童話作家の誕生
広島ではこの時期の恒例になった「アンデルセン・メルヘン大賞」に友人の斎藤忠臣さんが選ばれた。
病気の父親の介護をまかせっきりにしていた奥さんが体調を崩され、介護を手助けするために3年前に広島平和センターの理事長を引いた斎藤さんは時間を見つけて童話教室で手解きを受けながら童話執筆に挑戦していた。
「被爆した馬の話を温めている…」と聞いた覚えがある。
アンデルセン・メルヘン大賞は広島のベーカリー“アンデルセン”が自社商品のお手本の国デンマークを代表する童話作家アンデルセンに因んで1983年に創設した。爾来、回を重ねて27回目を迎えた創作童話の公募で、これまで多くの作家を育ててきた童話作家・児童文学者への登竜門になっている。
斎藤さんは朝日新聞の記者として2度の広島勤務を経験し、大阪本社でも編集委員として長年『原爆・平和問題』を担当したベテラン記者だ。朝日を退職した後は前記のように‘03年から4年間広島平和文化センターの理事長を務めた…。
斎藤さんは原爆資料館で多くの子供たちと接して子供に語れる童話の創作を学びたい…と聞いた事がある。退職後に父の介護をしながらアンデルセンが主宰する童話教室に大阪から通い続け、今回初めてメルヘン大賞に応募して1615点の中から大賞を射止めた。
受賞作の「無人島の公衆電話」は記者時代に取材した実話を題材に創作した。
夏休みに、洋はおじいちゃんの船でミカン山のある無人島に初めて行くことにした。島は10年前に無人島になったが、遭難者が困らないように公衆電話を残していた。おじいちゃんは赤電話の前に手造りのカリン糖と10円玉を置く。思いついた洋はおばあちゃんに電話をかけて潮騒の音を聞かせてあげる…祖父母と孫が織りなす家族の心の触れ合いを400字詰め原稿用紙9枚に託した。
このブログで全文を紹介しようと考えたが既に版権がアンデルセンに帰属していて出来ないことが分かった。秋(10月1日)には絵本として出版の運びになっている。
斎藤さんは次作にヒロシマをテーマにした作品を主題に童話作家としてのスタートを切っている。記者として長年培った経験と出会いとりわけヒロシマを意識した子ども達の心を捉える作品づくりに専心されることに期待しエールを送りたい。
<27回受賞リストと過去の作品リストはアンデルセンHPで閲覧できる>
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