広島ブログランキング

  • 広島ブログ
無料ブログはココログ

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月

2010年6月30日 (水)

安保50年・樺美智子さん「死の真相」①

 我々の世代では6月15日と言えば50年前の1960年6月15日の夜、日米安保条約の改定に反対する学生が国会に突入したデモで亡くなった東大生樺美智子(22)さんの命日と記憶する者は多い。

 御庄博実のペンネームで詩人としても著名な共立病院の名誉院長の丸屋博先生(85)が「樺美智子さんの解剖所見から死因追及の検証」に関わった医師として命日にあたる夜『樺さんの死と60年安保』を振り返って講演された…。

1_4

 岩国で生まれ入市被爆者でもある丸屋先生は岡山大学医学部を結核のため4年遅れで卒業し昭和29年に東京の代々木病院に内科医として就職された。
 昭和30年6月の国会周辺は連日道路一杯に埋め尽くした学生デモが繰り広げられていた。
 
 その日は三池闘争に反安保闘争のうねりが重なって、全国で580万人がストとデモに参加した。国会周辺では学生デモ8000人に機動隊が猛烈な弾圧を加え女子学生樺美智子さんが死亡し1000人のけが人200人近い逮捕者が出た。18日には岸内閣打倒を目指し樺さんの遺影を掲げた33万のデモが国会を取り巻き、4万人が徹夜で座り込む中改定安保は自然成立した。当時デモの鎮圧には田中清玄や児玉ヨシオ等右翼暴力団が動員…の噂があった。

 関西で学生時代を過ごした私は県学連に加入したばかりの学生自治会の世話役の一人として神戸市内でのデモ行進に参加する学生の勧誘に忙しかった。バスを仕立てゼミぐるみで指導教授も一緒に参加を繰り返していた。デモの終点になる裁判所近くにいた母の知人に発見されないように旗に体をまいて隠れながら参加した。帰路に知人宅によると「デモに参加した?就職できなくなるよ!お母さんが心配しているよ!!」と声をかけられていた。
 生田署に「ビラまき」の事情聴取に2度ばかり連行された事もあった…。

 樺さんの死因を巡って警察検察は「人なだれによる圧迫死」と結論付けた。これに対し国民救援会は「警棒による腹部―膵臓の挫滅と更に頸を絞められて窒息死した」という見解を出した。当時、この解剖所見をまとめたのが丸屋博医師だ。
 丸屋さんは今年になって当時樺さんと行動を共にしていた友人2人とあって、『樺美智子さんの“死の真相”』に確信を深め、改めて歴史に刻む試みに緒戦しておられる…。
 丸屋医師の一人の少女の死に隠された歴史的な真相追究…だ。≪続く≫

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月29日 (火)

広島競輪

6月12日の中国新聞に
「広島競輪場の売り上げ、過去30年間で最低、128億円。
経費削減で黒字は確保」
とでていた。

1_3

ピークの1990年には360億円、
広島市の財政への繰り入れ額は26.5憶円もあったようだ。
繰り入れ額も、累計すれば数百億円にはなるだろう。
大変な額だ。
広島市への貢献の大きかったことが解る。

競輪にはどこか暗く、汚いというイメージがあり、後ろめたさがズーッと付きまとってきた。
そんな競輪場を、市民はなんとなく見て見ぬふりをしてきた感すらある。

私自身も数回競輪はやったことがあるが、夢中になったことはなく、いつしか足も遠のいてしまった。

近年は競輪の売り上げは落ち、全国各地で閉鎖される競輪場が相次いでいるようだ。
先日は横浜の花月園競輪場も閉鎖されると発表された。

このまんま放置すれば、いずれは、広島競輪場だって廃止されるだろう。

それでいいのだろうか。

今の内に、競輪事業をどうしたらいいのかについてきちんと議論しておく必要があるのではないだろうか。

競輪はケイリン (KEIRIN)として、オリンピックの自転車競技の種目の1つにもなっている。
スポーツとしてみても、素晴らしい競技なのだ。

賞金ということだって、タイガー・ウッズ、石川遼選手の活躍するゴルフだって賞金をかけている。

賭けごとという面で見ても、TOTOという制度が作られ、サッカーだって賭けの対象になっている。
宝くじだってある。

賞金や賭けの対象であることが必ずしも悪いことではないはずだ。
野球賭博のように、そこに暴力団が絡むとおかしくなってしまう。

競輪を日本で生まれたスポーツとして、そして健全な賭博行為として、きちんと認め、育てていくことを考えるべきだろう。

宇品の競輪場も行ってみると、その現状はあまりにお粗末だ。
楽しいという雰囲気は、正直いってどこにもない。

国鉄貨物ヤード跡地に作られた新球場は、個室があったり、ソファーに寝転がってみられるようになっていたり、車椅子で見られるスペースがあったりと、野球を楽しむ仕掛けが様々にされている。

そうした配慮が競輪場にはない。

施設が老朽化していることもあるだろうが、全体的にどことなく寂しい。

場内にあるのは車券売り場と観客席、それに昔ながらの食堂と自販機が置かれているだけだ。
競輪を楽しむというには程遠い。

最近は、競輪競馬競艇のTVCMが随分と増えてきた。
若いカップルのデートスポットにどうですかといった感じのCMもある。
デートスポットになるなら、それなりの仕掛けが必要だろう。
若い女性がいきたくなるような仕掛けをしなければ、若い男だって来るはずがない。
若い女性の意見を徹底的にとりいれた競輪場を作るべきだろう。

どうせ夕食をするなら、ナイターのカクテル照明の中を走る競輪をみながら食事するほうが楽しいと思えるようにしたらいい。

羽田空港から新橋に向かう途中、大井競馬場の照明が明々と点いていた。
不振が言われる地方競馬の振興策として、大井競馬場が始めたナイター開催だ。

ネットで調べてみると、結構全国のあちこちでナイター競馬、競輪がされている。

全国で最初にナイターが行われたのは、1989年(昭和61年) 大井競馬場(東京都)で、その年には、1日当たり売上高:9億5千万円前年比36%増、入場者数:2万3千人,前年比66%増だったという。

ナイター競輪も1998年の函館競輪場で採用されて以降毎年1~2か所ずつ増えてきているようだ。

広島の競輪場も、この際ナイター開催をやったらどうだろうか。

ナイター開催で売り上げを増やそうというだけでなく、
レストランが主で、そこに競輪というイベントがあるというようしたいい。

施設づくりを進める上で、主客逆転した捉え方も必要だろう。


競輪場に、
図書館や音楽ホールがあってもいいだろう。

広島にはまだない文学資料館や自然誌博物館があってもいい。

競輪場を複合化することは、縦割り行政上の理由もあって出来なかったこともあると思う。
実現するには、かなりのクロスセクション的知恵を発揮する必要もあるだろう。

広島競輪場は駐車場だって充分にある。
競輪場の南を通る3号線も開通し、競輪場へのアクセスも格段に良くなった。

競輪は日本が創りだした文化だ。

この際、きちんと市民生活の中に溶け込ませる工夫をすべきだろう。

そんなことができれば、広島市はもっと懐の深い、楽しい街になるのではないだろうか

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月28日 (月)

駅前広場 → 駅前公園

広島駅に限らず、どこの駅の前にも、タクシーとバスの乗り場が設けられ、その向こうには順番待ちをするタクシー、バスの待機スペースが設けられている。

駅前にそうした待機スペースを設けることは、当然のこととして、誰もが受け止めている。
全く疑わない。
本当にそれでいいのだろうか。

1_2

駅の前は、まともに計算すれば、地価だってけたたましく高いはずだ。

その地価を高めているのが、電車とタクシーとバス等の交通機関の結節点となっているのは紛れもない事実だが、何もタクシーとバスの待ちスペースまでが、そこにある必要はないだろうと思う。

東京の羽田空港では、飛行機を降りてきて、タクシーに乗ろうとする人が目にするのは、ほんの数台のタクシーだ。
タクシー乗り場には数台のタクシーが停っているだけだが、お客には見えないはるか向こうに、タクシー待機スペースがあり、そこに数百台のタクシーがいる。

バスだってそうだ。
どこそこ行きと表示されたバス停の前には、ひっきりなしにバスが来て、出発していく。
そのバスも、大分離れたところにある待機スペースいて、定刻になるとバス停に移動してくる。
バスの待機スペースも、バス停のある空港ビルの前にはないのだ。

ということでは、広島駅の北口広場も、南口広場も、タクシーもバスも、乗り降りに必要なスペースだけにして、待機するスペースは、どこか別の場所に設けたらどうだろうか。

いままで待機スペースだった場所は、代わりに、人のためのスペースにするのだ。

広い広場になれば、もっと木や花も植えることもできるだろうし、ベンチを置いたっていい。
朝市のためのテントがあってもいいだろう。
その昔のように、広島風お好み焼の屋台があってもいい。
コンサートも開けるステージがあってもいい。

駅前広場をいわば公園のようにしたらどうだろうか。

タクシー、バスが、駅前のここは俺たちの場所だといわんばかりにいる。

そんな大きな待機スペースを設けていることは、いわば車優先社会の遺物だといえるのではないだろうか。

タクシーやバスの待機スペースは、駅前から少し離れた、市民球場周辺とかに設けたらどうだろうか。

広島駅の上に、待機スペースを設けたっていいだろう。

広島駅北口であれば、今乗用車の駐車場になっている鉄道病院の裏のスペースを、タクシー、バスのための待機スペースにしたっていい。

いずれ二葉の里の計画が進めば、ビルの中の乗用車の駐車場の一部をタクシー、バスのための待機スペースとしたっていいだろう。

南口であれば、Bブロック或いはCブロックのビルの中に待機のためのスペースを設けたっていい。

そのほうが、よほど経済原則にも合っているはずだ。


広島駅の前に、そんな公園のような駅前広場ができたら、広島はもっと美しく、楽しい街になるはずだ。

そんな広場ができれば、それこそ日本で最初の試みとして、大きな話題にもなるだろう。

問題は、駅前は人のための空間にしたほうが、好ましいと思うか否かだ。
車優先社会から、人優先社会に代わるべきなのだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月27日 (日)

慰霊碑と折り鶴

平和公園の周辺には沢山の慰霊碑がある。
100ヶ所以上あるようだ。

それらの慰霊碑には、いつも沢山の折り鶴が届けられ、飾られている。
慰霊碑の上であったり、前に置かれていたりする。

雨の降った日など、びしょ濡れになった折り鶴はなんとも可哀そうだ。
折り鶴の形はなくなり、色も消え、もうゴミとしか思えない状態になってしまっている。

それでも、しばらくすると、きれいに片付けられている。
誰か心ある人がきちんと片づけてくれているのだろう。

1

それにしても、もうすこし奇麗な折り鶴の飾り方ないもんだろうか。

原爆の子の像に届けられた折り鶴は、ガラスのケースに入れられ、いつも奇麗に飾られている。

あんなに大きくなくていい。
小さくともいいから、届けられた折り鶴を展示、保管するケースを作ったらどうだろうか。

ガラスのケースは、50CM四方もあれば、充分な大きさだろう。

ケースは共通のデザインでもいいだろうし、個々に異なったデザインでもいい。

デザインを決めるにあたっては、平和文化センターと広島市の共催で国際的なデザインコンペをやって、決めたっていい。

そんな国際デザインコンペをやれば、広島、そして折り鶴の価値を再認識する機会にもなるだろうと思う。

保管用のガラスケースが折り鶴で一杯になったら、広島市がまとめて引き受けて、改めてどこかに展示するようにしたらどうだろうか。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月26日 (土)

映画監督と市長の会見

 度々取り上げた映画「アンを探して」の監督が秋葉市長にお会いしたい…との希望で実現をお手伝いした。監督が市長に強く面談を希望した訳は映画「アン…」が発信する“ヒロシマ”の真意を伝える為だった。

 「赤毛のアン」の出版100周年を記念してカナダと日本政府が資金を出した共同制作映画『アンを探して』はカナダ在住の日本人プロデューサーのユリ・ヨシムラ・ガニオンさんが10年も温め続けた企画を沖縄生まれでカナダを拠点にしている宮平貴子監督(30)がプリンスエドワード島オールロケで昨年完成させた作品。

1_72_2

 物語は17歳の少女が祖母に読み古した「赤毛のアン」の原書を贈った初恋のカナダ人?を探すために単身カナダを訪問。60年前の祖母の思い出やメモや写真を頼りにプリンスエドワード島で多くの人の温かさと優しさに触れながら、遂に祖母の初恋の人の痕跡に遭遇する。
 その人の遺品の中から「被爆後の広島」の写真を見つけ、生前彼の顔には「放射能の影響か?黒い大きな痣があった」と彼を知る人が証言する。
 一枚の写真と一言の台詞はともすれば見逃しかねない小さな設定で、何を意味するのか。試写後に聞いた答えは「沖縄生まれの私の使命…」と言う言葉が返ってきた。沖縄に生まれ育った彼女は悲惨な戦争体験にまつわる多くの事実や歴史の中で育った。今、映画製作者として機会あるごとに広島・長崎・沖縄の反戦平和を伝える「使命」を自覚している。

 監督達はいま沖縄から北海道まで「アンの上映キャンペーン7000キロの旅」に挑戦中だ。核兵器廃絶運動の先頭に立つ秋葉市長に「アン」劇中写真が意味する真意を伝えたい…思いが強く持ち上がっていた。「戦争は最大の悪、広島の被害はそのシンボル」との仕掛けだ。

 監督の話を聞いた秋葉市長は山田洋次監督の映画『母べい』の中でも短いが確かに“ヒロシマ”が描かれている事を指摘して、幅広い文化が広島をこのような形で取り入れる意味の大きさを支持し激励した。同時に平和市長会が取り組んでいる2020キャンペーンにカナダの自治体首長の参加協力を要請した。初めて長編映画に挑戦した若い監督が自分の作品の中の“小さな仕掛け”の意味を改め国内外に投げかける意欲に燃えていた。ご覧ください。
広島での一般上映は6月18日から2週間、府中町の<バルト11>

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月25日 (金)

水産行政に高級官僚の逆襲?

 友人との待ち合わせを兼ねて久しぶりに中国新聞の政経講演会に出かけた。
 「水産資源の現状と食の安全」をテーマに政策研究大学院の小松正之教授の講演だった。

 小松氏は東北大から農水省に入り米国のエール大に官費留学後東大で博士号を取得した
 魚の専門家。日本の対外漁業交渉官を務め国際捕鯨委員会(IWC)の日本代表も務めるなど日本の漁業政策を背負ってきたキャリアだ。資料によると日本人官僚としては珍しい国際会議でのタフネゴシエータとして知られた人…らしい。
 そんな人が所謂天下りとして政策研究大学大学院へ再就職しているのかと思いきや、2005年に水産庁長官から電話一本でこれまで背負って立っていた捕鯨問題担当から外され左遷された。何が原因かはっきりしないが米国からの反発が日本にとって都合が悪かった…らしく、これに抗議して水産庁を去り、旺盛な執筆と講演活動を展開中…ようだ。
 それだけに政府や農水省への厳しい見方も飛び出すと期待した。

 世界の漁業生産量は‘50年に2千万トンだったが‘07年には8倍に膨れ上がった。
 日本は‘88年まで世界のトップだったが今は中国が一番で日本は6位にまで落ちている。
 日本では一般的に『魚離れ』と言われるが魚を食べなくなったのは日本だけで、海外ではBSEや鳥インフルエンザの発生で肉から魚への転換が進んだ。魚の世界的な需要の高まりで北欧などの漁業国は「高く買わない日本へは売らない」傾向となった。

 日本では外国から買いにくくなった上に、国内の漁獲高は‘84年をピークに3分の1近くまで減った。原因は乱獲が大きい。資源の枯渇に対し諸外国は水産業の構造改革に着手しているが日本では抜本的な対策が遅れている…と指摘する。
 乱獲から脱却するためには過去の実績に基づいて漁業者ごとの取り分を決める制度の導入が必要だ。割り当てられた漁獲量は貸与や譲渡を可能にし、漁業者の権利と生活が年金代わりや収入に振り返れる制度とするべきだ。
 ニュージーランドやノルウエー、米国や韓国は既に導入して、漁獲量の回復を確保しつつある。日本では新潟や山口の周防大島町で導入が検討されている。

 水産行政も事故米などで揺れる農水省と同様に業界寄りの行政を行っている。漁協は政府補助金などが投入されても身内の監査で簡単に済ませ透明性に疑問がある。行政と業界や組合も同様な関係?が目立っている。消費者や国民の目線に立った説明責任を果たす行政に重点が置かれるべき…と力説する。政治の責任で漁業制度の抜本的な見直しが必要…。
 御尤も…の感じである。が、期待した元水産庁幹部の内幕暴露もなく迫力に欠けた?
 これを活かすには政治しかないのか。農水大臣が鬼門とされる背景が垣間見た?気がした

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月24日 (木)

雲助さんNY凱旋公演

 5月にニューヨークの国連で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議に呼応した大衆行動に日本から被爆者をはじめ2千人を超える人達が参加した。
 この欄で数回ご紹介してきた講釈師の緩急車雲助さん(久保浩之:78)が原爆投下の恨みを小さな蟻を通じて晴らすという怪談・紙芝居『蟻の祟り』を引っ提げてNYの街頭で行った講演の報告会が開かれた。

 紙屋町の市民団体アオギリ事務所で開かれた会には30人を超す古くからのフアンが参加。
 物の怪話・怪談『蟻の祟り』は被爆者である妻との間で子どもの誕生や成長に合わせて苦労した緩急車雲助さんの体験を下敷きに、原爆の放射能被害の実態や被爆者の苦悩と心情をベースに核廃絶を訴える作品。

1_6

 初めて聞いた一昨年の秋?「面白い‼紙芝居にすればもっと良い!!!」と紙芝居化を勧めた。間もなく友人の素人漫画家が被爆者の心情を画面一杯に込めた30枚余の紙芝居に書きあげた。

 物語は被爆少年のケロイドを食べた蟻の子孫が被爆者をABCCの検査に強引に連行した米軍属を噛んで痒みが止まらない湿疹を移す。本国に帰った軍属は英雄として大統領や軍幹部に握手やハグでむかえられる。所が、かゆい湿疹は原爆開発や投下や拡充に手を貸してきた人にだけ次々と伝染して今も続き、被爆者が長年押し殺してきた何時発病するか判らない放射能への恐怖新と原爆への恨みを込めて…晴らす…。

 作品は約1年間で50回を超える講演で講釈内容も絵も試行錯誤しながら手直しした。
 友人の中には「大統領を天皇以上に考える米国人が大統領まで湿疹被害が伝染する怪談話」に逆恨みして狙撃される?とまで言うものも現われて緩急車さんを悩ませた。
 そこで、プラハで「原爆投下の道義的責任」に言及したオバマ大統領には伝染しない…という落ちをつけて締めくくり「核廃絶に向かう米国への期待」を込めて妥協?した。

 NYでは4月30日から5月3日まで国連ビル近くの公園の一角や道路の交差点などで声を張り上げて上演した。紙芝居の英訳を見ながら足を止めて聞き入った。警官に取り囲まれて中止を迫られる場面もあった。ここで逮捕も覚悟で闘う策もあったか…?とも考える。

 5年前より警備も厳しく「オバマはうそつき…」と彼の核廃絶姿勢をあからさまに批判する人もいた。10万人のデモが僅か1万人デモになったのは不況克服できず平和勢力にしわ寄せを招いたオバマ政権のせいだ…と指摘する声もあった。

 一方、インターネットの動画サイト乗せる為紙芝居を撮影した米国人3人組もいた。
 積極的に握手を求める市民も多く物の怪・講談「ありの祟り」は米国でそれなりの理解を得た…講釈師・緩急車雲助さんは「米国・NY行脚は成功裡に終わった」…と総括した。

 『蟻の祟り』はこの1年の口演トレーニングと米国・NYの旅を経て被爆者の心情・本音と核兵器に対する神話を信じ続ける米国人の間にある壁や溝を『和解』という理性で繋ぐ実にスケールを大きな講談に成長した。
 しかし、将来、雲助さんがこの筋書きを『オバマにも伝染した…』と書き換える事が無い事を心から祈念したい…。

 大人から子どもまで楽しみ、なおかつ核兵器廃絶に寄せる熱い思いを知る為にも、皆さまにも一度是非聴講して頂くようにお勧めしたい。ご一報ください。紹介します。
佐々木典明<090-8600-9412>

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月23日 (水)

発展する「小さな祈りの影絵展」

 今年6回目を迎える「小さな祈りの影絵展」のテーマは『世界へ届け皆の祈り』だ。
 作品制作に市民参加が始まって3年目、本年2回目のワークショップが開かれ、一部の作品が出来上がった。8・6恒例の事業に定着してきた「影絵展」は着実に市民の間に期待されながら広がりをみせている。

 影絵を通して原爆犠牲者の慰霊と平和を祈る新しい場づくりを実践してきたプロデューサーの映画美術監督の部谷京子さんと影絵作家の濱崎ゆう子さんは“市民参加の影絵展”を念頭に取り組んできた。部谷さんの母校広島女学院の同級生達が支えて月一ペースでの巡回展示も定着し、制作参加者も拡大してきた。

 このワークショップの参加者はフレーザー、流川、洋光の幼稚園に女学院、城北、なぎさの3中高校がレギュラー参加校。これに大人を入れると軽く100人を超す数になった。

 2月の第1回のワークショップでグループごとに、テーマに沿ったタイトルを出し合って内容が重ならないように確認してスタートした。2回目は準備してきた下書きに添って切り込みに貼り付けの制作が進む。お母さんに付いてきた子ども達も何か熱心に集中して創っているのが面白い。手造りサングラスに大満足!!?
 いずれこの子たちもこの場で得た意味を理解して平和の芽を育んでいくことが期待できる。

1_523

 原爆ドームに富士山や東京タワーに鳩などをあしらった城北中の3人グループは日本人が団結して世界平和の願いを込めた「日本から世界へ」は心血を注いだ作品になった。

 城北中の別の4人組は「影絵展」周辺を舞台に描いた「灯篭流し」にほのぼのとした平和の願いを込めた。

 この日全体で22枠の内9枠の作品が完成した。なぎさと幼稚園組に東京からの参加組が9枠を完成させる。
 濱崎さんは4枠を制作させて今年のテーマ『世界へ届け皆の願い』を完成させる。“市民参加”の着実な広がりは制作者の願い通りの発展を見せている。

 今年は新しい企画が加わる。濱崎さんの「影絵・紙芝居」という新しい企てが登場する。
 8月5~6の夜、元安橋東詰めの会場で上演される。「幸福の王子」と「ネズミの嫁入り」だ。

 さらに影絵展に呼応して広島市の市民活動推進課(082-504-2103)が6日に国際会議場のダリアで開く『ヒロシマの心を世界に2010』で、「影絵・紙芝居」(13時半~)も上演される。会場では9時すぎから午後4時までの間に舟入高校演劇部の「八月六日」や映画「運命の背中」の上映などがある。

 この日のワークショップ終了後、「影絵・紙芝居」が上映され、初めて見る新しい試みを皆が観賞した。普通の紙芝居と違って光が織りなす微妙な色合いと柔らかさに大きな拍手が湧いて本番に期待が寄せられた。

 影絵を通して原爆犠牲者を慰霊し、父母に感謝し、命や生き抜く力、家族の大切さ、世界平和を考える『影絵展の種まき』は「市民参加」の風に乗って着実な広がりを見せている。今年も「小さな祈りの影絵展」は元安橋東詰めの展示場で多くの市民の足を止め、広島に新しい視点からの平和と文化を発信する。

問い合わせ:広島市市民活動推進課:082-04-2103
[小さな祈りの影絵展]<濱崎ゆう子・影絵プラネット http://kageepla.net

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月22日 (火)

HODC オリンピック広島大会と若手建築家

2010年、6月6日日曜日、広島市市民交流プラザで、
東京と広島の若手建築家が集まり、オリンピック広島大会について「建築・デザイン」にかかわる立場から発信しようとHiroshima 2020 Design Charretteが開催された。

佐々木高之、小川文象氏らの呼びかけではじまったようだ。

Charretteとは、聞いたことがない。
専門家を交えたワークショップのことをいうようだ。

当日11時頃、広島市市民文化交流センターの4階を訪ねると、あちこちのテーブルで、パソコンと向き合っている者、発砲スチロールのボードを切っている者、ボードに広島の地図を張り付けている若者たちが大勢いた。
計200人くらいだろうか。
凄い熱気だ。

プロの建築家たちが、ある程度の叩き台となる提案を作って来て、それを当日、学生、市民達の意見を入れて修正するという作業をしていたようだ。

その作業の結果が夕方4時から発表された。

1_4

第1セションでは、7つのグループから提案があった。

最初の佐々木氏らグループの提案は
「パラリンピックを契機に、広島をバリアフリーの街にしよう」という。
これは極めて現実的な提案だ。
文句なしに賛成する。

次のグループの白井宏昌氏ら提案は
「今のオリンピックはあまりに巨大化している。
スタジアムは10万人規模であることが要求されているが、そんな巨大な施設を作っても、後が困るだけだ。
なにもそんなに大きな施設を作る必要はない。
例えば100Mレースは、100Mの幅のある平和大通りでやればいい。
400Mレースは県庁を1周するトラックをつくって、そこでやってもいい。
棒高跳びは厳島神社の鳥居を飛べばいい」という提案を、CGを使って表現していた。

かなり飛躍した提案のようにも感じたが、
あの北京オリンピックの開会式だって「何これ、こんなのあり!?」と驚いたが、あとで聞けば、
あれは殆ど全てCGによる映像処理だったいうではないか。
殆どがバーチャルだったのだ。

鳥の巣のような独特のデザインで有名になったメイン会場から打ち上げられる花火は、
それこそ花火の巣のようであったし、北京の街を花火が歩くように打ち上げられたのには、
本当に驚いたが、それが殆どすべてCGによるバーチャルだったというわけだ。

それを思えば、オリンピックの競技そのものが、よりバーチャル的であってもなんらおかしくないということになる。

何しろオリンピックを現地で見る人の数はメインスタジアムで10万人とすれば、
TVやネット見る人は軽く数10億人になるはずだ。
つまり現実に会場にいて見る人は、バーチャルで見る人の1万分の1程度ということになる。

そうであれば、オリンピックは現実の会場でやる必要は必ずしもないということになる。

その競技をするのに、もっとも相応しい場所はどこかということで、
競技をする場所を決めた方がいいということになって、それは充分肯ける。

まあそれにしても、若者らしい発想だ。

3番目に発表した谷尻誠氏のグループは、
「オリンピックは風船のように一瞬のことなのだから、広島の空を覆うほどの大きな風船を作って、
そこで競技をやればいい」という。
風船だから、空気を抜けば小さくなって消えてなくなる。

その風船を、次の開催都市に持っていけるではないかということのようだ。
詩のような絵で表現していたのが印象的だった。

第4のグループは
「広島は川と海の水の上に島のように浮かんでいる。
それなら競技場も水の上に作ればいい。
広島大会が終われば、次の都市にそのまま引っ張っていけばいい」
という提案であった。

確かに、数千Mの長さの滑走路だって、鉄の箱を海に浮かべて作ろうという時代だ。
技術的には充分可能なことだろう。

100M四方の鉄の箱を作ってそれを繋げれば、1,000M×1,000Mのスペースは簡単に作れる。
それを西飛行場の先の海に浮かべてもいいだろうし、太田川の大芝水門のあたりに浮かべてもいいだろう。
そんなに大きければ、波の影響だって殆ど受けることもないだろうと思う。

広島には三菱重工の工場もある。
環境と条件は整っている。

面白い提案だ。

広島を「コンパクト・シティ」に変えていくという提案もあった。
コンパクト・シティにするというのは基本的には賛成だが、そのために、超高層マンションを林立させ、高密度化を進めるためにha当たりの人口を1,000人にするべきだというのは、ちょっとどうかなと思う。

どの提案も、かなり現実離れしているが、逆にそれが却って、現在のオリンピックが抱えている問題をよりクリアに浮かび上がらせてもいた。

若者らしい危機感と発想の豊かさが、オリンピックの可新たな能性を示してもいた。

質疑応答の際、第2のグループの発表者の白井氏は、
「今のように巨大化したオリンピックでは、中国、ブラジル、アメリカ、ヨーロッパ等の大きな国の、しかも大きな都市でしか開けなくなっている。
開催できる都市は限られてしまっている。
そうなれば、いずれオリンピックはいつも同じ国、同じ都市で開かざるをえなくなり、オリンピックの興味が薄れてしまう恐れがある。
現状では小さな国の小さな都市で開催することは不可能だ。
本来そうした都市でこそ、オリンピックを開く意味があるはずだ。
そのモデルケースに、オリンピック広島大会をしたらいいと指摘していた」

シンポジュームの後で、白井氏に話を聞くと、彼は
1.現在のオリンピックの条件に合わるために、広島市は無理をすべきではない。
2.むしろ、現在のIOCの要求を見直すような機会とすべきだ。
3.しかし現在のオリンピックが持っている、スペクタクルの価値を減少させるのでなく、その内容を変える事で、世界中の多くの都市が開催できるようなオリンピックの開催方式を提案すべきだ。
4.広島市は、オリンピックを直接的に都市改造の手段とすべきではない。
5.むしろ長期的に都市をゆっくりとした時間の中で変えていくために、広島市を再発見する機会とすべきだ。
というようなこともいっていた。

また白井氏は、
「オリンピックが商業化するという傾向も強くなっている。
アトランタ大会はコカコーラがスポンサーになったことで、コカコーラに都合のいい大会であった」
ということも指摘していた。

第2部のシンポジュームは都合で参加できなかったが、オリンピック広島大会というテーマは若者たちにとって大きな刺激になっていることは確かなようだ。

ゲストコメンテーターの古谷教授は「今回の発表の中に、なぜ広島でオリンピックかという問いかけがなかったのは残念だ」と言っていた。

そうした問いかけにも、きちんと応える必要もあるだろう。

しかし、こうしたシャレット、シンポジュームが開かれたというだけでも、オリンピックを広島でやろうということの意味があったともいえる。

彼らは今回の結果を8月に広島市内のどこかで展示、発表会をするという。
こうした活動が、今広島市内のあちこちで始まっているようだ。

今回のシャレットを開催するに当たって、彼らは、日本建築学会、日本都市計画学会、広島市、それに沢山の企業からの協賛、後援を受けた。
良くもこれだけ集めたと感心する。


広島でオリンピックを開くにあたって「こんな問題もあるよ。この問題はどうするの」と難しさを指摘するのは、また年寄りの役目でもあろう。

でも南アフリカのマンデラ元大統領は「達成するまで、それは不可能に見えるものだ」ともいったそうだ。

今回のシャレットで見せてくれた若者たちの創造力とエネルギーは、軽々とその不可能というハードルを越えてしまう可能性を感じさせてくれた。

期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月21日 (月)

ハイブリッドバス

広島空港で、いつものリムジンバスと違ったデザインのバスを見かけた。
屋根の上の出っ張りに「Hybrid」と書かれている。

ハイブリッドバス?

「聞いたことないなー」と、ネットで調べてみた。

中国新聞の記事として、
「広島市は、昨年2009年9月に国土交通省の「次世代自動車導入加速モデル事業」実施地区に選ばれた。
第一タクシーはバス購入費4800万円のうち、2200万円について国交省から補助を受けた。
市環境局エネルギー・温暖化対策部企画課によると、市内を走る広島、鳥取県内のバス、タクシー会社の計8社がモデル事業に基づいてハイブリッドバスを購入した。
芸陽バス(東広島市)は3月、広島市内と広島空港(三原市)を結ぶリムジンバスをハイブリッドタイプに切り替えた。
1台当たりの燃料代は1カ月で約7万円減り「今後、バッテリー交換などの費用も含めコスト削減効果を検証したいといっている」
と載っていた。

1_2

この日、広島空港でみたのは、白市駅と空港を結んでいるバスのようだ。

エンジンと電気の併用のハイブリッドの技術がバスでも応用可能になっているとは知らなかった。
いいことだ。

しかし、どうせつくるなら、もっと楽しいバスを作ったらどうだろうか。
バスはどんなバスも殆どデザインは同じだ。
面白くも楽しくもない。

ロンドンの赤い色の2階建バスなんてのは、乗ってみたくなる。
それだけでロンドンだとわかる。

バスはかなり1品生産に近いはずだ。
バスごとにデザインを変えても、そんなに製造費は変わらないだろうと思う。

広島の中心市街地を回遊するループバスもいつのまにか廃止されてしまった。

街を歩いていても、あれがループバスだとは全くわからなかった。
余程注意して見ないとわからない。

ロンドンの2階建てバスではないが、広島のループバスはこれですよわかるようなデザインのバスを走らせれば、それなりに乗客が増えるように思う。

ハイブリッドバスが環境にいいからというだけでは、人は乗らないだろう。

乗って楽しいから、面白いから乗るのだと思う。

折角ハイブリッドバスを作るのだ。
そんな楽しいバスをハイブリッドバスで実現して欲しい。
その分補助金を増やしたっていいだろうし、場合によっては乗車料金がいく分高くたっていいだろうと思う。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月20日 (日)

進化する電車

先日、東京では1番新しい地下鉄・副都心線に乗った。

電車も新しいのは当然だが、よくみると随分とあちこちいままでの電車とは違った作られ方そしているのに気づく。

1

座席も随分と変化している。

いつも電車のなかで、大股を拡げ、2人分くらい専用しているに若者がいて、嫌な気分になるが、注意すると殴られたりする恐れもあるから、黙っていた。
次に来た人のためにと、女性の隣に、ぴったりくっついて座るのも気が引け、離れて座ることもあつた。
そんなこんなで、本来7人掛けのところが、6人しか座れないとかいうことが良くある。

このシートなら、そんな心配はしなくてすみそうだ。

座席の長さは、7人掛けだが、間にポールが立てられ、3人席と4人席にへだてられている。
ポールは立っている人の安全確保にもなるが、まずは座る人の人数が何人かをきちんとわかるようにしている。
そして1人1人座る部分には凹みが付けられ、隣の席との間には隙間が設けられ、1人分の座席がはっきりと解るようにもなっている。

座席の下は空洞になっている。
掃除はしやすそうだ。

出入り口のドアの上には、モニターTVの2つが並べて置かれ、1つはデジタルサイネージの広告映像で、もう1つは駅名、次の駅までかかる時間等の表示をしている。

出入り口ドアは手の指を挟まれないようにという配慮からだろう、スティール部分とガラスの部分が完全にフラットになっている。

ガラスの窓も大きくなっている。
駅に着けば、ホームの様子がよりはっきりと見るようになったというわけだ。

荷物棚に良く忘れ物をするが、そうしたことを少しでも減らそうということでだろう、荷物棚の底が透明のガラスになっている。
ガラス越しだから、自分の置いた荷物がどうなっているかが、をきちんと見えるようになっている。

いままで電車は単に人を運ぶ車でしかなかったが、
ようやく電車も使う人の立場、目線になって、作られるようになったといえる。
いいことだ。

こうしたことをするにはお金もかかる。
かなり高度な技術の裏付けも必要だ。
そうしたことへの配慮があって、初めて可能になったことだろう。

電車という100年以上の歴史のある乗り物も、ここ数年で大きく進化していることを知った。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月19日 (土)

新たな日米関係と憲法9条

 「広島マスコミ9条の会」結成5周年の企画に元共同通信の記者で名古屋大学大学院の特任教授春田幹男さんを招いて「新たな日米関係と憲法9条」をテーマの講演会を開いた。
 鳩山辞任3日後菅代表決定翌日という時期だけに新政権が憲法との関わりでどのような日米関係を築いくか…豊富な取材経験に基づいた新しい日米関係の展開に80人が傾聴した。

 まず会の平岡敬代表が「日米安保改定50年を迎えた今こそ憲法9条を掲げていびつな日米関係と対決する時」と挨拶。

1_7

 春名氏は冒頭、京都で教師をして国家主義者だった父親が組合の副委員長だった事を理由にGHQのレットパージで追われた無念と真相究明が記者志望の原点になった事を明かした

 日米の核兵器を巡る見方の違いについては日本は被害の大きさに目を向けて核兵器は廃棄すべきと考えて来た。しかし、米国は広島長崎の生存者はどうして生き延びたか、うまくやれば今後も使えると、核開発の為に対応してきた。この事は戦略爆撃調査隊の記録で明らかで、現在まで視点は変わっていない。

 核密約はこうした日米の核に対する考え方の違いが生んだ政治的産物。アフガニスタンに駐留する米軍増派や2年後の核安全サミットを日本でなく韓国で開く運びにしたオバマの姿勢の変化は日本を軽視の表れ。にもかかわらず「日本はオバマに期待しすぎ」と指摘して日本の新政権は憲法9条に照らして鳩山提案の「平和主義を主体とする東アジア共同体」つくりに力を入れるべき…と“核兵器のないアジアの追及”が緊急な課題と指摘した。

 所で既に20年余前の話。春名記者の「豪州先住民被爆者」特集が中国新聞に掲載された。
 米国に先を越された核開発にやっと追い付いた英国チャーチル首相が豪州の砂漠で核実験を繰り返し多くの先住民アボリジニイの被爆者が出ていた。この記事はいずれ活かしたいと思っていた頃、当時豪アデレード大学にいた広島市立大学平和研究所の田中利幸教授と知り合った。早速相談したら「コーディネーターと通訳は引き受けた」と二つ返事で企画書を練った。共同通信の記者の協力も得て‘89年に若い取材チイームを派遣した。
 砂にきのこ雲を書いて怯えるアボリジニイの姿が印象的だった。1時間のドキュメンタリー「核とブーメラン」はJNN(TBS系列ニュースネットワーク)で高く評価された。
 この時は春名さんには一切接触しないままだった。
 改めて報告して、お礼を申し述べた。
 作品はRCCのライブラリーに眠っているが機会があればお目にかけたいものだ…。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月18日 (金)

古民家の模型

 散歩の途中で袋町の市民交流センターで展示中の「古民家の模型」の展示をみた。
 懐かしい藁屋根の民家など43棟が小さなコーナーにびしりと並べられていた。
 模型で伝える古民家からは制作者と日本の故郷の心と時代の息遣いが聞こえてくる…。

 制作者は安芸区矢野の古滝保雄さん(72)。三次市作木町出身で定年を機会に消えゆく故郷の風景を残したいと写真撮影に挑戦した。10年前、小学生の時に絵に描いた500年の歴史を誇った庄屋屋敷が崩落していく様を見て「模型に残そう」一念発起し、更に「古民家模型制作」に発展した。

1_623

 大工の棟梁の父の仕事を見て育った古滝さんはマツダで精密部品制作技術者をし、微細な手作業には自信を持っていた。所が取りかかって見ると設計図がある訳はなく一軒一軒の屋根の角度は微妙に違って難しい…。
 写真を元に、一軒分45×45㎝の敷地板に使い古しのベニヤ板や畳の切れ端などを材料に試行錯誤を繰り返しながら苦闘した。屋根に畳を使い裏庭の薪一本にもこだわった。
 藁屋根に生えた草木や取り入れが終った田んぼを発泡スチロールに再現するなど実物70分の一の縮尺に仕上げて来た。

 始めた頃は失敗の繰り返しだったが今では一軒の制作に100時間、日に7~8時間掛けると2週間位で完成させる。

 これらの作品は県内のふるさと交流センタ―や道の駅、公民館、美術館にギャラリー、銀行
老人ホームや学校などから求められて陳列してきた。
 今も、制作指導や有料貸出に販売希望も少なくないがお断りして、可能な限り古滝氏自身のライフワークとしてボランティア協力してきた。

 輸送や陳列の協力のサポートの人手がある場合の学学校や病院などへは出来るだけ出向きたい…というご本人の意向はあるが要望が重なることを避けて、残念ながら住所や電話は伏せておられる。
このブログへご希望の書き込みがある場合は私が中継は出来る事になった。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月17日 (木)

菅直人新首相の多難な船出

 本日、菅直人氏(63)が第94代の首相に就任が決まった。

 菅さんの本籍が岡山と言うことは割と知られているが山口県宇部市生れで高校まで宇部で育った事は意外に知られていない。「山口県出身9人目の首相」になる。
 岡山生まれの父親はガラス製造会社の工場長で転勤のため三鷹に移り、東大合格者を多く出していた都立小山台高校へ編入学し、一浪で東京工業大学応用物理学科に入った。
 奇しくも鳩山前首相の東京大学工学部に続いて理系の首相が続くことになる。

 菅さんは在学中に政治サークルを創立してリーダーを務め、政治に強い関心を寄せる。
 また在学中に弁理士の資格を取るが卒業後は企業へ就職しないで、‘74年に市川房江さんを担いで参議院選挙を闘う事務所の責任者を務めながら市民運動家として、政治家を志す。

‘ 76年の衆議院選で東京7区から初出馬するが落選し‘80年に初当選するまでに衆参議院選で落選を繰り返した。社民連や新党さきがけ、旧民主党から民主党を歩んで理想の政党を模索する。橋本政権時代に厚生大臣を務め「エイズ対策」で評価と知名度を上げた。

 民主党になって2度、代表になるが‘04年の年金未納問題で辞任に追い込まれる不運に出合った。いばらの道を歩むが市民運動家出身らしく周囲を静観しながら、鳩山内閣の副総理として目立ちすぎないように強かに備えて…3度目の正直で“首相の座“を獲得した。
 代表選で「みんなが参加できる政党にするため…」と小沢氏が廃止していた政調会の復活を表明した。「政治と金」問題の反省からクリーン政治を掲げて“鳩山継承”と“脱小沢”色を出した。

1_5

 菅さんは急速な「脱小沢」で政権運営に取り組む覚悟が見える。8日の組閣がどう編成され党の新体制がどうなるか…。菅さんはノーサイド宣言で挙党体制をアピールしたが小沢氏は地元へのビデオメッセージで参議院選挙の先頭に立つ決意を述べている。

 小沢氏の力を無視する事は民主党の損失?と言える?活かさない手はあるまいとも思う。
 菅新体制の本番は参議院選挙後に来ることは間違いない。
 参議院選挙での勝利は厳しいと思えるが、負けをどれだけ小さく留めて安定的長期政権を図られるかどうか…衆議院任期の残り3年を全うできるかどうか“前途多難な船出”となる。政治資金と普天間移設問題で傷ついた政府・民主党政権の信頼回復と参議院過半数確保が新政権の当面の課題だ。注目したい。(4日:記)

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月16日 (水)

首相辞任劇と『マッチポンプ』

 今日2日午前、民主党の臨時両院議員総会が開かれ、鳩山首相が突然に辞意を表明した。
 総理は“普天間基地迷走と政治資金”で責任を取り、情勢を少しでも有利に展開する為の小沢幹事長とW辞任だ。昨夜のニュースで渋い顔の幹事長とにこやか顔を見せた総理の真意が辞任挨拶を聞きながら“マスコミ予想”とは裏腹な関係だった事が読めた。
 参議院選勝利の浮揚をかけ「政治と金」の一蓮托生責任を“小沢仕掛けを逆手に取った鳩山仕掛けだった“事が浮かびあがった。鳩山捨て身の給与の策の辞任劇だった。

 朝日「首相進退結論持ち越し」と中国「首相退陣要求に応じず」(共同通信)と一面トップが的外れ。各社の本日(2日)のHPで見る限り“辞任劇”を予測した新聞もTVも見当らない。辞任劇を正面から的確に事前報道が出来なかったのはいかにもマスコミがそろって鳩山内閣と小沢民主党の懐に入った取材が出来ていない…。真実を伝えていない各社は無責任な評論家達と同じ穴のムジナ状態を曝け出した…と言っては言い過ぎだろうか。

 今では死語?になっているが『マッチポンプ』と言う俗語がある。マスコミは鳩山氏の政治資金問題を契機に責任追及で退陣論を強める一方、事業仕分け等では評価を高める。
 戦後マスコミは問題が燃え上がると水をかけ、下火になると煽る手練手管を取ってきた。
 首相の『母親の資金提供は全く知らない』と、遺産相続税6億円をさっさとは納税する感覚は国民にとって驚き以外になかった。しかし、法的な違法性は認められなかった。小沢幹事長も不起訴になり検察審査会の「起訴相当」も不発に終わっている。

 擁護する気はないが、敢えて”岡目八目的?“に言えばマスコミの多くは、当初の論調は「ここ10年間、二大政党を追及してきた新政権が実力を発揮できる環境整備には少なくとも衆議院の任期一杯の4年は必要…」の見方が強かった。
 マスコミの使命の第一は政治権力のチェックにある。しかし、政権交代して8ケ月、どれだけのことをこなしてきたか?長い間の対米追従の自民党政権の垢とシガラミの官僚国家に手を貸してきたマスコミの責任は極めて大きい。

1_4

 民主党内の役員の中には党内や役員会では発言しないで外に向かって批判を繰り返す新聞記者出身の
「獅子身中の虫」がいる。これを好んで多用するテレビのあり様も『マッチポンプ』でしかない…。
これでは誰が首相の座についても長続きは難しい。
 首相退陣を機に国民・有権者がもっと“政治とマスコミ”を冷静に見る目を磨く事が日本の民主主義を守る上で大切なことと改めて思い知らされた…感を強めた。(2日:記)

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月15日 (火)

広島NHKビルのギャラリーと焼き物展

広島NHKビルの2階のちょっとしたスペースがギャラリーなっている。

ここでは、いつも何かしらの展示会がある。

写真展であったり、絵画展であったりする。

市民活動の活発なことにも感心するが、
ここの使用料は基本無料だという、
こうした活動を続けるNHK広島の志にも感心する。

先日はスタバ―でコーヒーを飲んだ帰り、陶芸のグループ作品展を見た。
陶遊会というグループの作品展だ。

1_3

好きな物を好きなように作っているというが、陶芸で一般的な皿やカップもあるが、花や動物をモティーフにした作品が多く、焼き物を職とする作家の作品展とはちょっと違った趣がある。

薔薇の花弁も1枚1枚丁寧に作られている。
それほど鮮やかな色ではないが、赤や緑の色も付けられている。

玄関の表札に使うことを考えてだろうか、陶板に作者の名前入りという作品もあった。
展示会が終われば、自宅の玄関にかざられるのだろう。

まだ始めたばかりと思われるような作品もあったが、どれも作っている人たちの楽しそうな姿が想像でき、見ているこっちも楽しくなった。

私もいつかやってみたくなった・・・

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月14日 (月)

八つ当たり?  NHKビルのエスカレーター

NHKビルの2階のスタバ―によった帰り、エスカレーターに乗ろうとしたら、つんのめりそうになってしまった。
下りのエスカレーターに乗ったつもりだったが、よそ見をしていて、上りのエスカレーターに乗ってしまった。

「ボケたんじゃんない?」と女房にいわれてしまった。
「そんなことはない!」
「上りと下りが、普通とは逆についているのがおかしいんだ」と、思わず文句をいってしまった。

1_2

シャレオの階段だって、上りの人は、普通は左側を歩く。
つまり左側通行ということだ。
アストラムラインのエスカレーターも左側通行だ

広島市内では、どうもこのNHKビルのエスカレーターだけが、左右逆の右側通行になっているようだ。

ネットで、この左側通行について調べてみると、なかなか面白いことがわかった。
「日本の左側通行については、江戸時代頃から武士などが左腰に差している刀が触れ合うことを避けて、自然と左側通行になっていったという説が一般に流布している。
欧州大陸諸国の右側通行については、馬車の馭者は右手で鞭を振るうので、対向する馬車に鞭を当てないために自然と右側通行になったという説がある。
しかし、どの説も決め手に欠け、実はなぜ右側通行・左側通行になったのかはっきりとわかっていない。
かって日本では、自動車と歩行者が同じく左側通行だったが、自動車の交通量の増大に伴い、交通事故の危険性が増加したことから、第二次世界大戦後に自動車と歩行者の対面交通が採用された。
その際、歩行者の通行区分を右側通行に変更した。
このことから、日本の小学校では廊下の右側通行を指導する事例も見受けられる。
しかしながら、鉄道駅では人が左側通行をすることを前提に設計されてきた為、一般道路で人の右側通行が採用されて以降も、人の左側通行が採用されている場合が多い」
とある。

そう言われてみると、現実の状況は必ずしもこうと決まっているわけではないようだ。

東京の山手線の駅、羽田空港のエスカレーターは左側通行だが、駅の階段の上り下りは、大体左側通行だ。
それもその階段の位置、時間によって違っているようだ。
紛らわしい。

大分以前だが、TVの番組で、全国の駅の階段で、人は左側を歩くのか、右側を歩くのかという調査をしていた。
東京では左側、大阪では右側を歩くといっていた。
つまり、東京と大阪では逆なのだ。
さらに、その右側通行か、左側通行かが、大阪文化圏と東京文化圏の境目となっているということで、その境目がどこかということも調べていた。
その境目は、確か滋賀県と岐阜県の県境の駅だったように記憶している。

そうしてみると、階段を歩く時は左側通行で、エスカレーターでは右側通行というのが、そもそもおかしいということになる。

エスカレーターも左側通行にした方がより自然だといえそうだ。
この際、このNHKビルのエスカレーターも上りと下りを逆にした方がいいのではないだろうか。

どうでもいいことのようだけど、結構重要な問題ですよね・・・・

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月13日 (日)

ふれ愛プラザ

シャレオの南ゾーンの端に「ふれ愛プラザ」というお店がある。

シャレオの南のゾーンは、若い女性向きのファッション店が並んでいるゾーンだ。
そんなお店に並んで「ふれ愛プラザ」はある。

なんでこんないい場所に、こんなお店があるのか、以前からなんとなく不思議に感じていた。

店先には手作りの木馬が置かれ、店内にはパン、クッキー、手作りの布製バッグ、陶磁器等の商品が置かれている。
お店というより、手作り作品の展示会のようである。
ちょっと雰囲気が違う。
お客も少ない。

1

ネットで「ふれ愛プラザ」を検索して見ると
「広島市の中心地、紙屋町地下街の「シャレオ」で、障害者福祉施設において製作した、心のこもった手作りのセルプ製品を展示・販売しています。
単に商品の販売を行うだけの場ではなく、福祉情報の発信、障害者等との交流、授産製品の販売拠点となる福祉公共スペースとして、障害者プランの基本理念である「ノーマライゼーション」の推進と県民、市民の方々へのご理解を深めていただくための場所となっています。
社団法人広島県就労振興センターが運営し、広島県、広島市、ふれ愛プラザ振興会、社会福祉法人広島県社会福祉協議会、広島市就労支援センターの協力を頂いております。」
と書かれている。

そういうこと!
広島らしい試みだ。

それならそれで、もうちょっとここの良さを訴えたら、売れるようになるだろうにと思う。
ここで売ってる物だって、ある意味今の時代あっているといえる。
商品に1つ1つに物語がある。
今は物余りの時代だ。
安いだけでは人は買ってくれない。

本通りにある「ひろしま夢プラザ」は毎日店頭に並べる商品をイベント的に扱うことで大成功した。
そんなふうに、売ってるものをイベント的に見せるようにしたらいい。

去年の夏、シャレオ中央広場でNPO法人ひゅーるぽんの主催で、知的障害者の絵画、陶芸、書の展示と販売、それに「ふれ愛プラザの商品」の販売をしていたこともある。
いい試みだった。

アキハバラ塾と提携して、ネット販売も積極的に進めたっていい。

「ふれ愛プラザ」の活動内容がきちんと市民に理解されれば、そうした活動を応援したいと思っている市民は沢山いる筈だ。

そうして売れるようになれば、製作している人たちの励みにもなるだろうし、施設の運営費の助けにもなるだろうと思う。

結果として、シャレオが郊外のショッピングセンターとも一味違うというレゾンデートル、存在意味を高めることにもなるはずだ

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月12日 (土)

OB会

 一年振りのOB会が開かれた。創業58年を迎えたRCCのOBは既に360人に達している。企業の業績を考えて18回目の今年から会費制が導入されたが100人を超える参加があった。まず、この1年で亡くなった4人の先輩の冥福を祈って黙とうをささげた。
 ここ数年は、毎年4~5人の物故者が出ており、それなりに重ねてきた歴史を感じる。

 昨年は杖を頼りに参加した者は私だけ?だったが、今年は4~5人を見かけた。お互いに老朽化が進んで足腰の痛みと付き合っている話に花が咲いた。また、同病の体験者がなんとなく寄りあって互いの病状や健康度を話題にするのも時の流れを実感する

OB会がこの時期に開かれるのは、前年度の業績がまとまって公表されるのに合わせてOBにも報告しておこうと始められたものだ。過去5年は残念ながら減収減益が続いていたが、6年振りの増益報告(1億2,100万円)は喜ばしい限りだ。

 ピーク時には140億円あった売上額は101億8800万円と大幅に後退している。
 民放業界はキー局をはじめ全国的のピークを越えた事業体で多メディア時代の波をモロに受けて、設備投資費が大きいデジタル化の仕上げを急いでいる。
 今年度はデジタル化最終年。民放4社とNHKが共同で建設運営する中継局は当初は県内全域をカバーする為に10局程度の建設が言われていた。所が、山間部に島嶼部と広島県は電波の谷間と言われる難視聴地域が多い県と言われている。アナログで97局あるが既に24局完成し、今年度中に17ケ所を建設させなければならない。他県に比べて施設投資費が大きいエリアとなっている。それにしても各家庭の受像機のデジタル化率があとアナログ打ち切り1年を残して85%に到達したのは予想以上の達成率と言えそうだ。

 RCCの創立は昭和27年(‘52年)でラジオ局としてスタートし昭和34年のテレビ開局前後の5~6年は毎年4~50人の社員を採用し一時は400人に膨れ上がった。
 デジタル化が具体的スケジュールに入った‘00年頃からテレビ開局前後の入社組の退職を機会に人員削減を進め、今では200人余まで縮減した。
 60歳定年後の3年間を週3~4日、働ける制度を活用している者も半数近くいる。

1_6

 とはいっても制作部門等のグループ関連社の下請け化の拡大で凌いでいるのが実態で、放送界の次世代の課題の3Dテレビへの序章はまだまだ先?と言うのが実感だ。曲がり角に立つ民放界には当分の間厳しい状況が続く事になるだろうが、OB会は今後も継続して欲しい…ものだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月11日 (金)

街角のホットコーナー

 たばこの自動販売機での購入にパスポ・成人の識別カードが導入されて2年になる。
 面倒な自販機購入の売り上げは大幅に三分の一にまで落ちた。一方でコンビニなど対面販売の店ではカートン単位でまとめ買いする人も増えた。
 そんなぎすぎすした環境の中で、最近街角で目につくホットコーナーに気付いた。

 禁煙ブームの火付け役は‘02年に東京の千代田区が屋外では決められたエリア以外での喫煙を規制する「路上の歩きたばこ禁止条例」を全国の自治体で初めて導入した。違反者には2千円の過料を科して『街角クリーン大作戦』の展開をスタートさせた事に始まった。
 道路や歩道の至る所に大きな禁煙マークをプリントして喫煙マナーの向上と禁煙運動を始めた。当時はまだ一日4箱前後のヘビースモーカーだった私は千代田区で開かれる年6回の会議に出席のために上京する際に何回か監視員の注意とご指導を得た事がある。

 大人の嗜好品として国の大きな税の収入源として長年実施してきた喫煙だけに当初は戸惑いや喫煙者の反発が強かった。しかし、1年もすると街からポイ捨てのたばこが大幅に減る効果が表れて、たちまち全国に波及した。

 ‘04年には広島市でも『ポイ捨てに関する条例』が制定され『喫煙制限区域』での路上喫煙が規制されるようになった。街頭における指導員が毎日繁華街の制限区域に出かけて歩行喫煙者の指導と違反者に千円の過料の徴収をし続けている…。

 私は完全な禁煙をして3年が経過し、人ごみに出かける機会も減ったが確実に喫煙歩行者は減っている。近頃、歩きながら煙草をくわえている人には余りであったことが無い…。
 先月オープンした本通りのスーパーの入口に喫煙コーナーが出来た。石の椅子に灰皿を置いた小さなコーナーで飲み物の自販機がある休憩所でもある。立町の駐車場やNHK隣のビルの1階にも同じスタイルの喫煙コーナーがある。

1_5

 規制ばかりでは街は生き生きしない。喫煙コーナー設置は事業者の社会的メセナ?と考えると納得がいく。多くの人が集散する公共的な場所をがんじがらめの規制だけでは潤いも消えてしまう。パルコや東急ハンズ等の様に公共施設に頼るだけでなく“自前の駐輪場設置”と同じ『メセナ』と見られる。優しい街づくりに一役買っている“街のホットコーナー”と言えよう。敬遠されがちな施設も事業者の考え方ひとつで“優しい街”づくりに果たす役割は大きく、奨励される。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月10日 (木)

被爆地蔵さん

 平和公園は今、小学校の修学旅行の最盛期だ。散歩をしていると学習帳を片手にグループであちこちの石碑などを回る子どもたちに、時々尋ねられることがある。
 先日、岡山の小学生に「西蓮寺の被爆地蔵」について尋ねられた。
 場所を教えた後、日を改めて20年余振りにお地蔵さんに足を運んでみた。

1_42

 西蓮寺は原爆ドームの東側の道を挟んだ隣にある。距離にして50メートル浄土真宗のお寺だ。慶長年間の開基と言うから400年余り前からある寺だ。
 あの日、お寺は跡形もなく破壊され尽くしたが、地蔵さんは瓦礫と化した墓地の中で鎮座した形で見つかった。
 猛烈な熱線と爆風が襲ったがほぼ真上からの被爆だったので台座にあたる石にはいまだに「被爆の影」がくっきりと残っているのは驚きだ。今は頭に赤い頭巾をかぶっているが石が溶けてザラザラ状に残っている…と説明板にある。ここは知名度は高いが、あまりに原爆ドームに近くて見逃されやすい場所だ。

 もうひとつ尋ねたのは「とうかさん」で良く知られる三川町の円隆寺にある『子まもり地蔵』だ。ここはいまだに神仏混合時代の名残を引く珍しいお寺です。
 戦時下ではここには25名の子どもが分宿していましたが全員が被爆し建物の下敷きになるなどして亡くなった。ここの地蔵さんは吉島辺りで被爆したものを戦後住職が供養のために『子まもり地蔵』と名付けて境内の墓地に据えたもので、今もお参りする人は多い。

 市内のあちこちで地蔵さんを見かけるがその多くはそれぞれの地域で被爆し亡くなられた原爆犠牲者の冥福を祈念して戦後に建立された物が多い。また、街角や公園にはたいてい被爆の絵や記録を名盤にした記念碑や祈念の彫像がある。それぞれの地域で被爆の惨状を語れる人は年々少なくなるだけに、しっかりとした形で記録を残さなければならない…。
 広島の記録は原爆資料館にまとめて留める事に加えて地域の記録をその地域にも残す意味合いは大きい。久し振りに「被爆地蔵」を訪ねて、街角の被爆記録は暮らしの中で引き継ぐ為にも、改めて大切にしなければならないと感じた。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月 9日 (水)

出来るか『相撲協会』改革

 相撲協会が暴力団組員に『維持員席』いわゆる“砂かぶり”での観戦に便宜を図った親方2人の処分を決めた。事実上の“部屋の閉鎖”は結構厳しい処分の様だが、トカゲのしっぽ切りに過ぎないようにも思える。相次ぐ相撲界の抜本改革は何が必要なのか…?

 相撲界はここ数年、リンチまがいの力士死亡事件に度重なる大麻事件、元横綱・朝青龍の巡業を休んでの無断帰国や引退の契機になった暴行騒動に大関の琴光喜の野球賭博などが指摘され、とめどなく相次ぐ不祥事に揺れている。

 国技“を掲げた財団法人の優遇制度を目一杯に活かしたプロスポーツなのか?怪しいと指摘する声もあって、「スポーツ馬鹿・スモウ馬鹿」と放置できない状況にあって、改めて厳しいチェックが求められているのではないだろうか。

 相撲界と暴力団の関わりは古く、戦前から地方巡業を地元のヤクザが興行師として勧進元をつとめる“持ちつ持たれつの関係“にあった事はよく知られている。
 山口組は神戸の港湾荷揚げ作業などで神戸を拠点に国の出先機関にも幅を利かせ、戦後は芸能社を起こして美空ひばりをはじめとするタレントの興行でも全国に勢力を伸ばし、相撲やプロレスなどのプロスポーツの勧進元にも手を広げていた。

 最近テレビの画面で見た写真は昭和61年から10年間横綱を張ったあの大鵬の締めた化粧回しに《田岡》と山口組の紋《菱目》が入っていた。紛れもなく広域暴力団山口組の田岡組長の贈り物であった証拠品を堂々と締めていた…のには驚いた。
 昭和60年の安保条約締結を巡って連日国会へデモ隊が押し寄せたが当時の岸首相と自民党政府はデモ鎮圧にヤクザや右翼にテキ屋の動員に動いた…と噂される位、深い関係が言われた。終戦直後の混乱期の警察の手薄を彼らがカバーした腐れ縁が戦後の暴力団や右翼を増長させた歴史が、今も形を変えて相撲社会に食い込んでいる…と言える。

 相撲協会も外部委員や理事を招いてそれなりの努力をしているとは言うものの、後を絶たない不祥事を断ち切るためにはいまだに幅を利かせている『ゴッツアン!!』のシガラミ世界に決別する覚悟が大事だ。外国人力士が三分の一を超える相撲社会を『国技』の座らせるには文科省が思いきった対策を講じるしかない…と思う。
 年間100億を超える興業を『国技』の名のもとで“財団法人としての税の優遇措置“で500億円近い資産を蓄えてきた相撲協会。文科省は法人格の取り消しなど厳しい対応を前提にしない限り、黒い組織との断絶や国技としての品位も守れない…のではなかろうか。
 今こそ、大相撲はトカゲのしっぽ切りではなく抜本改革の時ではないか…。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月 8日 (火)

サティー駐車場と現代美術館

先週の日曜日、比治山の東、段原のサティーに車を留め、現代美術館で開かれている都築響一展を見にいった。

カエルをモチーフにした橋、庭に置かれている仏像の写真等が展示されている。
どれも、普通なら通り過ぎてしまうような街の景色を切り取ってみせてくれる。
貴方の住んでいる街は、こんなに面白いところがあるよと教えてくれる。

全国のラブホテルの部屋の写真が数百枚も並べられていたのは凄かった。
都築氏はこれだけの数のホテルに全て泊まったんだろうか、なんて余計なことを考えてしまった。

ラブホテルは、どうも欧米にはない類の宿泊施設のようだ。
ベッドの形も壁の様子も、部屋に置かれている物もそれぞれ皆違う。
なぜ日本でだけラブホテルが、こんなにも発達したのかを分析するだけでも面白い論文になるだろうが、それにしてもラブホテルのそれぞれの部屋が、それぞれこんなにも個性的で、こんなにも高度な技術で作りこまれているというのには驚く。

今回の現代美術館の展示はちょっといままでの展示と様子が違って面白かった。

広島市現代美術館もその時々でやる企画展はなかなか考えられている。

それにしても現代美術館に行くときは、いつも駐車場に困る。

サティーで買物をすれば、サティーの駐車場は2時間まで無料となるはずだと、今回はサティーの駐車場に止めた。
現代美術館のチケットの半券を見せれば、同じように2時間まで無料になるようだ。
その費用は後で現代美術館が負担するのだろう。
今回は夕食の買物もするついでもあったので、1階の食料品売り場で買い物をし、2時間の無料券を使った。

1_3

サティー駐車場の案内をよく読めば、平日は駐車料金を無料とある。
有料なのは土休日だけのようだ。

ここ数年の間に、幾つもの大きなSCが周辺にでき、サティーのお客が減っていることに対しての策だろう。

日曜日だといっても、1階の食料品売り場は除き、2階から上はいつも閑散としている。

それならいっそ、駐車料金は全日無料としたらどうだろうか。
その方がSCに来る人も増えるだろうし、現代美術館の利用者も増えるだろうと思う。
お互いにメリットがあるはずだ。
都市計画でいう集積複合効果ということだ。

駐車場だけ使って、サティーで買物もしてくれないお客が増えても意味がないなんて、ケチな考えは止めたらどうだろうか。

サティーの駐車場に止めれば、何回かに一度は買物をするはずだ。
よくいわれる集積効果、複合効果といわれるやつだ。
少なくとも、市民には喜ばれることは確かだ。

「損して得取れ」と、昔の人はいってるじゃありませんか。
ネー・・・

それにしてもサティーの駐車場から比治山を上るエスカレーターへの入り口が解りにくい。
ついでにこれも工夫したらいい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月 7日 (月)

エキュート

夕方、羽田空港に向かう途中、品川駅に着いた頃、妙に腹が減ってきた。
普段は品川駅の構内の飲食店によっていたが、今回はちょっと趣向を変えてみようと、探し歩いた。

構内の東京湾側に歩いたところに、ちょっと洒落たお店があった。
1階はデパ地下のお惣菜のお店や、お菓子のお店が入っている。
2階には文具のお店ややレストランがある。

2階のインドカレーのお店、シッターラに入った。
店員は殆どがインド人だ。
料理もインド風の薄く引き延ばしたパンのようなもの、ナーンを、手でちぎって、カレースープを付けて食べた。
美味い。
お店の入り口にはスパイスの材料がガラスの筒状のケースに入れて展示されている。
結構本格的だ。

1_2

ここは、JR東日本が最近新たに展開しているSCエキュートの中の1店だ。
全体的に、ちょっとお店の作りは、オシャレだが、値段はその割に安い。

いままでの駅のお店といえば、キオスクと立ち食いそばのお店を思い浮かべるが、このエキュートに入っているお店はそれとは、かなりイメージが違う。
東京駅の前の地下街の名店街とも違う。

駅の中に高級コンビニが出来多様な雰囲気とでもいうのだろうか、それこそ駅の中にデパートができたような雰囲気になっている。

普通の街中のレストランとエキュートの中のお店との違いは、お客の違いから生じているようだ。
エキュートのお客は、ここを目的としてくるのでなく、どこかにいく途中に寄る客だ。

そうであれば、誰でもが気軽に入れる気安さと価格の安さが必須条件だろう。
スタンドが多いのもそのためだろう。
女性でも入りやすさを作り出している。

時代の変化を改めて感じる。

これも国鉄民営化の効果の1つなのだろうか。

こんなお店が駅に出来るのは、利用者としては有難いことだが、街のレストランとしては、あまりに強力なライバルが増えることになる。
客を奪われることになるから、大変だろうと思う。

広島駅の線路の上にも、こうしたお店が作られるのだろうか。
大変だ?
いいことだ?

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月 6日 (日)

朱と住吉橋

世界遺産にも登録されている厳島神社は建物もそうだが、海の中から生えてきたような形の朱の鳥居は、際だって素晴らしい。
潮の干満で見え隠れするその柱の部分もなんともいえない逞しさがあるが、塗られた朱の色がまた素晴らしい。

赤色は、陶工柿右衛門ではないが、鮮やかな赤色を出すのはそう簡単ではないはずだ。

普通のペンキでは、すぐ風化して、寝ぼけた赤になってしまう。
そもそもペンキなんて近代になって日本に来た技術だ。

厳島神社の鳥居のあの鮮やかな朱色は、古くから伝わる鉛を使った朱色なのだという。
鉛は欧州等では有害物質として忌み嫌われているが、大阪堺の老舗企業、「鉛市」が鉛の粒子を細かくコントロールするナノテク技術を開発し、無害で、鮮やかな朱色を作り出すことを可能にしたのだという。
「鉛市」は、創業が応永2年(1395年)、600年以上もの歴史を有する老舗企業だ。
鉛も日本の企業にかかると一味違ってくるようだ。
この鉛市の製品「鉛丹」は、古くから陶磁器の釉薬、漢方薬などに用いられていただけでなく、朱色は「魔よけ」の色として神社仏閣に多く用いられてきたともいう。

旧太田川の住吉神社の近くに架かる住吉橋は数年前に赤く塗装がされた。
直ぐ近くにある住吉神社の柱等に使われている赤の色に合わせたのだろうが、なにか寝ぼけている。
橋を赤く塗るだけでも随分議論があったようだが、塗られた赤が鉄骨の下塗りに使われるような赤色のためか、何か橋がまだ工事中という感じがしてしまう。

1

この際、厳島神社の鳥居と同じ朱色にしたらどうだろうか。
住吉神社の赤い色に合わせるのでなく、厳島神社の朱に合わせるのだ。

住吉橋を渡って東に数百Mいったところには、数年前に完成した真白な明治橋がある。

「真白な明治橋と鮮やかな朱色の明治橋を渡って、住吉神社で結婚式を挙げれば、幸せになれる」
とでも宣伝したら、広島のちょっとした名所になるかもしれない。
ナノテクを使って無害化した鉛を使っているなんても、広島らしくていい。
ついでに、住吉神社も「鉛市の鉛丹」を使って、朱色に塗り替えたらどうだろうか。

厳島神社の朱色に合わせたと言えば、そんなに反対もない
????

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月 5日 (土)

「買い物難民」国の支援対策

『買い物難民』とか『買い物弱者』という言葉をご存知ですか。
最近、テレビのワイド番組で知り、改めて考えさせられた。

スーパーの閉店や商店街の衰退などで食料品や日用品の購入に困る高齢者のことだ。
『買い物難民・買い物弱者』が全国に600万人いると言う。経済産業省が近くその支援策を出す準備が進んでいるようだ。

昭和50年代に開発された高陽町の団地に住んでいる知人の話では7軒の隣組の中で夫婦揃って健在なのは2組でご主人に先立たれた3人と妻に先立たれた2人がいる。このうち70歳になる友人は昨年奥さんに先立たれたが、一番若く未だ元気に働いている。
2~300件ある町内会で、幼児や小中学生は1人もいない老人の団地になってしまった。
近くのスーパーがコンビニの影響で規模を縮小し、車に乗れる人は遠くの大型スーパーに出かけるが、免許や車の無いがない人は極端に不便になりつつあるという。

そういえば我が家は街中で24軒の小さなマンションだが、ここでも80才以上で一人住まいのお年寄りが3人もいて、買い物は大変なようだ。そう考えて見ると所謂『買い物難民・買い物弱者』は過疎地や郊外の団地だけの問題ではない。

最近、高齢者ドライバーがブレーキとアクセルを間違えて店に突っ込んで死傷者を出す大事故のニュースが頻発している。こうした事故防止に高齢者の運転免許証の返納が促進される半面、買い物のための運転にそれが出来ない人も多いと考えられる。
運転免許を持たないで過ごしてきた私から見て“厳しい高齢者ドライバーに対する批判の眼差し”を、今一度見直して、背景にある社会的問題としての対応が求められている…。

「規制を撤廃」して「自由競争」という経済至上主義に走った小泉内閣の政策と平成の大合併が生んだ過疎の促進と言う置き土産で、今や全国の「シャッター街・通り」現象となっている。これら商店街の再生も課題で、その原因になった大型店の進出の規制や見直しも必要な時期ではないだろうか…。大型店の中には電話で注文を受けて配達や地域を巡回する買い物バス・タクシーの運行を始めた店もあるようだ。

宅配や移動販売に足の確保等の支援策が考えられるが民間サービスは採算が取りにくい地域では自治体や商店街の連携も大切な支援になる。壊れてしまったコミュニティーの復活を含めて、国には法律の整備と法の運用を活かした支援が期待される…。孤独死などを含む深刻な高齢者対策としての抜本策が求められている…のだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月 4日 (金)

劇団四季、長期公演第四弾発進!! 

 劇団四季のミュージカル長期公演の第四弾「マンマミーヤ」が始まった。
 劇団四季の広島公演は結成直後から始まって50年超しになるが、長年の念願だった長期公演は‘01年の『オペラ座の怪人』’03年の『キャッツ』‘08年の『美女と野獣』に次ぐ4弾になる。これまで3回の長期公演では40万人を超える観客を動員している。
 その20~25%は県外からの入り込み客となると、今回も7月11日まで50回の公演に寄せる関係者の期待度は大きい。

1_5

 「マンマミーヤ」は‘99年にロンドンで初演、世界の225都市の公演で4000万人が観ている。日本では‘02年の東京の電通劇場で前田美波里の主演公演以後180万人を動員したABBAの人気の作品だ。私はこの時以来、8年振り2度目の観劇となった。

 エーゲ海の小島を舞台に小さなホテルを営むシングルマザーと娘が結婚式を前に実の父を巡って引き起こす騒動と人生模様を壮大な音楽で綴るパワフルな2時間半。

 終演と同時に客席は全員が立ち上がって歓声と手拍子が鳴りやまず音楽に合わせて舞台と観客が一体の熱気に包まれたカーテンコールだった

2

 閉幕後、ホテルでオープニング記念パーティーが開かれ、関係者に出演者も駆けつけて華やかな雰囲気の余韻を楽しめた。中には2人の広島県出身者もいた。
 「美女と野獣」にも参加していた東広島市出身の雲田隆弘さんに丸2年振りに出会った。入団13年目のベテランで郷里の公演に参加でき両親や友人達に見てもらえる喜びに目を輝かせていた。

 デフレ不況の風は文化事業にも影を落としていて、過去3回とは大きく環境が異なって一層厳しいと見られている。一方、今回公演の如何で次は劇団四季とっておきの「ライオンキング」など、まだ広島で未公開の作品の長期公演の呼び込み繋がり、期待も大きい。
 “文化の東京一極集中を是正するため全国へミュージカルの感動を出前する“という理念で始まった地方公演の契機は創業時代、広島人のアドバイスにあった。広島に元気と賑わいと文化の香りを運ぶ劇団四季の公演に『広島の文化度を示す実績』で成功を祈りたい。
<問い合わせ:劇団四季広島オフィス 082-503-3411 http://www.shiki.gr.jp

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月 3日 (木)

五月の風

 5月もGW後に天候不順が続き、下旬を迎えてやっと5月らしい日になった。
 夏日でありながら湿気が低いせいで、久しぶりの日本晴れ?五月晴れが重なって気持ち良い散歩が出来た。頬をなでる風が柔らかでサラリと乾いていて爽やかだ。

 もう40年も前、10年余にわたったテレビドラマ・シリーズの中で夫を失い子どもを抱えてパンツ屋の行商をしながら頑張る母(森光子)が心の支えにしている詩があった。
 この時期になると不思議にその一節を思い出す。

 「…貧しいから、あなたにあげるものといったら、柔らかな五月の風と、精一杯愛する心だけです…。」

 五月の風には時として匂いを感じる。それは何と言っても青葉や萌黄の匂いだと思う。
 いわゆる薫風と言われる風の匂いだ。今日は久しぶりに薫風を感じた…。
 薫風は俳句の季語で、日常生活にはあまり使わないが季節を表す言葉として時に実感を強める事がある。今日がその日だった…?

 薫風を辞書で見ると『南風、温和な風、かんばしい風、青嵐アオアラシ』に『青葉の香り吹きおくる初夏の風』とある。南風が緑の木々を渡って、すがすがしく匂うように吹いてくる…のを讃えた言葉が『南風』とも説明されている。

 一年の内で最も快い五月の風が『薫風』と言われる所以は、意外に短い期間で結構不純な時期の希少なチャンスだから…と考えれば“異常気象“天候不順“と嘆くより以外にも納得のいく現象かもしれない。

 五月の風は短くて希少だから感じやすくもある。この梅雨前の短い時期に何日、何回の薫風に出くわすか、終日のんびりと暮らす暇人にしか得られない貴重な感覚かもしれない。

1_4

 こんな時期に我が家のベランダで10年越しのシンビジュウムが今年も花をつけた。小さな茎に30輪を超える花が五月の風を受けて見事に開いた。

 午後の陽ざしの中で薫風を感じながらベランダで味わうビールの味は格別だ。
 これから梅雨に入るまでの短い期間はまだ薫風の季節だ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月 2日 (水)

文字の多い看板

平和大通りと大手町通りの角に、おにぎり専門のお店、仁多屋がオープンした。
おにぎり専門のお店というのも珍しいが、こんなに文字の多い看板は初めて見た。
2M×4M位の大きさの壁に、文字がびっちりと書きこまれている。

「仁多屋のこだわりのおにぎり」、とちょっと大きめに書かれた文字に続いて、
「お米は、島根県出雲町仁多米コシヒカリ100%、1年中籾のままでの状態で15℃以下で保存しています。水は奥出雲の地下150Mから湧き上がる天然イオン水を使っています。海苔は広島県産田島海苔を使っています」と、おにぎりの能書きが長々と書かれている。
300字を越えようかという長さだ。

そんなことはパンフレットに書かれているのが普通だ。
それが、ここでは道路に面した壁一杯にかかれている。

書かれているというより、画かれているといったほうがいいだろう。
茶色の木の板に、白く筆で描かれた字は、絵のように美しい。
思わず読んでしまった。

1_3

お店の看板は、普通はできるだけ短く、削りに削って省略した表現をする。
お店の名前だけとか、マークだけにするのが普通だ。

その最たる例は、ナイキの「✓」だけを書いた看板だろう。
「✓」なんて、誰でも普段の生活の中で使っている。
それを会社のマークにしてしまったというも凄い。

日本の国旗も、白い地に赤い丸を書いただけだ。

仁多屋の看板は、全くその逆を行っている。

欧米では、こんな類の看板を見たことがない。

そういえば、日本には古来、詩や思いを掛け軸に書いて床の間に飾る習慣がある。
書かれた文字を鑑賞するなんてことは、漢字文化圏の日本ならではことだ。

その変形だと思えば、いままでだって、当然あって然るべきだろうということになる。

改めて街のお店の看板を注意して見てみると、これほどではないが、結構文字の多い看板が増えていることがわかる。

こんな文字の多い看板も、新しい日本の文化が生まれていると見たらいいのだろう。
街の楽しさが1つ増えた???

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2010年6月 1日 (火)

ALSOKホールと劇団四季

白島のALSOKホールで、マンマ・ミーアの広島公演が始まった。
劇団四季の広島公演もすっかり定着した。
広島でのロングラン公演はキャッツ等に続き、今回が4回目だという。

物語はエーゲ海の小島でホテルを経営するシングルマザーの娘が、結婚をすることになった。
偶然見つけた母親の日記から、自分の父親と思われる3人の男を知り、その3人の男を結婚式に呼ぶということから、ストーリーは展開する。
男なら、誰しも身に覚えがありそうな話だ。
誰が本当の父親か、おもわずその展開に引きこまれてしまった。

マンマ・ミーアのもう一つの見どころは、ダンシング・クイーン等1970年代にヒットした歌を中心に、スエーデン出身のポップスグループABBAのヒットソング22曲でストーリーが構成されていることだ。

客席には、ABBAの熱烈なフアンクラブの人たちが、東京からも沢山来ていたようだ。

1_2

劇団四季の公演は年間3,000ステージを越え、俳優・スタッフ700名以上抱えているという。
常設、専用劇場は全国に7か所もある。
その他に、広島のように毎年公演だけをしている都市は、毎年かなりの数になるようだ。
劇団四季は、常時10か所近くの劇場で公演しているというわけだ。
凄いことだ。

日本のプロ野球の支配下選手の日本国内出身者は774名だという。
劇団四季の組織は、今では、プロ野球の組織に迫ろうというほどになっているといえる。

世界的にもこんな大きくなった劇団は無いようだ。
劇団という組織を、こんなにも大きく育てた浅利慶太氏の手腕には、ただひらすら感心するばかりだ。

近年は、小中学校を回って、ミュージカルについて教えるボランティア活動もしているという。
その活動方式も随分と多様になっているようだ。

私の知人の娘さんは小さい頃からバレーを習っていたが、高校生の頃劇団四季のオーデションを受けたが、落ちたと言っていた。
メンバーになるのは極めて難しいらしい。

ましてやレギュラーメンバーになろうとしたら、もっと大変なことなんだろうと思う。

700人の中には、レギュラーになれず、研修中の若者も相当数いる筈だ。
それなら、その若者たちの研修中の姿もみせるようにしたらどうだろうか。

私の亡くなった父は、プロ野球の2軍の試合をよく見に行っていた。
野球が好きという以上に、上にあがろうとして一生懸命に頑張っている姿が気に入っていたようだ。

劇団四季の研修生も、演技はまだまだ未熟でレギュラーにはなれないが、ともかく一生懸命やっている姿を、市民に見せるようにしたらいい。
それはそれで結構観客を集めるのではないだろうか。

ALSOKホールには今は使われていないホテル部門もある。
そこを、研修生の寮として使ってもいい。
宴会場、会議室もあるから、劇団四季の専用ビルとするには最高だろうと思う。

ALSOKホールの立地する白島地区には、3年後の平成26年には、山陽本線とアストラムラインの乗換駅、白島新駅もできる。
そうなれば中国、四国地区からのアクセスも格段に良くなる。
いまでも劇団四季の観客の3割以上は県外客だというから、将来はさらにお客が増えることだって期待できる。

この際、劇団四季は思い切って、ALSOKホールを中四国地方の拠点としたらどうだろうか。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

関連書籍

  • サイフもココロもハッピーに!ちょびリッチ
2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30