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2010年1月

2010年1月31日 (日)

島根ふるさとフェア

土曜日、ゆっくりと起きて、TVを見ていたら、牛肉の串焼きがおいしいとか、のどぐろのふりかけを高校生のグループが開発したとかの様子を映していた。
会場からの生中継だという。
どこで?

グリーンアリーナと広島市民球場北のハノーバー庭園でやっているようだ。

ちょうど昼食時間でもある。
何かおいしいものがあるかもしれないと、出かけた。

普段、殆ど人通りのないパセーラ脇のグリーンアリーナに通ずる地下道も、会場に向かう人だろう、結構多い。

グリーンアリーナの前ではどじょうすくいやしじみすくいのコーナーがあった。
入口ホールでは、島根県立美術館、海洋館アクアスの等の紹介コーナーがある。
中に入ると出雲市、雲南市、益田市等島根県内の各市が魚やそば等の特産品を販売していた。
仮設のステージも設けられ、国の無形文化財に指定されているという「壬生の花田植え」の踊りが演じられていた。

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ハノーバー庭園と武道館屋上の広場では松葉ガニ、出雲そば、いのししコロッケ等が販売されていた。
殆ど人は、座るところもなく、立って食べていた。
この武道館屋上の広場は普段は全く人通りもなく、ホームレスのブルーシートが置かれているところだ。
そこがこんな使われ方をしている。
驚く。
私も石見ポークの豚汁と石見牛の串焼きを食べた。
なかなか美味い。

島根牛というより、石見牛といったほうが美味そうに感じるから可笑しい。

島根伝統工芸実演コーナーでは、川島康文氏の仏像彫刻が数点並べられていた。
ちょっと現代風の小さな仏像、あまりにも可愛らしかったので、思わず買ってしまった。

それにしても、凄い混み方だ。

この島根ふるさとフェアは1月23,24日の2日間、島根県と島根県内全市町村の主催で開かれており、今年でもう13回目だという。

この2日間で186,000人、
過去最高の来場者だったという。
島根県だけでこれだけ沢山の人を集められるのにも驚いた。

こんな催しがあるとは、いままで全く知らなかった。
翌日の中国新聞の扱いも極めて小さい。
このイベントの運営が競争相手のTSSだからだろうか。
可笑しい。

24日、ひろしま男子駅伝のスタート地点に設けられた各県のテントのお店は、人が通れないほどの混雑だったし、食べ物も物産品も、殆どのテントで、午前中で売り切れ状態だった。

島根フェアの開催期間は、全国対抗男子駅伝の開催日に合わせたのだろうが、それならついでに山口フェア、愛媛フェアと近隣各県のフェアも一緒にやったらいい。
全国の都道府県全て拡げたっていい。
TSSグループのネットワークを使って呼びかければいい。

いっそ、ひろしま男子駅伝のゴール地点を市民球場跡地広場に移し、全国各都道府県のふるさとフェアと合体させたらどうだろうか。

通常マラソンのゴールはスタンドを1周して終わる。
最後のデッドヒートはなかなか見ものだ。

ひろしま男子駅伝のゴール前のランを、市民球場跡地に作られる予定の芝生広場を1周するようにしたらどうだろうか。観客は周りに作られた仮設スタンドに座って見るようにしたらいい。

ひろしま男子駅伝+全国都道府県ふるさとフェアとするのだ。

ひろしま男子駅伝の沿道の観客は、今年は30万人だったという。
30万人+20万人+アルファーは期待できそうだ。

100万人を越えるイベントになる?
そうなれば、この全国都道府県フェアはフードフェスティバルを越えるイベントになる???

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2010年1月30日 (土)

アバターと核兵器廃絶

ジム・キャメロン監督が3億ドルの制作費をかけた3DSF大作の「アバター」は「タイタニック」(1997年)を抜き、史上最高の興行収入を記録しました。 しかも「タイタニック」が1年半かかって達した数字を「アバター」は公開後39日で更新したわけで、日本でも5週連続で興行収入1位を記録しています。
以下、ネタバレもあるので、まだ観てない方はご注意ください。

この映画は本格的な3D映像の到来を感じさせるという意味で最も意義のある映画です。しかし、映画館によっては3D上映のないところもあるので注意が必要です。各種割引きも3Dでは異なるところもあるので、それも事前に確認した方が良いでしょう。

従来、テーマパークのアトラクションなどで上映されていた3D映画は、3Dを強調する余り、やたらに物が飛び出してきたり、ジェットコースターのような画面展開が多用される傾向がありましたが、それらに比べるとアバターは極めて自然な立体感だったように思います。

ただ、英語字幕が手前に表示されるのが見難いという人と見易いという人に分かれたり、現地語字幕と位置が違うので読みづらいという意見も聞きました。

また、自分の自由な視点ではありませんから、常に制作者の視点で観ないと違和感を覚えたり、メガネが合わない人などもいるようです。アバターは技術的には3Dがお奨めですが、3Dでないフィルム上映でもそれなりの映画だと思いました。

ストーリーは殆ど予想通りで、風の谷のナウシカ+もののけ姫+ダンス・ウィズ・ウルブズ+ラスト・サムライ+マトリックスといった感じです。

そして、ストーリーを通じて戦争への批判は明白に貫かれています。悪役である鉱山会社の経営者は表情から身振りまで、ブッシュ前大統領を意識的に想像させるよう描かれているように思えます。

しかし、娯楽色の強い映画とは言え、人間より自然に価値を求め、先住民あるいは異文化を認め、グローバリズムを否定するなど、この映画の大ヒットは明らかにアメリカの方向転換=チェンジを表しているようにも感じます。

更に、そのジェームズ・キャメロン監督が、広島と長崎への原爆投下を題材にしたノンフィクションの映画化権を獲得したということです。核廃絶は核大国であるアメリカの意志が不可欠です。そういう意味でオバマ大統領の誕生も大きな出来事でしたが、このニュースも決して小さくはないと思います。

広島・長崎オリンピック招致検討の効果もあり、これまで絶対に加盟することのないと思われていた都市も、平和市長会議に参加しています。世界3500の都市が目指す2020年の核廃絶は、着実に実現に向かっています。 そういう時代の流れをアバターにも感じました。

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2010年1月29日 (金)

冬の木漏れ日

 毎日の散歩コースである平和大通りと平和公園は冬の間も葉を付けたクスノキを始め常緑樹が多い。夏は木陰を作り秋から冬にかけては木漏れ日の陽だまりをつくる。
 平和公園は大きな木が防風林の役割を果たすため、風や吹雪の時に以外にも寒くないと感じる事がしばしばある。ここ2~3日は気温が12~5度と春の到来を思わせる暖かさだ。
風もなく穏やかな日和であちこちに出来る陽だまりは格好の日光浴スポットになっている。

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 平和公園は完全な人工林だが、そうとは思えないくらいの大木を擁して都心に溶け込んで、年中潤いを与える美しい緑をたたえている。樹林の間から差し込む日光は季節ごとに特徴を発揮する。

 木漏れ日は新緑の頃のやや強い日差しを避ける緑陰が良い。秋の紅葉の頃の木漏れ日は特に美しさを引き立てる。しかし、今頃の厳寒の木漏れ日にはホットさせられて人の心を暖める効用がある。それは寒さとの落差をうめる喜びで、春や秋の快さに比べてはるかに大きい。
春が待ち遠しい気持ちの現れでもある…。こんな日は小鳥の鳴き声がよく響き、春近し…と感じさせられる。

 この時期になると毎年のように元安川に現れる小鴨の群れが先週から少しずつ増え始めた。4月の声を聞く頃には3~40羽くらいに徐々に増えて、次に渡って行く。
 
 冬の木漏れ日は三寒四温のうちに、時に近づく春を呼び込む予告をし、しばらくの間は季節の移ろいを日々違う形で演出して楽しませてくれる。

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2010年1月28日 (木)

植物工場キットと自産自消

シャレオの西ゾーンの一角で、1月16日から31日までの間、植物工場が展示されていた。
LEDと水耕栽培の技術を組み合わせれば、ビルの地下でも野菜が採れるというわけだ。
出雲市の企業、LLC農園隊が出店だ。
経済産業省の昭和21年度の先進的植物工場推進事業としての支援を受けての開催だという。

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農業となれば、通常は農水省の出番だが、工場ということで経済産業省の支援になったのだろうか。
野菜とはいわず、植物といっているのもそのせいだろう?
可笑しい。

野菜を人工環境で作ることのブームは、今回が3度目だという。
1度目は20年くらい前、水耕栽培の技術が導入された時だろう。
その頃、筑波万博でトマトの1本の苗に、1万個なったということで、随分と話題になった。
2度目はなにかよくわからないが、人工照明の技術としてLEDが導入されたころだろうか。
今回のブームは、アイメックスフィルムという養液土栽培システムが導入されたことと、より高度に養液管理、室温管理をする制御システムが導入されたことに特徴があるのだろう。
ブームで終わってしまうのはなんとも惜しい。

シャレオで展示されている植物工場は、奥行2.3M、高さ2M、幅5.6Mの温室のようなガラスケースである。
そのなかでトマトとイチゴが栽培されている。

これだけの大きさでどのくらいの収穫があるのか、この植物工場がいくらくらいするのかわからないが、この程度の規模なら自宅の空いている部屋に置いて、自分で食べる野菜を栽培することもできそうだ。

「戦後すぐの頃、日本は猛烈な食糧難で、どこの家も、自宅の庭を畑にして、野菜を作っていた」と、母から聞いたことがある。
今様にいえば家庭菜園である。

いまでは、中国や海外から食料はどんどん輸入されるから、食べ物に困ることはない。
また殆どの人はマンションに住むようになったし、戸建ての住宅の庭も極めて狭い。
とても庭で野菜を作るなんてことは考えられない。

しかし日本の食料自給率は4割を切るということで、どうやってその自給率を高めるかが大きな問題だと指摘されている。

子供が巣立って、空いている部屋があるという家は多い。
日本では5軒に1軒は空き家になっているともいう。
そうした空き部屋、空き家の中に、この植物工場を組み立て、自分で食べる野菜を作るようにしたらどうだろうか。
究極の自産自消というわけだ。

新鮮で無農薬の野菜を食べられるだけでなく、毎日育っていく野菜を見るのは結構楽しみでもあるだろう。
家の中で緑の野菜をみることができたら、それはまた素晴らしいことだ。

植物工場のメーカーも、農家や企業向けに売るだけでなく、一般家庭でも組み立てられるような植物工場キットを作ったらいい。
ガラスと骨組みの部分は無くてもいいわけだから、かなり安くできるだろうと思う。
国もそうした「植物工場キット」の生産、販売促進を進めるような支援をすべきではないだろうか。

そうなれば、4割を切るという日本の食料自給率もかなり改善するはずだ。

日本の食料自給率を高めるには、まず各人が自ら食料を作れるようなシステムを創ることが、案外一番有効かもしれない。

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2010年1月27日 (水)

乗馬クラブ

紙屋町のデオデオ本店前を通りがかったら、目の前にポニーがいた。
一瞬びっくりした。
通り過ぎる人は、誰も皆珍しそうに振り向いていく。
頭をなでたり、鬣をなでたりする親子連れもいた。

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「なんでこんなところにポニーがいるの」と、不思議に思ったが、直ぐ脇で、男性が乗馬クラブのチラシを配っていた。
吉和にある乗馬クラブのPRだ。
注目度は抜群だ。
上手いPR手法だと感心した。

馬に乗ったことは1度しかないが、乗ってみると、思っていた以上に高く感じる。
怖くもあったが、随分といい気分だった。
馬の感触もなんともいえずよかった。
それは現代人が失ってしまった感覚かもしれない。

吉和なら1時間もかからずに行ける。
今度乗りに行ってみようかな。

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2010年1月26日 (火)

ひろしまジン大学

広島の若者たちが、広島はいいところだということを皆にもっと解って欲しい、そしてこれからの広島を創るために一緒に行動しようということで「ひろしまジン大学」を設立した。

平尾順平さんは、設立の動機を
「海外の人には、広島は被爆都市としてしか理解されていない。
しかし、被爆して焼け野原になったところから立ち上がり、いまでは素晴らしい街になっている。
住んでみると意外といい街だ。
海外の人たちも、広島に住むに人たちも、そうしたことを意外と知らない。
もっと広島のことを知ってほしい」
と説明する。

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おばあちゃんの知恵ではないが、市民の中には、ある分野のことについては、それこそ大学の先生よりはるかに詳しい人がいる。
そして、自分の住んでいる街への思い入れも人一倍強い。

そんな人たちが集まって、あるときは先生になり、ある時は生徒になって、自分たちの街を知り、活動していこうというというのがひろしまジン大学のテーマのようだ。

「ひろしまジン大学」は、5月にはNPO法人として立ち上げる予定だというが、それに先だって、1月17日、約20名が集まってワークショップを行った。

サンフレッチェ、平和文化センター、広島キャンパスフェスティバルの実行委員会、建築家、オタフクソース、NPO活動をしている人等、随分と多彩な分野の人々が集まった。
年齢層もかなり幅広い。

ワークショップはたった数時間ではあったが、初めて聞く話も多く、それなりに刺激的だった。

例えば、お好み焼きに使われるキャベツはシーズンや採れる場所によつて、甘みも硬さも違うのだという。
そんなに微妙に違うとは知らなかった。
それならそれを売りにしたらどうだという話も出た。
そのキャベツはほとんどが県外産だという。
お好み焼きを広島ブランドにするなら、広島県内で賄えるようにすべきだろうという意見もだされた。

近年、広島大学等の大学に「広島学」という講座が設けられるようになった。
そうした大学で、きちんと広島の街について研究されるということは、それはそれでいいことだ。

そうした大学等の試みがヒエラルキー的な地域学だとすれば、ひろしまジン大学はフラットなネットワーク型の地域学だと言える。

ひろしまジン大学は「ウィキペディア」のように、寄ってたかって広島についての知識を高め、それをさらに行動に移していこうというわけだ。
何か新しい可能性を感じさせる。

ここに集まった人たちが新しい結びつきをつくることで、広島発の新しいビジネスだって、生まれるかもしれない。

期待したい。

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2010年1月25日 (月)

「天下り元凶」の根絶

 政権交代後、初めての通常国会が開幕する。時あたかも民主党の小沢幹事長の側近3人が逮捕される事件を背景に冒頭から荒れ気味の国会が予測される。日航の破たんも沖縄の普天間基地の移転問題も然り…永年、自民党の政官業界癒着の政治が生んだ付けが破たんして表面化した…現れと言え、小沢幹事長の対決姿勢に対し検察の公平な捜査が進展するかどうかもおおきな焦点になってきそうだ。
 とは言え、今国会で最も大きな新政権の課題はマニフェストの一つでもある”天下り廃絶・公務員制度改革“がある。果たして行方はどう展開されるだろうか?

 天下りを生んだ根っこは各省庁の事務次官―制度にある。大臣、副大臣、政務官の特別職の下にあって、各省庁の一般職員・公務員のうちキャリアと呼ばれる国家公務員試験上級職に合格採用されたものの中から選ばれる最高位で事務方のトップが事務次官だ。

 事務次官は戦後一貫して2年交代が一般的で、キャリアの採用が一省で年50人とすると2年分の百人から一人しか採用されない。概ね54~56歳で就任するが事務次官と同じ道を歩む可能性が少なくなった同期生たちは50歳前後から本省を外れて関連外郭団体の幹部として出向する仕組みが『天下り』として慣行になっている。何よりも『生涯賃金を事務次官組と同等ないしそれ以上を保証する』仕組みで再就職、再再就職の度に高額の給与と退職金を繰り返し受け取る問題の『渡り』が存在する。

 そもそも高級官僚・キャリアは明治政府が近代日本を樹立する上で必要な優秀な人材を採用する為に用意した高給・好条件の一部特権的高給役人だった。戦後も保守・自民党政権によって温存されキャリア官僚の出世競争の勝ち残りで“官僚天国”のシンボルとして維持されてきた。中には事務方のトップとして“○○天皇”呼ばわりされて幅を利かし大臣や内閣まで影響力を誇った者もいた。
この仕組みは国だけに留まらず色々な名称や形で全国の自治体にも根を張り巡らせ、事実上65歳まで働く仕組みの“天下り天国”が温存され、無駄使いの象徴になっている。

 新政権は事務次官会議を廃止し次官が最終決定していた重要政策の立案や人事に省内外の利害調整などに省外に出していた通知文も副大臣に移し、次官の決裁権を大幅に縮小する等の政治主導を目指した改革に取り組んでいる。

 『事務次官は要らない』という仙石大臣の説をベースに政府与党内の意見を調整して国会で必要な法整備を前提に議論を広めた『事務次官制度廃止』こそが「天下り制度廃止」政治主導の第一歩になる。 通常国会での多角的な議論と改革推進を期待したい。16日記

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2010年1月24日 (日)

横浜中華街の味と物産展

 福袋セールが終わった百貨店の売り物は人気の物産展が競って開かれている。
 年々売上高を落としている百貨店の目玉はここ数年、正月の福袋のセールスと春夏秋冬に開く全国の有名産地や商品の物産展と言われ、高い人気を維持している。

 広島市内の百貨店でもそれぞれ競っている。三越が日本の伝統・味と技展に続いて「大好き・ぐるつと九州展」天満屋八丁掘店「全国うまいもの味くらべ」福屋八丁堀店「江戸職人芸」福屋駅前店「伊勢志摩パールフェア」そごう「横浜・中華街展」とやはり“食べ物”が断トツで人気のようだ。因みに全国の百貨店の物産展の地域別ランキングは1位が北海道、2位九州、3位京都、4位東京、5位東北で沖縄7位、長崎9位、中華街は10位。

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 そごうの「中華街展」に出かけてみた。会場は午前中にTVの中継が入ったせいか人出は多くごった返して熱気に包まれ、あちこちに行列も出来ている。
 目当ての焼豚(チャーシュー)売り場を探していたら久しぶりに河野先生に出会い、先刻ご承知の売り場まで案内していただいた。中華街の焼豚は共通して煮豚でなく、バラ肉やブロックにタレや蜂蜜など調味料を塗って金串に刺して炙り焼きで、引き締まった味と独特の香ばしいさが堪らなく旨い。広島で本場の味が楽しめるのはANAクラウンホテルの桃李と国際ホテルの中華・東風でしか知らない。

 30年余も前のことだが、東京在勤中に子供と横浜球場に出かけた後や家族ずれでよく中華街に行って焼豚を買ってくるのが楽しみだった。その後も、出張で少し時間に余裕がある時は横浜に足を運び焼豚を買って宅配便にした。中華街の裏筋にあった“山小屋”の焼豚は旨いうえに安く大変な人気で品切れになることもしばしばと聞いていたが数年前に閉店になった。王さんにもよく出会ったかつての満珍楼の味も素晴らしいものだった…。
 焼豚は本来広東料理で北京料理の北京ダックと並ぶ中華料理の代表的な料理だ。
 広島で中華街の焼豚の味を楽しめるのはANAクラウンホテルの桃李と国際ホテル中華の東風しか知らない…。しかし、何はともあれ、年に何回か広島にいながら横浜中華街の味を楽しめるのはうれしい。焼豚はワインに日本酒、紹興酒によくあい、楽しんでいる。

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2010年1月23日 (土)

そごう屋上の遊園地

そごう屋上の遊園地が、1月11日の祝日をもって閉鎖した。

9日土曜日の朝刊に、閉鎖のニュースが載ったせいもあって、9,10、11日の3連休の間は大賑わいだったようだ。

数Mの高さのところを走るミニカーは人気もあり、数時間待ちの行列ができていた。
メリーゴーランドやバッテリーカーに乗った子供の姿を、皆懸命に写真やビデオに撮っていた。
広島では、こんな姿はもう見られなくなる。
寂しいことだ。

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デパートの屋上の遊園地で遊び、その後、最上階のレストランで、新幹線の形をした皿のお子様ランチを食べるのが、子供の頃の楽しみだった。

そんなデパート屋上の遊園地も次々と閉鎖され、日本ではここそごうの遊園地が最後まで残っていたデパート屋上の遊園地だったようだ。

鉄道沿線に作られていた全国各地の遊園地も次々と閉鎖されている。

これも少子高齢化の影響と遊びの多様化の影響だろうか。
もう遊園地は子供の夢の場所でも、若者のデートコースでもなくなったようだ。

これだけ賑わいがあるのに閉鎖するのは勿体ないと思うが、閉鎖され、もう見られなくなってしまうと思うから皆来るのだろう。

遊園地の閉園がイベントになったというわけだ。

それなら、遊園地をなんとかイベントにすればいいのではないだろうか。

ヨーロッパでは教会のお祭りにあわせ、リーゴーランドとかを組み立てて商売している。
数十Mの高さの観覧車のような大きな遊戯物も組み立てている。
見ている方がこれで大丈夫?と心配になるが、事故は起こっていないようだ。
遊戯物はいわば日本のお祭りの際の屋台のようなもんだ。
お祭りが終われば、解体して、トラックに積んで、どこか次のお祭りに移動していく。

そんな移動式遊園地をキルメスといっている。

その移動式遊園地の最大のお祭りが、ドイツ・ミュンヘンで9月半ばから10月上旬に開催される
オクトーバーフェストと呼ばれている。
その時には、組み立て式遊戯物で営業していた遊戯物業者がその遊戯物を持って、ヨーロッパ中からミュンヘンに集まってくる。
大きなテントが張られ、皆ビールを飲んでばか騒ぎをする。
観客はその1カ月ほどの間に600万人を越えるという。

ヨーロッパにはいわゆる遊園地もあるが、こちらのほうがはるかに集客力がある。

組み立て式の遊戯物がヨーロッパでは許可されているのだ。

日本では安全上そんなことは絶対に許可されないが、きちんと安全性を確保できれば許可するというようにはできないもんだろうか。

毎年の桜の花見もそのはかなさに人は惹かれる。
オリンピックだって4年に1度しか開かれないから価値がある。

いつもサクラが咲いていたら、花見にならないだろう。
集客性を高めるには、何事もイベントにするという仕掛けが必要なようだ。

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2010年1月22日 (金)

広島の雪景色

この冬の初雪は12月19日だった。
例年より1カ月ほど遅れての初雪だという。

お正月にも降ったが、市内は積もるほどではなかった。

アストラムラインの車窓から見る雪景色は何とも美しい。
初雪が降った頃は、まだ白い雪の間に紅葉が見えた。
広島の雪景色は立体的で、その時々で様々に姿を変えて見せてくれる。
山の上の方だけ白くなっていることもある。

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市内に雪が積もることはめったにないが、山は大分雪も積もり、スキー場もそれらしい姿になっているようだ。

それでも、今年の広島市の天候は長期予報では、暖冬だという。
冬は冬らしく、雪が降り、寒いのがいい。
夏は夏らしく暑いのがいい。

四季折々の変化を見られるのが、広島のいいところだ。

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2010年1月21日 (木)

書き初めパフォーマンス

日本には古くから「書き初め」という習慣がある。
年の初めにこの1年の思いを込めて書く。
心を静めて、書く。
厳かな行為だ。

それがなんと女子高生たちが、袴姿に襷がけ、頭には鉢巻をして、音楽に乗って、掛け声をかけ、踊りながら書く。
大きな筆に色とりどりの絵具を付けて、謹賀新年や寅などの字、それに、それぞれ思いを表現した詩を、床に拡げられた10M四方はあろうかという大きな紙に書く。
書き終わると皆絵具だらけになる。
20人ぐらいのグループでやるから、見ていても楽しい。

その出来栄えを競う全国大会まであるようだ。
勝ったチームは飛び上がって喜び、負けたチームは抱き合って涙にくれる。
何を書くのか、どのように書くのかを考え、ある時は1日10時間以上も練習してきたという。
設計図まである。

書道なんて、あんな地味な行為が、こんなイベントになるとはちょっと想像もできなかった。

こうしたイベントが開かれるようになって、書道部に入る生徒が激増したという。

書に関連して、こんなパフォーマンスがいままでなかったわけではない。
毎年、年末になると、清水寺の貫主が太い筆に墨をたっぷりつけて、立てかけられた紙に「今年の漢字」を書く。
1昨年は「変」、昨年は「新」だった。
年を締めくくるにはなかなかいいイベントだ。

熊野筆、
広島は世界に誇る筆の里だ。

広島でも、年の初めに、若い高校生たちによるこんなパフォーマンスの「書き初め大会」があったらいい。
会場はさしずめグリーンアリーナがいいかな。

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2010年1月20日 (水)

映画「東京原発」上映運動

 中国電力の上関原発の建設を巡って促進と反対の対立が大きく浮き彫りになっている。毎日のように『使用電力の三分の一は原発、原発は安全』のTVCMが流れる中で、本当に原発は安全なのかを考える為に、映画『東京原発』を県内上映する取り組みが進んでいる。

 世界初の核の被害を被った都市広島に本社を置く中国電力は日本の電力会社として原発導入に広島市民県民の核アレルギーを意識し?最初の設置は日本海側の島根に建設した。
 長い間、瀬戸内側への立地は見合わせていたが上関原子力発電所建設構想が浮上してから既に27年がたった。構想浮上以来、地元は賛成・反対で分裂し、対岸の祝島の住民を中心に反対運動が続けられ、計画は7度も延期されてきた。

 推進派は立地により公布される電源交付金固定資産税によって安定的な収入を得ると共に定住で過疎に歯止めがかけられ町財政の自立した運営が出来ることを期待している。
 従って、柳井市など周辺市町村との合併にも消極的な対応をしてきた。

 一方、反対派は原発の安全性や自然環境の破壊への疑いを強め、町長や議員選挙で激しい対立をしてきた。建設予定地周辺海域には小型鯨のスナメリクジラやナメクジウオ、カンムリウミスズメなど数々の絶滅危惧種が生息する貴重な自然が残っている。原発建設が周辺の豊かな生態系に大きな影響を与える恐れがあり、また活断層がある可能性がる事から埋め立取り消しを求める裁判が係争中だ。

 昨年は、中電が敷地の造成を始めたのをきっかけに反対運動が盛り上がり、反対派の阻止行動でブイの設置が遅れたなど工事の遅れを理由に住民を相手に損害賠償訴訟を起こすなど対立を深めている。こうした状況の中で、中電は昨年暮れに着工の8度目の2年遅れを前提に国に原子炉の設置許可申請を出した。

 こうした流れの中で広島県内の環境問題や反原発に取り組んでいる市民グループや草の根組織に関心の強い個人が集って、上映権を確保して『映画《東京原発》の広島県上映の会』を発足させた。【原発が本当に必要なのか、建設されると生活や環境にどんな影響をもたらすのかを考える】講演と上映会を全県的に展開する。
 
 2004年に公開された映画は、役所広司が扮する東京都知事の『財政危機からの脱出に原発を東京に誘致する』という爆弾発言に始まる。都知事の過激な提案を巡って都民を巻き込んで都庁がパニックに陥る。祖母が被爆者の広島出身の副知事(段田安則)が正面から反対に走る…。
  日本の原発の現状とデータ等はフィクションではなく実情を踏まえて織り込んで、深刻で重いテーマを決してお説教がましくなく、コメディーとサスペンスを取り交ぜて過激に面白く観客を引き込む…”ブラックユーモア”映画と言える。

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 被爆地でありながら原発への関心度は消して高くない広島。「核の平和利用」について考え、議論を巻き起こし、上関というすぐ近くに立地する原発について考えるきっかけを作りたい…のが狙いだ。

 三原:3月16日 尾道:4月18日 と上映日が決まり福山、三次、府中、廿日市、呉、東広島、
安芸高田、大竹、竹原、江田島の各市でも準備中。
 広島は3月21日 西区民センタースタジオで2回の上映をする。

 上映運動に当たって一口3000円のカンパを募る一方、チケット10枚分を5000円で事 前購入して頂き、鑑賞者の拡大普及にだれでも参加できるほか、前売りチケットは800円で、当日券は999円。高校生以下は無料で参加を広く呼び掛ける…。

 是非、何らかの形でご参加ください。

 問い合わせ:『東京原発』広島県上映会:事務局
   〒730-0853 広島市中区堺町2-9 貴志ビル1F 広島映画センター
        Tel:082-293-1264 fax:082-293-2229

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2010年1月19日 (火)

原爆漫画<2>

 原爆漫画のルーツと言える広島出身の谷川一彦さんの『星は見ている』が発掘され、原画の複製など関係資料展示が話題を呼んでいる。この際、所謂『原爆漫画』と言われるものにどんな作家がどんな作品を書いているのか…辿ってみた。

 『原爆漫画』の源流は一般的には昭和34年(’59年)に忍者物で知られる白土三平が原爆症で母を失い、自らも白血病に苦しみ社会から疎外されながら生きる美少女の生きざまを描いた『消え行く少女』とされてきた。翌年には怪獣物が得意だった影丸穣也が、壁に焼き付けられた影を消さなければ成仏できない…、原爆を呪う男の物語『影』がある。

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 昭和44年8月(’69年)には旭丘光志が少年マガジンに被爆者の手記をもとに『ある惑星の悲劇』を短期連載した。
 勤労奉仕に出かけて行方が分からない妻を捜して瓦礫の街をさまよう被爆直後の悲惨なヒロシマを描いている…。単行本になったが既に絶版で、何処で見る事が出来るか分からな。

 この後に、続くのが昭和42年(’67年)の中沢啓冶の原爆シリーズで、代表作『はだしのゲン』(昭和48年「少年ジャンプ」連載開始)が原爆物のバイブル的存在として高い評価を得て映画にオペラ、舞台やアニメ映画化され、中沢の手から多くの原爆物が生まれた。
 『はだしのゲン』は英語・ハングル・ロシアを始め18の言語に翻訳され韓国の学校で教材化されるなど、今も「ヒロシマを世界に伝える・平和大使」的役割を果たしている。

 暫く原爆物は遠のいていたが、平成16年(’04年)呉出身の漫画家・こうの史代が被爆後10数年の広島を舞台に原爆症に悩む女性を描いた「夕凪の街 桜の国」を発表した。
 3年前には映画化され、多くの賞をさらって評判を呼んだ。
 また、昨年は長崎の原爆をテーマに長崎在住の漫画家・西岡由香(43)が『夏の残像 ナガサキの8月9日』を出版した。東京の女子高生が長崎の祖母を訪ねて原爆が残した傷跡に気づく等の短編5作品を発表した。

 ここにピックアップした作家や作品は数少ない。まだ、多くの埋もれた作家や作品があるのではなかろうか?漫画が原爆を伝えるメディアとして「戦争を知らない、知りようがない世代にとって、戦争の恐怖と影を伝える」役割は大きい。原爆資料館は中沢啓冶氏から作品原画などすべての資料の寄贈を受けたのと谷川一彦作品の発掘を機に、本格的に『原爆漫画・資料の収集や整備』を改めて進めては如何だろうか。期待は大きい…。

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2010年1月18日 (月)

原爆漫画<1>

 原爆漫画と言えば「はだしのゲン」が代表的存在だが「ゲン」より16年も前に広島出身の漫画家が手掛けた原爆をテーマにした漫画のルーツとも言える作品が発掘され、原爆資料館の東館B1で展示されている。

 この漫画家は昭和11年(’36年)安村出身(現安佐南区)の谷川一彦。20年8月6日に市内に出勤した父は被爆して行方不明。自宅で黒い雨を見た…。昭和25年ころから漫画雑誌への投稿を始め、相次いで入選果たし、29年に可部高校を卒業と同時に作家活動を始めた。

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 昭和32年創刊間もない「なかよし」に原爆で父親の行方が分からなくなった少女が母親の形見の指輪に隠された謎を探る『星は見ている』を1年間連載した。親友の原爆症死は描いているが原爆投下など
リアルな被害は一切描いていない。熱烈な手塚フアンだった谷川の作品筆致は手塚の影響を色濃く受けたと感じさせる。
 そんな手塚フアンの谷川は33年ころ上京し、35年に虫プロにアニメーターとして入社し『鉄腕アトム』『リボンの検視』の制作に携わりながら自分の作品にも取り組んだ。

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 しかし、体調を崩して病気になり昭和45年に虫プロを辞めて広島に帰り、以後は漫画界と距離を置き、作家としての評価を受けないまま、平成20年6月に72歳で病死した。

 「昭和30年代に原爆を扱った漫画があった」という噂を便りに原爆資料館の学芸員が全国の図書館や古本屋などに問い合わせ、2年前に見つけ遺族や収集家の協力で原画コピーや掲載誌など100店を超える資料を集めて資料展にこぎつけた。
 資料館では「原爆というテーマが漫画でどう伝えられてきたのかを辿る原点」と位置付け、今後の研究展示に活かす考えだ。展示は1月31日迄AM8:30~17:00時。<続く>
問い合わせ:広島平和記念資料館情報資料室 082-242-7828

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2010年1月17日 (日)

サンフレッチェ広島展

「サンフレッチェ広島の歴史を振り返る」という展覧会が、1月11日までの約2週間、デオデオ本店8階で開かれていた。
1994年の第1ステージ優勝のトロフィーや佐藤寿人選手のシューズ、サンフレッチェの選手のサイン入りの「祈制覇」と書かれた大きな絵馬も展示されていた。

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広島のサッカーの歴史は古い。
もともとサッカーは師範学校の先生が日本に伝えたからということもあるだが、広島高等師範学校のあった広島のサッカーは、日本でも最古の歴史を誇る。
サンフレッチェの前身となるあの栄光の東洋工業サッカー部も、1938年に創立されたという。
戦前には、もうサンフレッチェは産声を挙げていたというわけだ。
オリンピックメキシコ大会の時には、今広島サッカー協会長をされている小城得達氏も東洋工業の選手として参加していた。
そんな歴史を知ることも、サッカーの面白さだ。

広島のサッカーの歴史は広島の資産でもある。
そんな素晴らしい広島のサッカー歴史を常設できちんと伝える場が欲しい。

ビッグアーチのどこかに常設の展示スペースを設けたらどうだろうか。
とりあえずは、ここで展示したものを展示するだけでもいい。
ジョジョに充実していけばいいだろう。

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2010年1月16日 (土)

オリンピック広島・長崎大会 ―空き家ホテル

オリンピックを広島で開催するにしても、宿泊施設はどうするのかと話題になる。
「広島市内の07年現在の客室数は1.1万室である。
IOCの要求する4万室には、どうやっても足りない」
というわけだ。

不足する2.9万室の客室を、これから作ろうたって、そりゃ無理だ。
ホテルとしてまともに作れば、その建設費だけで少なくとも10坪×100万円×3万室=3,000億円が必要だということになる。
もし仮に、作ったとしても、オリンピックが終われば、1.1万室でいいということになる。
そうなれば、余った客室を維持するのはホテルにとっては経営的には極めて難しいことになる。

オリンピックや万博を開催したどの都市も、オリンピック、万博開催後の経営には苦しんでいる。

それにしても、どうやって客室数を確保するかは最大のテーマであることは確かだ。

広島・長崎大会ということで、広島市だけでなく、長崎市それに途中の福岡市、北九州市のホテル等を含めれば4万室は確保できるということで、それでOKということになれば、それはベストだが、それにしてもメイン会場となる広島市としてはそれなりの客室数を確保することは必要だろう。

冬の5輪を控えたバンクーバーでは宿泊数が足りないということで、月4.9万円の家賃の家が、いままでの借主を追い出し、週101万円でネットに掲載されたという記事を先日読んだ。
オリンピック開催期間中の2週間だけでも貸せれば、後数年間は借主がいなくともいいという魂胆だろう。
五輪ではそのくらい部屋が枯渇するようだ。

広島市内に相当数の宿泊施設をどうやって確保するかだが、

1つは市民からホームステイのような形で提供してもらうという案だ。
子供が家を出ていって、空いている部屋を持つ家は、広島市内にはそれこそ膨大な数があるはずだ。
祖父母が亡くなって、空いているというケースもあるだろう。
我が家でも、娘が結婚して家をでていったので、1部屋空いている。
広島市内のお宅の空き室をオリンピック期間中提供してもらうというのがひとつの案だ。

もう一つは、空き家を宿泊施設として利用する案だ。
総務省の統計によれば、全国に空き家は5軒に1軒程度あるという。
そこから推計すると、広島市内には約10万室の空き家があることになる。
恐ろしい数だ。
こんな凄まじい数の空き家があるというのは、充分に経済が爛熟した日本ならではの現象だろう。

この空き家を、一時的に宿泊施設として提供してもらったらどうだろうか。
1戸平均2LDKとしても10万戸で20万室ということになる。
ということは10万戸の2割、約2万戸をオリンピックの際、宿泊施設として提供してもらえば、広島に来た観客は泊まる場所に困らないということになる。

宿泊施設して使用できるようにするためにはそれなりの改修工事も必要だろう。
そうであれば、その費用を国、県、市で負担したっていい。
1戸100万円とすれば、2万戸で、200億円だ。

オリンピック開催期間中は宿泊施設として使うが、その後はまた自分たちで使ってもいいし、ホテルとして使ってもいい。

空き家の所有者にとってはオリンピックを契機に、結構な改修工事ができたということになる。

オリンピック開催以降にあっても、8・6の際や、ちょっと大きなイベント開かれると広島市内のホテルが年に数回不足することがある。
こうして作られた空き家ホテルを、そうした時の受け皿として使ったらいい。

空き家ホテルは市内あちこちに散らばって存在することになるが、それを探すのはそれこそネットの検索システムの出番だ。
広島市内全域にフリースポットを設置し、ネットで空き家ホテルを検索できるようにすればいい。

どんな空き家ホテルが、どこにあるかの情報はネット上になら、詳細に載せられる。

鍵などの管理は地元に特設ボランティア組織とかカフェ、レストランに委託したらいい。

空き家をホテルとして利用できるようにするには、防災上の問題とか、衛生法上の問題とかをクリアしなければいけないだろう。

どんな問題があるのか、テストケースとして空き家ホテルをやってみたらいい。

「空き家ホテル」はネット時代にあって、初めて可能になるビジネスだ。
空き家ホテルというシステムが確立できれば、それは日本の新しいビジネスモデルとして発展する可能性すらある。
意外と広島の新しい魅力となるかもしれない。

今後のオリンピックのあり方も変えることにもなるかもしれない?

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2010年1月15日 (金)

カード社会

クレジットカードが登場したのは30~40年くらい前だろうか。
その頃アメリカに住んでいた。
殆どのアメリカ人はあまり現金を持ち歩かず、食料品の買物から本を買うのまで、パーソナルチェックという小切手で支払うのが普通だった。
銀行に預金がなければ使えないわけだが、お金は銀行に預けておいたほうが安全ということだろう。
そこに料金後払い、ポーストペイのクレジットカードが登場した。

アメリカ社会はあっという間にクレジットカードがなければ生活できないように仕組みになっていった。

広いアメリカを旅行するには大抵降りた空港でレンタカーを借りるが、カードがなければ厄介なことになる。
クレジットカードがあれば、サインするだけで済むが、カードがなければ、かなり高額のデポジットを払わなければならなくなる。
また借りたところに返せなければ、カードがないとそれこそ目ん玉の飛び出るような額のデポジットを請求される。
レストランで食事をしたときも、チップの小銭にはよく困ることがあるが、そんな時、クレジットカードなら、好きな金額を書き込めばよい。

私の知人は、「所得が少ないからと、全国レベルで使えるカードを取得することができない」と嘆いていた。

クレジットカードを持つことは、そのころのアメリカ人にとってステイタスだったのだ。

クレジットカードの料金は通常翌月払いだから、使い過ぎることがある。
請求書がきて慌てることもある。

だからといって、クレジットカードを取得しない人がいる。
日本でなら、それでも生活には困らないが、アメリカではとても無理な話だ。
日本はいい社会だと改めて思う。

一度ロサンゼルスのレストランで食事して、カードで支払ったあと、その店に忘れてきてしまったことがある。
日本に帰って来てから気づいたって、そりゃもう遅い。

以来クレジットカードは1枚しか持たないようにしていたが、それで困ったことがある。
懇意にしていた知人が亡くなった時、新幹線のチケットをクレジットカードで購入しようとしたが、どうしてか使用可にならなかった。
慌てて駅にいったので、現金の持ち合わせがなかったので、その時は困った。
以来カードは2枚は持つようにしている。

いまではクレジットカードの取得も随分と容易になった。
年会費が無料とかもある。
カードで支払えばポイントがつくとか、カード会員に対する特別割引セールとか、カード使用に色々特典も付くようになった。

スイカ、パスピーのようなプリペード式のICカードもでてきた。

最近は何でもカードだ。
財布に入りきれなくなっている。
よく使うカードは財布に入れているが、残りはA4のフアイルに入れている。
クレジットカード、振込先カード、ポイントカード、会員制カードと多種多様だ。
数えたら70枚近くあった。

現代社会では、見えないカードともいえる番号が人には沢山付いている。
住所、郵便番号、アドレス、URL,パスワード、免許証番号、社員証番号、厚生年金証番号、車の番号・・・とある。
その他雑誌の年間購読を申し込んだときのように、向こうが勝手につけている番号もある。
パスワードだって、銀行、アマゾン、J-WEST・・・・とある。
パスワードもその都度適当に作ってきたから、今ではあまりにも多く、どれがどれだかわからなくなってしまった。
困ったもんだ。

SIMPLE IS BEST
と心がけているが、とても不可能だ。

死んだら、今度は戒名まで付いてくる。

まあそうなれば、全てのカード、番号が消えて、その戒名一つになるからいいか?

その時まで、カード、アドレス、パスワードの類はどんどん増える一方なのだろうか。

ウーン・・・・

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2010年1月14日 (木)

松の内と七草粥

 我が家のお正月は7日の七草粥で締めくくる。玄関の飾りしめ縄に松飾りや床の間の鏡餅などお正月のお飾りは納めて日常に戻るのを習慣にしてきた。

 松の内の期間は関東と関西では違う…。関東では大正月の7日までで関西では小正月の15日までを松の内としているようだ。小正月は女正月(めしょうがつ)とも言われ、年の暮れから正月の間女性の忙しさをねぎらう意味で女性の骨休み期間としての庶民が生んだ習慣として定着してきた歴史がある。この間、家族や来客を賄う為の知恵がお節料理を育んだ。

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 7日の朝は正月飾りを納めて七草粥を頂く。
 春の七草はセリ、ナズナ(ペンペン草)、ゴギョウ(ははこぐさ)、ハコベラ(はこべ)、ホトケノザ、スズナ(かぶ)、スズシロ(だいこん)で今では正月明けのスーパーやデパ地下の食品売り場でセットで売られていて重宝されている。
 七草は時代や地方によって違うようだが、念頭に豊作を祈願し「家族がみな元気で暮らせるように」と願いを込めてお粥を頂く。気持ちは時代を超えて変わらない。

 何故お正月に七草なのか?といえば、早春にいち早く芽を吹くことから“邪気を払う”魔除けと縁起を担ぐ一方で、正月のご馳走で疲れてきた胃を粥に混ぜて頂いて癒し漢方効果で、無病息災を祈るようになった…。
 セリは鉄分が多く造血作用があり、ナズナは利尿作用がある。ハコベラはミネラルが豊富でスズナ・スズシロは消化の促進効果がある…と“正月豆辞典”にある。
 
 この時期、我が家ではセリや三つ葉に卵を落としたお粥を頂くことが多い。体が温まり胃に優しいのが良い。特に、胃を摘出後は少し食べ過ぎ気味の時にはお粥さんに限る。

 縁起担ぎや風習に習うことが多い正月行事にもそれなりの合理性や科学的裏付け?もあって一年の始まりや締めくくりの節目に欠かせない生活習慣でありリズムだ。
 これが親から子へ子から孫へどのように引き継がれるか…?
 7日の松の内が明けるとお正月は終わり、普段の暮らしに戻って行く…。

 それにしても、今年の元日の新聞の折り込む広告は元日からのオープンを知らせる大型ショッピングモールやスーパーの広告があふれた。もはやお正月の習慣や風習は過去の遺物になって、われわれの時代で消えてしまうのだろうか…。さみしい限りだ…。

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2010年1月13日 (水)

正月飾りとお屠蘇

 街中のマンション住まいのお正月は味気ないと思い、入居以来30年我が家ではささやかな正月飾り付けをしてきた。玄関ドアの両サイドには町内会が配布する印刷の門松にドア正面には飾りしめ縄を付ける。玄関には布で出来た民芸品の御鏡と稲穂の飾り付けに生花。
 10畳の和室にある小さな床の間には三宝に乗せた御鏡に獅子頭と掛け軸は日の出を布の織物であしらった縁起物が飾られるのが我が家の習わしとして定着した。

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 元日には何時もお世話になっている漢方薬局が暮れに届けてくれる「お屠蘇」を頂く。
 大晦日の夜、日本酒に「屠蘇」を入れて仕込む。お酒ではあるが息子に娘の家族がそろって孫たちも形ばかりだが全員が頂くことにしている。 

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 この「お屠蘇」は縁起物であるが紛れもない漢方薬である。
 一般的には一年の邪気を払い長寿を願ってお正月に飲む薬酒「蘇」という悪鬼を「屠(ほふ)る=皆殺しにする」という意味で数種類の薬草が組み合わされている。従って、漢方薬である以上それなりの効能がある。勿論ルーツは中国で風の予防薬や胃薬などとして重宝された記録もあるようだ。
 中国ではそれが唐の時代にオイシイと言われて流行り、何故か正月の飲み物になった…。日本では宮中で平安時代からと言われ、江戸時代から庶民にも伝わり、年末に医者が薬代の返礼に屠蘇を配るようになり、今もその習慣の名残として活きている…という。

 因みに胃に良く抗菌作用もある山椒の実や沈痛や咳や痰を取る作用がある桔梗の根、発汗解熱に健胃作用のニッケの樹皮など数種の胃腸の働きや血行良くし風邪をひかないようにする効用の漢方薬で、無病息災の願いを込めて縁起を担いだ…とする説は至当のようだ。

 我が家では七草粥で正月の習わしは締めになるが何はともあれ、6度目の年男に当たる今年は3人の孫が小、中、高校へ進む節目の年。
 縁起担ぎではないが日々の散歩を愚直にこなし、病気と共生しながらこの子たちがもう少し成長するまで踏ん張りたい…と正月飾りにも願いを込める今年の年頭である。

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2010年1月12日 (火)

先立たれた奥様からのお別れメール

 暮れも押し迫った30日、知人の奥様の野辺の送りに参列した。63歳と若く、先立つことを詫びながら夫に甘えられた幸せに感謝し、子や孫たちへの熱い思いをメールに託して逝ってしまった。口で言いにくいことをメールに託した奥様の気持ちの優しさと素晴らしさを、ご主人の了解をいただいたので紹介したい。

 友人のSさんは63歳で退職後、親しい社長の会社の顧問格で既に5年働き続けている。一人息子は東京でIT関係のソフト開発や専門的な執筆に大学の講師と忙しく2人の孫に恵まれている。奥様は一年のうち数回、共働き家族と孫たちの面倒を見に上京し、友達と春には桜前線を追って南から北へ旅し好きな花の栽培や写真撮影の趣味を楽しんでおられた。

 2年前、検診で肺に影があると指摘され癌かどうか心配しておられたが、羽毛を吸引して肺に張り付いた…との診断だった。その後、肺機能の低下がみられ入退院されていたがここ数カ月思わしい治療結果が得られず入院しておられた。
 暮れも押し迫って大手病院に転院した直後の26日未明に、病床から夫のSさんにメールが届いた。

 Time:09・12・25 23:46
 愛する父さんへ(♡)  
  愛する父さんへ(♡)こんなふうに父さんと別れることになるなんて…。
  ごめんなさい、一人にさせたくないのに…。
  いろんなことが思い出に繋がります。桜のこと、紅葉のこと、
  北海道の芝桜、雪のアルペンルート、上高地、軽井沢…
思い出がたくさんあって幸せです(♡)
優しい父さんにずいぶん甘えさせてもらいました。
私は父さんのお陰で幸せな人生を歩むことが出来ました。
有難う。感謝 感謝のみ(♡)
市川の子供、孫たちがどうか元気で前向きに生きていってほしいと、
心から願っています。
大丈夫よ。元気なうちに伝えておきたかったから(♡)お休みなさい。
Time:09・12・26 00:02
  
 深夜、病床でメールを書き、送信している。まるで自分の最後を自覚したようなメールで、翌日に意識を失い、ご主人と言葉を交わすことなく28日の夜、逝ってしまった。
 残されたSさんは自宅で通夜と葬儀をした。友人が今年から始める、自宅から送りだす昔ながらのしきたりを残した『家族葬』だった。
 仏壇の前に安置された花が好きだった奥様の周りを花で埋め尽くし、家族親族友人が取り囲んで通夜をした。市川から駆け付けた息子夫婦と孫たちも花を手向け、それぞれの思い出深い品物を棺に納め最後のお別れをした。改めて、納棺後に葬儀を行い近所の人達や友人がお別れをして野辺に送った。

 妻から遺言となった思いを受けたSさんはメールをコピーして親しい人たちに改めて妻の心のこもった気持ちを伝えていた。
 これまでに多くの人を見送ってきたが、先立つ妻が残る夫にこのような『遺言』をメールという今風のツウールでのこしたケースに出会ったのははじめてで、感動した。
 翌々日の元日にはお二人連名の年賀状が届いたのはさみしい限りだが、残るものが生きる縁(よすが)になる物を伝える意味の大きさを感じたて、紹介させていただいた。 合掌

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2010年1月11日 (月)

広島五輪招致検討の仕切り直し

 日本オリンピック委員会(JOC)は2020年の夏季五輪の共同開催を検討している広島・長崎市に国際オリンピック委員会(IOC)の≪一都市開催≫を盾に「共同開催は認められない」と通告した。広島市は改めて≪広島単独開催≫の検討が急務になった。

 JOCの竹田会長は広島市の秋葉市長と長崎市の田上市長に「両市共催はIOCの結論として「一都市開催」の原則を定めた五輪憲章を20年五輪に向けて改正するのは不可能…と伝えた。報道では『NOを突き付けた』『共催推薦出来ないと断念を迫った』『白紙に戻った』と否定的な報道が目立った。一方、竹田会長は『単独開催ならチャンスはある』『世界平和の理念を訴えるユース五輪、国際シンポ』など、今後の可能性も示唆した意味は大きい。

 施設や財政問題に加えて聖地にふさわしくない等の反対意見などの問題がある上に招致するかどうかを決めるまでの時間不足ではある。しかし、”2020年の核兵器廃絶”という広島だからできる世界へのアピールのチャンスをこのまま尻すぼみにしないで、広島市は改めて大胆に新方針を提案して市民を巻き込んだ議論を起こすことが期待される。

 元安川さんの記事に広島・長崎五輪は大会メイン会場を仮設の競技場と宿泊施設も仮設の選手村で…という論が展開されている。確かにアジア大会で建設したビックアーチはその後管理運営費で年間数億円以上がかさみ大きな負担になっており、北京ではあの鳥の巣の維持にすでに四苦八苦している。宿舎についてアジア大会では民間不動産業者にマンション開発で依頼したが販売でその後10年も費やして官民共に負担を抱えた苦い経験がある。
 元安川さんの発想はパビリオンを仮設でする万博のように終了後は解体する方式の採用を提案し、更に鉄骨や資材は数多い広島の橋の再建に計画的に活用し、プレハブ住宅は日本政府が毎年出資するODAの援助国やアフガンへ支援を決めた5000億円の経済援助に役立てる…などは優れたアイディァだ。

 また、ユース五輪はIOCが14以上18歳以下のアスリートを対象に若者のスポーツ離れを食い止め『スポーツを通じて心身を向上させ、文化や国籍を超えて友情と連帯感、フェアプレーで平和でより良い世界の実現に貢献する』五輪精神を掲げ2010年に補足する全く新しい国際競技大会だ。各国・地域からの出場者を抑えて既存の施設を活かし費用も3000万ドル(32億円)に設定し、ユニバーシアード(参加年齢17~28歳)とは違う少年五輪だ。
 
 折角乗りかけた船である、元安川さんの提案を真面目に検討する等、あ‘20年五輪だけに留まらず幅広い夢のある案を用意して『スポーツを通じて核兵器廃絶』を世界に浸透させる機会を見逃さない…選択を希望したい。 背伸びしない企画を練り直すチャンスだ!!!

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2010年1月10日 (日)

通訳者のヒロシマ底支え25年

 ヒロシマを訪れる外国人を英語で案内し,分かりやすい英文の資料制作に取り組んできた市民団体『平和のためのヒロシマ通訳者グループ』(HIP)の25周年を祝う集いが開かれた。
 この日のパーティーには証言活動をしている被爆者や広島市や大学、新聞に放送関係者OBに市民団体、HIPメンバーなど80人が参加し、外国人にヒロシマを伝える役割を担ってきた市民団体の自主的役割に拍手を送り今後の活動に更なる期待を寄せ激励した。

 HIPは被爆40周年を控えた’84年に被爆者の小倉桂子さん(72)を中心に学生や主婦にサラリーマンなど20人が協力して「被爆地の想いを正確に伝えよう」と英語のガイドブック作りを手始めにスタートした。“引き出しに眠る一円玉を平和の使者に“を合言葉に’80年に立ち上げた公益信託『ヒロシマナガサキ平和基金』の事務局をベースに活動を始めた。

 会創設の裏には原爆資料館長や国際交流課課長として堪能な英語を活かしてヒロシマの世界化に奔走中に突然亡くなった小倉さんのご主人の小倉馨さんの遺志を継ぎたいという桂子さんの強い意志が支えだった。小倉さんには仕事でお世話になっていたこともあって平和基金の代表の女学院大学の庄野直美教授らと世話役をしていた私も多少の縁があった。

 HIPが英語のガイドブックに続いて取り組んだのが『ヒロシマ事典』。原爆や平和に広島、被爆者に関する“ヒロシマ用語”を集めた和の辞典作りだった。大きな反響を生んで5000部の自費出版を完売した。次いで初心者向けヒロシマガイドの英会話のテキスト『HIROSIMA英語案内』の発行や外国人の案内ボランティア、毎月定例で若い世代がヒロシマを語り継いでいく為の講座の開催、小冊子『平和公園案内テキスト』の発行などに取り組んだ。’01年からは『ひろしまを英語でガイド』講座や『英語による平和公園案内』フィールドワークを定着が評価されて、’05年には広島市から“ヒロシマ市民賞”を、’08年にはユネスコ協会から“ユネスコ活動奨励賞”を受賞した。

 先月から市民向けの講座『ひろしまを英語でガイド』を始めて市民ガイド養成にも乗り出し、70歳を超える被爆者たちの参加も増えて会員は90人を超えて元気に盛りたてている。
 発足当時は広大の学生だった事務局長の山田順二さん(47)は「一人ひとりがヒロシマを伝える“語り部”になる事を目指している」と、小倉さんは「志を同じくする人と一緒にヒロシマの思いを伝え続けたい」と話す。行政の助成や補助も求めず民間活力丈で目指した市民団体の“ヒロシマを伝える・底支えの25年”の役割は大きく…今後への期待も大きい。 

問い合わせ:HIP<HP>:http://www.hipj.org E-mail hipstaff@hip.org

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2010年1月 9日 (土)

ノンアルコールビール

 テレビのCMに頻繁に出るノンアルコールビールを初めて飲んだ。所詮、気分だけのまがい物と思っていたが、なんとうまさ抜群に驚いた。数種類飲み比べてみたがキリンが旨かった。こくに苦みと旨みに喉越しにアルコ―ル抜きを感じさせないのが人気の秘密と感じた。

 従来、ノンアルコールと言っていたビールは酔うには至らない程度の1%未満の微量のアルコール分が含まれていたが、新しく登場している品はアルコール度がゼロ%の炭酸飲料だ。2~3種を飲み比べてみたがキリンフリーが口に合った…。

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 元気な頃はノンアルコールなど見向きもしなかった。ゴフルの後の一杯はたまらない嬉しさがあった。私は無免許でいつも往復とも仲間の車に便乗させていただくので何時も頂いていた。
 しかし、取り締まりが厳しくなった4~5年前からゴルフ場のビールの売れ行きが急速に減少していたが、最近回復してきたのはこのノンアルコールビールのお陰だと言い、メーカーの売り上げ想定の5~8倍も多く売れ、年末年始にさらに伸びるとみられている。

 このノンアルコール・ビールの売り上げを押し上げた最大の要因は缶や瓶に大きく従来も書いていた≪ノンアルコール≫に≪0.00%≫を書き加えた為で、高速道路のパーキングエリアでの売れ行きはメーカーや関係者の予測をはるかに超える売れ行きのようだ。この他、スポーツ中の人に加えて高齢者やお酒の好きな主婦、妊婦まで人気を誘い、特に休肝日を創っている飲酒愛好家の支持が強いと評判のようだ。理屈の上というか法律的には子供も飲んでも構わない…。しかし、孫たちに勧めるわけにはいかないだろう…。
 
 このキリンフリーは、酵母を一切使わない独自の製法でビールの喉越しや風味に極めて近いアルコール0.00%の炭酸飲料を世界で初めて実現したもので、350mlでわずか56キロカロリーという低カロリー飲料…というのも売りのようだ。

 予想以上にビールの風味が感じられて、なんとなく軽く酔った気分の飲みごたえは間違いなく「飲みたいが飲めない」ドライバーやアルコールは受け付けにくいがビールを味わいたい人には歓迎される新商品だ。年末年始を控えたスーパーやコンビニ店の売り場面積が広くなっている。
 我が家も正月に息子や娘の家族がやって来るのを見越して少し買いだめをしてみた。
どんな反応をするか楽しみだ。

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2010年1月 8日 (金)

オリンピック広島・長崎大会 ―仮設選手村

オリンピックの際、選手、大会関係者は約2万人だという。
選手村として、約4千戸程度の宿泊施設が必要だそうだ。

広島市内のマンション需要は一時約4千戸といわれていた。
今は1千戸もないだろう。
4千戸なんて、残されても跡が困る。

通常選手村はオリンピックの後、一般市民の住宅として譲渡される。
西風新都にアジア大会の選手村として作ったマンションは、完売までに10年かかったという。

それならいっそ選手村を仮設で作って、オリンピックが終わったら、後はインドネシアの津波とか四川省の地震で家を失った人たちに提供したらどうだろうか。

四川省の地震では死者7万人、家屋の倒壊21万棟だったという。
インドネシアの津波の際には死者は22万人ともいわれていたから、壊れた住宅は100万戸近くはあっただろうと思われる。
モンゴルでは家がなく、零下何10度という寒さの中で、コンクリートパイプに住む子供がいるとも聞く。
世界的スケールでみれば住宅の需要はいくらでもある。

そうした国々へのODAの経済援助の一環としてオリンピック広島・長崎大会で作られた住宅を送ってもいい。

政府はインド洋での給油に代わってアフガニスタンへの5,000億円の経済援助を発表した。
アフガニスタン、イラクとも戦争で家は破壊され、住む家にも困っているというのが現状だ。
オリンピックの選手村として作った住宅を送るということにすれば、選手村の建設費はその5,000億円の1部を当てるということも考えられる。

選手村を仮設でつくるというのは画期的なテーマだが、日本にはその技術は十分にある。
阪神・神戸の大震災の際にはかなりの量の仮設住宅を作った実績もある。
南極観測隊用に作ったこともある。

銀座には昔黒川紀章氏が設計した高層のマンションもある。
建物の真ん中にエレベーター、階段、パイプスペースを設け、その外側に取り外し可能な居住スペースをとりつけるという考え方で造られている。
高層の仮設住宅だといえる。

セキスイとか大和ハウス、大成、竹中とかにも声をかけ、「移設できる住宅」というテーマで、国際的なコンペにしたらいい。

1戸20坪で坪50万円としたら、1戸1,000万円だ。
4,000戸作れば400億円となるが、ODA活動等の一環ということで、仮設選手村を作る費用に当てればいい。

案外、選手のサインがあれば、オークションに出しても高く売れるかもしれない。

建設場所についても、オリンピック以後に撤去するということであれば、出島の埋め立て地とか、広島西飛行場跡地とか、二葉の里とか当面空いているところであれば、どこだっていい。
選手村は市内、競技場に極めて近いところに建設が可能になる。

仮設の選手村を作るとすれば、そうした様々の可能性が生まれる。

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2010年1月 7日 (木)

ひろしまアート・ギャラリーマップとアート・フェスティバル

広島市内にあるアート・ギャラリーの一覧のマップが送られてきた。
A3版の4つ折り。
なかなかシャレている。
ギャラリーGのスタッフが個別に歩いて情報収集して作ったのだという。
その努力には敬服する。
県立美術館、ひろしま美術館、広島現代美術館といったメジャーな美術館から、デパートの美術コーナー、街中の小さなギャラリーまで載っている。
合計で60か所以上あるようだ。
広島市内にこんなにギャラリーがあったのかと改めて驚く。
広島の文化の蓄積の凄さを改めて知った。

1

広島市立大学には芸術学部がある。
そこにはそれなりの作品展示コーナーもあるはずだ。
ファッション専門学校の作品だって立派なアートだ。
骨董店だってある種のギャラリーだ。
本通りの熊野筆のお店の2階では良く書の作品展もしている。
アート・ギャラリーの概念を拡げ、それらの施設を加えたらもっともっとギャラリーの数は多くなる。

この地図を作ったのが手始めだ。
60か所+αのギャラリーが手を携えて、何かやればちょっとしたことができるはずだ。

まずはそうしたイベントを共同でネットで流す仕組みを作ったらいい。

市民球場跡地に作られる予定の広場で、全ギャラリーが参加してのアート・フェスティバルをやればいい。
相当の人が見に来てくれるだろうと思う。
それぞれのギャラリーは小さくとも、100店近くのギャラリーが作品を持ち寄り、展示すれば、それは賑やかなイベントになるはずだ。

その場で、作家が作品を作るところを見せるのもいいだろう。

作品の即売会をしたっていい。
結構な収入になるはずだ。

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2010年1月 6日 (水)

オリンピック広島・長崎大会 ―仮設競技場

オリンピックを広島市・長崎市の複数都市で開くことについては、かなり難しくなった。
まだ決定したわけではないが、JOCは1国1都市開催のルールに頑なに拘っている。
現状では、少なくとも表向きは広島市単独で開催することを考える必要が出てきた。

それにしても最大の問題はその資金だ。
大会の運営費は3,000億円程度かかるというが、それは組織委員会の負担となるということで、広島市としては心配することはないようだ。

広島市としては会場整備費、選手村整備費、それに観客の宿泊施設の整備をすることが主な負担のようだ。
それに関連して、インフラの整備も必要になるだろう。

東京都は4,000億円の基金を用意したというが、ほんとうにそんな膨大な資金が必要なのかについても、きちんと確認する必要がある。

まずはそうしたオリンピックに必要な施設をどうやったら安くできるのか、そして広島市の負担とせずに済むのか、そしてオリンピックが終わった後どうするのかに検討すべきだろう。

オリンピック北京大会は、鉄骨を網の目状に張り巡らした通称鳥の巣といわれる9万人収容のメインスタジアムが大会のシンボルになった。
スイスの若い建築家ユニット・ヘルツォーク&ド・ムーロンのデザインだ。
確かに度肝を抜くデザインだった。

しかしその維持管理費用に年間数10億円かかるということで、中国政府はいささか参っているようだ。
あの鳥の巣の部分は鉄骨だろうから、数年もしたらさび防止の費用だって膨大な額が必要になる。
10年も経過したしたら本格的な改修工事が必要になるだろう。

新宿にある東京都庁舎は建設費1,569億円だったが、維持管理費用に毎年40億円かかっているという。
また築後18年たって老朽化が進み、その改修費用に780億円かかるという報告書も先日提出された。

通常建物は解体されるまでの間にかかる維持管理費用は建設費の5倍かかると言われている。
東京都庁舎はそんなもんでは済まないだろう。

作るのも大変だが、問題は作った後どうするかのほうがもっと大変だということだ。

広島にはアジア大会用に作った広域公園のビッグアーチがある。
アジア大会のために5万人収容のメインスタジアムとして作られたが、アジア大会以降の利用者は5万人を越えたことがない。
通常施設としては、広島にはでかすぎる。
毎年の維持管理費用の負担だってばかにならない額だ。

お祭りの施設は本来仮設で作られるのが基本だ。
万博だって凄いお金をかけて作られるが、終われば全て取り壊される。

10万人以上も収容するメインスタジアムを作るのはいいが、そんなのを後に残されても、広島市の人口を考えればとても使いきれない施設だったわけだ。
広島市はオリンピックが終わった後のことを考えて、施設は作るべきなのだ。

それならオリンピック関連の「全ての施設を仮設で作る」としたらいい。
たとえば、今の広域公園の陸上競技場は5万に収容だが、不足する5万人分の客席を仮設で作るのだ。
仮設となれば、スタンドの下はジャングルジムのようになるかもしれないが、それはそれで壮観だろうと思う。

あるいは広島西飛行場跡地に新たに作ってもいい。
それにしたって仮設で作るのだ。

国際コンペにして、そのデザインを世界中から募集したらいい。
何十年も使うということを前提にしなければ、かなり自由な発想のデザインが可能になる。
北京大会のメインスタジアムの鳥の巣を凌ぐような、あっと驚くデザインが提案されるかもしれない。

50年以上も使うことを前提にすると、構造も仕上げもかなりしっかり作らなければならないが、1か月も持てばいいということで作れば、かなり安く作れるはずだ。

オリンピックが終われば、仮設で作られた各種の競技場は解体し、鉄骨は老朽化がいわれている広島市内、国内の橋の改修工事に使えばいい。
「国内の橋は、10年後には28,000カ所が老朽化し、建て替えの必要がある」という統計もある。
広島市にはその1%があったとすると、280か所の橋を架け替える必要があるということになる。
それを全く新規に作ろうとしたら膨大な額になる。
オリンピックで使った鉄骨が使えるとなったら、そうした橋の改修工事だって随分と安くできることになる。

学校などの耐震化工事も遅れていると言われる。
解体した鉄骨はそうした耐震化工事にも使えばいい。

オリンピックの施設建設費用には、そうした橋の改修費、学校の耐震化費用を前倒しして当てればいい。

そうすればオリンピックの施設整備の負担は大幅に削減できることになる。

オリンピックの最大のテーマは「平和」だが、もう一つは「環境」だ。
環境とはなにも緑にするとか、自然エネルギーを使うとかだけでない。
「資材の再利用を考えて施設をつくる」ことは極めて現代的な環境対策でもある。

交通機関も不足するだろう。
広島市内はLRT網を充実し、アストラムラインは西広島駅まで延伸すればいい。
観客は、広島市内では徹底的に公共交通機関で移動するというようにすべきだ。
これらは恒久施設として残すということで、最初から作ればいい。
当然それは国の道路予算で作ればいい。

残すものと、仮設でつくるものとを、きちんと分けて作るべきなのだ。
なにも全てを恒久施設として作る必要はない。

フラワーフェスティバルの時に作られるステージだって全て仮設で作られる。
お祭りの施設とは本来そうしたものなのだ。
だからこそ感激・興奮の度合いも一層高まるのだ。

日本には古来材料を何度も使うという文化があった。
和服がいい例だ。
和服は古くなれば仕立て直して、娘の着物にする。
ぼろぼろになったら、赤ちゃんのオシメにする。
オシメがいらなくなったら、最後は雑巾にするというような使われ方をしてきた。

日本建築だってずっとそうした造られ方をしてきた。
それがコンクリートと鉄で造られる近代建築の時代になって、材料を再利用するという考え方がどこかに消えてしまった。

オリンピック広島・長崎大会は、そうした日本に古くから伝わる「資源を再利用する」という思想を復活させたらいい。

そうしたことができれば、それは新しいオリンピックのあり方を提案することにもなる。
そしてそれは、オリンピック開催費用の地元負担額を限りなくゼロに近づけることでもある。

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2010年1月 5日 (火)

ワイダ監督の映画「カティンの森」

 監督の父が犠牲者の一人で、50年余にわたって映画化を温めてきたポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の最近作『カティンの森』の試写を観た。暗く重い作品だが東欧の小国がドイツやソ連に戦後も翻弄されて歩んだ、歴史的背景も見えてくる作品だった…。

 最初の画面に“両親に捧げる”とある。監督の父は1939年9月にソ連軍の捕虜となり虐
 ドイツのヒットラーとソ連のスターリンの密約でポーランドは’39年1月にドイツに、9月にはソ連に侵略された。’40年を境に、ソ連の捕虜となった1万5千人のポーランド将校が行方不明になったが’43年春にドイツ軍がソ連に侵攻した際、カティンで数千の遺体を発見した事から事件が明るみななった。ドイツはソ連の仕業としたが、ソ連は反対にドイツの仕業とした。
 戦後、ソ連の衛星国となったポーランドでは長く「カティンの森」事件に触れるのはタブーとされていたが、’89年秋ポーランドの雑誌が「カティンはソ連軍の仕業」として証拠を掲載した。ソ連政府は翌年になってKGBの犯罪と認め、エリツィン大統領はスターリンの命令だったことを明かした。しかし、ポーランド政府は『カティンの森』事件について国民に沈黙を強いて、抵抗者には厳しい罰則を課した…。

 映画はソ連軍の捕虜になった監督の父と同じ名前のポーランド軍の大尉の夫を捜しやっと夫と会えたが、すぐに引き裂かれる。妻は混乱の中を夫の両親と一人娘を抱えて生きる。
しかし、大学教授の義父も前後して多くの教授たちと一緒にソ連軍に連行され虐殺される。
 後に、夫が克明に付けていた手帳が発掘され、知人を経由して妻もの手元に届く。そこに記された内容が当時の記録フイルムと一緒に明らかにされていく…。
 捕えられた軍人たちの姿と、彼らの帰還を待つ家族の姿を通して…一筋の希望を便りに耐え忍んで生きる家族たちの不安と恐怖…戦争に翻弄される人間の叫びが…描かれる。

 「カティンの森の虐殺事件」名は聞いてはいたが、アウシュビッツとは比較にならない…第二次世界大戦中のヨーロッパや東欧の各地で起きた戦争・紛争の一部と考えがちだ。
 
 ワイダ監督はデビュー間もない1950年代半ばに事件の真相を知って、自ら映画化を強く希望していたが、冷戦下のポーランドではこの事件はタブー化され封印されてしまった。
 しかし、冷戦崩壊で少しずつ真実が明かされ始め、時間から70年近くたって、積年の想いがこもった映画が出来上がった…。
 戦争の世紀を象徴する隠された残虐な事件を記憶に留めるうえで、鑑賞を勧めたい。
 広島での上映は2月からサロンシネマで予定されている。
 問い合わせ:<サロンシネマ>…広島市中区大手町5-8-6 082-241-1781

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2010年1月 4日 (月)

天皇の政治利用?で思うこと

 訪日中の中国の習近平・国家副主席と天皇の会見が「政治利用」と政府の対応を巡る議論が活発だ。天皇の役割を巡る議論は稀で、この際広い国民層の議論を期待したい。

 “習副主席と天皇の会見”が俄かに浮上したのは宮内庁の羽毛田長官が「天皇の会見は一月前に申し入れる慣習を破った」と政府対応に不快感を公表したのに続き14日に小沢民主党幹事長の記者会見発言で火がついた。宮内庁長官の「一ケ月ルール」は何時誰が創ったか知らないが、長年のルール?なら政権交代を機に見直しても良いだろう…。

 小沢氏の発言は「(憲法に」天皇の行為はなんて書いてある…国事行為は、国民が選んだ内閣の助言と承認で行われる…それが日本国憲法の理念であり本旨…」「…内閣の一部の役人が内閣の決めた事についてどうこう言うのは憲法の精神、理念を理解していない。どうしても反対なら、辞表を出した後に言うべきだ…」。少し乱暴なようだか一理ある。

 これに対して自民党の阿倍晋三元首相らは小沢氏が640人の大訪問団を率いて訪中した時期と内閣の要請が同じ時期だったことから「国益でなく、自分達の為に今まで守ってきたルールを破った」と全く裏付けのない憶測で批判しているのも如何なものだろうか?
 外国要人との会見は国事行為かどうか等を巡る学者や専門家の声を集めるマスコミ報道?

 しかし、天皇の存在や行為について改めて憲法を読んでみたり考えたりするにはいい機会ではなかろうか。私たち世代は物心ついた国民学校一年生の昭和20年当時、天皇は学校の校門近くの”ご神栄“という天皇の写真が祭られ建物の前で毎朝、最敬礼して登校した。天皇は現人神(あらひとがみ)で完全に神格化された神様扱いで、天皇の為に命をささげて戦う青少年の育成が課題で、特攻隊で散った先輩を出した学校の在校生はそれを誇りに、軍事教練などを通じて後を追う教育・軍国教育が幅を利かせた。
 そんな馬鹿なことは今更、おき得ない…のだろうか?

 終戦に当たっては無条件降伏を求めたポツダム宣言の受託を巡って軍部と政府は国体の護持・つまり天皇制の継続維持を唱えて受託を遅らせ、結果的に広島・長崎に原爆投下を招いたしまった。天皇の周辺を取り巻く人間の誤った判断が日本により大きな悲劇・被害をもたらした歴史を振り返る時、今回の“天皇の地位利用?問題”を政治家や学者の世界の議論でなく、国民一般の素直な議論が広まることは大切なチャンスではないかと思う。
 政権交代は長年自民党に任せてきた形のこうした問題を含めて見直す機会でもある。
 戦後いい加減にされてきた日本の近代・現代史を含めて天皇や憲法を巡って改めて社会的にも教育的にも、政治的にも見直す必要に迫られている…と感じる。

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2010年1月 3日 (日)

五重塔と二重構造

法隆寺には大きな五重塔がある。
金堂や大講堂には入ったことがあるが、脇に立つ五重塔には入ったことがない。
それも当然のことで、そもそもこの五重塔は人が中に入るようには作られていないのだという。

「五重塔は、古代インドにおいて、仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るために紀元前3世紀頃から造られ始めたストゥーパに起源をもつ。古代インドのストゥーパは饅頭形(半球形)のものであったが、この形式が中国に伝えられると、楼閣建築の形式を取り入れて高層化するようになった。
日本の木造五重塔は、現代の感覚で言う五階建ではなく、内部は軒を支えるために複雑に木組みがなされており、上層に登ることはできないのが普通である」
という。

1_3

面白いのは、真ん中に立つ柱だ。
心柱というそうだが、構造体ではない。
屋根部分はどうも鉄塔を支えるロープのような役割を果たしているようだ。
「法隆寺の五重塔は、塔の先端までの高さは32.56mであるが、一本の太い柱(心柱)が土台から塔の先端に突き出ている相輪まで貫かれているのである)
という。
心柱は一番上にある相輪という飾りのためにあるだけのようだ。
一軒の家を支えている大黒柱とは、その構造上の役割をまったく異にしているようだ。
柔構造のため地震でも壊れないのだという。

法隆寺の五重塔は7100年ごろ再建されたと考えられており、建築後1300年経つわけで、木造建築としては世界最古だという。
法隆寺の五重塔だけでなく、歴史上壊れた五重塔はないという。

その構造も面白いが、心柱が人の目に触れる周りの屋根とは全く切り離されているというのは何ともおかしい。
なぜ倒れないかということも興味のあるところだが、その心柱の果たしている象徴的な意味のほうがもっと面白い。

法隆寺には、実務的な仏教行事を行う金堂と、極めて象徴的な意味を持つ五重塔がある。
役割を分担している。
五重塔は見かけと中身がまったく違う。
それも、凝りに凝った二重構造だ。

人間の社会も建前と本音、名実共にとか、結構複雑な二重構造になっている。
小沢一郎と鳩山由紀夫の関係とかもそう?

二重構造のほうが、案外安定しているのかもしれない。

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2010年1月 1日 (金)

ハイブリッド自転車?

MIT(マサチューセッツ工科大学)が面白いものを開発しました。普通の自転車をハイブリッド車にする車輪です。

このコペンハーゲン・ホイールと名付けられた車輪は、自転車をもっと簡単に楽しく乗れるようにし、自転車の利用を促進し環境を守ることを目的の一つとしています。

この車輪を付けた自転車は、減速時にエネルギーを蓄え、坂を登る時や加速する時にその力を使います。まさにハイブリッドカーそのものです。

しかもブルートゥースでiPhoneと繋がり、様々なナビゲーションを行い、サイクリングコースの設定や渋滞情報、環境への貢献度なども知ることができます。

一年以内に発売される予定で、価格は500ドルと1000ドルで発売予定ということです。

http://senseable.mit.edu/copenhagenwheel/

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