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2010年8月10日 (火)

「広島一中」慰霊祭

 7月の最終日曜日は旧制・広島一中(現・国泰寺高校)の原爆で犠牲になった生徒職員の慰霊祭だ。25日、朝からの炎天のもとしめやかに一足先に65回目の慰霊祭が行われた。

 我が家のベランダからすぐ下にある慰霊碑前は昨日から14~5張りのテントで式場が用意され、今朝は早くからブラスバンド部が吹奏の練習をして準備を整えていた。

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 一中は雑魚場(ざこば:現国泰寺町)で建物疎開に動員されていた一年生287人を中心に366人の犠牲者が出た。市内の中学、女学校の一年生は大部分が中心部の空襲時の延焼を食い止めるために民家を取り壊して防火帯をつくる建物疎開に動員され、一瞬にして数千、万の広島の若い英知と命が奪われた。

 あの日、西条の西部にあたる寺西国民学校一年生の私は自宅にいた。あの時間の直前にパラシュートが降下し、山の端に隠れる様子を見た。午後になって、怪我人を国立広島療養所に運び込む多くのトラックを見た記憶もある。

 私は国泰寺高校を目の下に見るこの地<中区小町>に移り住んで31年になる。
 現役時代は知らなかったがここ4~5年は毎年「旧制・広島第一中学校の原爆犠牲者の慰霊祭」を我が家から見守ってきた。子どもたちのご両親らしき姿は見られない…。

 この慰霊碑に佐々木和成の名前が刻まれている。身内ではないが田舎で隣の6歳上のお兄さんだった。当時、田舎の同級生で仲良しの3人組がいた。和成さんに2中のHさんに県工のSさん。毎朝揃って西条駅まで徒歩で30分余の道のりを歩き、列車で一時間かけて広島駅に着き、また歩いて30分、少なくとも片道2時間余りかけて通学していた。
 あの日も3人揃って西条駅まで行ったが県工のSさんはお母さん(実母が病死後入籍の義母)が寝坊をして弁当が間に合わず、駅で休校を決め込んで返ってきた…。

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 お母さんの寝坊が結果的にSさんの命を救ったことになった。和成さんもHさんも遺骨も遺品も見つからないまま65年を経て来た。こんな話はあちこちにいっぱいある。

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 もちろん和成さんのご両親は20年前?になくなり兄弟が式典に参列されていたが今はどうしておられるか知らない。
 和成さんと一緒に遊んだ記憶はないが私より一歳上の弟さんとよく遊んでいたので可愛がって頂いた。

 午後に一年振りに一中の碑にお参りした

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