天皇の政治利用?で思うこと
訪日中の中国の習近平・国家副主席と天皇の会見が「政治利用」と政府の対応を巡る議論が活発だ。天皇の役割を巡る議論は稀で、この際広い国民層の議論を期待したい。
“習副主席と天皇の会見”が俄かに浮上したのは宮内庁の羽毛田長官が「天皇の会見は一月前に申し入れる慣習を破った」と政府対応に不快感を公表したのに続き14日に小沢民主党幹事長の記者会見発言で火がついた。宮内庁長官の「一ケ月ルール」は何時誰が創ったか知らないが、長年のルール?なら政権交代を機に見直しても良いだろう…。
小沢氏の発言は「(憲法に」天皇の行為はなんて書いてある…国事行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われる…それが日本国憲法の理念であり本旨…」「…内閣の一部の役人が内閣の決めた事についてどうこう言うのは憲法の精神、理念を理解していない。どうしても反対なら、辞表を出した後に言うべきだ…」。少し乱暴なようだか一理ある。
これに対して自民党の阿倍晋三元首相らは小沢氏が640人の大訪問団を率いて訪中した時期と内閣の要請が同じ時期だったことから「国益でなく、自分達の為に今まで守ってきたルールを破った」と全く裏付けのない憶測で批判しているのも如何なものだろうか?
外国要人との会見は国事行為かどうか等を巡る学者や専門家の声を集めるマスコミ報道?
しかし、天皇の存在や行為について改めて憲法を読んでみたり考えたりするにはいい機会ではなかろうか。私たち世代は物心ついた国民学校一年生の昭和20年当時、天皇は学校の校門近くの”ご神栄“という天皇の写真が祭られ建物の前で毎朝、最敬礼して登校した。天皇は現人神(あらひとがみ)で完全に神格化された神様扱いで、天皇の為に命をささげて戦う青少年の育成が課題で、特攻隊で散った先輩を出した学校の在校生はそれを誇りに、軍事教練などを通じて後を追う教育・軍国教育が幅を利かせた。
そんな馬鹿なことは今更、おき得ない…のだろうか?
終戦に当たっては無条件降伏を求めたポツダム宣言の受託を巡って軍部と政府は国体の護持・つまり天皇制の継続維持を唱えて受託を遅らせ、結果的に広島・長崎に原爆投下を招いたしまった。天皇の周辺を取り巻く人間の誤った判断が日本により大きな悲劇・被害をもたらした歴史を振り返る時、今回の“天皇の地位利用?問題”を政治家や学者の世界の議論でなく、国民一般の素直な議論が広まることは大切なチャンスではないかと思う。
政権交代は長年自民党に任せてきた形のこうした問題を含めて見直す機会でもある。
戦後いい加減にされてきた日本の近代・現代史を含めて天皇や憲法を巡って改めて社会的にも教育的にも、政治的にも見直す必要に迫られている…と感じる。
« 五重塔と二重構造 | トップページ | ワイダ監督の映画「カティンの森」 »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 中国の原子力発電は2%(2026.04.05)
- 4月3日のブログをそっくりAIのgemiに問いかけてみました(2026.04.07)
- トランプ大統領に教えてあげたい・・・(2026.04.03)




コメント