小さな命との別れ
近所に住む孫達が飼っていたセキセイインコが死んだ。8年近い飼育で、籠から出て肩や頭に乗って遊ぶ家族の一員だっただけに2人の孫達の落胆は大きかった。
名古屋から広島に移って間もない頃、犬か猫の飼育を希望した。しかし、マンションでの飼育は難しく「小鳥なら」…と提案し、まだ孵化して2週間前後の手乗りのセキセイインコを買った。数時間ごとに水で柔らかくした餌をヘラで口に運んで2ケ月余、兄が2年生弟は幼稚園年少組だった兄弟2人で小さな命を育んだ。
育てる過程でよく話しかけて言葉の教育をした。自分の名前の“ピッチィー”はいち早く覚えた。しかし、はっきりと聞き取れないが明らかに何かをよく話している…おしゃべりインコだった。外出先から帰って玄関を開けると同時に“お帰り”の言葉になってはいないが必ず声をあげ、意思の疎通を感じさせた。
母親も小学校に入学して間もなしに手乗りのセキセイインコを飼った経験がある。
東京支社に在勤中の昭和48年頃、世田谷の代沢から広島へ里帰りや家族旅行の時にはお伴をした。広島に転勤で帰ってきた後の7~8年目に亡くなり、弟と2人で平和大通り沿いの公園緑地の木の根っ子に埋葬した。
文化の日の午後、籠から出て部屋の中を歩き回り兄や母の肩にとまって遊んでいたが急に動かなくなって震えだした。しばらく兄の手のひらに温められていたがそのまま息を引き取ったようだ。思わぬハプニングに兄は涙し、暫くの間手の中に包んでいた。外出から帰ってきた弟も思わぬ小鳥の死にしばらく涙していたようだ。
夜、2人に悔みの電話をすると「家族だったからね」と急な小鳥の死を残念がっていた。翌朝7時前、玄関のベルに出ると小鳥の死骸を手にした親子3人がいた。
かつて母親が自分の小鳥を埋葬した所に埋めてあげる…と出かける前に、立ち寄ってくれ、私達もお別れをした。
因みに、小鳥の寿命を人間に換算すると最初の1年で20歳、5年で40歳、8年で64歳となるようだ。決して長寿とは言えないが8年近く家族の一員だった小さな命を失った思春期真只中の15歳と12歳の兄弟は小鳥との8年を通じて情操を育まれたに違いない。
後から聞けば、シャベルでしっかり掘って大きな楠の根本に埋めて手作りの小さな墓標を立てた…。登校前のわずかな時間だったが8年近く一緒に暮らし、楽しみをくれた小さな命に感謝して手を合わせたようだ。
嘗ては大抵の小学校には兎や鶏、亀に鯉や小鳥を飼育して命の教育を目指したが、今ではほとんど姿を消しているようだ。孫達が通った小学校の飼育ケージに、今は何も居ない。
2世代3世代同居が当たり前だった時代には、祖父母や宗祖父母に別れを告げ、命の尊さやはかなさに接する機会はあったが今は全く無い…と言えるほど希だ。
殺伐とした時代だけに小動物や小鳥の飼育を通じて優しい心を失わない教育の大切さを改めて考えた。
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小さな命を大切にし、命を失うことの悲しみを知るということは大切なことですね。
我が家にも年齢14歳の愛犬がいますが、年々年老いていくのがわかります。いつかその日が来るのも。
強きものが弱いものを守り助けるのは、自らの権利を主張すより大切なことだと思います。
でも、今は個人の利益や強いものの権利が主張されています。そのために多くの殺人事件などの犯罪も多発しているように思います。
弱き命を守り育みそして死の悲しみを経験したなら、いつの日か社会の中で自分の立場でできることを理解できる力も得たことでしょうね。
経験はどんな情報よりも自身の力になるでしょうね。
投稿: やんじ | 2009年11月21日 (土) 20時32分