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2010年3月

2010年3月31日 (水)

再び映画『ヒロシマ・ピョンヤン~棄てられた被爆者~』上映会

 朝鮮人被爆者協議会の李実根会長から投げかけられていた映画「ヒロシマ・ピョンヤン」の上映会の取り組みが進んでいる。
 今年は日韓併合から百年に当たる年で、いまだに国交がない朝鮮民主主義人民共和国にいる被爆者や,なぜ被爆者が居るのか…知られない実態を明かす講演会と映画の上映を行う。

 写真家として長年にわたり日本の『過去』と『現在』をアジアの民衆の視点で捉え、日本の侵略被害の実態に目を向けて取材を重ねている伊藤孝司さんは北朝鮮で暮らす被爆者の一人にスポットを当て『ヒロシマ・ピョンヤン』を制作した。
 北朝鮮に住む被爆者の暮らしを追ったドキュメンタリー映画で北朝鮮の被爆者を追ったこの種の映画としては初めての作品です。

 3歳の時、原爆投下後の広島へ母に連れられて入市して被爆した。18歳で北朝鮮に渡った67歳の女性。何も知らないまま過ごしてきたが今は健康を崩し後遺症に苦しみながら“被爆者は どこに居ても被爆者”という日本政府の見解を頼りに孤軍奮闘する…サブタイトルの「棄てられた被爆者」が北朝鮮在住の被爆者の今を告発する。

 伊藤孝司さんが企画構成にナレーターも務める監督作品。’83年から在日朝鮮人被爆者の取材をはじめたが’92年からは北朝鮮に20数回渡航し、’06年に李桂先(67)に出会った。

 平城市に暮らす李桂先さんは両親、兄弟たちと大竹市に住んでいた。1945年、日本の敗戦で祖国へ帰国できると言う噂を確かめる為、母親に連れられて広島の県庁へ出かけた。被爆後12日目の8月18日で、二次放射能によって被爆した。髪が抜け体調不良が続いたが、被爆の事実を知らされる事なく成長した。
‘60年春に高校を卒業した李さんは在日の連帯運動に熱心で民族意識の強い父の勧めで帰国運動の盛り上がりの中、祖国建設の夢を抱いて家族と別れて一人で北朝鮮に渡った。その後、大学へ進学し、在日同胞だった人と結婚した。

 被爆者と知ったのは’04年だった。体調が悪いことを知った母が訪朝した際に教えた。
 被爆59年目の母の告白に李さんは衝撃を受けた。被爆者手帳を取得する手続きを進めたが、来日直前に付き添い人の入国が認められない為断念せざるを得なかった。

 90歳に手の届く在日の母とピョンヤンで苦労する被爆者の親子を通じて「被爆者は何処にいても被爆者」の前に立ちはだかる北朝鮮被爆者への補償と援護措置の現実と日朝間にある歴史的問題を浮き彫りにする。拉致問題と核武装問題を絡めて全く前進していない日朝間の課題解決に何が必要なのか…日本政府はどうしようとしているのか…考えさせる。

 金栄鎬広島市立大準教授はこうした日朝の歴史を振り返りながら『なぜ、朝鮮人が被爆したのか?』などに触れながら朝鮮人被爆者の存在について解きほぐします。

 6ケ国協議や米中を頼りにして来た自公政権時代の北朝鮮との交渉の在り方について民主党政権はまだ明確にはしていない。しかし、民主党にも担当大臣や閣僚に小泉、安倍時代に植民地時代の歴史に目をやらないで北朝鮮に経済制裁など圧力主義中心にして、拉致家族支援を勧めた運動のシンボル・ブルーのバッジを胸にした人達が中心に座っている。

 この人達で、対北朝鮮問題解決の知恵と力が出せるのだろうかという不安は拭えない。
名字個人の氏名から国や個人の財産に民族の誇りまでも奪った日本の30年にわたった侵略の歴史抜きには解決できない…。
 核問題と拉致問題を一緒に解決しようと考えているならば、今後も進展は期待できない。
 核問題と一緒にしない交渉が必要で、新政権は拉致問題の解決に他国の力をあてにして来た自公政権時代の姿勢は早急に改めるチャンスだ。

 '02年小泉訪朝でスタートしかけた「日朝平和条約」締結こそが問題解決の原点になる。
 拉致問題や被害者の帰国は自然についてくる問題…と認識して仕切り直せば米国や中国の力を借りることなく解決する問題…との歴史認識こそが重要だ。
 先ず、植民地化時代の問題を解決するという日本側の姿勢が最も必要なことで、この映画は単に在朝鮮被爆者の救済や援助を勧め、理解を促す為のものではない。
 改めて日朝間に横たわる問題を考える上で、入門・初歩的な貴重な映像資料と言える。
 是非、お運びいただきたいと思い、ご案内いたします。

日時:4月25日(日)13時~15時半   場所:アステールプラザ 多目的ホール
挨拶:13:00~豊永恵三郎上映会代表
映画:13:05~「ヒロシマ・ピョンヤン~捨てられた被爆者~」
解説:14:30~伊東孝司監督
講演:14:45~「日朝不正常関係の中の在朝被爆者」
講師・金栄鎬(キム・ヨンホ)広島市立大学国際学部準教授

鑑賞券:大人 1000円(当日:1300円)  高校生以下:無料
問い合わせ:『ヒロシマ・ピョンヤン』上映会事務局
広島映画センター 〒730-0853 広島市中区堺町1-2-9 貴志ビル
      TEL:082-293-1274     FAX:082-293-2229

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2010年3月30日 (火)

“リヤカー行商”

 昨年秋頃から、散歩中にリヤカーで何か販売しながら歩く若い男女を見かける。
 先日、テレビでこの人たちを紹介する番組を見た。

 広島で“リヤカー行商“と言えば今ではあまり見かけなくなった「コイワシ売り」と相場が決まっていた。初夏から冬にかけてコイワシの旬には、今でも本通りのアンデルセン周辺でリヤヵ―を止めて商売しているおばちゃんが一人だけいる。
 昔は、大河あたりの漁師の女将さんたちが集団で市内各地に出かけて活きのいいコイワシを竹ヘラや手を上手に使って頭と骨を外して三枚にして刺身にさばきながら売っていた。
 広島では『7回洗えば鯛の味』と言われるコイワシだ。地場の別名「ナマンショー!ナマンショー!」と独特の呼び声が響いて“広島の風物詩”になっていた…。

 ところで『新・リヤカー行商』は何と、京都の老舗の塩大福を売っている。小奇麗なアルミのリヤカーに『京都の塩大福』の幟を立てて京都大原の豊寿庵の大福や桜餅、カステラなどを売っている。売り子は若い男女性で、広島では昨年の夏頃から進出した…ようだ。
 20人が毎日市内と周辺で行商している。

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 経営者は沖縄で店舗を持たずリヤカー行商を中心の“味の伝統本店”で広島を手始めに、全国展開を目指している…と沖縄人を名乗る兄ちゃんの解説だった。

 何故、京都のお菓子なのか?はよく判らないが、発想がユニークで面白い。
 この商法は食品衛生法上、街頭の一か所にとどまって販売すれば店舗として?保健所の許可がいるが、移動であれば何の規制もない…。今、東京のビジネス街でサラリーマン相手の昼食販売屋さんが都の取り締まり対象になって問題になっているようだ。これもリヤカーで移動しながら…であれば問題はない…はずだ。

 それにしてもリヤカー行商とは人力でエコな上にいま時、商売になると考えついて実行していることにビックリしたり感心した…り、である。
 因みに、買った桜餅と抹茶カステラはなかなかいい味をしてぃた。B級グルメブームに乗れば爆発する?これが定着すれば“リヤカー行商”が改めて見直される事にもなろう。
 発想と実行の“沖縄人リヤカー・マン!!頑張れ!!

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2010年3月29日 (月)

国家から都市の時代へ

アメリカの政治雑誌「ナショナル・ジャーナル」の記者ポール・スタビロンが「アメリカ帝国の衰亡」という本を書いた。
訳は松本薫氏、その訳もなかなか上手く、読みやすい。

「アメリカの覇権の終焉と同時に、アメリカ後についての動きがいたるところで起こっている。
多極化世界に向かっているともいえるし、一時的にカオスの状態になるかもしれない。
中国の世界になるかもともいわれている。
しかしそうした状況を調べているうちに、思ってもみなかったことが見えてきた。
それは「都市国家」の時代になるかもしれないということだ」
とスタビロン氏はいう。

以前カナダの大学で教授をしている友人から「カナダでは元の国とカナダの2重国籍であることは当然のこととして受け入れられている」とも聞いたことがある。

スタビロン氏は「トロントでは移民、外国生まれの市民が、人口の4割にもなっている。
もう国家という枠組みそのものが溶けていっていると見た方がよさそうだ」
ともいっている。

リチャード・フロリダ氏は「クリエイティブ都市論」の中で、
「ボストンからニューヨーク、ワシントンを結ぶ線上にある都市は1つの有機体としてのメガ地域になってきている。
横浜、千葉を包含する広域東京都市圏もそうだ。
その2つの都市圏はそれぞれ2,000兆円以上の経済生産をあげている。
上海都市圏、ロンドン都市圏もそうだが、地球上にそうしたメガ地域は10か所位ある。
知識情報社会にあっては、人々は創造性を発揮できる場所を求めて、そうしたメガ地域に移り住んでいく。
メガ地域は恣意的に作られた国家という枠組みを越え、どんどん成長していく。
それらメガ地域圏の規模は、すでに殆どの国の規模を越えてしまっている」
と指摘している。

両者が共通して指摘しているところは、どうもこれからの時代にあっては国民国家という枠組みが消え、市民の都市が世界を構成する時代になるだろうということのようだ。

そのときには、ただ単純に国家に代わって、都市が国家の機能、役割を果たすようになるということではないのだろうと思う。
多分今とは全く違った世界になるのだろうと思う。

関西学院大学教授の桜田大造氏は
「カナダはアジアからの移民が比較的多いが、先住民や多くの移民がそれぞれの文化、習慣を保持しつつ、そのまま暮らすことを認めている。
カナダでは愛国心を前面に出すことは必ずしも歓迎されない。
そうした多様性認めながらも、統一することは可能だということをカナダは示している」
ともいっている。

問題は、世界が都市の時代になって、都市間に様々のいざこざが起こった時、国連に代わる調整機関をどう作るかにあるといえそうだ。

それは、今のカナダの姿にヒントがありそうだし、案外秋葉広島市長が会長を務める平和市長会議にそのヒントがあるようにも感ずる。

世界はどんどん変わっていく。
どんな方向に向かおうとしているのか、向かっていきたいと思っているのか、きちんと見ていく必要がありそうだ。

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2010年3月28日 (日)

まちなかバギー?

街角で3輪のスクーターを見つけた。
3輪スクーターなんていうと、戦後すぐに頃流行ったマツダのオートバイのような古臭ささをイメージしてしまうが、これはなんとも恰好いい!
「まちなかバギー」とでもいうのだろうか。

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メーカーの表示もないから、手作りで改装したのだろうと思う。
白と黒に塗り分けられ、デザインも極めてシンプルだ。

一時、ピサの宅配便などに、3輪のオートバイがよく使われていた。
配達先で止めた際、2輪と違い、倒れないから便利だということで使われたのだろうが、近頃あまり見かけなくなった。
その3輪オートバイとどこが違うのか良く分からないが、こっちはともかく恰好いい。
荷台がないから?
エンジンが殆どむき出しだから?
世界にたった1台しかないオートバイだからだろう!
ともかく個性的だ。

3つの車輪をもつ車はトライクと呼ばれるようだが、スピードを出すと、曲がるとき結構難しいらしい。
でもまちなかで自転車代わりに乗るには、面積もとらなくて、良さそうだ。
電動にしたら、案外普及するかもしれない。

こんな車を、髪をなびかせて女の子が運転していたら、恰好いい。
中年の白髪のおじさんが運転してもいい。

そんな多様なデザインの車が、広島の街を走るようになったら、広島の街も随分と楽しい街になるのではないだろうか。

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2010年3月27日 (土)

中央通りのハクモクレン

中央通りの並木、モクレンの花が満開だ。
15CM位はあるだろうか、白いぽってりとした大きな花が咲いている。
広島らしい清潔さを感じさせる。
正式にはハクモクレンといって、紫の花をつけるモクレンとは区別されているようだ。

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広島ではハクモクレンの花は3月の中旬頃から4月一杯咲いているようだ。
開花期間は比較的長い。
サクラのように雨で散ってしまうこともないから、結構長い間楽しめる。

中央通りのハクモクレンは、木の高さもまだ7~8と低く、幹の直径も10CM程度と細いからちょっとまだ寂しい。
後10年もすれば、幹も太くなり、木の高さも10Mを越え、大木になる。
そうなれば、ちょっとした広島の名所になりそうだ。

並木通りにはサワグルミ・沢胡桃が植えられている。
今ではかなりの大きな木になっている。
冬になると落葉し、春には新緑の葉をつける。
花の咲く木ではないが、四季折々に変化する木があるだけで、なぜかホッとする。
ちょっとオシャレな景観をつくりだしていることで、通りにはブティク、カフェ、レストラン等オシャレな店舗が集まって来ている。

五日市中央のコイン通りはあんずの花が満開だという。

市内のそれぞれの広場、通りに、花の名前を聞くだけで、それがどこの通り、広場かわかるようになったら面白い。
それはそれでまた広島の新しい魅力となりそうだ。

球場跡地の広場は、森が作られる予定になっているが、そこには、日米友好の記念にアメリカから送られたというハナミズキを植えたらどうだろうか。
平和大通りに植えられている、アルゼンチン大統領から送られたというアメリカデイゴもいい。
そんな物語のある木を植えるのはどうだろうか。

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2010年3月26日 (金)

河畔のお勧めプロムナード

 平和公園の散歩を初めて間もなく4年になる。散歩の途中の一息は何より嬉しい時間だ。
元安橋東詰めの『カフェ・ポンテ』は最高の癒しの場だ。

 被爆アオギリ前の原爆資料館東館の『喫茶・アオギリ』と元安橋西詰めの『レストハウス』の休憩所もとてもいい息抜きが出来る場所だ。しかし、何と言ってもこの時期の『カフェ・ポンテ』のテラスの午後は良い。

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 平和公園の対岸にあたる河川緑地に‘08年の8月にオープンしたイタリアンの『カフェ・ポンテ』。イタリア語で“ポンテ”は『橋』、本格的なイタリア料理を提供するが、売りは何と言っても≪潤いと安らぎのある川辺の風景≫だろう。冬場からこの時期のテラスにひざ掛けや頭上ヒータの寒さ対策もさ
れている。外人客も多く、気軽に立ち寄られるのが良い。

 ひとしきり歩いた後、ビールやワインにフランスパンのチーズ焼きの取り合わせは逸品だ。ここで過ごす一時間はまさに至福の時だ。コヒーも旨い。お昼のランチセットはボリュームもあって好評だ。何よりも値段は極めて良心的でリーズナブルだ。広島の新しい観光拠点に成長しつつある…。

 屋外のデッキに張られた大きな布製の白い傘に木の影が覆う。幻想的な雰囲気が醸しだされてとても美しい。
 この時期は風が強い日もあるが西日の陽だまりを一人で抱えながら過ごす一時は時の経つのを忘れさせてくれる。木々の影が変化しながら布の傘に落とす小枝や葉の絵模様は自然が織りなす影絵のようだ。
 ここは広島のお勧め癒しのプロムナード・スポットのナンバーワンだ。

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2010年3月25日 (木)

“広島に原発?!”是非を街頭市民アンケート

 映画「東京原発」を見て“原発の是非”を考えようと県内全域での上映に取り組んでいる広島県上映会が13日、広島の繁華街で『広島に原子力発電所が建設される話があれば賛成か反対か』を問うシール投票に取り組んだ。86%が反対だった。

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 この取り組みは広島からわずか80キロの山口県上関町の中国電力上関原子力発電所建設に関心が薄い広島県民に『原発を自分の問題として受け止め、是非を考えるヒントにしてほしい』と平和や環境問題に取り組んでいる県内各地の個人や市民グループが映画『東京原発』の上映運動の一環として行った、大胆なブラックユーモアによる宣伝でもある。

 投票はわずか50分間、12人が分担しながら趣旨を説明してオレンジ色のシールを341人が受け取ってボードに張って投票した。賛成26票,判らないが20票だったのに対し反対は295票85%を占めた。強い関心が示されたが、これはどう解釈するか…それが問題だ!

 最近はあまり使われないが「核アレルギー」と言う言葉がある。アレルギーとは特に危険でもないモノに対して異常に敏感な特異体質を指す。核兵器は危険極まりなく、これを危険と思うのは正常で、危険に対して不干渉になることの方が異常だ。言うまでもないが唯一の被爆国として日本は核兵器廃絶=核を持たない事を国是としてきた。

 一方、今や日本の電力の三分の一が原発電力となり新聞広告・TVCMで“平和利用は安全“C02を出さないクリーンエネルギー”との認識が高められている…?
 しかし、依然として使用済み核燃料の安全な処理法は確定されておらず、太陽光や風力に波動などのクリーンエネルギーの開発が進んで、原子力に依存した電力の在り方への疑問も増えつつある…。この反原発は反核兵器に繋がった「核アレルギー」なのかどうか?
 「核アレルギー」は今も広島に存在するかどうか…?
 改めて、原発を自分のものとして考える為にも、映画『東京原発』をご覧いただきたい。『東京原発』広島県上映の会 HP:http://ameblo.jp/tokyo-genpatu-hiroshima/ 事務局: 082-293-1264

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2010年3月24日 (水)

「記者からニコヨン」を生きた吉田治平さん

 吉田治平さん…と言っても今ではピンとくる人は少ない。私たち世代の広島の記者たちには馴染みの名前で、昭和30年代から平成の始め頃まで失対事業(失業対策事業=当時の日給でニコヨンと呼ばれていた)を取り仕切る労働者の組織であった全日自治労の名物委員長だった。平和運動の先頭にも立ち、労働者の日給ベースアップ交渉の先頭に立つ、長身で色浅黒く眼光の鋭い論客としても良く知られた広島の革新系のリーダーの一人だった。

 彼は新聞記者出身という異色の存在だった。昭和30年代後半から、県会議員だった松江澄さんと同時に,GHQが1950年に占領政策の一環で強行した「共産党員と同調者・支持者」と判断された人を対象に行った労組活動家を追放したレッドパージ(赤狩り)で中国新聞を追われた…事も良く知られていた。

 その吉田さんに『広島マスコミ9条の会』会報に執筆をお願いしたところ、予定のマス目以上の記事を頂き圧縮することになった。しかし、それは“勿体ない”とご本人の了解を頂いて当ブログへ転載をする。数回の連載になるが、出稿頂くその都度の掲載をする。

 入市被爆されているが記者時代から全日自治労委員長時代を経て今日まで、あまり知られない混乱期から復興期にかけてのヒロシマの裏面や憲法を巡る貴重な話題に接する機会だと期待できる…。まずは第一回をご覧ください。

『私と憲法①』 吉田治平

 私は1922年(大正11年)9月1日、中国新聞福山支局で、生まれました。父は其の後呉支局、本社、福山、呉などと転勤を重ね、昭和11年11月12日、山口支局長のとき、亡くなりました。
私が山口中学1年生のときです。そのとき我が家では、35歳の母と姉弟10人が残されました。姉2人、弟2人、妹5人です。生まれたばかりの末の妹は双子でした。
 母と10人の子供達の、生きてゆくための、助け合いとたたかいが始まりました。新聞配達、子守、和裁など何でもやりました。苦しくとも楽しい時期でした。中学1年の私を除いて、家族は廣島に引き上げました。
 明けて、昭和12年春私は転校試験をうけて、廣島一中にかわり16年に卒表、上京し昼は外務省電信課に勤務、夜は中央大学予科に通いました。この年12月に大東亜戦争突入という、厳しい状況でした。やがて学徒動員で、九州・佐賀の電信第二連隊補充隊に入営、乙種幹部候補生となり、敗戦まで九州各地を回っている間に「廣島に新型爆弾!」のニュースを耳にしました。その8月14日に「兵一人を連れて、相模原まで兵器受領に行って来い」の命令が下りました。列車やトラックなどを乗り継いで、15日朝廣島につき、上幟町の我が家の焼け跡に立ったときの、驚きと怒り、悲しみは終生忘れることは出来ません。


 終戦の、天皇の言葉は、我が家の焼け跡で聞きました。雑音で聞き取りにくい放送でしが「戦争が終わった!」ということだけは、分かりました。
 廣島の原爆では母と末の妹二人は、我が家で川の字に3人骨になっていました。もう一人の妹は大手町の日発支店で被爆、8月26日、体中の傷口から蛆虫がわいてでて「痛いよ」「助けて」といいながら亡くなりました。広陵中学1年で、比治山橋麓で被爆した3男は原爆症とたたかいながら、中国新聞の販売店を営み、平成14年に亡くなりました。
 私のすぐ下の弟は、被爆当時は江田島の海軍にいましたが、復員してすぐ尾道の中国新聞販売店をあずかり、最近息子にゆずるまで、経営しておりました。現存です。
 私は昭和20年8月末、復員するとすぐ9月1日に、流川町の中国新聞の焼け跡にゆき、誰も居ないので、一人で便所掃除を始めました。何日かすると、ボツボツ社員が出てきました。辞令をもらった記憶はありませんが、顔見知りの佐伯敏夫さんが「君は大学が経済だったらしいから、経済部に入れ」と言って「中国新聞経済部記者 吉田治平」の名刺をくれました。
 これから私と憲法との密接なかかわりが生まれてきました。<続く>

 随分、圧縮して書いておられることが行間から伝わる。
 中国新聞に採用されたいきさつは、戦争や原爆で多くの記者たちを失った新聞の再起を担う人材が目の前にいた…と言う想いでの採用だった?
 中国新聞にとってもヒロシマにとっても当時を語れる貴重な証言者だ…。
 何れ、何回かの執筆が終われば改めて友人たちと相談して講演をして頂く機会を作りたい…と考えている。

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2010年3月23日 (火)

元安川の水鳥

元安川には、季節の折々に、様々の水鳥がやってくる。
先日は40~50羽のカモが泳いでいた。
ゆったりの浮かんでいる。
このあたりで、こんなに沢山の水鳥を見たのは初めてだ。

あれは鵜だろうか。
水にもぐってしばらく出てこない。
川下かなと思っていると、大分離れた川上に出てきたりする。

シラサギを見かけることもある。

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まちなかに、こうした水鳥を見ると妙に癒される。

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2010年3月22日 (月)

ロートレック展 ―まちなかART&EAT

八丁堀シャンテ1Fのバーで、ひろしま美術館で開かれているロートレック展について、主任学芸員渡辺純子さんの話を聞いた。
ホテルのバーで、カクテルを飲みながら、美術展の話を聞く。
なんとも粋だ。

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今回の展覧会を開くために、フランスのロートレック美術館との交渉、ロートレックの絵を持っている人との交渉とかで、開催にこぎつけるまでに3年もかかったという。
1つの展覧会を開くのには、大変な労力と時間と金がかかるということを知った。

ロートレックの作品は、絵の中にお店の名前が画きこまれているということで、ポスターの先駆けになったと言われている。
そんな絵は、今では当たり前にあるが、そういわれてみれば、それ以前の絵には、字が画かれているなんてことはなかった。

「ムーランルージュのラ・グリュ」はムーランルージュというキャバレーのポスターだ。
フレンチカンカンを踊る女性の向こうに紳士然とした男たちがシルエットで画かれている。
スカートを捲って踊るなんてことは、当時は極めて不謹慎なことだったろうと思う。
「歓楽の女王」と名付けられたポスターは、太ったスケベ親父とそれをもてあそぶかのように真っ赤な唇でキスをしようとするホステスが画かれている。

ロートレックの絵は、そんなちょっと卑猥な雰囲気を、一瞬の動きの中に、黒い線でサッと画きとめている。
髪の毛は黒或いはオレンジの1色、男の洋服は黒1色、女の洋服はオレンジの1色で、平面的に塗られている。
「ムーランルージュのイギリス人」というタイトルの絵では、山高帽から、顔、スーツまでグレー1色で画かれていたりする。

ロートレックは日本の浮世絵に影響を受けたというが、いわれてみれば写楽の浮世絵の感じがある。
どこか日本的な雰囲気がある。
私はロートレックの絵が大好きだ。

ムーランルージュにはその昔、行ったこともある。
あそこが、こんな絵になっていると思うと余計親しみを感じる。

美術館が、まちに出ていく。
絵画、彫刻が美術館の壁に掛けられているだけでなく、その裏方をみせたり、街の中に出て話をする。
ギャラリーGの木村さんの「まちなかART&EAT」と称する仕掛けは、なかなかシャレている。

これからも是非続けて欲しい。

当日の会費
カクテル1杯+ひろしま美術館入場券=2,000円
ロートレック展を2度見てしまった。

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2010年3月21日 (日)

コンバージョン―事務所ビルがホテルへ転換

見ての通り、外からみれば極く普通の5階建ての事務所ビルだ。
広島市役所の近くに建つこの古い事務所ビルが大幅に改装され、「1泊1人2,500円~ REINO・INN」として、この3月にオープンした。

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このビルのオーナーが経営していたのだろう画材店は2階に移り、1階はホテルの受付になり、3階から上は客室に改装された。
仕上げは白を主体にして極めてシンプルだ。
大人数のグループから、家族の宿泊まで色々対応できるようになっている。
客室は2段ベッドが置かれているが、なんといっても宿泊料が安いのが魅力だ。
もともと事務所ビルだった建物を改装しているからだろうか、部屋毎に大きさも違うし、ベッドの配置も異なっている。
廊下は、事務所ビルとして作られた際の柱がそのまま残っているから、そこで曲がっていたりする。
そうしたことのせいだろうか、どこか温もりを感じる。

広島は世界中から観光客が来るが、皆が皆、お金を持っているわけではない。
そうでなくとも日本の物価は高い。
当然日本のホテルは値段も高い。
このホテルのように、安く泊まれる宿泊施設は広島の課題だったともいえる。
このホテルは、そうしたニードに上手く応えている。

5~6人の大部屋に色んな国からの若者たちが寝泊まりするのも、そこに新しいコミュニケーションが生まれる契機になるようだ。
祖父母を含めた大家族で泊まるのも、ここなら可能だ。
日本も欧米流と称して、各人が個室を持つようになって家族の触れ合いも少なくなっていると言われる。
たまにはこんなところに泊って、家族の親睦を深めるのもいいだろうと思う。

日本語、英語、中国語、韓国語、フランス語の5ヶ国語でHPが作られているのもいい。

スタッフの書くブログも、また面白い。
ブログは英語にも翻訳され、載っている。

こうしたPRの仕方も新しい試みとして注目される。

このホテルのように、古くなった建物を、その用途を変更するというようなことは、いままでの日本ではなかったことだ。
建物の寿命は法律的には、鉄筋コンクリート造の場合、大体50年くらいといわれているが、その都度上手く改修していけば、実際は倍以上に持つ。
しかし現実は、その建物の寿命が尽きる前に、社会環境が大きく変わってしまい、用途を変更せざるをえなくなるということが、最近生じるようになった。
野球のピッチャーから外野手へのポジションの変更のようなもんだが、要求される内容が違うから、野球でもそれが簡単ではないように、建築の場合も結構大変な工事になることが多い。
野球ではコンバートといわれるが、そうしたことは建築ではコンバージョンいわれている。
用途によって、要求される採光基準が異なり、必要とされる開口部の広さとか違うし、ホテルであれば各室に上下水が必要なるとかあるし、店舗にするのであれば、広い避難階段とかが必要なる。
そのため用途変更する場合、大体はかなりの大工事になるだけでなく、全てが可能というわけでもないし、採算性と面からもそう簡単なことではない。

何年か前、サンフランシスコで、高層のマンションを改装して作られた最高級といわれるホテルに泊まったことがある。
いわゆる合理的に作られた中廊下式のホテルと違って、廊下の位置、部屋の間取りがなんともヘンテコリンだが、そこがまたなんともいえぬ味わいと高級感をつくりだしていた。

広島市内には空き事務所が1割近くといわれている。
現実はもっと多いだろうと思う。
空きマンションも数万戸のオーダーであると想像される。
オリンピックが広島でもし開かれるようなら、こうしたビル、マンションの宿泊施設への転用も大きな意味を持ってくるだろうと思う。

コンバージョンは、建設産業の新しいビジネスとしても注目されている。

ホテル レイノ・インは広島の都心では大掛かりなコンバージョンの最初の例だろう。
成功を期待したい。

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2010年3月20日 (土)

映画「おとうと」

 封切後一ケ月、遅ればせながら評判の映画「おとうと」をみた。
 前夜に、今年の日本アカデミー賞の受賞番組を見て笑福亭鶴瓶の「ディア・ドクター」が作品賞も主演男優賞も逃したのを見て「ああ、来年の作品賞は『おとうと』で主演男優賞が鶴瓶になる…」と予感して、思い立った。

 この作品は、山田洋二監督が市川昆監督の亡くなった時、市川作品の『おとうと』の主役姉弟の成長後をイメージして構想を練り、前作の『かあべい』に出演した鶴瓶と吉永コンビを膨らませて今回の制作に漕ぎつけた…作品だ。

 女手一つで娘を育ててきた姉と、大阪で芸人に憧れながら破天荒な暮らしを送る弟の再開と別れ、姉弟の絆を通して日本の家族の再生を笑いと涙で描くドラマに仕立て、観る者の胸を熱く揺さぶる静かな感動作だ。

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 物語は夫を亡くした吟子(吉永)は東京で薬局を女手一つで切り盛りしながら娘の小春(蒼井優)を育て、義母(加藤治子)と3人で暮らしている。小春の結婚が決まり、結婚式を迎えた日、吟子の弟(鶴瓶)で小春の名付け親の鉄郎が現れ、酔っぱらって披露宴を台無しにしてしまう…。
 ことある度に家族を困らせる伯父さんが名付け親であることを迷惑がる娘に母が諭す。亡くなった父親が「吟子も厳格な吟子の兄も几帳面で優秀な兄弟は一度も褒められたりしたことがない鉄郎を無意識に踏み台にしてきたのではないだろうか。娘の名付け親になれば変わるだろう…」と名付け親を依頼した父の優しい気持ちを伝える。
 やがて結婚に破れ、新しい愛を探す中で小春は家族の絆の深さや強さを知り、病で行き倒れた大阪の施設でみとられる弟の元に駆けつける母の気持ちを理解し、危篤の病床を訪ねる…。

 『かあべい』が反戦平和や反核をテーマに潜らせたのに対して、ガンで終末を迎えている『おとうと』を通じて「看取り」や「ターミナルケア」という現代的な深刻な問題にふれている。いつかは訪れる最期の別れを家族はどのように受け止めて「看取る」のか…。
 同病の私にとっては身につまされる問題で、人の心根と絆を確かめ揺さぶる問題提起だ。
 かつて優しさと暖かさで包んだ≪寅さん≫を彷彿とさせる見応えのある山田流の情愛作品だ。きっと2011年の日本アカデミー賞の作品賞に主演男優賞が鶴瓶に輝く作品だ…。

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2010年3月19日 (金)

“原発建設の踏み絵?”上関町が地域振興券を配布

 中国電力が原発建設計画を進めている山口県の上関町は来年度「中電の寄付金を基にした基金」から、全町民に一人2万円の地域振興券を配る計画を進めている。
 町会議員選挙で賛成派が増えたご褒美?なのか。それにしてもあからさまな住民に対する“原発賛否の踏み絵”であり“飴の政策”は歓迎されるのだろうか?

 事業費は全町民0歳児から全員3600人を対象に配布する為に7500万円が必要になる。資金は‘07年~’09年に中電から寄付された18億円の積み立てたてや、原発計画を巡って‘08年までに国からの交付金や補助金41億円を受けて作った「上関支えあい基金」。
 同町はこれを取り崩し、「商工業の振興と住民の生活支援」として、「花咲く海の町振興券」と名付けて1枚1,000円の券20枚綴りが配られる。使用は町内に限定され、生活用品の購入や灯油やガス代、散髪や食料品の購入に使える。実際の配布は秋頃になる見通しで、町内の店舗100ケ所での使用を用意する計画のようだ。

 同町はこれまでにこの基金を活用して小学生以下の医療費の無料化や高齢者のバス運賃の補助などを行ったが、町民に直接商品券を還元するのは初めてで、予算案は10日からの町議会で審議する。原発建設計画浮上から28年、海面埋め立て着工を巡って重大な局面を迎えている上関町。
 町内には原発建設の賛否を巡る対立が長年続いており、反対派からは福祉施設など長く町民全体に役立つ施設の充実に役立てるべきと言う意見も強い。また「金で人の心を買うやり方」と反発や批判の声が出ている…という。
 当然の反発で、いかにも中電の差し金…と揶揄されても仕方ない方法は感心できない、昔ながらの時代遅れの〝札束で頬を殴る“ゴリ押し戦術と言われても仕方あるまい。
 広島の中電本社前では支援者が反対の”ハンスト“準備中。今後の町民の対応が見守られ…。

 嘗て、地方自治体が自主財源確保のために競馬に競輪、競艇等の公営賭博の開催をして泡銭を得て、新入生に多額の入学祝や敬老金で活発な取り組をした経験がある。所が、今は公営賭博が職員を抱えて大きな荷物となって赤字経営に四苦八苦している自治体が多い。

 これに代わって、自治体を潤す確かな独自の財源と言えば“原発”しかない。未だに使用済み燃料の安全性は確立されておらず「CO2を出さないクリーンエネルギー」の電力会社のCMに国民は慣れさされて問題意識が薄くなっているが信頼出来る状況ではない。
 太陽や波動に風力などまだこれから開発が期待されるクリーンエネルギーはある。
 上関町の新事業の荒っぽさを、よそ事と考えないで、身近な問題として考えてみる必要がある。そのヒントは県内上映会が迫ってきた映画「東京原発」にある…。

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2010年3月18日 (木)

「記者クラブ改革」は政府主導!?

 5日付けの新聞が、就任まもない枝野幸男行政刷新大臣がフリーランスの記者も参加できる「フリー記者会見」を始めた…と報道した。民主党の公約実現が進んでいる。

 鳩山内閣では岡田外務を皮切りに原口総務、亀井金融の各大臣に続くフリー記者の参加できる記者会見を始めている。岡田大臣は『国民の知る権利と行政の説明責任の双方を担保する』ことを基本に始めた。記者クラブの開放に繋がる改革か?全国に波及する可能性はあるのか?新聞やTV等既得権に胡坐をかいてきたマスコミの対応が注目される。

 「記者クラブ」制度は決して日本だけの制度ではないが、各官庁や公的団体に大企業には中央から地方都市にまで「○○記者クラブ」があって、定例的な記者会見や恒常的な情報提供が行われている。クラブの運営は加盟社が一人月数百円の会費を徴収して運営している。しかし、部屋代や雑務を行う事務担当者は官庁や団体に企業が負担して便宜供与をうけ、古くは忘年会等の飲食は丸抱え状態だった時代もある。

 これに比べ欧米のジャーナリズムは徹底的に取材相手からの便宜供与を排除するのが基本で、身分は個人がそれぞれの社との契約が一般的で、日本の様に終身雇用制は少ない。
 クラブの加入者は日本新聞協会と日本民間放送連盟に加盟している新聞と放送に限られており、雑誌や情報誌に週刊誌にフリーのジャーナリストの加盟は出来ないのが現状だ。

 これまでに雑誌や週刊誌にフリー記者に外国メディア、地方でも新聞協会や民放連の未加入の情報誌やミニコミ誌等からの加入希望は実現していない。戦後、当初は新聞協会が、その後は民放連加盟社が共同で一貫して既得権を守る?圧力になってきたのは間違いない。
 記者会見は今も『記者クラブ主催』で官庁や大臣や企業ではないのはその典型と言える。

 枝野大臣がフリー会見を開いた同じ日、新聞労連が『記者クラブの全面開放宣言~記者クラブ改革へ踏みだそう~』と記者会見やクラブの全面開放の提言を発表し新聞協会へ検討を申し入れる神輿あげた。今後、中央官庁や各都道府県庁、警察本部にある記者クラブに提言書を送る。また、記者クラブの在り方をテーマにしたシンポジュウムの開催なども計画しており、遅ればせながら『記者クラブ改革』が一歩進む形勢にある…。

 日経ビジネの記者出身で《情報公開》論者だった長妻昭厚労大臣がいまだに「フリー会見」に踏み切れないのは何故なのか?厚労省と言う役所の壁か、クラブの壁が高ないのか?
 いずれ遠くない日にフリー会見に切り替えることが期待されるが、進行中の改革は政府主導であり、改めてマスコミ自身による早急な改革が求められる!?

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2010年3月17日 (水)

余命を生き抜く

 広大医学部で半年ごとに受けている肺ガンのチェックのCT検査を受診した。
結果は少し大きくなった…。
 先日、川柳(2月24日掲載“サラリーマン川柳”)にことよせて『大病を 乗り越えて 喜寿目指す 年男』などと書いた事を反省しながらの報告です。

 2月24日に受けたCT・血液検査結果を一週間後の3日に担当医から聞いた。
 <1>肺の左上部の腫瘍は前回(9月9日)に比べ①24㎜大が33㎜②11㎜大は17㎜
③前回触れていない3つ目は9,6㎜<2>肝臓、腎臓への転移は認められない<3>リンパ節も幸い前回同様大きくなっていない<4>貧血は8、5(ヘモグロビン正常値14~17)で変わらず…<5>腫瘍マーカが2~3の正常値から5、7に上がっているのが気がかり。転移しても動かないケースもあるが、その影響でアップしているとも考えられる。しかし、日常生活上腫瘍が影響して直ちに苦しくなることは考えられない。<6>問題は肺にスペースはあるが、風船と一緒で気管支から病巣までの距離があるか無いかで多少変わる。上の腫瘍と気管支の距離があり、下の腫瘍も少し距離がある。
大きくなって気管支を圧迫して苦しくなる可能性もある。腫瘍は大きくなると増大化がスピードアップする可能性もある…。<7>次回検診は3ケ月に早める必要はない。しんい、苦しい状態が発生した場合は検診を早め手続きをして…受信すること。
 総合所見としては、今のところチェックを3月にする必要はないが、呼吸がしんどい、苦しい場合はチェックを早めるので手続きの変更を…すること。
 生存期間<余命>は年単位で考えるのは目標にしても良いが避けるべきだ。
 現状から命を失うことは比較的少ないと思うが、進行もありうるので、短いスパンで注意しながら診ていく…。次回は8月25日受診、9月1日診断の予約となった。

 4年前の4月に胃の全摘出手術後、2年前に肺に転移し抗癌剤の投与をしていたが“人間失格”と自覚して中止し、以後は東洋医学による治療に専念し「一日一日を大切に…」という気持ちできた。しかし比較的順調な推移に気を良くして、つい年賀状に「7度目の年男を目指した…」とか川柳にかこつけるなど初心を忘れかけていた気持ちを引き締められた。

 食事も進むし体重に変化もない。自転車で橋のたもとの坂を上がる時少し呼吸がしんどいか…?今のところ自覚症状は無い…状態だ。
 余命がどのくらいか?医師は触れなかったが「腫瘍は大きくなるとスピードアップする」「一年単位で考えない…」とのアドバイス。『いつ何が起こっても不思議はない』との覚悟を前提の初心に帰って、身近な所に喜びを見つけながら「日々を大切に生き抜く…」再確認をしている。散歩にブログは大切なひとつだ…。

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2010年3月16日 (火)

古着は恰好いい!

近頃、市内のあちこちにUSED WEARのお店を見かける。
昔の言葉でいえば古着屋さんだ。
今はUSED WEARというようだ。
古着はもういらなくなった洋服というイメージだが、USED WEARといわれると何か恰好よさそうに感じるからおかしい。
ちょっと横文字にしただけだ。

パルコの直ぐ近くには、「WEGO」というお店がある。
本通りから折れて、南にちょっと入ったところには「蔵之助」がある。
どちらも結構大きなビル1棟を丸ごと古着屋さんにしている。
蔵之助はセンター街にもあるようだ。
すぐ近くだ。

ネットで見ると「WEGOはアメリカ~ヨーロッパ系ユーズドウェアやオリジナルウェアを販売する全国展開のショップです」とある。

「蔵之助」は、写真付きで毎日ブログを更新している。
いわゆるHPではない。
パンフレットの延長線上にあるHPより、ブログのほうがよりヒューマンな宣伝媒体になると思っているようだ。

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今の若者は、膝に穴のあいたジーンズをはき、洗いざらしのシャツをズボンの外に出し、庇のすりきれた帽子を被り、紐のほどけた靴をはくことが格好いいと思っている。
エルメスやアルマーニを着ることは、自分ではなくなると思っているようだ。

それには古着はなんとも都合がいい。
古着店には色、柄、生地と、様々のものが取りそろえられている。
値段も安いから、切ったり、貼ったりするのも気軽にできる。
自分だけのファッションがいとも簡単に作れる。
昨日と今日とでは全く違ったファッションで出かけられる。

バンクーバーオリンピックで物議を醸した国母選手などは、国からの支給品の、新品のスーツ、ワイシャツ、ネクタイはなんともしっくりこなかっただろうことが容易に想像できる。

お店の前には1着500円とかのシャツも展示されている。
中に入ると結構高い服もある。

ジーンズではビンテージものという数万円も、週十万円もするものがある。
ジーンズが何年製かどうかなんてどうやって解るのか、私には全くわからないが、その世界の人には一目でわかることらしい。

私の家にだって、親父やお袋の服が溢れかえっている。
ちょっと似合わなくなったとか、太ったからとかいって、まず2度と着ることがないだろうと思われる服が納戸からあふれている。
戦後の物がないときに育っているから捨てられないのだという。
ひたすら溜まっていく。

フリーマーケットで売ってもいいが、それが面倒だという人は、こうしたお店に売ればいい。

逆に、古着でも着たいという服があれば、古着屋さんで買って着ればいい。
腰パンの若者だけに、古着を着る楽しみを独占させておく手はない。

というようになるには、まずは中高年のおじさんおばさんも、今の若者のように、「古着は恰好いい」ということへの意識改革が必要なようだ。

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2010年3月15日 (月)

てづくり電気自動車フェスティバル

先日TVで、廃車寸前の車を電気自動車に改造したということを紹介していた。
モーターとバッテリーの改造用キットが販売されているようだ。
いわば手作りで電気自動車が作れるというわけだ。

ネットで調べてみると、
「尾道市御調町のガソリンスタンドで働く高木さんは、電気自動車の改造キットを販売している新潟の本田さんから約85万円で購入。
キットは、6キロワットのモーターに、スピードコントローラー、1個12ボルトの鉛バッテリー8個と、充電器で構成されている。
コントローラーなど基本部品は地元・府中市のツシマエレクトリック製。
廃車寸前の軽乗用車を2万円で購入し、エンジン、マフラー、ラジエーター、ガソリンタンクを外し、キットを取り付けた。
家庭用コンセントで充電すると、10時間のフル充電で40キロ走行できる。
ガソリン代に比べ、電気代は10分の1程度。
キットを乗せる鉄の取り付け台などは、ホームセンターで購入。
今回が初めてということもあり、1カ月程度かかったが、今後は1週間程度あれば製作できる。
車検も難なくクリアした。
キットさえ購入すれば、誰でも作れる」
ということのようだ。

電気自動車はそごうの屋上の遊園地で走っていた100円いれれば動くバッテリーカーと原理的には同じだ。
ギアチェンジとかの面倒なこともない。
廃ガス規制にも引っかからない。
電気自動車への改造は、そんなに難しいことではなさそうだ。
電気自動車へ改造するキットも販売されているということであれば、改造は誰にでもできそうだ。

そういえば、以前バックトウザフーチャーの映画にも使われたデロリアンを、電気自動車に改造して走れるようにしたという話があった。

ベンツやロールスロイスに乗りたければ、廃車寸前であれば、相当に安く購入できるだろうから、そんな車を購入して改造したっていいだろう。
エンジンはもう駄目だが、この車のデザインには思い入れがあるという車を電気自動車に改造すればいい。

手作り電気自動車のキットは、今は80万円もしているが、数年のうちには相当に安くなるだろうし、問題の電池の性能だってそのうち数倍にアップするだろうと思う。
そうなれば改造のメリットは大きい。

身障者用の電気自動車だって、軽自動車を改造して作れば、数10万円でできるようになるかもしれない。

手作り電気自動車がこんなにも簡単にできるようであれば、ガソリンエンジンの自動車への影響も相当に大きいと思われる。
もう自動車産業はGM、フォード、トヨタの時代ではなくなるかもしれない。
ビッグスリーからスモールハンドレッドということがよくいわれているが、そんなもんじゃ済みそうにない。
それこそハンドレッドミリオンの世界になるかもしれない。

誰でもが思い思いに好きなデザインの車を、自分で好きな様に作れるのだ。
手作り電気自動車は究極のパーソナルカ―の世界を創り出すのではないだろうか。

そうなれば、手作り電気自動車のレースとか、恰好よさを競うデザインフェアをやったら面白い。

手作り電気自動車のレースは、都道府県対抗男子マラソンと同じように、平和記念公園前スタートに、同じルートと距離を走ってもいいだろうし、或いは無料化された浜田道を走ってもいいだろう。
ゴールは市民球場跡地に作られる広場にしたっていい。
その市民球場跡地の広場で、手作り電気自動車の恰好よさを競うデザインフェアを、レースと同時開催でやったっていい。
レースは広島西飛行場の滑走路を使ってもいいだろう。

最初は参加する車は数台かもしれないが、いずれはそれこそ世界中から車や人が集まってくるかもしれない。
まずは始めることだ。

数十万人の集客は可能なイベントに育つかもしれない。

“手作り電気自動車レース&デザインフェア→ひろしま手作り電気自動車フェスティバル”をやろう。

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2010年3月14日 (日)

平和大通りの冬の朝

2月28日の日曜日、雨上がりの朝8時頃、平和大通りを散歩した。
気持ちのいい朝だ。
車は殆ど走っていない。
人通りもほとんどない。
休日の朝の平和大通りは、平日とは全く違った表情をみせる。

平和大通りの木々は、朝日に映えて、なんとも美しい。
歩道の脇の雑草もところどころ緑になってきた。
春はもうすぐだ。

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マチナカ居住の良さは、こんなところにもあった。

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2010年3月13日 (土)

広島初の府中焼き

 最近、お好み焼きの『府中焼き』情報をテレビや新聞でよく見かけるようになった。
「備後の府中市で独自に発達したお好み焼き」と聞くがお目にかかるのは初めてだった。

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 2月に広島市中区堺町に開店した府中焼き”としのや“のマスター吉岡利浩氏は府中生れ府中育ちで、5年の修行の後に五日市のコイン通り沿いに2年前にオープンし『府中焼き』をひろめる為に旧広島市内への進出を窺ってきた、自称府中焼きの伝道師だ。

 府中焼きは広島焼きをベースに昭和30年頃から府中で独自の工夫で生まれたお好み焼きで府中市内には40軒を超える店があり、最近は商工会議所が全国発信などに熱心だ。
 特徴は豚肉を使わず背脂を活かした牛ミンチを使いカラッと焼きにくくなるモヤシは使わない。焼き方も薄いクレープ状の生地にキャベツを乗せその上にミンチを乗せて、天かすと鰹節を振りかけて抑えながら蒸し焼く。その上にそばやうどんを焼いて乗せ両面をカリッとパリッと仕上げる。ソースは三次のさらりとした「カープソース」が使われる。
 更に“としや”のオリジナルはキャベツの山の中央に穴を作り卵を埋め、そばの上に更にとき卵を乗せてカリッと焼き上げる『生かけ』(750円)に、とき卵に変えて刻み葱をしっかり乗せ糸状マヨネーズを縦横にかけてバーナーで焼く『炙り葱マヨ』(900円)は人気商品。トッピングもイカ、キムチ、チーズ、餅などが50~200円で多彩だ。

 私はマスターお勧めの『生かけ』を鉄板で頂いたが『カリッとした食感は旨い!!』
 焼きあがりはキャベツと牛ミンチと卵がふんわりとジューシーに蒸し焼かれ、生地と麺の表面をカリッとパリッと焼いて上下に挟んで仕上げる。こってり感の広島焼きよりあっさり感と甘みがにじんで私好みの旨さで病みつきになりそうな味だ。

 “としのや“は実は昨年春に新幹線駅北側の光町にも出店しており堺町店は広島2号店。
 更にセブンイレブンやサークルKサンクスで『ご当地グルメ葱たっぷり府中焼き』(500円)も広島、山口、岡山県内の各店で販売を始め府中焼きの拡大に力を注いでいる。
 とは言え、一度お店に出かけて味わってみれば広島焼きとの違いを実感でき、あなたも病みつきになること請け合いです…。

府中焼き“としのや・堺町店”:広島市中区堺町1丁目3-14 TEL:082-231-1048
    年中無休・宅配無料(千円から)   http://www.toshinoya.com
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2010年3月12日 (金)

『バッグ・パッカーズ・ホテル』開業

 友人の「ご近所に面白いホテルが出来るので見学してみて」という紹介で出かけてみた。
 最近コンホートやダイワ等ビジネスホテルが相次いで開業した中電本社の向かい側だ。
 “富田画廊ビル”と言えば広島では知られた画材や額縁に画廊の老舗で、2階の画材店を残して6階建てのビルを大きなバックを担いで世界を旅する“バッグ・パッカーズ”をターゲットにしたホテルに大改造して3月から開業する。

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 『ファミリーホテル レイノ・イン広島平和公園』は平和公園まで、徒歩で5分の立地で、市電やバス停も目の前で利便が良く広島ではまだ珍しいバッグ・パッカーズがターゲットのホテルだが、一人から家族連れにグループ・団体旅行にも対応する国際交流ホステル&ファミリーホテルを名乗っている。外人専用ではないので日本人の利用も出来る。民間のユースホステルと言った感覚の新タイプホテルだ。

 1階はロビーにお土産売り場に3~6階がランドリー、ミニキッチンの他1~5名用個室に大型ベッドに和室。2段ベッドで16人が宿泊できる大部屋まであり、シャワーや風呂も完備してバッグ・パッカーズ特有の大型バッグや荷物の収納棚が完備している。

 宿泊費は一人2500円から6800円までで、ファミリーの人数によって色々な組み合わせが出来る。曜日やシーズンによって4~500円の料金が変わる。

 特徴は低料金だが売り物は国際交流ラウンジに加えて、本業の特性をフルに生かして陶芸や日本画に茶道などといった日本の伝統文化を体験できる教室を完備している。
 特に最近のビジネスホテルは安く泊まれる代わりに狭苦しいが、事務所ビルの改築だけに天井の高さや全体にゆったりスペースは逗留も可能な新趣向な興味深いホテルだ。
 HPで確認して出かけてみるのも面白いと思う。
 こうした大胆な事業転換は広島の観光活性化に一石を投じるのではなかろうか。
 期待して見守りたい。
 問い合わせ:国際交流ホステル&ファミリーホテル 『レイノ・イン広島平和公園』
      〒730-0051 広島市中区大手町3-7-5 
Tel:082-236-7003  Fax:082-236-7010   http://www.reinoinn.com/

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2010年3月11日 (木)

「広島を米国で伝える民間大使」再挑戦

 「ヒロシマとナガサキで何が起きたか」…全く経験のない若者を『語り部』に鍛え上げて米国に送り込む「ネバー・アゲイン・キャンペーン<NAC>」が6年ぶりに再開される。

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 NACの北浦葉子さんから久しぶりに近況と今後の方針などを伝える手紙を頂いた。新聞報道もあって概ねのことは理解していたが、今日は朝日新聞が“ひと”欄で紹介した。
 NACとの出会いは25年前に遡る。まだ独身で兵庫県三田の中学教師が米国の大学で平和学の教鞭をとっているレイスロップ教授と共同で草の根交流グループNACを立ち上げ最初の民間大使、中村里美さんを米国に派遣する準備段階だった。
 米国で一年間、ホームステーしながら学校や教会で原爆の映画を見せ、被爆者のメッセージを伝える為に広島で合宿特訓に取り組んでいた。RCCで中村さんの滞米奮闘記「ヒロシマってなあに」を制作、優れた平和・民間外交活動として大きな反響と評価を得た。

 NACは以来、51人の学生らを原爆を投下した米国に派遣し、手弁当で11,500回を超える講演で36万人余にヒロシマを伝える事務局長として支えてきた。所が2001年の9・11テロで長期ビザの取得が難しくなり‘04年以降は中断を余儀なくされていた。

 が、昨年4月のプラハ演説でオバマ大統領が「核なき世界」を目指すとの表明を機に「この時期を逃がしてはいけない」と支持者から声が上がり、派遣期間をビザなしで滞在できる3ケ月に短縮して再開する方針に切り替え、10代目の大使の募集を始めた。

 10期生の募集は5名程度で3月5日までにNAC事務局<nac.staff@gmail.com > へ
 経歴、写真、日本語と英語による志望動機書(日本語で千字程度)を送る。高卒以上で、意思の疎通程度の英語力を求めている。ヒロシマにとっては広島市が米国で展開中の「原爆展」や平和市長会議の「2020議定書」運動と相乗効果が期待できる力強い助っ人だ。

 3月下旬にはレイスロップ教授も来日して東京、名古屋、広島、長崎などの6ケ所で面接選考が行われる。現地での住居や食事は支援者が提供するが渡航費や保険は自己負担。
 北浦さんは子育てと高校の講師を務めながら『平和の種まき』を自任して、新大使の来年の出発を睨みながら被爆地合宿や戦争体験継承など特訓に励む。<2月25日:記>
〒669-1332 三田市広沢100-1 NAC事務局 北浦葉子 079-567-3660   yokotja@ybb.ne.jp

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2010年3月10日 (水)

季語と季節感…

 昨日は18度、今日は20度。4月下旬らか5月上旬の暖かさだ。平和大通りANAホテル筋向かいの緑地にある紅梅や平和公園の梅が良い香りを放ってほころび始めた。
 この時期を現す代表的な句 “梅一輪 一輪ごとの 暖かさ“が浮かぶ…。

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 平和公園の無縁仏塚の前にある白梅の古木の根元は一抱えもある大木で枝の広がりは5メートルと大きい。全樹は五分咲きで遠目には全体を白く包んで美しい。追悼祈念館の南側の天神北町の慰霊碑に添うような紅梅の古木も少し開花していい香り放っている。
 見ごろは一週間後くらいだろう。

 最近の暦には余り使われていないが日本には季節を表す24節句がある。一年を24等分して、季節を分かりやすく表そうとして中国で生まれて日本に伝えられたものだ。
 春夏秋冬を各6つに分けて気候と結びつけられているが旧暦であるため現代ではマッチしないズレもある。しかし、日本人の生活感を捉える上では今も立派に役立っている。
余り親しみがなく使わないものにアンダーラインを入れて書き出してみた。

 因みに春の節句は節分の次の日『立春』<2月4日頃>草木の芽が出始める『雨水』<2月18日頃>冬眠していた虫が穴から這い出す『啓蟄』<3月6日頃>昼と夜の長さが『ほぼ同じ。彼岸の中日『春分』<3月21頃>春の陽気万物が清く明るくなる『清明』<4月5日頃>春の雨で穀物が育つ『穀雨』<4月20日頃>という具合だ。
 清明、穀雨等は農家では生きているのかもしれないが一般的には使われない。しかし、毎月を2回の節句で季節感を表しているいい季節語だ。

 夏になる頃<5月6日頃>『立夏』、動植物が成長し満ち足りてくる『小満』<5月21日頃>、種をまく<6月5日>『芒種』、昼が一番長い日『夏至』<6月22日頃>暑くなる『小暑』<7月7日頃>一番暑い時期『大暑』<7月23日頃>

 秋は『立秋』<8月8日頃>この頃な暑さは“残暑”という、暑さが終わる『処暑』<8月23日頃>秋らしくなる『白露』<9月7日頃>昼夜の長さが同じ『秋分』<9月23日頃>露が冷たく感じられる『寒露』<10月8日頃>霜の降り始め『霜降』<10月23日頃>
 冬になる頃『立冬』<11月8日頃>雪の気配『小雪』<11月23日頃>雪が本格的に降り始める『大雪』12月8日頃>寒の入り『小寒』<1月6日頃>最も寒い時期『大寒』<1月20日頃>。

 この他で1月7日の七草粥、3月3日のひな祭り、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕は未だ多くの人の生活に、若者の中にも活きている”5節句“がある。

 私の暮らしの中に半分は生きている季節感を伴う言葉だ。
 俳句の季語も同じように季節を表す言葉として多少は活きている。
 温暖化の影響で自然の異変が大きいが、まだまだ春夏秋冬の盛りや変わり目は日本独特の持ち味として活きている。人々の感性を衰えさせない為にも季(節)語と季節感は大事にしたいものだ。
 暮らしの中から消えそうな季節や習慣を表す言葉や意味を改めて手繰って見ると得をしたような気分だ。<2月23日:記>

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2010年3月 9日 (火)

アリスガーデンとロックンローラー

アリスガーデンでは、その時々でいろんなイベントが行われる。

先日アリスガーデンの脇を通りがかったら、ラジカセの音楽に合わせて若者たちが踊っていた。
思わず立ち止まって、見入った。

男は革ジャンに、足にぴったりの細いズボン、髪はリーゼント。
黒いサングラスをしている子もいる。
女の子はフワーッと広がるスカートにポニーテールの髪の毛。
踊るのは、あの1960年代に流行ったジルバやツイストだ。
随分と懐かしい音楽と踊りなのに、意外に新鮮さだ。

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70年代から80年代にかけて、毎週日曜日になると表参道の歩行者天国に、竹の子族と呼ばれる若者が、全国から集まり、踊りの輪ができた。
最盛期には50グループ、2,000人以上になり、それを見ようと集まった観客は10万人にも膨れ上がったという。
数百Mにわたる歩行者天国は身動きも取れないほどになったともいう。
その頃は皆原色と大きな柄物の生地を多用した衣装に、鮮やかなメイクをしていた。
すぐ近くにある竹下通りのブティック竹の子の衣装を着ていたから、竹の子族と呼ばれたらしい。

原宿のホコテンというステージで、若者が時代の最先端を行くファッションで、最先端の音楽で踊っていたわけだ。

そのどこかひねた雰囲気が最高に恰好よかった。

しかしそんな竹の子族は10年も続かず、消えてしまった。

それがここアリスガーデンで「ストリートパーフォマンス」として甦ろうとしているのだろうか。

通りすがりでも見てくれる人がいるから、それなりの緊張感がある。
それが面白いのだろう。
帰ってきたロックンローラーとでもいうのだろうか。
そこには彼らなりの自己主張を感じる。

踊りたい若者たちはもっと沢山いそうだ。

市民球場跡地に広場ができれば、そこが、そんな若者たちのグループのパーフォマンス広場になりそうだ。
昔の若者だったおじさんも、おばさんも踊ればいい。

カラオケとは違った快感を味わえるかも知れない。

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2010年3月 8日 (月)

アーケードと本通り商店街

本通り商店街には大きなアーケード架かっている。
おかげで、雨にも濡れないし、夏の暑い日には日傘の代わりになってくれる。
アーケードは半透明のテント作られているので、昼間は照明がなくともよさそうだ。

この本通り商店街のアーケードは1954年に作られたという。
もう56年経っている。
その割にはあまり痛んでいない。
技術的にも、よくできたアーケードだ。

1_7

しかし本通りの賑わいはこのアーケードがあるからだろうか。
銀座だって、原宿だって、渋谷だって、アーケードなんか無い。
ここらで、ちょっと考えてみる必要がありそうだ。

本通り商店街のアーケードは随分と高い位置に架かっている。
それでも4階レベルから上は見えない。
あたかも4階から上には建物がないかのようだ。

アーケードの下の商店街は、やけに明るいトンネルの中の商店街のようでもある。
これではソレイユやゆめタウンの郊外型ショッピングセンターとさして変わらない。

街の面白さ、楽しさは、様々の建物があり、様々のお店があることだろう。
古色蒼然とした古いビルがあるかと思うと、そのすぐ脇にピカピカの新しいビルがあったりするのが、街の面白さだともいえる。
そんなビルの階段を上がっていくと、「エーッ ここにこんなお店があったのー」ということを発見するのもまた、街の面白さだ。
それは長い年月掛けて作られてきた街の歴史があってこそ生れてくる面白さだ。

アーケードは、そんな街の歴史も、そこにあるはずの生活を半減させているのではないだろうか。

本通り商店街の脇をちょっと入ったところにある瀬戸内海汽船の所有するビルは、4階がオルゴールカフェ、2階が輸入玩具のお店になっている。
1つのビルの中に色々なものが詰まっている、
ビルの階段を下りていったとき、思ってもみなかったオモチャを発見した時は感激した。

本通り商店街の一角にあったギャラリー・てんぐスウエア―もなくなってしまった。
そんなギャラーもビルの5階、6階といった上のフロアなら、賃料も安いだろうから、進出できるのではないだろうか。

日本では一時、野球場をドーム化することが流行った。
後楽園球場を始め、日本の主だった球場は殆どドーム球場になった。

しかしアメリカではドーム球場を壊して、今屋根のない野球場にどんどん作りかえられている。
理由は、天然芝の上でプレーすることの方が選手にも優しいし、見ている方もその方が楽しいからだという。

本通り商店街の発展の可能性は、案外4階から上にあるのかもしれない。
ビルの屋上を繋げてしまうという手もあるかもしれない。

本通り商店街のアーケードは開閉式になっているようだ。
大きく開けてみて、通行客の反応をテストして見たらいかがだろうか。

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2010年3月 7日 (日)

カフェ・シトロエン

カフェ・シトロエンは、平和大通りとじぞう通りの交差点に面した古いビルの2階にある。
友人の所有している車と同じ名前なので、以前から気になっていた。

2階に上がる階段の手前、通りに面して置かれた椅子の上の小さな黒板に、お店の名前とその日のメニューが白墨で書かれている。
大分痛んだ階段を上ると、2階の奥に黒い鉄製の扉があるが、どこにもカフェ・シトロエンとは書いてない。
他にはそれらしきお店は無い。
思い切って扉をあける。
中は普通のカフェだ。
これでは口コミで知るか、ガイドブックで知るしかない。
通りがかりではなかなか気付かない。

床は板のフローリング。
小さな木のテーブルと緑色のゆったりした椅子がおかれている。
豪華ではないが、なかなかシャレた雰囲気である。
元々カフェとして作られたのではないからだろうか、椅子やテーブルの向きは決まっていない。
あちこち向いている。
その雰囲気は、スターバックス、ドトールとかとも違い、またいわゆる喫茶店とも違う。
どこか心地よさと、優しさがある。
それはどこから来るのだろうか。

1_6

客の殆どは若い女性だ。
手荷物の多い女性客を意識してか、荷物をおく籠も置かれている。

ケーキセットとか、ランチメニューもある。
どのメニューも、どちらかといえば女性向きだ。

だからと言って男性が1人で入っても違和感はない。

ビルの2階にある、知る人ぞ知る裏カフェの1つだ。
こうした裏カフェが街あちこちにあるのが中心市街地の面白さだ。

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2010年3月 6日 (土)

“原発を広島へ誘致?!”街頭アンケート

 『広島へ原発誘致?』を巡って広島市民に直接アンケートする企画が進められている。
 映画「東京原発」の広島県内上映を進める会が映画の普及を兼ねて取り組むブラックユーモア企画だ。

1

 東京原発広島県上映の会(代表:田中利幸広島市立大平和研究所教授ら3人)は『赤字財政から脱却するため東京に原発を誘致する』という都知事の発言からパニックに陥る東京を描いたエンターテイメント映画「東京原発」の県内全市での上映を進めている。

 広島からわずか80キロの山口県上関町の中国電力上関原発建設に関心が薄い広島県民に「原発を自分達に降りかかって来る問題として受け止め、考えるヒントにしてほしい」と平和や環境問題に取り組んでいる個人やNGOや市民グループが県内全市での上映を目指して準備を進めている。

 既に県内14市の内、3月16日の三原市、21日の広島市を皮切りに12市での上映が決まり竹原と江田島市での開催準備に取り組んでいる。

 一方、この映画の普及を進める為に市民に“原発を自分の問題として考える契機にして…”と≪街頭市民アンケート『広島に原発を!あなたはどう考える?賛成か反対シール投票?』に取り組む。
 もしも、広島港の近くに原発が出来たら…。広島県民はどう考えるんだろうか?
 電力会社がTVや新聞などを総動員してPRしている「CO2を出さない環境に優しい発電」だから歓迎?エネルギー資源の乏しい日本に有効?それとも核兵器廃絶を目指す広島には似合わない?核廃棄物処理策が確立されておらずリスクが高い?自然エネルギーにシフトすべき等の意見がある。貴方はどう考えますか、映画を見て今一度考えてください。

 3月13日(土)午後1時から本通り西口の青山洋服店周辺で《YES. NO》ボードで声を聞く。原発を考えるヒントになる“映画を読み解く9ポイント”のチラシの配布もする。
 決して不真面目な取り組みではない。大胆なブラックユーモアによる映画普及と原発の是非を考える大衆的な面白い?取り組みだ。成り行きが注目される。
<問い合わせ:「東京原発」広島県上映の会事務局:広島映画センター Tel:082-293-1264>
       東京原発広島県上映の会HP  http://ameblo.jp/tokyo-genpatu-hiroshima/

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2010年3月 5日 (金)

冬季五輪の明暗

 バンクーバー冬季五輪も終盤に近付き以外にもカーリング人気の上昇で結構テレビ中継を楽しんでいる。前回トリノは金メダル一つが、今回は10個の目標には遠いが銀1、銅2とまずまずで、終盤に期待される?それにしても日本チーム内の明暗が際立った。

 まずは「腰パン」問題で物議を醸したスノボーの国母和宏選手。
 国母選手はカナダに到着した際に日本の統一した選手団制服のシャツを出しズボンを所謂「腰パン」ではき新聞やテレビが細かく報道してヒンシュクを買った。橋本団長は選手村の入村式や開会式への参加自粛と引き換えて競技には参加させた。
 予選で高得点を出し、準決勝をとばして決勝に進出した。決勝ではミスが出たが果敢に攻めたうえでの結果だった。前回が予選落ちだったことを考えれば上出来だろう。

 服装問題程度?で競技に参加できない…となれば、恐らく国内を超えて世界の話題と言うか笑いものになっていたに違いない。今回はメダルの有力候補だっただけに団長の適切な判断だったと思われた。
それにしても、監督やコーチは何をしていたのだろうか。誰も注意するものが居なかったのか、注意をしても聞かなかったのか。いずれにしても誰の目にも“マナー違反”だ。
 スポーツ選手の常識なり品格の喚起が求められるケースだった。とは言え国会で議論するほどの問題かどうか?

 気の毒だったのはフィギュアの―織田信成選手のスケート靴の紐切れだ。スケート選手は一年に2~3足の靴を履き潰すが彼は一足で通し、かなり酷使した靴で頑張っているとテレビが伝えていた。加えて一般的には1000円程度の紐を使うがアクシデントが起きた織田選手の靴紐は400円とか…。
 真偽のほどは別にして織田選手は紐を付け替えて競技を続行して7位に入賞した。
 準備不足になるのかどうかわからないが本人は残念でたまらなかったことだろう。
 織田信長の末裔と言われる選手に経済的な厳しい個人的事情があったのだろうか?

 JOCなりスケート連盟はこうしたアクシデントの背景を精査して事前の対応が出来るように十分なサポートこそ大切にされなければなるまい…。
 それにしてもスピードスケートの2選手に出身企業が1000万円と600万円の報奨金を弾んだのは明るいニュースだ。JOCとスケート協会の報奨金を加えると相当の額になる。
 選手にとっては何よりの励みだ。企業の応援は単に広告塔としてではなくアマ・スポーツの発展に欠かせない大切な条件であり拍手を送りたい。
 同時にもっと広い企業・民間の支援が望まれるのではないだろうか。<2月22日:記>

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2010年3月 4日 (木)

映画「抵抗のプラハ」

 シネマクラブ・ひろしまの例会で第二次世界大戦終盤のチェコを舞台にしたレジスタンス映画「抵抗のプラハ』を観た。
 抵抗運動のため命をかけて勇敢に闘った体験がベースで、目を覆いたくなる悲惨な場面が多く、ナチスの圧政を浮き彫りにした悲しく胸の痛い作品だった。

 ‘70年制作のカラー作品(90分)だが画面は青や緑色が脱色し赤系統が残る“カラーのセピア色”に字幕も見えにくく音声も退化気味と上映条件は極めて良くなかった。しかし、それがむしろ凄惨なギロチンの場面などを薄らぐ効果になって見るに耐えた?
 歳末に見たポーランドの巨匠ワイダ監督が同じ時代にドイツとソ連が引き起こした将校の大量虐殺による圧政を描いた「カティンの森」(1月5日:当ブログ掲載)と重なる東欧の小国がナチスとソ連に翻弄された歴史の裏側に潜む、暗くて重い事実…だ。

 映画は‘42年占領軍のナチの総責任者が暗殺されたチェコの首都プラハが舞台。この暗殺事件を取り締まる戒厳令のもとで共産党とレジスタンスに関わる者たちが証拠もないまま次々に逮捕される。処刑の銃撃音を背景に流れるベートーベンの“第九”や“悲愴”が恐ろしさや物哀しさを誘って怒りを盛り上げる…。
 重要メンバーの一人が隠れ家の窓から脱出しようと試みて落下して捕えられるが決して自分の正体は明かさない。ゲシュタポは彼のポケットにあった鍵を手掛かりに沢山の合鍵を作って街家をシラミツブシにレジスタントのアジト探しに狂奔する。鍵はいち早く取り換えられてアジトの発見には至らないが、抵抗して逮捕された者達は彼の身元を証明すれば命を助けるといわれるが、皆黙ってギロチンに向かう…。
 抵抗者は殺しつくされるがやがてチェコにも闘いが終わり平和の芽が吹き始める…。

 この映画の原タイトルは『the kye(鍵)』で正しくアジトの鍵を巡ってレジスタンスがナチの追害を国と民族の誇りと結束を抵抗で守りぬいた闘いの記録だ。

 今ではなかなか見ることが出来ない秀作映画をこうして鑑賞できる機会は極めて貴重だ。
 シネマクラブひろしまは間もなく2周年を迎える。年3~4回の定期上映と殆んど毎月、広島映画センターがストックする邦画・洋画数百本の中からピックアップ上映する『ワンコイン上映会』<会員500円会費>をしている。
 三年目を迎えて新会員の募集も始めている。1年会費:個人千円、家族:千五百円。
 会員に観たい映画のアンケートを取りながら近く新年度の“上映候補作リスト”アンケートも行う。多くの映画フアンの参加を待っている。
 問い合わせ:シネマクラ・ひろしま:広島映画センター内 http://cc-hiroshima.ciao.jp 082-293-1274

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2010年3月 3日 (水)

国立原爆犠牲者追悼祈念館の存在

 「原爆死没者を追悼し核兵器のない平和な世界を築くことを誓う」ために国が設置した戦争の犠牲に関する我が国で唯一の施設“国立原爆死没者追悼平和祈念館”広島館は8年で160万人の入場者を数え9年目を迎える。

 厚生労働省の健康局が主管してこの祈念館の運営や企画を検討する委員会が毎年この時期に開かれる。胆務する健康局の新局長は平成4年から3年間広島市の衛生局長を平岡市長のもとで務め祈念館建設にも深く関わってきた経緯があって「惨禍を後世に伝え亡き被爆者の追悼の為充実させていきたい」と述べ、忌憚のない意見具申に期待を寄せた。

 企画検討委員は座長の元東大総長の森亘東大名誉教授以下広島と長崎関係から各5名が名を連ねマスコミ関係から私が参加している。
 開設8年の広島館の年間入場者21万人の殆んどは修学旅行と海外からの来場者。資料館の約6分の1程度だがこの1月で累計162万人、一日平均600人。長崎館は年間9万人余で7年の累計62万人はそれぞれ立派な実績と言える。
 しかし、広島市民の見学者は社会科の授業で訪れるごく一部の小学生。資料館とは違う存在の追悼祈念館を是非とも見学をして頂きたいと思う…。

 祈念館の主な事業は死没者の氏名と遺影、被爆体験記の収集に高齢化や不慣れで自分で執筆するのが難しい人を対象にした聞き取り代筆作業は今後も貴重な取り組みになる。
 長崎館は国際交流のテーマにそってアジアで初めてマレーシアの国立マラヤ大学で3ケ月間原爆展を開き8100人が見た。来年度はオランダの国立戦争抵抗博物館(年間入場者10万人)で4ケ月間にわたる開催を予定している。

 権交代後、初の会議だが館の企画運営に直接的な影響はないが広島・長崎両市が中心に取り組んでいる平和市長会議の‘20年までに核兵器廃絶を目指す「2020議定書」の支持拡大や今年の5月の国連NPT会議での支持拡大には厚労省と外務省が協力して国を挙げて取り組まれるべき緊急課題…との確認が改めて求められる。

 討議の中で私は広島・長崎と在京キー局をはじめ全国の放送局が取材しストックしてきた多くの被爆者証言資料を国が改めて両館で活用できるように協力を要請することを提案した。各委員からも今ならまだ間にあう資料の保存を国の立場で大局的に進めるプロジェクトの立ち上げ等の提案もされた。これに対して「国として質の高い資料収集を考える時期に来ている」との認識が示され、10年の節目に向けて館の充実に期待を持たせた。

 この日の意外な情報は元放影研の理事長だった重松先生からは放影研がストックしている被爆者関連資料のうち、詳細な被爆状況が「認定」に役立つため積極的な活用が可能…との示唆があった。国の認定基準が見直され認定患者枠が拡大されつつある時だけに有効な情報としての活用が期待できる。

 被爆者の高齢化という避けようのない壁に向かって今の内なら間に合う「核兵器廃絶」に繋がる被爆体験継承とその橋渡しが国の責任で出来るような様々な企画提案をしなければなない責任の重さを改めて感じる。

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2010年3月 2日 (火)

マチナカ農場・漁場と「瀬戸内 海の道1兆円構想」

日本の食料自給率は、カロリーベースで、昭和40年度には73%であったが、年々下がり続け、今では41%だという。広島県は23%、広島市は3%だという。

広島市、広島県とも、人が住む市街地は極めて狭いにも拘わらず、その食糧自給率は驚くほど低い。
海にも面しているし、背後には広い山もあるのにだ。

食料の自給率を高めるには、何か全く次元の違った方法が必要のようだ。

マチナカにあるこのマリーナホップに、様々の野菜果物を生産する巨大な植物工場をつくり、それが成功すれば隣接する広島西飛行場にも広げてもいい。
そうなれば、それこそ、広島市の食料自給率だって相当に上がるはずだ。

植物工場として成立するためには、最先端の技術が必要だ。
太陽に代わる技術がLEDである。
青色LEDが開発されたことで、赤、青、黄色、緑、白と太陽に近い光が作り出せるようになったことも、LEDの効果を高めている。
LEDは消費電力も白熱灯の8分の1と少ない。
寿命も4万時間と長い。
LEDの照射時間をコントロールすることで、収穫時期も決められるようになったという。

水と土に変わるのが、水耕栽培の技術だ。
その水溶液の中に植物が育つのに必要な様々の栄養素が混入されている。
水溶液をさえ変えれば、土の農業では不可能だった連作もできるようになるという。

この植物工場は無菌室であるから、害虫もいないし、作られた野菜は洗わなくても食べられる。

そんな技術を使えば、魚だって貝だって海藻だって養殖できそうだ。

栃木県の温泉でフグの養殖が始められたという話もある。
その温泉は塩分が含まれているそうだが、山の中で海の魚が養殖されているというのだ。
魚も水が暖かいと育つのが早いのだという。

近畿大学の研究グループはマグロの養殖も可能にしたという。

成長に合わせて、そうしたLEDの光と水を制御するにはかなり高度な技術が必要だ。
広島には、そうした多様な技術が自動車の生産に関わった中小の膨大なものつくりの企業群の中に蓄積されている。
そうした中小の企業を総動員すればいい。

しいたけ栽培の木に電流を流したら、収穫量が倍になったという。
冷蔵室では、青色LEDの光を光触媒フィルターに照射し、吸着した雑菌などを分解・除去する技術も開発されている。

そうした新しい技術開発を進めるには広島大学、近畿大学、農業試験場等の研究機関も参加させたらいい。

このマリーナホップ跡地に、そんな農産物、水産物の生産拠点ができれば、広島市民は毎日食べる野菜等の食材をここに直接買いに来ることだってできる。
ここでなら新鮮で、かつ安全だということを確認して買うことだってできる。

広島生協と提携し、販売もネットで注文をとり、即日配達するような仕組みも作ったらいい。

食の体との関係は奥が深い。
食に関連して栄養学、医学、料理学の大学、専門学校も巻き込んで研究することも必要だろう。

ゴミの処理についても、広島市で進めているゼロエミションシティーのモデル地区としての仕掛けもやったらいい。

ここでなら食の生産から販売、そしてゴミ処理までの循環型システムを創り出せる。

新しいコラボレーションは新しい技術を生みだすだけでなく、新しいビジネスをも創りだすはずだ。

今新しい農業の在り方として、1次産業としての農業+第2次産業として農業の工業化+第3次産業として農業の商業化をむすびつけることで農業を第6次産業化しようということが言われている。
しかしそれぞれが縦割り行政的に、広島県内のあちこちに散在しているのであれば、それはいままでの農業と殆ど変わらなくなってしまう。
そうならないためには、クロスセクション的な仕掛けが必要だ。

そのためには食に関連した全ての機能、企業、レストラン、研究機関等ありとあらゆるグループをこのマリーナホップの1か所に集積させることが必要だ。
そうすることで、そこに集積効果が生まれ、複合効果が生まれる。
(1次産業としての農業、漁業×第2次産業としての農業漁業の工業化×第3次産業としての農業漁業の商業化)×マリーナホップ=生産から消費までを一体化したフードコンプレックスとする。
そんなことができれば、広島にさらに新しい農業漁業ビジネスを起こすことも可能になるだろうと思う。

そのためには様々の法的支援も必要になるだろう。
マリーナホップ跡地の「マチナカ農場・漁場プロジェクト」を農業漁業ビジネス特区として指定することも検討する必要があるだろう。

1_3

ここマリーナホップには、すぐにでも植物工場、養漁場に転換できそうな大きな建物が沢山空いている。
敷地内にはレストランもある。
隣接して観音マリーナもある。
海のレジャーとも一体化が可能だ。

マリーナホップには、食に関連した全ての企業を集積させる条件は整っている。

「マチナカ農場・漁場プロジェクト」はマリーナホップの再生案としてだけでなく、
湯崎広島県知事の唱える「瀬戸内 海の道1兆円構想」の主要プロジェクトにもなる可能性もあるように思う。

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2010年3月 1日 (月)

マリーナホップとマチナカ農場―1

先日久しぶりにアウトレットモール・マリーナホップにいった。

日曜日だというのに駐車場はがらあきだ。
中に入ると、あちこちのお店が閉店している。
ガラスの内側には白い布のブラインドが降ろされ、看板は外されている。
マリーナホップのお店はシャッターがないから、閉店していることは、それほど目立たないが、それでも全体的に寂しさはある。
別棟になっている大きな建物は全て閉鎖されている。
実質、半分以上のスペースが空いている感じだ。

マリーナホップが2005年に中国地方初のアウトレットモールとしてオープンした。
その頃は、来場者の車が2号線にまで渋滞が伸びた。
そんな面影は、もうどこにもない。

しかしその後、年々客が減り、テナントの退店も相次ぎ、このままでは廃墟と化すのはそれほど先のことではないだろう。

それはあまりに勿体ない。
折角作ったのだ。
なんとかしたい。

1_2

マリーナホップは紙屋町、八丁堀の中心市街地から直線距離にして7~8KMの距離にある。
車なら5~6分の距離だ。
広島西飛行場の近くの埋め立て地に作られている。

マリーナホップは
敷地面積は11.3万m²―約3.4万坪
延べ床面積は2万m²―6千坪
店舗数は115
観覧車もある遊園地も付設されている。
かなり大きなショッピングセンターである。
駐車場だって2,600台分もある。

マリーナホップを再生するには、ショッピング機能を充実させるということでは難しいだろう。
それなら、ここを広島の食料生産と飲食業を一体化した「マチナカ農場」としたらどうだろうか。

今人工の光と土を使って、野菜や果物をつくる植物工場の技術が、あちこちで開発されている。
日が射さない建物の中でも野菜、果物が出来るというわけだ。
先日地下街のシャレオではその植物工場の展示会もあった。
経済産業省もこの植物工場の技術を推進しようと躍起になっている。

その技術をつかって、街のなかのマリーナホップに農場を創ろうというわけだ。

植物工場ではレタスやトマト、イチゴなどが作られる。
そうして作られた野菜、果物を使った料理を、すぐ脇のレストランで食べられるようにしたらいい。
新鮮なでもあるし、安全であることも確認して食べられる。

それに瀬戸内海で取れた魚、牡蠣も使った料理も提供するようにすればいい。

そのために必要なスペースなら、ここマリーナホップにはいくらでもある。

マリーナホップに「マチナカ農業・漁業拠点」をつくるのだ。
いわば究極の地産地消というわけだ。

直ぐ脇には観音マリーナもある。
海のレジャーと一体化したっていい。

そんなことができれば、マリーナホップは新しい生活スタイルを提案する場となるのではないだろうか。

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