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2009年12月 7日 (月)

沖縄考④

沖縄感想記④  吉本 尊則

沖縄で学んだこと

戦争のことから考えました。沖縄戦では20―23万人の人達が亡くなりました。アメリカ軍は1.万2000人が死んだと記録されています。
なぜこんな悲劇が起こったのでしょうか?
本土を守るための時間稼ぎをするため、住民を巻き込んでゲリラ戦をしたために住民が多数死にました。4月にアメリカ軍が北部に上陸し6月始の陸軍の降伏まで続きました。
この間の悲劇は想像を絶するものです。
集団自決、陸軍の横暴、住民の本当に献身的戦争協力(ひめゆり)などなど。
また離島でも強制移住させられて、マラリヤ被害で住民の3割以上が死んだところも出てきました。与那国では7割の人達が死にました。
伊江島などはとても悲惨な状況でした。
小さな島ですからアメリカからの一方的な攻撃になすすべがなかったのです。
こんな住民を巻き込んだ悲劇がなぜ起こったのか?
日本軍が沖縄の住民をかなり差別してみていたと思われます。
背が小さく(これは食糧事情が悪かったために)また南の穏やかな風土のため穏やかな人達。本土と比べるとやはり少し違う感覚を持ったのでしょう。

陸軍の指揮官牛島満中将。海軍の指揮官大山實少尉この2人に全部責任を負わすのは無理です。
それでいろいろ本を読みました。そんな時読んだのが司馬遼太郎の「坂の上の雲」 全8冊です。
この本を読みいろいろ分からなかったことがかなり解明できたように思います。
この本は司馬遼太郎が10年かけて書いた本です。小説というよりは歴史書に近いと思います。明治維新から日露戦争までで特に日露戦争を中心に書いています。日本の青年たちがはじめて国に夢を抱いて生きた時代です。
明治の初め世界の列強国が植民地政策を進める時期でした。ロシアがアジアに眼をつけて
満州から朝鮮を支配下の置こうと行動を起こしたときでした。
江戸から明治に代わりまだまだ国の形も整わないこの時期にこのままだと日本もロシアの植民地になってしまいそうな情勢でした。
その上10年前には日清戦争をしており国力はかなり落ちていました。
そこで明治政府はロシアの機を制して満州に行くしかないと判断し、日露戦争を始めました。世界の誰もが日本が負けると考えていました。でも奇蹟が起こるのです。勝利はしなかったのですがアメリカなどの仲裁で講和条約が結ばれ結果的に引き分けになるのです。
奇蹟とは満州で日本軍の3倍の兵力と圧倒的な軍事力(爆弾その他)を持つロシアと引き分けたことです。天が味方したとしか思われないようなことが次々と起こるのです。
ロシアは帝政の末期で革命の起こる直前で有能な人材が少なかった。ロシア革命が後半もし遅かったら確実に日本は負けていたと思われる(兵や弾薬は底を付いていた)。
海軍の勝利も奇蹟の連続でした。
こんな数々の奇蹟を起こしたのも日本の青年たちでした。203高地の想像を絶する戦い。
満州の冬の寒さの中、兵力と爆弾などの圧倒的な力の差を跳ね返す気力、精神力で戦ったのです。それが数々の奇蹟を起こしたのです。
この数々の奇蹟を起こしたことが日本の不幸の始まりだと考えました。
これ以後日本の軍は精神論を中心に突き進んでいくことになります。
「天皇を中心に日本は神の国だ 」とのまったくばかげた考えが国民にまで広がったのだと思います。
日本の不幸は第2次世界大戦を引き起こします。
これによって300万人の日本人が死にます。アジアでは1800万人が犠牲になりました。日本軍のこんな考えがなければここまでの被害は起こらなかったと思います。南太平洋のほとんど全滅した戦場。それも餓死したのがほとんどです。パプアニュギニアでは203高地での勝利した経験からあんな無謀な山脈越を慣行したのだと思います。これでほとんどの日本軍は死にました。
また南太平洋の補給路がアメリカに支配されてしまったら、陸軍は満州の部隊を陸路の補給路確保のため満州からベトナムまで移動させます。大陸打通作戦50万人が2400キロを8ヶ月かけて往復した作戦、これもほとんど無益な戦争でかなりの死者を出しました
こんな無駄な作戦もあの奇蹟からきていると思われます。神風特攻隊こそ極め付けだと思います。
沖縄の悲劇も私はここから来ていると思いました。日本軍は沖縄で住民たちをかなり差別していました。それは貧しさから来ている身長の低さ、南の島独特のおおらかさからだと思います。そのための軍による住民の集団自決事件や食料の強奪など、また八重山諸島での強制移住そのためのマラリヤ被害。
4月にアメリカが北部に上陸します。日本軍は北部を捨てて那覇を中心に戦闘します。でも圧倒的戦力差から住民を巻き込んだゲリラ戦に持ち込んだのです。
那覇から南のほうへ夜に山の中を移動しながら、戦う兵器がないのに2ヶ月近く戦ったのです。そのために沖縄住民の約10数万人が死んだのです。
もう爆薬その他兵器はほとんどありませんでした。

沖縄の海軍は本当に悲劇でした。豊見城の地下壕が今でも保存されています。
この海軍には船はなく約4000人が戦う武器もなく竹やりなどで戦ったのですが全滅しています。沖縄の日本軍は本土決戦までの時間稼ぎのため無謀な戦略に走ったのです。
仮定の考えですが、もしあの日露戦争での奇蹟がなければこんな悲劇は起こらなかったと思われます。沖縄の悲劇のここにあると思いました。

司馬遼太郎はあのばかげた戦争の原因を突き止めるために書いた小説が「坂の上の雲」だと思いました。私もこれにはびっくりしました。沖縄でこの本を読んだからこそこのことに気がついたように思います。
このことを学んだことが私の沖縄で住んだ1番の収穫だと思いました。

そして考えることは日本がまたまた戦後奇蹟を起こしました。経済成長です。
この奇蹟が再び同じような悲劇を起こすのではないかの思うことです。
奇蹟の経済成長を起こしたことでお金万能社会の時代。お金が人より大切な考え方。
経済成長を促進するための莫大な借金。
国債の残高は850兆円まで膨らんでいます。どのように返済するのでしょうか?
国民の財産が1400兆円 後もう少しで日本売りが始まるのではないかと心配しています。
私たちは歴史から何かを学び現在の私たちの生きることに役立てることができるのでしょうか?
あまりにも安定した時代が続いたため私たちは慢心になりすぎているのではないかと心配します。

終わりに

今までとはまったく時間の流れの違う沖縄、沖縄は縄文人文化、本土は弥生人文化。沖縄は南から来た人種。本土は北から来た人種。
かなり違う生活、文化。
この中で1年暮らしてまた私自身の人生の幅が少し広がったような気がします。
沖縄でたくさんの知り合いができました。最初は戸惑いましたがだんだんと中にはいていくとどんどん人輪が広がってきました。
私にとって大きな財産ができたと思います。
感謝!感謝!

さあー京都に行くぞー
また1年新たな出会いを求めて!!

<感想> グランパ

こんな生き方をしている人がどれ程いるだろうか。
暮らし向きの良い東南アジアや遠くは東欧に出かける年金生活者は少なくない。
しかし、国内を順々に巡って暮らす人はあまり聞いたことがない。
恵まれた人達の中でも可なり意識的には高い目標と実践力を早くから計画しないと難しいと思う。日本人離れした?発想と実践力が成せる業?が及ぼす影響は、新しい生き方を作っていくのではなかろうか。

羨ましがる前にこうした実践をする友人がいることを知っていただくことも大切な情報と考えて掲示します。
一線を引いたとは言え、出版関係での経験と力は大きく、来年広島にやって来るのが楽しみだ…。

*お願い
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コメント

吉元さんが広島に来るのが楽しみですネ。
毎日10kmのランニング、ウォーキングは強い意志。
私もせめて、4kmは実行したいと思いました。
『こんにちはハーネス』を作ったことからハーネスとしました。

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