれる“おはぎ“や“芝餅”“ぬりこ”(アンコロ餅)は大好物だった。特に、小豆あんが堪らなく好きだ…。

 銀座の空也最中に虎屋の小倉羊羹、榮太樓の大福、長命寺の桜餅、上野うさぎ屋のどら焼き。津和野の三松園の鯉の里に源氏巻、名古屋の両国屋是清のよも山に旅まくら等は今でも年にⅠ~2度は楽しむ各地の銘菓だ。広島でも三越地下の全国銘菓のコーナーや福屋の食品売り場で購入できるのは嬉しい。

 宮島の藤い屋の紅葉饅頭や高木の最中につるやの饅頭、そごう地下の御座候もそれぞれ好きで時々に味を楽しんでいる。アンデルセンのアンパンもいい…。
 これらはいずれも小豆の越あんか粒あんでそれぞれ皮に特徴があって、微妙な違いは長年の店の伝統の味…と言える逸品ぞろい。これからの時期は日本茶や抹茶が良く似合う。

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 最近はどちらかと言えば洋菓子の『スイーツ』ブームで、全国のケーキがネットで容易に購入できるようだ。
 写真のケーキは動物を描いた愛嬌が人気を呼ぶ広島のフランス菓子『スイートデイズ」のエクレアだ。

 中区橋本町のRCC文化センター前に構える店で、ウエディングケーキからシュークリームにエクレアなど数十種の『スイーツ』が並ぶ。孫達の好物ということも手伝って、家内が時折足を運ぶ…。この秋、最初の出会いは『ブタ、サル、トラ』のエクレアだった。

 私は元来左党だが甘党でもある。これは私だけではない。一般的には多い…ようだ。
 『スイーツ』は洋菓子・デザートを呼ぶが、私にとってはお菓子、甘味といった意味のスイーツであり和・洋菓子共にスイーツと思っている。
 従って、最近では和菓子党でなく『スイーツ党』だ。

 散歩の途中で買った紅葉饅頭を平和公園のベンチでカンコーヒと手軽に楽しみ、河岸のカフェポンテで『スイーツ』を味わう事が出来るのも喜びだ。
 秋色に染まり始めた自然に触れながらのスイーツは私流の小さな秋の楽しみ方でもある。

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2010年10月16日 (土)

広島にマリナ・デル・レイをー元宇品港マリーナ

日露戦争の頃、沢山の兵が、ここ元宇品の港から、戦地に向かった。
兵員輸送のため、広島駅から元宇品港までの鉄道も敷かれた。
その鉄道、宇品線も、今は撤去され、広い道路になっている。
つい数年前まで、被爆を免れた木造2階建ての小さな旅館も残っていたが、それも高速3号線の整備に伴い、撤去された。
江田島、島嶼部、松山と結ぶ連絡船も、西の広島港が整備され、そちらに移った。
元宇品港には、いまは金輪島と、似島とを結ぶ連絡船の市営桟橋と数十隻の漁船の船溜まりが残るだけになってしまった。

廿日市から坂までの港を広島港というらしい。
ここ元宇品地区の港には、どうも固有の名称はないようだ。
ここでは元宇品港と呼ぶことにしたい。

平成6年に開かれたアジア大会の際に、元宇品の岬にグランドプリンスホテル広島が建てられた。
それまで、この地域は街の発展から取り残され、随分と寂しい地域だった。
中四国最大という大きく、華やかなホテルが建てられて以降、周辺にはマンションが建設され、倉庫だった建物はレストランや、インテリアショップ等に改修されてきた。
街はその姿を大きく変えた。

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グランドプリンスホテル広島の前にはマリーナも作られ、海の街広島を象徴する施設ともなっていた。
しかし、そのマリーナから、いつの間にかボート、ヨットがいなくなってしまった。
ちょっと残念だ。
広島らしい景観が消えてしまった。
聞けば、最近の台風は、厳島神社を壊わすような異常な進路を通るようになったこともあり、マリーナに入る波が大きく、マリーナとしては不適だということで、ボート、ヨットの係留は止め、同時にヨットクラブも廃止されたという。

広島港周辺には、平成8年時点で、ヨット、ボートが1.9万隻もあるという資料をみたことがある。
当時はその殆どが違法係留と言われる状態にあったようだ。
そのまま係留を放置することは危険だとして、県は観音、吉島、五日市、廿日市等に次々とマリーナを整備し、そちらへの移転を進めてきた。
現在のマリーナの計画収容隻数は4,258隻、収容可能数は2,907隻だという。

しかし現実は、マリーナの係留料金が高いとか、不便だとかという理由で、マリーナへの移転は敬遠され、観音、吉島等に作られたボートパークもまだ大分空きがあるようだ。

太田川に違法係留していれば、街中で場所もよかったし、第一無料で済んでいた。
それが、不便なところに移らなければいけないだけでなく、有料というのでは、なかなか移ろうとしないのは当然だろう。

よほど規制を厳しく適用するか、かなり条件のいいマリーナを整備するしかない。

広島市街地に近くに立地し、現状よりさらに安い料金のマリーナが求められているといえるが、その建設費、漁業権の補償を考慮すると、ボート、ヨットの艇置料だけで、その費用を賄うというのはそう簡単なことではなさそうだ。

現在の元宇品港は、数十隻の漁船の船溜まりと桟橋が数本あるだけだ。
決して美しい港とはいえない。
老朽化した港湾事務所も残っているし、古くからある倉庫も、港に背を向けるように建っている。
元宇品港一体は、街中に近いわりに、まだまだ寂しい。

今駐車場としてなっている御幸松地区の開発をしようと、数年前、県が希望者を募ったがあるが、応募者がなく、断念したことがある。

それなら、この際、改めて元宇品港全域を、ヨット、ボートのマリーナとして整備し、周辺の街と一体となるよう開発する仕掛けを考えたらどうだろうか。

100万トンバースといわれる港の先端から、今のプリンスホテル前の防波堤まで、新たに防波堤を作れば、かなりの広さの海面が確保できる。
防波堤の長さは約400M程度だ。
数千隻のヨット、ボートを留めることができるだろうと思う。
数十隻の漁船はマリーナの中に取り込んでもいい。

数千隻のボート、ヨットが目の前にあるという景観を創り出し、元宇品の街と一体にすることができれば、街の雰囲気も随分と変わるだろうと思う。

マリーナに面したカフェのパラソルの下で、恋人とコーヒーを飲み、夕方には友人たちとビールを飲むなんてこともできるようになる。
そうしたことができるようになれば、順次レストラン、カフェ、ショップ、ブティクが出店してくることも期待できる。
マリーナを望むことを売りにしたマンションも建設されるだろうし、新たなホテルも作られるだろうとおもう。

五日市漁港フィッシャリーナは鉄柵で囲われている。
あれでは違法係留をしていたボート、ヨットの捕虜収容所だ。
マリーナの囲いは止めた方がいい。
マリーナと街を一体化してこそ、価値は生まれる。

横浜にあるベイサイドマリーナは、かなりの賑わいをみせているという。
周辺にはショッピングモールがあり、海側にはレストランもあり、マリーナの船を眺めながら食事もできるということで、デートスポットにもなっているようだ。

瀬戸内海の景観の素晴らしいことは誰しもが認めるところだ。
魚釣りをして帰ってくるだけでは勿体ない。
宮島には厳島神社、岩国には錦帯橋、江田島には昔の海軍兵学校の歴史ある建物も残っている、大島には大三島神社もある。
瀬戸内海は、クルージングを楽しむには最高の環境だ。

それには、やはりあちこちに停泊できる港が必要だ。
瀬戸内海の島々には漁港がある。
それらの漁港をヨット、マリーナの停泊地として、利用できるよう整備することも必要だろう。
国も海の駅構想をもち、そうした港の整備も進めている。

大田川の各所に、川を遡って街中に入ってきたボートの停まれる桟橋も整備する必要もあるだろう。

中国人等海外からの観光客も今後爆発的に増えることが予想される。
そうした観光客に対して、ヨット、ボートでの島巡りもメニューに加えるようにすることも考えるべきだろう。

ヨット、ボートを所有するのは大変だが、レンタルやリースのボート、ヨットがあれば乗るという人も沢山いるだろう。
専門家操縦するヨット、ボートに乗りたいという人もいるだろう。

そうした要望に応えに応えられるシステム、企業を育てることも必要だろうし、サービスができる要員の養成も必要だろう。
幸い元宇品にはボートの免許取得についての講習や、海に関する様々の技術を教える「中国海技学院」もある。

瀬戸内海を世界遺産に登録することも強力に進めるべきだろう。

マリーンレジャーを創り出すには、マリーナを作るだけでなく、そうした総合的観点からの開発が必要だろう。
広島にはそのためのポテンシャルは充分にある。

そうなれば、新たな雇用も創出されるだろうし、地価もあがる。
固定資産税も上がるはずだから、かなりの税収アップも期待できる。

元宇品港マリーナの事業収支を考えるにあたっては、元宇品港マリーナという単独の事業での収益性を考えるのではなく、広島の街、瀬戸内の島を総合的に開発することでの効果を考慮して、費用対効果を計算するということも必要なのではないだろうか。

ロサンゼルスのマリナ・デル・レイは、8千隻のボート、ヨットが係留できるマリーナとして有名だが、それだけでなく、そのマリーナの周辺にはシャレたレストラン、ショップ、ホテル、映画館が立ち並んでいる。
ヨット、ボートに住んでいる人もいるという。

この元宇品港マリーナができれば、それこそマリナ・デル・レイを越えるマリーナが広島に出現することになるかもしれない。

首都圏にある葉山マリーナの使用料は、比較的小さな33F以下でも、年間艇置量料が186万円、保証金が358.8万円、申込金が73.5間年もする。
バブルのころより随分と安くなっているが、それでもキャンセル待ちがある状態だという。

観音マリーナは、同じく33F以下で、年間艇置料が59.6万円、保証金が55万円だ。

これだけ費用が違えば、広島にボート、ヨットを置いて、東京から飛行機で乗りに来た方が安いということになる。
東京、大阪からも、或いは中国からも人が呼べるようになるかもしれない。

現在のボートは、ガソリンをまき散らして走っているようなエンジンを使っている。
ガソリン代の高い日本ではボートの維持管理の費用がアメリカに比べてバカ高い。
所有しているだけでも大変だ。
環境的にもよくない。
いずれボートのエンジンもハイブリッドに変わるだろう。
そうした面でも、広島がイニシャティブを取ることを考えるべきだ。

元宇品港は紙屋町、八丁堀から車で20分、タクシーで2,000円位だ。
広島駅からもその程度の距離だ。
直ぐ脇に高速3号線も完成して、車でのアクセスも格段に良くなった。
市街地の近くに、これだけ大きなマリーナを建設できる可能性を持った都市は、日本には他にない。
そのポテンシャルを生かすべきだ。

湯崎知事は「瀬戸内・海の道1兆円構想」を提案されている。
1兆円構想の実現をするには、漁業関連産業からだけでなく、今起こりつつあるレジャー、観光の切り口から見ていくことが必要だろう。

「瀬戸内・海の道1兆円構想」の具体的イメージとして、
「広島湾に1万隻規模のマリーナを建設し、そのマリーナ周辺に、とれたての魚を料理して出すレストラン、オシャレなカフェ、ブティク、ホテル、ショップ等のお店の集積した街を創る」
とされたら、どうだろうか。
その時には、元宇品港マリーナは、その構想の中核的プロジェクトとなるはずだ。

日本人の経済力、生活パターンから考えたら、リナ・デル・レイのようなマリーナを、いますぐ実現するのは難しいだろうが、その仕掛けは、今すぐにでもできる。

「広島に、マリナ・デル・レイを創ろう!」

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2010年10月15日 (金)

空き家ホテル.COMとオリンピック広島大会

9月末に提出されたオリンピック広島大会の計画書によれば、オリンピック関係者に対しての宿泊施設は、メインスタジアムから50KM圏内に1.8万室のホテルと、大型客船の6千室、新幹線の1時間圏内にあるホテル等により6.7万室が提供できるとしている。

またオリンピックを広島大会の観客数は、日本各地で開かれるサッカー予選の観客99万人を含め、延べ605万人、総宿泊客数は92万人、1日最大の宿泊客数は8万人と見込んでいる。
新幹線の1時間半圏内の大阪、福岡まで含めれば、充分対応は可能だとしている。

いずれにしろ、オリンピック広島大会にあっては、観客の宿泊施設を広島市内に確保するのは難しいと考えているようだ。

しかし、オリンピックを見に来た漢訳にすれば、どうせなら会場に近い広島市内に泊まりたいと思うのは当然だろう。
ということで、もしそうした観客に対する必要宿泊室数を計算すると、
サッカー予選の広島市以外の観客数は16%だから、それと同じ率で広島市内宿泊希望者がいるとすれば、広島市内1日あたり6.7万人分の宿泊施設が必要ということになる。
1室2人としても、約3.4万室の宿泊施設が必要ということになる。
ホテルとしてまともに作れば、その建設費だけで、少なくとも10坪×100万円×3.4万室=3,400億円が必要ということになる。
3.4万室の客室を、これから作ろうったって、そう簡単なことではない。

もし仮に、作ったとしても、オリンピックが終われば、現行の1.8万室で充分ということになり、3.4万室のホテルは不要ということになる。
オリンピックがおわれば、お客はいないということで、経営がなりたたなくなり、閉鎖&倒産ということになるというわけだ。

万博等何か大きなイベントあると、それに合わせてホテルや色々な施設が作られるが、イベントが終わると、あとの維持管理、経営に苦しむことになるというのが通例だ。

冬の5輪を控えたバンクーバーでは、宿泊スペースが足りないということで、月4.9万円の家賃の家が、いままでの借主を追い出し、週101万円で、ネットに掲載されたという記事を読んだこともある。
3週間で303万円になる。
オリンピック開催期間中だけでも貸せれば、その後数年間は借主がいなくともやっていけるという計算だろう。

五輪ではそのくらい部屋が足りなくなるようだ。
宿泊施設が足りなくなるというのは、広島に限ったことではない。

そうしたことでは、バンクーバーの例のように、民間の賃貸住宅をオリンピックの観客の宿泊施設として提供してもらう手もあるが、
1つは、市民からホームステイのような形で、部屋を提供してもらうという案もある。
子供が家を出ていって、空いている部屋を持つ家は、広島市内にはそれこそ膨大な数があるはずだ。
祖父母が亡くなって、空いているというケースもあるだろう。
我が家でも、娘が結婚して家をでていったので、1部屋空いている。
広島市内のお宅の空き室をオリンピック期間中提供してもらうという方法がある。

もう1つは、市内にある空き家を宿泊施設として利用する案だ。
総務省の統計によれば、全国に空き家は5軒に1軒程度あるという。
そこから推計すると、広島市内には約10万室の空き家があるということになる。
恐ろしい数だ。
こんな凄まじい数の空き家があるというのは、豊かで、少子高齢化した、日本ならではの現象だろう。

その空き家を、一時的に宿泊施設として提供してもらったらどうだろうか。
1戸平均2LDKとすると、1.7万戸で3.4万室ということになる。
1部屋に2人泊まれば、それだけで6.8万人泊まれることになる。
算術上は、それでオリンピック広島大会に来た宿泊希望者は全員泊まれることになる。

京都では随分と以前から町屋を改装して宿泊施設としている例もある。
呉市でも普通の民家を改装して宿泊施設として提供することも始めた。

現に広島市内でも、もともとは普通の民家だったろうと思われるような旅館が何軒もある。
畳の部屋で、隣の部屋とは障子や襖で仕切られている程度のようだが、安いということもあり、若者や外国人にも人気があるようだ。
そうした小さな旅館では食事なしが普通のようだ。
朝食は近くのカフェでモーニングサービス、ランチはコンビニ弁当、夕食は友人と居酒屋で、というパターンらしい。

案外コンクリートの壁に囲まれた小さな個室のビジネスホテルより、こちらの方が温かみもあり、面白いかもしれない。

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宿泊施設して使用できるようにするためにはそれなりの改修工事も必要だろう。
1戸100万円とすれば、1.7万戸で、170億円だ。

空き家の改修程度なら、地元の工務店で充分できる。
170億円のオリンピック特需が生まれることになる。

広島市内の空き家ホテルに宿泊し、食事したとすると、その費用を1人当たり1万円とすれば、オリンピック期間中の広島市内の宿泊者の直接の経済効果だけでも670億円ということになる。
波及効果は軽く1千億円を越えるだろう。

そうした様々の経済波及効果を考えれば、空き家ホテルへの改修工事の費用を、広島市が負担しても、充分お釣りがくる。

オリンピック開催期間中は宿泊施設として使うが、その後はまた自分たちで使ってもいいし、ホテルとして使ってもいいだろう。

いずれにしろ、空き家の所有者にとっては、オリンピックのおかげで、結構な改修工事ができたということになる。

「オリンピックの時、空いている家に対して100万円の改修費を出すから、提供してくれるか」と友人に話したら、「両親がなくなって空き家になっている家もあるけど、オリンピック期間中、私が友人の家に泊まって、今済んでいる家を提供してもいい。是非応募したい」といっていた。
彼の家は庭つきの随分と立派な家だ。
こんな家なら、日本人の生活の経験もできると外国人も喜ぶだろう。
募集すれば、ピン・キリで、空き家は結構集まりそうだ。

オリンピック開催以降にあっても、8・6の際や、ちょっと大きなイベント開かれると広島市内のホテルが年に数回不足することがある。
こうして作られた空き家ホテルを、そうした時の受け皿として使ってもいい。

空き家ホテルは市内あちこちに散らばって存在することになるが、それを探すのはそれこそネットの検索システムの出番だ。
広島市内全域にフリースポットを設置し、ネットで空き家ホテルを検索できるようにしたらいい。

どんな空き家ホテルが、どこにあるかの情報はネット上になら、詳細に載せられる。
空き家ホテルのホームページとして「空き家ホテル.COM」を作るのだ。

鍵などの管理もするボランティアとかカフェ、レストランに委託してもいいだろうが、それを組織するビジネスを立ち上げてもいいだろう。

空き家をホテルとして利用できるようにするには、防災上の問題とか、衛生法上の問題とかをクリアしなければいけないだろう。

そのためには「広島空き家特区」としてもいいだろう。

そんなシステムができ、宿泊場所を探す心配もなくなれば、広島でちょっとした大きなイベントがどんどん開催することも可能になるだろうと思う。

それにしても、どんな問題があるのか、テストケースとして、早急に空き家ホテルの改修、運営をやってみたらいい。
意外と広島の新しい魅力となるかもしれない。

「空き家ホテル」はネット時代にあって、初めて可能になるビジネスだ。
広島市はE-都市・広島を標榜している。
広島発のベンチャービジネスとして、広島市が支援したらいい。

空き家ホテル.COMというシステムが創りだせれば、それは日本発の新しいビジネスモデルとして発展していく可能性すらある。

それは、これからのオリンピックのあり方を変えるかもしれない?

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2010年10月14日 (木)

RISTRANTE MARIOとオープンカフェ

広島平和資料館の前、平和大通りに面してイタリアンレストラン マリオがある。
平和大通りの大きな樹木に囲まれ、木造2階建の、住宅を改造したような雰囲気がなかなかシャレている。
繁華街から離れ、ポツンとレストラン1軒あるだけなのに、いつも女性たちで賑わっている。

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歩道に面した1階の硝子戸は折りたたみ式になっていて、天気がいい日には開く。
たまに歩道にはみ出してテーブルとイスが置かれることもあるが、これがなかなかいい。
パリの歩道のカフェ、スペイン・バルセロナの道路の中央緑地帯の中のカフェのような雰囲気を作りだしている。

本来道路にテーブルなんて置いたら、道路法に引っかかってしまうのだろうが、この場所で、この程度の使用なら、歩行者の迷惑、身障者の迷惑になることはなさそうだ。

却っていい雰囲気の歩道を作りだしている。

先日の新聞には、国土交通省も道路の上、高架の下について、弾力的に運用することを検討しているようだ。
「道路空間を利用して、民間の資本を取り入れ、道路の整備に活用するのが狙い」だという。
可笑しい。

ついこの前まで道路の使用については、ガチガチに規制していたのに、今はこれだ。

全国一律に、全ての道路でOKとはならないだろうから、個別の判断が求められるようになるだろう。
厄介だ。
それなら、国土交通省が許認可権を持つのでなく、どんどん地方の自治体に任せるようにしたらいい。

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2010年10月13日 (水)

「広島五輪計画」に寄せて②アトランタ五輪に想う

 先日、カフェで友人と「広島五輪」を巡る話に花が咲いた。
 百メートル道路でマラソン以外に短距離走の実施や平和市長会議参加の世界各国の自治体が『オフィシャル・観戦会場』を設けて、世界中でリアルタイムの観戦。入場料は『平和活動資金』として各自治体に委ねるなど次々に飛び出す彼のアイディアに感心した。

 これが、活きるかどうかは全く今後の話でアイディア倒れに終わるかは判らない。
 しかし、聞いていると実に楽しく面白く、批判ばかりの広島メディアと大違いで、相槌を打つことしきりだった。

 その中に更に面白く経済的波及効果も生みそうなアイディアがあった。
 街中のマンションを期間中、一戸百万円で借り上げ一定の改装をして民宿として借り上げる。持主は期間中、ウイークリーマンション等活用。改装工事は500戸で5億円、波及効果の大きさが期待できる。

 実はこの話を聞いて思い出す事がある。1996年のアトランタ・オリンピックを観戦した。
 RCCでは4年に一度「オリンピック招待セール」と言う企画があった。
 オリンピック年の上半期に一定額の売り上げに協力頂くとビジネッスクラスで行くオリンピック観戦に招待する。
 放送局の営業責任者としてスポンサー20名を開会式にご招待という形でご案内した。

 我々のホテルはアトランタ市内から高速道を2時間余り飛ばした郊外にあった。
 知り合いのTBS取材チィームは市内中心部の一軒家の民宿を確保していた。
 つまり、既にこの時期からホテルの新設など考えられない部分をどう賄うかは大きな課題だった。大会終了後は無理なく従来の宿泊施設で対応出来、新しい負担を抱え込まないと云う当たり前の考え方が活かされていたのだ。

 こう考えると、主催都市が大会後に必要以上の維持管理に費用を迫られる事は避けて、仮設で対応する考え方は至極当然の成り行きと言えよう。‘94年アジア大会以後広島市はビックアーチの維持管理に年間5~6億円を掛けて来た…。
 日本で開く二回目のオリンピックが理念に沿った「平和」が世界に通用しあてはまる都市は広島・長崎以外には無い。

 アトランタで見た施設の一部が仮設であり、大会終了後に施設を維持のために地元都市が苦労する方式はIOCが一番よく判っている…と考えられ、「広島五輪の理念」に異論が無ければ、実現可能性は極めて高いものになろう…。
 核兵器廃絶と言う人類共通の課題に挑戦できる環境づくりは市民の課題でもある。

 建築家でもある彼のような計画やアイディアを持った市民の意見を実施計画までに活かす方法はあろう。誘致を決定後に詳しく意見を聴く会が持たれる事も想定すべきだろう。

 ODAへの協力大国日本は住宅をはじめ仮設の施設を十分に活かしうる立場にあって、オリンピック仮設は大いに活かされる可能性を持っている。

 広島市はこれまで殆んど対応していなかったこうした市民のアイディアを聞き活かせる対応もする必要があろう。

 広島市が招致に踏み切るかどうか?
 年内に十分市民の意見を吸い上げられる対応が望まれると同時に、「市民の知恵とアイディア」を集約する事も考えるべきだろう…。

 何はともあれ、「平和五輪」の理念を最大限に活かし「核兵器廃絶」を実現する記念大会の方向であって欲しい…。

 市民の持つ情報は残念ながら極めて狭く少ないのが現実だろう。
 市民の財政負担が少なく、なお且つ実現が可能な方策があるのにヒットラーのベルリン大会を引き合いに「政治性が強く商業性が高い」と反対する市民派は少数派と言える。
 それほど、時代遅れの歴史観に埋まった人は少ない…と思う。人は歴史に学ぶものだ。

 今しばらくの間、市民の知恵とアイデイアが活かされる『平和五輪』を目指す挑戦を期待したい…。(9月30日:記)

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2010年10月12日 (火)

「広島五輪計画」に寄せて①「市の負担は52億円!?」

 広島市が2020年、夏季五輪の招致を目指す基本計画の原案をまとめた。
 平和の理念を掲げる大会として「原爆の日」の翌日に開会し、市の財政負担は52億円に抑えた。財政負担を理由に計画に異論が強かった議会の対応は?市民の理解と反応は?
 JOCやIOCが“平和五輪”と言う広島色をどう受け止めるか…注目される。

 基本計画案によると事業費は約4500億円。うち運営経費4329億円、招致費25億円、関連経費137億円。‘16年招致を目指した東京福岡の事業費7000億円に比べ大幅な圧縮だ。
 収入は放映権料729億円、ティケット528億円、企業協賛金1182億円、この他、内外から寄付金や助成金982億円を見込んでいる。赤字の場合は『国からの全面支援確保』だ?

 会期は8月7日から23日までの17日間。8月6日の開催を…の声もある様だ。
 28競技が37会場で実施され、開閉会式はビックアーチで特設スタンドを設置して、5万人から7万人に拡張する。マラソンは平和公園を発着点に市街地で行う。
 県外開催はサッカーの予選だけで、長崎や大阪など6会場。県内では東広島市でレスリングと柔道、呉市でバレー、福山でボートなど…。

 選手村は仮設ユニットで1,7万人分を設置し、関係者の宿泊施設は4万室の内主会場から50k圏は1,8万室、大型客船に大阪から福岡県までで確保する。

 競技会場は一切新設せずに既存や仮設で整備し、寄付金や仮設施設の資材売却による収入だけで大会運営費の3分の1を見込む等、過去の五輪には例のない策を盛り込んでいる。
 これらの財政負担軽減の工夫により、広島市の負担はわずか52億円とはじき出している。
 秋葉市長は『大都市で無くても可能な新しい五輪の開催モデル』を強調している。

 ‘94年のアジア大会で競技関連整備に3千億円を投じた広島市は財政難に陥った。
 結果的に市民の間で抵抗感が燻って来た経緯があるのは不思議ではない。
 このため、インフラ整備等に金を掛けず市の財政負担を極力抑えて招致開催経費4491億円の内、大会招致費15億円と大会関連経費37億円の計52億円(市民一人平均4400円)に抑えている…点は評価が高い。
 半面、組織委員会の費用として挙げられている992億円は世界中の市民や団体から募る寄付金や助成金で賄うとしているが、五輪史上初めての試みである。

 夏・冬のオリンピックをはじめ世界選手権大会で競技施設や宿泊施設を仮設や臨時対応して来た歴史は意外に知られていない。オリンピックでインフラ整備を進める従来の方策は先進国では再考の時期に来ている事はIOC自身が課題としている。

 一橋大の内海和男名誉教授によると「オリンピックが開催国や都市にどんなレガシー(遺産)が残せるか」…はIOCにとっても今、最大の関心事であり課題にもなっている。

 その点で「広島五輪」は「核兵器廃絶」という世界共通の政治課題であると同時にオリンピックが掲げて来た『平和の祭典という理念』に相応しい。同時に秋葉市長が指摘する『世界に先駆けて地方都市で開催する新モデル』としてJOCやIOCの理解は得られるチャンスは十分にある。

 メディアは一斉に「必要な物まで切り詰めた計画」「数字の根拠が定かでない」「目標達成の具体性に欠ける」「世界中からの寄付金など計画に不確実性が高い」などと厳しい批判の目を向けている。
メディアは本来こうした場合のチェック機関としての役割は大きい。

 しかし、評価的記事に全くお目にかからないのは何故だろうか?
 余りにも企画案が予想外でメディアの着想や発想を超えて評価の対象外になってしまった…従って、批判に走る…のは悲しい性と言うしかないのだろうか?

 市政を担当する記者達は『核兵器廃絶』は自らの課題・テーマであると同時にこの実現に尽力する事が使命…とする人達?だ。その一助になる知恵の一つや二つ絞れないとすると「これもまた、悲しからず」や…何かに恨みでもあるのだろうか?残念至極だ。
 今一度、広島市政記者クラブの担当記者のみなさん!可能な限り『広島五輪・基本計画案』の評価点と実現可能性を探る記事…に挑戦してみてはいかがだろうか?
今時の若い記者たちが正義感を振りかざした一部の平和主義者?の歴史観に惑わされている様にも思える節があるのは残念だ…。
 “正しい意見はジャーナリズムが生み育む“ものであって欲しい…。

 広島市は年内には議会と市民への説明を終わって『招致に名乗りを上げるかどうか?』の方向を示す。

 核兵器廃絶を目指す2020年の被爆地開催に世界史的な意義がある「広島五輪」の理念について、市民の理解を得るための手立てが十分になされるように…。期待したい。

(9月29日:記)

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2010年10月11日 (月)

「議員力検定」試験?

 “検定”ブームだが余り聞き慣れない「議員力検定試験」成るものがある。
 民主主義の基本である議会政治をはじめ、政治の仕組みを『検定』を通じて学ぼうという試みだ。来春は統一地方選挙の年。他都市に遅れた広島でも、政治に関心を向ける若者達の挑戦で初めてこの『検定』が実施される運びだ。

 この検定は同志社大学の新川教授らが呼び掛けて「議員を見る力」と「議員の力」を相互に高めあっていく為の検定制度として始められた。議員だけでなく市民としても政治に責任を持って地域や国のあり方を考えていく事を目的にしている。

 検定は「議員の部」「一般の部」「ジュニアの部」の3部門がある。受験資格の制限はなく、「議員の部」を一般の人が受験する事も出来る。スタートは昨年で札幌、仙台、東京、甲府、名古屋、大阪、福岡の7都市で実施。春と秋の年2回あり(有料:文末参照)、4回目になる今回から広島でも行われる。

 国も自治体も税収不足が根っ子になって議員定数の削減や報酬に政務調査費など議会の改革問題が山積し、高い職員給与も大きな課題になっている。特に、自治体では長年にわたる自民党政権下で保守系議員の職業化とレベルの低い世襲議員も増えて、改革派と言われる首長が誕生しても議会の抵抗にあって実現できないケースが目立って増えている。

 無鉄砲・無法呼ばわりされている阿久根市の竹原市長の専決処分と言う法律の縛りの裏をかぐ強引な実施方法は支持できないが目指す方向は“市民目線”で基本はおかしくない。
 議会と真っ向対立の名古屋の河村市長の市民税減税策も“市民目線“で支持は自然だ。
 全国には改革を自分達の立場だけで首長と対立する自治体議会の多数派は多く、責任を問い直す必要に迫られている…。この検定は“そこを問い直す”契機にもなるだろう…。

 私達は政治に対しては『無関心』であっても『無関係』ではいられない。
 この議員力検定試験を通じて「議員力とは何か」「市民力とは何か」を考え、議員に任せるだけの政治から市民も関心を寄せる政治に近付けたい…と言う強い思いを持った若者達が立ち上がる。
 「議員力検定を広島で開催する会」を創り、11月23日(火・祝)に広島で最初の『議員力検定』試験を行う予定で準備にかかっている。 議員力検定試験:http://giinryoku.jp/

 「…広島で開催する会」では実施に向け、運営メンバーを急いで募集している。
 試験前には座談会や講座も考えているようだ。関心の向きはご協力のほど…。
 受験料:ジュニア:2千円
     一般=3級:3千円  2級:4千円  1級:5千円
     議員=3級:6千円  2級:八千円  1級:1万円

問い合わせ:堀昌明:090-6403-0735(呼びかけ人:安彦恵理香、平尾順平、)

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2010年10月10日 (日)

拝啓・菅直人様

 民主党の代表選で菅直人首相の続投が決まり、第二次菅内閣がスタートした。
 「挙党一致・ノーサイド」の声はどうなったのか?と首を捻る“脱小沢色内閣”を副大臣や政務官で修正された?と言われながらも、日米首脳会議も大した成果は見られず、対中国外交で手探りの再スタートに不安と期待が入り混じる。

 貴方は宇部生れの「山口出身9人目の首相」として、従来の保守派でない革新運動出身の市民派として期待されて第94代目の首相に就任されました。
 3ケ月での交代は国益を損じる…との国民の声や地方党員サポーターの支持と、剛腕の小沢一郎元幹事長の「政治とカネ」を嫌う民意の力で退けて再選されました。
 しかし、民意が反映されたと言われながら半数の国会議員は小沢さんを推しました。
 小沢さんは踏んで来た場数は貴方とは大違いで、議員の多くは政権運営には強い力を持つリーダーが必要と考えられているのだと思われます。

 官僚に取り込まれた?感じのある貴方より指導力は数段上だと感じている国民は多いと思われます。おまけに、小沢さんは今回の代表選を通じて素顔をさらし強面の印象が少し薄まった様に見えます。「小沢を一度首相にさせてみたい」と言う声は、依然として根強くある…と指摘されていることを強く自覚されておく必要があると思います。

 「暫く静かに…」は何時まで続けられるのでしょうか。代表代理等の提案はことごとく断られた…との報道は真実なのでしょうか?政界再編の画策が来ないとは言えないでしょう。とりわけ、鳩山さんとの修復は急いだほうが良いと思います。

 尖閣諸島問題は日中関係の棘になりかねません。小沢の人脈と力を活かさない方法はないと思います。ねじれ国会の乗り切りにも知恵と力が必要です。
 ここで貴方が行き詰まれば小沢待望論が再燃する可能性は大いにあります。
 大阪地検特捜部主任検事の偽装事件は、政治資金問題で逮捕された3人の小沢秘書達に公判での対決姿勢を表明させています。加えて小沢さん自身が検察審査会をクリアーすれば小沢さんの勢いは再現される可能性が極めて強い…と見るべきでしょう。

 党内の対立構図は歓迎されません。貴方は「小沢さんが離党して新党や再編に出ることは無い」と踏んでいるとは考えられますが、「挙党の成果を活かす」術を考えることが大事な時です。せっかく実現した政権運営を党内のいざこざで手放す事になれば、国民は民主党に更に厳しい試練を選択する…との覚悟が必要です。名実共に『挙党体制』と思える“小沢活用”が肝心な時でしょう。ご尽力を期待します。不一。   <9月27日:記>

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2010年10月 9日 (土)

広島移民特区と多様性

「広島の街を歩くと、外国人が多いのに驚く」と、東京からきた友人がいっていた。
2009年の広島市の外国人宿泊者数は約28万人、宿泊しない人を含めた観光客は50万人を越えるという。

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日本国内の外国人登録者数はすでに200万人をこえている。
広島市内の外国人登録者数も1.5万人を越えているという。
広島市内に住む外国人は、人口の約1%になる。

カープやサンフレッチェの選手にもかなりの外国人がいる。

別府にある立命館アジア太平洋大学の就職率、偏差値も急激にアップしているが、キャンパスの表示は日本語と英語だという。
世界の97カ国、地域から集まった「国際学生」と呼ばれる約2500人の留学生が、学部学生の約44%を占めているという。
広島大学の外国人留学生は、2010年にようやく1,000人を越えたという。
学生数が1.3万人だから1%弱程度だ。
まだまだ少ない。

それにしても、日本の国際化は着々と進んでいることは確かだ。

日本の製造業は、すでに外国人労働者無しではやっていけないほどになっているという。
経済産業省の試算では「生産年齢人口のピーク(1995年)を維持するためには、単純計算で2030年までに約1800万人(年平均50万人程度)もの外国人を受け入れる必要が生じる」としている。

そうしたこともあって、2003年、自民党の若手議員が、日本を憧れの国にしたいと、「移民1,000万人構想」を提案した。
日本の人口の約1割の移民を受け入れようということだったが、あまり議論になることもなかった。

様々な形での日本の国際化は進んでいるが、現状は、日本は世界的に見ても、極めて厳しい移民制限を行っている国であり、極端に移民が少ない。
島国であったこともあるのだろうが、国民はなんとなく外国人に対して強い違和感を持っている。

しかし、色々問題はあるが、EUの国々をみても、移民を認めるのは世界的な流れになっている。
日本だけが孤立して、これだけ厳しい移民規制をいつまで、続けるわけにはいかないだろう。

アメリカはそもそもの成り立ちからいって移民の国だが、いまでも移民は多く、不法滞在者も多い。
それがアメリカの発展のベースになっているともいわれている。

国の人口問題研究所は2008年の人口は1.27億人で、2050年の推計人口を25%減の0.95憶人と推計している。
広島市の人口も、単純に計算すれば、116万人から87万人程度に減るということになる。

急激に人口が増えることも問題だが、減るのはもっと厄介だ。
それに少子高齢化という問題もくっついてくる。

それならいっそ、広島市が先頭をきって、移民を認めるという「移民特区」にしたらどうだろうか。

日本全体で移民を認めるというのは、かなり難しいだろうと思うが、
世界平和市長会議会長都市の広島市が、特区として移民を認めるというのは、極めて意味のあることだと思う。

広島市で移民を受け入れるということになれば、それはEUのようにただ単純に不足している労働力を補うという意味での移民を認めるというのでなく、「様々な国々からの多様な移民が住む都市を作ることが、世界の平和を実現することになる」ということで移民政策を捉えたらどうだろうか。

EUでもどこでも、移民を受け入れた時、どこに住むかが、まず重要な問題になる。
広島市内には、空き家は少なくとも5万戸、多めに見積もれば10万戸はあるだろうと思われる。
市営住宅の空き家も相当にあるようだ。
こんな国は世界にもない。
そうした住宅を受け入れ施設として使えば、住むところは充分ある。
1戸あたり、3人住むとすれば、3人×5万戸で15万人の住宅は直ぐ確保できるということだ。

働く場所だが、
広島に住む外国人労働者は、現状としては殆どがマツダ関連の製造業に従事していると思うが、これからはより発展性のあり、かなりの人手不足が生じると思われる観光等のサービス業、或いはIT関連等の分野が考えられる。
広島が世界の医療産業都市を目指すとすれば、介護関連の職員も絶対的に不足するだろうから、そうした分野の移民も受け入れたらいい。

広島市内で毎年5千人程度の移民を受け入れるとすると、10年間で5万人だ。
それでも、広島市の人口減少のスピードには、追い付かないだろうと思う。

アメリカは18歳になったら、どちらかの国籍を選ばなければいけないが、カナダは終身2重国籍を認めているそうだ。
投票する選挙区も住所か、勤務先か、自由に選べるのだという。

生物多様性は生物の生存の条件だとも言われている。

移民という異分子を認めるということは、心理的にはなかなか抵抗があるが、人間社会の多様性を認めるということでもある。

相手を認める、多様性を認めることは、人類が生き残る条件だろう。
それが平和への道でもあり、経済発展への条件だということも理解する必要があるようだ。

「移民特区」となることは、広島市が、世界が多様性をもつ社会になることの先導役となる上で、大きな意味を持つのではないだろうか。

世界中から沢山の人々が集まるオリンピック広島大会に合わせて、広島市を「移民特区」としたらいい。
オリンピック広島大会がより価値のある大会になるのではないだろうか。

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2010年10月 8日 (金)

セルフのガソリンスタンド

ガソリンスタンドがどんどん減っている。
跡地はコンビニなったり、コイン式の駐車場になったりしている。

07年度末に約4万300店あったスタンドが、5年後の2012年度末には約3万2100店、17年度末には約2万5700店になるというレポートもある。
10年間で半減するというわけだ。

理由は幾つもあるのだろう。
ガソリン価格の高騰もあるし、若者の車離れで、ガソリンの使用量そのものが減っていることもあるだろう。
ガソリンスタンドで人が給油してくれるスタンドに代わり、どんどんセルフのガソリンスタンドが増え、セルフであれば、給油のサービスをする人がいらないから、ガソリンスタンドがどんどん大型化していっていることもあるのだろう。

セルフのガソリンスタンドは、給油サービスをしてくれるスタンドに比べ、リッター当たり大体4~5円安い。
サービスの人件費がかからないから、当然だろう。

街道筋でガソリンをやっと見つけて、給油したあと、1円でも安いスタンドを見つけると、妙に損した感じになる。
50リッター入れても50円の違いなのに、安いスタンドを探して数キロ走りまわることもある。
そんなことをすれば、すぐ100円分ぐらいのガソリン代がかかってしまい、逆に損することもある。
それが解っていて、安いところを見つけて走り回る。
おかしな心理だ。

バーゲンだといって、いらないものもワンサカ買い込むおばちゃんも同じかな。

セルフサービスのガソリンスタンドは、なんとなく怖くてあまり使わないが、先日友人の子息の運転する車に乗せてもらった際、彼は当たり前のようにセルフサービスのガソリンスタンドが入って行った。
彼に言わせれば、「セルフサービスのガソリンスタンドの方が、妙な気を使わずに済むから、いい」という。
セルフサービスのガソリンスタンドは、安いという理由だけではないようだ。
ヘーッ。
いまどきの若者の心理は随分と違っている。

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2010年10月 7日 (木)

モーターフェスティバル Hiroshima 2010と交通科学館

広島市交通科学館の主催で、9月18日、今年もマリーナホップで交通科学館主催のモーターフェスティバルが開かれた。
9時半頃に行ったが、もう随分と多くの観客がきていた。
当日の観客は、1・4万人だったいうから凄い。
若者の車離れがいわれるが、まだまだ車に対して根強い人気があるということがわかる。

入口近くには、トヨタのプリウス、ホンダのインサイトが並べられ、幾つかの部品メーカーの展示や、広島市立工業高校、広島国際学院大学のテントも張られ、随分と賑やかだ。

神戸からきたというなんとも恰好いい3輪の車T-REXも展示されていた。
作ったのはカナダのカンバーニャという会社だそうだ。
見た目は確かに車だが、エンジンはオートバイの日本のカワサキの製品だという。
2人乗りで値段は800万円とか。
こんな車に彼女を乗せて走ったら、しびれる。
車には、まだこんな自由な発想のデザインの余地があったのかと驚く。クルマ、エンジンはバイクと

11時から、展示されている車、F1を走ったというマツダ787B、RX500、が走った。
100M×20M位の極めて狭いスペースだ。

パドックでグワーン、ブルブルとエンジン音を響かせるレーシングカーは、ロデオ大会の牛のように、いまにも飛び出しそうな凄さがある。
短い走路を走って、急回転して戻ってくる車は、突っ込んできそうで、怖さすら感じた。

車は、やはり「凄まじいエンジンの音を響かせ、走ってこそ美しい」というのを改めて感じた。

まったく音のしないハイブリッド車なんて車じゃないと思えてくる。
誰かが「あれは車の幽霊だ」といっていた。
いいえて妙だ。

近頃よくいわれる若者の車離れも、このレーシングカーの走りをみると、そうした車本来の持つの猛々しさがなくなったことが最大の理由だろうとすら思えてくる。

午前中の最後に普通の市販車、スバル インプレッサWRXを使って、プロのラリー・ドライバー新井選手がプロの技を見せてくれた。
猛スピードから急にカーブを切ったり、スピンしたりする。
白煙があがり、一瞬車が見なくなつた。
こんなにも車は自由自在に車は操作できるんだということ、そしてこんな乱暴に運転してもタイヤはパンクしないんだということを知った。
同じように感じたのだろう、中年のおじさんが、デモ走行の後、タイヤを触っていた。

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午後のイベントでは、広島市立工業高校の生徒が作ったEVカーもデモ走行をしたという。

今年の目玉は広島市立工業高校の生徒が改修したという「まきF101」は、展示はされていたが、ガソリン漏れとかで、走らなかった。
ちょっと残念だ。
真白なボディーはなんとも美しい。
来年はちゃんと走ってくれるだろうことを期待したい。

来年は「まきF101が走る!」
楽しみだ。

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2010年10月 6日 (水)

広島五輪招致に向け応援歌完成

 野球やサッカーなどプロスポーツのチームや選手を励まし、士気を鼓舞する応援歌は多い。プロ野球は各球団にあり、広島カープは球場でよく流れる「それ行けカープ」「燃える赤ヘル 僕らのカープ」をはじめ、「勝て勝てカープ」「痛快!赤ヘル音頭」「カープ讃歌」「ガッツだMr赤ヘル」「燃えろ!赤ヘル」などたくさんある。選手別応援歌もある。
 一方サッカーJリーグでも各クラブにあり、サンフレッチェ広島は「ときめいてハットトリック」。2002年日韓ワールドカップサッカーの公式テーマソングはアナスタシアの「BOOM」だ。
 1994年に広島で開催された「アジア競技大会」の公式イメージソングは「トライ~君がいるから」だった。その他多くの応援歌が生まれ、認定された。「熱き願い」「はばたけ青春」「広島アジア大会音頭」「アジアはひとつ」「明日に微笑を」「輝け!アジアの花」など。
 ところで広島市は、2020年のオリンピック招致を検討している。9月末に基本計画が発表された。
 日本で開催されたオリンピックの歌は、なんといっても「東京五輪音頭」が有名だ。三波春夫をはじめ三橋美智也、坂本九、北島三郎、藤山一郎などレコード各社が競作、300万枚売り上げ、中でも三波春夫は130万枚だった。
 その他冬季オリンピックでは、1972年の札幌は「札幌オリンピックマーチ」「白銀の栄光」、1998年の長野は「ILE AIYE WAになっておどろう~」。
 「ヒロシマオリンピック」の招致検討委員会に現在1府8県の27自治体の首長が加わり、応援委員会には、45都道府県の174自治体首長が名乗りを上げている。国内では東京都が招致検討の表明をしている。
 そんな中、広島の市民団体が、広島への招致を願う応援歌2曲を製作した。「オリンピックを広島へ」(作詞・三宅立美、作曲・立森裕)と「2020年ヒロシマオリンピックを開こう!」(作詞作曲・風呂哲州)。近々発表し、合唱団など歌ってくれる団体を募集する予定だ。
 関係者は「この歌を通じて広島五輪を考えるきっかけになれば」と話している。

 上村和博

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2010年10月 5日 (火)

「オリンピックと平和」論・孝

 8月5日の欄に<「五輪招致」を考える集い>を掲載したら、多くの方から書きこみを頂いた。改めて、御礼を申し上げます。ご意見の多くは「ヒロシマ・オリンピックの招致は核の無い世界の実現・成功に向けての取り組みとして期待し応援する」…と言う声だった。

 広島市は「オリンピック誘致を検討の2020夏季五輪の基本計画案」を近日中に公表する。

 最近、友人が送ってくれた季刊誌・季論21‘10夏号で一橋大名誉教授の内海和男氏の「オリンピックと平和」を読んだ。スポーツ社会論、オリンピック論、政策論の専門家で『アマチャリズム論』や『スポーツ研究論』などスポーツ研究の第一人者。

 内容を極めて大雑把に要約してみた。ヒロシマ五輪を意識して書かれたものではないので、多少の解釈を加えた点がる…ことをご理解ください。

 最近先進国におけるスポーツをTVニュースで「政治、経済、社会、天気予報」共に「四本柱」と位置付ける。スポーツは政治や経済の暗いニュースも明るく中和しストレス解消もする。その上、自国選手の国際的健闘はナショナリズムやアイデンティティー(国民意識)を再確認させる。

 オリンピックの意義については『スポーツを通じて若者を教育し平和でよりよい世界の建設に貢献する』事であり『国際交流であり平和運動としての性格と理念を持つようになった』。しかし、オリンピックの影響が大きくなるに従って、政治的経済的利用も増え、社会科学的研究が高まるにつれて批判・否定が増えた。が、平和的運動としての研究は少なく未確立だ…と「オリンピック平和論」が少数派である事を指摘している。

 「オリンピックの平和貢献」について『スポーツが社会に与えた影響』を手掛かりに(Ⅰ)最近のオリンピック状況(Ⅱ)「オリンピックと平和」の研究史(Ⅲ)平和の範疇について考察している。

 中でオリンピックを開催する都市や国は世界から注目される。かかえる政治、経済、社会的問題が世界中に知れ渡る。従って一定の民主主義の実現が迫られる。‘89年のソウルは軍事政権を倒した翌年で民主主義の促進する力に働いた。‘00年シドニーではアボリジニー差別問題の平等化。‘08年の北京は人権抑圧や少数民族差別牙焦点になり中国政府は民主主義の徹底や差別改善を迫られた『積極的平和』な役割面を挙げている。

 そう考えると核兵器廃絶と言う国際的課題を「ヒロシマ・オリンピック」を通じて共通の課題と認識するには又とないチャンスと言え、積極的な平和活動と位置付けられよう…。

 IOCは‘92年以降国連と「オリンピック休戦宣言」を呼び掛けて来た。国家間の相互理解は共感できるものを共有する事が必須で、二国間競技や国際大会などスポーツはその最たる可能性が強くナショナリズムが媒介する。ナショナリズムを最も強く顕在化するのは戦争を除くとスポーツで、WBCやサッカーWCを通じて形成されている。

 ナショナリズムは右翼の独占と言う思潮の中で、民主的なナショナリズムの強調は弱かった。しかし、憲法9条を軸とする平和日本のナショナリズムが問われている。
 日本には諸外国に比べて『国民的スポーツ』と呼べるに相応しいスポーツが無い。WBCでの『サムライJAPAN』の優勝もナショナルアイデェンティティを一時促したがナショナリズムの高揚とは成り得ていない。サッカーのWC進出も同様だ。これはナショナリズムの不鮮明さと同時に国民的スポーツの「不在」によるものだ…と、分析して、“スポーツナショナリズムの研究の必要性”を指摘している。

 もし、オリンピックからナショナリズムが完全に除去されたらオリンピックの人気、名声を維持する事は不可能だろう。むしろ世界中から注目を低下させ”オリンピックの持つ平和的アピールの意義“も減少する。

 IOCもオリンピックによって都市や国がいかなるレガシー(遺産)を残せるかの検討を重視しつつある…レガシーの視点も社会への貢献で蟻、平和の一環である…と結んでいる。

 これも、「オリンピック平和論」の一つだ。「ヒロシマ五輪」の参考になる考え方もあるように思う。

 しかし、間違いなく「ヒロシマ五輪」が実現の方向が見えてくれば、戦後一貫して広島が取り組んできた“ヒロシマの世界化”がオリンピックを通して改めて『核兵器廃絶』という、世界最大の共通課題の実現に大きく近づく手段になる事は期待出来る。
 米国が「ヒロシマ五輪」に対して、世界戦略上どのような対応を示すのか…も興味深い。

 “ヒロシマ五輪”がまやかしの「平和祭典」かどうか?考え方の問題…と言えよう。
 何が何でもオリンピックを招致しよう!!!と言う性格のものでは無い。市の財政を考えれば、国や多くの自治体の理解と応援が必要になる…ことも必至だ。
 近日中に示される基本計画を基に市議会だけでなく市民も十分な意見が示せる方策が対応されることを期待したい。  <9月25日:記>

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2010年10月 4日 (月)

「特捜検事の逮捕」②

 厚労省『文書偽造事件』を巡って被告を冤罪に陥れる証拠を改ざんした大阪地検特捜部主任が最高検に逮捕された。事件はお手柄を追う一検事の発想で捏造されたのか…それとも検察の体質が生んだのか…日本の司法制度の根幹を揺るがしかねない大問題だ…。

 検察庁の中で常設の特別捜査部は東京地検と大阪地検にしかない。高検や最高検にも無く特殊な事件に限って高検でも最高検でもなく特捜部が担当する。
 「東京地検の特捜部」は敗戦の翌々年、昭和22年に旧軍隊の軍需物資を取り締まる『隠退蔵物資事件捜査部』として発足した。当時、敗戦国日本は連合国軍司令部GHQの管理下にあって創られ、米軍の大きな影響を受けた。現在でも特捜部はCIAの教育を受けないとトップになれない…CIAの出先機関と言われ、「国策捜査」は特捜の専権事項になって来た。

 政治的意図や世論に沿って検察が「まず訴追ありき」で捜査を進める「国策捜査」「公安事件」は政治家の汚職、大型脱税、経済事件、造船疑獄、外務省機密漏洩、ロッキード事件…鈴木宗男事件と手掛けた実績は大きい。

 そのトップ達が経済事件の厳罰化で経済界の各企業にコンプライアンス(法令順守)需要に応えて迎えられ傾向は何と見るべきだろう…か。
 検察が事件をつくりヤメ検・弁護士が弁護する「法曹界のマッチポンプ」構図(連携して火をつけては消す)…と厳しい批判の向きも、否定で出来なくなる?

 逮捕された前田大阪地検特捜主任は因みに広大法学部出身で広島にも勤務経験がある。
 「容疑者の気持ちになって本音を引き出すのが旨い」と評価の半面「功名心が強く無理な捜査をする」との批判もあったようだ。

 「当時の上司に報告していた」と認める前田検事の供述を基に事情聴取が始まった。
 「組織的犯行になるのか…更に逮捕者は出るのか」「大阪地検は改ざんを何時把握したのか」「気付いた時点で止められなかったのか」多くの疑問が浮かぶ。
 小沢一郎政治資金事件の捜査等も担当しており、今一度の洗い直しが求められる…ことになるだろう?政府の対応も注目される?

 当然、最高検の責任や今後の特捜の存在やあり方も問われる事になる。
 地に落ちた信頼を取り戻し、再生への道のりは遠く厳しい。
 菅新政権の存在が問われる問題も含んでいる。
 当分、目が離せない事件だ。   <9月24日・記>


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2010年10月 3日 (日)

「特捜検事の逮捕」①

 厚労省の文書偽造事件で無罪が確定した村木元局長の逮捕起訴に関わる証拠品のフロッピィーディスクのデータを改ざんした大阪地検特捜部の主任検事が証拠隠滅の疑いで最高検に逮捕された。

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 上掲紙面、広島では22日付けだったが、実は東京では21日付け。つまり『朝日の報道後の同日に前田主任検事が逮捕』された。朝日新聞の記事が『前田検事逮捕』を促した…のだろうか?それにしても、“特捜検事逮捕“記事掲載後の逮捕は前代未聞の超特ダネだ。

 9月21日付けブログで朝日新聞が11日の紙面で『郵便事件をどう報じたか』という検証記事特集を組んだ事を『検察リークに乗せられず局長の言い分を伝えて来た…』と言う言い訳報道…と批判した。「間違った報道はしていない」と後から大声で上げるようでは“権力チェック”と言うメディアの役割を果たしてきた者が言うセリフではない…と。

 朝日は11日付け時点で「特捜検事のFD改ざん」を掴んでの検証記事特集になったものと推測できる。最高検の「前田特捜主任逮捕」が後塵を拝したのはどうしてか?リークがあったのか、疑問は残るが何れ明らかになるだろう。

 物証の偽造や改ざんは普通、容疑者が罪を逃れるために犯す犯罪だ。これを捜査する側が客観的な証拠を捏造すれば、どんな犯罪でもでっちあげることが出来る。
 有罪か無罪かを判断する為の証拠を検察が改ざんする事は裁判の根幹を崩す事になる。
 旧刑訴法時代の思想犯事件で悪用された事がある以外には無いと云う…特異な例?

 9月21日付けでも書いた「検察の強制捜査?と冤罪」で特捜部が描くストーリー沿った供述調書が書かれ、必要な証拠が改ざんや捏造されるなら鈴木宗男元議員が言う様に「国策捜査」による狙い撃ちは?十分にありうる…。
 『将来の特捜部長』期待された敏腕検事は何故正義を見失ったのだろう?
 最高検の出方、政府の対応が注目される。  <9月24日:記>

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2010年10月 2日 (土)

相撲協会『新公益法人制度』の再認可への岐路?

 3日付けのブログ「NHK『相撲中継再開』の甘さ?」で指摘した“相撲協会自身の公益法人問題”が3年先の秋までに再申請して新しい公益法人制度による認可を受けられるか?
 協会は今大きな壁を乗り切る試練を前に…岐路に立っている事が判った。

 秋場所が始まり「改革の取り組みが見える」と評価のNHKはテレビ中継を再開した。
 そんな場所の出鼻を挫くように野球賭博事件の処分を一身に受けた元大関・琴光喜が解雇不当と「地位保全の訴え」を出した。いかに掛け額が大きかったとはいえ現役大関の生きる力と将来の道までも一気に奪った処分は乱暴すぎ?解雇権の乱用では?…とも思える。

 日本相撲協会は85年前の大正14年に国から公益法人の財団法人に認定された。
 以来『国技のお墨付き』を得ることで税制面の優遇だけでなく様々な恩恵を受けて来た。

 国はかねてからこの公益法人の制度改革を進めていて、いま認定されている総ての団体は平成25年11月までに再申請して、改めて文科省から認定を受けるように法改正された。
 この為、協会は8月末に公益法人協会の理事長から親方、力士を対象に、移行に向けて必要な手順について講義を受けた。大改革が必要で、従来はほとんどの事を協会内部で片付けて来た為に、関係者は戸惑いの色が隠せない…との報道は頷ける。

 従来、協会は理事会の決議事項を評議員会が承認してきた。しかし、新制度では評議員会が上位機関となり、会社の株主総会の位置付けになる。更に、親方中心に110人いる評議員は完全に外部でなければならない等、今より比較にならない厳しい規制がある。

 協会では既に外部有識者による「ガバナンス(統治能力)の整備委員会」が再認可へ向けた改革案づくりの検討を始めている事も明らかになった。

 協会の屋台骨を支えるのは51の部屋だ。力士教育と育成は親方の個人財産である土地建物などを持つ部屋に委ねられている 。これを“協会が管理する部屋”に切り替えかえる…?
 年3回の地方場所の宿舎確保の負担を後援者に頼っている現状は「部屋へ依存した協会が稼いでいる」との指摘もある。部屋を協会が直接管理する改革案も検討されている…?。

 協会員の大部分を占める力士出身者には外部の人を入れることに強い抵抗感がある。
 相撲協会が公益財団法人として生き残るには避けて通れない現実、「協会の財産」と「部屋のソロバン」が成り立ち『公共の利益の為の活動する国技』が成り立つ法人作りが出来るかどうか…が、今改めて問われている…。 <9月15日:記>

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2010年10月 1日 (金)

五日市漁港フィッシャリーナと街

広電五日市駅から南に約7~800M、はつかいち大橋の両側に、大きなマリーナ、五日市漁港フィッシャリーナと廿日市ボートパークがある。
廿日市と五日市の埋め立て地に囲まれた湾のような大きな2つの漁港が、今はプレジャーボートとヨットのためのマリーナになっている。

廿日市ボートパークの収容隻数は575隻、五日市ボートパークは陸上に167隻、海上に536隻置けるようになっている。
素晴らしく大きい。
その他に、申し訳程度に漁船20隻が係留されている。
合わせて1,298隻だ。
それでも、まだまだ置ける余裕は充分ある。
数倍のヨット、ボートは収容できるスペースがある。

広島は、穏やかな瀬戸内海に面していることで、昔からヨットでのセーリング、モーターボートでの魚釣りが盛んだった。
つい最近まで、太田川の岸辺、橋の下等至る所に沢山のボートが係留されていた。
広島の景色でもあったが、台風のときなど危険を感じることもあった。
許可を得ず留めている違法係留のボートである。

平成8年には、太田川だけでなく、瀬戸内海のあちこちに違法係留されているボートが約1.9万隻近くあったという。
保有隻数では全国1だというが、それにしても凄い数だ。
それが、あちこちでトラブルを起こしていた。
そうしたこともあって、広島県は観音マリーナ、吉島の貯木場跡地に広島ボートパークをつくり、ここ五日市漁港もマリーナとして整備をした。
五日市漁港フッシャッリーナは平成20年7月に供用開始というから、つい最近オープンしたばかりだ。

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「波に揺られるヨット、ボートを見ながら、コーヒーを飲むのもいいな」と、先日、五日市フィッシャリーナを見に出かけた。

カーナビは、広島市内からだと、西広島バイパスを走り、速谷の交差点を左折し、はつかいち大橋を渡るよう指示する。

いってみれば、

カフェなんて、ないではないか。

マリーナには、コンクリートの管理事務所とボートを陸揚げする大きなクレーンがあるだけだ。

これじゃ、全くヨット、ボートの捕虜収容所だ。

フィッシャリーナは白い鉄柵で囲われ、関係者以外近寄れないようになっている。
駐車場に停めるのも、駐車料金は1時間180円もする。

オープンカフェがあったり、コンビニがあったていいだろうにと思うが、そんな類のお店はどこにもない。
釣りをしている人もいない。

どこにも楽しい雰囲気はない。
地域に対して、完全に閉ざしている。

これでは折角のマリーナが台無しだ。
勿体ない。

あんまりちゃんと覚えていないが、昔、ロサンゼルスには大きなマリーナの近くのシャレたレストランで食事したことがある。

ネットで調べてみると、
『マリナ・デル・レイ。1968年に10年の歳月をかけ完成したと言われる、人工のヨットハーバーとしては世界最大級のヨットハーバー。「Marina Del Rey 」とはスペイン語で「王様の海」という意味。単なるヨットハーバーだけでなく大小あわせて8本の入り江から成っており、ヨットハーバー以外にコンドミニアムタイプの居住区、ショッピングモール、スーパーマーケット、ホテルが5軒、映画館、それに50を超えるレストランなどがあり、いわゆるシティリゾートを形成しています。LAっ子にとっても憧れのマリナ・デル・レイと呼ばれるひとつの地域です。住人にはロスアンゼルス国際空港が近いこともあり航空会社関係のエグゼクティ ブ達が多いとか。
マリーナは40数社。8つの入り江には7,000艇、入り江の合間の丘にはトレーラーに積まれたヨットが800、合計7800艇が停泊できます。ヨットには電気、上下水道、ケーブルTVが引け、ガスはプロパンガスを使用。停泊料は場所により多少異なりますが1フィートあたり15ドル程度で、例えば30フィートのヨットの場合1ヶ月450ドルくらいになります。港内はセキュリティーもしっかりしているので、アパート代わりにヨット(クルーザー含む)に住んでいる人も多い』
と書かれている。

広島にだって、マリナ・デル・レイに負けないマリーナを作ろうと思えばできるポテンシャルはある。
ここ五日市地区はその最大の候補地だろう。

材木が海から来る時代は終わった。
廿日市貯木場だってマリーナにしたっていい。
マリナ・デル・レイに匹敵した規模のマリーナをつくることは充分可能だ。

マリーナが成立するには規模だけでは駄目だ。
マリナ・デル・レイのように、マリーナに関連した環境を整備することが必要だ。

マリーナ周辺の整備は勿論だが、五日市フィッシャリーナをボートで出発し、太田川を遡り、原爆ドーム脇に留めて、市内で遊ぶようなルートを整備することも必要だろう。

そのためには、太田川にそんなボートの係留拠点も必要だ。

厳島神社に、参拝するようにしてもいい。
瀬戸内の島々を巡るのもいい。
そんなルートの整備も必要だ。

コイン通りと繋ぐ自転車専用道を作ってもいい。

コインド通りを自転車で走って、ここフィッシャリーナのカフェに座り、海の風に吹かれながら、彼女と2人でコーヒーを飲むなんてのはいいと思うけど。

マリーナに留めたボートに泊まる、パーティーをするなんてことができるようになれば、それこそ世界中から観光客が呼び込めるだろう。

そうなれば、いずれ、いまの木材関連の工場、倉庫はレストラン、カフェ、マンション、ホテルに改装もされるようになるだろう。
産業廃棄物の積み出し港にしようなんて話も、起こるはずもない。

五日市フィッシャリーナがヨット、ボートの捕虜収容所のような雰囲気になってしまっているのは、ともかく違法係留のボートを撤去しようということでしか考えてこなかったからだろうと思う。
縦割り行政の弊害の典型的ケースだといえそうだ。

そのためには、まずは、五日市フィッシャリーナを囲んでいる、あの白い鉄柵を取り除くべきだ。

中古のボートは意外と安い。
FRPで作られた船体そのものは極めて丈夫で、長持ちする。
壊す方が大変なくらいだ。
ボートはガソリン代がやたらかかる。
数百毎に100円玉を海に落としていっている感じすらする。
維持するのが大変だ。
ボートが電気で動くようになるのもすぐだろう。
そうなれば、宿泊もできるほどの大きさのボートも作られるようになるだろうと思う。

広島のボートパークで、ヨット、ボートでヨット、ボートに泊まれるようになれば、オリンピックの観客用にだって、すぐ数千人規模の宿泊施設はすぐ用意できることになる。

広島には1.9万隻からのヨット、ボートがあるというのだ。
湯崎知事は「瀬戸内・海の道1兆円構想」を掲げている。
ヨット、ボートを、もっと街の賑わいに繋げる政策を進めるべきだ。
それは、広島だからこそ可能なことだ。

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