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2010年6月30日 (水)

安保50年・樺美智子さん「死の真相」①

 我々の世代では6月15日と言えば50年前の1960年6月15日の夜、日米安保条約の改定に反対する学生が国会に突入したデモで亡くなった東大生樺美智子(22)さんの命日と記憶する者は多い。

 御庄博実のペンネームで詩人としても著名な共立病院の名誉院長の丸屋博先生(85)が「樺美智子さんの解剖所見から死因追及の検証」に関わった医師として命日にあたる夜『樺さんの死と60年安保』を振り返って講演された…。

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 岩国で生まれ入市被爆者でもある丸屋先生は岡山大学医学部を結核のため4年遅れで卒業し昭和29年に東京の代々木病院に内科医として就職された。
 昭和30年6月の国会周辺は連日道路一杯に埋め尽くした学生デモが繰り広げられていた。
 
 その日は三池闘争に反安保闘争のうねりが重なって、全国で580万人がストとデモに参加した。国会周辺では学生デモ8000人に機動隊が猛烈な弾圧を加え女子学生樺美智子さんが死亡し1000人のけが人200人近い逮捕者が出た。18日には岸内閣打倒を目指し樺さんの遺影を掲げた33万のデモが国会を取り巻き、4万人が徹夜で座り込む中改定安保は自然成立した。当時デモの鎮圧には田中清玄や児玉ヨシオ等右翼暴力団が動員…の噂があった。

 関西で学生時代を過ごした私は県学連に加入したばかりの学生自治会の世話役の一人として神戸市内でのデモ行進に参加する学生の勧誘に忙しかった。バスを仕立てゼミぐるみで指導教授も一緒に参加を繰り返していた。デモの終点になる裁判所近くにいた母の知人に発見されないように旗に体をまいて隠れながら参加した。帰路に知人宅によると「デモに参加した?就職できなくなるよ!お母さんが心配しているよ!!」と声をかけられていた。
 生田署に「ビラまき」の事情聴取に2度ばかり連行された事もあった…。

 樺さんの死因を巡って警察検察は「人なだれによる圧迫死」と結論付けた。これに対し国民救援会は「警棒による腹部―膵臓の挫滅と更に頸を絞められて窒息死した」という見解を出した。当時、この解剖所見をまとめたのが丸屋博医師だ。
 丸屋さんは今年になって当時樺さんと行動を共にしていた友人2人とあって、『樺美智子さんの“死の真相”』に確信を深め、改めて歴史に刻む試みに緒戦しておられる…。
 丸屋医師の一人の少女の死に隠された歴史的な真相追究…だ。≪続く≫

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