マルチ・ハビテーションと空き家
オーストリアのスキーの英雄トニー・ザイラーが先日亡くなった。
73歳だった。
トニー・ザイラーは1956年コルティナダンペッツオの冬季オリンピックでスキーの3冠王になった。
その大会では、日本の猪谷千春が回転で銀メダルをとった。
その時のトニー・ザイラーは全く異次元のレベルの強さだった。
全く性格の異なる滑降、大回転、回転の3種目すべてを制覇したのだ。
今でいうイケメンだったこともあり、「黒い稲妻」等幾つもの映画に主演し、絶大な人気を誇った。
真白いアルプスの山を、スキーで凄い勢いで滑りおりるトニー・ザイラーは素晴らしく格好良かった。
あんな格好いい世界があるんだということを知り、それがその後の日本のスキーブームに繋がっていった。
その彼が、ドイツ・フランクフルト市に別荘を持っていたという。
スキー場にある住いが本拠地で、都会の家は別荘だというわけだ。
1980年代になって、日本では猫も杓子も別荘、リゾートマンションを欲しがった。
土地の価格はどんどん値上がりし、もっともっと豊かになるのだと皆無条件で信じていた。
海や山のリゾート地に別荘を持つことは、最高に格好いいことだと、誰しもが思っていた。
リゾート法も作られ、スキー場、ゴルフ場がどんどん作られ、その周辺に別荘、リゾートマンションがどんどん作られていった。
しかしそんな景気は長続きしなかった。
バブル景気の崩壊とともに、土地が無限に値上がりするなんてことは、元々ありえない話だということを否応なく思い知らされた。
あれは単なる土地神話だったということがわかると、別荘、リゾートマンションの魅力は蜃気楼のように消えてしまった。
別荘、マンションは誰も買い手がつかなくなり、あっという間に廃墟と化していった。
しかし廃墟と化したのは別荘、リゾートマンションだけではない。
東京一極集中化だけでなく、それからしばらくすると、今度は少子高齢化、そしてトータルとしての日本の人口が減り始めた。
そんなことが起こるなんて、誰も予想していなかったことだ。
中山間地域の集落は老人ばかりになり、もう人口が増える可能性はないと、限界集落と呼ばれる集落が日本のあちこちに見られるようになった。
それは同時に、中山間地で空き家が増えるということを意味した。
最近ではそうした空き家と利用者を結びつけようということで、空き家バンクが設立されるようになった。
廿日市市では、移り住んでくれれば補助金をだしましょうという制度まで作ったりしている。
鳥取県では、農家を解放して、農業を体験してもらい、中山間地域に住むことの良さをまずは理解をしてもらおうという取り組みを始めている。
どれも空き家を契機として、定住化を進め、人口を増やそうという試みだ。
しかし空き家は何も中山間地域に限ったことではない。
都心でも空き家化は進んでいる。
戦後焼け野原になってしまった日本では自分の家を持つのは人々の夢だった。
国としてもそうした状況に対処するため、昭和30年日本住宅公団を設立し、住宅及び宅地の供給を積極的に進めてきた。
昭和30年にその最初の計画である常盤台団地が発表され、昭和39年に入居が始まった。
団地に住むことは一般庶民の夢だった。
しかし建設後30年経過したころから建物の老朽化が問題になり始め、それに続いて居住者の老齢化が問題となり、今では孤独死をどう防ぐかが深刻な問題となっている。
それは同時に相当の数の空き家が発生しているということでもある。
そしてそれは公団住宅のつくった住宅に限ったことではなく、都会でも空き家が急激に増えていることを意味している。
昭和40年代にアストラムライン沿線につくられた団地でも急速に空き家が増えている。
東京にでていった子どもたちは2度と広島には帰って来ない。
そうした家の所有者は年をとって亡くなることもあるし、あんな急斜面の住宅地には住めないからと、都心のマンションに移り住むケースもある。
一応名義は残してあるから、形式上は住んでいることになっているが、実は誰も住んでいないという家は多い。
総務省の調査では、「2003年時点で全国の総住宅数(5387万戸)は総世帯数(4722万世帯)を14%も上回っており、空き家率は12・2%と毎年上昇の傾向にある。
その軒数は800万戸を超える」とある。
現実は、この数字よりはるかに多いだろうから1,000万戸は越えているだろうと思う。
5戸に1戸は空き家というわけだ。
その按分でいくと、広島市の人口は116万人だから、総住宅数は約54万戸、空き家は約10万戸以上あることになる。
そういえば、友人の両親が住む中区の古いマンションでも7戸の内1戸が実質空き家になっている。
10万戸×2,000万円→2兆円の資産が、広島市内だけでも、使われずにあるということだ。
額がでかすぎて、ちょっとピンとこないが、凄い金額であることはわかる。
家は人が済まなくなれば、あっという間に腐ったり、錆びたりして廃墟になってしまう。
さあ使おうと思ったって、そう簡単にはいかない。
必要がなくなったのであれば、壊した方がいいという意見もあろう。
家は持っているだけでもお金がかかる。
地球の環境を考えたら好ましいことではないということで、どんどん壊すのも手だが、しかし大変な苦労をして折角作ったのだ。
作る際に使った資材、費用は膨大だ。
それに比べれば維持管理の負担ははるかに小さい。
沢山の思い出だって詰まっている。
壊してしまうのはなんとも勿体ない。
今住んでいる家とは別に、もう1軒、そうした空き家にも住むことはいいことだ、それもそんなにお金はかからないという工夫はできないものだろうか。
なにしろ広島だけで10万戸も空き家があるのだ。
各地で進めているような、古い農家に住んで、農業をしてもらおう、定住してもらおうなんてことに拘っている必要は必ずしもないというわけにはいかないだろうか。
1年のうちしばらくの間、森と畑に囲まれて生活をすれば、体も健康になるだろうし、気分も豊かになるだろう。
海の家だっていい。
そして都心の家では、本通りを歩き、広響のコンサートを聴きに出かける。
というような生活が誰でもできるようになったら素晴らしいことではないか。
1軒の家にこだわることから、解放されたら、かなり考え方だって違ってくるだろうと思う。
私の友人のIT関係者の生活の仕方を見ていると、経済的にも、時間的にもそんな生活が十分可能なような人は何人もいる。
IT関係者に限らず、誰でもできるようにできないもんだろうか。
空き家であるか否かはちょっと見ただけではわからない。
見えないところで起こっている現象であるため、殆どの人は事の深刻さにあまり気付いていないようだ。
お金持ちがそのステイタスシンボルとして別荘をもつということではなく、
数か所に住む=マルチ・ハビテーションを進めることは、日本にとってはもう贅沢ではなくなったと見做すことが必要なようだ。
自転車だって、ママチャリ、マウンテンバイク、電動自転車と色々ある。
家族の人数以上自転車を持っている人は多い。
自動車だって、1家族で数台所有していることも、いまでは別に贅沢なことではなくなった。
家だって、1家族で数軒持っていたっておかしくない時代になったというわけだ。
なにしろ広島市内だけでも10万戸からの空き家があるのだ。
それだけ膨大な量の空き家があることが、いままであまり表面化してこなかった理由を、この際改めて考えてみる必要がありそうだ。
「折角作ったのだから壊すのは勿体ない。
壊せば思い出も一緒に消えてしまう。
持っていれば維持管理費はかかるが、売りたくはない。
他の人に貸せば、居住権が発生したり、傷つけられたりするから、貸すのは嫌だ」
ということで空き家にしていることが背景にあるように思う。
居住権が声高にいわれたのは、まだ住宅が不足していた時代のことだ。
今は住宅が余っている時代になったのだ。
居住権についての法律も変更する必要がある。
空き家を借りたり、所有したりすることに対して、エコポイントのように、補助金をだすとかを考えたらどうだろう。
他人に貸したことで、傷つけられたりしたら、それを補償する保険制度も必要だろう。
いずれにしろマルチ・ハビテーションを進めるためには様々の施策が必要だろう。
それができれば、そこに多様なビジネスチャンスが生まれる可能性もある。
マルチ・ハビテーション
どうすればいいのか、皆で知恵を出し合って考える時代になったようだ。
こんなことはいままで人類が経験したことのないことだ。
上手くいけば、世界のお手本になるかもしれない。
しかし、とんでもない時代になったもんだ。
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