不親切?の構図
孫達の長期休暇の終わり頃に成るとバスの通学定期を購入する。
祖母(妻)はこの3年間、高校一年に成った孫の定期券を買うたびに学校から在学証明の印をついた購入書を提出してきた…と言う。
この話を全く知らなかった私は「今どき購入の度に、学校の証明を求めるのは、利用者の立場を考えない、バス会社の方針がおかしい…」と思い、バス会社本社の担当セクションに電話で聞いてみた。
折り返し電話をしてきた担当責任者を名乗る人は『証明は各新学期だけで、毎回は要りません』という。「窓口では…なぜ、その都度新学期だけでいいと教えてくれないのでしょうか」と言うと『申し訳ありません、今後は各窓口に十分注意をします』という。
私の疑問は「なぜ、新学期ごとに必要なのか…?」ということもある。
途中で退学し、転校したのに同じ路線で学割を必要とするケースなどは殆んど考えられない。更に、中・高一貫の私学に通っている場合も≪使用済み定期≫の提示で十分なのではないか?という疑問がある。
件の人に同じように質問をぶつけて見ると『おっしゃることは判りますが、“各社”とも
”長年“そうしています…』。何のためにそれほど度々証明が必要なのか…?古い時代の<安く、利便を図ってやっている>という企業の姿勢なり目線の高さが、利用者の「悪用防止」の考え方が押し付けられて来たのではないか?
極めて些細なことである。しかし、≪証明は新学期だけ≫であるのに、3年間≪証明付きの購入申し込み用紙≫を提出しているのに、バス会社側・販売窓口は一人として一度も教えてくれない“不親切”な構図はなぜ生まれ…維持されているのか?
件の人は、中高一貫校に通う人達の購入も≪使用済み定期≫だけで良いようしたい…との回答だった。一管理者が簡単に変えうるルールが何の疑問も無く長年維持され訂正されないできた“不親切な構図”は、私達の生活環境の中で、他にもあるような気がする…。
少し「言いがかり…的」と考えない訳でもないが、私の一言で多くが強いられて来たバス通学者の面倒な手続きが省略出来たのなら…それなりの意味があろう。
バス通学の2人の孫は「そう言われれば…そうだよね!!」と友人たちに宣伝する心意気だ。
何はともあれ、祖母はバス会社が「今後、不親切の構図が窓口告示などで徹底されるかどうか…」を見守る事で面倒から解放されることになった。はてサテどうなる事か…?
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