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2010年3月24日 (水)

「記者からニコヨン」を生きた吉田治平さん

 吉田治平さん…と言っても今ではピンとくる人は少ない。私たち世代の広島の記者たちには馴染みの名前で、昭和30年代から平成の始め頃まで失対事業(失業対策事業=当時の日給でニコヨンと呼ばれていた)を取り仕切る労働者の組織であった全日自治労の名物委員長だった。平和運動の先頭にも立ち、労働者の日給ベースアップ交渉の先頭に立つ、長身で色浅黒く眼光の鋭い論客としても良く知られた広島の革新系のリーダーの一人だった。

 彼は新聞記者出身という異色の存在だった。昭和30年代後半から、県会議員だった松江澄さんと同時に,GHQが1950年に占領政策の一環で強行した「共産党員と同調者・支持者」と判断された人を対象に行った労組活動家を追放したレッドパージ(赤狩り)で中国新聞を追われた…事も良く知られていた。

 その吉田さんに『広島マスコミ9条の会』会報に執筆をお願いしたところ、予定のマス目以上の記事を頂き圧縮することになった。しかし、それは“勿体ない”とご本人の了解を頂いて当ブログへ転載をする。数回の連載になるが、出稿頂くその都度の掲載をする。

 入市被爆されているが記者時代から全日自治労委員長時代を経て今日まで、あまり知られない混乱期から復興期にかけてのヒロシマの裏面や憲法を巡る貴重な話題に接する機会だと期待できる…。まずは第一回をご覧ください。

『私と憲法①』 吉田治平

 私は1922年(大正11年)9月1日、中国新聞福山支局で、生まれました。父は其の後呉支局、本社、福山、呉などと転勤を重ね、昭和11年11月12日、山口支局長のとき、亡くなりました。
私が山口中学1年生のときです。そのとき我が家では、35歳の母と姉弟10人が残されました。姉2人、弟2人、妹5人です。生まれたばかりの末の妹は双子でした。
 母と10人の子供達の、生きてゆくための、助け合いとたたかいが始まりました。新聞配達、子守、和裁など何でもやりました。苦しくとも楽しい時期でした。中学1年の私を除いて、家族は廣島に引き上げました。
 明けて、昭和12年春私は転校試験をうけて、廣島一中にかわり16年に卒表、上京し昼は外務省電信課に勤務、夜は中央大学予科に通いました。この年12月に大東亜戦争突入という、厳しい状況でした。やがて学徒動員で、九州・佐賀の電信第二連隊補充隊に入営、乙種幹部候補生となり、敗戦まで九州各地を回っている間に「廣島に新型爆弾!」のニュースを耳にしました。その8月14日に「兵一人を連れて、相模原まで兵器受領に行って来い」の命令が下りました。列車やトラックなどを乗り継いで、15日朝廣島につき、上幟町の我が家の焼け跡に立ったときの、驚きと怒り、悲しみは終生忘れることは出来ません。


 終戦の、天皇の言葉は、我が家の焼け跡で聞きました。雑音で聞き取りにくい放送でしが「戦争が終わった!」ということだけは、分かりました。
 廣島の原爆では母と末の妹二人は、我が家で川の字に3人骨になっていました。もう一人の妹は大手町の日発支店で被爆、8月26日、体中の傷口から蛆虫がわいてでて「痛いよ」「助けて」といいながら亡くなりました。広陵中学1年で、比治山橋麓で被爆した3男は原爆症とたたかいながら、中国新聞の販売店を営み、平成14年に亡くなりました。
 私のすぐ下の弟は、被爆当時は江田島の海軍にいましたが、復員してすぐ尾道の中国新聞販売店をあずかり、最近息子にゆずるまで、経営しておりました。現存です。
 私は昭和20年8月末、復員するとすぐ9月1日に、流川町の中国新聞の焼け跡にゆき、誰も居ないので、一人で便所掃除を始めました。何日かすると、ボツボツ社員が出てきました。辞令をもらった記憶はありませんが、顔見知りの佐伯敏夫さんが「君は大学が経済だったらしいから、経済部に入れ」と言って「中国新聞経済部記者 吉田治平」の名刺をくれました。
 これから私と憲法との密接なかかわりが生まれてきました。<続く>

 随分、圧縮して書いておられることが行間から伝わる。
 中国新聞に採用されたいきさつは、戦争や原爆で多くの記者たちを失った新聞の再起を担う人材が目の前にいた…と言う想いでの採用だった?
 中国新聞にとってもヒロシマにとっても当時を語れる貴重な証言者だ…。
 何れ、何回かの執筆が終われば改めて友人たちと相談して講演をして頂く機会を作りたい…と考えている。

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