広島ブログランキング

  • 広島ブログ
無料ブログはココログ

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月

2010年7月31日 (土)

TV・映画で見た車―広島市交通科学館

広島市交通科学館で映画・TVの中でみた懐かしい車を一堂に集めて展示している。
意外と面白い。

玄関を入ってすぐのところには、1977年から放映された「ウルトラマン・ダイナ」で使われたという車が展示されている。
本物だという。
ヘーッ。
主演のアスカ・シンは、今一番女性に人気があるという「つるの剛史」だったというのが可笑しい。

ボディーは改装され、いかにも頑丈そうだ。
屋根の上には、パラボナアンテナと2門のレーザー砲を装備している。
どんな荒れ地でも走行でき、最高時速600km/hと、とんでもない速度で走ることができるという。
オフロード車といえば、イメージとしてはあのパリ・ダカールラリーを制覇した三菱のパジェロを思いだすが、この車はホンダのCR-Vを改装したと書かれている。

1_5
2階に上がると、「007は2度死ぬ」で、ジェームスボンドが乗ったというスポーツカーが展示されている。
トヨタの2000GTだ。
体の大きいジェームスボンドに合わせ、オープンカーに改造してあるというが、なかなか恰好いい。
近頃の若者は車に対して興味を示さないというが、こんな車なら誰だって乗りたくなるだろうと思うが、そうでもないのだろうか。

スティーブン・スティルバーグ監督の映画「ET」に使われた自転車も展示されている。
10歳のエリオット少年が、ETを自転車のバスケットに乗せて、満月を背景に夜空を飛んでいくときに乗っていた自転車だ。
私は、映画そのものは見たことはないが、そのシーンだけは鮮明に覚えている。
美しいシーンだ。

なんとこの自転車のメーカーはKUWABARAという日本の会社だという。
こんなところにも、日本の技術があったとは知らなかった。

映画「ET」は1982年の公開だそうだから、もう28年前の作品になる。
自転車の車輪は16インチと小さく恰好いい。
赤と白のカラーリングも奇麗だ。

この自転車は全世界で売れるヒット商品となったようだ。
レプリカでも39,000円もしたという。
映画で使われた本物は、2007年にトム・モーガンが1万ポンド、231万円で購入したという。

近頃流行りの車輪の小さい自転車は、この映画に使われた自転車に始まるのだろうか。

展示されている車1台1台に、ストーリーがある。
今回は計13作品に登場した15台が展示されているという。
15の物語があるわけだ。

車は、見るだけでも楽しいが、映画、TVのストーリーを知れば、より面白くなる。
いい企画だ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月30日 (金)

廣島市猿楽町十五番地 「拝啓 原爆ドーム様」

原爆ドームの脇を通ったら、数人の人たちが「憲法9条を守ろう」と呼びかけの歌を歌っていた。
広島にあっては見慣れた光景だ。

そのすぐ脇の木陰に、四角い白い木の箱が置かれている。
50CM四方で高さが2M位の大きさだ。

掃除器具でも入れているような感じで置かれている。
最初は、なんのために置かれているは箱がちょっとわからなかった。

一部がガラスになっていて、中にはかなりの量の葉書が入っている。

良く見れば、説明用のプレートも貼られている。
読んでいたら、STAFFとネームプレートを付けた女性が近寄って来て、色々説明してくれた。

1_4

『あの日、失われた住所に、平和のメッセージを送ろう』

『原爆ドームあてに「平和」の2文字とそれに込めたメッセージを葉書に書いてお送りください。
あて先の「廣島市猿楽町15番地」は原爆ドームの原爆投下時の住所で現在は存在しません。
65日間、今回だけ特設されたこの郵便受けに配達されます。
葉書はその後広島県立美術館で開催される「廣島から広島、ドームが見続けた街」展会場で展示されます。
NHK広島放送局のホームページでも公開予定です』
と書かれている。

箱の中にある葉書はすでに届けられた葉書ということだ。
平和と大きく書かれた葉書もあれば、なにかイラストが画かれている葉書もある。

主催 NHK広島放送局、広島県立美術館、広島市
協力 日本グラフィックデザイナー協会、広島アートディレクタークラブ
とある。

それにしても、ちょっと見ては、何の箱かわからない。
ポストの投入口も使える時間も今は限られているようだ。

ドームを見たとき誰もが、衝撃を受ける。
そうした感激を、その場で書いて、即ポストに入れられるようにしたらいいのにと思う。

しかし、多分問題はこうして受け取った葉書を県立美術館で展示した後どうするかだろう。
どうするんだろう。

人々の思いの籠められた葉書を、役割は終わったからと言って、捨てるわけにもいかないだろうし、そう簡単に焼却するわけにもいかないだろう。

広島に届けられる折り鶴と同様、永久保存し、展示するのも1つの方法だ。

それにしても面白い試みだ。

広島だからこそ、可能な「葉書アート」の世界だ。

今回の試みは、県立美術館の被爆65年を記念しての「廣島から広島」展の一環としての事業のようだ。
しかしこの「拝啓原爆ドーム様」は今年だけに限定せず、毎年8・6の企画としてやったらいい。

この試みの輪が更に広がり、世界中から「平和の葉書」が届くようになったら素晴らしいことだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月29日 (木)

里美さんの絵本出版

 里美さんと言ってもどこのどなたか判らないが米国の市民や子どもたちに「ヒロシマを出前する」NAC・ネバーアゲインキャンペーンの初代大使と言えば「ああ、あの里美さん」と思いだして頂ける方はいるだろう。

 25年前、兵庫県で英語教師をしていた北浦葉子さんが米国の大学で平和学を指導していた教授の協力で創ったボランティアグループNACは一般から公募した若者を単身でホームステーしながら教会や学校で原爆映画の上映や被爆者の体験を伝え、日本文化の紹介を1年にわたって行う…企画を立てて実行した。

 その最初の大使が当時21歳の中村里美さんだった。‘86年に「少しでもいいからヒロシマを伝えたい」と言う情熱でたどたどしい英語で奮闘する姿をRCCのカメラが追って「ヒロシマって なあに」を制作。全国で優れた平和話活動として高い評価を受けた。

 帰国後、里美さんは多言語による雑誌の編集に携わりながら原爆をテーマにした朗読劇の上演や歌の制作にも取り組み、シンガーソングライターとして2年前から、ライブ『私のヒロシマ・ナガサキ』を全国の小中学を中心に1000回公演を目指した展開もしている。

1_2

 最初の民間大使の役割を自分の一生の仕事として挑戦してきた里美さんが初めて“サダコさんと「原爆の子の像」を創った子ども達のお話“を日英対訳の絵本に完成させ出版に漕ぎつけた。

 今月28日から広島に来て30日に国際会議場で開かれる『22回市民平和の集い』で「アオギリにたくして」や[MOTHER]などを歌う。その後は鳥取、岡山、山梨とライブを続け、秋にはニューヨークのカーネギー財団の庭に被爆アオギリの孫苗を植樹し米国での初ライブにも挑戦する。
 渡米はNACの大使以来、25年振りで日英対訳の絵本「おりずるにのって」がアメリカの子どもたちに届けられます。
 あれから25年,NACは50人もの民間大使を贈り続け、NYのテロ事件以後規制が厳しく暫く休んでいたが今年10年振りに再挑戦する準備に追われている。
 同時に、尽きぬ思いを追いつつ頑張り続ける里美さんのライブや講演や出版とりわけ米国での活動が成功裡に進むことを願いエールを送りたい。頑張れ!!里美さん!!!

問い合わせ:http://musevoice.com/satomi/   E-mail *info@musevoice.com

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月28日 (水)

豪雨休校

 孫達が今日で3日間、連続して時ならぬ豪雨による臨時休校を経験している。

 高校一年になった颯太と中学一年の大直の二人は小中学校時代の台風時期やインフルエンザ流行時期の休校は度々経験している。しかし、豪雨による休校は初めてで戸惑いながら雨が収まるのを待っている。

 報道によると13日の県内の休校は公立の小中学898校中367校(14万1522人)
高校77校、始業開始遅れ32校、授業の途中打ち切り24校で、私立でも35校が休校(1万9000人)。本日14日は公立小中学が438校、高校76校。私立小中高校42校に及んだ。

 雨や風による休校の基準は学校のある地域に大雨・洪水・暴風などの内“2つ以上の警報”が同時に出されていれば休校で、学校ごとに緊急連絡網を通じて各家庭に連絡が入る。

 初日の12日、私立高校一年生の颯太の場合”2つの警報“が出ていたが、なかなか連絡が入らないうえ学校にもクラスメートとも連絡がつかず、期末テスト2日目だったのと7時過ぎには小降りになったので一旦、登校した。連絡が入ったのは颯太が学校に付いた頃。
 結構多数が登校していた様だが、既に休校は決定後なので引き返してきた。
 国立中学1年の大直は自宅待機、午後の事業は見送られ結局休校になった。
 府中町で小学1年の麻央は午後の授業が打ち切りで、結局全員3日間が休校となった。

 冬のインフルエンザ流行時期の長期休校や学級閉鎖、台風による休校は年中行事のようなものだが、この時期の雨による休校は子どもたちにとっては初体験。
 期末テスト中の颯太はすっかり腰を折られた気分のようだが天災のこと、仕方が無い
 大直は初めての期末テストは終わったばかりなので、のんびりしているようだ。

 ウイキペディアによると台風銀座として年に5~6回は大型台風に見舞われる台湾では2000年に『自然災害休業休校措置法』を制定して天災発生時の公的機関や学校、銀行、公共事業、公共交通などの臨時休業が法的に実施され民間もこれに準じて行っているようだ。
 しかし、日本では全国を括った災害時の休校基準は法制化されていない。
 学校の臨時休校はその都度、県と市町村の教委の判断で行われている。
 インフルエンザによる学級閉鎖や休校の基準を設けている県はかなり多いが、雨風の天災による基準は“同時2警報発令”が日本の一般的基準で最終的には各校の判断になる。
 この時期とは言え、臨時休校は極めて稀な事で、今年の梅雨の激しさを物語っている…。各地で被害が発生している。今後、雨の被害が少ない事を願うばかりだ。≪14日:記≫

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月27日 (火)

民主大敗と首相発言

 投票日の朝刊に写真のような民主党の全面広告が掲載された。『菅直人です。率直にお話しします』のタイトルで所謂“説明不足"の消費税問題発言の弁明…だった。

1_3

 拝啓、国民の皆様…なる一文は「…消費税が明日にも上がるのではないかという唐突な印象を与えたかもしれません。説明不足でご心配をおかけしました。…私は市民運動から政治を始めた誰よりも庶民の側に立ってきた自負がある…。もし、消費税を変える時には必ず国民に信を問います。先ずはこの夏、税についての議論をスタートラインに立たせてほしい…。強い社会保障と強い経済、強い財政を立て直し国の希望を取り戻す力を貸して…」と、正しく最期のお願いで…であるが、まるで闘う前の弁明“敗北宣言”ではないか?
 選挙戦のスタート前に出すべき、マニフェストではないか。

 政権交代後、鳩山首相は「4年の間は消費税の値上げはしない」と公約していた。
 菅さんが就任後、消費税や税制について深い発言はしていなかった。それが、選挙戦に入るや否や「自民党の10%アップ案に添った検討…」との発言をした。

 選挙を控えて増税を掲げることがいかに”危険球“を手にする事かが判らないはずはない。
 従って、あえて触れたのは「自民党の増税案を逆手にとって…」との思いがあったのかもしれないし、本当に税収の減って行く国を憂いての発露とも考えられなくはない。
 それも3年以上先…との思いもあったのだろう。
 それなら、なぜ企業が内部留保でため込んでいる分を吐き出させないのか…自民党と同じ立場ではあるまい…市民運動出身の政治家らしい発想が出来ないのか…。
 あれでは正しく国民には寝耳に水の“消費税値上げ”推進論?
 驚きで真意を測りかねて不信感を膨らませた…。

 批判の声が上がり始めると途中から「還付」方式を言いだした。還付の対象を300万円以下とか250万円、350万円、400万円と思い付きとしか受け止められないように数日間でぶれにぶれてしまった。

 そう言えば就任直後の「小沢さんには自分の為にも党の為にも当分静かにしておいてほしい…」との発言には党内から強い反発が出ていた。
 沖縄問題に政治とカネなどこの10ケ月に期待しても応えられなかった問題が複合的に絡み合って期待を裏切る形に拡大した。

 マスコミの過剰反応も手伝って世論調査ではせっかく挽回した支持率はたちまち低下に直結して現れた。小沢派など党内からも批判の声が上がるに至った。

 投票日の全面広告は国民に真意が伝わらない民主党の慌てぶりを如実に示したもので、結果を予測しての最後の訴えとなった…事が逆にこの広告から推測できる。

 未明の記者会見で菅首相は敗北の原因について「私が消費税に触れた事が唐突な感じで国民に伝わった、十分な事前説明が不足した事」が大きい…「ギリシャのような事態に陥らせない…という強い思いがあった」と反省の弁を述べた。しかし、誰もすっきりしない。

 菅首相は財政再建を最重要課題として掲げ、参議院の勝利で政権基盤を固めたうえで消費税など税制の抜本改革に取り組む…道筋だったに違いない。しかし、結果は衆参の多数派が違うねじれが国会運営を一層厳しいものにさせてしまった。

 早速、党内では菅さんの責任論が起きているが「菅首相退陣」とか「菅指示」、「小沢派」とか「反小沢」等言っている暇はない。少なくとも3年先の衆議院選には民主党が「消費税値上げ」「税制改正」を掲げて戦わざるを得ない事は間違いない。その日も為にも全党的な市民宰相の民主党らしい強い社会保障、強い経済、強い財政を立て直せる政策作りに火の玉にならなければなるまい…政権建て直しこそが最大の急務だ。<12日:記>

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月26日 (月)

広島で次世代のガン治療装置の開発

 狙った病巣だけをピンポイントで連続照射するガンの放射線治療装置が広島の三菱重工で開発された。呼吸などで揺れ動く肺ガンの病巣の動きをリアルタイムに追尾する機能を搭載し、効率よく患者への負担が少ない新兵器だ。

1

 三菱重工と言えば日本の代表的な重工業メーカー戦前は日本の軍国化の支えとして兵器や軍需品製造で発展し、戦後も造船・自衛艦や航空機(YS11)などの製造で日本の高度成長を支え、宇宙航空や原子力発電に近年ではジャンボ機のボディー製造などで知られているが医療器具の開発も手掛けて来た。

 三菱重工のHPを開いてみると機械工作や印刷機械などで培った経験と技術を基に京大と先端医療センターと共同で、‘04年にガン病巣への照準合わせが簡便な放射線治療装置の試作機を開発したのを機会に医療分野への本格参入をした。
 ‘08年1月に新機種の製造承認を取得して広島の機会事業部を拠点に開発してきた。

 HPによると、開発された「動体追尾商社機能」を搭載した治療装置は、横たわった患者のガン病巣の位置情報を自動的に把握し、放射線を照射する。
 従来の装置では技師が手作業でコンプーターを操作して照射の位置を修正する必要があって、負担が大きかった。新機種では病巣の位置が変化した場合でも、自動で放射線ビームの方向を変えて病巣だけを集中的に狙えるという。
 呼吸によってガンの病巣が動きやすい肺がんの治療に効果を発揮できると見ている。
同病の私がお世話になる可能性もあり、同病者からの期待は極めて大きいと思う。

 三菱重工はこの新機種の開発を弾みにして、医療機器の開発・製造・販売を更に強化推進する…方針だ。販売は当面、年間5~6台を目指すが、既に日米政府の承認を受けており、世界各国へ普及も期待される

 先週は岡山大学の新しい肺ガンの摘出手術後に戻す移植方式の「自家移植」手術のニュースに接した。相次ぐ最先端医学の進歩は肺ガンだけでなく多くのガン患者に勇気と生きる希望を与えている…と確信する。

 日々進化・発展する医療や科学、取分けそこに専念する人達に対して期待と尊崇の念を捧げたいと思う…。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月25日 (日)

羽田空港ビルのオープン・カフェ

羽田空港の第2ターミナルビルの出発ラウンジに、ちょっと面白いオープン・カフェがあった。

白の丸テーブルに赤白の椅子が置かれ、いろんなタイプのテーブル、椅子が置かれている。
エスカレーターの脇の壁に向かってのテーブルでは、パソコンのコンセントがあるからのだろうか、仕事の延長だろうかパソコンを使っている人がいる。
大きなちょっとクラシックなテーブルとイスには、女性のグループが座っている。
もう帰るだけなのだろうか、ビールを飲んでいるグループもいる。

生ビールは540円、枝豆が300円だ。

上から見ると、花が咲いたように奇麗だ。
真ん中に大きなヤシの木が置かれ、周りを大きな鉢に植えられた木が囲んでいる。

1_4

ここのゾーンだけが、空港を忙しく行きかう人の雑踏の中で、なんとなくホッとする空間になっている。

多分、設計段階ではこんな利用の仕方を想定していなかったのだろうと思う。
お店とオープン・カフェの間には、上に上がるエレベーターの通路が通っている。

ビルがあまりにも長くなってしまうことを嫌って、ドッグレッグさせたことで、オープンスペースができてしまったのではないだろうか。

それが数年前に、「ねんりん屋」がテナントとして入ったことで、はっきりとオープン・カフェとしての使い方になったように思う。

空港のゲートの前は、椅子が整然と前を向いて並べられているのが普通だが、
それがここでは、多種多様な椅子、テーブルが、かなりゆったりと、思い思いの感じで置かれている。

きちんと最初から計画された空間でなかったことが、逆に様々な利用形態を生み出し、ホッとする雰囲気を作り出しているようだ。

想定外というのは、人生も楽しくしてくれる???

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月24日 (土)

山手線のホームドア

先日JR山手線に乗ったら、電車がオーバーランし、改めて戻って止まった。
珍しい。
窓の外をみたら、ホームに、いわゆるホームドアが取り付けれている。
そのホームドアの位置と、電車のドアが合っていなかったようだ。

運転手がまだなれていなかった?

1_3

恵比寿駅のホームドアの設置は、JRの在来線としては、初めてのようだ。

JRとしては目黒駅にも8月末に設置し、2年間かけて検証し、2017年に全29駅に取りつけるという。
JRらしい慎重さだ。

「山手線ホームドアの開閉部は高さ1.3メートル、幅2メートル。足元を見やすくするために一部をガラス化し、乗客や荷物が取り残された際に検知する高性能センサーを備える。恵比寿駅に加え、8月28日に使用を始める目黒駅(品川区)の2駅で2年間かけて検証。結果を踏まえ12年度から本格的な工事に着手する計画だ」という。


駅の事故は多い。

酔ってホームから転落したとか、突き落とされたとか、乳母車が落ちたとか色々ある。
自殺も多いようだ。

後ろから来る電車に気付かず、ホームのヘリを歩いている人もいる。
そんなのを見ると、見ている方としても気が気ではない。

そうしたことへの対策としては、ホームドアは極めて有効だと思うが、取り付けたはいいが、寄りかかったら、倒れたではもっと危険だ。

慎重を期すのは悪いことではない。

ホームドアを取りつけたら、全ての電車が同じ位置にドアがなければいけなくなる。
山手線にも1両についている扉の数が、4つと6つの車両があるようだ。
今後は、全ての車両を4扉にするようだが、その数が違う電車は走らせられなくなる。

色々問題はあるようだが、乗客の安全のためには、ホームドアは極めて有効なことは確かだ。
「安全」はお金と時間がかかる。
維持管理も大変だろうが、頑張るしかない。

JR西日本も是非検討して欲しい。

路面電車はホームドアというわけにはいかない。
難しいなー・・

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月23日 (金)

ひろしまアートパーク かみやちょう

本通りの西ゾーンに建つ「アーバンBLD紙屋町」ビルの入り口で、フリーマーケットのような感じで雑貨を売っている。
横の壁には大きなポスター「ひろしまアートパークかみやちょう」と書かれている。

アートパーク?
何、それ?
面白そう、と入って見た。

エレベーターで4階に上がると、小さなお店が雑然と並んでいる。
フリーマーケットのようだ。

洋服あり、カバンあり、ビーズの装飾品あり、なんでもありだ。
フリーマーケットと違うのは、そうした品物の全てが、自分達の手作りということのようだ。
ほんとに狭いスペースにびっちりと並べられている。
作った人の熱気が伝わってくる。

作品の脇で、作り方を教えている人もいる。

次のテナントが決まるまでの間ということでだろう、天井はむき出しのままだ。
冷房が効いてないから、暑い。
あちこちに扇風機が置かれている。

この手作り感がまたいい。

1_2

広島にはこんなにも沢山、手作りに凝っている人たちがいるというのにはちょっと驚いた。
そういえば、この広島ブログにもその手作り作品を発表しているコラムが何件もある。

手作り作品=確かにアートだ。

そうした人たちが自分の作った作品を、誰かに使って欲しいと思うのは当然のことだろう。

私も昔絵を描いていた頃、展覧会で「この絵を欲しいから、売ってください」といわれたときは、嬉しくて、感激したことがある。
そんな時代を思い出した。

そうした感激を、もっと沢山の人たちに味わって欲しいというのが、今回のイベントなのだろう。
いい企画だ。

それを空いているビルの中でやろうというのもいい。

「ビルの中に、アートの公園を」というテーマ設定がいい。
「アートパーク」とは言いえて妙だ。

宣伝用パンフレットを読むと、
「何をするか、いく日やるか」は自由。
主婦の手作り雑貨のフリーマーケット、
カフェ、
似顔絵パーフォマンス、
音楽の演奏、
と何でもありのようだ。

2M四方、34区画
1区画1日1,000円という。
1日の出品もOK、ということで「ワンディオーナーシップ」というネーミングもいい。

1カ月借りると約3万円ということになる。
1人でやるには出品する品物もないということであれば、数人でやれば、品物も揃うし、安くできる。
却ってそのほうが面白いお店ができるかもしれない。
お店の売り子も何人かでやれば楽だ。

今回はギャラリーG、広島リビング新聞、アキハバラ塾等の共催のようだ。
会期は6月26日から8月29日までだ。

棚、ブース、照明を奇麗にしたら、もうちょっと洒落た展示になるだろうにとは感じた。
油絵だって額縁で決めるという。

回を重ねればばそうしたことへの配慮もされるようになるだろうと思う。

今回の催しが上手くいけば、次は市民球場跡地の広場でもっともっと大々的にやったらいい。

「被爆の悲劇から立ち上がった広島を表現することで、原爆について考える場にしたい」とするという。
なにもそんなに力まないでもいいのではいう気もする。

しかしこんな楽しい催しがあるのも、広島ならではのことだ。

成功を期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月22日 (木)

NHKの相撲協会への“待った”の真意

 大相撲の賭博問題でNHKは6日「名古屋場所の中継放送をTV・Rとも行わないことを決めた。昭和3年にラジオ放送を初めて以来83年にして初めての“待った!”はNHKが今後の相撲協会の再発防止取り組みに突き付けた厳しい関門だが、先ずは“妥当”な軍配だ。

 再三にわたって「公益法人返上の覚悟で改革に取り組め!!」と指摘してきた。
 野球賭博に対する相撲協会の4日の処分について当ブログは「協会自身が地方巡業でヤクザに勧進元を依頼するなどの歴史や背景」に目をつむって「相撲協会自身の責任と法令順守の基準」を示さず「個人の責任だけを厳しく求めた」『トカゲの尻尾切り』と批判した。

 昨日6日の記者会見の冒頭でNHKの福地会長は「相撲協会に再発防止に具体的な取り組みを繰り返し注文した。が、コンプライアンス(法令順守)を確立する姿勢が見られない限り視聴者の理解は得られない」と述べている。当ブログの指摘と同じ感覚だ。

 今朝の報道によると、NHK内部検討で“中継見送りのキッカケ”は、会長の「皆どう思う。こんな状態で中継は出来るのか」に始まった。NHK幹部の一人は「NHK内部で育った人間にとって相撲中継は当然のことで、中止など全く浮かばない発想」と発言している。

 NHKは当初、相撲協会が名古屋場所を開かないと見ていた節が強い。所が、相撲協会は早々と開催を決め、文科省も追認するに至って独自の判断を迫られた形になった…!?
 相撲協会が理事長代行を内部の親方を当てようとした時、福地会長は「あの協会の常識は社会の非常識、再発防止策を本当に示せるのか」疑問をはさんだ。6日に村山理事長代行の訪問を受け「武蔵川理事長は謹慎が解除後に復職する」という説明に福地会長は「改革への道筋が出来るまで代行が職務を担うのが筋」と切り込んで協会への不信感を突き付けた。
 しかし、何ら具体策は示されず「改革への具体的な道筋は見えない…」と中止を決定。

 不祥事続きのNHKを建て直すため2008年、アサヒビールの相談役から招かれた。放送事業を全く零から見直して再建?した福地会長は力士暴行死や大麻に横綱の暴力事件を繰り返す相撲協会に不信感を強めていた…という。NHKでは当たり前と考えられる事態を「民間ベースの常識」で考えると、ただ頭をそろえて皆で「ごめんなさい」と言ってやり過ごしかねない相撲協会と不祥事続きだったNHKに『公益法人の甘さ』を重ねて見て気付いたのが福地会長だったのではなかろうか…。「大相撲の常識は…」はNHKにもあった…。

 会長の発想と指示で動揺が走り、本格的検討が「中止」に向けて舵取りされた…のではなかろうか。
 NHKは相撲協会が過去の暴力団とのつながりを協会の責任で関わりをつくってきた事実を踏まえて、確かなより具体的なコンプライアンスを示さない限り秋場所もそれ以降もOKは出さないと!!と言うのが、今回の“NO”の意味だ。

 今回は問題化していないが、数年に一回は週刊誌上で問題にされる”八百長“も付いて回っている。これも暴力団絡みと言われてきているだけに協会がどこまで踏み込んで改善・解決に向けて、理事長がいう「膿を出し切る」ことが出来るか…。

 NHKの今回のNOはいくら外部委員を、検察や警察のOBを抱え込んでもだめですよ!!…との警告でもある。
 正に、相撲協会は「公益法人を返上する覚悟の改革案」が求められている…ことの再認識が求められている。
 相撲協会が示す名古屋以降の抜本対策とNHKの対応が注目される。   (7日:記)


*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月21日 (水)

肺ガン患者への朗報

 肺移植の技術を応用して肺がん患者から肺を取り出し、ガンを切り取った上で元に戻す…という、世界で初めての手術が岡山大学で成功した。多くの患者が期待を寄せる朗報だ。

 報道によると岡山大学病院は今月2日、広島県の60歳代の男性患者で、ガンの進行具合から通常の手術では右肺全部を摘出する必要があると診断されていた。
 しかし、右肺は肺活量の55%を占める為、摘出すると呼吸不全になって日常生活に支障が出ることが多い…。

 今回の手術は右肺を取り出して、移植で使う特殊な保存液を注入して、冷却保存しながら詳しく検査がされた。ガン細胞が見つからなかった肺の下部を切り離して、2時間後に体にもう一度つないだ。肺の一部を戻したことで全肺活量の70%が確保された。

 私が左肺へガンの転移が見つかって2年半が経過した。
 当初、担当医とこんな会話をしたことを思い出す。特効薬の開発で戦後は著しく死亡者は減ったが患者そのものは年間数百万人発生している肺結核。かつて、戦時中や終戦直は“死の病”である一方、肺を摘出し肋骨の一部も除切したため、片一歩の肩が下がって体が傾向いた人を多く見かけた。
 子ども心に「あの人は結核だったのだ…」と見ていた。

 ガンを発病した患者から取り出した肝臓の病巣を綺麗に取り除いて他人に移植する徳州会病院の満波(まんなみ)医師の手法は活かされないのか?肺の移植やガン細胞の摘出を移植の技術を活かした手術は出来ないのか?と聞いたことを思い出す。
 医師はいま、全国の医療機関で実験的な取り組みはされている…と話していたが、今回の岡山大学の成功例は“世界初“の成果…、今後は大いに発展が期待されるのだろうか?

 岡山大は、「これまで肺全部の摘出を余儀なくされていた患者や、もともと呼吸機能が悪かった為に手術を諦めていた患者には極めて有効な治療法」と太鼓判をおしている。

 手術を受けた男性の回復は順調で手術の2週間後には退院した。
 今後、社会復帰はもちろん、ゴルフやジョギングなど軽い運動が期待できる…という。

 肺ガンはガン死亡の中でも最も高い死亡率。こうした医学の進歩・朗報は、患者に与える希望と生きる力は大きく強い。頼りになる日本の医学最前線だ。
 いま、自分がこの恩恵を受ける訳ではないが同病者として明るく嬉しい…気分だ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月20日 (火)

続・お灸の効果

 いま、腰痛治療をお灸で挑戦中。2週間目に入り明らかに歩く時や体を動かす際にあった「ピックとする痛み」が消えて来た。“お灸の効果“と言えそうだ…。

 お灸に使う「藻草(もぐさ)」は何で出来ているかご存知ですか。原料は「ヨモギ」です。
 ヨモギを乾燥させて加工したもので、今は家庭では専らせんねん灸など加工されたモグサが使われますが、鍼灸師等専門家は昔ながらの藻草を適当な大きさや硬さ、柔らかさに丸めたり三角錐状に加減して線香で点火して使います。
 子どもの頃、田舎で祖母が時々、ヨモギを摘んで乾燥させて布に包んで長時間揉みほぐして手製の藻草を創るのを見て知っていた。

 お灸はツボに温熱刺激を与えて人が本来持っている自然治癒力を高める治療法で、温熱作用で細菌を殺す役割を果たす白血球を増やする。感冒や頭痛、腹痛、解熱、止血、利尿には有効とされて、浴槽に入れたり食したりして幅広く活用されてきた歴史がある。

1

 また、体を温めるため血行が良くなり、血液の働きが盛んになり、血液の老廃物を運ぶ力が活発になるためにむくみや関節痛、筋肉痛にも効果的と言われている。
 さらに病原体が血管に侵入すると白血球が増えて退治する。また、白血球が増えることから人間が本来持っている免疫力を高め、病気になりにくい体づくりに役立つと考えられている。従って、病気にならないようにお灸で先手を打った先人の知恵は正しく優れていた…。

 西洋医学から見たお灸の効果?とは、灸で白血球数が増加することで免疫力が高まる事は立証されている。また、灸による刺激は局所の起炎物質の遊離を引き起こし、体液性調整の機構に直接影響し、更に末梢神経より中枢神経に伝達され、そこで体液に間接的に作用する…と考えられている…ようだ。

 所で私のお灸の効果?と言えば、ツボの灸は始めた頃に比べると多少は緩やかになってきたが相変わらず“アツー”です。この熱さがツボを刺激して体中の気や血液の流れを良くし、痛みは着実に改善されてきた。これは腰痛を治すのではなく、痛みを取り除くか、痛みが出ないようにするとかの対処治療になる…。効果には個人差があるが診療的にはアトピーやリュウマチ、坐骨神経痛、不妊治療、神経症等幅広い効用があるとされている。
 何はともあれ、暫くのあいだお灸による腰痛治療に専念する。効果は改めて報告する。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月19日 (月)

消えゆく故郷の学び舎

 NHK記者だった篠原一郎氏が発行している月刊情報誌「環・太田川」に連載を始めたRCC記者OBの山本喜介氏の記事を紹介する。
 「環・太田川」は2001年5月に太田川を命の水にしている4市19町の150万人地域の「太田川市民」と位置付けて情報誌を発行している。篠原氏は現役時代から農業ジャーナリストとして中国山地や太田川流域に目を注いできたベテランだ。改めて、別の機会に紹介する。
 その彼が主宰する誌に投稿を始めた喜介氏の記事は決して新しい情報ではないが、改めて「中国山地残影」の通しタイトルで「消えゆく故郷の学び舎」の実情報告に驚かされる。

 …庄原市古頃(こごろ)小学校の校門に立つ記念碑に刻まれているのは「敷地、田…寄付者○○。学校の糞尿は永遠同家ヘ無料ニテ取得セシム」学校創立の明治8年、人糞が大切な肥料で合った時代に貴重な農地の提供者に攻めてもの恩返しに、児童の糞尿たりとも永遠に差し上げたい。村人の感謝の証文だ。この学校の一年間を追ったドキュメンタリー「ふるさと~古頃小学校十人の四季」を制作。都会の学校では決して得られない夏の学校奉仕や冬の冬季学校合宿など通じて地域と学校の結びつきを描いた。その思い出の古頃小学校は‘08年3月30日で廃校になった。

 全国一と言われた広島県の平成の大合併は87あった市町村が一気に22にまで減った。
 この陰で過疎と高齢化が進む中間山村地域の学校の統廃合は当然のように勧められた。
 喜介氏の記事によると取材エリアとして駆け回った三次、庄原だけでこの10年間で急行・廃校になった学校は34校に上っている。
 県内全体ではきっとこの10倍を超える数に上るに違いない。
 実に多くの数千、あるいは数万人が母校を失ってしまった…この現実はやむを得ないだけでは片付けられない政治責任が隠されている…と言わざるを得ないと思う。

 中学や高等学校まで含めると更にこの数は大きくなる。喜介氏が開校から関わってきた県立高校の閉鎖も取り上げている。吉田高校高宮分校が県立高宮高等学校になって27年、来春閉鎖になる。県教育委員会担当していた私もかなり深く関わった。スポーツの県大会などで「相手は分校じゃ、負けたら恥で」と言われてきた悔しさから「分校の2文字を消してやりたい」と独立校の思いを強め「都市部で落ちこぼれた子どもの里親制度」「帰国子女の受け入れ」等の知恵を絞って町と一体になってハードルをクリアした。運動の推進役を務めた最後の分校長だった佐々木耕三先生は「地域の教育力が勝ち取った」との評価は今も忘れられない言葉だ。果たして今“地域の教育力”など,何処かに残っているのだろうか。
 中国山地残影(1)はまたしばらく喜介氏のライフワークの一つとして連載されるようだ。
 時に、ピックアップさせて頂く約束で、楽しみにしている。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月18日 (日)

遊覧船 バールン

元安橋の桟橋から出発する遊覧船に、中世ヨーロッパ風のデザインの船「バールン」が加わった。
この7月1日から運行を始めたという。

早速乗ってみた。

1

ちょっと小さめだが、なかなか洒落ている。
全長14M,50人乗りだ。

この船は長崎のハウステンポスから購入したのだという。

ハウステンポスは、まさにバブルの遺産そのものだ。
あまりに贅沢に作ったために倒産したともいわれている。
この船もそのハウステンポスで作られたというだけあって、内装は木の彫刻といえるほど贅沢に作られている。

船長さんもガイドも若いきれいな女性だ。

乗客は外国人の家族連れを加えて10人ほどだ。

タンブラーにいれたスタバ―のコーヒーを飲みながら、のんびりと川からの広島の街を見るのは、また違った趣がある。
太田川の違法係留の船も殆ど撤去されている。
広島の街はきれいだと、改めて感じた。

西区楠町までの往復2キロ、約25分、料金は大人800円だ。

広島に、また1つ名所ができた。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月17日 (土)

メダカ

グランパがブログに、メダカが絶滅種に指定されたと書いていた。

そういわれてみれば、昔はどこの田んぼにも、脇を流れる小川にも、沢山メダカがいたが、近頃は全く見かけなくなった。

ネットで調べてみると、ただ単純にメダカが少なくなって絶滅種危惧種に指定されたということではなく、それぞれの地域に固有のメダカが少なくなったということのようだ。
様々に人工的に作られたメダカは豊富にいるという。
中には光るメダカとして、DNA組み換えで作られたメダカもあるらしい。

そうしたこともあって、買ってきたメダカを川に放流するのは、生態系を壊すということで、止めた方がいいとかかれていた。

なるほど。

メダカを、私も数年前から飼っている。

そごうの最上階のペットショップで、物は試しと1番安いメダカを買ってきた。
クロメダカとヒメダカ。
1匹42円、10匹で420円だ。
それに、水草400円。

それを、有田だったかの陶器市で買ってきた大きなガラスの金魚鉢に入れて飼っている。
これは5,000円位だったと思う。

総額5,820円だ。

1_5

それでも充分楽しめる。

毎朝、出かける前に餌をやると、スーッと水面に上がって来て、食いつく。
メダカは結構神経質で、こちらが顔をよせると、パーっと逃げてしまう。

冬は動きも鈍くなり、あまり餌も食べなくなる。
餌やりは2~3日に1度という程度になる。

我が家では、水は水道水をそのまま使っている。
東京ではそんなことをしたら、即座に全部死んでしまうらしい。
東京の水道水は塩素が多くて、メダカには駄目らしい。

広島の水なら、OKだ。
それだけ広島の水は元々きれいだということだろう。

メダカは値段も安いし、飼うのも簡単だ。
熱帯魚のように酸素補給機がなくとも大丈夫だ。
そんなのは無い方が、メダカには却っていいとも書かれている。

広島には、めだか本舗というメダカの販売で大きな企業になった会社もあるらしい。
オーナーの二野宮正さんという方は、会社を定年で退職してから、趣味で育てていたメダカをネット販売して、それが大当たりしたという。
今ではかなりの販売額を誇る企業になったようだ。

ネットで改めて検索してみると、「完売しました」という品種が多い。
生産が間に合わないほど注文が多いようだ。

私もやって見る?
私には、そんな根気があるわけがない。

メダカのいる部屋で、iTunesの音楽を聞き、本を読んでいるだけで満足しよう。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月16日 (金)

タバコの自販機

日本全国、どこにいっても缶とペットボトルの飲み物の自販機、それに煙草の自販機がある。
こんなとこ、人が通るのというような、とんでもない僻地にも自販機がある。

あまりにもその数が多く、もう街の「ゴミ」といった感じですらある。

元安橋に近い本通り商店街のお店の横に、最近設けられた自販機はちょっと様子が違う。

建物の壁のなかに、面一で、自販機はきちんと組み込まれ、あたかも壁の模様のようになっている。
なかなか上手くできている。
脇に置かれた立て看板が邪魔だが。

1_4

タバコの自販機だから、製作はJTなのだろう。

タバコは健康に悪いと、目の敵にされ、肩身の狭い思いをしている。
そうした背景があってだろうが、これはなかなかいい。

日本国内にある自販機は何台くらいあるのだろうかと、調べてみた。
2009年現在で522万台、売り上げは5.3兆円もある。
凄い数だが、その売り上げ額の凄いのにも驚く。

自動販売機は、日本人の高度な技術が作りだした販売方法だ。

ラーメン、雑誌、新聞、おにぎり、アイスクリーム等、何でも自販機で売るようになった。
最近はICカードのスイカをかざせば、購入できるという優れ物まで登場した。

自販機は、便利だが、考えてみれば、随分と無駄な電力を消費している。
いつ売れるかもわからないような缶ジュースやコーラ、ペットボトルを24時間、365日冷やしたり、温めたりしている。
中には、直射日光に当てられ、もう少し効率的な場所に置いたらいいだろうと思うような自販機もある。

その使用電力は、足し算すれば、かなりの量、金額になるはずだ。

自販機はかなり街の景観も壊している。

むやみやたらと置かれる自販機については、環境問題への対応の仕方をどうするのか、景観への配慮をどうするのか等もうちょっと検討して欲しい。

一般社団法人 日本自動販売機工業会なんて組織もある。
ここにも沢山の天下り官僚がいるのだろうが、そうした組織が先頭に立って検討を進めたらどうだろうか。

ここに置かれたタバコの自販機は、そうしたことへのモデル的試みとして評価したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月15日 (木)

大相撲「やっぱり、トカゲの尻尾切り!?」

 相撲協会が野球賭博に対する処分を決めた。やっぱり!?と言うか、予想通りの中途半端な、個人に責任を押し付けた「トカゲのしっぽ切り」処分になった。これでは、協会の真の再生は無いままだ?いつかまた、不祥事を再発させる体質を継承した事になる…と言える?

 3日の当ブログで「相撲協会『公益法人返上』の覚悟で!!」をかいた。6月9日にも「出来るか『相撲協会』改革」でそれぞれ協会に暴力団との繋がりがなぜ出来たのか、なぜ断ち切れなかったのか?を遡って明らかにする必要を指摘した。

 相撲とヤクザ・暴力団との関わりは戦前から地方巡業を地元のヤクザに興業の勧進元を務める“持ちツ持たれツの関係”があった。従って、地方巡業には先遣隊の相撲協会の担当は地元の勧進元・ヤクザにお願いの挨拶に出かけるのは習わしは、かなり最近までは当たり前のことだった。
 警察もこれを“見逃して来た責任が全くない”とは言えない歴史的背景がある。

 そこで、今回は警察が捜査に着手しており、少なくとも全員が嫌疑なしとはいかないと考えられる。 そんな中での昨日の処分である。
 野球賭博関係とその他の賭けごとに関わった全員を並べての謝罪はいかにもマスコミ用の形式的な手続きのように思えてならない…のは私だけだろうか。
 名古屋場所開催の為の口実…と受け止める向きは少なくない…と思われる。起訴・有罪と進んだ場合はまた改めて処分をするのだろうか?

 今朝(5日)の朝日の<天声人語>が切られたトカゲの尻尾は動き回って敵の目を引き付ける役割を果たして“けなげ”…尻尾は暫くして再生する。だが、新しく生えた尻尾は再度尻尾切り機能は備えていない…そうだ。つまり生涯で一度だけしか使えない奥の手だ。
 しかし、相撲協会は何度この手を使ってきたか?疑問を呈している…昨日の処分の深刻さに当然と思いつつ、どこか腹に落ちないのは、不祥事の度に見て来た「尻尾切り」のゆえだろう…2人を除くと責任の取らせ方は甘くはないか…と。

 外部理事を導入したとは言え、早々と名古屋場所の開催は決め、理事長も場所後は謹慎を解いて続投させる。またぞろ「懺悔芝居」との勘ぐりを挟んでいる。極めて当然の指摘だ。
 つまり、相撲協会が『国技』の仮面を被って公益法人として税法上の優遇措置を受けながら事ある度に甘い処置に終始して「トカゲの尻尾切り」でごまかしてきた。
『 公益法人』を返上して民間ベースから、『国技』の意味を考えない限り再発は免れまい。
 外部理事や外部委員のよる調査委員会を設けながら『日本相撲協会自身の責任』について誰も何も触れないままだ。歴史を踏まえた責任ある規約・宣言等の対応は望めないのか?

 「膿を出し切る」と言った武蔵川理事長の発言が空虚に響く。
 時間とともに協会責任の所在が無いまま≪不祥事・復活≫の恐れを残している。
 この甘い体質に根本的なメスを入れない限りは「トカゲの尻尾切り」で抜本的な解決は望めないのではなかろうか。(5日:記)

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月14日 (水)

発達「ダマー映画祭inヒロシマ」

 昨年の12月に広島で初めて開かれた国際短編映画祭「ダマー映画祭inヒロシマ」の作品募集が始まった。今年は福山と岩国にも拡大して作品上映会が開かれる。

 ダマー映画祭は‘01年にアメリカのシアトルで始まった。“ダマー”はヘブライ語でインスピレーションを与える比喩“たとえ”を意味し、ハリウッドの監督やプロヂューサー達が新人の才能発掘の為に立ち上げた、30分以内のショートフィルムを公募する映画祭。
 岩国出身の映画プロデューサー佐倉寛二郎氏と広島出身の映画美術監督の部谷京子さんが関わってきた縁で、昨年から広島でも開催されるようになり、広島独自に「ココロとココロをつなぐ」をテーマに作品募集をする。

1_3

 作品応募はDVDで8月15日、事務局必着。テーマの添った30分以内の未発表作品。
 グランプリには賞金30万円と『ダマー映画祭のスレートに名前を刻印』して贈呈。

 特に、広島で開催するのは世界中のフイルムメーカーがそれぞれのユニークな観点から描いた作品を「平和のシンボル(象徴)」である広島で上映することにより“観る人にインスピレーションを与え、ココロに響く映画祭”を目指しており、監督やプロデューサー、俳優が参加する100人規模のワークショップが行われ、映画やテレビドラマ等の制作者を目指す人達にとっては貴重で魅力的な体験の場が用意される。

 昨年は日本、韓国、中国、米国など6ケ国から116本の応募があり、メインゲストに米国の[X-MEN」「スタートレック」のプロヂューサーノラルフ・ウインター氏を迎え、世界中から多くの映画人が集う場になった。審査で絞った10本がメーン会場で上映され、全国から3000人を超す映画フアンが参加して楽しんだ。

 この映画祭の上映にあたっては広島の10校の大学と外語専門学校に高校2校が字幕の入力や翻訳、更に運営のアッシストに参加しているのをはじめ、地元テレビ各社も参加するなど広がりに厚みを加えて国際アニメーション・フェスチィバルに並ぶ“広島の新しい映像文化の育成と発信”の役割を担っている…との期待は大きい。

 今年は11月26日から28日の3日間。福屋八丁堀店の8階の、嘗ての東洋座が「シネツイン八丁堀」として開設されるのを記念してメーン会場となる。昨年同様に西区の「横川シネマ」に加えて今年は福山の「駅前ピカデリー」と岩国の「ニューセントラル」でも作品上映をする。

細かい問い合わせは以下のダマー映画祭・広島事務所へ
 〒730-0052 広島市中区千田町2-1-2 アメリカンドリームビル/4F
 Tel.fax:082-249-1755  http://www.damah.jp/entry.html

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月13日 (火)

腰痛にお灸治療

 どうも梅雨の時期は腰の痛みによくない時期?のようだ。
 昨年は海田の「整体トントン」で驚きの治療で思わぬ聴力の回復を得るなどした。
 腰痛にも当初は効果的だったが時間経過とともに戻ってしまった…。

 冬場の寒い日は散歩を避けたいくらいの痛みに見舞われる日もあったが長期中断はなかった。昨年のことを思い出して見ると花見の席で河野美代子先生に『長年苦しんだ外反母趾の痛みが一度で取れた、ぜひ一度行ってみたら…』とトントンを紹介された。暫くして痛みが続き6月の末に予約を入れて7月の始めに一回目の治療を受けている。

 そういえば寒さよりこの蒸し暑さや不快な湿度が腰の神経を刺激するのか、散歩を中断して一カ月半にもなる。昨年もこの時期の散歩は中断していた。

 こんな話を伝統医学・東洋医学で治療を委ねている十河先生に話すと初めてお灸を試してみようかと腰の痛みの診療をしてくださった。これまでも灸の治療は神経バランスや貧血など含めて免疫強化などで試してきた。特に効用は認められないままだった…。

1_2

 写真で見られるように片足外側2カ所と右足に見える踝の後ろと同じ計3カ所、左右6ケ所に市販の仙年灸をすえる。これまでそれほど熱いと感じた事は少なかったが、今度ばかりは熱い。それぞれ6カ所とも熱く、つい「アツー」と声を出しながらの灸は初めてだ。
 灸は俗に「熱ければ効く」と言われる…期待が高まる。

 灸の効能は色々あるが私たちが子どもの頃は「悪い子(悪戯、悪ガキ)には灸(やいと)を据える!」という言葉があった。「お仕置き」や「制裁」の意味を持っていた。今は全く接し無くなったが「公務員にお灸!」等と新聞記事にも使われていた。熱い思いをさせ「良くない事を=治す」のがお灸だったが、今では死語に近い…。

 灸は子どもの頃の経験がある。小学校へ入学前に耳が痛く耳ダレが出て中耳炎?になった。耳鼻科にも行ったが祖母が通っていた鍼灸院の院長が「やいと(灸)が良い」と手の経穴(ツボ)に印をしれくれた。毎日朝晩の2回自分で藻草を小さく丸めながら火のついた線香で点火した。数日で痛みも取れ耳ダレは止まり治癒した…経験は今も忘れない。
 劇的ではないが「日々改善されつつある…」実感だ。
 改善を期待しながら暫くの間継続し、改めて結果を報告する。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月12日 (月)

安保と「プレスコード」

 御庄博実さんは共立病院の名誉院長で被爆者でありヒロシマを発信し続けて来た丸屋博さんの詩人としてのペンネーム。丸屋さんの自伝的な「ヒロシマにつながる詩的遍歴」を読んだ。

 先日、樺美智子さんの「死の真相」を巡る講演聞いた際に入手した著書で、8年前に纏められた自伝的な一冊だ。

1

 郷里の岩国とヒロシマに寄せる強い想いと密かに戦争に抵抗する気持ちを抱きながらも軍国少年として過ごさねばならなかった時代。
 峠三吉や深川宗俊らと反戦詩歌を温め綴った戦後の青春時代を、結核と言う死の病と向かい合い、医師の卵として、それから医師として詩人としての軌跡がある。

 結核を克服して4年遅れで医師になった丸山さんは東京の代々木病院時代の‘60年6月15日の安保闘争の国会デモで死に追いやられ樺美智子さんと死後に出会…。この本の中では「60年安保とある少女の死」の項で詳しく触れている。樺さんの死因をデモ隊の渦による圧死と…とされてきた「真相?」に50年後の今年やっとの思いで解明のメスを入れた。
 樺さんと行動を共にしていた学友の証言が裏付けとなって「警察権力が警棒様の鈍器で突き上げ首を絞め窒息死に至らしめた…」と結論付けた。

 所で、戦後の日本で行われた「プレスコード」をご存じだろうか。敗戦によって日本は6年8ケ月間、連合国に占領された。占領政策の中で昭和20年9月に実施されたプレスコード、≪報道遵則≫は出版報道への検閲を強め原爆報道には特に厳しい規制を加えた。

 丸屋さんはこの規制の中で、‘51年(昭和26年)入院中の岩国病院患者自治会会報の新年号に反戦詩を掲載した。

失われた腕に~一傷兵のメモより~
おい
そこいらを飛びまわっている
飛行機虫
レイテの底に沈んだ
俺の右腕にもあきたらず
真っ赤な心臓まで蝕もうというのか
無残にもただれた正中神経もいまは甦って
ボルトとナットとリングで出来ているこの鉄の腕は強いぞ
おい
そんなに蒼ざめた目玉をして飛び廻るな
飛行機虫
今にこの鉄の腕で
叩き落としてくれるぞ‼

 朝鮮戦争を背景に岩国や広島の上空を飛びまわる米軍機に“反戦の気持ち“をぶつけたこの詩が政令325号(占領軍行為阻害令)違反容疑で発行責任者と丸山さんは(昭和26年)3月15日早朝に武装警官が病棟を取り巻く中で逮捕された。“飛行機虫”は米軍機のことで反戦反米の詩であると追及される。丸山さんは、飛行機虫と言う“虫”がいると言い張る。

 結果的には不起訴になったが当時、この詩を掲載した病院の自治会機関紙は以下のような総括をしている。「…これは日本がいま大東亜戦争直前の状態と非常に似ていること、憲法さえあっても無いに等しい属国状態に陥りつつある事、しかもそのような圧迫は、嫌がらせの力しかない事の証明であり、また終戦後詩人がその作品によって捕えられた最初の出来事として立派な意味を担うもの…としている。

 「安保改定50年」の今年、もちろん平和条約で占領が解除されてプレスコードはなくなっている。しかし、依然として南北朝鮮の対立も米国の支配介入も全く改善しないままの50年がある。北東アジア平和維持の拠点?とする沖縄の基地問題には改善や進歩が無いままで、岩国基地は拡大強化され“飛行機虫”は増殖中だ。

 時あたかも参議院選挙中、プレスコード違反として槍玉に挙げられた『詩・失われた腕』を通じて改めて「安保」と「米軍基地」、その存在を考え直して見る機会になるように…と思って紹介する。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月11日 (日)

反核・平和を訴えるコンサート 新たに誕生

「7・17 「ヒロシマ・音の記憶」

「8・18 被爆65年・世界平和祈念チャリティーコンサート」

 今年も8月6日が近づいた。広島では、これから反核・平和を訴えるコンサートやイベントが多くなる。オバマ大統領のプラハ演説から核廃絶の機運が盛り上がっているためか、多彩だ。今年からスタートする市民レベルの実行委員会を結成してのコンサートを2つ紹介する。会場はいずれも広島市東区民文化センター。
 1つは7月17日の「ヒロシマ・音の記憶」。「ヒロシマと音楽」委員会(能登原由美委員長)が被爆50周年から「ヒロシマ」をテーマとする音楽作品をデータベース化しており、その作品を紹介する。メーンはフルート奏者、作曲家・川崎優の「祈りの曲」で、本人の話を交えて演奏。他に栗原貞子の「生ましめんかな」、大木惇夫の「ヒロシマ平和都市の歌」や、谷川雁の「南海譜」などを、フルート・土井晃、ピアノ・濱本恵康、ギター・上垣内寿光、歌・藤田真弓、安田女子高音楽部が奏でる。
 「祈りの曲」は、川崎が被爆30年の昭和50年に作曲して広島市へ献呈し、以来平和祈念式典の献花の際にバックに流される曲。大叔父は軍歌「元寇」「雪の進軍」などの作曲家・永井建子。旧佐伯郡石内村の生まれ。父は声楽家、歌手の川崎豊。映画主題歌「沓掛小唄」や「蒲田行進曲」などで有名。昭和6年イタリアへ留学後、広島に帰り、声楽塾を開き、オペラ振興に尽力した。
 もう一つは、8月18日の「被爆65年・世界平和祈念チャリティーコンサート」。長崎からソプラノ・福地友子、ピアノ・林田賢を招く。あきクラシックなど地元で活躍している音楽家や、ジュニアマリンバアンサンブル、きらきら母交響楽団、ドイツリート協会合唱団などが反核・平和を訴える。
 また9月には被爆ピアノをニューヨークに持ち込み、9・11の同時多発テロの犠牲者を慰霊する公演がある。ピアノの所有者矢川光則らが、費用の寄付を呼びかけている。
 こういったコンサートは、企業や団体、行政や市民の理解と支援がなければなかなか継続は難しい。いずれも成功し、次回へつなげてほしい。

上村和博

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月10日 (土)

広島文化を育んだ「アニメ・フェスティバル」

 広重の浮世絵をもじった様なポスターをよく見かけるようになった。今年は『広島国際網メーションフェスティバル』が隔年開催で13回目を迎える。

1_5

 『愛と平和』をテーマに1985年に開催して今年は25年になる。第一回からプロデューサーを務めた日本のアニメ界を代表する木下蓮三・小夜子夫妻さんの熱心な提案が実を結びオタワ、ザグレブ、アヌシーと並ぶ世界4大アニメ・フェスティバルとして国際アニメーションフィルム協会公認の「アニメ祭」に育った。

 木下蓮三夫妻を世界的に著名なアニメ作家に押し上げたのは‘72年のニューヨークの国際映画祭で「MEIDO・IN・JAPAN」でグランプリに輝いた事に始まるが、‘78年のライプチッヒやモスクワにトロントなど世界各地の国際映画祭やアニメ際などで“広島への原爆投下の瞬間を僅か10分間のアニメに盛り込んで、原爆の恐怖と悲劇“を告発した『ピカドン』の制作にある。世界中から大きな反響があって、木下夫妻は広島での国際的なアニメ・フェスティバルの開催に本腰を入れる契機になった。

 第一回は被爆40周年を記念して開催され、あの手塚治虫さんが「おんぼろフィルム」で最初のグランプリ・ヒロシマ賞を受賞した。この大会は広島で開かれることから『愛と平和』“アニメを通じて世界平和を訴える”のが特色の一つで、日本で世界のアニメを一同に観られる貴重な機会として多くの専門家や卵を育てる場としても評価を高めている。

 蓮三さんは‘97年に亡くなったがパートナーだった小夜子さんが今もプロデューサーを務めて「広島に本物の国際文化事業の背骨を創ろう」と、この「広島のアニメ・ファスタ」を引っ張ってきた。広島の素晴らしい復興の陰には、世界中の協力があった。だから21世紀は、広島がその感謝の気持ちを世界に返す世紀して欲しい…と思いを託している。

 25周年に当たる今回13回目は既に日本の293本、韓国184本、英国166本、フランス148本、米国113本など1935作品が寄せられ、このうち57作品が受賞候補にノミネートされた。今年は第一回からの受賞作上映なども準備されている。盛会と発展を期待したい。

 第13回広島国際アニメーションフェエスティバルは8月7日(土)~11日(水):アステールプラザ
前売り券を発売中問い合わせ:アニメ・フェスタ事務局 083-245-0245 http://hiroanim.org/

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月 9日 (金)

桑田真澄の「心の野球」②

 人生の様々な局面でどう考え難局をのりこえたか…。今どき余り謳われない桑田流プロ精神やスポーツマンシップを説いた清々しい野球論・人生論と言える。

 桑田は‘95年5月24日、阪神戦でファールボールをダイビンクキャッチして肘を怪我して大手術をした。

1_4

 この時、病床で自分の歩んできた道を振り返って到達した。
 お金や記録やタイトルはあの世に持っていけない事に気付いた。「リハビリを乗り越えて復帰出来たら“心”を大事にした野球をやろう。人間にとって最も大切なものは金や権力などではなく“心”なんだと云う事を、野球を通じて導かれた。それが「心の野球」だ…。

 単に野球が上手ければ良いと云うのではなく、人間として社会人としての教育をすることは球団に課せられた責任なのではないか。…僕の考え方は今の時代にそぐわないのかも知れないが、金銭至上主義の世の中で心とか情とか、そういう言葉を口にしたところでナンヤネン?と思う人は多いかもしれない。それでも僕は最後までそういう生き方をしたいとし、逆境をチームの和と結束して結び付けたいとまで思っている…。

 成長段階の身体に見合わない過酷な練習メニューを課すのは絶対によくない。…1000回の素振りは逆にペース配分を筋肉に覚えさせる丈…50回の全力素振りの方が効果的だ。
 脳や身体が手抜きを覚えてしまっては意味があない。選手より指導者の養成が急がれる。

「 表の努力」と「裏の努力」が出る。表の努力はランニングやピッチングなど技術体力付ける練習だが裏の努力はトイレ掃除だったり草むしりに挨拶や返事にゴミひらいに玄関先の靴の乱れをそろえたり…桑田は高校の寮生活で人知れず実践した。

 小説を読んだり絵画を観たり…野球選手にとってはどうでもいいことだと云う人もいる。しかし、それでも本物に触れ経験し、自分の目で観る事に勝る者は無いと考えている。
 そういうことが自分の人生を豊かにしてくれると思う。それは必ず野球にも影響してくると考えている。ユニホームを着ている時以外は人間力を豊かにする努力をすべきで、野球丈出来てもダメだ…。生活の総てが野球の為だと云う徹底した意識の持ち主が<本当のプロフェッショナル>と定義している。

 スポーツマンの人生哲学。反発の声もあろうが…爽やかで期待以上に面白い一冊だ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月 8日 (木)

桑田真澄の「心の野球」①

 今後、自分の関わりた野球の在り方をテレビで聞いて興味を持って見つめて来た桑田真澄が早稲田の大学院を優等生で卒業し一層関心を高めていた。
 「心の野球」はスポーツ根性もの?ではなく、愚直な彼の自伝的な野球・人生哲学だ。

1_3

 桑田はPL学園で一年生からエースとして活躍し、5回大会連続で甲子園に出場し、2回の優勝をして巨人にドラフト一位で入団し、栄光のエース背番号18番を守り続けた。

 その桑田は決して楽なエース街道を歩んだ訳ではない。中学で既に注目された桑田には10校を超える高校から“野球特待生”の勧誘が来ていた。中には「桑田が入学したら他のレギュラーもセットで入学させる」勧誘もあった。中学の監督は桑田にセット入学を強く働きかけた。PL入学の希望が強い桑田は当然監督の申し出を「間違っている」と断る…。
 拒否された監督は「桑田は自分だけ良ければ良い…友情がない奴!」と烙印を押したうえ「PLに行けなくしてやる…」とはいて桑田が学校に出にくい環境を作ってしまった。

 桑田はPLに進学する為3年の3学期になってやむなく転校をすると云う選択をする。
 中学3年3学期で思わぬ苦悩に出会う桑田は「特待生は野球丈をやっていればよい、野球が上手ければ 大きい顔でいられる」と考える人もいるだろうが僕はそう思わない…。
 野球しか判らない人間にならないように…野球丈でなく勉強も遊びからも忍耐力や責任感自立心などを養って自分を高める…そこに恨節は無く桑田の教訓と哲学を育んでいった。

 「超効率的努力のススメ」という副題から、スマートでカッコイイ努力の仕方を手ほどきするのかと思いきや、実に愚直な努力の積み重ねで、努力の天才が辿る成長の段階だ。
 本の中では一貫して礼節や謙虚さや野球道具に人への感謝を説いている。これを「裏の努力」と古くさい表現をしでいるが、逆に新鮮味がある…ように思える。
 野球を通して感謝することの大切さ、努力する大切さ、無理と無駄のない努力をする…。

 この本の最大の魅力は人生のそれぞれの局面で桑田選手がどう考え、どのように難局を乗り越えたのか…その軌跡が、判りやすい言葉で書かれていてよく判る。
 右肘の手術から復活した時に奥さんからの手紙は思わず涙してしまう。
 “文武両道”を理想にサッカー部で励む中学生ななった孫の大直と高校でアメリカンフットボールを始めた颯太が揃って強い興味を持って読み始めた…。反応が楽しみだ。
 読書感想としては少し長いが2回に分けて紹介する。≪続く≫

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月 7日 (水)

メダカの展示会

 メダカと言えば日本中の田んぼや池にいる…と思っていた。20年くらい前に広島の環境を守る「ふるさと自然守議」という企画に取り組んだ事がある。
 当時まとめられた“ヒロシマ・レッドデーター・ブック”に記載された県内の絶滅危惧種の保護や保存を呼び掛け自然を守る取り組だった。

 「メダカ」は日本で一番小さな淡水魚で稲作地帯にはどこにでもいて、古くから夏場に金魚売りが「メダカ」や「緋メダカ」を売り歩き、日本人にはなじみ深い。
 所がこの頃、既に「メダカ」は県内では絶滅が危惧され、生息地域は本郷町の空港周辺の溜池に限定され、傾向は全国に波及して‘99年には環境庁が『絶滅危惧種』に指定した。
 絶滅の原因は昭和30年代から急速に進んだ田んぼへの多量の農薬使用と圃場整備の促進で田んぼ脇の小川や溝がコンクリートの側溝に変わり、水質悪化が拍車をかけた…。

 これを契機にナショナルトラスト運動やビオトーフなどの環境運動が盛んになって『メダカ』の復権運動が広がり、一気に品種改良なども手伝って家庭で楽しめる『メダカの飼育』はまさしく静かなブームになって人気を集めている…ようだ。

1_2

 修理に出していたステッキを引き取りに出かけたついでにデパートの屋上で開かれている「メダカ祭り」をのぞいてみた。
 全国の愛好家が観賞用に品種改良した120種3000匹ものメダカが展示されていた。
 写真のメダカは広島の飼育家が9年がかりで改良し、今回初めて公開された「信長」だ。赤い鎧をまとい、鰭が刀のように見える事からの命名で、目が小さく体が透き通って見えるのも特徴の様です。因みに値段は5万円。

 背中が青く光るメダカも人気を集めており、値段は一匹200円から数万円。会場には昔ながらのガラスケースから焼き物や合成樹脂製など飼育用の器やケースも取りそろえている。飼育法の指導もする“メダカ祭り”は百貨店の人出が少ない割には結構な集客だ。

 “絶滅危惧”と言う日本の自然を守る環境保護の中から生まれた?『メダカ商売』は全国的に結構あちこちで展開され、繁盛しているようだ。
 環境対策は皮肉にも驚きの「メダカ繁盛記」を生んだ…現実を見た…。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月 6日 (火)

タイサンボク

かき船のかなわの前のタイサンボクが大きな白い花をつけた。
脇を通ると甘い匂いがする。
毎年、梅雨時の6月中旬を過ぎたころから花が咲く。

大きな白い花は、大きさが10~20センチくらいはある。
夏の花らしく、大らかに咲いている。
大きな緑色の葉も、梅雨の雨を吸いこんで、たっぷりとしている。
白い花と緑の葉のコントラストはなんともなんとも美しい。

1

このタイサンボクの木はいつごろ植えられたのだろうか。
幹回りは1m、高さは10Mもあろうかという巨木になっている。
幹に張り付いた苔もなかなか風情があっていい。

広島の美しい景色の1つになっている。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月 5日 (月)

ボーレザンプロジェクト

ボーレザンサロンドカフェで6月19,20日の2日間、
様々の音楽のジャンルのグループが参加して、音楽祭が開かれた。
12ものグループが参加したようだ。

沢山のグループが出演するからということでだろう、
FETE de la MUSIQUEと称していた。
英語でいえばミュージック・フェスティバルだ。

土曜日の午後、私がいったときは、日本で生まれ育ったというアメリカ人の兄弟とその友達のグループの演奏がされていた。
太田川の岸辺の木漏れ日の陽を受けながら聞く音楽はなかなかいい。

青い目の若者が、日本語で冗談をいうのも何か変だったが、音楽もどこか日本人のとは違う。

客も日本人だけではない。
フランス人、イタリア人、アメリカ人と多種多様の人々が集まって来ていた。

喋っている言葉がどこかおかしい
??

共通の言語が日本語なのだろう、良く聞けば、喋っているのは日本語だ。
これもまた、妙な感じだ。

Photo

こんなことが、日常的に起こるのも、広島の面白いところだ。

このカフェを拠点に、フランス料理の講習会、シャンソンのコンサート、ワインパーティー、フランス語の通訳等、国際交流を進める様々のイベントが行われている。
5月には、鯉のぼりをセーヌ川に揚げようと、全国各地の人たちに声をかけたようだ。

ボーレザンカフェでいいじゃないかと思っていたが、
「ここは単なるカフエではない。カフェを拠点にして、国際交流の場にしたい」という思いから、敢えてボーレザンプロジェクトという名称にしたのだろうと思う。
そんな思いが、徐々に見えてきた。

広島の、平和公園に面した場所に、相応しい活動が始まったといえるようだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月 4日 (日)

サロンシネマ

6月9日、友人に誘われ、サロンシネマ1で、映画「父と暮らせば」を見た。
もともとは井上ひさし作の戯曲だ。
2004年に、黒木和雄監督で映画化された。

1

舞台の方も数々の賞をもらったようだが、映画もなかなかいい。
宮沢りえも、清潔感があってよかった。

原作がもともと舞台用として書かれているからだろう、出演者は娘と父、その娘に思いを寄せる男の3人だけ。
背景も被爆した建物の部屋と庭、それに娘が勤務する図書館の3か所だけだ。

原爆の恐ろしさ、惨さを、近頃流行りのアメリカ映画のようにCGを使って、これでもかこれでもかというようには迫ってこない。
直接説明しているわけではない。

原爆の恐ろしさ、惨さは、娘とその娘に思いを寄せる男、そしてそれを幽霊となって現れ、励ます父親とのラブストーリーの中にきちんと嵌め込まれている。

井上ひさしのストーリーテラーとしての巧みさを改めて感じた。

映画作品としての質も極めて高い。

しかしこうした作品は、通常何度も上映されることは殆どない。
広島だから可能なことだともいえる。

「広島に来れば、こんな素晴らしい映画が見られます」というのも、広島の良さとして、世界の人たちにPRすべきことかもしれない。
リーガロイヤルホテル広島、広島グランドプリンスホテル、ANAクラウンホテル等、広島に市内にあるホテルとも提携したらいい。

広島の良さは海や山ばかりではない。
こうした文化がきちんと残されていくことも、広島の財産だろう。

こうした文化を懸命に守ろうとしているサロンシネマのオーナー、そしてそれに協力する市民の人たちに、改めて敬意を表したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月 3日 (土)

相撲協会「公益法人の返上」の覚悟で!!

 9日付けの当ブログ「出来るか『相撲協会』改革」で、部屋の閉鎖はトカケのしっぽ切り、税法上の優遇を伴う“公益法人の返上“のみが抜本改革の出直し…と指摘した。

 思いもよらず、その直後、賭博に関わった力士は「自己申告」と言いながら出るは!出るは!!幕内・十両の力士が110人前後、全力士700人の中で65人が関わっていた…。
 大関琴光喜を筆頭に大嶽親方に幕内豊ノ島に続いて時津風親方、豪栄道。ついには武蔵川理事長の弟子の雅山にまで及び警察に託した…とする協会の対応は余りにお粗末だ。

 繰り返しになるが相撲とヤクザ・暴力団との繋がりは戦前から地方巡業を地元のヤクザが興行の勧進元を務める“持ちツ持たれツの関係”があった。加えて、戦後の混乱期には弱い警察体制をカバーするように闇市の仕切りや見廻りで取り締まり当局≪警察>も“持ちツ持たれツ”だった時期がある。‘60年安保当時に警察機動隊の隣でデモ対策に駆り出されていた…と言う証言も多く…広島市民球場の警備が昭和30年代には「打越組」(暴力団)が取り仕切っていた…など、暴力団との関わりが指摘される事業や仕組みは多く、いまも決して断絶されていない。相撲協会はその典型だった…事が、今かい図らずも露呈した…。

 これも繰り返しになるが、横綱大鵬関がまだ若かった頃、あの広域暴力団≪山口組の組長≪田岡≫と山口組の紋≪菱目≫の入った化粧回しを占めた写真をテレビの画面で見て驚いた…が案の定、と言うか…大鵬の娘婿で大鵬部屋を受け継いだ大嶽親方の関与に「やっぱり…」と思った相撲フアンも少なくないのではなかろうか?

 テレビ各社は『相撲記者クラブOB』の評論家?達を使ってコメントしているが、相撲協会の便宜供与を丸受けした“老人・相撲記者”は残念ながら殆んど自分の食いぶちを繋ぐ為にコメントをしているに過ぎず、何ら改革や新提案などまったくない。お引き取り頂くのが良い?30数年前、東京支社の在勤中、岩国出身の魁傑関の取材に花篭部屋や関係先に出かけた。仕切りは“この人たち:OB記者”で随分権威主義を押し付けられ…往生した。

 名古屋場所直前で相撲協会がどのような方向付けを示すか判らないが、重ねて「トカケのしっぽ切り」では収まらない…事を新聞もテレビも十分に協会幹部に叩きこむ役割を果たさなければいけまい。
文科大臣の「優勝インタビューで、貴方は野球賭博に関わりありませんか…という事だけはあってはならない」と述べていた事は大きなヒントだ。
 相撲協会は名古屋場所を休場してでも徹底的に追及し『公益法人の自主返還』をも辞さない覚悟の取り組みしかあるまい…。<20日・記>

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月 2日 (金)

安保50年・樺美智子「死の真相」③

 草野・丸屋医師の検証による樺美智子さんの「死の真相」は『樺さんの腹部に(警棒様の)鈍器で強い衝撃を受け、更に首を絞められた窒息でヤク死の疑いが強い』と結論した。

 樺さんの死因については坂本参議院議員に報告され早速国民救援会が公式に発表した。当時の22日付けの新聞は『樺さんの死因"ヤク殺の疑い”』とし、「扼死の可能性が一番強い。胸を圧迫された為の窒息と言うことは立証する所見がない」と報道している。

1_6

 また、この草野、丸山所見を受けて社会党は「警視総監らを殺人と職権乱用」で告発した。しかし、検察当局はデモ隊の人雪崩による胸腹部圧迫で窒息死したとする別の意見書を採用して不起訴とした。その後は司法解剖の行われた法医学鑑定書を、再鑑定など体裁を取りながら都合のよい結論を仕立てて今日まで曖昧にして、不問に付されてきた…。

 これに対して丸屋さんは当時、樺さんの両親から「娘の死因を解明して」と要請され、「当夜の樺さんのデモ隊出での位置が判れば、真相が判るのではないか」と思ってきた。(御庄博実「ヒロシマにつながる詩的遍歴」甑岩新書2002年版千円に「60年安保とある少女の死」として執筆)
 50年経った今年の4月、樺さんと一緒にデモで国会へ突入した金田さんと長崎さんがあの日の行動を証言してくれた。長崎さんは警棒で腹や胸を突かれ、頭を投げられて朦朧状態になった事、救急車で運ばれる途中で気がつき、そのまま病院に搬送されたが「デモ隊の中ほどにいたが押し出されて警官隊と向き合う瞬間があった。樺さんも衝突の前面に出されたはず」「警察は多くの写真を見せて取り調べた。きっと衝突の写真もある…はず」と証言した。

 丸屋さんは樺さんの父上が進歩的な学者(中央大学教授)で美智子さんは学生自治会副委員長で警察当局は十分にマークして狙い撃ちした可能性は極めて大きい…と考えている。
 丸屋さんは金田・長崎さんに合って事件当日の実情を聞いて警察権力の巧みな隠蔽と捏造の事実を「今更ながら鳥肌の立つ思い」で振り返っている…と言う。
 あれから50年、丸屋さんはいま樺美智子さんの司法解剖に関わってきた者は自分一人になったが、樺さんのご両親の「美智子の死の真相を!」というご依頼にやっと応える事が出来た…との思いのようだ。安保の裏で何があったかのか「樺さんの死の真相を明らかにしなければいけない」使命感に燃えている。
 新たな出版の準備が進んでいるようだ。文芸春秋7月号がこの記事を扱っている。<完>

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年7月 1日 (木)

安保50年・樺美智子さん「死の真相」②

 丸屋博(85)さんは今年4月、50年前のあの日(6月!5日)、国会を取り巻いた安保デモで亡くなった樺美智子さんと一緒に国会突入した3人の東大女子学生の一人と面談された。
 長崎暢子(旧制・榎本)さんは東大(現代史)を定年後今は龍谷大学の教授。長崎さんからのご希望で実現した。当時、東大文学部の学友会委員長だった広大名誉教授の金田晋さんとご一緒で、丸屋さんが長年気懸りだった事を聞けるチャンスが50年振りに巡って来て、闇につつまれてきた『樺美智子さんの“死の真相”』を正す機会が訪れた訳です。

1_5

 丸屋さんが樺さんの死と具体的に出合うのは樺さんが亡くなった翌日の6月16日の午後。院長室で副院長から社会党の参議院委員で院長の東大医学部の同級生坂本昭氏が持参された一冊のノートだった。
 樺さんの司法解剖をされた慶応大学法医学の中舘教授の詳細な後述筆記だった。一言も漏らさず記録されている、伝染病研究所の草野信夫先生に読んでもらって「樺さんの死因を纏めてもらいたい」と要請された。丸屋先生は当時週2回、草野先生のもとで病理解剖の勉強をしていたからだった…。

 当時国民救援会の会長もしていた坂本参議院議員は15日夜、社会党の議員として真っ先にこの事件を知り、翌16日の司法解剖に立ち会うため中館教授の了解を取り付けて副院長が同行して立ち会った。

 草野さんは被爆直後の広島へ東大の救援班の一員として駆け付けた病理の専門家で、国際医学会で初めて「原爆症」を報告し、後‘77年の原水禁・原水協の統一合意にこぎつけたが共産党などの強い反対を受け辞任するまで原水協の理事長を務めた医師だ。
 坂本議員は副院長と相談の上で丸屋先生と草野先生に『樺美智子の死の真相』追究のカギを委ねた…。

 丸屋さんは司法解剖に直接立ち会わなかった代わりに度々慶応大学に足を運び臓器を見たり解剖記録ノートを書いた2人の医師との意見交換を草野さんに詳しく伝えた。
 その結果、解剖学者としての草野さんが「樺さんの死因」をまとめられた。膵臓の激しい出血や、首を絞められた跡などを基に樺さんの腹部に『(警棒様の)鈍器で強く突かれたうえ、首を絞められた窒息死』と結論された。つまり、人に押し倒された圧死ではなく『強い暴行』が直接の死因…との判断だ。   《続く》

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

関連書籍

  • サイフもココロもハッピーに!ちょびリッチ
2018年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31