桑田真澄の「心の野球」②
人生の様々な局面でどう考え難局をのりこえたか…。今どき余り謳われない桑田流プロ精神やスポーツマンシップを説いた清々しい野球論・人生論と言える。
桑田は‘95年5月24日、阪神戦でファールボールをダイビンクキャッチして肘を怪我して大手術をした。
この時、病床で自分の歩んできた道を振り返って到達した。
お金や記録やタイトルはあの世に持っていけない事に気付いた。「リハビリを乗り越えて復帰出来たら“心”を大事にした野球をやろう。人間にとって最も大切なものは金や権力などではなく“心”なんだと云う事を、野球を通じて導かれた。それが「心の野球」だ…。
単に野球が上手ければ良いと云うのではなく、人間として社会人としての教育をすることは球団に課せられた責任なのではないか。…僕の考え方は今の時代にそぐわないのかも知れないが、金銭至上主義の世の中で心とか情とか、そういう言葉を口にしたところでナンヤネン?と思う人は多いかもしれない。それでも僕は最後までそういう生き方をしたいとし、逆境をチームの和と結束して結び付けたいとまで思っている…。
成長段階の身体に見合わない過酷な練習メニューを課すのは絶対によくない。…1000回の素振りは逆にペース配分を筋肉に覚えさせる丈…50回の全力素振りの方が効果的だ。
脳や身体が手抜きを覚えてしまっては意味があない。選手より指導者の養成が急がれる。
「 表の努力」と「裏の努力」が出る。表の努力はランニングやピッチングなど技術体力付ける練習だが裏の努力はトイレ掃除だったり草むしりに挨拶や返事にゴミひらいに玄関先の靴の乱れをそろえたり…桑田は高校の寮生活で人知れず実践した。
小説を読んだり絵画を観たり…野球選手にとってはどうでもいいことだと云う人もいる。しかし、それでも本物に触れ経験し、自分の目で観る事に勝る者は無いと考えている。
そういうことが自分の人生を豊かにしてくれると思う。それは必ず野球にも影響してくると考えている。ユニホームを着ている時以外は人間力を豊かにする努力をすべきで、野球丈出来てもダメだ…。生活の総てが野球の為だと云う徹底した意識の持ち主が<本当のプロフェッショナル>と定義している。
スポーツマンの人生哲学。反発の声もあろうが…爽やかで期待以上に面白い一冊だ。
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