禎子さんの甥が謳う「折り鶴の歌・INORI」
先月末、このブログに福岡のsatoshiさんから次のような書き込みがあった。「原爆の子のモデルとして知られる佐々木禎子さんの甥にあたる佐々木祐滋と言う歌手が、記憶を風化させないように歌を通じて活動をしている。彼の歌を一度聞いて下さい…」
早速、佐々木祐滋HP< http://www.yujisasaki.com/pro.html >にアクセスした。
彼は禎子さんの兄・雅弘の二男で福岡市博多区の生まれで被爆二世の29歳のシンガーソングライター。
2,009年にロックバンド「GOD BREATH」を結成してボーカルとして活躍しているが、ある被爆者から「禎子の甥として禎子の物語を語り継ぐ責任があるよ」と言われて、禎子をモチーフにした楽曲を作り、全国の小中学校やイベントに参加、学校ライブは300校を超えた。
今年は禎子の思いをつづって謳った「INORI きみがいるなら」を作詞作曲してリリースしてソロ活動を始めている。
平和公園の「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんは2歳の時に爆心地から1・7キロの自宅で被爆した。元気に成長していたが10年後白血病を発病した。病院で「千羽鶴を折れば元気になる」と信じて薬の包み紙を利用して鶴を折り続けた…が、’55年10月25日に12歳で帰らぬ人になった。幟町中学の同級生たちの「原爆で亡くなった子供たちの霊を慰める石碑を創ろう」という呼びかけで、全国から募金が寄せられ1958年5月に「原爆の子の像」は完成した。
禎子さんの物語は世界の国々で紹介され、よく知られ日本の学校でも平和教育の教材としても使われてきた。
禎子さんの家族は禎子さんが亡くなった後、福岡へ移住され長い間禎子さんについて触れないで来られたが、禎子さんの兄の雅弘さん近年「禎子を語り継ぐ責任感」から証言活動などに取り組み、祐滋さんも被爆二世としての自覚を高めながら歌を通じた継承に取り組んでいる。
“禎子さんの気持ち“を素直に綴った詩が爽やかなうた声を通して聴く人の心の襞にしみとおるように響く…。子供たちにも聞きやすく理解しやすい歌詞が親しみを持たせる…。
10月25日は禎子さんの命日です。心に響くいい歌です、一度聞いて見て下さい。
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