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2010年9月

2010年9月30日 (木)

アストラムライン延伸と自然公園と森林セラピー

オリンピック広島大会では、広域公園のビッグアーチは、メイン会場も現行の5万人収容の施設から、8万人を越える施設に増設される計画のようだ。
そうなれば、オリンピックではアストラムラインの利用者もアジア大会の時の5割以上多い利用者が多いということになる。

アジア大会以降、高速4号線ができたりし、ビッグアーチへのアクセス環境は格段に良くはなっているが、本通り・広域公園線だけでなく、もう1本西広島駅・広域公園間を結ぶ線があった方がいいことは確かだろう。

アストラムラインの延伸計画は、広島へのオリンピック招致問題と一緒になって、一気に実現可能性が出てきたともいえる。

広島市のHPには
「本市は、平成11年11月に、「新交通ネットワークの整備(アストラムライン延伸計画)」と「既存交通の改善・機能強化」を内容とする「新たな公共交通体系づくりの基本計画」を策定・発表しました
西広島駅までは第1期事業として工事費700億円、利用者2万人、概ね2015年までに完成する予定」
と書かれている。
しかしその後、広島市の財政事情が厳しくなったこともあり、延伸計画は当分の間ということで、凍結されていた。

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オリンピックを契機に、アストラムラインが延伸し、西広島駅でJR山陽本線と繋がることになれば、武田山一帯が、アストラムラインと、山陽本線で囲まれることになる。

交通の利便性が高まるというだけでなく、全く別の効果が生まれるかもしれない。

アストラムラインの延伸部分の距離は6.2KMである。。
本通り駅・広域公園駅間が18.2KMだから、アストラムラインの総延長約は28.5KMということになる。

アストラムラインと山陽本線西広島駅と白島新駅とで山陽本線に乗り換えるルートを通れば、その間の長さは約26KM程度となる。
山手線は34.5KMだから、アストラムライン+山陽本線西広島駅・白島新駅の距離は山手線の約2/3ということになる。

山手線に囲まれた内側は、南北約11KM、東西約5.5KMで、その面積は約65KM2だ。
アストラムラインと西広島新駅と白島新駅に囲まれる地域は、ほぼ円形で、半径約30KM2と約半分の大きさだ。

昔学生の頃、夜中に酔った勢いで渋谷から池袋まで歩いたことがある。
その意外と簡単に歩けた。
思っていた以上に、山手線の駅間の距離が短かったのに、驚いたことがある。

私の友人は仲間数人と、山手線に沿って一周したこともあるといっていた。
物好きがいるもんだ。

山手線の内側だって、それほど広くはない。

その山手線の内側には皇居と神宮の森の自然がある。

アストラムラインが延伸され、山陽本線とつながれば、武田山を中心とする自然公園がアストラムラインの内側に持つことになるのだ。

都市の環状線の内側に、これだけ豊かな緑の山を持つ都市は見たことがない。
なんとかこれを生かす工夫をすべきだろう。

東京の近郊にある高尾山は山歩きを趣味とする中高年で、押すな押すなの状態になっているようだ。
中高年の健康志向のなか、高尾山は安近短の手軽な山として持て囃されているという。

高尾山にはいくつかの登山ルートがあり、往復1~2時間で往復できるそうだ。
登山者は年間260万人もいるという。

広島には、東京と同じようなそんな雰囲気はないが、いずれ広島だってそうなるかもしれない。

それなら、武田山は広島の高尾山となることを目指したらどうだろうか。
広島の人口が東京の10分の1とすれば、武田山の登山者だって20万人以上いてもおかしくない。

ネットでみると、武田山の登山ルートは可部線の下祇園駅から広島経済大学の脇を通って登るルートが紹介されている。
どのルートを通っても、数時間あれば往復できるようだ。

西のルートは紹介されていない。
登る人も少なく、あまり整備がされていないということなのだろう。

アストラムラインが延伸されれば、いずれ広島市立大学の脇を通って登るルート、長楽寺から登るルート、そして茶臼山の方にまで縦走するルート等も整備されるようになるだろう。

武田山なら、東からでも、西からでも、登っても、下りても、道に迷っても、どこかに必ず、民家があり、アストラムライン、JRのどこかの駅にたどり着けるということでもある。

そうなれば、武田山は高尾山よりはるかに安全な、魅力的な登山ができる山だということになる。

近頃は、樹木には心身をいやす力があるとして、森林浴が勧められている。
それを「森林セラピー」と称し、林野庁はそのための拠点、路の整備を進めているともいう。

武田山は、そんな森林セラピーの場としては最高だ。

アストラムラインの延伸は、この武田山を市民の健康促進の場として、そして新たな観光資源として、他の都市では、ちょっと真似のできない魅力を創りだすことができるかもしれない。

アストラムライン沿線に住めば、健康で長生きができるようになるのだ!!

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2010年9月29日 (水)

プリペイドカード

スターバックスでプリペイドカードを勧められ、取得した。
「何の特典もありません」という。

随分と小さな可愛らしいカードだ。
大きさは縦3センチ、横6.6センチくらいだ。
名刺よりちょっと小さい。
女性が使う名刺は、通常の名刺よりちょっと小さいことが多いが、そんな感じだ。

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私はよくスタバでホットコーヒーのトール、340円を飲む。
コインの手持ちが足りないと、千円札で払うと、お釣りの660円のコインがポケットにたまってしまう。

コインは重くて困る。
そんなとき、プリペイドカードは都合がいい。

発行は無料、なんの特典もないが、結構便利だ。
ネットで残高確認もできる。
カードの裏に書かれているナンバーを打ち込めばいい。
別に必要はないが、使用履歴もみられる。

コンビニで新聞を買ったり、弁当を買ったりする時には、エディーが便利だ。

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広島に住んでいれば、パスピーはあった方が便利だ。
東京にいったときは、スイカが便利だ。

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スイカがあれば、JR、私鉄、地下鉄を乗り継ぐのが全く苦にならなくなる。

そんな感じでプリペイドカードを取得していったら、いつの間にかプリペイドカードがもう4枚になってしまった。

パスピーも残高をネットで確認できるようにしたらいいと思ったが、バス、広電は搭載機器がオフラインになっているので、残高の確認は数日後にならないとできないということで、そういうサービスは止めたようだ。

しかしこんな調子でプリペイドカードが増えていったら、財布の中がプリペイドカードで溢れてしまう。

プリペイドカードもクレジットカードも、全て1枚にして欲しいとも思ったが、失くした時大変かな。
お財布携帯も便利そうだが、失くしたら、もっと大変かな。

やっぱり現金で持つのが一番いい??

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2010年9月28日 (火)

追悼・秋信利彦さん急逝

 記者時代に原爆小頭症患者の存在を告発し、昭和天皇への原爆投下に関する質問で知られる元中国放送常務取締役の秋信利彦氏(75)が15日、慢性呼吸器不全のため亡くなった。

 東京支社でコンビを組んで取材し、その後30年何かと深く関わって来た先輩だった。
 先週10歳も若い久保民世君を送ったばかりで、相つぐ訃報に寂しい秋の入り口となった。

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 秋信さんはまだラジオ単営局時代のラジオ中国に入社しドラマやドキュメンタリーに取り組んだ。

 中国新聞で平和問題と原爆報道の礎を育てられた金井利博さんが主宰された勉強会「金井学校」の門下生の一人で、早くから被爆者や平和問題に取り組み、多くのTVドキュメンタリーも残している。

 特筆されるのは昭和40年の夏、作家の山代巴さんを中心に「被爆から20年の歴史を明らかにする」為に作られた「広島研究会」が『この世界の片隅で』(岩波新書)出版した。
 被爆者を取り巻く問題をテーマに7編の作品の中に風早晃治の名前で「IN UTERO」がある。『原爆小頭症児』問題を社会的に初めて告発した秋信記者の努力の集約だった。

 広島にあった米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)は昭和25年から胎内被爆児の調査を始め、早くから知的障害を伴う原爆小頭症患者がいることは知られていた。
 秋信さんは当時、ABCCが発表した論文や匿名の患者リストを基に所在を一人一人、探しだして生活不安を纏めた。原爆被害の象徴的患者の実情を一般社会に初めて知らしめた。
 孤立した親達の結束を促し国に補償を求め核兵器廃絶を目指す「きのこ会」を発足させ、支えて来た。

 私が秋信さんと一緒に仕事をするようになったのは昭和50年夏、秋信さんが東京支社の報道部に転勤して来られてからだ。
 この年の9月、昭和天皇は初の訪米を前に外人記者団と記者会見に応じて問題を呼んだ。
 日本人記者との会見は一度もされたことが無い為、日本記者クラブが宮内庁に申し入れ、天皇が帰国後の10月31日に日本人記者団との史上初の天皇記者会見が約束された。

 この会見への参加者が日本記者クラブ加盟社の中から抽選で決められた。RCCも参加が決まり、メンバーだった秋信記者の出席が決まった。
 広島の記者として原爆の事を聞かなければ…と言う気持ちから、当時日本記者クラブの総務部長で親しかった桂敬一氏(後に東大新研教授)に相談した。
 当初、質問は既に想定の上で宮内庁に出されていたが「原爆に関する質問」は無かった。秋信氏の提案と桂さんのご尽力で会見の進行を担当された朝日新聞の渡辺社長らの計らいも手伝って『関連質問』と言う形で「米軍の原爆投下質問」が決まった。
 右翼対策も考えてクラブサイドもRCC側も“極秘事項”として対応が進められた。

 広島・長崎から唯一出席する記者として秋信さんは「出来れば質問したくない…」と言う気持ちを漏らしていた。しかし、天皇が日本の記者達と初めて会見するのに「原爆抜き」は「日本のメディアとしては許されない…」と言う強い気持ちが働いていたように思う。
 この時、桂さんの激励とサポート体制は秋信さんの強い支えとなったように思う…。

 会見ではご承知のようなやり取りになった。
 「戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどう受け止めになられましたか」の質問に対して、
 陛下は『原子爆弾が投下された事は遺憾に思っていますが、こうゆう戦争中であるから、どうも広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得なかったと思っている…』と返した。

 実は秋信さんは当初、天皇が昭和22年に広島へ行幸して被爆者に浸しく声をかけた…事を前置きに「原爆はいつ、誰から、どのように聞かれたか」と聞き、更に「現在の核状況をどう考えられるか…」と聞く用意をしていた。
 しかし、これでは天皇が慣れていない会見で質問の真意を汲み取るのに戸惑われる?のではないか…と思い急遽、件の質問に切り替えた…。
 結果『…やむを得ない…』発言となった。国会でもこの天皇発言の真意を巡って宮内庁長官が喚問され、大きな社会問題化した。しかし、誰も天皇発言の真意を明かすことは出来ず、多くの被爆者と国民に違和感を残す歴史の一ページとなった。

 秋信さんは多くを語る人ではなかったが後年、あの発言を引き出した質問が「あれでよかったのか…」という思いを抱き続けておられた…。あの機会を逃していたら昭和天皇が生涯原爆について発言する機会を失っていた事は間違いない。
 秋信質問が無ければ日本のメディア・ジャーナリズムが戦後史の中で大きな責任を放棄する結果になっていた事も間違いない…と、改めて草場の陰から確認されている事だろう。

 秋信さんは酒も飲まないたばこも吸わないが大変なグルメだった。奥様が長い闘病生活をされていた事もあって自分でも好んで台所に立つ人だった。目立たないがお洒落好きで洒脱な風格で、生涯快活な正義派だった。ご冥福を祈る。 合掌。 <17日:記>

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2010年9月27日 (月)

20回目の個展

 西条の実家で“無二窯”という民芸窯を開いて30年になる弟が福屋八丁堀店で3年振りに20回目の個展を開いた。

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 4月に『窯元の仕事』で紹介した彼はマツダで働いていたが昭和50年に退職し、島根県の斐川町の出西窯(しゅっさい)で6年の修行後、山本空外上人(元広大教授)の命名で“無二窯”を始めた。

 電気窯にガス窯も使うが最近は平窯と穴窯で松の薪を焼いている。年3回の火入れは一回ごとに薪を1500~2千本を4日間不眠不休で炊き続け1200度を維持し、4日間冷却して完成する。
 最近は燃料の松の入手が難しく、間伐木が出れば遠くまで出かけて確保するのが大変のようだ。

 彼は開窯数年後から福屋八丁堀店の画廊で個展と郷土作家展に出品し、7階の陶器売り場にも小さな「無二窯」コーナーを設置していた。
 この他、年に1~2度の個展を維持してきたがこの業界にも不況の波は大きく、個展は休止していた。元気を出して9月(9~15日)に3年振りに個展を復活させ、成功裡に終了したようだ。

 陶芸家の仕事は作品の制作と乾燥に加えて燃料作りや粘土づくりなど下準備の作業に費やする時間が大きく、作業は重労働だ。しかし、時間をかけて物を作りあげる喜びは何にも代え難い制作者冥利に尽くことが長続きの素であり、秘訣のようだ。

 当初は「出西窯」の形や色合いが濃かったが徐々に「無二」の形と色合いを落ち着かせて来た。私から見れば備前や信楽にも似た?味を感じ無いわけではないが「いい味の無二窯」に育って来た。
 NHK文化教室の実宅工房での教室の生徒さん達に支えられながら、何はともあれ、定年の無い仕事を体力と精神力をバランスよく配分して自分の作風に磨きをかけて欲しい。

 無二窯:佐々木求・東広島市西条町寺家3713 TEL:0824-22-0848 携帯:090-7508-2948

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2010年9月25日 (土)

葬儀屋さんの内覧会

 20年前、営業担当になった機会に葬儀屋さんの会員メンバーに付き合いで加入した。
 一定額を積み立てると万一の際の葬儀の基本額として扱われる葬式の予約会員制だ。

 月月の掛け金が終わって既に5~6年経過していて、時折内覧会の案内を頂いていたが、今回初めて思いきって家内と出かけて見た。他人様の葬儀に行っても判らない事ばかりだ。
 驚いた事に、日曜日の午前中と言うのに数十人いや百人近人が来ているではないか。
 一人でお見えの高齢の男性にご婦人、大半は私達くらいの夫婦ずれだ。

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 参列者3~400人、100人前後に2~30人までの小規模なケースの多様な対応が用意されている。写真の家族葬的な小規模型は58万円を40万円に割引し、遠隔地から来た人がわざわざホテルに行かなくても、10人まで位なら利用できる宿泊施設が2万円と言った具合のオプションが出来る。

 葬儀の基本は故人が無くなった場所へ引き取りに行き、棺に納めて写真を葬儀用につくり、好みに応じた祭壇を飾る。マイクロバスとセットの霊柩車で葬儀場まで送る…等になっている。

 葬式の執り行いは宗派によって違うが特にお寺さんを指定しない限り葬儀屋さんが手配してくれる。 お布施戒名は色々ランク?があるが一般的には5~20万円ピンと色々のようだ。

 「地獄の沙汰も金次第」ではないが、この日案内してけれたスタッフの女性は「誰でも動転してその場になって相談し“あれもこれも、それでいい”と発注して、葬儀後に驚く額が請求された…」という例は今も決して少なくない…と実情を話していた。
 私達は両親を送って15年以上になる。また、他人の葬儀に行っても判らない事は多い。
 従って、こうした内覧会の時「あれは“いる”これは“いらない”を確認しておくことが大切です」と説明していた。概ね、理解出来て私も家内も安堵した。

 何となく、自分の葬儀の下見の様で余り気持ちのいいものではない…と思っていたが、懇切丁寧な説明に十分納得出来る『いい内覧会』だった。
 機会があれば一度足を運んでみるのも一計…とお勧めする。

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2010年9月24日 (金)

広島造幣局とコイン通り商店街とJR山陽本線コイン通り新駅

広島市の東の地区に「コイン通り」という商店街がある。
ネーミングもなかなかシャレている。
通り沿いの小さな川には、地域の人たちが、水草を植えたり、魚やザリガニを放流している。
コイン通りの景観の一つになっている。
歩道は石畳に替えられ、道の途中には牛の彫刻も置かれている。
この牛の彫刻にさわれば、お金が入ってきますとの説明文が添えられている。
コイン通りは地域の人たちの思い入れが伝わってくる商店街だ。

コイン通りの北の端に造幣局がある。
コイン通りとは、それにちなんで名付けられたようだ。
造幣局では主として貨幣や勲章を作っている。
東京オリンピックや長野オリンピックのメダルもここで作られたという。
オリンピック広島大会が開かれれば、メダルはここ広島造幣局で作られるはずだ。

造幣局は全国に3か所しかないという。
東京池袋と大阪とここ広島だ。
3か所に分散して置かれているのは、いざと時を考慮してのことだという。
この広島造幣局は、昭和20年2月に広島市内の仮工場で貨幣の製造を開始し、昭和21年9月に現在のこの地に移ってきたという。
広島造幣局の歴史は意外と新しい。

外からみただけでは想像もできないが、ここ造幣局の敷地はべらぼうに広い。
敷地面積は11.8万M2、約3.5万坪もある。
建っている建物の建蔽率は14%だという。
勤務している職員の人数は300人もいないようだ。
それにしても、こんなにも広い敷地は、どうも必要ないように思う。
造幣局そのものの施設をつくるのであれば、敷地は数千坪あれば充分だろう。
頑丈な塀だって必要ないように思う。
あの日銀本店だって、塀はない。

造幣局は独立行政法人になっているが、いつ、いま流行りの事業見直しの対象になってもおかしくない状況にあるように思う。
そんなことになる前、なにか地元にとっても有効な利用方法を考える必要があるのではないだろうか。

現在も、敷地の一部はサクラの広場として整備が進められている。
サクラの咲く時期には、随分と人出があるようだ。
広島の名所になっている。
サクラに限らず、ハナミズキとか、花の咲く木々を主とした公園として整備していってもいいが、それだけではちょっと面白くない。

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コイン通りは南北約2KMと長い。
商店街としての適当な長さは500M程度といわれるから、商店街としてはちょっと長すぎる。
道路は歩道もかなり広く、幅員は16M位もある。
往復4車線はとれるほど広い。
交通量も多い。
そのため、店は東西に分断されてしまい、街としての魅力を削がれてしまっている。
シャッターを閉めるお店も、じわじわと増えているようだ。

それなら、逆にこの道幅の広さを生かして、道路の一部を自転車の専用のスペースとしたらどうだろうか。
往復4KMの街は、自転車で移動する距離としては調度いい。

造幣局の敷地は、自転車の拠点として整備したらどうだろうか。
様々の自転車の遊び方ができる「サイクルパーク」として整備したっていい。

横浜の日産スタジアムでは、まだ始まったばかりのイベントだが、1,000人近くの参加者が様々の自転車、様々のコスチュームで参加するサイクルフェスティバルが開かれているという。
自転車に乗れる市民であれば、誰でも参加できるというのが面白い。
あと数年もすれば、数千人、数万人の参加するイベントになるかもしれない。
そんなイベントがコイン通りと造幣局で開くようにしたらいい。

直ぐ近くの宮島・吉和間では、自転車競技を含むトライアスロンの競技も毎年開かれている。

近頃は数十万円もする恰好いい自転車が沢山販売されている。
電動アシスト自転車も販売されている。
そうした自転車を販売する店舗を、コイン通りに誘致してもいいだろう。
自転車のメーカーだって誘致したらいい。

コイン通り商店街は、自転車をテーマにした街づくりを目指したら面白いだろうと思う。

現状のコイン通り商店街は、アクセスが悪く、広島市内や他地域から人を呼び込むことができず、歩いてこられる範囲の人たちのための商店街になっている。
広電の楽々園駅からのアクセスもはっきりしない。
東のJR五日市駅、西のJR廿日市駅の調度中間点にあり、山陽本線とも繋がっていない。
これでは、せっかくの取り組みも、なかなか街の賑わいは創りだせない。

ということで「アストラムラインを廿日市に延伸を」というバナーを掲げて、アストラムラインを誘致しようとしているのだろうが、現実問題としては難しいだろう。

発想を転換して、JR西日本に「コイン通り新駅」を作るよう働きかけたらどうだろうか。

JR西日本はシティーネットワークを整備するというように大きく方針転換をした。
人口の多い、鉄道の利用者アップが期待できる地点には駅を新設するというような計画を進めている。
現に天神川駅が開業し、アストラムラインとの結節点となる白島新駅も実現する。
コイン通り駅の設置もあながち不可能な話ではないだろうと思う。

JR山陽本線のコイン通り新駅は、広電楽々園駅とも乗り換えが出来るようにしたらいい。

コイン通りの北に位置する造幣局の敷地内には、千台規模の駐車場をつくり、コイン通りの南にはJR山陽本線のコイン通り新駅ができれば、コイン通り商店街へのアクセスはとんでもなく良くなる。

瀬戸内海に面しては、廿日市、五日市の港があり、マリーナとしても整備がされている。

造幣局サイクルパークの建設、コイン通りサイクルショップの誘致、五日市フィッシャリーナ、JR山陽本線のコイン通り新駅、広電楽々園駅等を「自転車で繋げる」というような仕掛けをしたらいい。
そうなれば、さらに住む人も増えるだろうし、商店街に賑わいも生まれ、正の循環が作りだされることが期待される。

CO2削減が世界のテーマになり、政府としても、そうした取り組みに対し様々の補助金等支援制度が施されるようになった。
問題のお金だって、計画がきちんとしていれば、なんとかなるはずだ。

いま必要なことは、そうしたきちんとした計画、ビジョンを作ることだろう。

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2010年9月23日 (木)

自転車の車両保険

私の友人が、アメリカ製のかなり高価な自転車を買った。
10万円以上はしたようだ。
「高価な自転車なので、傷つけたり、盗まれた時のためにと、自転車の保険に入ろうとしたけど、国内の保険会社はどこも自転車の車両保険は扱っていない。
仕方なく、ネットで見つけた、外資系の保険会社に入った。
何かあったとき、どうやって保険会社は確認するのか、不安はあるけど、物は試しと入った」
といっていた。

自転車に車両保険はないの??

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損害保険会社に勤めている知人に聞くと、
「自転車の保険は、傷害保険と個人賠償責任保険があります。
傷害保険は自分の怪我に対する補償で、それに対し個人賠償責任保険は、相手に怪我を負わせたり、損害を与えたりした場合に対する補償です。
しかし、自動車のような車両保険はありません。
自転車は高価な自転車もありますが、殆どは1万円程度の安い自転車で、保険料を1万円いただいても、ビジネスとしては成り立たないということで、扱いを止めたということのようです」
といっていた。

それなら全ての自転車にICタグを付け、盗まれたりしたら、すぐに探せるようにしたらいい。

広島市のまんが図書館では図書の紛失防止対策としてICタグを導入したところ、これまで年間1500冊もあった紛失件数が一けたに激減したという。

ICタグの記憶容量は大きいがチップそのものは1センチもない。
価格だって100円以下でできるようだ。
そこに自転車の製造番号から、自転車の持ち主、連絡先等、自転車の判別に必要な情報を書き込むようにしたらいい。
写真を付けたっていいだろう。
そんなタグを、自転車のどこか剥がせないような場所に付けたらいい。

ロードバイクでもビアンキというような高級な自転車になれば、20万円はこえる。
ママチャリといわれるようなタイプの自転車でも、5万円を越えるのもある。
そんな高級車はやっぱり恰好いい。

そんな高い自転車になれば、所有者はその保管にはかなり気をつけるだろうが、それでも傷つけられたり、盗まれたりすることはある。
それが嫌で、いい自転車を買わないということもあるようだ。

1万円程度の安い自転車だったら、ちょっと古くなったら、廃棄処分するのも面倒だと、人に見えないところに乗り捨ててしまうというケースは多いようだ。

広島市では、撤去保管に要した費用として、普通の自転車で2,100円、原動機付き自転車で4,200円を支払うことになっている。
違法駐輪の自転車として撤去されたら、保管場所までいって、違反金を払ってまでして、戻してもらうのは面倒ということで、取りに来ない自転車が増えるという。

オートバイには、車検もあるし、任意だが車両保険制度もある。

しかし、今や電動オートバイも売られるようになり、電動オートバイと電動アシスト自転車との区別もなくなってきた。

125CC以下の原動機付き自転車では、自賠責保険料が12か月で7,580円となっている。
結構な額だ。

自転車にもオートバイと同様に、車両保険を考えることが必要な時代になってきたようだ。

環境問題がいわれ、サイクルロードも次々と作れている。

広島市に自転車の文化を育てるには、自転車の登録制度、車両保険の制度も、きちんと整備することが必要なようだ。

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2010年9月22日 (水)

カフェ・赤い屋根

アストラムライン毘沙門台駅の北、急な斜面を上がった住宅地の中に、カフェ・赤い屋根はある。

1階は駐車場、といっても2台しかとまれないが、
狭い、小さな階段をあがると、2階がカフェになっている。
10人も入れば一杯になってしまうような小さなカフェだ。

カフェからの広島の市街地が一望できる。
その景観は素晴らしい。

オーナーの夫人は、この場所を一目見て、気に入って即決めたという。
それにしても、カフエは、その立地を上手く活かしている。

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建物の設計は、いまは取り壊されて無くなった休日の家の設計者と同じ今中氏だ。
休日の家と同様天井は低く、テーブルも椅子も小ぶりだ。
窓ガラスは大きい。
いまどき珍しい木造のサッシだ。
細部にまで、設計者の神経が行き届き、拘りが現れている。

今中氏に設計を頼むと、大抵途中でけんか別れしてしまうというが、解るような気がする。

このカフェ・赤い屋根が出来た頃、近くに住んでいたシンガーソングライター村下孝蔵が、このカフェをモチーフに「赤い屋根」という歌を作っている。

改めて聞かせていただいた。
若者の恋を優しい声で歌っている。

この歌が契機で、村下孝蔵のフアンが全国から、時々訪ねてくるという。

「すごいCMですね」といったら、オーナーの夫人は嬉しそうに笑っていた。

もう出来てから、31年経つという。
まったくカフェを経営したことなどなかったが、いつかこんなお店をやってみたかったのだという
「このお店は、自分が死んでも、誰にも渡したくない。
棺桶に私と一緒に入れて、焼いて欲し位だ」といっていた
???

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2010年9月21日 (火)

検察の強権捜査?と冤罪

 辻本清美議員に『疑惑の総合商社』のレッテルをはられた国策捜査で無罪を主張していた鈴木宗男元衆議院議員に対して最高裁は上告を棄却し、実刑2年の有罪が確定した。
 村木元厚生省局長の無罪判決の裏にあった検察の強引な捜査は一体どうして生まれるのだろう。リーク情報に引き回されるメディアに問題は無いのだろうか?

 私が司法を担当していた30年も前の事。国家権力を背景に仕事をしてきた検事が弁護士に転職した人をやや蔑視的に“ヤメ検”と呼んでいた。今はどう呼ばれ扱われているか知らないがテレビでやたら“ヤメ検・弁護士”が登場する。

 検事の「ヤリ口手口」を知っているから“ヤメ検”のコメントが適切?とか大事とか言う感覚で使っている様に見られるが…はたしてそれに応えられる相応しいヤメ検・弁護士がいるだろうか?

 新旧刑訴法の端境期以降の昭和30年代までは「自白偏重」による多くの冤罪が生まれた。
しかし、既に半世紀を経ても冤罪事件が無くならないのは専ら検事の質に掛かっている?

 鈴木元被告はメディアの皆さんが私に関して逮捕起訴に繋がると事前報道をしてきたムネオハウスや発電機汚職?は全く問題にならず別件での事件になった。しかも、自分に有利な贈賄側関係者の陳述や証言が採用されていない…とあくまでも「国策捜査」による狙い撃ちを主張する。

 郵便不正事件に至っては「最強の捜査機関」と言われた特捜部が描いたストーリーが真っ向から否定されたのだ。弁護士の一人は「今回ほど無罪の確信と期待を持って判決に挑めたことはない」と無理して起訴した事件と言い「密室の取り調べで迫真性のある調書を作り複数の調書を組み合わせて有罪にする特捜部の問題点が指摘できた」と評価している。

 特捜の捜査に必要なのは“事件の構図を見抜く幹部の力、関係者を取り調べる現場検事の力量”と言われるが「能力劣化」が指摘されている。法務省エリートと特捜中心の現場エリートの対立も言われている…ようだ。

 警察も大学卒のノンキャリアが試験による昇進に現を抜かして現場捜査の不熱心さが日本の検挙率を大きく下げる結果になって…久しい…問題と同質の官僚機構のあり方に問題は及んでいる…との指摘は強ち的外れではない。

 こうした冤罪を生む体質の検事は鈴木宗男元被告が「青年将校化した検察官は冤罪を生んでいく…」と発言している点も気になる。しかし、大部分の検事は真面目に捜査に従事していても極一部の検事に思い違いした者がいれば冤罪は何時の時代でも起きうる…。
 村木元局長に『執行猶予がつけばいいではないか…』と言った感覚で犯罪者をつくる検察感覚は許せない。

 検察は『これ以上、私の時間を奪わないで』という村木元局長の声に対して真摯に耳を傾けて控訴は避けるべきだ。
 せめて、検察は法治国家としての良識を発揮して信頼回復に努めるよう期待したい。

 政権交代と民主党代表選挙に重ねて行われた二つの事件決着がこの後に続く小沢民主党前幹事長の検察審議会の判断や鈴木宗男前議員とセットで逮捕起訴され公判中で冤罪を主張して闘っている佐藤外務省前分析官の行方はどうなるのか…?大変気掛かりだ。

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 それにしても9月11日付け朝日新聞が『郵政事件を朝日はどう報じたか」という特集を組んだ。
 記事の内容は概ね元局長の言い分無罪主張を最初から順序良く報道して来た…と言う内容だ。

 朝日は検察リークの乗せられていません…という言い訳に過ぎない。いかにも、正当な報道活動をしてきたかを順序良く並べている。それが逆にとても言い訳がましいのは何故だろう。

 それは少なからず、「検察リークに乗せられた…」反省…と受け止めれば理解できる。
 「間違いはしていません」と後から大声を上げるようでは“権力チェック”と言うメディアの役割を果たしてきた者が言うセリフではない。

 改めて『検察の暴走』を徹底的に洗い直しするメディアであると同時に三権分立とは言え政権交代後の政権党が司法に対してももっと明確な方向を示す必要に迫られている…と考えるが如何なものだろう?  <9月12日:記>

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2010年9月20日 (月)

カープ経営にモノ申す!!

 心配された新球場マツダスタジアムへの入場者は新球場元年の昨年に続いて大きな減少なく今年も記録的な実績が残りそうだ。
 それにしても野村新生カープは大竹、永川や栗原の怪我がたたって既にCS進出の権利も得られないで早々とBクラス確定と惨憺たる結果に終わりそうだ。
 しかし、この入場者数とカープグッズの売れ行きは好調で、成績に関係なく球団はホクホク状態が予測されている。これでいいのか今年もカープの経営?大きな疑問が残る。

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 優勝はおろかAクラスさえ長く遠のいているカープは年収の半分以上をテレビの中継権に頼って来たが視聴率低下の影響で中継が減少傾向と動員客の減少傾向は経営に大きくのしかかっていた。

 新球場元年は優勝し、日本一を獲得した頃の観客数180万人を取り戻した。今年は野村新監督が『優勝』を掲げたにも拘らず14年連続Bクラスが確定したが、有難い事に観客は目標の150万人を超える見通し…となった。
 明らかに、新球場効果だ…。

 カープが「市民球団」と言われるのは創立当時から親会社が無く「広島財界11社が結束した二葉会」がスポンサーに成り、創立時に県や市が税金で出資し、昭和30年代の資金難時代に、県民市民一人一人が球場入口に用意された“酒樽の募金”が支えとなって『市民球団』と呼ばれる所以となった。

 昭和40年代前半に経営が混乱した為、東洋工業の松田恒次社長に株を集約して託した。
 これは一時的な処置でカープ球団を未来永劫に託した訳ではない…と言う強い一説は市民の気持ちの中に今もある。が…法律的には完全に東洋工業に譲渡された…。
 所が東洋工業の経営が松田家から住友銀行系に移ると松田家はマツダ株とカープの株と交換してマツダを離れ、カープ経営権は完全に松田家に移ってしまった。

 カープの経営は当初、マツダを育てた経営が活かされて成長し万年最下位を脱出してAクラス優勝を果たす人気を得て順調に成長した。
 しかし、経営が2代目から3代目に移った頃からFA宣言の導入でせっかく育てた選手が移籍する時代に入った。
 カープはドラフトで安い選手を獲得して優秀選手を育てるチィームとしての評価を得た。川口や江藤が巨人へ金本に新井が阪神へ黒田は大リーグへと移籍する。
 しかし、球団はこの移籍で大きな資金を得て35年間連続の黒字経営を確保してきた。
 選手の平均年俸は12球団最下位で巨人の三分の一?こんなに人材を疎かに、選手を安く使い金をケチれば優勝など望む希望が殆んど考えられない状況にある…ことはカープ経営者が一番わかっている…はずだ。

 カープの経営方針はAクラス確保やSC進出、優勝にも増して黒字経営をどう果たすか…が最大の課題である。
 論、親会社のPR宣伝機能を持たないカープにとっては赤字に転落すればたちまち経営は行き詰まってしまう。

 観客動員の低迷→資金難→有力選手の獲得、優力選手の流失→成績不振→の悪循環はエンターテイメントとしての魅力が無い…と一橋総研の下前理事は厳しい指摘をしている。

 今年も投壊に打滅と二桁得点をもぎ取られる無気力試合も少なくなかった。
 このままの状態でチームが存続すればいずれ何れ近いうちに閉塞状態が来るに違いない。
 それからの対応では遅すぎる。

 マツダスタジアムは広島市民の球場であり公共の財産である。それを一民間企業の営利のために活用させているのが現状だ。しかし、カープは公共物ではないので経営状態などは一切公表されていない。 ここにカープの甘えが無いか?
 市民に出資を求めて逆に経営内容をオープンにする事は考えられないか?
 歴史を見ればカープは松田家の物でなく、経営者が『広島市民球団』と言う『准公共物』の意識を大切にしない限り市民が見放す時が来る…?

 また、マツダは今もカープ球団の株の三分の一近くを維持している大株主だ。しかし、経営には一切口をはさまない…。ならば、市民に株を譲るかもっと積極的な企業に譲渡するなどの対応は出来ないものだろうか?

 せっかく育てた選手のFA宣言を食い止めるような経営は実現出来ないのだろうか?
 フアンに見える経営ビジョンを示さない限り新球場効果は何時までも期待できまい…。

 今、オフシーズンは徹底的に「カープ優勝を目指す為の建て直し案」を強く求めたい。
 同時にカープ球団は改めて“市民球団”を名乗る真意の理解を徹底して“カープは広島の公共財産”であることを再認識して欲しい。
 強くて、黒田を呼び戻しいい投手の確保をする直資金をつぎ込んでエンターテイメントとしてのチ-ムの魅力作りに最大限の配慮が欲しい…と注文したい。

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2010年9月19日 (日)

追悼・後輩の急逝

 この暑さに負けたのだろうか?まだ62歳という若さで後輩の久保民世君が逝った。

 久保君は大阪の河内(かわち)の出身で、同じ大学の後輩として昭和46年にRCCに入り、報道に配属された。学生時代に写真部で活動し、毎日新聞でアルバイトをしていた縁で受験のチャンスを掴み、入社後しばらくはカメラマンを務めた。
 フィルムからENG(携帯VTR:10㌔はあるカメラ)に切り替わり、テレビが大きく変わる時代だった。

 彼は河内の出身らしく?「チャウ、チャウ…」(違う…の意味)が口癖だった。
 今日、久し振りにRCCに行く用事があってロビィーにいると次々に声をかけてくれる人達が久保君の突然の死に驚いていた。彼の思い出を語り「久保さんのチャウ、チャウは当分RCCで生き続けますよ…」と彼の人柄を偲ぶ人もいた。

 入社後暫くして、安芸津のご出身で出身大学の学生部長のT先生が来広され、今は亡き同学の先輩の大橋さんと3人でご一緒した時の事。「久保と言うものがいるか」との問いに聞き返すと「姪と結婚すると言うが、私には何の挨拶も無い…」。
 驚いて引き合わせた事がある。
 彼女がRCCでアルバイトをしていた学生時代に知り合い結婚に漕ぎつけたようだ。

 結婚式は、私が東京支社勤転任後だったので出席しなかったが、新婚旅行帰りのお二人を東京で迎えて家族4人と一緒にささやかなお祝い会をした事を思い出す。

 結婚後は三次支局に記者として4~5年勤務した。比婆郡でKK戦争と言われた当時の県会議長の木山徳郎県議と旭化成の重役から転身を試みた亀井静香代議士の兄・郁夫氏と町長選挙も巻き添えにした度重なる選挙対決に追われた…。県政を担当していた私は彼とコンビで現地に足を運んだ。

 本社に帰ってはスポーツ記者としてまたカープ中継やスポーツイベントのディレクターとして腕をふるった。‘

 ‘94年に広島で開かれたアジア大会は在広民放各社が手を引く中でNHKとTBS-RCC-JNNが競技中継制作ホスト局に成り、1年前から準備の体制づくりを始めた。
 その準備事務局を預かった私を技術のOさんとアナウンサーのYさんと彼の3人が正規の業務をこなしながら、計画作成から実施までを社内ボランティアで着実に支えてくれた。

 JNN全国28局から応援に駆け付けたスタッフは大会期間2週間を前後して100人以上に達し、NHKと互角に協演したJNNの総力を再評価される機会となって勢いをつけた。

 TBSは葬儀に『アジア大会の中継を成功に導いた貴方の力は大きかった…。JNN28社を代表して感謝する』と弔意を示した。TBSから見ても、間違いなく大きな役割を果たした人物だった…。

 通夜や葬儀の際、挨拶に立った息子のヒロヒコさんが話した。「父は人生のほとんどを仕事に費やし仕事しか能がない仕事好きの人生だった。口数が少なく不器用な父だったが何をどうしているのかを語った事は無く、父について色々とお聞きしたい…」と偲んだ…。

 確かに放送記者としては饒舌ではなかったが一途な性格とある種の頑固さと粘り強さそれにメカに強いのは彼の特性で東京支社勤務時代は総務部長を務め、本社に帰任してからも本社の総務部長の責任を果たした。当時,RCCにとって廿日市のラジオ親局の移動が一大懸案だった。現用地の能美“発見”と実現には彼なくして有り得なかった実績…とRCC前社長の金井さんは高く買っていた。

 この後、民放では文系人間では極めて珍しい技術局長を務めた。「大丈夫かい」と尋ねると、「こんな時代ですからバランスを考えて見ていればいいんですよ」と泰然自若としていたのは印象に深い思い出だ。この後、グループ会社のRCC文化センターの社長を務めた。

 社長を引いた後、本社で嘗て覚えのスポーツ素材を活かした「カープ物語?」や「カープ歴戦史?」などの制作を若者達と一緒に取り組み、生き生きとしていた。制作した作品はDVD化して販売され、好評を博して次々に企画を勧めたい…と今の仕事に満足気だった。

 唯一つ、アジア大会の総ての映像をTBSはいち早く処分して「RCCにしかないので保存をよろしく…」とされていた。その素材がデジタル化しないでそっくり残っていた。
 「これは、僕が始末する運命だったのか…少し、落ち着いたら1年もかければ処理出来ましょう…」話していた。その時は、私も多少の責任を果たすので声をかけて…」と約束していたのだが…。
 近い将来、2回目のアジア大会が日本で開催される可能性もある。その時、JNNの財産として大いに役立つ事と思う。
折角の彼の思いは果たせぬ夢になったが、後輩たちがしっかり受けツでくれることを期待したい。

 お酒にまつわる話も少なくない。静かな酒飲みだったが時として「シャーケド、シャアーケド(そうではあるが…の意味)を繰り返して一歩も譲らない事もあった。
 今日聞いた話ではまだ独身時代「ある酒の席で腹を立てた久保君が先輩の頭をそこにあった下駄で殴りつけた」。あの久保の事「よほど腹立たしい事があったのだろう…」と…。
 最近は健康への配慮も見せていたように思う。

 通夜からの帰り道。金井さん(前RCC社長)と一緒によく出入りしていた近所の居酒屋によって献杯し、彼を偲んだ。不器用なようでマルチ人間だった…と彼の総合評価は高い。

 こ2週間「夏かぜを引いた」と体調がすぐれず休暇を取っていたようだが、事前の兆候もあったとも考えられるが彼のがまん強さが災いしたのか?正しく急逝してしまった。
 されたご家族と特に「父のことを知りたい」という思いを募らせる息子さんに対して多少の助けにでもなれば幸いだ。

 この春の花見時から五月晴れの頃に、平和公園で散歩が日課の私と何度か鉢合わせした。
 「少しは健康管理に気をつけようと思って…」と話していたのがお別れになった。

 「久保君どうした。逝き急いで…」と声をかけると「チャウ、チャウ…思い残しはありません」とにっこり笑みを返してくる彼の顔が思い浮かぶ。

 安らかならんことを心から念じる。 合掌  9月8日:記

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2010年9月18日 (土)

記録映画「ヒロシマからの伝言」

 5日、日曜日の午前中、原爆資料館のメモリアルホールへ記録映画を見に出かけた。
 10時の開始を前に300の座席はほぼ満席で階段へ座ったり立ち見も出る盛況さに驚いた。
 係の話では4日の3回の上映も満席だった。知られている様で平和公園がどんな街だったのか、どんな人がどのような暮らしをしていたのか…5日の午後2回の上映もきっと満席になって関心の高さを見せるだろう。

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 原爆で消滅し、現在平和公園になっている嘗ての繁華街・中島地区をCGなどで再現し元住民の証言でつづる記録映画「ヒロシマからの伝言~原爆で失ったもの」(60分)が完成した。街並みを忠実に再現して蘇らせ、60人の元住民の証言で原爆が奪った街の暮らしと生活文化を浮き彫りにした。

 原爆ドームが広島県産業奨励館と呼ばれていた頃、街角には子ども達の歓声が響き生活の匂いと息吹があった。江戸時代には能役者や囃子方など住んだ「猿楽町」、能衣装や和楽器の細工師が暮らした「細工町」は今の大手町1丁目辺りで、爆心直下になった産業奨励館周辺には260世帯が暮らす街があった。

 ナック映像センター社長の田辺雅章さん(72)は産業奨励館の隣の家で生まれ育った。
 山口県に学童疎開していて直爆は免れたが両親と弟を亡くした。1年生だった彼は2日後に広島に戻り入市被爆し、祖母と2人で苦労の中を生き抜いて、大学で映像制作を学んだ。
 中国新聞の映画製作やニュース映像部門を経て独立した。
 今にして思えば、彼は今日の仕事を予感しての選択だったのではないかと思わせる程、彼にしか出来ない映像制作だったように思える…。

 だがその彼は中学生の頃、被爆証言集めや平和団体の交流に参加したが校長から注意され、友人が去って行った経験がある。爾来、被爆体験には封印してきたが、還暦を前に「原爆の記憶が薄らぎつつある」と街並みの再現を思いたった。

 ‘97年に元住民と連絡組織を作って白地図を一戸ずつ埋め、当時の写真を持ち寄って一年がかりで『爆心地猿楽町復元』~ヒロシマの記憶~を制作した。‘05年には細工街を再現した『ヒロシマグランドゼロ』~あの日爆心では~で原爆投下直前から爆発の瞬間までをCGで描き出した。国連での上映や学校での教材として広く活用されている。

 作品は60人へのインタビューとCGに実写や資料映像を駆使して中島地区を再現した。
 レストランに一銭洋食、カフェ、映画館、寺、産業奨励館など細かい所まで再現した。
 ここを故郷にする人達の思いがCGに息吹を吹き込んで甦る。

* 先生に 父母が死せりと 聞かされど 話だけでは われは認めず
* 駅からの 小道が見える 丘に立ち 父母を待てども 陽は今日も落つ
* 親達が 生き残りたる 友は去り 広いお寺に わずか残れり
* あの辺と 我が家を求めて 見渡せど 街は消え失せ 頼るものなし
* この道を 何時もふざけて 帰りたる 昔の友は みな土の下
* 焼け跡を 掘れど出てこぬ 母の骨 何処に伏すや われを待ちつつ

 学童疎開中の9歳で総てを失い、一人社会の荒波に放り出された少年が心の叫びを綴った短歌が超えきれない悲しみと怒りを滲ましている。
 こんな悲しみや苦しみを貴方のいや世界中の人の子や孫たちに二度とさせてはならないと深く心に刻まれる作品だ。

 同じ思いの田辺さんはこの作品は生き残った私達の『未来への伝言』としている。
 彼の歩んだ悲劇の人生が創らせた作品だと考えると同時代を生きて来たものとして耐えがたい怒りと悲しみを覚えると共に頭が下がる思いだ。
 機会を捉えて是非鑑賞される事をお勧めする。

問い合わせ:ナック映像センター 中区十日市町2-1-25  082-292-9401
     E-mail:nachm@lime.ocn.ne.jp

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2010年9月17日 (金)

広電の駅前大橋ルート

9月8日の中国新聞に、「路面電車の新ルート、駅前大橋線、広電が広島市に提案」と載っていた。

現在、広電の路面電車は紙屋町交差点から相生通りを通り、荒神三差路を左に曲がり、猿猴橋町を通り、広島駅にアクセスしている。
広電に乗って、紙屋町方面から広島駅にいくには、大きく迂回している。
随分とまどろっこしい。
実際の距離、時間以上に長く感じる。

なにもそんな道を通らず、稲荷町交差点で左折し、駅前大橋を渡る短絡ルート(駅前大橋ルート)を通るようにすれば、いいだろうにとは、誰でもが思う。
距離にして約200M短くなる。

駅前大橋ルートは何もいま始まった話ではない。
平成11年に広島市の「新たな公共交通体系づくりの基本計画」にとしてとりあげられ、平成22年には「広島市総合交通戦略」のなかで正式に位置づけられている。

今年度の広島駅南口広場の再整備検討委員会の中で、さらに具体的に、広島駅への乗り入れ方式が検討されてもいるようだ。

その際、広電を、現在の地上レベルで真っすぐ駅前広場に乗り入れるのか、どうかも、議論の対象になっているという。

現状と同じ地上レベルで、広電を広島駅に乗り入れようとすると、駅前の地下道への入り口が迫っていて、ホームのための充分なスペースが取りにくいことがありそうだ。
地下への入り口を避けてホームを作ろうとすれば、折角の駅前広場が狭くなり、駅前の広場がなくなってしまうおそれもある。

駅前広場は逆にもっと広くしたいくらいだ。
その方が、もっと楽しめる、憩える広場になる。

駅前広場を公園のようにして、そこで朝市が開かれたり、コンサートがあったり出来るようにしたっていい。

そうするには、広電の広島新駅は、地下に作るか、2階に上げるしかない。

広電の新広島駅を地下にすることも可能だが、広島では地下工事はとんでもなく工事費がかかる。
そんなことは、アストラムラインの県庁前駅・本通り駅を作って懲りている。
建設費だけではない。
地下鉄部分の維持管理は、安全性を確保するにも、また地上とは比較にならない費用がかかる。

地下に作ることは、できるだけ止めた方がいい。

広電を、大橋を渡るあたりから高架にし、駅前広場の上に、広電の広島新駅をつくったらどうだろうか。

どうせなら、更に駅ビルエッセの真ん中を通り抜け、JR広島駅の上を通り、新幹線の下を通って、二葉の里まで延伸したらいい。

広電の新広島駅と二葉の里駅の2つの駅を作るのだ。
地下駅を作る位の費用で、2つの駅を作る位の費用が賄えるのではないだろうか。

そうなれば、広島空港と結ぶバスのターミナル、広電の広島新駅、JRの新幹線、在来線が、ここ広島駅で、全て繋がることになる。
飛行機、広電、新幹線を使う人にとっては、格段に便利になるはずだ。

駅ビルアッセの中に広電の駅ができれば、アッセの利用客だって増えるだろう。
広電の利用客だって、大幅に増えるだろう。

広電で、二葉の里と八丁堀、紙屋町地区を結ぶことになれば、二葉の里の利便性も高まり、開発計画もよりスムーズに進めることが可能になるのではないだろうか。

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広電が、JRの駅の上を通り、新幹線の下を通ることになるわけだから、JR西日本との調整は、そう簡単なことではないだろう。
かなりの困難が予想される。

しかしこうしたことの前例がないわけではない。

JR九州の北九州駅ではモノレールが小倉駅に乗り入れ、駅ビルの中にモノレールの駅が作られている。
北九州のモノレールが作られた当時はJR駅から大分離れたところにモノレール駅があった。
モノレールの北九州駅を降りた人たちは、JRの駅まで、100M以上歩かなければいけなかったが、モノレール駅とJR駅が繋がったことで、雨に濡れて歩かなくとも良くなったこともあって、モノレールも乗客を大きく伸ばした。
当然、JR駅の駅ビルも大きく賑わうことになった。

山陽本線とアストラムラインとの乗換駅計画もそうだが、公共交通機関は繋げれば、繋げるほど、乗客の利便性は高まる。
その結果、乗客数が増えるだけでなく、その乗換駅の周辺も賑わうことになる。

公共交通機関を繋げることの派生効果は大きい。

広島市の財政が厳しいこともあり、金銭面でもかなりの困難が予想されるが、可能性がないわけではない。

国は、公共交通機関の利便性を高め、車の利用を抑制し、CO2の削減をしようということで「交通基本法」をつくろうとしている。
公共交通機関の整備を進めようとしているわけだ。
予算も地域に一括して交付するのを原則とするという。
その対象プロジェクトと取り上げれば、お金だってなんとかなりそうだ。

こんな新しい姿の広島駅ができれば、広島の街の魅力を大きく高めることにもなる。

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2010年9月16日 (木)

公園のトイレ

アストラムライン安東駅のすぐ近くの、小さな公園に、小さな、可愛らしいトイレがあった。
急な擁壁の下に作られている公園は、公園といっても、住宅1軒分の広さほどしかない。

そんな公園の中に作られているトイレは何とも可愛らしい。
身障者用のかなり広めのスペースに便器が1個と、洗面台がついているだけだ。
壁、扉は内も外も真白だが、そこに真っ赤な握り棒が付いている。
三角形のプランにまとめ、斜めの三角形の屋根がかかっている。
屋根は紫色だ。
三角形の屋根の真ん中がスーッと切られ、そのスペースにガラスが嵌められている。
昼間は天井からの明かりとり、夜はそこから漏れる光がトイレの目印となるのだという。
ガラス屋根のスリットのラインとその先の三角形の頂点は真北をさしているともいう。

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このトイレのデザインは数年前広島市が催したデザインコンペで当選した作品だ。
当選したのは小川文象さんという30歳の若い建築家だという。

コンペの当選作品として、新聞に発表された時、ちょっとおもちゃみたいだなと感じたが、本物はなかなかいい。
すでに広島市内にあるあちこちの小さな公園につくられているという。
屋根の色はそれぞれに違っているという。

スリットのガラス屋根のコンセプトも面白いが、関連して、昔の友人の研究を思い出した。

「ヨーロッパの教会は、北斗七星の方角を向いて建てられている。
年が経つうちに、少しずつ北斗七星の位置が変わるので、その変化を計測すれば、その教会が建てられた年がわかる」
として、毎年ヨーロッパにいき、教会の配置を計測していた。

世の中には物好きな人もいるもんだと思っていたが、
このトイレもいずれそんな研究の対象になるのだろうか。

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2010年9月15日 (水)

交通基本法と『移動権』

昨年の11月頃から、国土交通省で「交通基本法」の検討が進められている。

「交通は、人や物の移動に不可欠であり、あらゆる活動の基礎となっています。
人の移動権を保証することが交通基本法の原点であるべきです。
人口減少、少子高齢化、地球温暖化対策等の諸課題に対処するため交通政策全般に拘わる法整備や支援制度の検討が必要です」
という考え方を基本にして、新たな法律を作ろうとしているのだという。

身障者や高齢になって、車の運転が困難になった人等のいわゆる交通弱者に対しては、公共交通の整備が必要だというのはよく理解できる。
また車の排気ガスを削減するために、鉄道、路面電車やバス、そして自転車等の環境負荷の小さい乗り物に乗り換えましょうというのもわかる。
そして燃費のいい電気自動車EVの促進、自転車専用レーンの整備、情報通信技術の導入、コンパクトシティーへの誘導等、「乗り物、交通体系、まちづくりの整備を一体化」して進めましょうともいうのもいいことだ。

今まで交通に関連したそれらのことが、福祉政策であり、産業政策であり、公共工事であるというように、バラバラに進められてきた。

道路は建設省道路局が作り、港、空港は運輸省港湾局がつくり、車は経済産業省が所管し、進められてきたわけだ。

今では海の中にも、山の中にも素晴らしい道路ができ、そんなところに道路を作ったって、誰が使うんだ、猿か熊しかつかわないよ、といわれるようなところまで道路がつくられてきた。
この狭い日本国内に、100近くの空港が作られたが、飛ぶ飛行機がいない、海外に行くには仁川空港の方が便利だというような状況まで起こっている。

こうした状況をみれば、交通体系を総合的に見直すべきだということは、当然のことだろう。

国が、広島市で進めているようなクロスセクション的な行政をするために、そのベースとなる「交通基本法」を作ってやろうと言うわけだ。

そのためには、厚生労働省、環境省、経済産業省、国土交通省等、いままでの縦割り行政の枠を越えて、あらたな法律が必要だということで、交通基本法が作られるのであれば、それは素晴らしいことだ。

今回のこの交通基本法のベースとなっているのが、『移動権』という考え方だという。
移動権?
聞いたことないな。

誰でもが、自分の行きたいところにいけるのは、人間としての権利だというわけだ。

フランスではすでに「交通権」を認め、法律が整備されてきているという。

これに対し、私の友人は、
「移動権として、権利が保証されるのはいいが、その権利が侵された場合、その被告となるのは誰か。
バスや船の事業者か、自治体か、国か」と質問する。

「ウーン、誰になるんだろう?」
極めてキツイ質問だ。

彼が言わんとすることは、
「高速道路が無料化されたことで、離島を結ぶ船舶会社の経営が極めて厳しい状況になった。
そのため、便数を減らしたり、更には航路を止めてしまうというようなこともせざるを得なくなっている。

広島の郊外の住宅地では、人口減少と少子高齢化が進み、バスの利用者が減り、やむを得ず便を減らしている。

そのため、住民は不便だからと、交通の便のいい都心に住みかえる人も増えている。

その結果、ますますバス、船の便が減り、不便になる。
そしてまた利用者が減るという、負のスパイラルに落ち込んでいるというような現象が起こっている。

こうした問題について、船の利用者、バスの利用者から、『バス、船の便が少なくなって、病院にもいけなくなった。そのため病気がひどくなった』
『移動権の侵害だ。』として告訴されたら、その被告は誰になるのか。

『バスの便が減って、生活が不便になって、仕方なく都心に越した。
本当は今まで住んでいるところに住み続けたい』
『今まで住んでいた住宅を買いあげてくれ』といわれたら、
その費用は誰が負担するのだろうか」

或いは
「バスの便が減り、住宅地としての資産価値が減った。
売ろうとしても売れないじゃないかといわれたら、どうするんだろうか」
というわけだ。

今までもバスの便が減った地域では、必要があるときに限定して応えられるようにと、デマンドバスとか福祉バスとかを運行してきた。
青森市では、コンパクトシティー宣言をして、都市部への移住を促進している。
いわば移動権の保証を、地方自治体が福祉政策の一環として、或いは街づくり行政の一環として行っているといえる。

移動権を保証しなければいけない状況は地域によって大きく異なることも確かだ。

そうしたことを考慮してか、国は今回の交通基本法では、地域の事情に十分こたえられるようにと、予算は、地域に一括して交付する仕組みを作ると言っている。

任せられる方の地域も大変だ。
責任転嫁だといえなくもない。

しかし国の組織はあまりででかすぎる。
そこでクロスセクション的な対応をするとか、地域によって異なる事情にきめ細かく対応するというのは、所詮無理な話だろう。

ここはチャンスでもある。
交通基本法の成立を契機に、一気に地方分権を進めたらいい。


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2010年9月14日 (火)

虐待児を見守り育む記録映画「葦あしかび牙」

 久々に重いテーマのドキュメンタリー映画の死者を観た。
 盛岡市の児童養護施設「みちのく・みどり学園」の子ども達を追ったドキュメンタリー映画『葦牙あしかび」~こどもが拓く未来~1時間53分』だ。

 大阪で2人の子どもをマンションに閉じ込めて放置し、死亡させた母親が殺人で逮捕されるなど子どもの虐待は年間4万件を超える勢いだ。

 映画の最初の画面に児童虐待はいまや日常茶飯『3日に一人の児童が死に追いやられている』現実が字幕表示されるこの映画は親に虐待された子ども達の心の軌跡と、それを見守り育み、心の回復に真剣に立ち会おうとする人達の記録だ。

 子ども達のリアルな表情や行動は迫力と存在感に溢れているのは制作スタッフが4ケ月も泊まり込みで取材した為、子ども達が自然にカメラを受け入れた…忍耐力の成果だ。

 映画の舞台の学園には3歳から18歳までの子ども達80人近くがいる。7割の子どもが親など近親者からの虐待を受けた為、身を寄せている。ここで10年を過ごす子どももいる。
 カメラは施設内だけに止まらず地域の人達との交流をはかることで目に見えてくる子ども達の変化と成長をとらえている。

 登場する子ども達の顔はモザイク処理も無く声にフィルターを掛けられることも無く、ありのままの姿が切り取られ、虐待する側の親も登場し自身のケースを語る…。

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 特に公開が前提の映画丈にプライバシーを考えて事前に了解を取り付ける作業は学園長以下職員と制作スタッフの努力の結晶として評価されよう。

 親の愛情に恵まれない子どもたちはコミュニケーションの取り方が判らない…“こころ”がつくられていないと言われるが、この学園では地域全体で彼らを支え、“こころ”を再生する取り組みをしている。

 やがて子どもの中からは「僕が大人になり、子どもが出来たら、絶対に同じような事をしないようにしなければ行かない」と…。しかし、虐待された子どもの三分の一はトラウマになって虐待を繰り返す…現実の前に今一度「目を見開く必要」が求められている。

 重いテーマの割に観終わった後、暗く湿った気持ちに成らなかったのは何故だろう?
 「葦牙」は冬枯れを経た葦が水面について出る新芽のことで神々の誕生として象徴する言葉が「葦牙=あしかび」で、未来を拓く子どもたちの姿が重なって、清々しい…からか?

 虐待の62~3%は実母、続いて実父が20%、祖父母や伯父叔母が9%、実父以外の父6.4%、実母以外の母1.5%である。
 4万件に上る相談件数は氷山の一角と言われ予断が許されない状況にある…と指摘されている。

 文部省は、被虐待児童生徒の存在は、どの学校、どのクラスにも存在しうるものである」と言う危機感を持って日常的な指導に当たるよう指示している。

 隣近所の付き合いや地域のコミュニティーが薄らぐ状況の下で、こうした映画による警告や告知には児童相談所や現実に毎日こうした子どもたちと向き合っている養護施設の指導者の講演をセットで組むことが好ましいと思う。
 実態を集めた資料も理解を促すのに役立つ…。

試写会:9月27日(水) 18時半~袋町・市民交流プラザで行う。
観賞希望者は下記に問い合わせください。

問い合わせ:広島映画センター 広島市中区堺町―2-9 貴志ビル 082-293-1119
   http:www.h-eirasenter.co.jp/

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2010年9月13日 (月)

NHK「相撲中継再開」の甘さ?

 NHKは大相撲の名古屋場所のTV・R中継を83年の中継史上初めて中止し、成り行きが注目されていた秋場所の中継を決めた。「暴力団排除宣言」など改革に着した事を評価した。しかし、改革は未だ着手したばかり、再開は何が決め手になったのか…疑問が残る。

 2日NHKの福地会長は、12日から始まる秋場所について相撲協会の一連の取り組みが「反社会勢力との関係を断ち切る決意と、改革への具体的な道筋をつけたものと受け止めた」と評価して「公共放送として中継をやるのが本質だ」と述べて中継再開を発表した。

 相撲協会の「暴力団等排除宣言」は安心して観戦出来る環境を守るため①暴力団など反社会的勢力を、国技館等本場所会場、巡業会場、部屋、後援会、祝勝会などに入れない②興行、部屋、宿舎や車・金銭の貸借などあらゆる取引に反…勢力を関与させない③反…勢力から金品や便宜もてなしを受けない。飲食ゴルフの交際しない…など7項目。
 暴力団との関係が判明した場合は回顧を含む処分も明記している。

 NHKが中継を中止したのは視聴者の声が強かった事に加えて再発防止に向けた協会の取り組みが不透明だったことを挙げている。しかし、福地会長は「あの協会の常識は社会の非常識、再発防止策を本当に示せるのか」とコンプライアンス(法令順守)に強い疑問を示していた。特に,内うちで解決しようとする協会体質に不信感を強めていた。

 特に、不祥事続きのNHKにも同じような身内に甘い体質がある事にも気づいていた…との指摘が、内部からもされていた。「大相撲の常識」はNHKにもあった…。

 宣言が従来にないより具体的なコンプライアンスと評価したとしても、協会そのものの体質は変わっていない。
 度々指摘してきた『国技』や『公益法人』の理解と位置付けがそのままでは「個人」「部屋」の責任を厳しく問う『トカゲの尻尾切り』にすぎない…のでは?
 宣言は協会自身の責任の取り方は全く示されていないのだ…。
 つまり『国技として「税制上の特典」を活かした団体の資格を返上する』等の姿勢や方向が示されない限り、何があっても個人の責任で詰め腹を切って幕引きされる恐れがある。

 協会は数年に一度浮上する“八百長”や暴力死問題など大きな課題を抱えている。
 「膿を出し切る」との前理事長の発言は、役員の交代で消えてしまったのか
 NHKの判断には納得いかない“同質の甘さ”があるのではなかろうか?
 ここは「公益法人の返上…」と言う協会自身最大の歯止が必要なのではなかろうか…。

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2010年9月12日 (日)

検診報告・肺がん末期への自覚

 広大医学部の呼吸器外科で半年ごとに受けている肺ガンのCTチェックを受診した。
 結果は腫瘍の一つは更に増大し、リンパへの転移も拡大した。

 4年前の4月に胃の全部と脾臓、胆嚢も摘出し膵臓も一部カットの術後2年で肺への転移が見つかった。一昨年7月から抗癌剤の投与を受けたが、10月になって4クールに入った頃から倦怠感がひどく半日は寝て過ごす状態に成り、ブログの原稿書きが全く出来なくなるほど思考力が低下した。生きている実感をまるでなくして、思考力まで無くなった状態で“抗癌剤に負ける“恐れを抱いて投与を止めた。一週間もたつとずいぶん元気ななり2週間余ですっかり安定し散歩も再開して、今日まで来た。

 この間、昨年と今年の梅雨から土用頃にかけて腰痛、腰と尻の筋肉にある筋がとても痛い状態が続いた。昨年は骨を矯正しながらの整体“トントン”で、今年はお灸で治療し以外にも効果的だった。
 夏場になって日課の散歩も中止して専ら家の中ゴロゴロする毎日を過ごしてしまった。

 今回のCTチェックは以下の通りです。先ず、1年前24mm、2月末33mmあった腫瘍は50mmに増大していた。17mmと9,6㎜の二つもそれぞれ増大、4つ目の発生があった。
 更に、肝臓にも転移が見られ胸と腹部のリンパ節にも転移。腫瘍マーカーは2~3だったのが一気に41に急速アップしている。8,5しかなかったヘモグロビン値だけは3ケ月の鉄分注射のお陰で正常値にはあと一歩だか12まで上がったので今は呼吸などに影響は無い。

 医師は「個人差はある」と言いながらも「いつ、痛みや咳などの症状が現れてもおかしくない…くらい胸、腹部のリンパ節に腫れが来て全体的に悪化してきた」との診断だ。
 従って、半年にしていた次のチェックを12月中旬に入れ、いつでもおかしい時は診察に来るように促された。

 肺ガン末期の症状は咳に息切れ、血痰、声のかすれ、呼吸時の異常音、むくみ、胸水などが現れる。転移によって現れる症状は骨転移による骨の痛み、能転移による頭痛がある。

 幸いに、今は全く末期の症状と思える気配はない。体重が2~3キロ落ちたがこの暑さで多少は食が細り気味だが、比較的良く食べている。気になる点はここ一月くらい「声のかすれ」が出ていることだ…。
 逆に、肺活量が大きくと言うか強くなったように思えること散歩をしない割に足腰の強さ?は自分流のストレッチのお陰なのだろうか…不思議に思える。
 これから秋に向けて散歩の再開をしたいと思っているのだが…。
 少し、様子を見ながらこれまで以上に「日々を大切に!」の気持ちを大切に、十河先生の東洋医学による治療を一層真面目に受け止める必要があるように思う…。

 昨日は少し不安で興奮気味だったが、今は、不思議なくらい平穏で安らいだ気持ちだ。
 食事も美味しくいただくが、さすがにビールやワインは一日休んだ。痛みも咳も無い。
 ただ、これから発生する可能性が強い末期症状に怯えることなく、素直に自分と向き合う日々を過ごした…と、強く念願している。<2日:記>

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2010年9月11日 (土)

民主党政権一周年と代表選

 民主党が大勝して政権奪取して丸一年になる。
 期待を背負って発足した民主党政権は、僅か10ケ月で鳩山首相と小沢幹事長が『政治とカネ』の責任を取って菅首相に引き継いだ。
 菅首相は参議院選で消費税値上げ発言が惨敗の引き金になったと責任論が浮上。
 民主党の代表選挙は『菅:小沢』対決色を強めて来たが、俄かに「トロイカ体制」案が浮上して挙党体制への流が生まれるかと思わせた。しかし結局選挙へ突入した。
 どちらが勝っても挙党体制?を言っているが?民主党の新しい道は開けるのだろうか?

 参議院の惨敗の背景は「消費税」だけではない。「政治とカネ」問題も大きな要因だった。
 特に小沢さんは政治とカネの問題で多くの国民から汚い政治家だと思われている。
 検察・審査会に官僚達の甚だしいリーク?でメディアが創った汚いイメージは大きい。
 期待された菅さんは「暫く静かにして欲しい」等と小沢外しを鮮明にして小沢系の排除?挙党体制を避けたことも、小沢さんとグループを刺激して対立を鮮明にした。

鳩山さんも菅さんも自民党が長年運営してきた官僚主導の政治スタイルを政治家・政党が仕切る民主党 スタイルを実行しようとしながらも進まない。事業仕切りは人気を得たが予算編成、沖縄問題、日米関係に於いても官僚に押し切られ、小沢流と相いれないで小沢さんに不満を抱かせ続けた…?一年だった…印象はぬぐえないように思う。つまり、民主党政権は挙党一致が出来ず手探りのまま走った一年だったのではないだろうか。

 小沢さんは各社の世論調査で7~80%が要職に就くべきでないと答えており、菅:小沢の指示率は8:2で菅さん有利に現れている。
 しかし、いま小沢さんの政治生命が終わってしまったら『汚い政治家』の烙印は押されたままに成ってしまう。小沢さんは「自分は汚くない、政治とカネの問題は潔白」という自信を持っている?ものと思われる。
 『汚い政治家』の烙印を押されたままで終わる訳に行かない…。代表選に出馬して代表になって『汚い政治家、返上』し手、首相になりたい…との思いが強い結果…と見る。

 「人事で取引しない」菅首相の反発はむしろ結果的に、双方が「投票」で一致した。鳩山さんの「トロイカ体制」案はむしろ迷惑な仲介案だった?のではないかと思える。

 菅首相は「クリーン政党にして政治に金がまつわるような古い政治からの脱却」と小沢批判を展開し、小沢さんは「財源が無いと歳出の一割一律カットは官僚任せ」と批判し「政治家自らの責任で予算決定できる体制づくりで」政治主導の確立を主張。
 消費税を巡っては「社会保障のあり方と消費税を含めて財源問題を一体で議論することが重要」と強調。小沢さんは「霞が関が決めたメニューに従った配分を政治主導に変えないと財源は出来ない。無駄を省き有効活用に全力を上げ、消費税はその後…」等と政策論争の対立軸を示した。

 この原稿が掲載の頃は既に新党首が決まっているが、何といって一般国民に投票権が無い選挙だけに『国民の声を代弁する?マスコミ操作?』がどれだけ投票に影響するか…が見ものだ。

 自民党政権が長年かけて官僚とゼネコンを中心に構築してきた政治権力構造を簡単には改革できない事は判っている。しかし、国民は今日明日の目先の暮らしに追われ気長には待てない状況にある。それだけに、せっかちなのはやむを得ない。
しかし、日本の新しい道を示すにはもう少し気長に見守ろう…という気持ちも大事だ。

 よもやマスコミや政治評論家達の指摘する“分裂”は生じまい…。
 甘いかもしれないが新挙党体制の『新生・民主党』の発足を期待したい。<1日朝:記>

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2010年9月10日 (金)

阿久根市・竹原市長のゴリ押しと正当性?

 テレビで「改革か破壊か~阿久根騒動で見えた地方自治の窮状~」を見て、改めて驚かされた。鹿児島県阿久根市は台風銀座で知られた漁業の街で嘗て4万人いた人口は漁業が衰退して今は2万3千名に減り財政事情が厳しい地方都市だ。

 そこに2年前に現れた竹原市長は市会議員の不人気投票を呼び掛けたり、個々の職員給与を公表したりボーナスを半減に議会同意を得ない副市長の任命など『無法市長』の印象を強めて来た。しかし、あながち「無法・違法」だけでは片付けられない、大きな背景があることを改めて思い知らされる…。

 市の財政規模は平成12年以降120億円あったが20年度は104億円に減少している。市民税収入20億の内17億3千万円が268人の職員給与で消える。しかし、市民の年収は2~300万円と言われるのに職員給与は7~800万円。60歳定年退職金は2600~700万円、市会議員の報酬は400万円とかなりの高額で市民との経済格差は大きい問題だ。

 竹原市長はこれらに対して議員定数を3分の1、報酬は月額制から1日1万円の「日給制」に変更する条例を専決処分した。市役所の各課には在籍職員の人件費総額を掲示して市民に知らせるなど奇抜な手法で「改革」に取り組み,掲示を撤去した職員を処分し、組合書記局の追い出し…などで組合とも対立をする。

 市長は「知るべき事が市民に知らされていなかった」と徹底した情報公開をし、「市民代表として話し合いすべき議会では対話を放棄している」と市民の力で議会を話し合いの場に変えさせたい…と市民懇談会を精力的に開いて「市民の為の街づくり」を掲げている。
 いずれも「市民負担の軽減」が課題で、市民サイドからはそれなりの正当性がある
 名古屋の河村市長の掲げる問題と同じ地方財政の悪化が背景にある共通問題でもある。

 議会を開かないで専決処分で市政のハンドリングをする…問題や違法性は市長与党の少数が壁に成って解決に結ばない…ゴリ押しの現実を見れば竹原市長の当面の課題は正規のルールに戻したうえで“の選挙”にある。2度目のリコールは確実に成立の可能性が高く?これを受けた市長は再度「議会解散」に打って出て「出直し市長選・市議選」で多数派の獲得が最短で最大の課題になる。

 マスコミはルール違反でインタビューにも中々応じない取材拒否の竹原市長をボロカスに扱っているが、市民が目覚めて『市長と多数派議会』を勝ち取れば、強ち住民目線の行政が望めない訳ではない…阿久根市の改革は前進する?

 住民自治が長い間の慣習で議会と市民のなれあいに流されたて改革が進まない上、職員がその地における高給取りを決め込んでいる自治体は少なくない?のではなかろうか?

 全く同じ事情で苦労している自治体の首長は全国に沢山いる…と思われる。
 市長のゴリ押しに正当性は無いが、公約・主張の正当性は妥当と言える。
 財政事情が厳しい折丈に来春の統一地方選を控えて、阿久根市の成り行きが注目される。

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2010年9月 9日 (木)

不親切?の構図

 孫達の長期休暇の終わり頃に成るとバスの通学定期を購入する。
 祖母(妻)はこの3年間、高校一年に成った孫の定期券を買うたびに学校から在学証明の印をついた購入書を提出してきた…と言う。

 この話を全く知らなかった私は「今どき購入の度に、学校の証明を求めるのは、利用者の立場を考えない、バス会社の方針がおかしい…」と思い、バス会社本社の担当セクションに電話で聞いてみた。
 折り返し電話をしてきた担当責任者を名乗る人は『証明は各新学期だけで、毎回は要りません』という。「窓口では…なぜ、その都度新学期だけでいいと教えてくれないのでしょうか」と言うと『申し訳ありません、今後は各窓口に十分注意をします』という。

 私の疑問は「なぜ、新学期ごとに必要なのか…?」ということもある。
 途中で退学し、転校したのに同じ路線で学割を必要とするケースなどは殆んど考えられない。更に、中・高一貫の私学に通っている場合も≪使用済み定期≫の提示で十分なのではないか?という疑問がある。

 件の人に同じように質問をぶつけて見ると『おっしゃることは判りますが、“各社”とも
”長年“そうしています…』。何のためにそれほど度々証明が必要なのか…?古い時代の<安く、利便を図ってやっている>という企業の姿勢なり目線の高さが、利用者の「悪用防止」の考え方が押し付けられて来たのではないか?

 極めて些細なことである。しかし、≪証明は新学期だけ≫であるのに、3年間≪証明付きの購入申し込み用紙≫を提出しているのに、バス会社側・販売窓口は一人として一度も教えてくれない“不親切”な構図はなぜ生まれ…維持されているのか?

 件の人は、中高一貫校に通う人達の購入も≪使用済み定期≫だけで良いようしたい…との回答だった。一管理者が簡単に変えうるルールが何の疑問も無く長年維持され訂正されないできた“不親切な構図”は、私達の生活環境の中で、他にもあるような気がする…。

 少し「言いがかり…的」と考えない訳でもないが、私の一言で多くが強いられて来たバス通学者の面倒な手続きが省略出来たのなら…それなりの意味があろう。
 バス通学の2人の孫は「そう言われれば…そうだよね!!」と友人たちに宣伝する心意気だ。
 何はともあれ、祖母はバス会社が「今後、不親切の構図が窓口告示などで徹底されるかどうか…」を見守る事で面倒から解放されることになった。はてサテどうなる事か…?

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2010年9月 8日 (水)

戸籍上「163歳」の生存?と社会不安

 高齢者の所在不明問題を巡って、各地で江戸時代の人が戸籍上の生存状態にあることが明らかになっている。戸籍上とは言え森鴎外や坂本竜馬の同級生達が生きていた…。
 笑い話のような事実に驚くばかりだ。

 三重県志摩市では黒船来航の6年前にあたる1847年(弘化4年)生まれの163歳の男性が、戸籍上いることが分かった…。
 大阪市では「安政の大獄」の前年1857年(安政4年)生まれの152歳の女性が…。
 大阪府柏原市では1860年生まれの150歳の女性以下8人の江戸時代生まれ…。
 大阪市では戸籍上は生存しているのに、住民基本台帳に登録されていない120歳以上が5125人に上っている。

 幸いにというかいずれの場合も住民基本台帳には登録されておらず、年金や健康保険などの住民サービスはうけていなかった…。

 所で、住民基本台帳は総務省の所管で、住民登録の抹殺は各自治体が居住実態の無い事を確認すれば自治体の権限で抹殺出来る。しかし、戸籍の所管は法務省で、除籍する場合は家族から死亡届けや失踪宣告の手続きで行われ、その他の場合は法務省に申請して許可を得る必要がある。だから、手続きは後回しに成り勝…だと云う。

 また、戸籍が紙で保存されていた時代は、保管場所を確保するために除籍を行うことがあったが、戸籍法の改正で1994年以降は電算化に伴って物理的な除籍の必要性が薄くなっている上に…戸籍抹殺は自治体の義務や責任がない所に問題もある…。
 保管場所に困らず、放置していても特に弊害が無い除籍作業より、出生届や死亡届け等の処理が優先されてきた為との指摘もある。また、戦争中の混乱や阪神大震災の後などで死亡届けが未提出のままに成っているケースや、電算化の際にこれらの配慮がされなかった可能性も高い。

 従って、自治体は所在が判らない人を職権で台帳から削除出来るが、都道府県の間で大きなばらつきがあるのが実態。削除が進めば台帳との実態のズレは無くなるが、削除された人は行政サービスの基本的な対象から外される…。削除に対する自治体の考え方や姿勢の差が、不明者数の違いに現れている…。単に行政手続き上の問題…では片付けられない。

 行政サービスの対象から外された人はホームレス化の可能性が高く、全国2万人と見られるホームレスの高齢化も進んで「不明高齢者予備軍」となっている。
 新たな社会不安を抱える問題だ…。

 このままでは、精査が進めば170歳、180歳いや200歳も出てくるだろう。
 政府はこの機にホームレス高齢者対策を含む戸籍の定期的チェックと除籍の扱いに関する新しい法制化を急がない限り、同じ事が繰り返される事に成りかねない。≪25日:記≫

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2010年9月 7日 (火)

興南高校優勝と沖縄の事情

 夏の甲子園大会は沖縄の興南高校が春に続く連覇で初めて深紅の優勝旗を沖縄に持ち帰った。空港には凱旋した興南ナインを、4000人を超える人達が出迎えて、県民の悲願達成を喜んだ。

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 興南がここまで成し遂げたのには去年春夏連続出場しながら、悔しい負けを喫していたからで、今年の春のセンバツ優勝は夢にまで見た沖縄県民の喜びだった。それだけに、興南は予選から夏の優勝を目標に闘ってきた。
 島袋投手のトルネード投法に高い打撃力が絡んで安定した試合で勝ち進んだ。準決勝の報徳戦の5点逆転勝利が興南の底力を見せつけた。

 沖縄の高校野球が初めて甲子園に出場したのは昭和33年(‘58年)。米国の統治下にあって首里高校が初めて甲子園の土を踏んだ。残念ながら初戦に敗退して持ち帰ってきた甲子園の土が当時の検疫で引っ掛かり那覇港に捨てられる事件が沖縄の実情を再認識させた。
 爾来、本土復帰と甲子園の優勝は沖縄の高校球児も県民にとっても悲願だった。

 昭和44年に沖縄高校(現・沖縄尚学高校)から甲子園に出場、琉球煙草を経て米国の占領下の沖縄から初めてプロ野球に入った安仁屋宗八さんと沖縄でご一緒したことがある。
 カープの春のキャンプの陣中見舞いに行った時、RCCの解説者だった安仁屋さんも取材に見えていた。夜、街に繰り出すとあちこちから声がかかり食事中や飲んでいても席まで挨拶に見える人の多さに驚いた。丁寧な受け答えは彼の人柄の現れだが「みなお知り合いですか」と尋ねると「知り合いは極一部」。
 なぜか?不思議に思っていたら、同席していた人が「安仁屋さんは沖縄からのプロ野球第一号、県民の憧れであり誇り!」と聞いて沖縄人の県民性が頷けた…ことを思い出す。
 県民の期待を受け止めて来た安仁屋さんは安仁屋杯中学野球大会を開催し、‘05年からは社会人野球アニヤベースボールトライを創り監督として沖縄の野球熱を支えている。

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 今回の優勝をどれ程沖縄県民が待ち望んでいたか、優勝インタビューに答えたキャップテンの言葉に込められていた。「県民みんなで勝ち取った優勝です…」。正しく、悲願を達成した意識は高校生達の胸の中に刻まれてきた沖縄の歴史を思い起こさせる…。

 タレントや芸能人に沖縄出身者が目立つようになって久しいが三線や島歌など独特の郷土芸能が共通基盤として身にしみ込んでいるように思う。戦争体験や米軍基地の島と言う特殊な環境の中で高校野球も同じように、自分達が置かれてきた状況の認識に共通性や共感性が強い“良い意味での郷土意識”が育まれているのではなかろうか。
 それにしても、天晴!沖縄球児たち!! 興南高校野球部のメンバーたち!!!

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2010年9月 6日 (月)

自販機+デジタルサイネージ

JR品川駅の構内に、なんとも大きな画面を持つ自販機が登場した。
通常スポーツドリンクのペットボトルや缶コーヒーが並んでいるスペースに、大きなTVの画面が付いているという感じだ。
画面は47型というから大きい。
自販機の前に立つと、画面が自販機のタッチパネルに変わる。

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自販機の大きさは、頻繁に補給しなくともいいようにということで、ストック場所を確保するということで、あの大きさは決まっているのだろう。
それにしても自販機の前面にあんなに沢山の缶ジュース、ペットボトルが並んでいる必要はない。
通常、自販機の表面はペットボトルや缶ジュースが30~40本くらい並べられショーケースになっているが、同じ種類のものが何本も並んでいたりするから、何もあんなスパースはなくともいいはずだ。
その大きなスペースを、広告スペース、それもデジタルサイネージの広告スペースにするというのは、誰が考えたか知らないが凄い発想だ。
デジタルサイネージの広告看板にすれば、かなりの収益を期待できるだろうことは容易に想像出来る。

最近はそうしたデジタルの画面も、液晶、プラズマ等の技術開発が進み、厚さも10CM程度もあれば十分というようになってきた。
価格だって相当にも安くなっている。

そうした技術を使い、自販機をデジタルサイネージの看板に使おうというわけだ。
面白いアイデアだ。

街のそこいら中に、デジタルサイネージ=動く広告があふれるようになったら、ちょっとうるさいようにも思うが、案外楽しくなるかもしれない。

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2010年9月 5日 (日)

キョウチクトウの白い花

9月に入っても、まだ35℃を越す暑さが続いている。
9月末までこの暑さが続きそうだという。
暑い夏だ。

平和公園の前には随分と大きくなったキョウチクトウが咲いている。
夏の強い陽射しの中で逞しく咲いている。
夏になると、キョウチクトウのその白い花と、8・6の平和祈念式典の思いとが重なる。

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広島が原爆で焼け野原になった跡、最初に地面から生えてきたのがキョウチクトウだという。
そうしたこともあって、キョウチクトウは広島市の市の花に指定されている。

市内に咲くキョウチクトウは、どれも随分と大きくなっている。
被爆した本川小学校の生け垣のキョウチクトウは高さ10Mくらいにもなっている。
キョウチクトウは広島の街のあちこちに植えられている。

他の都市には、こんなに大きく育ったキョウチクトウはない。


キョウチクトウの花は白と赤があるが、白い花のキョウチクトウは、どこか清潔感がある。

広島を訪れた人たちに、白いキョウチクトウの花は、平和資料館と重なって強く記憶にのこっているようだ。
夏の思い出の一つでもある。

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2010年9月 4日 (土)

インサイト

友人のK氏が、インサイトを購入した。

近頃、街ではやたらトヨタのプリウスが目につく。
丸っこいデザインのプリウスはすぐわかる。
ハイブリッド車といえば、トヨタのプリウスという感じだ。
自動車の販売数も、7,8月はプリウスがトップだという。

ホンダも、ハイブリッド車インサイトを発売しているが、人気はいま一つパッとしない。
どうも完敗のようだ。
値段はインサイトの方が安いが、燃費、車内の広さ等ではプリウスの方いい、という人が多い。
プリウスを買ったもう一人の友人M氏は、走行性能だって、プリウスのほうがはるかに優れているといっていた。

そんなことを知りながら、彼はホンダのインサイトを買った。
「なぜ?」と聞くと、
「プリウスはメタボのおじさんみたいじゃん。
インサイトの方が、若々しさがあるじゃん」
という。

1

確かに、インサイトのほうが車高も低く、シャープな感じもする。
インサイトの外観は、プリウスとかなり似ている。
私は、ホンダがプリウスの真似したのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。
良く聞けば、ホンダは随分と前から、ハイブリッド車を開発し、販売もしていたようだ。

ホンダは1997年にはハイブリッド車をコンセプトカーとして開発し、東京モーターショーで発表し、1999年から20007年まで、初代のインサイトを発売していたという。
ホンダとしては、低燃費を目指した車として初代インサイトを開発したようだが、そもそもそれがハイブリッド車だったという。
今のは2代目インサイトだが、形だって、初代インサイトにそっくりだ。

流体力学的に追及していくと、こうした形になるのだという。
形の面でも、ホンダの方が先行していたといいたいようだ。

初代インサイトの燃費は当時の量産ガソリン車としては、世界最高の35km/Lだと宣伝していた。

あまりホンダがハイブリッド車を作ったというイメージがなかったのは、ガソリンエンジンの燃費性能をアップする補佐的なものとして電池を使っていたということもあるのだろう。

彼の蘊蓄を聞いたせいか、急に旧来のセダンの車がどん臭く見てきた。
おかしい。

ハイブリッド車プリウスを、誰でもが知るようになった一番大きな契機は、あのアメリカでのブレーキペダルにフロアマットがひっかかって死亡事故が起こったことで大規模なリコール問題になったことによるのだろうと思う。
あの時は、展開によっては、トヨタは倒産するかもしれないというほどの危機的状況に陥った。
トヨタはその危機をなんとか乗り切っただけでなく、プリウスはハイブリッドカーとしては、技術的になんら問題がないということを証明することにもなったようだ。

世の中って、何が幸いするか解らない。

インサイトは1300ccという割には、車体も随分と大きい。

隣に駐車していたベンツE350より、大きく見えるくらいだ。
E350というから、排気量は3500CCということだろう。
インサイトは1300CCだから、排気量は格段に小さい。
燃費もベンツはリッターあたり7~8KM走れば御の字だろうが、インサイトはその3倍は楽に走る。
値段だって、ベンツE350ともなれば、800万円以上はするようだが、インサイトは200万円程度だ。

彼は、インサイトに乗るようになって、ガソリンの消費量もグンと減ったという。

ハイブリッド車、電気自動車が増えてきたら、益々ガソリンスタンドが成り立たなくなる?
そうでなくとも近頃ガソリンスタンドが倒産、閉鎖が目立つ。
余計な心配かな。

彼の車にはナビも付いている。
TVも見られるし、DVDも見られるようになっている。
車の中で、TVなんかみなくともいいだろうにと思うが、ナビを付ければ、自動的にTV機能も付いてきてしまうのだという。
ハードの装置としては、ナビだろうが、TVだろうが、さして差はないということだろう。

近頃の車は、車のそこいら中がコンピューターで制御されている。
その制御の状況とか、エコ運転の様子とかがナビの画面に表示されるようになっている。
こうなると、車はもう車輪のついたコンピューターだ。

おかげでナビシステムを理解するのが大変だと、彼は嘆いていた。

インサイトは、通常の電池も乗せているが、その寿命は大体4~5年ということだが、ハイブリッド用の電池も乗せている。
その寿命は25万KM程度だという。
彼は、車にはそんなに乗らないので、電池の寿命がくる前にエンジン、車体のほうが先に壊れそうだと笑っていた。

インサイトを10年乗るつもりで購入したといっていたが、その間に、車は殆どがEV車になるかもしれない。
値段だってもっと下がっているかも知れない。

車の世界は、最も変化の激しい世界だろう。
全く様変わりしているかもしれない。

彼のことだ。
10年も経つ前に、別の車に乗り換えているはずだ!

それがベストエフォートということ??

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2010年9月 3日 (金)

太鼓叩きゲーム

本通りのゲームセンターの前に人だかりがしていた。
何事?

画面に出てくる太鼓の叩き方の指示に合わせて、太鼓をたたくゲームだ。
20歳くらいの若者が汗だくになって叩いていた。

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早く叩いたり、淵を叩いたり、かなり長時間叩く。
それもびっくりするほど、上手い。

終わると点数が表示される。
彼は軽く10万点を越えていた。

見ているだけでも結構面白い。
人だかりがするはずだ。

人がゲームに夢中になっている姿が、ショーになると、初めて知った。

この「太鼓の達人」というゲームはナムコが開発し、2人が並んで、音楽に合わせて叩き、その正確度を競うゲームのようだ。
難易度も指定できるようになっている。
下手は下手なりに楽しめるようになっている。
太鼓を叩けば、そりゃ誰だって気分がスカッとするだろうと思う。

「太鼓の達人」のゲームの全国大会もあるようだ。
広島県の大会もあるのだろうか。
調べて、今度見に行ってみよう。

佐渡の鬼太鼓のグループ初め、全国には幾つもの本格的な太鼓のグループがある。
それはそれで素晴らしいことだが、なにもそんなグループに入らずとも、この太鼓叩きゲームならだれでも、気の向いたときに、いつでも参加できる。

面白いことを考える人が、日本には沢山いるもんだと感心した。

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2010年9月 2日 (木)

親子丼

先日、女房が実家の両親の介護で、家を留守にしている時、料理なんかできないから、仕方なく、レトルト食品の親子丼を食べた。

これが、結構美味い。

時々料理するのも面倒な時は、レトルト食品を食べるが、このハウス食品の「ふんわり親子丼」は、味だけでなく、食べるまでの仕組み極めて簡単だ。
上手く考えられている。
感心した。

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まず、紙の箱を上下2つに切り離し、中のビニール袋を取り出す。
中袋の上を切って、そこに生卵を溶いて入れる。
レトルト食品だけだとちょっと味が落ちる。
だから生卵を使うというのは上手いやり方だ。
通常であれば、そこで袋の中身を陶器のお皿に移すとか、鍋に移してレンジにいれる。
ちょっと面倒だ。

それが、これは、外箱を折り曲げて、ちょっと深めのお皿状に組み立て、そこに中袋を入れて、レンジで4~5分間熱すればいいようになっている。
上手く考えられている。

コンビニで買うおにぎりも、三角形の端1か所を引っ張れば、自然と外紙が外れるようになっているのにも感心したが、この親子丼のレトルト食品には感心した。

レトルト食品という技術は、そもそも日本独自に発展したものらしい。
アメリカに住んでいる頃、レンジで熱すれば即出来上がりという冷凍食品・TVディナーというのを良く食べたが、冷凍技術の発展していなかった日本では、常温でも保存が効くというこのレトルト食品の技術が開発され、発展してきたという。

日本人の匠の技がこんなところにもあった。

これだけ多種多様なレトルト食品が充実してくれば、女房がいなくとも生きていける?
だから、近頃の若者は結婚しなくなった?

ちょっと違うと思うけどなー・・・

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2010年9月 1日 (水)

比治山スカイ―ウオーク

比治山の東、ショッピングセンター・サティーの駐車場から現代美術館に上がる斜面に、動く歩道・通称「スカイウオーク」がある。
施設は随分と立派だが、いついっても、人は殆どみかけない。

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8月21日の中国新聞には、広島市の「事務事業見直し等検討委員会」で「比治山スカイウオーク、廃止で一致」と出ていた。

スカイウオークの竣工は1998年、総工事費17.6億円。
内訳は国の補助金5.3億円、市の負担は12.3億円だ。
維持管理費は今年度2041万円で、年間利用者は25.8万人ということだから、広島市はスカイウオークを使う人に、1人あたり約80円あげていることになる。
上り下りで使えば、160円ということになる。
結構な額だ。
維持するだけで、この12年間に、2,4億円以上かかっていることになる。

竣工後12年も経てば、そろそろ機械部分だけでなく、あちこちにガタがきているはずだ。
あと数年の内に、一般的には、改修費だけでも10億円近くになると思われる。

車椅子でも乗れるということだし、近くの住民の散歩コースにもなっているだろうから、「廃止なんてもってのほかだ。存続すべきだ」という要望もでてくるだろうと思われる。
「折角つくったのだ。壊すことは勿体ない」という抵抗感だってあるだろうと思う。

それならこの際捨てるのでなく、
例えば「カイウオークを、アストラムラインの広域公園駅から、ビッグウエーブまでの間の連絡用の動く歩道として移設する」ということも考えられる。

アストラムラインの広域公園駅からビッグウエーブまでは約800Mある。
距離があるし、上りだから結構疲れる。

スカイウオーク、は総延長:207M、うち動く歩道部分は77Mと短いが、エスカレーター部分だって、動く歩道として使えるはずだ。
200Mも、動く歩道があれば、歩くのも随分と楽になるはずだ。

スカイウオークの動く歩道部分は、上りと下り両方ある。
それを全て上り専用にすれば、約400Mの歩く歩道ができることになる。

そうなれば、更に楽になると思われる。
ビッグウエーブの利用者だって、増えるかもしれない。

しかし移設するといっても、そこそこ工事費はかかるはずだ。
解体して、移設となれば、殆ど新設するのと同じくらいかかるかもしれない。
再利用するということも、そう簡単なことではない。
再利用はお金の問題ではないといえばない。
それにして、それだけの工事費をかけてもいいのかどうかという議論が、まずは必要だろう。

それにしても「あった方が便利だが、費用対効果を考えたら、無くてもいいよね」というものが、世の中には多すぎる。
「増築」という言葉はあっても「減築」という概念はいままでなかった。
しかし持っていればお金と時間がかかる。
建築物は通常寿命がつきて、解体するまでの費用を含めると、建設費の4~6倍かかるといわれている。

「不要なものは捨てる・再利用する」ということを、もっと真剣に考える時代になったようだ。

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