三菱の韓国人徴用工被爆者の記録・写真集出版
在外被爆者補償の原点となってきた三菱の韓国人徴用工被爆者闘争を写真で綴る記録集『恨・ハン・三菱・廣島・日本~46人の韓国人徴用工被爆者~』が出版された。
三菱の韓国人徴用工被爆者の問題は歌人で戦時中三菱で徴用工の訓導として彼らの指導を担当していた深川宗俊さんが昭和20年の9月15日に帰国する241人の徴用工を広島駅で見送った事に始まった。
それから28~9年後、広島駅で見送った徴用工と家族5人の誰一人も帰国していない事を知った深川さんは一人、軍事政権下の韓国へ一人で、度々足を運ぶ追跡を始めた。
私は深川さんと知りあって間もなかったその頃、強い興味を抱いて深川さんと一緒に三菱に足を運び、東京転勤後は三菱本社にも度々足を運び、取材班を組んでフォローしてニュースや記録番組に取り組んだ因縁がある。
戦争末期の日本は労働力不足を補うために、植民地だった朝鮮で「徴用令」を創って、紙切れ一枚で多くの朝鮮人を日本各地の軍需工場やダムなどの工事現場に強制的に連行して、過酷な労働を強いた。三菱広島でも2800人もの韓国人徴用工が被爆している。
深川さんが見送った246人は9月17日に九州から西日本全体を襲った枕崎台風に遭遇し帰国途中の船ごと壱岐対馬付近で遭難した…追跡結果、おおよその推測が出来る状況にあったが結論を得るには至らないままになっている…?
一方、その後帰国した元徴用工たちは後遺症や生活苦と闘いながらも1995年に46人の徴用工が「未払い賃金の返還」と「日本の被爆者と差別ない援護」を求めて提訴した。
‘07年、最高裁は「在外被爆者の排除は違法」と断定し、全員の損害賠償を認めた。
この判決は後に多くの在外被爆者への援護につながる大きな意義をもたらした。
しかし、三菱の未払い賃金や慰謝料、謝罪の言葉すら得られなかった…無念の思い。
裁判や元徴用工を支えて来た多くの個人やグループの人達は「心の中に積もりに積もった不正義に対する無念さ・悲しみ・怒り」を『恨(ハン)』に込めてこの世を去った人達の思いと、加害の責任を背負っている広島の責任を果たす思いも込めている…。
8月6日発行、書店に並ぶ。 編集:三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会。創史社、2200円+税
« 「広島一中」慰霊祭 | トップページ | 扡デジ移行まであと1年、大丈夫?… »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 買収でなく 投資ならいい?(2025.02.11)
- アメリカ・ファーストの先は・・・・・(2025.01.24)
- 妥協点は「130万円の壁」になる!?(2024.11.25)
- 斉藤元彦氏が当選!(2024.11.23)
コメント