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2009年10月

2009年10月31日 (土)

幻の名曲「原爆の子の像」

 広島の平和公園にある「原爆の子の像」をテーマにした曲は沢山ある。今年私が関わった二つのコンサートでの曲を紹介する。
 一つは被爆60周年の平成17年に始まった「慰霊の夕べコンサート」が8月12日、広島市中区のアステールプラザで開かれた。広島少年合唱隊が「折り鶴の飛ぶ日」を演奏した。原爆の子の像のモデル、佐々木貞子さんの話に感動した横浜の少年少女合唱団の主宰者が「広島の子に歌ってほしい」と、広島少年合唱隊に依頼した曲だ。今では同隊の持ち歌になっている。
 もう一つは7月12日、広島市制120周年記念「広島の歌コンサート」で扇ひろ子さんが歌った「原爆の子の像」の歌だ。扇さんは生後6か月で広島市南区で被爆、父を亡くした被爆歌手。扇さんの話に感銘を受けた石本美由起さんが作詞、遠藤実さんが作曲。19歳の扇さんは昭和39年平和祈念式典で本名の乗松博美として歌った。
 著作権を広島市へ寄贈した為、同年発売した「赤い椿の三度笠」がデビュー曲となった。今年45周年を迎えたが、これまで数回しか歌っていない封印した幻の名曲だ。
 扇さんは「新宿ブルース」などのヒットで、紅白歌合戦にも2回出場。映画女優としても活躍。華やかな表舞台の裏で、原爆症への恐怖心をいつも抱えている。体調の悪い時はどうしても原爆症と結びつけてしまう。
 「この曲は華々しく歌えない。歌うと涙が出てしまう。母がいつもプロは涙を見せてはいけないと言っていました」広島市のコンサートで涙をこらえて歌っていたのが印象に残った。
 「広島の体験は風化させてはいけません。私は亡くなった人々のために伝えていく義務があります。それにしても原爆ドーム周辺は高いビルが立ち並んで、昔に比べると小さくなった感じです」と話してくれた扇さんがまた歌ってくれることを望むと同時に、この名曲を合唱団が歌い継いでくれることを願っている。

上村和博

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2009年10月30日 (金)

広めようオバマジョリティー音頭

 歌い踊られる「音頭」は日本全国どこにでもある。もともと雅楽や声明、日本民謡での主演者や主唱者のことをいっていたが(「頭取」の語源)、民謡の掛け合い形式の楽曲を音頭と呼ぶようになった。
 親しまれている多くは昭和初期から戦後、地域の伝承を盛り込んだレコードが流布したもの。広島では「広島音頭」「呉音頭」「尾道音頭」など。最近はフォークやポップス、ロック調のリズムで、若者が踊れる曲が多い。広島F・Fはパレードに「広島音頭」をアレンジしたよさこいバージョンを取り入れている。
 詞もさまざまだ。テレビや漫画の主人公、地域や観光振興のためのイメージキャラクター、特産物、さらに高齢者のための健康をテーマにしたものなど、時代を反映。中には「振り込め詐欺防止音頭」やエコバッグ「袋音頭」から「ゆるキャラ音頭」(橋幸夫歌)「地デジ元気音頭」(北島三郎歌)東国原宮崎県知事作詞「宮崎てげてげ音頭」まである。
 そんな中、今年8月、広島県民謡・踊協会が制作した「オバマジョリティー音頭」が発表された。オバマ米大統領の核廃絶構想を、世界の多数派(マジョリティー)にしようと、秋葉広島市長が名付けた造語を音頭にした。秋葉広島市長は3100を超える世界の都市が加盟する平和市長会議の会長を務め、2020年までに核廃絶を目指している。
 ハー ヒロシマ ナガサキ陽が昇る みんなの心に希望のあかり たゆまず届いた折り鶴に こめたる祈りは明るいみらい こころ和やかほほえみを 願う世界のマジョリティー オバマジョリティー シャンシャン シャンときてマジョリティー
 軽快なリズムに踊りが付いた、子供でも歌い踊れる曲だ。昭和22年新憲法施行時に普及会が「憲法音頭」を発表したが、日本と米国の政治情勢が変化し、苦しい生活環境にあった国民には受け入れられなかった。今は世界的に核廃絶の機運が盛り上がっている。「オバマジョリティー音頭」が普及し、核廃絶の波をもっとつくってほしい。

上村和博

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2009年10月29日 (木)

鞆の浦モデル―古い歴史の街を最先端の技術で捉え直す

鞆の浦の埋め立て架橋計画に差し止め判決がでた。

判決は「景観は国民の財産を認め、計画は県の裁量権を逸脱している」とした。
歴史に残る画期的判決だ。

しかし広島県は「今後の公共工事に影響が甚大」だとして、控訴に踏み切った。
改めて「広島県の行政っておかしいよな」と感ぜざるをえない。

公共工事をやる、やらないを、明確な基準のはっきりしない景観で判断されたら、たまらんという思いがあるのだろう。
もう世の中は大きく変化してしまっているというのを解っていないようだ。

港町はどこでもそうだが、この鞆の浦の街も道路は狭く、木造の建物が密集して建っている。
車はすれ違うのも大変だ。
個々の家には駐車場もない。

火事になったら消防車も入れない。
極めて危険な状態にある。
火事が起こったら、街はあっというまに消えてなくなる恐れすらある。

これでは、不便と危険のダブルパンチだ。
そんな不便で、危険な街には住めないと思うのはとうぜんだろう。
だからだろう、若者はどんどん街をすて、都会に行ってしまった。
高齢化率は40%を超えるという厳しさだ。

同じような理由から、古くからある建物を壊し、太い道路を作った街は多い。

でも結果は、街の魅力は薄れ、結局は街から人はいなくなってしまった。
残ったのは、車すら殆ど通らない太い道路だけというのが、地方都市の現実だ。
それがいままでの公共工事の実態だ。

今回の判決がでてから、観光客が急増し、売上も数倍になったともいう。
これは可笑しい。

これは、チャンスだ。
これを契機に新しい鞆の街のあり方を考えたらいい。

鞆の浦には、数百年もたつ建物が残っている。
そこには膨大な歴史のストーリーがある。
ここはなんとしても、景観的価値、歴史的価値を経済的価値に変換する仕掛けが必要だ。

保命酒という古くから伝わるお酒もある。
薬草が入っているとのことで、健康にいいという。
今医食同源ということは今の流行りだ。
世界的にも日本酒の美味しさが見直されている。
「英語、中国語、韓国語等でのネット販売」も積極的に進めたらいい。
アキハバラ塾に相談したらいい。

坂本竜馬が泊まった部屋、朝鮮通信使のパレード、そして歴史的建造物の一つ一つを「You Tube」に載せ、その魅力を人々に理解してもらえるようにPRすることもしたらいい。

古い民家を改装したカフェやレストラン、宿泊施設を作ったりすることはもちろん必要だが、それに加えてサービスの仕方について研修することも必要だろう。

観光地として「シェイプアップ」していくことが必要だ。

尾道もそうだし、竹原だって、大三島神社だってそうだが、瀬戸内海には鞆の浦に匹敵する歴史的な港町が沢山ある。
そうした港町が連携し、ドイツのロマンチック街道のような「瀬戸内海ロマンチック海の道」として売り出す仕掛けも必要だろう。
「瀬戸内海ロマンチック海道」として世界遺産へも登録」したらいい。
鞆の浦だけで何とかしようなんてしない方がいい。

世界中から観光客を集めためには、もっと大きな意欲と仕掛けが必要だ。
そうでなければ、国内からの観光客だって集められない。

街中の交通機関は、あの狭い道をすれ違えるような小さな「電気自動車」だけにすればいい。
自動車メーカー各社は競ってEV車の開発を進めている。
時速4~15KMの自転車と同じ程度の速さの電動自動車を走らせるようにしたらいい。
時速100KMなんてスピードはいらない。
そんな電気自動車のテストコースとしたっていい。
ゴルフ場のコースを走っている4人乗りの乗用カートを改修して使ってもいい。

火災対策には、街全域を重要文化財並みに「火災感知器と消火栓」を張り巡らすことも必要だろう。

生活上必要な幹線道路は後ろの山にトンネルを作ったっていい。

今までの市街地整備は、利便性、快適性、安全性を確保するために、ハードな面的基盤整備ばかりに気がとられてきた。
つまり、なにごともまずいわゆるインフラで対応しようとしてきたわけだ。

景観法もできた。
政府はダム、道路等の公共工事の大幅な削減することを決めた。
公共工事のありかたが変わったのだ。

広島県もオールタナティブ・テクノロジーの存在に気がつくべきだ。
こうした鞆の浦の歴史的景観保存のための工事は、これからの時代に適った新たな公共工事を創り出すことでもある。

今回の判決に控訴するという広島県の記者会見は土木局長が行っていた。
それもおかしいが、鞆の浦の問題を土木局だけの問題にせず、クロスセクション的に見ていけば、別の答が出たようにも思う。

最先端の技術は意外と古いものとは相性がいい。
「鞆の浦の街の古い歴史を、最先端の技術で捉え直す」という試みをすることで、新しい街の姿が見えてくるのではないだろうか。

他の街でも、参考になるような「鞆の浦モデル」が作られることを期待したいが、それは当分先のことになってしまうのだろうか。
残念だ。
広島県は、こうした新しい試みこそを応援すべきだろうと思う。

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2009年10月28日 (水)

お地蔵さん

広島市内を歩いていると、あちこちで小さなお地蔵さんを見かける。
ビルの片隅に、ちょこんとあるから気づかずに通り過ぎてしまうことが多い。
エーッ、こんなところにあったのという感じである。

この仲良し地蔵さんは、広島市役所の前の古いビルの脇にある。
お人形さんみたいに可愛らしい小さな2人のお地蔵さんが小さな社の中に置かれている。
40~50CM程の大きさだ。

1

脇に掲げられた木札には
「仲良し地蔵縁起
この仲良し地蔵は石彫家国広秀峰氏の作で、九州篠原四国総本寺別格本山南蔵院住職林覚乗氏から縁あって理研産業株式会社取締役社長久保田勝之に贈られた。
このあどけない童心の石彫「仲良し地蔵菩薩にご参拝者の良縁と幸福を祈願し、昭和63年9月24日当地にて開眼供養された。
昭和63年9月吉日」

その下には、
御真言
「おん」「かか」「かび」「さんま」「えい」「そわ」「か」
三唱くださいませ。
と書かれている。

意味は全く解らないが、
鈴をならし、三唱した。
ついでにお賽銭をあげてきた。
これでなにかいいことあるかな?

お地蔵さんについて、
ネットで調べてみると、これがなかなか面白い。

「お地蔵さんはサンスクリット語ではKsitigarbhaと呼びます。前半のksitiは大地という意味で、後半のgarbhaは胎・子宮という意味から包蔵という意味で捉えられ、「地蔵」と訳されました。
 もともと地蔵は『地蔵十論経』のなかに「よく善根を生ずることは、大地の徳の如し」とあるように大地の徳そのものを呼ぶ語だったようです。それが、バラモン教の大地の神(または豊作の女神)プリティヴィーの信仰とあいまって擬人化し「地蔵菩薩」という仏教の修行者として誕生したというのが通説のようです。ですから、現在日本でも土地の守り神のような立場におかれたりするのも、大地の神プリティヴィーの影響を今でも色濃く残しているといえるでしょう。
 また地蔵菩薩は菩薩信仰の中でも成立年代が古い菩薩に入ります。その地蔵を説いた教典は、先に述べた『地蔵十論経』、『地蔵本願経』、『占察善悪業報経』の三つで地蔵三経と呼ばれています。その中でも特に『地蔵十論経』と『地蔵本願経』の二つには地蔵信仰の特色がうかがえます。おおきな目的としては、お釈迦様の滅後から五十六億七千万年後に現れるという弥勒菩薩(弥勒如来)が、この世に出現するまでも無仏(仏様がいない)時代の救済をゆだねられています。
 その地蔵の性格は「信者に代わって苦を受ける」というものであったために、転じて信者の願いを代わってかなえたり、危険に合ったときは身代わりになってくれる「身代わり地蔵」の信仰が盛んになりました。それから「泥付地蔵」「勝軍地蔵」「矢取地蔵」「縄目地蔵」「片目地蔵」多くの地蔵信仰が生まれ、なかでも「笠地蔵」なんてのが有名です。それもどれもが、「信者に代わって苦を受ける」という地蔵の性格から生まれた信仰といえるでしょう。
 また、地蔵菩薩の姿が若い僧の姿で現れるというのが通念から、その姿より小さい子供たちを守る守護神的な面の強くなり、「一つ積んでは父の為、二つ積んでは母のため・・・」という文句で有名な『賽の河原和讃(賽の河原地蔵和讃)』が作られたり、旧暦七月二十四日を子供たちが地蔵を祭る「地蔵盆」の風習が生まれていったようです。」
と書かれていた。

要するに、お地蔵さんは、身近にいて、願いをかなえてくれたり、身代りになってくれたりしてくれるということのようだ。
なんとも有難い存在だ。

街のあちこちに置かれているこうしたお地蔵さんは、街の大きな魅力の一つでもある。
ソレイユやアルパークにはない。

お地蔵さんには古い歴史と、人々の思い入れがある。

そういえば、私の曾祖母もお地蔵さんの掃除をしたり、お参りをしていた。
私も、これからはお地蔵さんの脇を通る時は、そっと手を合わせよう。
「いいことがありますようにって」

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2009年10月27日 (火)

広島・長崎は、オリンピック招致費用は5億円でいい?

10月14日の朝日新聞の「政策ウオッチ」欄に「東京のオリンピック誘致のための100億円支出は妥当か」という記事が載っていた。
石原知事は「財政再建で生み出したお金であり、痛くも痒くもない。冷静に判断して欲しい」といっている。
使ったお金は150億円だが、民間から50億円を集めたので、都税からの支出は100億円だともいう。

その支出が妥当か否かを判断する基準は、その金を何に使ったかだろう。
最大の支出は「招致機運を高めるため」使った95億円だそうだ。

それだけ使っても、東京でオリンピックを開催することに賛成するといった人は、IOCが行った調査では55・5%という数字だった。

秋葉市長が、オリンピックを広島・長崎に誘致したいと発表した翌日、地元広島のTV局が街角で調査した結果は、賛成は63.5%だったという。
反対の理由の殆どは、こんな財政難のおり、そんな金はないだろうということのようだ。
お金さえなんとかなれば賛成ということのようでもある。

発表しただけでこの数字だ。
広島・長崎は、オリンピックの誘致機運を高めるためだからという目的の費用95億円はいらないともいえる。

東京がオリンピックを誘致すると決めても、当時、マスコミは殆ど取り上げなかった。
国民の殆どは、「アッ、そう」という感じだった。
「どうでもいいよ」とまったく白けていた。
理由は色々あるだろうが、だからこそ95億円も使ったのだろう。

それが今度は大分様子が違う。
「エーッ。立候補したの!
凄いねー。
そりゃ、いいことだ。
でも、お金大丈夫?」
という感じだ。
かなりの人が「広島・長崎でのオリンピック開催の意義は認め、本当に開催出来たらいいね」と思っているようだ。

それにしても、ニューバリューとしては凄いもんだった。

今回の発表に絡んで、新聞、TVは、数日間は朝から晩まで特集を組んで、取り上げていた。
それを広告宣伝費に換算すれば、それこそ100億円はゆうに越えたといってもいいだろう。
これで、全ての国民は広島・長崎がオリンピック誘致に立候補しようとしているということを知ったことは確かだ。

東京は50億円も民間から集めたそうだ。
その手でいけば、広島・長崎は、それこそ税金分は5億円でいいということになる。

「広島・長崎は150億円もないから、招致活動はできないというように考える必要はない」という計算も成り立つ?

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2009年10月26日 (月)

残念な知事の最後っ屁発言

 「広島・長崎五輪招致」に名乗りをあげた広島市に対して広島県の藤田知事が「何も知らなかった、開催を難しくさせた…」と異論を述べ、長崎市でも何も聞かされていなかった市議会が反対の声を上げ「誘致検討」に波紋を投げかけている。

 藤田広島県知事は13日マスコミの取材に対して「広島長崎の五輪招致」に名乗りをあげたことに対して「突然の公表で県には事前に何の相談も無かった。県の協力は必要ないのだろう…むしろ運動を難しくしたのではないか」と、広島市の対応に強い不快感を示した。

 自民党政権が崩壊して40日、民主党新政権は自公政権が借金財政で国民に押し付け積み上げ肩に重くのしかっかっている負債を含む予算の使い道変更を大胆に取り組んで日本の新しい道を模索している。こんな時期だからこそ政府も巻き込んで五輪憲章の高いハードルもオバマ米大統領のノーベル平和賞受賞と「核なき世界」に向けた潮流を味方に被爆地五輪誘致の可能性が探れるまたとないチャンスである事は誰の目にも確かなことだ。

 秋葉広島市長が五輪招致の夢を公にしたのは2年前、3選間もない時期だった。藤田知事は自分の選挙の裏金問題の対応に追われていた頃のことで、以後度々夢を公表している。
 今回、改めて相談しなかった事は、褒められた事ではないが知事や議会への手回し良い事前相談…自公時代の慣習に捉われることは?時代の錯誤?ではないか。  
 「聞いていない」はよくある対応だが、任期満了で引退直前の知事に事前相談して何が期待できるかを考えた時、今回の「極秘対応」はやむを得ない処置…ではなかったか。
 もっと言えば、相談して知恵や力をもらえる相手と考えられなかった…のが秋葉市長や周辺の素直な気持ちではないかと推察できる。
 反面、相手が読めるだけに「聞いていない…」と反対にまわる際の予防策が必要だったとも言える。知事の反対は消してプラスにはならないだけに秋葉市長と広島市の県と知事への対応は残念な事と言える。が、この後に及んで“聞いていない論争”は避けて欲しい。
 
 藤田市議会議長には事前に報告していたようだが市議会の中にも今回の公表が青天の霹靂と受け止める向きも少なくないだけに、今後の開催計画の検討に影を投げかける恐れが無いとは言えない。
 新聞各社にTV各社が表明会見の前、一斉にトップニュースで扱ったのは県民市民に優先的の情報公開したい…と言う広島市の姿勢の表れとして、好感を持って見ていた。
 来月で引退する藤田知事の発言が今後どこまで尾を引くか「県知事選に於ける争点」になるかどうか…も注目される。新しい知事との関係で考えればよい…事とは言え、世紀の大事を前に、小異を捨てて大同につけないものか…。成り行きが注目される。

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2009年10月25日 (日)

オリンピック誘致と核廃絶

 予てから「広島オリンピック誘致構想」を掲げていた秋葉市長が長崎と共同して「2020年夏季五輪招致」の検討に名乗りをあげた。被爆地広島・長崎の両市が「平和の祭典」オリンピックの招致に動くことは「核兵器廃絶」という今世紀最大の平和課題と手を結ぶ地球規模的平和運動として結実に期待がよせられる。

 秋葉市長が会長をつとめる「平和市長会議」は「ヒロシマ・ナガサキ議定書」で2020年までに核兵器廃絶の道筋をつける運動を進めている。目標年の20年に広島・長崎でオリンピックを開いて、スポーツを通じて平和の尊さを世界中に発信し、核兵器廃絶の願いを訴える…五輪憲章との合致が広島招致の出発点だ。世界の三千百を超える「平和市長会議の参加都市」の協力を仰げば大きな力になって国際オリンピック委員会(IOC)や五大陸から名乗りを上げてくる候補都市に引けを取らない説得力を持つことができる。

 IOC総会で東京招致が失敗した直後に、「核なき世界」で核兵器廃絶をリードするオバマ米大統領のノーベル平和賞受賞が決まった。その翌日の名乗りは絶妙のタイミングの良さで、今後前例のない複数都市の共同開催の可能性を探る上でも「核なき世界」への国際的な流れの中で、優位に作用する…と思いたい。

 とは言え、広島・長崎五輪招致には多くの課題がある。まず、複数都市での共同開催をIOCが認めかどうか。世界的には知名度が高い広島だが所詮地方都市だ。’94年にアジア大会の開催である程度の施設設備は出来ているが余りに規模が違いすぎ、数千億円と言われる開催経費を賄えるのかどうか…?都市整備は十分か?

 アジア大会では新交通システィムの起債を含めて4000億円の経費をかけ、その後の市財政に大きな負担を残した。毎年返済する借金は一般会計で数百億…と言われ、その後の広島市の財政に大きな重荷になってきた事実は軽視できない。
 東京都でさえ今回の招致活動費は150億円…だったと伝えられている。
 今後の検討でこれら経費の負担や財政支援で国に求める協力と国民さらに地元市民の理解と支持を得るために十二分の説明が必要不可欠になる。

 平和と核兵器廃絶の高い理念は理解されても解決しなければ成らない問題は多い。
 五輪は都市が開催主体だが、日本の新政権が非核三原則の法制化の実現と、米国の核の傘からの脱却と気象温暖化対策を果たす上で「核なき世界」と歩調を合わせて“広島・長崎の五輪招致”を本気で取り組む意義は大きい。

 少し飛躍した発想になるが、広島・長崎両市の働きかけ如何で、コンクリートから人つくりに公共事業の切り替えを進める新政府が財政支援を含む大胆なテコ入れでダム一つ分の投資を試みることも不可能ではあるまい。

 広島・長崎五輪招致への民主党政権の取り組み方如何によって長期政権を占う目安になる可能性も期待できるのではないだろうか。
 新政権の取り組み次第で、地方都市に於ける新しいオリンピックの開催が出来る時代を迎えることが出来る…?

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2009年10月24日 (土)

オバマ米大統領被爆地訪問見送り?とノーベル賞受賞

 11月11~2日、シンガポールで開かれるAPEC(アジア太平洋掲示協力会議)出席の途中、初来日するオバマ米国大統領の被爆地訪問が見送られる…公算が大きくなった。
 8日、平野官房長官が記者会見で「短い日程で、今回はスケジュール的に難しい」と述べ、被爆地訪問が困難との見方を示した。翌9日夕、オバマ氏のノーベル・平和賞受賞のニュースが走った。極めてメッセージ性の高い受賞に、オバマ氏の対応が注目される。

 大統領の被爆地訪問は大統領の初来日に合わせて秋葉市長が鳩山首相に直接働きかけ、首相もNYでの初の日米首脳会談の際に大統領に直接要請していた。
 オバマ米大統領は4月5日のプラハ演説で「核なき世界」を提唱し、9月の国連安保理で核軍縮・核拡散に関する首脳会議での「核兵器のない世界」の決議を主導するなど核軍縮に向けたリーダーシップを発揮して来た。
 この為、広島長崎への大統領訪問を求める声は急速に高まっていた。 

 今月4日、8月に着任して間もないジョン・ルース米国駐日大使がこうした大統領の被爆地訪問の要請を背景に広島を訪問した。
 最近の報道で、‘74年に当時のフォード大統領が初来日した時、ヒロシマ訪問を検討していたことが明かされた。日米和解で傷を癒し軍縮を呼びかける場にしょうとスタッフが提案したが原爆投下を肯定する意見も根強く、日本での反発を招きかねないと見送られた。
 米国大統領が在任中に被爆地を訪問した事はないが、米政府内でも従来から被爆地訪問の可能性を探る動きがあった事が初めて明らかにされた。

 今回の米大統領の被爆地訪問が見送られることになれば、大統領が次に来日する予定は
来年11月に横浜で開かれるAPECになる…。
 プラハ宣言から国連安保理の決議を経て来年5月の国連総会に於けるNPC再検討会議までにどれだけ「核なき世界」へ具体的なアプローチが出来るか…が大きな課題になる。
 オバマ大統領の被爆地訪問は「核なき世界」に向けた『核兵器を使った唯一の国の道義的責任を果たす世界の世論・声を高める』何物にも代えがたい機会と言える。
 
 米国内では今も原爆投下を肯定して正当性を譲らない意見も根強く、被爆地訪問によって米国内の反発を招きかねないと言う意見も見送りの背景に全く無い…とは言えない。
 今回の平野官房長官談話はあくまでスケジュール上の問題としている。
 しかし、外務省幹部は「最終的には大統領の判断だ」と指摘しており最終決定ではない。
 短い日本滞在の中でオバマ大統領の「核なき世界」への思いの大きさや深さがどのように果たされるか…大統領の最終決断まで“一縷お望み”を持って見守る必要がある…。
 大統領にとってこれ程大きな課題解決への舞台は他に見当たらない…から。

 時あたかもオバマ氏被爆地訪問は見送り?のニュースが伝わった翌日、「オバマ米大統領、ノーベル・平和賞受賞」のニュース速報が…走った。

 未だ何の実績も無い「核なき世界」提言はノーベル・平和賞の後についてくる事になる。
 一連のオバマ氏の「核なき世界」構想を後押しする極めてメッセージ性・政治性の高いプレゼンテーションだ。

 ノーベル賞受賞は「核なき世界」実現の予約であり、避けて通れない世界的公約になった。
 オバマ大統領の構想をより確かな形で推進する上で被爆地抜きでは考えられない。
 度々の引用で恐縮であるが核抑止論者だったオバマ氏は’07年12月、シカゴのデュポール大学で開催中の「原爆展」を偶然見学し、一週間後に「核なき世界」を発言し、4月のプラハ宣言に発展した。オバマ氏の「核なき世界」構想へのチェンジした契機は「ヒロシマ原爆展」にある…と推測される。 
 受賞式を前に、改めて今回広島に来る意義と効果は大きく、逆にノーベル平和賞の真価・効果・
影響力が問われ兼ねない。
 滞在が短時間であればある程、厳しい日程をやりくりしての被爆地訪問を実現する政治家としての力量が「核のない世界」を実現させる力量に繋がる…ぎりぎりまで可能性を信じて待ちたい。

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2009年10月23日 (金)

米国駐日大使、ヒロシマ訪問への期待

 8月に着任したばかりの米国のジョン・ルース駐日大使が4日、広島を訪問した。
 平和公園を訪れた大使は原爆慰霊碑に、駐日大使ではなく<ジョン・ルース家族一同>の花輪をささげて参拝した。

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 同席した広島文化センターのリーパー理事長に聞くと、この日、大使一家はご夫人があいにく帰国中だったが、来日中のご両親と17歳の長男の4人の家族連れでの来広だった。じっくりと見学する為新聞TVの取材は距離を置く形で応じ、2時間を超える熱心さだった。
 秋葉市長夫妻と昼食を共にした後、市長の案内で公園内を見学し、慰霊碑の碑文についての説明に聞き入り、公園内の碑巡りをした。
 原爆の子の像では、息子のデービスさんと自分が親子をイメージして折った2羽の大小の鶴を捧げた。
 この後、原爆資料館では、被爆前後のパノラマや遺品などの解説や説明文を読みながらの見学をし、「広島は『核兵器のない世界』の実現に向けて協力することの大切さを感じさせてくれる」などと記帳し、「展示にとても心を動かされた」と報道されている。

 周辺の時期尚早の声を押しての広島訪問は異例で、市をはじめ各方面から求めている“オバマ大統領の広島訪問の事実上の下見”であり期待を込めた憶測を呼ぶのは当然の事だ。  
 オバマ大統領は11月シンガポールAPECに出席の途中、初めて日本へ立ち寄る予定だ。 
 核抑止論のオバマ氏は’07年12月10日シカゴのデュポール大学で開催中の「原爆展」を偶然見学し、この後「核兵器のない世界」発言が生まれ…プラハ宣言に繋がった経緯?があり、核保有国首脳のトップを切って広島訪問すれば核廃絶への機運を高める効果は大きい。

 見学後の大使は明確な回答は避けているが「広島での体験をオバマ大統領に伝えたい」と話している。プロの外交官ではなくオバマ氏の信頼が高い友人として直言は期待したい。
 大使も米国政府も今のところ大統領の被爆地訪問については何も触れていないが、先日の国連安保理決議から来年のNPT再検討会議に向けたスケジュールを考える時、決して早すぎるタイミングではない。むしろ11月の広島訪問の可能性は否定できない状況にある。

 リーパー理事長によると随行した大使館員の一人はルース大使が自らの目で見て肌に感じた広島の空気や態度で大統領の広島訪問を真剣に考えてえている…と感じ、理事長は「一歩前進した」と漏らしている…点でも期待可能性が膨らむ思いだ。<10月6日:記>

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2009年10月22日 (木)

禎子さんの甥が謳う「折り鶴の歌・INORI」

 先月末、このブログに福岡のsatoshiさんから次のような書き込みがあった。「原爆の子のモデルとして知られる佐々木禎子さんの甥にあたる佐々木祐滋と言う歌手が、記憶を風化させないように歌を通じて活動をしている。彼の歌を一度聞いて下さい…」

 早速、佐々木祐滋HP< http://www.yujisasaki.com/pro.html >にアクセスした。
彼は禎子さんの兄・雅弘の二男で福岡市博多区の生まれで被爆二世の29歳のシンガーソングライター。

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 2,009年にロックバンド「GOD BREATH」を結成してボーカルとして活躍しているが、ある被爆者から「禎子の甥として禎子の物語を語り継ぐ責任があるよ」と言われて、禎子をモチーフにした楽曲を作り、全国の小中学校やイベントに参加、学校ライブは300校を超えた。

 今年は禎子の思いをつづって謳った「INORI きみがいるなら」を作詞作曲してリリースしてソロ活動を始めている。

 平和公園の「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんは2歳の時に爆心地から1・7キロの自宅で被爆した。元気に成長していたが10年後白血病を発病した。病院で「千羽鶴を折れば元気になる」と信じて薬の包み紙を利用して鶴を折り続けた…が、’55年10月25日に12歳で帰らぬ人になった。幟町中学の同級生たちの「原爆で亡くなった子供たちの霊を慰める石碑を創ろう」という呼びかけで、全国から募金が寄せられ1958年5月に「原爆の子の像」は完成した。
 禎子さんの物語は世界の国々で紹介され、よく知られ日本の学校でも平和教育の教材としても使われてきた。

 禎子さんの家族は禎子さんが亡くなった後、福岡へ移住され長い間禎子さんについて触れないで来られたが、禎子さんの兄の雅弘さん近年「禎子を語り継ぐ責任感」から証言活動などに取り組み、祐滋さんも被爆二世としての自覚を高めながら歌を通じた継承に取り組んでいる。

 “禎子さんの気持ち“を素直に綴った詩が爽やかなうた声を通して聴く人の心の襞にしみとおるように響く…。子供たちにも聞きやすく理解しやすい歌詞が親しみを持たせる…。

 10月25日は禎子さんの命日です。心に響くいい歌です、一度聞いて見て下さい。

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2009年10月21日 (水)

鞆の浦の住民勝訴は時代の流れ

 鞆の浦の埋め立て・架橋計画にストップがかけられた。広島地方裁判所が示した判断は「鞆の浦の景観は国民の財産とも言うべき公益」として景観利益を理由に全国で初めて公共事業に待ったをかけ、法的保護の対象と認める画期的判断を示した。
 
 鞆の埋め立ては25年も前に港の管理者である広島県が街の中心部の道幅が狭く車の離合も難しいため2haを埋めて、港を横切る橋の架設原案をつくった。これを基に地元の鞆を中心に賛否が交錯した結果’07年に県と福山市は国交省に埋め立て免許を申請し、反対住民は県に対して免許の差し止めを求めて提訴し、対立を深めて来た。

 争点は①埋め立て架橋工事で住民らが鞆の浦の景観の恩恵を受ける利益が損なわれるか、②工事で交通が便利になり駐車場整備などで得られる利益が景観を失う不利益を上回るか③埋め立て免許が出ると回復不能な重大な損害を生じる恐れがあるか…だった。
 
 これに対して判決は鞆の浦の「文化的歴史的価値を持つ国民財産」と認めて、埋め立てが行われれば「住民が日常的に恩恵を受けている景観利益に重大な損害が生じる恐れがある」と保護の対象となる…と判断を示した。景観の利益の重要性と埋め立て架橋の必要性を天秤に掛けて,景観利益の保護に軍配をあげた形で、景観利益を理由に初めて公共事業を差し止めた判断で、観光地の開発のあり方に一石を投じた…。

 昨年6月、埋め立て免許の交付に必要な認可申請をした際、金子前国土交通大臣が「歴史と伝統を持つ街並みを容易に損ねていいのか」と『国民同意』の必要性を指摘した姿勢を維持し、認可されないまま政権交代となった。
 前原大臣は「上級審の判断を見定めて対応する…」考えを示しているが、金子大臣との事務引き継ぎで「鞆を守って…」と託されたことも明らかにしている。
 政権を超えた“公共工事改革の流れ”は活きていた。判決は、文化的歴史的自然財産を開発と引き換えにして来た公共事業の見直しを促す時代の要請…と言える。

  地元は高齢者率40%を超える過疎化が進み若者が減るばかりの地域で、地域の再開発と観光開発は焦眉の急の一面は否定できない。しさし、万葉の時代からの文化と自然を引き継いだ全国的に貴重で希少な景観を壊せば取り返しがつかない…。
 この判決は自民党が長年行ってきた公共事業の形態や在り方が大きく変わる“時代の流れ“を明確に示唆した。鞆の浦開発にはトンネルの代替案もある…。従って、県は控訴して闘うのでなく「景観保護に配慮した事業の進め方の再構築」と言う”時代の流れ“と言う空気を読んだ計画の再検討を急ぐべきだろう。

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2009年10月20日 (火)

竹原・茶房ゆかり

久しぶりに竹原市に行った。
広島市内からは山陽自動車道を使えば、1時間ちょっとで行ける。

「茶房ゆかり」は竹原市の伝統的建築群保存地区の中にある。
街を散歩して疲れた頃、このカフェを見つけた。
数年前にはこのカフェはなかったはずだが?

これが入口?
随分と狭い。
元々は勝手口だったのだろう、暖簾の下がった入口を入る。

建物と建物の間をすり抜けるようにして、一度庭に出る。
鬱蒼と木々の茂った庭は、これはこれで気持ちがいい。
普段使っているのだろう住宅の部分との視覚も遮っている。
上手い仕掛けだ。

1_4

ウグイス色の壁の建物の、まだ新しい木の太い枠の入口を入るとそこがカフェだ。
蔵を改装してカフェにしたのだという。
カウンターの前には1M四方はあろうかという大きな竹かごに、ススキ、ナズナ等秋の草花が、何気なく活けられている。
さして広くないスペースには、4人がけと10人かけの大小2つの分厚い板のテーブルが置かれている。
清々しい茶房だ。

抹茶をいただく。
おいしい。
この雰囲気には、コーヒーより、やはり抹茶の方が似合う。

茶房ゆかりは、3年前にオープンしたというが、数年の間に、この地域も随分と整備されてきた。

いいことだ。

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2009年10月19日 (月)

日本酒・竹鶴

久振りに竹原を訪ねた。
このあたりは、街並み保存地区、正式には重要伝統的建造物群保存地区として指定されている。
竹原に残っている木造建築の町屋はどれも皆随分と逞しい。
歴史のある街を散策するのは楽しい。

その一角に竹鶴酒造のお店はある。
ウィスキー・ニッカの創始者、竹鶴政孝の実家だという。
創業享保18年(1733年)というから、300年近い歴史があるお店になるというわけだ。

1_3

玄関を入ってすぐ脇にお酒の販売コーナーがある。
醸造元だから、自社で作っているお酒だけだから、10本程度置いてあるだけだ。

どうぞと勧められるが、車だから飲めない。
残念。


ここ竹鶴の酒はちょっと黄色く色が付いている。

ちょうどお店に居合わせたのだろう、いかにもお酒好きといった中年の男性が色々説明してくれた。
「ここのお酒は出来るだけ自然の姿のまま飲んでいただきたいので、濾過を最低限にしています。
そのためちょっと色が付いています。
もちろんアルコール添加もしていません。
4年、7年と熟成したお酒もあります」
ということだった。

「お酒って、新酒の方が美味しいんじゃないですか?
寝かせたら、お酒は痛んで、酸っぱくなってしまうんじゃないですか?」
と聞いてみた。
「新酒がおいしいといってきたのは、それは酒屋にとって、その方が資金繰り上都合がいいからです。
熟成したお酒はおいしいですよ。」
といわれた。

キューバのラム酒も1年ものは透明だが、熟成するに従い茶色くなり、トロッとしてくる。
そして甘くなる。
以来、私は、茶色く、トロッとして、甘い酒がいい酒だと思いこんでいる。

4年もののお酒も買って帰った。

帰宅してから飲んでみた。
たしかにちょっと黄色く、ゴツゴツした骨太の舌触りだ。
普段飲む、綺麗に澄んだ、滑らかな吟醸酒とは大分違った感触である。

すっかりフアンになった。

7年物とかになれば、もう少し甘みもでてくるのだろうか。

竹鶴のお酒はお米も、水も、空気もみんな地元広島産だ。
広島で酒を飲むなら、やっぱり広島の地酒が美味い。
それも竹鶴の熟成したお酒がいい。

どうも日本人は、なぜか日本酒について誤った知識を植え付けられてしまっているようだ。
ここらで、日本酒の良さを再認識する必要がありそうだ。

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2009年10月18日 (日)

カフェレストラン・ベルヴュー Café Belle Vue

島市の市街地の西、古田台の高台に、カフェレストランカフェ・ベルヴューCafé Belle Vueは空中に浮かぶように建っている。
周辺は住宅地として開発されたのだろう、建物はその住宅地の南東の端の斜面に作られている、
黒と白の四角い建物は、トラス状に組まれた鉄のパイプの柱に支えられている。
平地は、建物の下に作られた駐車場4~5台分?程度しかない。
敷地の殆どは急な斜面だ。
平地は殆どない。
土地代は殆ど掛かっていないだろうが、その分建物の建設費はかかっている?

店内の窓からは、広島の市街地が一望できる。
街の向こうには瀬戸内海も見える。
見晴らしは素晴らしくいい。

細かいことに拘らず、スパッと割り切って作られたコンセプトは爽快だ。

1

広島の夜景も見たいと、次の日の夜の食事を予約した。

広島の夜景は綺麗だった。
緑色に光る灯りは海田大橋だろうか。

BGMはモダンジャズだ。
昼間来た時は気づかなかった。

料理の味もなかなかいい。

見晴らしの良さからか、すぐ近くにチャペルのようなデザインの建物が2棟建っている。
いずれも結婚式場のようだ。

ここのレストランカフェ・べルヴューで瀬戸内海を見ながら愛を語り、広島の夜景を見て、プロポーズする?
そして隣のチャペルで結婚式を挙げる?

いいですねー?
友達に教えてあげよう!

*当初お店の名前をカフェ・ベレヴューと書きましたが、真美さんという方から、間違いを指摘され、訂正しました。
 真美さん、ありがとうございました。

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2009年10月17日 (土)

市民Gが創ったドキュメント映画「想う力」

 市民一人一人が平和を考え核兵器廃絶の力になろう…をテーマに8・6前後の平和公園で
インタビュー構成のドキュメンタリー映画の制作に市民グループ挑戦し、完成させた。

1_3

 映画「想う力」は広島で活動する市民団体・おやじ活性化委員会(おやカツ)の仲間10人が取り組み、事務局長の福本英伸さんが監督を務めた。

 核兵器は無くなると想うか?使われると想うか?…市民グループが8・6を中心に平和公園やマツダスタジアムや旧市民球場などで市民や観光客に二つの質問をぶつけて、老若男女100人を超えるインタビューをVRTに収録した。

 「なくなると思う…」「使われると思う。でも、使われない事を願う」それぞれの言葉で核兵器廃絶や平和を願い想う気持ちを語る。イラストレーターで平和市長会議が提唱する2020キャンペーンに市民の立場から協力している黒田征太郎さんは「僕が生きている間に核は無くならない…だが、無くそうとする意思は大事だ…」と語る。
 広島平和文化センターのスチィーブン・リーパー理事長は「なくなる。無くならなければ人間に未来はない。人間はそこまで馬鹿じゃない」と力を込める。中沢啓治さんやアニメ「ピカドン」の木下小夜子さんに秋葉市長も「核はいらない」想いを語る。
 その一方で「無くならない」と答える少年や少女がいる。そう思う根拠は何なのか?今一度考えて欲しい。単にアンケートに答えたのだとしても、それで良いのか今一度想いを掘り下げてみて欲しい…。そのきっかけになるには十分だ。

 この映画の製作は年末に広島市内で開催が決まった米国の「ダマー映画祭」が短編映画を募集するのに参加しようと企画した。“おやカツ”はこれまでに横川のレトロバスの復元や町興しなど市街地活性化に取り組んできたが映画製作はもちろん初めての挑戦だ。
 
 取材した人をはじめ関心のある人達に繰り返し見てもらって30人余の声を編集して34分に纏めた。上映会も2~3回開いた。オバマ米国大統領のプラハ演説以降、核廃絶を期待する世論は盛り上がりを見せている。半面、核武装を平然と主張する人達も出て来た。

 仲間が創った挿入歌が響く<世界中の人が総ての人の悲しみを想う事が出来たら 一人が百人の痛みを想うことが出来たら 地球の上から総ての争いが無くなるでしょう…>

 時あたかも国連安保理は初めて「核のない世界」を全会一致で決議し、鳩山首相は核保有国の責任者に広島長崎に来て核兵器の悲惨さを心に刻んで…と訴えた。大きな希望だが「拘束力はない」と評価をしない人たちもいる。
 だから地道に“想い”を伝える努力が大切になる。『想う力』はその一かけらだ。 
<上映問合せ:福本監督 090-9734-9389>

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2009年10月16日 (金)

旅館・石亭と粋

料亭旅館・石亭は山陽自動車道大野ICを出て、ちょっと東に戻ったところ、宮浜温泉の一角にある。

数Mもあろうかという大きな岩の門の脇に小さく石亭と書かれた看板がある。
玄関を入り、薄暗い廊下を通って部屋に案内される。
廊下は部屋の建物とは微妙に離れて造られている。
昼間は、廊下の屋根と部屋の建物の間から漏れる光が明かりとなっている。
各部屋は元々離れとしてつくられ、廊下は後からその離れを繋ぐ渡り廊下として作られたのだろう。
廊下は部屋を通り過ぎる毎に折れ、その角の床には明かりが置かれている。

建物も廊下も天井は低く、柱は細い。
部屋は小さく狭いが、どこかゆったりしている。

各部屋の出入口の格子戸の前には大きな鉢が置かれ、生花が活けられている。

庭に面したガラス戸を開けると、よく手入れされた庭の向こうに瀬戸内海、宮島が望める。
縁側を降り、庭に出る。
踏み石の間は芝生が植えられている。
芝生?
いわゆる日本庭園ならコケが生えているべきところだろうが、ここは芝生だ。
芝生の中はフカフカとして、気持ちがいい。
和風の庭に洋の芝生だ。
上手い使い方だ。

1_2

9月も下旬というのに、まだ夏の暑さが残っていた。
部屋の中はエアコンが効いていて、快的だ。
こうした数寄屋作りの建物ではエアコンの室外機とダクトを見えないようにするのに苦労する。
ここではどうしているのだろうかと探すがなかなか見つからない。
やっと見つけた。
建物は斜面地に建っているので、海側の床下がいく分高くなっている。
その高くなった床下に室外機を置き、それを植木で隠している。
憎い配慮だ。

殆ど1階分の高さが取れる床下には、ゆったりした椅子がおかれ、ちょっとした読書ができるようになっている。
或いは緑で覆われた空間になっていたりする。

大風呂には露天風呂もある。
風呂に入ってからの料理は格別だ。
美味い。
車で来たので、酒が飲めないのが残念だ。
土産に「石亭」ブランドのお酒を買って帰った。

各部屋にも露天風呂が作られている。
トイレの脇の狭いスペースに作られた階段を2階に上がると、ヒノキのゆったりとした露天風呂が作られている。
お風呂からは瀬戸内海が見られる。
各部屋についている部屋の露天風呂は、最初から作られたものではなく、3年前に作られたのだという。
上手く作ってある。
後から作られたというが、不自然さは全くない。

ここでは建物は時代と共に、変幻自在にその姿を変えていっている。

この石亭ができたのは昭和38年だというが、それ以来あちこち少しずつ手直しして来たという。

黒光りする柱は相当に古いが、痛んだところは新しい木に変えられている。
そのコントラストが又微妙な美しさを作り出している。

この施設の手入れは大変だろうが、それがまた日本建築のいいところだ。

日本の文化は侘びと寂だといわれるが、石亭はどこかシャレている。
豪華ではないが、侘び寂とも違う。
あちこちに心憎いほどの心配りがされている。
お金も結構かかっているはずだ。
これを「粋」というのだろう。

「粋な日本文化」がここ石亭にはあった。

広島市内には、かっては何軒もの古い木造建築の料亭があったが、バブルがはじけ、社用族がいなくなると、殆どが廃業してしまい、マンションやオフィスビルのRCの建物に代わってしまった。

お客が変われば、建築も変わるということだ。

ここ石亭から、新しい「粋な広島の文化」が生まれている。

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2009年10月15日 (木)

オルゴールのカフェ  星ビルオルゴール・ティーサロン

広島市の繁華街、本通りをちょっと北に入ったところのビルの5Fにオルゴールをテーマにしたカフェがある。
店内のあちこちに、古色蒼然とした大小様々のオルゴールがいくつも置かれている。

1

小さな宝石箱の蓋を開けると、音楽が鳴り出すというのがオルゴールだと思っていたが、ここには幅1M、高さ2M近くもある大きなオルゴールもある。
ゼンマイを巻くと、銀色をした大きな円盤が回り、音楽が鳴り出す。
音楽が聞こえなくなると、その都度お店の女性がハンドルを回していた。
オルゴールの装置が大きいせいか、音はどこか優しく、ゆったりとしている。
CDで聴く音楽とはまた違った味わいがある。

そんな音楽を聴きながら、コーヒーを飲み、ケーキを食べる。
素敵な時間だ。

ここでも客の殆どが女性だ。

このビルの2階では木製の玩具を売っている。
なかなか品のいい玩具だ。

店の女性たちは、5階のカフェと同じ黒の服を着ている。

聞けば、どちらのお店も瀬戸内海汽船の経営だという。
オルゴールのカフェ、木製のおもちゃの店。
どちらも広島の文化を作っている。

瀬戸内海汽船の品格を感じた。

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2009年10月14日 (水)

hookupはプロジェクターのこと?PCはウインドーズのパソコンのこと?

先日アメリカ人の友人からメールがあった。
彼とはもう随分長い間会っていない。
メール中に、こんな文章があった。

I will bring my laptop, but it is a Macintosh -- will there be a Powerpoint hookup for a Macintosh?
Or will I have to transfer my Powerpoint presentation to a PC from my Macintosh?

hookup?
なんのこと?

Powerpoint presentation to a PC from my Macintosh
MacからPCに移す?
何それ?

ネットに詳しい友人に聞くと、「アメリカではウインドーズのことをPCといい、MacはMacといっている。hookupはよくわからないから、最近アメリカ人の講演を企画したという人に聞いてみる」という。

『彼は「Macと繋がるプロジェクターがあるか」ということではないかと言っていました。
彼も似たような言い回しで、分からなかったのだけど、結局そういう意味だったということです。
Powerpoint=プロジェクターだったそうです。
プロジェクターは何にでも繋がりますが、Macの機種とプロジェクターの機種でケーブルが変わります。
ですから、その場合は用意するMac(もしくはお持ちになるMac)と使用するプロジェクターの機種を決め、
それでケーブルを用意する必要があります。
Windowsで使うような汎用的なケーブルもありますが、プロジェクターの性能に応じて、ケーブルを選んだ方が、より綺麗な映像を映すことができます。』
ということだった。

パソコン、インターネットは、世界中どこにいっても共通だと思っていたが、日本ではネットの世界も、いつの間にか日本独特の世界を作り出していたようだ。

世界は広い?狭い?

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2009年10月13日 (火)

イチローの9年連続200本安打

9月13日レンジャーズとの第2戦、第2打席でショートへの内野安打を打って、9年連続の200本安打を達成した。
108年目の記録だという。
凄い。
2004年には年間262本ものヒットを放ち、84年ぶりにメジャーの年間最多安打記録を更新した。

戦後、アメリカのチームが日本にきて試合をしたことがあったが、遊び半分でプレイするアメリカチームに日本は全く歯が立たなかった。

そんな日本からいった小さな日本人野球選手が、アメリカのMLBの歴史を変えるような選手になったのだ。

私だって、そりゃいい気分だ。

そのイチロー選手が、なかなか含蓄のある言葉を発言している。
9年連続200安打を達成した時
「打率に拘ると、打席に立ちたくなくなる。
ヒット数に拘ると、打席に立ちたくなる」
「だから、200本安打打つことを、アメリカに来てからずっと目標にしてきた」
というのだ。

年間200本打てば、当然打率だって自ずと3割を越えることになる。
結果として、首位打者も2度獲得している。

打率に拘るのでなく、ヒット数に拘るというのは、気持ちを前向きにしてくれるはずだ。
イチローはバットコントロールも天才的だが、気持ちのコントロールも天才的だといえそうだ。

ついこの間までは、サミー・ソーサ、ハリー・ボンズの本塁打記録で大騒ぎしていた。
そんなホームラン選手は、人間とは思えないような、筋骨隆々の筋肉マンで、それも皆大男だった。
打てば、ボールはピンポン玉のように軽々とフェンスを越えていった。
そんな体を作るのに、選手は筋肉増強剤を使っていたようだ。
筋肉増強剤は人間をやたら興奮状態にし、異常にストレスが蓄積し、胃に穴があいたり、心臓をいためたり、中にはそれが原因で死亡するケースもあるようだ。
当然使用は禁止されているが、それでもその魅力に抗しきれず、使用する選手は後を絶たない。
命と交代に筋肉増強剤を使っているのだ。

イチローは、全くその対極にいる。
体だってそう大きくはないし、ボンズなんかに比べれば、針金のような体だ。

ホームランだって打つが、なんといってもその真骨頂はバントをしたり、ショートゴロを打って、安打にしてしまうことだ。
200本のヒットの内、内野安打は28%だという。
4本に1本は内野安打ということだ。

守っては、ライトからホームへ矢のような返球で走者をアウトにする。
取れないと思えるようなボールを取ってしまう。

走る、打つ、守る
より戦略的な野球の面白さを改めて教えてくれた選手だ。

大きな高級車キャデラックやベンツに対して、ハイブリッド車やロータリーエンジンで対抗する日本車のような選手だともいえる。
イチローは、小さくとも高性能な日本の製品、そのものだ。

イチローは野球の、世界の価値観を変えたのだ。
その価値はもっと評価されていい。

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2009年10月12日 (月)

ビニール袋の有料化

広島県内でも10月からレジ袋の有料化が始まった。
買い物用のビニール袋は、いままで8億枚も使われていたが、それが8割減になるだろうと予測しているという。
海に流れていったビニール袋はいろいろ邪魔をすることもあり、有料化は漁業関係者からも歓迎されているという。
ビニール袋はそんなに簡単に風化しないしと、いつも川を流れていくビニール製品を見ると気になっていた。
有料化することで、ビニール袋が減れば、そりゃいいことだ。

でも・・・
我が家では、イズミやイオンで食料品を買ったときに使ったビニール袋はゴミ袋に使っているから、今度はそのゴミ袋を買わなければいけなくなる。
生ゴミを入れるのは、やはりビニール袋がよさそうだ。
そのゴミ袋をいれるゴミ箱は、そのゴミ袋のサイズ、形に合わせてあるから、新たに買うことになるゴミ袋はいままでイズミやイオンで入れてもらっていたビニール袋と同字大きさのビニール袋を買わなければいけなくなる。

ということでは、8割もビニール袋が減るとは思えないが、まあ確かにビニール袋の中の食料は食べるわけだから、ゴミ捨て用に使うビニール袋は3~5分の1位の枚数でいいとはいえそうだから、減ることは確かだろう。

それに、店側とすれば、有料化することで、費用ではなく、収入になるわけだから、これは一石二鳥だ。

ビニール袋の有料化は、他がやらないのに、自分のお店だけでやったんではお客が減少する恐れがあったということで、いままで実施に踏み切れなかったのだろう。

今回は、実施するにあたって、県とスーパー消費者団体が協定を結んで、一斉に実施することになったという。

行政の存在価値はこんなところにもあった。

レジ袋の有料化。
いいことだ。

ビニール袋の代わりにエコバッグと称する格好いいバッグも売られている。
普段は小さく畳んで手提げバッグの中に入れとけばいい。

さあ、私もエコバッグを買うことにしよう・・・・

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2009年10月11日 (日)

オオカミの尿でサル撃退

以前種子島にいったとき、サルが至る所に出没するのに驚いたことがある。
畑の作物を食い荒らすので、農家は困っていた。
脅かせば逃げるなんて可愛らしいサルなんていないようだ。
逆に牙を剥かれて、こっちが逃げ出す始末だ。
1部地域ではサルは天然記念物として保護の対象になっていることもあり、その対策にどこでも苦慮している。

そんなサルに対して、オオカミの尿をぶら下げて、追い払うことができたという記事が、先日の中国新聞に載っていた。
オオカミの尿はアメリカで製品化され、ウルフピーという名称で日本でも販売されているという。
可笑しい。

臭いで追い払えるなら、これはいい。
動物虐待なんて、言われずに済む。
まさに平和的解決法だ。

ゴルフ場はイノシシにコースを荒らされて困っている。
イノシシを追い払うために、あの広いゴルフ場を電線でぐるりと囲んだりしている。
イノシシもやっぱりオオカミは嫌いだというから、イノシシ対策にも使えそうだ。

ウルフピーについて、ネットで調べてみると、クマ、シカ、サル、野犬、ハクビシン、アライグマ等を近づけないようにするにも効果があるという。

若い女性に汗の染み付いた男のシャツの臭いを嗅がせたところ、すべての汗の臭いが嫌だというわけではなく、これはいい臭いだ選ぶということがあると、以前TVの番組で見たことがある。
女性は自分と遠い遺伝子の臭いはOKなのだという。
女性は本能的に種の保存に相応しい遺伝子の男を、臭いで識別しているのだという。

そういえば、若者には聞こえるが、大人には聞こえない音があるというのも聞いたことがある。
夜中に公園にたむろする不良少年を追い払うのに、かなり周波数の高い音を流したところ、若者がいなくなったという。
ある一定の周波数を越える音は、若者には聞こえるが、大人には聞こえないのだという。

日本には香木を焚き、香りを鑑賞するということを芸道にまで高めた香道なんていう遊びもある。
すでに1500年以上の歴史があるという。

こうしてみると近年の日本人は音や臭いに随分と鈍感なってしまっているようだ。
臭いや音を、もっと上手く生活の中に取り込む仕掛けを考える必要がありそうだ。

ゴミ箱を食べ散らかすカラスも困ったもんだが、臭いや音という技術を使って、カラスの撃退もできないものだろうか。
もっともこっちは、違法にゴミを捨てなければいいのだ。
コラッ、人間!
といったって、いつも一番始末に負えないのは人間だ。
困ったもんだ。

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2009年10月10日 (土)

草の根平和活動の拠点”ピカ“開店

 8月4日に仮オープンしていた鷹野橋の”ピカ”がシルバーウイーク最終日の23日オープンにこぎ着けた。草の根平和活動をする市民が多目的に使えるスペース「ピースカルチャー」(略称:ピカ)の名附け親はイラストレーターの黒田征太郎さんで、活用が期待される。
 平和市長会議が提唱している2020年までに核兵器廃絶の道筋を示す「議定書キャンペーン」を市民の立場から協力するため「議定書絵本」の制作普及に取り組んでいる市民グループに共感し広島での創作拠点を探していた黒田さんが偶然目を付けてNPO法人ANT‐Hiroshimaの代表渡部朋子さんらが家主から格安で借り、仲間の協力で模様替えをした。
 ここは鷹野橋商店街の入り口に近い映画館サロンシネマがあるビルの2階で、カラオケ店だったフロアー230㎡で、黒田さんが広島で制作に取り組む際のアトリエにもなる。映画の上映やコンサートに討論座談会など多目的に使えるスペースになる。 椅子を入れれば50~100人の収容は可能でアートの作品展示場にも低料金で使える。

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 23日は午後4時から始まって徐々に集まった50人余りは黒田さんがこの夏に手を結んだ「はだしのゲン」の中沢啓治さん作品を活かしたイラストで独自のポスターを仕上げるのを見守った。
 オードブルにおでんなどを摘まみながら歌や演奏に耳を傾け、ビール片手にあちこちに話の輪が出来にぎわった。会場では8・6に「核兵器は無くなると思いますか?」「核兵器は使われると思いますか?」を100人の市民に聞いたドキュメンタリー「想う力」も上映された。核廃絶に対する熱い思いが込められたヒロシマ市民のメッセージで、12月に広島で初めて開かれる「ダマー映画祭」に出品され、反響が期待される作品だ。
 鳩山首相はNYで華々しく交際舞台に立って日米、日中、日韓などと首脳外交を展開しオバマ米国大統領は改めて「核兵器のない世界」を提唱した…来年のNPT再検討会議に「2020議定書」が正式な議題に取り上げられるためには、まだ多くの道筋を踏む必要があるが、参加達はそれぞれの思いを熱く語った。草の根のホームベースのような存在になることを期待したい。
 ここの利用料などはまだ決まっていないが、草の根平グループや個人が利用しやすい運営を心掛けて準備中だ。
<ピカの利用相談申し込み・運営管理者:山根美貴子さん:090-9500-6544

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2009年10月 9日 (金)

秋の気配

 10日を過ぎて最低気温が20度を切り15~6度になって急に秋らしさを感じるようになるのは、例年通りだ。夏布団から秋の布団に変えた。
 しかし、昼間に秋らしさを感じるのは風の爽やかさくらいで30度近い日差しは暑く、少し長く日差しに当たっているとやけに赤く日焼けするのは秋の紫外線の強さだ。

 日暮れとともに木々の間から鈴虫のような鳴き声が響き、秋を感じさせる。
ここ一週間は隣の高校では朝から行進曲やマスゲーム?の曲か音楽が響いている。午後になると生徒達がそれぞれ工夫した応援合戦の練習等も構内のあちこちで行う様子が見えた。
 我が家の孫達の運動会は幼稚園、小中学とも5月の内に終わってしまったが高等学校の運動会は秋で、シルバーウイーク初日の今日が本番のようだ。朝から太鼓に号砲、マーチや応援歌と歓声が交互に響き渡って賑やかだ。 

 秋の気配と言えば何と言っても金木犀だろう。平和大通りや平和公園にも沢山あって馥郁とした香りを放って秋を告げる。夏の暑さのせいか平和大通りの金木犀は昨年、一昨年ともに花がほとんど付かなかった。今年はまだ時期が少し早いので期待して待っている…。

 ここ数日、平和公園の散歩に行き来する途中で秋の匂いに気付いた。とてもいい匂いとは言えないが紛れもなく秋の気配を感じられる匂いだ。平和大橋の東詰めの銀杏の下に沢山の銀杏の実が潰れて、独特の匂いを放っている。
 足を止めて見あげてみると、まだ青々としたたわわな葉の間から、黄色く色づいた銀杏の実が見える。木によって多少の違いがあるが平均して色づいて熟し、少しの風でパラパラと落ちている。例年、銀杏の実が落ちるのはもう少し遅いように思う。

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 銀杏のなる銀杏は平和大通りの三井ホテル前や国泰寺高校のグランドにもあって、時期になるとよく知る人達は毎日のように銀杏拾いに現れるが、今年はまだ見かけない。銀杏の葉が黄色く色づく頃まで銀杏拾いはこれから始まる。秋の匂いとして親しめないが、身近なところで最初に感じた秋の気配だ。
秋の匂いの代表格は金木犀だが、秋の香りと言えば松茸だ。嘗ての松茸王国広島も最盛期(昭和30年代当初)の何十分の一以下。今年の初ものを中国産で味わった。いい香りがしていたが松茸ご飯にしたら地物以上の香りはエセンスだったか?興ざめだった。
 梨にブドウがうまい。酒もうまい。味も匂いも香りも人のそれぞれの感性で季節感は変わる。これから来る秋の味に香り…感性を研ぎ澄まして向き合い、秋の気配を楽しみたい。

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2009年10月 8日 (木)

“まずは安心”6ケ月振りのCTチェック

 9月16日に半年振りに、広大病院でCTによるチェックを受けた。
 昨年春前に肺への転移を告げられた。胃の全摘出手術から2年が経過した時期だった。
 数カ月の経過観察の結果「転移」と診断された。抗がん剤の服用を勧められ、当初は断るつもりでいたが、これまではスチールだったCTが三次元化されて立体的な映像で見せられてついYESの返事をしてしまった。

 8月頭から始まった抗がん剤治療は注射の後2週間朝晩の飲み薬の服用が1クールだった。4クールに入った10月になると味や匂い等味覚が失われ、思考力もすっかり低下してブログの原稿が全く書けなくなってしまった。「いつまで抗がん剤を服用するのか」という疑問に医師はいとも当然と言う感覚で「生きている間、薬と縁は切れません」との返事だった。

 なんとも非人間的な毎日を送る破目になったことを嘆いたが、このままでは正しく病人で過ごすことになると言う実感を強めたので“抗がん剤服用中止”を決断した。10月10日だった。医師に告げると「最初から抗がん剤を受け入れない…と思っていた」という。

 一週間もすると味覚も嗅覚も思考力も徐々に復活して、11月には散歩も再開した。
 以後、3ケ月ごとにCTチェックをしてきたが、治療は全く行わない訳だから、あまり度々造影剤を入れてのCTは避けた方が良いとの判断から、3月のチェック以降は半年ごとのチェックになった。あれから11ケ月、今回のCT所見は以下の通りだ。

 一つは24ミリ、あと一つは11ミリと3~4ミリの拡大がみられた。総肝動脈、左鼡径部に10ミリ大の結節が認められる。が、有意かどうか判らない…。

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 医師はいつ何が起こっても不思議はないと言うが、進行はゆっくりで目立った変化はなく、他への転移も認められない…従って、このままの推移を見守って来年2月末のCTチェックをすることになった。半年ごとに3~5ミリ大きくなると考えても仕方な無い…。

 夏場の散歩の回避で足が弱っている為、自転車で少し急な坂になった場所は降りて押す機会が増えたが、呼吸や脈の乱れやめまいなどは無い。しかし、3年前や昨年に比べると体力低下は着実に進んでいると実感する。一般的な加齢現象かもしれないが、なんとなく病気のせいにしてしまうところが病人なのかも知れないが、何はともあれ、ひとまずは安心?出来る状態を報告しておきたい。大きな夢や希望を抱く年齢ではないが来春のチェックまで緩やかな一日一日を大切に生きられるよう期待したいものです。 

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2009年10月 7日 (水)

中沢啓治の証言記録映像の制作

 非営利活動法人ANT-Hiroshimaの活動のうち、映像制作はまだ新しく放送局や映像制作会社では考えられない、全く利益を追求しないで貴重な記録を残す…役割を果たそうと言う強い思いが支えになっている。

 「はだしのゲン」の作者・中沢啓治さんは一年の内半分を故郷の広島で過ごす生活をはじめて、今年で12年目になる。市内の中心部でマンション暮らしをしている。
 
 昭和36年('61年)22歳で漫画家を志して上京した。小学校3年生の時、手塚治の「新宝島」に出会い、鉄くずや廃品を売って貯めて買った手塚の作品を模写して漫画家を目指した。作家デビューは意外に早く、二年後の夏に少年画報で「スパーク1」を連載した。 
 
 27歳で結婚し、順調に漫画家の道を歩んできたが、同じ年の秋母が亡くなり帰郷した。
火葬された母の骨が無く“放射能にやられた骨は脆く粉々になって、原爆は母の骨まで奪ってしまった”と怒りに震えた。原爆・広島と言えば「放射能がうつる」などと言う東京で、広島出身とか被爆者を隠していた。しかし、母の死は一気に戦争と原爆への怒りを「黒い雨にうたれて」に書かせた。激しいセリフの政治批判と原爆と言う重いテーマの為、商業誌での掲載は難しく、各社に持ち込んだが2年後にやっとアダルト系の「漫画パンチ」に掲載された。初めて原爆マンガの存在が認められ、黒のシリーズと言われる原爆ものを次々に発表した。

 原爆ものを書くと精根尽きて次は娯楽ものと交互に取り組み、昭和48年に当時発行部数170万部と言われた「週刊少年ジャンプ」に、「はだしのゲン」の連載が始まる。戦争はどうして起こるのか。誰が戦争を仕掛けるのか。日本が暗い恐怖の政治に突っ込んでいく歴史を踏まえて自身の自伝的漫画に挑戦した。

 この日のインタビューでは渡辺代表と久しぶりに「ゲン」を読み直したと言う事務所を手伝う渡辺さんの娘さんも加わった。二日目には新聞の取材も絡んで、中沢さんの今の気持ちを深く聞き出す機会になった。  
 何で「ゲン」はこんなに強く生きられたのか?こんなに読み続ける子供に何を伝えたいか?「ゲン」は今一番したい事は何だろうか?…とたたみこんだ。

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 中沢さんは「ゲン」は自分であり、踏まれても踏まれても地に根を張って真っ直ぐ強く伸びる麦のように生きる人間に育つという父の思いを受け継いだ…。
奇跡的に生き伸びた私に、母が死をもって『この惨状を世界に伝えるよう…』促された宿命を感じる…と言う。
 戦争がもとで核が使われる恐れが強いだけに、どんなことがあっても戦争をしない、させないように、日本はの法9条を守り抜く…ことの大切さを伝えたい。
 父の教えた天皇制について、今も「戦争の開戦、終結も出来た天皇が、天皇の扱いや位置がはっきりしない為、ポツダム宣言の受託を遅らせ、原爆投下を招いた」天皇の戦争責任は放置されてきたが、今からでも遅くない…明確にしておく意味がある…と考えている。

 続く質問の中で「ゲンは東京に出、更にフランスで画家を目指す…」第二部の構想は何故実現していないのかと言う疑問を投げかけた。
 これに対して、中沢さんは意外な答えを示した。「ゲンがどんな大人になっているのか…余韻を持って皆さんの頭の中で想像して欲しい…」その方が、一部で描いたゲンを読者がそれぞれに核兵器の廃絶に結びつけて考えてもらえる…と気がついた。
実はその裏には持病の糖尿病の悪化と白内障で苦しんでいた。この春 手術をして改善されたが「小さい線が引きにくい」等の不安が付きまとい、「ゲン二部」の執筆を断念した。

 中沢さんはこの夏「2020議定書の絵本」に取り組む黒田征太郎さんとの交流をはじめ
た。「ゲン」は一部10巻で終わるが、黒田さんが「ゲン」を活かしたコラボレーションに意欲的で、中沢さんは黒田さんの企画に全面的に協力を約束した。新しい「ゲン」の活躍の場が出来ることが期待される。

 「はだしのゲン」にピリオドを打った中沢さんは一年の内半年を過ごす広島で、証言活動や趣味の油絵を通じて『ヒロシマ応援団』を積極的に果たす覚悟を披瀝した。

 中沢さんがこれまで取り組んだ作品の原画やアニメ・劇映画など、沢山の作品資料を今後、広島で活かす方策の検討も考えている。
 新たな中沢啓治の古里回帰の旅立が始まった。 
 広島のNGOや草の根活動グループなどに新しい息を吹き込むために最大限に生かされる方策を期待したい。

 「ゲン」が生まれた真相と背景を巡る中沢啓治の迫真の証言DVDは年末には完成する。

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2009年10月 6日 (火)

記録映像を自主製作するNPO法人①

 特定非営利活動法人ANT-Hiroshimaの代表・渡部朋子さんは実に幅広い活動をしている広島応援団長だ。ANTはアジアをはじめ世界各国に「ヒロシマ」の経験を活かし「友愛」と「信頼」をベースに世界平和に寄与する…ことを目的に、ご主人の弁護士事務所の事務局長を兼務して事務所の隣を拠点に若いボランティアを育成しながら活動をしている。
 
 街づくりや国際交流、平和構築の市民活動など多岐にわたっている。その中の一つに映像制作や上映支援がある。昨年、アカデミー賞のドキュメンタリー部門のグランプリを受賞した、スチィーブン・オカザキ監督の「ヒロシマ・ナガサキ」の制作や上映にも取り組んでいる。また、被爆者の証言ビデオ制作にも力を入れている。
 
 放送局や制作会社をはじめ原爆資料館等公的機関には多くの被爆者証言映像やビデオがあり、公開もされているが、これを自分で使ったり作品に取り込んだりする事は出来ない。従って、ANTが独自に取材・製作した作品を公開すると共に、VTR映像音声は希望者に気楽に使ってもらえるようにしたい…という思いから取り組んでいる。これまで沼田鈴子さんら4人の証言ドキュメンタリーを制作し各200セットをDVD化して学校や図書館などのライブラリーに寄贈している。NPO法人は多いがここまで徹底した取り組みをしている組織は少ない。それだけに渡辺さんやスタッフは忙しく走り回っている。

 この夏、渡辺さん達が取り組んでいる「2020議定書の絵本化」を通じて黒田征太郎さんと「はだしのゲン」の作者・漫画家の中沢啓治さんがコラボレーションしたのを機会に中沢さんの証言映像制作に乗り出した。

 カメラは土本典昭監督と長年コンビで水俣や三里塚等を追ったドキュメンタリィー作品が多い撮影監督の大津幸四郎(75)さんで、13年前にテレ朝が制作した中沢さんが米国の核実験場やロシアのチェルノブイリを巡る番組制作でご一緒だった…旧知の仲だった。

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 インタビューと撮影は2日間で順調に進んだ。
 中沢さんの被爆証言と彼にゲンを書かせ、今も持ち続ける“ストップ・戦争””核兵器廃絶“に向けた気持ちを若いスタッフが引き出した…。<続く>

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2009年10月 5日 (月)

総裁選から見た自民党改革の行方?

 大敗で野に下って一ケ月、自民党の新しい総裁に「全員野球」の谷垣禎一氏が選ばれた。
今回の自民党総裁選挙は元首相や重鎮を排除して党改革を進めるかどうか…が最大の争点だった?党内結束を優先した改革を目指す谷垣氏の「みんなでやろぜ」路線を挙党一致で再建を目指す選択をした。しかし、新しい自民党は全く見えてこない…。
 
 自民党は1995年の結党以来、政権をほぼ独占して来た。公共事業の発注を巡る利権構造をつくり、各県に平均2つ以上ある空港に重要港湾、高速道路に新幹線やダムなど分野ごとの族議員が官僚とタイアップして旨味を分配する構造を築きあげた。
 自治体予算の獲得陳情にも活かす一方、この仕組みとしがらみを選挙に於ける集票マシンとして県や市町村にも張り巡らして後援会組織にも組み込んで活かしてきた。
 
 今回の総裁選挙で身を削るような党内議論があったようには見受けられず、総選挙の敗因総括すら示されず、まして再生の道も提示されず、誰の目にも復活は当分厳しい…。
 政権を失った原因がどこにあり、何であるか…を適格に掴んで国民の前に明らかにし、その反省に立ってこそ政権復活への第一歩が開けると言えよう。 
 鳩山政権は“脱官僚依存”を掲げてスタートした。政権政党で無くなった自民党は、従前のように官僚を使う事は困難になった。従って、民主党の粗探しに走ったりするような事になれば、一層国民の関心は遠のくことになる…との自覚が求められよう。

 国民に大きな赤字を背負わせた責任を厳しく反省し新しい明確な国のビジョンを示す必要がある。財政対策や経済対策に安全保障など民主党との対立軸をどう打ち出すのが課題になる。派閥長老たちが幅を利かせるような事が見えれば、国民の支持は取り戻せない。29日に決まった三役以下の人事は清新さを欠き、党内にもがっかりの声…と報道された。

 来年の参議院選挙は自民党が回復出来るかどうかの試金石になるが、それまでに「自民党の変革・改革案」が示されるだろうか。県知事や政令市の首長選挙も見逃せないはずだ。

 自民党が国も地方も官僚の力から離れて独自の政策立案能力を磨き高め、4年や5年で政権奪還にこぎ着けるには…厳しいのではなかろうか。
 今回の投票率(前回より16%低い46%と過去最低)に自民党の現状が端的に現れている。利権の旨味を分け合えなくなった事、それを支えていた腐敗の構造がいま新政権の手で崩壊しつつある現状を認識し、ゼロからの出直しが本当に出来るかどうか…。
 自民党が民主党の対立軸を探しあぐねている事にも端的に現れているように思える。
 大胆な総懺悔に立った新しい野党自民党の施策の提示が急がれる…。

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2009年10月 4日 (日)

県知事選に於ける与党民主党の責任

 任期満了に伴う広島県知事選挙を控えて10月22日の告示(11月8日の投開票)を前に政権党になった民主党県連が候補者探しに躍起になっている。
 県議会の勢力関係を優先させて民主党の知事候補者を見送るような事態をつくったならば、1年半先の県議選で早々と民主党の多数派を放棄するのと同じ意味を持たせることになりかねない…重大な岐路にある。

 今の藤田県政は16年前の’93年、当時の桧山俊宏県会議長を中心に擁立したが海砂採取問題や空港周辺の開発を巡って知事と議長間に対立が生じ、がんセンター構想など大型事業計画の見送りで両者間の距離が広がった。
 藤田県政4期目のはじめに、知事の後援会の政治資金不正事件が表面化し、最初の知事選から応援した県会議員達に対策費名目の金が渡されていた疑惑が発覚した。議会は2度にわたって知事の辞職勧告を議決したが不信任決議案は否決され、知事は4期目の任期が終わる11月で引退を表明して来た。
 一方、この間議会は6年前に12年に渡った桧山元議長体制を自民党系の自民刷新会議と民主県政会が手を組んで崩し、自民刷新会議の林元議長をつくって「大連立」が藤田知事の支えになり連合広島も知事選で推薦して支持して来た経緯がある。

 今回の政権交代で民主党は地方自治体選挙で知事や政令市の市長選挙では今後独自候補の擁立を原則とし、野党自民党との相乗りをしない方針を確認した。特に今年になっての県知事や政令市の市長選挙は連戦連勝が衆議員選挙に勢いをつける流れになった。従って、新生・民主党としては当然の方針であるが、広島県議会の力関係は6年に及ぶ「大連合」実績がいま逆に足かせとして重石になっている…のではないか、疑問が残る。

 自民党政権は長年にわたって公共事業を巡る旨味と利権のしがらみで土建業をはじめとする集票構造で支えてきたが平成の大合併でその構造はすっかり壊れ、自民党と国と地方自治体の関係は今回の総選挙を通じて自滅状態で壊れてしまった…と言え、民主党にとっては今まさに利権や柵に縛られない地方分権を確立するとない好機!との認識が重要だ。

 民主党にとってマニフェストを実現する為には最低4年間は政権党として存続し更に政権を伸ばす為には知事や政令市の市長に止まらず自治体議員を増やして与党体制の強化を急ぐ必要に迫られている。新政権樹立後間もない広島県知事選挙は、民主党の今後を占う試金石にもなる。自民党との「大連立」を解消しても独自の候補者を立てれば、県民の支持は十分得られるチャンスはある。当面、知事与党は少数派でも1年半先の県議選で多数派の確保を信じての決断が迫られる…。<9月27日>

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2009年10月 3日 (土)

核なき世界へ日本は本気か?ICNND広島会合への不安!

 豪州の提案で共同議長を務める日本が一年がかりで牽引してきた「核拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)」の最終会議の広島開催を10月中旬に控えて、支援する広島市や国際市民シンポジュウムの実行委員会が広島会合の準備に追われている。
 核兵器廃絶の道を探る国際的な方向付けが期待されながら、ここにきて日本政府の「核の傘」問題が核軍縮を求める日本政府の立場と相容れない…として反発が強く、支援のヒロシマの不安を大きくしているようだ。

 核拡散・不拡散に関する国際委員会(ICNND)は’08年にラッド豪首相が来日した時に提案し、福田首相とラッド首相が日豪共同合意で立ち上げ、共同議長として川口順子元外相とエバンズ元豪外相が任命された。委員には米国のシュルツやペリーの元国務長官ら15人の委員で構成され、核軍縮・核不拡散、原子力の平和利用について2010年の国連総会のNPT再検討の前に具体的な勧告書・報告書を提示する。それまでに第一回を昨年10月シドニーで、2回目を今年2月にワシントンで3回目を6月にモスクワで開き、最終回が10月17日から20日まで広島で開かれる。

 これを支えるため広島市や日本NGO・市民連合は実行委員会をつくって開催の受け入れ準備に取り組んでおり、広島市の秋葉市長はモスクワでの3回会合に出かけて”平和市長会議”が目指している2020年までの核廃絶の手順を示す「2020議定書キャンペーン」との支援と連帯を訴えた。

 広島での会合を踏まえて年内にも報告書が纏められる方針で、核兵器廃絶の道筋を三段階で示す方向で議論され、核保有国の先制不使用制限をどう盛り込むかが焦点と見られるが、この会議は非公開で行われている為、共同代表が会見で示す経過しか定かでない…。

 その為か、ここにきて折角の国際委員会の開催に不安を寄せる人たちがいることは、残念ながらあまり知られていないように思う。これを支える為に立ち上げたNGO・組織ICNND市民連絡会実行委員会(日本被団協、日本反核法律家協会、核兵器廃絶ナガサキ市民会議、核兵器廃絶をめざすヒロシマの会)は10月17日(土)17時30分~、原爆ドーム前広場で1000本のキャンドルで「NUCLEAR FREE」を描き出す“キャンドル・メッセージ”をはじめ18日(日)14時~世界平和記念聖堂で「核兵器のない世界へ~今こそ飛躍を」の開催や、旧市民球場で委員を迎えてラウンドテーブルを開くなどの準備に取り組んでいる。

 しかし、政権交代が迫ったこの時期になっても日本政府と言うか外務省はエバンズ共同議長が明らかにした「核兵器以外の、生物・化学兵器による攻撃に対しても核兵器で守ってほしいと米国に望む政策を取りながら、核廃絶を唱えるのは根本的に矛盾している…」と指摘した問題に、どのような対応するかが判らないからだ。
 
 核の傘は核に対するものだけにする…これでなければ核廃絶への道は進みようがない。
 核兵器が無くなるまでの間は、核の唯一の役割は、他国による核攻撃を抑止事だけに限る…と核兵器保有国が宣言することが核廃絶への第一歩と考える。
 つまり、日豪の同盟国である米国が、核を先には使わないし、核態勢を構築し直すべきだ…との意見だ。日本が何故、米国に「核先制不使用宣言」を言えないのか…?

 広島で一生懸命バックアップして来たNGOの人達は、シンポジュームやミーティングの協力を求めながら費用も出さずNGOに負担を求め、会合の場所や時間を一方的に指定する外務省の横暴に大きな不満を抱いている。
 こうした外務省の対応はとても唯一の被爆国の姿勢とは言えず、“被爆国が核軍縮の流れにブレーキをかけている”…と言う成り行きに不安と不信感を募らせている。

 核軍縮に前向きな新政府・民主党が自民党政権時代に示した“核廃絶を巡る”方向をこのままの状態で対応を放棄した形になるとは考えにくい。
 16日に発足の鳩山新内閣と岡田新外相の「核密約解明」方針に新たな期待は大きい。
 9月末に開かれる日米首脳会談で米国に「核の先制不使用を促す」など新しい対応を期待し、ICNNDの広島会合が成功裡終わるように期待し、市民として広島市やNGOの支援に協力をしたいものだ。<9月13日:記>

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2009年10月 2日 (金)

広島トップスとシルバーウイーク

広島には3大プロといわれるサッカーのサンフレッチェ、野球のカープ、音楽の広島交響楽団がある。
広響がカープ応援歌をベースにした交響曲を演奏したりと、3者が共同で活動することで、フアンを増やそうという試みを進めている。
いいことだ。
音楽とスポーツのコラボレーションなんて、他ではなかなかできないことだ。

広島にはもっといくつもの全国レベルのスポーツチームがある。
男子バレーボールのJTサンダース、男子ハンドボールのワクナガレオリック、女子の広島メイプルレッズ、女子ホッケーのコカコーラウエストレッズスパーク、さらにNTT西日本のソフトテニス、中国電力の陸上部。

そうした全国レベルにある各種のスポーツのチームが一緒になって、広島のスポーツをもっと盛んにしようということで、「広島トップス」を組織し、活動をしている。
任意団体としてもう10年近く前、2000年にスタートしたが、行政の支援をうけやすく、さらに市民の理解や応援をしやすくするためにと2004年にはNPOとしたという。

2009年には広島カープも加わったという。


今年は9月19日の土曜日から始まって23日まで5連休だった。
木金を挟んではいるが、その2日間を加えれば、9連休?ともいえる。
この週は、5月のゴールデンウイークに対してシルバーウイークだという。

この連休期間中に、広島トップスが主催して、10種類のゲームを主催するようにしたらどうだろうか。
例えばサンフレッチェは広域公園で浦和レッズと、カープは新球場で読売ジャイアンツと、JTサンダースはグリーンアリーナでパナソニックパンサーズと、というように街のあちこちの会場で一斉に試合をしたらどうだろうか。

今日はサッカー、明日はバレー、その次の日はソフトテニスと毎日違ったスポーツの試合が見られるようになったら、楽しいではないか。


オリンピックだって集まってやるから、あれだけの人気がでる。
マイナーなスポーツにとっては、オリンピックではメジャーなスポーツと同じ金メダルになれる。

ハンドボール、グランドホッケーの試合や、ソフトテニスの試合を私も見たことがない。
9月のシルバーウイークは広島トップスのチームが街のあちこちで試合をしていますよと、一斉にPRしたら、それならいこうかという気になるかも知れない。

それぞれのスポーツの楽しさ、面白さを知るには最高の機会となるだろうし、フアンを増やすことにもなる。

世界中でもと言っていいと思うが、一つの都市にこれだけ沢山のプロのスポーツチームが集積している都市はない。

こんなことは、広島にしかできないことだ。
広島トップスのチームが集まってやるイベントの仕組みを考えたらどうだろうか。

 元安川

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2009年10月 1日 (木)

ボーレザンサロンドカフェのシャンソンの夕べ

まだ夏の暑さが残る9月の中旬、ボーレザンサロンドカフェでシャンソンのコンサートが開かれた
太田川の堰堤の木の葉の向こうに陽が沈んでいく夕暮れ時。
堰堤の緑を背景に、カフェ1階のテラスでギターとバイオリンのウエルカムミュージックで始まった。
シャンペン、ワインを飲み、隣に座った人とおしゃべりをしながら聴く。
いい気分だ。
外を通る人々も、不思議そうに、振り返って見て行く。
音楽が街と一体になっている。

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皆んな初めて会う人だから、お互いに名刺の交換をする。
イラストレーター、テーブルコーディネーター、創作舞踊、食器の輸入代理店のオーナー、漆作家、呉のお茶屋さん等、殆どが女性だ。
初めて知る世界の話はまた新鮮で楽しい。

1時間程して2階に上がり、貝山幸子さんのシャンソンを聴く。
お客と歌い手とがお喋りしながら進む。
なるほどシャンソンなのだろうと感心して聴く。
歌手と数Mしか離れていないから、フランス語のシャンソンにも妙に親しみを感じる。
昔懐かしい歌を聴くとホッとする。

青葉城恋歌のフランス語訳の歌がまたよかった。
古くからあるシャンソンの歌のように聞こえる。
おかしい。

いつも、こうした文化的イベントの参加者は大体が女性だ。
まあ世の中、男は女性のあとから付いていくのが普通だから、いずれ男も増えてくるだろう。

このカフェのオーナーはこの通りに、こうした雰囲気のお店が並ぶようにしたいという。
そうなったら素晴らしい。
広島の文化は、こうした熱い思いの女性に支えられているのを感じる。

この通りの名称は「8・6通り」というのだろうか。
8・6通りは日本のカルチェラタンとして、そのうち有名になるかもしれない。

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