演歌流しの時代が懐かしい
広島の盛り場、中区薬研堀で35年続いた「琴団」が閉店した。オーナーの元演歌流し“保っちゃん”(水間保)が病気療養のためだ。流しの全国大会で大賞に輝き、持ち歌1,000曲以上の腕前。ギターの弾き語りに癒され、勇気づけられた者は多いはず。筆者もその一人だ。
流し=演歌師のルーツは明治初期、自由民権運動の宣伝のため、世相を風刺した「演説歌」(演歌の由来)を歌った壮士や学生だといわれている。戦後の流しと違うのは、歌でお金を取るのでなく、歌本を売って生活していたことだ。
添田唖弾坊、神長瞭月、島取春陽や広島の安芸郡出身の石田一松などはその流れ。同じく広島では大正年間、中区新天地で「ヨサホイ節」をバイオリンで歌い、広島から全国へ流行らせた秋月四郎もいる。(一説には「籠の鳥」の作詞者)
戦前戦後の歌謡界では作曲家の上原げんと、遠藤実、歌手の岡晴夫、北島三郎、渥美二郎、アイジョージ、竜鉄也等が流しを経ている.
戦後の広島では、流しのグループ「明星会」が有名だ。“保っちゃん”はここに所属していた。最盛期は50人もいた。先輩格には玉井擴(後の玉井会)がいる。彼が東京で活動していた時の弟子に、アイジョージや南洲太郎がいたという。筆者の知る当時の広島で活躍していた者に、白井いとく(白井会)、後に「艶歌」という店を持った“大和(やま)ちゃん”(大和正幸)、三味線の“琴ちゃん”(中谷菊夫)などがいた。3曲100円から200円だった。玉井と大和は現在カラオケ教室を主宰している。
玉井の話によると、明星会が分裂後、広島市内の西から「玉井会」「明星会」「猪上会」の三つに地域割し活動したという。ところが昭和50年代にカラオケが出現。お客は聴くほうから歌うほうに回った。だんだん仕事が減り、転業せざるを得なかった。スタンドやクラブの弾き語りや歌の店を開いた者はいたが数少ない。カラオケ教室を開いた者は現在まで存続しているという。
現在はカラオケで歌う時代。ギターやアコーデオンなど生の演奏でリクエストした歌が聴ける時代が懐かしいのは、筆者だけだろうか。
上村和博
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