安保50年・樺美智子さん「死の真相」②
丸屋博(85)さんは今年4月、50年前のあの日(6月!5日)、国会を取り巻いた安保デモで亡くなった樺美智子さんと一緒に国会突入した3人の東大女子学生の一人と面談された。
長崎暢子(旧制・榎本)さんは東大(現代史)を定年後今は龍谷大学の教授。長崎さんからのご希望で実現した。当時、東大文学部の学友会委員長だった広大名誉教授の金田晋さんとご一緒で、丸屋さんが長年気懸りだった事を聞けるチャンスが50年振りに巡って来て、闇につつまれてきた『樺美智子さんの“死の真相”』を正す機会が訪れた訳です。

丸屋さんが樺さんの死と具体的に出合うのは樺さんが亡くなった翌日の6月16日の午後。院長室で副院長から社会党の参議院委員で院長の東大医学部の同級生坂本昭氏が持参された一冊のノートだった。
樺さんの司法解剖をされた慶応大学法医学の中舘教授の詳細な後述筆記だった。一言も漏らさず記録されている、伝染病研究所の草野信夫先生に読んでもらって「樺さんの死因を纏めてもらいたい」と要請された。丸屋先生は当時週2回、草野先生のもとで病理解剖の勉強をしていたからだった…。
当時国民救援会の会長もしていた坂本参議院議員は15日夜、社会党の議員として真っ先にこの事件を知り、翌16日の司法解剖に立ち会うため中館教授の了解を取り付けて副院長が同行して立ち会った。
草野さんは被爆直後の広島へ東大の救援班の一員として駆け付けた病理の専門家で、国際医学会で初めて「原爆症」を報告し、後‘77年の原水禁・原水協の統一合意にこぎつけたが共産党などの強い反対を受け辞任するまで原水協の理事長を務めた医師だ。
坂本議員は副院長と相談の上で丸屋先生と草野先生に『樺美智子の死の真相』追究のカギを委ねた…。
丸屋さんは司法解剖に直接立ち会わなかった代わりに度々慶応大学に足を運び臓器を見たり解剖記録ノートを書いた2人の医師との意見交換を草野さんに詳しく伝えた。
その結果、解剖学者としての草野さんが「樺さんの死因」をまとめられた。膵臓の激しい出血や、首を絞められた跡などを基に樺さんの腹部に『(警棒様の)鈍器で強く突かれたうえ、首を絞められた窒息死』と結論された。つまり、人に押し倒された圧死ではなく『強い暴行』が直接の死因…との判断だ。 《続く》
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