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2009年12月16日 (水)

草分けニュースキャスター逝く

 TBS「ニュース23」の筑紫哲也さんの一周忌が過ぎた直後の11月13日に、民放のワイドニュースでキャスターの草分け・田英夫さんが亡くなった。86歳だった。
 田さんがニュースキャスターだったことを知らない人が多いのは隔世の感だ。

 田さんは東大在学中の‘43年学徒動員で出征し、ボートに爆薬を積んで相手戦艦に突撃する特攻隊員だった。終戦で命を永らえ戦後、共同通信の記者を経てTBSが民放で初めて夕方に30分のワイドなニュース時間を始めた時の初代キャスターとしてスタートした。

 田さんは一貫して自身の戦争体験から反戦平和を軸に記者活動をし、‘62年(昭和37年)TBS系の「JNNニュースコープ」で自らの考えや想いもこめて語るコメンテーターとして民放がジャーナリズムとしての立ち上がりを創り、今では当たり前のニュースキャスターという呼び名は田英夫さんが初代となって生まれた。同じ年、系列の局の一年生記者としてスタートし…東京支社勤務時代の5年間、国会担当でしばしば接することもあり、多くの薫陶を得た想いは強い…。

 アナウンサーでないコメンテーターが画面から落ち着いた語り口で分かりやすくにこやかに、爽やかに、時に厳しく眦を決して伝えられるニュースは田さんの「ニュースコープ」から生まれた歴史がある。

 田さんは‘67年(昭和42年)西側のテレビとしては初めてのベトナム戦争取材を北ベトナムで行い、米国に屈しない北ベトナムの実情を報告した。北爆の下で、灯火管制が敷かれ暗闇の中で歯を喰いしばって耐えているのだろう…と考えていた田さんの目に映った北の人達は、煌々と灯りをつけみんな明るく“戦争をしている国だろうか”…と疑うほど。若い娘は白い歯を見せながら微笑みを浮かべ逞しく生きていた。この微笑みは何なのか?近代兵器と強大な軍隊を送り込む米国の爆撃下の北ベトナムの様子を『ハノイ 田英夫の証言』(’68年10月30日:TBS系列放送)で“ハノイの微笑み”として報道し、米国を批判し戦争をやめるよう呼びかけた。

 今でこそ当たり前になった8月6日の広島からのキャスター・レポートの第一号は田さんだった。時折ヒロシマへ足を運ばれ、筑紫さんはこれを引き継いだ人だった。

 ベトナム戦争に反対し厳しい米国批判を繰り返す田さんを排除するために自民党はTBSに“放送の「再免許」の更新をしない“ことをチラつかせて辞任を迫った。この時、自民党は「北ベトナムが負けていない」という『真実でない』報道で放送法違反があると圧力をかけた…抵抗するTBSに成田空港建設反対集会の取材中にTBSの取材スタッフの車に集会参加の農婦やヘルメットの若者を乗せた”TBS成田事件“ が絡んで田さんは番組を降板する。
 最後の放送で「それではみなさん、さようなら」とだけ言って6年余にわたったTVの画面から去った。
キャスターを終えた田さんを後に首相になる自民党の三木武夫さんらが呼び掛けて「田君を励ます会」を開くなどは言論人の田さんの人柄をしのばせる知られない一面を物語るエピソードだ。

 その後、参議院議員になった田さんは6期34年間の議員生活を送ったが、一貫して群れない政治家として骨太く平和、人権、核廃絶、護憲、言論の自由などをぶれることなく追求した信念の人…と云う声は大きい。
 政権交代後の新政府の行く先に注文を付けられる人…を失ったことは残念と言えよう。
改めて、ご冥福を祈る。 

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