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2010年9月19日 (日)

追悼・後輩の急逝

 この暑さに負けたのだろうか?まだ62歳という若さで後輩の久保民世君が逝った。

 久保君は大阪の河内(かわち)の出身で、同じ大学の後輩として昭和46年にRCCに入り、報道に配属された。学生時代に写真部で活動し、毎日新聞でアルバイトをしていた縁で受験のチャンスを掴み、入社後しばらくはカメラマンを務めた。
 フィルムからENG(携帯VTR:10㌔はあるカメラ)に切り替わり、テレビが大きく変わる時代だった。

 彼は河内の出身らしく?「チャウ、チャウ…」(違う…の意味)が口癖だった。
 今日、久し振りにRCCに行く用事があってロビィーにいると次々に声をかけてくれる人達が久保君の突然の死に驚いていた。彼の思い出を語り「久保さんのチャウ、チャウは当分RCCで生き続けますよ…」と彼の人柄を偲ぶ人もいた。

 入社後暫くして、安芸津のご出身で出身大学の学生部長のT先生が来広され、今は亡き同学の先輩の大橋さんと3人でご一緒した時の事。「久保と言うものがいるか」との問いに聞き返すと「姪と結婚すると言うが、私には何の挨拶も無い…」。
 驚いて引き合わせた事がある。
 彼女がRCCでアルバイトをしていた学生時代に知り合い結婚に漕ぎつけたようだ。

 結婚式は、私が東京支社勤転任後だったので出席しなかったが、新婚旅行帰りのお二人を東京で迎えて家族4人と一緒にささやかなお祝い会をした事を思い出す。

 結婚後は三次支局に記者として4~5年勤務した。比婆郡でKK戦争と言われた当時の県会議長の木山徳郎県議と旭化成の重役から転身を試みた亀井静香代議士の兄・郁夫氏と町長選挙も巻き添えにした度重なる選挙対決に追われた…。県政を担当していた私は彼とコンビで現地に足を運んだ。

 本社に帰ってはスポーツ記者としてまたカープ中継やスポーツイベントのディレクターとして腕をふるった。‘

 ‘94年に広島で開かれたアジア大会は在広民放各社が手を引く中でNHKとTBS-RCC-JNNが競技中継制作ホスト局に成り、1年前から準備の体制づくりを始めた。
 その準備事務局を預かった私を技術のOさんとアナウンサーのYさんと彼の3人が正規の業務をこなしながら、計画作成から実施までを社内ボランティアで着実に支えてくれた。

 JNN全国28局から応援に駆け付けたスタッフは大会期間2週間を前後して100人以上に達し、NHKと互角に協演したJNNの総力を再評価される機会となって勢いをつけた。

 TBSは葬儀に『アジア大会の中継を成功に導いた貴方の力は大きかった…。JNN28社を代表して感謝する』と弔意を示した。TBSから見ても、間違いなく大きな役割を果たした人物だった…。

 通夜や葬儀の際、挨拶に立った息子のヒロヒコさんが話した。「父は人生のほとんどを仕事に費やし仕事しか能がない仕事好きの人生だった。口数が少なく不器用な父だったが何をどうしているのかを語った事は無く、父について色々とお聞きしたい…」と偲んだ…。

 確かに放送記者としては饒舌ではなかったが一途な性格とある種の頑固さと粘り強さそれにメカに強いのは彼の特性で東京支社勤務時代は総務部長を務め、本社に帰任してからも本社の総務部長の責任を果たした。当時,RCCにとって廿日市のラジオ親局の移動が一大懸案だった。現用地の能美“発見”と実現には彼なくして有り得なかった実績…とRCC前社長の金井さんは高く買っていた。

 この後、民放では文系人間では極めて珍しい技術局長を務めた。「大丈夫かい」と尋ねると、「こんな時代ですからバランスを考えて見ていればいいんですよ」と泰然自若としていたのは印象に深い思い出だ。この後、グループ会社のRCC文化センターの社長を務めた。

 社長を引いた後、本社で嘗て覚えのスポーツ素材を活かした「カープ物語?」や「カープ歴戦史?」などの制作を若者達と一緒に取り組み、生き生きとしていた。制作した作品はDVD化して販売され、好評を博して次々に企画を勧めたい…と今の仕事に満足気だった。

 唯一つ、アジア大会の総ての映像をTBSはいち早く処分して「RCCにしかないので保存をよろしく…」とされていた。その素材がデジタル化しないでそっくり残っていた。
 「これは、僕が始末する運命だったのか…少し、落ち着いたら1年もかければ処理出来ましょう…」話していた。その時は、私も多少の責任を果たすので声をかけて…」と約束していたのだが…。
 近い将来、2回目のアジア大会が日本で開催される可能性もある。その時、JNNの財産として大いに役立つ事と思う。
折角の彼の思いは果たせぬ夢になったが、後輩たちがしっかり受けツでくれることを期待したい。

 お酒にまつわる話も少なくない。静かな酒飲みだったが時として「シャーケド、シャアーケド(そうではあるが…の意味)を繰り返して一歩も譲らない事もあった。
 今日聞いた話ではまだ独身時代「ある酒の席で腹を立てた久保君が先輩の頭をそこにあった下駄で殴りつけた」。あの久保の事「よほど腹立たしい事があったのだろう…」と…。
 最近は健康への配慮も見せていたように思う。

 通夜からの帰り道。金井さん(前RCC社長)と一緒によく出入りしていた近所の居酒屋によって献杯し、彼を偲んだ。不器用なようでマルチ人間だった…と彼の総合評価は高い。

 こ2週間「夏かぜを引いた」と体調がすぐれず休暇を取っていたようだが、事前の兆候もあったとも考えられるが彼のがまん強さが災いしたのか?正しく急逝してしまった。
 されたご家族と特に「父のことを知りたい」という思いを募らせる息子さんに対して多少の助けにでもなれば幸いだ。

 この春の花見時から五月晴れの頃に、平和公園で散歩が日課の私と何度か鉢合わせした。
 「少しは健康管理に気をつけようと思って…」と話していたのがお別れになった。

 「久保君どうした。逝き急いで…」と声をかけると「チャウ、チャウ…思い残しはありません」とにっこり笑みを返してくる彼の顔が思い浮かぶ。

 安らかならんことを心から念じる。 合掌  9月8日:記

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