広島ブログランキング

  • 広島ブログ
無料ブログはココログ

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

2009年9月

2009年9月30日 (水)

ネット情報の分析と当落予想

今回の衆議院議員選挙は民主党308議席の圧勝に終わった。
自民党は改選前の300議席から119議席に落とした。
投票日前から、民主党320議席もあり得るというような新聞記事もあった。
これらの予想は電話調査によるものであったり、いわゆる選挙プロの感覚に基づく読みであったりしている。

それらの調査手法に対し「ネット上のブログ等の書き込み8.6億件を集計して、それに一定の修正を施して、当落を予想する」という手法を開発したという記事が先日新聞に載っていた。
基本的には、要するにネットへの登場回数が多いほど当選するということのようだ。
より客観的といえばいえる。

開発したのは東京大学の松尾豊教授とソフトウエア会社、ホットリンクだ。
その手法による分析をもとに、衆院選300の小選挙区の当落を予想し、「口コミ@総選挙」で公開していた。

投票日前日の予想は、広島県全7区についてみれば、6区を除きすべて民主党が当選するということだった。

予想と選挙結果とが全く違っていたのは、広島6区だ。
自民党小島敏文氏を当選と予想していた。
結果は、民主党が推薦した国民新党の亀井静香氏が圧勝だった。
広島1区、4区もちょっと違っていた。
岸田文雄氏、中川秀直氏を落選と予想していたが、岸田氏は僅差で当選、次点の菅川洋氏は比例で復活当選し、中川氏も比例で復活当選した。

6区が全く予想と違っていたというのは、多分、亀井氏が国民新党所属であったため、民主党の推薦を受けていたことを書き込んでいなかったか、資料が極端に少なく、有意になるほどの資料が集まらなかったのではないかと思われる。

しかしいずれこうした点は、ブログの書き込み件数が増え、ソフトの精度を上げれば、充分修正することは可能だろうと思う。

今回の衆議院議員選挙は小選挙区制であった。
中選挙区制では1割の選挙民を確保すれば、当選できるが、小選挙区では4割確保していないと難しいという。
1割なら後援会組織をがっちり固めておけばなんとなるが、4割を確保する後援会組織を作るのは難しいという。
小選挙区制ということが、今までの選挙手法に則って進めた自民党の敗退という大きな理由にもなったのだろうということが、こうした予測手法の有効性からも覗える。

過去の千葉市長選、名古屋市長選でも、この手法による予想通りだったというが、中選挙区制をとる広島市議会議員選挙でも、この手法が通用するのか、興味あるところだ。

こうしたネットでの調査方法が有効であるということになれば、電話での膨大な量の聞き取り調査というのはあまりに時代錯誤な手法だということになってしまう。

ブログ、トウィッター、これから益々ネットへの書き込みをする人は増えるだろう。
どんな人を候補者にするかという基準だって変わらざるを得なくなる。
いずれにしろ、ネット時代に対応して、選挙の仕方も大きく変わることは確かだ。

変化についていくのも大変だ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月29日 (火)

映画「子どものころ戦争があった」に込められた願い

 シネマクラブ・ひろしまの9月のワンコイン上映会で「語り継ぐ戦争体験」のひとつ「混血少女の」を映画化した「子どものころ戦争があった」を観た。1981年の制作作品。
 
 第二次世界大戦の敗色が濃くなった昭和20年春、国民学校2年の太郎は母と一緒に母の実家の田舎に疎開する。味噌の醸造元で旧家の実家の祖母はいきなり「二番蔵には近寄るな、お化けが出る」と言う。お化けが気になる太郎は二番蔵に興味を抱いて屋敷の中をうろつく。ある夜、目を覚ました太郎は叔母が金髪の少女と風呂に入っているのを見る。

 叔母は母親の反対を押し切ってアメリカ人と結婚して少女を生んだが、アメリカ人の夫とは一緒に暮らせず、実家に疎開し目の色の違う娘を二番蔵にかくまって暮らしている。
 アメリカ人と一緒になった叔母の周辺には「娘がいる」との噂がたって、憲兵や警察から監視される…。
 
 太郎は二番蔵のそばにある柿木に登って鉄格子越しに蔵に匿われている少女と話はじめやがて遊びに連れ出す。少女の存在を怪しんだ憲兵や村人が二番蔵に押し掛ける…。
 幸いに、太郎が連れ出していて少女の存在は明かされないで済む…。しかし、海を観たいと出かけた海岸で米軍の機銃掃射に遭った少女は終戦直前に、この世を去ってしまう…。

 16ミリのフイルムは28年前の作品ながら色や音響も比較的よく、少々のキズが気にならないくらいの保存状態はまだこれから一般上映を可能にする作品だ。

 映画の設定は終戦前の半年を少年の目を通して敵国アメリカに通じる日本人=スパイとか非国民、空襲を避けて田舎に引っ越す疎開やアメリカ兵が上陸して来た時に闘うための竹槍訓練など戦闘場面はないが田舎町までも一億火の玉と言って女も子供までも戦争に巻き込み、戦争が身近なもの同士までも憎み合うようになって行く苦しさと悲しみの戦争体験を描いている。

 この映画は文部省や日本PTA協議会などが推薦し全国映画センターが松竹と協力して制作した作品で学校上映が取り組まれた。それからわずか30年足らず、政権交代の陰で「核武装」を公然と口にする元自衛隊幹部などオバマ米国大統領が掲げる「核のない世界」や核兵器廃絶と言うヒロシマの願いに立ちはだかる声が響く時代に、こうした心に染みる作品を子供たちに見せ、戦争の悲しみを語り継ぐことの大切さを改めて強く感じた。

問い合わせ:シネマクラブ・ひろしま:HP http://cc-hiroshima.ciao.jp
<広島映画センター内> 082-293-1274

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月28日 (月)

“不戦の集い”と新政権の課題?

 日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部が主催する「’09不戦の集い」が、総選挙一週間後の6日、市内で開かれた。
 “不戦の誓い”は新聞記者たちが戦争協力をして来た反省に立って1952年に「再び戦争の為にペンを取らない」を合言葉に新聞、放送、出版ジャーナリストが結成し、米海軍のミズリー号上で連合軍に敗戦の調印をした9月2日の敗戦記念日に開いてきた集いで、今年は’67年以来広島で 33回目を迎えた…。

 今年のテーマは「戦後、日本人の歴史認識を探る」で、中国新聞ヒロシマ・メディアセンター長の田城明さんと山口大学教授の纐纈厚さんが講演された。

 田城さんは5月に中国新聞紙上で発表した、ノーベル平和賞受賞者17人が世界の指導者に核兵器廃絶に向けて行動するように訴えた「ヒロシマ・ナガサキ宣言」の取り組みを通じた“メディアの役割”についてそこに込めた、“熱いヒロシマ記者の思い”を語った。 
 田城記者はオバマ大統領が一歩でも前に進めるように、被爆国としてあらゆる協力と支援をしたい…と言う。平和憲法を掲げる被爆国でありながら、安全保障は米国の核兵器に 頼ってきた日本は、核の傘の下から核兵器廃絶を叫ぶ。原爆の惨禍を知る日本こそ、米国に「核の先制不使用」を働きかけるべき…と指摘する。こちらから先に攻撃しないと宣言すれば核の役割は限定され、疑心暗鬼は薄まる…。新政府が“核の傘を抜ける環境”を作れるか、被爆地広島が大きなビジョンを持って踏み出さないと、世界に向かってイニシアティブが取れない。これ以上軍備の増強に成らない為核廃絶の運動を進める上でのメディアの責任を全うしたい…と広島のマスコミの役割の大切さを強調した。

 纐纈教授は“日本は米国に負けた”と思っている人が多い。兵力をはじめ中国戦線に総兵力の65%をつぎ込んだが米国の物量に負けたと総括することで、日本の侵略に抵抗した中国やアジアの人々の存在を忘れた事にした。近代化の遅れた中国に負けるはずがなく、負けるとしても近代化が進んだ米国との誤った認識があった。米国には対ロシアの日本分割統治を避けて単独で占領統治する狙いがあった。それは冷戦状態が続く戦後、日米同盟が継続する上で米国にとっても都合がいい誤った歴史認識だった。
北朝鮮に対する平和条約の締結を放置したまま拉致や核武装問題の解決を図ろうとする日本の外交姿勢はこの誤った歴史認識に端を発している…と言える。
 戦争を始めるのも止めるのも天皇の権限だったが戦争責任を一部の軍人に負わせてアジアを捨てた日本の戦後の歴史認識を、改めて問いただす必要がある…と指摘した。
 戦後、日本が曖昧にして来た「戦争責任」を巡る正しい歴史認識が今こそ求められる。
 これも新政権が社民党と連携した以上、避けて通れない課題ではなかろうか…。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月27日 (日)

与党・民主党のもう一つの課題

 民主党は野党時代に多くは地方自治体選挙では与党・自民党と相乗りするケースが多かった。ただ、今年春以降は知事や政令市、地方都市でも与党候補に連勝をした。
 これは、総選挙を意識した戦術として独自候補を立てて戦った結果で、総選挙の結果を予測させる有権者の動向の伏線として注目されていた。

 民主党が野党時代の長い間、地方自治体選挙とりわけ首長選挙の独自候補を避けて来たのには色々な事情があると思う。自治体の首長が掲げなければ成らない施策・いま流に言えばマニフェストに大きな違いや差を見出せ無かった…?政治的課題に大きな差や違いが無い限り与党が推す地元出身の中央省庁の高級官僚や経済人に相乗りする傾向が長く定着した…のはやむを得なかったのかもしれない。 

 しかし、その裏には野党民主党が候補者を担ぎ出せるには明確な政治的対立課題があるか、よほど魅力的で力が備わった人物候補を探さなければならず、とかく労組出身者か政党関係者が多く、進歩的?学者と相場が決まって、革新自治体の花盛り時代があった。 
 かつて、著名な首長を上げてみると京都の蜷川知事を筆頭に東京都の美濃部都知事、神奈川の長洲知事、大阪の黒田知事名古屋の本山市長、横浜の飛鳥田市長などが良く知られている。いずれも学者や官僚出身で、その時々の政治的背景と結びついてこうした候補者を担ぐことで野党勢力のバランスを保ってきた…と言えよう。  

 幸いにも、自民党が長年維持してきた公共事業を餌にした利権構造は平成の大合併によって自民党が培ってきた集票マシンの市町村長や市町村議員の激減を招き、今回の総選挙で崩壊を裏付ける結果となった。改めて、このマシンの復活はありえない…。

 このことは、今後この日本を与党・民主党が牽引していく上でどのような国にするか、この国が目指すべき国家像を国民とりわけ若者の政治参加を促すと共に打ち立てて行く事が重要になる。また、地方分権の強化という地方自治体の新しいあり方を確立していく事、与党民主党の地方組織の強化が安定与党の支えとして求められる急務であり課題と言える。  

 自民党が行って来た利権と旨味で縛る関係でなく地方自治と国政が車の両輪のようなバランスの取れた関係、とりわけ3割自治と言われる予算の縛りを解消した地方分権の確立と地方組織の構築こそ与党・民主党のもう一つの最大の課題ではなかろうか…。
 そうゆう意味で11月に行われる広島県知事や呉市長選には与党独自の候補の擁立が急がれ、それがもう一つの課題の達成への第一歩になる…。市民サイドの行政を推進する首長の与党作りも忘れてはならない課題で、改めて与党民主党の自覚と責任を求めたい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月26日 (土)

マルチ・ハビテーションと空き家

オーストリアのスキーの英雄トニー・ザイラーが先日亡くなった。
73歳だった。

トニー・ザイラーは1956年コルティナダンペッツオの冬季オリンピックでスキーの3冠王になった。
その大会では、日本の猪谷千春が回転で銀メダルをとった。
その時のトニー・ザイラーは全く異次元のレベルの強さだった。
全く性格の異なる滑降、大回転、回転の3種目すべてを制覇したのだ。
今でいうイケメンだったこともあり、「黒い稲妻」等幾つもの映画に主演し、絶大な人気を誇った。
真白いアルプスの山を、スキーで凄い勢いで滑りおりるトニー・ザイラーは素晴らしく格好良かった。

あんな格好いい世界があるんだということを知り、それがその後の日本のスキーブームに繋がっていった。

その彼が、ドイツ・フランクフルト市に別荘を持っていたという。

スキー場にある住いが本拠地で、都会の家は別荘だというわけだ。

1980年代になって、日本では猫も杓子も別荘、リゾートマンションを欲しがった。
土地の価格はどんどん値上がりし、もっともっと豊かになるのだと皆無条件で信じていた。
海や山のリゾート地に別荘を持つことは、最高に格好いいことだと、誰しもが思っていた。
リゾート法も作られ、スキー場、ゴルフ場がどんどん作られ、その周辺に別荘、リゾートマンションがどんどん作られていった。
しかしそんな景気は長続きしなかった。
バブル景気の崩壊とともに、土地が無限に値上がりするなんてことは、元々ありえない話だということを否応なく思い知らされた。
あれは単なる土地神話だったということがわかると、別荘、リゾートマンションの魅力は蜃気楼のように消えてしまった。
別荘、マンションは誰も買い手がつかなくなり、あっという間に廃墟と化していった。

しかし廃墟と化したのは別荘、リゾートマンションだけではない。

東京一極集中化だけでなく、それからしばらくすると、今度は少子高齢化、そしてトータルとしての日本の人口が減り始めた。
そんなことが起こるなんて、誰も予想していなかったことだ。

中山間地域の集落は老人ばかりになり、もう人口が増える可能性はないと、限界集落と呼ばれる集落が日本のあちこちに見られるようになった。
それは同時に、中山間地で空き家が増えるということを意味した。

最近ではそうした空き家と利用者を結びつけようということで、空き家バンクが設立されるようになった。
廿日市市では、移り住んでくれれば補助金をだしましょうという制度まで作ったりしている。
鳥取県では、農家を解放して、農業を体験してもらい、中山間地域に住むことの良さをまずは理解をしてもらおうという取り組みを始めている。
どれも空き家を契機として、定住化を進め、人口を増やそうという試みだ。

しかし空き家は何も中山間地域に限ったことではない。
都心でも空き家化は進んでいる。

戦後焼け野原になってしまった日本では自分の家を持つのは人々の夢だった。
国としてもそうした状況に対処するため、昭和30年日本住宅公団を設立し、住宅及び宅地の供給を積極的に進めてきた。
昭和30年にその最初の計画である常盤台団地が発表され、昭和39年に入居が始まった。
団地に住むことは一般庶民の夢だった。
しかし建設後30年経過したころから建物の老朽化が問題になり始め、それに続いて居住者の老齢化が問題となり、今では孤独死をどう防ぐかが深刻な問題となっている。
それは同時に相当の数の空き家が発生しているということでもある。
そしてそれは公団住宅のつくった住宅に限ったことではなく、都会でも空き家が急激に増えていることを意味している。

昭和40年代にアストラムライン沿線につくられた団地でも急速に空き家が増えている。
東京にでていった子どもたちは2度と広島には帰って来ない。
そうした家の所有者は年をとって亡くなることもあるし、あんな急斜面の住宅地には住めないからと、都心のマンションに移り住むケースもある。
一応名義は残してあるから、形式上は住んでいることになっているが、実は誰も住んでいないという家は多い。

1_2

総務省の調査では、「2003年時点で全国の総住宅数(5387万戸)は総世帯数(4722万世帯)を14%も上回っており、空き家率は12・2%と毎年上昇の傾向にある。
その軒数は800万戸を超える」とある。
現実は、この数字よりはるかに多いだろうから1,000万戸は越えているだろうと思う。
5戸に1戸は空き家というわけだ。
その按分でいくと、広島市の人口は116万人だから、総住宅数は約54万戸、空き家は約10万戸以上あることになる。

そういえば、友人の両親が住む中区の古いマンションでも7戸の内1戸が実質空き家になっている。

10万戸×2,000万円→2兆円の資産が、広島市内だけでも、使われずにあるということだ。
額がでかすぎて、ちょっとピンとこないが、凄い金額であることはわかる。

家は人が済まなくなれば、あっという間に腐ったり、錆びたりして廃墟になってしまう。
さあ使おうと思ったって、そう簡単にはいかない。

必要がなくなったのであれば、壊した方がいいという意見もあろう。
家は持っているだけでもお金がかかる。
地球の環境を考えたら好ましいことではないということで、どんどん壊すのも手だが、しかし大変な苦労をして折角作ったのだ。
作る際に使った資材、費用は膨大だ。
それに比べれば維持管理の負担ははるかに小さい。
沢山の思い出だって詰まっている。
壊してしまうのはなんとも勿体ない。

今住んでいる家とは別に、もう1軒、そうした空き家にも住むことはいいことだ、それもそんなにお金はかからないという工夫はできないものだろうか。

なにしろ広島だけで10万戸も空き家があるのだ。
各地で進めているような、古い農家に住んで、農業をしてもらおう、定住してもらおうなんてことに拘っている必要は必ずしもないというわけにはいかないだろうか。

1年のうちしばらくの間、森と畑に囲まれて生活をすれば、体も健康になるだろうし、気分も豊かになるだろう。
海の家だっていい。
そして都心の家では、本通りを歩き、広響のコンサートを聴きに出かける。
というような生活が誰でもできるようになったら素晴らしいことではないか。
1軒の家にこだわることから、解放されたら、かなり考え方だって違ってくるだろうと思う。

私の友人のIT関係者の生活の仕方を見ていると、経済的にも、時間的にもそんな生活が十分可能なような人は何人もいる。
IT関係者に限らず、誰でもできるようにできないもんだろうか。

空き家であるか否かはちょっと見ただけではわからない。
見えないところで起こっている現象であるため、殆どの人は事の深刻さにあまり気付いていないようだ。

お金持ちがそのステイタスシンボルとして別荘をもつということではなく、
数か所に住む=マルチ・ハビテーションを進めることは、日本にとってはもう贅沢ではなくなったと見做すことが必要なようだ。

自転車だって、ママチャリ、マウンテンバイク、電動自転車と色々ある。
家族の人数以上自転車を持っている人は多い。

自動車だって、1家族で数台所有していることも、いまでは別に贅沢なことではなくなった。

家だって、1家族で数軒持っていたっておかしくない時代になったというわけだ。

なにしろ広島市内だけでも10万戸からの空き家があるのだ。

それだけ膨大な量の空き家があることが、いままであまり表面化してこなかった理由を、この際改めて考えてみる必要がありそうだ。

「折角作ったのだから壊すのは勿体ない。
壊せば思い出も一緒に消えてしまう。
持っていれば維持管理費はかかるが、売りたくはない。
他の人に貸せば、居住権が発生したり、傷つけられたりするから、貸すのは嫌だ」
ということで空き家にしていることが背景にあるように思う。

居住権が声高にいわれたのは、まだ住宅が不足していた時代のことだ。
今は住宅が余っている時代になったのだ。
居住権についての法律も変更する必要がある。
空き家を借りたり、所有したりすることに対して、エコポイントのように、補助金をだすとかを考えたらどうだろう。
他人に貸したことで、傷つけられたりしたら、それを補償する保険制度も必要だろう。

いずれにしろマルチ・ハビテーションを進めるためには様々の施策が必要だろう。
それができれば、そこに多様なビジネスチャンスが生まれる可能性もある。

マルチ・ハビテーション
どうすればいいのか、皆で知恵を出し合って考える時代になったようだ。

こんなことはいままで人類が経験したことのないことだ。
上手くいけば、世界のお手本になるかもしれない。

しかし、とんでもない時代になったもんだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月25日 (金)

Duo Liveとスペイン協会

8月21日の夕方、友人に誘われて、パセーラ5階のカフェで催されたスペイン協会主催のバイオリンとギターによるDuo Liveの催しに出席した。

バイオリンは白井朝香さん、ギターは徳武正和氏だ。
スペインのクラッシック音楽が演奏された。
スペインの音楽というとフラメンコを思い出すが、クラシック音楽もフラメンコと同様、どこか哀しく、そして力強さを感じさせる。

30年くらい前、バルセロナの街を一人で歩いたことがある。
2時から5時までは街を歩いている人は殆どいない。
お店のシャッターは下りている。
スペインの人々の夕食は夜10時ころ、バーは12時過ぎからと遅い。
夜になってようやく街は賑やかになる。
これには参った。
こっちは夕方6時ころには腹が空いてくるし、夜中の12時にはもう体が動かない。
スペインの楽しさを味わうことができなかったという苦い経験がある。

そんなスペインを思い出しながら、スペイン製のビールを飲み、スペイン音楽を聴いた。

素敵な一晩だった。

100人位入る会場はほぼ満席だった。

Event Café SAMALOは今月末で閉めるとのことだが、こうした催しをするのにはちょうどいい広さだ。
改装後はどんなお店になるんだろう?
次も、こんないい雰囲気のイベント会場としてまたオープンすることを期待したい。

1

広島にはこうした2国間の交流、親善協会の類が大体50団体以上あるという。
盛んなところ、そうでもないところもあるが、それぞれの協会はそれぞれに音楽会、ワインパーティー、語学講習会、料理教室等の催しを数か月に1度程度開いているようだ。

そんなイベントを通して、違ったジャンルの人たちと知り合うのは、また違った面白さがある。

そんなに沢山の交流協会、親善協会あるなら、それらが一堂に会して国際交流フェスティバルのようなものをしたら、また違った面白さ、楽しさが生まれるかもしれない。

いままで行ったことのない国の文化に触れ、そんな国の人たちと知り合いになれるかもしれない。
海外旅行をした時には、また一段と面白さが増すかも知れない。

色々な国のことを知り、それらの国の人々と交流することは、平和へのまず第1歩だ。
国際交流フェスティバルのようなイベントが開かれることを期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月24日 (木)

東アジア人と欧米人のモノの捉え方の違い

先日、夕方のTVで、韓国のTV会社の制作した「アジア人と欧米人のモノの捉え方の比較」をした番組を放映していた。

「空に上がった風船が、急に速度を増して流れて行った。
何故だと思うか?
① 風が強くなったから。
② 風船から空気がもれたから。
③ という質問に
全てのアジア人は①と答え、全ての欧米人の殆どが②と答えていた。

因みに私も①と答えた。

アジア人は、環境との関係で物事を捉えるのに対し、欧米人はそれ自身のこととして判断していくということだと解説していた。

国、地域によるモノの考え方の違いは和辻哲朗の風土論が有名だが、その他にもこれまで様々な形で論じられてきた。

しかしこのTV局の作った番組の内容は極めて解り易くて、面白い。
解りやすさは、時には、錯覚に基づいていたり、間違えた解釈を招きかねないが、このテーマとそれ例と取り上げ方なかなか巧みだ。
確かに、色々な場面で日本人は人と人、人とモノといった関係の中で考えていくように思う。

庭に開かれて作られている日本家屋などは、その典型的ケースだろう。
特にエアコンがない時代の日本の住宅は、夏は障子を開け放ち、風が庭から、裏に抜けていくように作られていた。
風鈴のなる縁側、中年の男2人が座り、団扇を扇ぎながら、将棋を指している。
そこに奥さんが冷たい麦茶とスイカをもってくる
というのは極く日常的に見られた日本の夏の風物詩だ。
暑い夏の季節、庭、音、遊び、飲食、家族、近所の人との関係等がそこに凝縮されてある。
人間は、その関係の中の要素の1つだ。

ボストンのニューイングランド地方のアーリーアメリカン風の建物などは、まったく庭と関係なくに建てられている。
庭に出る出入口もない家もある。
家が景色とも隣とも関係なく、それこそ自立してある。
だから塀も必要がないから無い。

バーベキューパーティーもするが、それは何も庭とは限らない。
公園であってもいい。
夏でも冬でもいい。
重要なのはそこにいる人だ。

比べてみれば、ここにも大きな違いがあることがわかる。

いろんなところに、欧米人とアジア人は違いがあるということを知ることは、これからの外国人との付き合い方を考えていく上で重要なことだろう。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月23日 (水)

与党・民主党の課題

 政権交代の準備は粛々と進められている。社民党と国民新党との連立協議も進んでいる。
208議席を獲得した民主党にとって三分の二の320議席に2議席足りない連立の意味をいぶかる声もあるが、何と言っても参議院の過半に両党との連立は避けられない。

 その上で民主党が与党としてやるべき事とやってはいけない事を出来るだけはっきりさせることが大切になって来る。4年間でやるべき事の第一はマニフェスト①無駄使いと天下りの根絶、総予算207兆円の全面組み替え、議員の世襲と企業献金の禁止②中学卒業まで一人年31万円の子供手当新設。③月7万円の最低補償年金の実現、後期高齢者医療制度の廃止④農業の戸別所得補償制度の創設。高速道無料化、郵政事業の見直し⑤中小企業の法人税率引き下げ、月10万円付きの職業訓練制度支援、新産業育成…の実現だ。

 新たに連立の協議に当たっては憲法や日米安保問題を巡っては大きな隔たりがあって、合意は容易でなないが、民主党が示した案は①対等な日米関係②東アジア共同体③核兵器廃絶④拉致問題解決⑤地球温暖化への取り組み…だ。

 何はともあれ民主党は自民党が長期政権で族議員を育て培った様々な組織や団体に企業を潤わせ、そこに生まれた旨味と利権を求心力に拡大して来た道を辿ることは許されない。

 今回の民主党の大勝利の源には小澤一郎代表代行の力が大きい。選挙戦終盤に広島1区に駆け付けた小沢氏は「私に任せて下さい。一人前の政治家に育てて見せます」と公言した。選挙での面倒見の良さは定評があり、兎角“風”頼みと言われてきた民主党を根幹から変質させつつある…と指摘されている。

 自民党が派閥の形を変えて来たのに対し民主党は派閥こそ無いが20~30人単位の政策研究グループは6~7組織ある。従来も小沢グループが大きかったが、今度の選挙で各グループが10~20人拡大したのに対し小沢グループは100人前後も増えて150人に膨れ上がり、民主党の鳩山・小澤の二重構造化を指摘して心配する向きも少なくない。
 
 マスコミは一斉に幹事長就任は更に小沢の権力拡大を警戒する動きや不安がる声を拡大している。しかし、企業献金を禁止し公共事業に纏わる旨味と利権を無くし、官僚の支配から脱却しなければ成らない仕組みの中で本政治家個々人に求められるものが何か?が問われてくる。

 田中角栄仕込みの小沢氏が今更集票マシン造りや利権構造の再構築を考える事は許されないばかりか、彼自身が一番よく判っている…はずだ。
 従って、自民党の轍を踏むことはあり得ないと考えられ、まずは予算修正と来年度予算編成でどれだけマニフェストを実現できるか?政策をどれだけ愚直に具体化できるか、次の参議院選にどう勝利るか…が課題だ。
 
 かつての社会党や野党のような労組出身の叩き上げでなく、東大をはじめ国公立大学や外国の一流大学を経て高級官僚になりながら転身したり、公募に応じた有能な若者も多く、魅力を秘めた人材は豊富で成長が期待できる。

 こうした人達の才能を十分に活かして派閥・グループの縛りに拘らない真に国民に向き合った安定政権の樹立こそが新しい民主党の最大の課題と言えよう。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月22日 (火)

散歩の再開

 7月以来休止していた平和公園の散歩を、1日を期して再開した。
 二か月の休止は暑さを避けるためと多少の横着と”トントン”での整体の成果と成り行きを見守るのも理由の一つだった。

 昼下がりの暑さはまだ31~2度と残暑は厳しいが5時を過ぎると日も傾いて長い影に合わせて川筋はそよ風をはらんで一気に25~6度まで下がって涼を呼んでいる。夕凪までの小一時間は実に爽やかな一時でもある。あちこちのベンチでは蚊取り線香の煙をたなびかせて虫よけをしながら安らぐ姿が見受けられる。読書などで長時間滞在の散歩?組だ。
 学校帰りの高校生は学習塾にでも行き前の時間つぶしか、教科書らしきものを広げて勉強する姿にも出会う時間だ。

 昨年も同じ時期から11月まで、この散歩は休止した。肺に転移したという診断で抗がん剤の投与が始まっていた。点滴で始まり抗がん剤を2週間、朝晩に服用し、1週間休んでまた繰り返す。4クールの途中で味や匂いを失うだけでなく思考力や体力も失って半病人になった時、尋ねた医師の返事が「抗がん剤は死ぬまで縁はきれませんよ」に、驚いて「これでは人間としては生きられない!」と思い至り、抗がん剤は中止した。

 あれから一年、味も匂いも思考力も取り戻し、たまに頂くビールやあ酒の味も量こそ少ないが大変おいしく頂き、抗がん剤中断後に体重が3~4キロ増えてしまった。しかし、”トントン”で驚くほどの改善を得た腰の痛みやしびれは時として現れて、未だに完治とは至っていないのは残念と言うほかない。 この秋からは水中歩行をはじめて見ようかと思案中だ。

 散歩の途中で週のうち2~3回お会いする人から「長く見かけないが如何ですか」と病状が悪化したのではないかと心配した電話を頂いたことも再開への弾みになった。元気に出歩くことも大切なメッセージだと気が付いたからだ。

 相変わらず、赤と白のツートンカラーの自転車に跨いで出かける。ステッキも持参するが時として自転車の押し歩きはステッキより頼りになって腰への負担を軽減して楽だ。
 時には1~2㌔を杖代わりに押して歩くこともある。日差しはあっても、桜並木の下の木陰道は日差しを遮って涼しくステッキを転倒予防に話さず手にして歩く…。

 散歩時間は気温の変化に合わせて徐々に繰り上げ、晩秋から冬にかけては午後1時から2時に繰り下げて外気と体調を調整しながら一日の距離を少しずつ伸ばしていく予定だ。
 散歩が私の健康のバロメーターであり続ける為の散歩再開だ…。  
*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月21日 (月)

集票マシンの崩壊と政権交代

 選挙戦終盤になってもマスコミ各社の「民主300~320議席予測」は揺り戻しどころか、むしろ相乗的アナウンス効果を発揮して世紀の大逆転劇として政権交代となった。

 政治学者や評論家が分析して、それなりの原因や要因を導いている。曰く、自民党の長期政権の奢りと思いあがりから敗戦必死の施策・マニフェストなど様々だ。自民党は長期政権で培った組織団体企業を潤わせ、そこに生まれた旨味と利権を求心力にして来た。

 農協を筆頭にした農業団体、医師会、土建業界、商工経済団体、郵便局、看護師協会に何よりも市町村長や市町村議員達は自民党の集票マシンとして十重二十重に組織強化をめぐらしてきた。所が、年々肥大化する政府予算と赤字国債の狭間で厳しさを増す地方自治体の合理化に“平成の大合併”を推進した。自治体は三分の一になり予算の合理化・縮小・カットは出来たが、過疎は一層進んで“限界集落”の山を築いた。同時に、自民党を支えて来た町村長や議員たちもカットし結果的に自らの集票マシンの一翼も壊してしまった。大敗は自明の理であったが、傲慢な自民党はこれを反省して改める心と志を失っていた…。

 小泉氏が「自民党をぶっ潰す」と豪語して起こした小泉ブームや成果主義路線は格差を生み国民に痛みを押し付ける結果を生んだ。自民党の内部でほとんど反省や検証されることなく4年間、安倍・福田・麻生と引き継がれ郵政や年金、農業に雇用、教育に暮らし…何一つ国民・庶民が喜ぶ施策が無いまま、小金を貯めこんでいると言われる高齢者から医療費の穴埋めをさせる制度の改悪に踏み切る等を数の力で強行した。

 茨城県の医師会は自民党支持から民主党支持に変更した。地域によっては農業団体や土建業界でも支持政党や候補を明確に変えて挑んだ組織もあった。旨みに頼る前に景気の回復や雇用の創設など社会基盤の強化を求めた経済組織や団体も多かった…?。
 加えて、この総選挙では野党民主党のマニフェストを論い攻撃するなど与党政党と思えないような戦術で一層国民の不信を買った結果として…政治が国民から離れて行く実態を真摯に捉える事が出来ず…自民党の集票マシンは実態的に半壊し、さらに崩壊に向かっている…と見るべきだろう。
 こうして見ると身近なところでもいくつか気付いたことがある。町内会に住んでいる大物県議の引退で前回までは頻繁に掛った電話が無いとかいつも一緒に動いていた高齢者が全く動いていない…など、しがらみも薄らいできている…。
 旨みの分配が出来なくなった実態を今後どう見直すかが、野党自民党の課題である。
野党自民党としての役割は与党の政策な十分にチェック能力を備え、施策を巡っての論戦の中から新しい視点で再生を目指すことが出来るかどうか…が、最大の課題だ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月20日 (日)

新幹線と平和

アメリカ・オバマ大統領が、グリーンニューディール政策の一環として、アメリカ国内に高速鉄道=新幹線を建設すると発表した。

ロサンゼルス~サンフランシスコ間の新幹線計画は、もうかなり具体的に動き始めているようだ。
「カリフォルニア州は2010年春までに採用する運行システムを決め、11年にも着工する。
20年までの1期工事で、サンフランシスコとロス南部のアナハイムまでの750キロを開通させ、約3時間で結ぶ予定だ。
さらに、30年までの2期工事で、北は州都サクラメント、南はサンディエゴまで延ばす計画だ。
1期工事の総工費約330億ドル(約2兆9000億円)のうち、99億5000万ドル(約9000億円)を州債発行で賄うことが昨年11月の住民投票で決まった。
政府は1兆円の補助金をだす」
といっている。

1_4

オバマ大統領は、今回の金融危機からの脱却のために巨大公共工事計画と、地球環境問題に対応するCO2削減計画を一緒にやろうというのが、この新幹線計画だ。
上手いテーマを見つけたもんだ。

アメリカは1800年代になると、あの巨大な国土をカバーする鉄道網が整備されていった。
その頃、まさに鉄道会社はアメリカ経済のリーダーだったのだ。
その象徴は、大陸横断鉄道のオーナーであるスタンフォードによって、アメリカを代表するスタンフォード大学が1891年創立されたことだろう。

しかし自動車が大量に生産する技術が確立し、道路が整備されるようになると、アメリカの鉄道会社はになってバタバタと倒産し、1960年代になると消滅していった。
ペンシルバニア鉄道とセントラル鉄道の合併は世紀の大合併といわれ、独占禁止法の触れるほどの大事件だったが、それでも合併後、しばらくして倒産してしまった。

自動車会社を代表するGMを作ったアルフレッド・P・スローンは、1952年MITに経営学を学ぶ大学院を寄付、開設した。
GMの経営方法が企業経営のお手本となったのだ。
そしてそれ以降の学生たちにとっては、そうした経営大学院で学び、MBA取得がビジネスマンとして成功の条件にもなっていった。
そのころがGMにとっても最も華やかな時代だったといえる。

そのころ日本でも国鉄の経営もおかしくなっていき「もう鉄道の時代は終わった。これからは自動車の時代だ」と言われた。

とうとう1987年には、巨大な債務を抱えた国鉄はJR7社に分割され、民営化された。
その時点で、累積赤字は37兆円にも達していた。

そんな状況のなかでは、誰もが、鉄道はもう全く時代遅れの交通システムだと思った。

しかし1973年にオイルショックが起こると状況は一変する。
石油は有限であるということがいわれ、いずれ枯渇する恐れがあるといわれ、ガソリン価格が急激に値上がりし、自動車の排気ガスによる環境問題も言われるようになり、改めて交通機関としての鉄道の役割が再認識されるようになっていった。

いまでは世界で最も進んでいると思われていたアメリカでも、環境に好ましい交通システムとして、今鉄道が見直されるようになってきたのだ。
郊外と都心を結ぶ鉄道が作られ、街中にはLRTが走るようになってきた。
そして今度は新幹線網を整備しようというのだ。

時代の変化とはいえ、まったく驚く。

そんな新幹線計画は、中国、ブラジル、ベトナム、インド等幾つもの国で進められている。

新幹線を作るなら、日本の出番だ。

日本の新幹線は昭和39年オリンピックの年に開業した。
新幹線の開発は、戦争に負け、飛行機を作れなくなった日本の技術者が、それなら飛行機に負けないスピードの鉄道を作ればいいだろうと始めたということが背景にあるようだ。
歴史の皮肉を感じる。

すでに45年の歴史がある。
以来乗客が死亡する事故は1件も起きていない。
新幹線は線路、車体、運行システム等が一体になって時速300KMからの速さを実現した。
ATCが装備され、それこそ運転手がいなくとも安全に運航できるほどのシステムを作り上げている。
JRは極めて安全で正確なシステムをつくりあげてきたのだ。

日本の新幹線網は素晴らしい巨大システムだといえる。

カルフォルニャの新幹線計画に、日本はこの新幹線システムを売り込むべく、住友商事が窓口になって交渉を進めているという。


ODAの事業として、日本は海外に沢山の道路やダムを作ってきた。
それに加えて今度は新幹線システムだという。
道路やダムに比べたら、新幹線は遥かに高度で、高額な事業だ。
こんな巨大なシステムが海外に売れれば、それは素晴らしいことだ

新幹線システムの海外輸出は、これからの日本の輸出産業になるだろうと思う。

と思っていたら、現状はそんなに簡単な話ではなさそうだ。

フランスの高速鉄道TGVが当面最大のライバルのようだが、どうもそれだけではないようだ。
今では中国までもが、その価格の安さで強烈な売り込みを図っているという。
ATCとかATSとかそんな面倒な安全装置はいらない。
ともかく早く、安く走ればいいというのが、開発途上国の要望のようだ。
となると、中国のほうが車両も安くできるということになる。
中国が俄然競争相手になるなんてことが起きているようだ。

日本はそれに対して安全性も加えた新幹線システムとして売り込みを図っているという。

新幹線の安全・安定運行にはかなりの文化レベルが必要とされる。
道路をつくれば、後は輸入した自動車が勝手に走ればいいということで、まだまだ道路建設が最優先事業になっているという状態の国が多いのだともいう。

そうした理由から「実はかなりの国にあって、新幹線の導入は難しい」ということを、海外の経済援助を担当していたことのある人から聞いたことがある。


日本の輸出産業も時代の経過とともに変化していっている。
明治時代は絹織物であった。
戦後は繊維産業になり、造船業に移り、その後はソニー等に代表されるTV等の家電製品になっていった。

今の輸出産業はトヨタに代表される自動車だ。

車の部品数は2万点だというが、輸出する製品は、どんどん部品数が多くなり、より複雑で高度なものになっていったことがわかる。

それがこんどは自動車よりもはるかに複雑で高度な巨大システムとしての新幹線を輸出しようというのだ。

そうしてみると、何もこれからの輸出産業はハードに拘る必要はない。

大前研一氏は、日本の私鉄のビジネスモデルも輸出産業になると言っていた。
「日本の私鉄各社は鉄道を作るだけでなく、沿線に住宅地をつくることで、自ら乗客を創り出してきた。
乗客の利便性を考え、ターミナル駅にデパートをつくり、エキナカ店舗を運営し、はては沿線住宅地を結ぶバス、タクシー会社も経営してきた。
鉄道会社を中心にして、関連企業を加えた、企業グループ全体として収益性を高めている。
そんな鉄道会社は外国にはない。
経営というソフトも輸出できる」
という。

確かにこうした私鉄のビジネスモデルも、長い時間をかけて作り上げてきた日本のノウハウだといえる。

開発途上国では新幹線のシステムは高度すぎて導入できないということも聞いた。
それならノウハウを持っている人材だって売れるだろうと思う。
会社をリタイアしたが、まだ十分元気だという人も、鉄道建設の際、一緒にくっ付けて売ればいい。
技術の世界に英語なんか関係ない。
問題はそうした技術を持っているかどうかだ。

東京でも大阪でも新しい路線ができると、既存の鉄道会社から運転手、駅員、技術職員等が、大量に移籍して、開業にこぎつける。

海外の新路線の建設、開業にあっても、同様のことがいえるだろうと思う。

青年海外協力隊の親父版の創設が必要になってくるかもしれない。

日本は凄いなーとも思うが、こうしたことは同時に世界の平和に大きく貢献することになるだろうと思う。
海外派兵より、新幹線システムの輸出を支援する方が、はるかに世界の平和に貢献するということになれば、これは凄いことではないか。

アフガニスタンやイラクを平和にするために、日本は軍隊を派遣するのでなく、鉄道を作り、新幹線を作り、運行する従業員を派遣しようというのだ。

民主党が政権をとった。
いままでの延長線上にない政策の転換が求められている。

そのくらいの大きな発想の転換が必要だろう。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月19日 (土)

オープンカフェ・ポンテと折り鶴

元安川のたもとに、オープンカフェ・ポルテが昨年オープンした。
白い四角い小さな建物もあの場の雰囲気に合っている。
窓ガラスの赤いサッシもオシャレだ。
夏の暑い日でもその窓ガラスが大きく開けられているのもいい。

木造の広いテラスに置かれた大きな白いパラソルの下は意外と涼しい。
ここはちょうど風の通り道になっているようだ。

ビール、ワインを飲んでいる外国人のグループもよく見かける。
欧米人はだいたい暑かろうが、寒かろうが外の方が好きなようだ。

平和資料館のあの重苦しい会場を出て、元安川の川の流れをみながら、コーヒーを飲むと何かホッとする。

オープンカフェ・ポンテも、今ではすっかり広島の名所として定着した。

1_2

道路に面したコーナーに、赤い大きなプラスチックの器が置かれ、その中に沢山の折り鶴が入っているのに気付いた。
パラソルのポールには折り鶴の束が下げられていた。
ちょっとしたお店の飾りになっていた。
脇のテーブルには折り鶴の折り方を書いた紙とメニューが置かれていた。

オープンカフェに来た人が折っていれていくのだろうが、一般市民が折った折り鶴も受け付けているようだ。
そういえば、ポールに掛けられている折り鶴の束も先日と比べて随分と増えていた。

「コーヒーを飲み、川の流れを見、折り鶴を折り、平和について考える」
なかなかスマートな仕掛けだ。
広島らしいカフェの雰囲気を作り出している。

オープンカフェ・ポンテもなかなか気の効いたことをする。

私も、友人を待ってる間、折り鶴を折って、置いてきた。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月18日 (金)

被爆建物・旧陸軍被服廠→折り鶴保存館

2009年7月11日の読売新聞に、「旧陸軍被服廠の建物を、所有する広島県は、財政難から解体する方針を固めた」との記事が載っていた。

維持には年間40~400万円かかり、改修するのには1棟で30億円が必要だという。
4棟あるから、改修するとすれば120億円ということになる。

とてつもない額だ。

建物の面している道は狭く、アクセスも悪い。

そうしたこともあってか、この10年以上の間、使われることはなかったという。

1

この建物は、貴重な被爆建物であることもあって、市民からも保存を願う声は強い。

旧陸軍被服廠として建てられたが、レンガの外壁はなんとも美しい。
この建物が建設されたのは1913年というから、もう築後100年近くになる。
建築学的に見ても、その価値が高いだろうことが覗える。

それだけ高い価値が認められているのに、改修するのに膨大なお金がかかるからという理由だけで、解体してしまうのは、あまりにもったいない。

改修費だって、目的や工事方法によっても大幅に変わってくるはずだ。
大幅に減らすことだって可能だろう。

建物の使い方だって、考えようによっては色々あるはずだ。

秋葉市長が、いずれどこかに作りたいといっている「折り鶴の保存館」に改修するというのも、理に適った使い方だと思う。

秋葉市長は、広島市発行のメルマガ「ひろめーる」に、
「広島に届けられた折り鶴を焼却処分してしまうのは、その届けた人の思いを無視するに等しい。
広島に届けられた折り鶴はすべて保存し、展示すべきだ。
膨大に積み上げられた折り鶴を見れば、人々平和への思いがどれだけ強いかを感ずることができるはずだ。
届けられた折り鶴は、一望できる状態にして、展示すべきだ」
という趣旨のことを書いていた。

それなら、この被爆建物・旧陸軍被服廠を、折り鶴の保存、展示の場にすることこそ、相応しいだろうと思う。
その最大の理由は、この建物が被爆建物であることだ。
そして二つ目が、この建物が元工場であったことで、天井も高く、スペースも広いはずだ。
展示された折り鶴を一望することができるだろうと思う。
今は立ち入り禁止になっていて、中に入ったことがないから、想像するしかないが、多分そうだろうと思う。
三つ目は、折り鶴保存館としてなら、殆ど現状を変更しなくて済むだろうと思う。
改修のための工事費もそれほどかからないだろうと思う。
例えば、改修費を坪20万円とすれば、現在の延べ床面積は約2万M2、6千坪というのであるから、約12億円でできるはずだ。
県のいう1棟30億円というのはいささかおかしい。

必要な改修工事費用は、広島市平和都市建設法に基づき、国から支援を受けることも考えられるだろうと思う。

或いはまた、世界中の人から寄付を募るということも考えられる。
広島に送られてくる折り鶴は毎年1,000万羽という。
1人10羽の折り鶴を折ったとすれば、毎年100万人の人から送られてきていることになる。
そうした人の10人に1人が、折り鶴の保存のための基金として、1人当たり1,000円送ってくれれば、年間約1億円の基金が集まるという計算になる。

1億円もあれば、その年に送られてきた折り鶴を保存するスペースを改修するには充分な額だろう。

それほどの額が集まらなければ、その年に集まった金額の範囲内で、保存館としての改修工事をすればいい。
20年かかっても、50年かかっても、100年かかってもいい。

そもそも折り鶴を保存するということは、そうした沢山の人々の思いを尊重しようということであるから、年月をかけて少しずつ整備、充実していくことの方が、却って価値が生まれてくるともいえる。

「被爆建物・旧陸軍被服廠→折り鶴保存館」
このレンガの美しい建物が新しい存在価値が付加され、生き返るのだ。
ちょっとした広島の名所になるだろうと思う。

広島を訪ねてきた人は、原爆ドームと平和公園を見たら後は行く所がないということもよく聞く。
このレンガの被爆建物が、折り鶴保存館になれば、原爆ドーム、平和公園に次ぐ3カ所目の訪問施設となることが期待される。

そうなれば、広島市内での滞在時間も長くなり、宿泊客が増えることにもなる。
広島経済への波及効果も期待できる。

改めて旧陸軍被服廠を折り鶴保存館として改修し、存続することを求めたい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月17日 (木)

核密約と官僚の政権移行への準備?

 総選挙終盤を迎え、与野党間は誹謗中傷合戦をはじめ激しいやり取りを展開する中で、
民主党は300議席超え報道に「報道に浮かれるな…」と引き締めメールを全候補に出す。その一方で政権交代に向けて役所へのアプローチも急接近している…報道が目につく。
 当然の対応だろう。例年なら投票日は、来年度予算の各省の概算要求日にあたる時期だ。「脱官僚」を掲げて戦っている民主党にとっては、年末の予算編成,まで3ケ月しか無い中での予算編成は厳しい試練になるだけに実務を担う財務省の協力がカギを握る…?ことは容易に想像できる。

 民主党は政権交代が実現した場合9月にも日米首脳会議の開催に向けて準備を始めたようだ。そうなれば日米安保問題は最大の課題で米軍の核搭載艦船の日本寄港や密約問題も議題になる。‘71年の沖縄返還協定に絡む外務省機密漏洩事件について「密約の存在」を認める元外務省局長の証言が再度クローズアップされている。

 民主党は核持ち込みを巡る日米密約について「(密約が)ある可能性が高い」と見ており、政権交代した場合の首脳会談で「持ち込み禁止」の確約を求め「非核三原則」の名実ともに確立を迫る考えを示している。

 選挙戦の裏で展開される駆け引きに外務省の薮中事務次官が“核持ち込みの定義”を巡って「その時々の話はあった」と日米間で見解の相違があった事を認める発言をしている。 

 日米の「核密約」とは核兵器を積載した米国の軍艦や航空機の日本への自由な出入りを認めることを約束した、日米の首脳による合意を言う。’60年に改定された現行の安保条約の下では、米国が日本に核兵器を持ち込んだりする場合には、日米間で協議する“事前協議制”が定められている。しかし、改定直前の藤山外相と米国マッカーシー大使が交わした秘密の取り決めに『事前協議』は「米国軍隊と装備の日本への配置、米軍機の飛来、艦船の日本領海や港湾への立ち入りに関する現行の手続に影響を与えない」と交わしている。

 外務省はこれまで「密約は存在しない」と言う完全否定してきたが、「核密約」を裏付ける資料は米国政府の解禁文書から再三発見され、高級外務官僚が核密約の存在を認めるなどの経緯があり、核密約の存在について日米間に温度差があることはよく知られている。
 薮中次官の発言は民主党政権が現実味を帯びてくる中徐々に姿勢の修正をして、新しい対応が出来るよう舵取りしているようだ。万一、現政権が継続した場合にも民主党はここを強く押して“非核三原則”の法制化に向けた取り組みは忘れてはならない…。
 核兵器廃絶を目指すヒロシマの願いでもある。成り行きへの関心は強い。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月16日 (水)

映画「アンを探して」に込められた反戦平和の願い

 日本とカナダの共同製作映画「アンを探して」を見た。長年、企画を温めて来たプロデューサーに若干30歳の監督の女性コンビを迎えての試写会だった。

 「赤毛のアン」が出版されて100周年を記念した企画の一環でカナダ政府の一億円の助成金をベースに日本政府も助成を協力しアンの故郷カナダのプリンス・エドワード島で26日間のオール・ロケで制作された。

 物語は2008年の夏。プリンス・エドワード島に一人の少女・杏里がやって来る。一緒に来るはずだった祖母・静香が大切にしていた「赤毛のアン」を持ってきた。祖母が60年余も前に戦争の傷跡が残る東京で、初恋の相手だったカナダ人兵士に貰ったものだった。祖母が残したノートには黄ばんだ灯台の写真とバラの花“ピース”が描かれていた。これを手掛かりに少女は祖母の初恋の人を探し始める。 見守る祖母の友人・マリや燐人ジェフとの交流やジェフの息子への淡い恋心…。旅の終わりに、少女を取り巻く人達の支えで祖母の初恋の人?の墓を見つけ、杏里の旅を心暖かに締めくくる…。

 大詰めになって祖母の初恋の人の遺品の中から「被爆後の広島」の写真を見つけ、生前彼の顔には「放射能の影響…?黒い大きな痣があった」と、彼を知る人が証言する。
 あれ…と思いながらも「彼は広島で被爆をしたの…?どう言うこと…?」
 極めて小さな、どうかすると見逃しかねない設定は“何故”なのか…上映後、宮平貴子監督に聞いてみた。
 沖縄生まれ沖縄育ちの彼女は悲惨な戦争にまつわる多くの事実や歴史の中で育ち、今も機会あるごとに広島・長崎、沖縄の悲しい歴史を伝える大切さを持ち続けている。
 この映画の中でも祖母の初恋の人を探す過程で一人のカナダ人退役軍人は「日本の捕虜キャンプで多くのカナダ人捕虜が死んだ」事実を突き付け「責めてはいない、知ってほしかった」と語る…場面がある。

 初めて長編制作にチャレンジした若い監督が目指す映画の中で『戦争は最大の悪、広島の被害はそのシンボル…』という意識がこの映画を通じて“小さな仕掛け”として織り込まれた…ように思う。こうした姿勢は、若い映画人としての主張であり誇りでもあろう…。
 3月に見た完成前の試写では感じなかった”反戦平和のメッセージ“の仕掛け効果が私には強く響いたように思う。山田洋次監督が「母べい」で仕込んだ、広島出身の「父べい」に、故郷に帰って原爆に見舞われた妹が原爆症で逝った想定を超えるシナリオであり強いメッセージだ。爽やかで人の温かみを伝える映画として、親子での鑑賞を勧めたい秀作だ。
 < 問い合わせ 広島映画センター 082-293-1119  HP:http://www.h-eigacenter.co.jp/

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月15日 (火)

出口調査

 30日の衆議院総選挙の投票日を前にテレビ局はキー局もローカル局も今は(8月25日)「開票速報」の準備に追われている。この記事の掲載時は新?政権が始動している。
 日本のテレビ局が行う「開票速報」番組は、選挙管理委員会(選管)の開票作業が始まって間もなし開票率0%にも拘らず「当選確実」を報じる。
 多くの視聴者は慣れてきていて当然のように見ているが、疑問に思っている方達も多いい事と思う。あまりに早い「当確」に対して選管に抗議するケースは今もあるようだ。
 しかし、この「当確」はあくまで選管ではなく放送局がそれぞれ独自の調査とデーターを基に自己責任で放送している。

 この早い「当確」の裏には選挙戦中の世論調査で、各選挙区でどの候補が有利かを調べ、記者が各陣営の選挙参謀や運動員から戦況・状況をつぶさに取材する。各陣営は自分の陣営についてはあまり詳しい情報を出したがらないが他候補の情報は良く漏らす。これらを総合して選挙区全体の情勢を見極めて行く。

 その上で投票日には各選挙区の投票所に出向き「出口調査」を行う。投票を終えて出て来た人に<どの候補・どの政党>に投票したかを聞く。中には正直に答えない人もあろうが、数を集めれば全体像に大きな狂いは出ない。嘗ては「○○党や△△党の支持者はあまり正確な返答をしない。党本部が明確にしないよう指示している…」と言われる時期があった。だが、最近は大多数の人が協力的で「日本の出口調査の精度は極めて高い」との評価だ。当然、精度を高めるためには一定数以上の聞き取りが必要条件で、一放送局全国ネット単位で見ると数十万人を対象に行われている。期日前投票率が高くなってきた昨今はここも手が抜けなくなって、連日投票所に調査員が張り付いている。

 この「出口調査」結果は有権者の投票行動に強く影響するので当然、午後8時までは報道しない。逆に言うと各陣営から見ると調査結果は投票締め切りの午後8時までの最後の追い込みに活かす為に、喉から手が出るほど欲しい情報として、各局記者に探りが入れられる=裏・逆取材が激しくなる。

 各放送局は投票が締め切られる午後8時になると一斉に「当選確実」の速報が流れる。
 選管の発表は遅いが開票所は公開で、候補者50枚ごとに束ねられる集計作業を独自にチェックすることが出来、各社はベテランを派遣して読み取り作業も怠らない。
 未だ不慣れな時代に「当確ミス」は間々あったが、最近ではほとんどなく、開票速報は、今後完全な電子投票システィムが導入されるまでは「出口調査方式」が活かされて継続されることになるだろう…。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月14日 (月)

選挙とインターネット

 やっと総選挙の幕が切って落とされた。“政権交代“が最大の焦点だ。
解散から投票まで40日と、少し間延びした感も少なくないが兎に角走り出した。
 マニフェスト選挙も少し慣れてきたが各政党の出した最後に自民党が出して野党の施策を論うと言う情けない戦略は国民の目から見て「追い詰められた…」感じは否めない。

 選挙運動の中で公示後厳しい縛りがかかるのが“インターネット”だ。
 選挙運動で使える文書図画の種類、数量は法律で定められており、それに違反すると2年以下の禁固か50万円以下の罰金になる。
 公選法の規定では、インターネットであろうと何であろうと、公示前は「政治活動」しか出来ず「選挙運動」をしてはいけない。立候補予定の人の名前や対象の選挙名を明らかにして、投票依頼を行うのが選挙運動であり、公示前に行うと選挙違反になる。
 つまり「インターネット選挙」というものは本来あり得ないのだが、現状は選挙期間中でもインターネットは利用されている…。

 インターネットなど視覚に訴えるものは「文書図画」と見なされる為、インターネットで選挙運動を行うことは事実上禁止されている。
 従って、最近は政治活動をする候補者はブログと併設した「候補者公式サイト」を持ってプロフイールや政策・理念など入力し、選挙期間中はそのまま掲示しおき、ブログや掲示板は公示後に更新をストップし、書き込みも出来なくする。この程度で、生きていない。

 米国のオバマ大統領がインターネットからの寄付で選挙資金を集めたと言う話題はよく知られている。米国ではTVに加えてインターネットが選挙に於ける大きな武器になっている。オバマ氏のメッセージをサイト上で読み聞きし、ネット経由の小口献金はクレジットカード通じて出来、何百万人もの有権者から広く薄く資金集めをした…。

 インターネットは今や生活の一部になっているインフラだ。日本があえて使わないこれ一点で、日本の選挙というか遅れた国のイメージが避けられない…と言えば言い過ぎだろうか。総務省が制度設計をして検討し各政党も案を示してはいるがまだ5~10年先になってしまうのではないかと言う見方が強い。

 日本で選挙活動が細かく規明け制されているのは「不正行為の発生を抑え、各候補の無用の競争を避け、選挙費用の増加を避ける」為だが、インターネットによる広報は選挙にかかるコストを下げるはずで、ネットの普及前に定めた規制が、現状に合わなくなったわけで、規制自体に問題があると言えよう。選挙後、新政権の大きな課題だろう…。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

アマ映画「妻の貌」

 いま、全国の映画館で上映されている原爆症の妻を半世紀に亘って撮り続けた広島のアマチュア映像作家のドキュメンタリー映画「妻の貌」をDVDで見た。

 監督は広島市の酒造メーカーの社長の傍ら60年近くカメラを回してきたアマチュア映像作家の川本昭人さん(82)。川本さんは1958年に長男の誕生を機に8ミリフィルムのカメラで撮影を始め、「広島8クラブ」と言うアマチュア映像クラブを結成し、以来50年「家族」や「家」「原爆」など身近なテーマを通じて作品作りに取り組み、国内外の映像コンクールで多くの優秀作を残してきた。

 「妻の貌」は戦時中、学徒動員先で知り合い原爆の惨禍を潜り抜けた後、昭和28年('53年)にキヨ子さんと結婚する。被爆の影響とみられる倦怠間に悩みながらも、寝たきりの義母や孫の面倒見に追われ、戦後23年経った昭和43年に甲状腺がんが見つかり原爆症を宣告された事に始まる。死と向き合って生きる妻の日常を丁寧に映し撮って行く…川本さんの愛情あふれる妻へのメッセージだ。

 川本さんは夫として健気に家族に尽くす妻に寄り添うように、また一人の父として静かに見守るように妻、母、子と孫達のありのままの姿を半世紀にわたって記録した。川本家の50年の家族ヒストリーと妻の生き様を通して、戦争原爆が残した深い傷跡を浮き彫りにした1時間54分だ。

 作品は2001年に完成し国内外の映画祭で上映されたのを機会に感銘を受けた映画評論家の佐藤忠男さんが川崎市のアートセンターに「一般公開出来ないか」と相談した。センターの支援に加え佐藤さんら有志も数百万円の配給資金を出すことで公開が決まった。
 映画人らの熱烈な後押しに川本さんは「原爆の記憶が薄れてきている今だからこそ見て欲しい」と全国公開を喜んでいる。

 川本さんが師と仰ぐ新藤兼人監督は「川本さんは結婚以来、妻を見守りつつ、その姿を描いてきたが、全く個人的な作品でありアマチュア作家ならではのことで、人間の記録だ。
 しみじみと生命の尊さを感じさせる世界にただ一つの作品だ」と高い評価をしている。

 若かった妻の顔が次第に老けて皺が目立つようになり、その皺が人生の襞として生命の尊さを感じさせる静かな中にも生きる強さが脈打つ作品だ。
 <妻の貌HP http://www.tumanokao.com>
 <川崎市アートセンター http://kawasaki-ac.jp/ >

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月13日 (日)

共同通信ニュース  原爆漫画『はだしのゲン』アメリカの読者

 1945年アメリカは広島に原爆投下した。 その後一人の少年の原爆後の経験を10巻からなる漫画で描いた。アメリカの読者にとって、日本のこの漫画から核兵器の破壊力について知ることは驚愕すべき経験である。

 中沢啓治氏の自伝的劇画『はだしのゲン』はすでに、フランス語、朝鮮語、ロシア語、スペイン語、タイ語、エスペラントも入れ、その他の言語に翻訳されている。
 ニュージャージー、ホースローンの保険代理店オーナーのメアリー キャロル(50)はネットで入手できる4巻を買い、この原爆を生き伸びた少年の話に夢中になった。
「はだしのゲンを読むまで、私は罪のない人々の苦しみを理解していませんでした。これは小学校や高校で学び語ったことではありませんでした。」とキャロルさんは共同通信にメールで語ってくれました。
 「これは私のとって恐ろしいことです。また広島や長崎がまた起きるかもしれません。ここアメリカにいる人たちは戦争の破壊性を知り理解することさえないのです。『はだしのゲン』は私たちにとって目撃者なのです。」と彼女は書いています。

 70歳になる中沢氏は爆心地からおよそ1.2キロのところで被爆しましたが、奇跡的に崩壊したコンクリートの塀の下で助かりました。1メートル先に立っていた同級生のお母さんは彼の目の前で焼け死んだと彼は言っています。
 中沢氏とこの漫画の翻訳チームは、4月プラハで核兵器の無い世界ついてスピーチしたアメリカ大統領バラクオバマ氏と家族に英語版全10巻を今月末に送ろうと計画しています。
 中沢氏は、オバマさんとお嬢さんがたが私の本を読む機会を持って欲しいと願っています。

 石川県金沢市の翻訳グループ、プロジェクトゲンによると、英語版全10巻は7月26日までに完成し8月にはアメリカでも入手可能となるといっています。
 サンフランシスコ、ラストギャスプ社の英語版出版に関わるコリン ターナー氏も初めてこの漫画を読んだ時感動しました。
 「深い感動を私に残しました。読んだだれもがそうでしょうが」と電話とメールインタビューでこの本を出版しようと決めた理由を語っています。
 漫画の形あることで、若い人達にとって戦争と原爆の恐ろしい真実を理解しやすくしてくれる―とターナー氏は言います。事実『はだしのゲン』は大学、高校でテキストとして使われ広く読まれています。

 サンフランシスコ郊外のダイアブロバレー大学の英語准教授のアダムベッシー氏(29)は「文学としての劇画」という講座で『はだしのゲン』第1巻をテキストとして選びました。18歳から25歳までの学生が学んでいるそうです。
 アメリカでは大学レベルで漫画を使うことにはアカデミック的偏見がありますが、『はだしのゲン』は学生に対してとても教育的だと彼は言っています。
 「学生たちは明らかに、中沢氏の恐ろしい体験と原爆の劇画に影響を受けています。彼らは私が選んだどのテキストに関するディスカッションと同じくこの本に関して長い議論をし、その中でこの影響について語っています。」彼はメールで語っています。
 感情的な反応を超越して、戦争の本質について思慮深い議論をしました。中沢氏の経験だけではなく今起こっている一般的な戦争についても議論しています。
 大学生のキールパウエル(24)は数年前にベッシー氏の講座を受講し、メールメッセージで以下のように語った。「溶けていく顔を持った日本人を見ることで私は仰天し、開いた口が塞がりませんでした。」
 『はだしのゲン』は読者に抑圧された感情を経験させます。また、破壊的な核兵器は不必要で、破壊の結果はいかにひどいものであるか理解させてくれます。
 フレデリックスコット(59)は二巻目の翻訳にかかわり、また旭日章を受賞しています。彼は『はだしのゲン』のアメリカへの影響を別の角度から述べています。
 「私は、『はだしのゲン』はアメリカの劇画発展に実際影響があったといっていいと思います。というのはアメリカでは決して大きな商業的成功は無かったものの、アメリカ人の芸術家がより長い、より複雑なストーリーに挑戦をさせる気にしたのです。」質問に答えてメールで返答しました。
 一例はアートスピーゲルマンでしょう。彼は第二次世界大戦についての小説的作品MAUSでピューリツァー賞を受賞しました。それは漫画又は劇画といえます。
 中沢氏はご母堂が1971年60歳で亡くなられた後被爆経験を描こうと決意しました。
 「火葬された後、母の骨が消えていたのを見た時、たぶん放射能の影響でしょうが、原爆が母の骨さえ奪い取るのかと怒りでいっぱいになりました。」
 70年代初期漫画週刊誌に『はだしのゲン』を書き始めました。そして日本人読者の心を奪う話の展開と恐ろしい芸術形式で夢中にさせました。

 最初の英語版プロジェクトは1977年頃日本で、アメリカ人と日本人の学生によって始められました。
 アラングリーソン(57)東京在住は、そのプロジェクトの創設メンバーです。コンピューターの無い頃、日本の漫画を英語に翻訳する様子を回想していました。
 大変だったのは手作業でした。画像を切り取り、それを反対にして貼り付けました。右から左に読む代わりに左から右に読むアメリカ漫画のようにするためでした。
 グリーソン氏によると、そのプロジェクトによる1~4巻は、70年代後半から10年ほどにわたり小さな出版社から出版されました。
 2000年、金沢ロシア語センターで仕事をしていたプロジェクトゲンの代表者・浅妻南海江さん(66)がロシア語版完成の後、7人のボランティアと共に別の英語翻訳本に取り掛かりました。ターナー氏によれば、プロジェクトゲンとラストギャスプ社は2004年新訳で再出版することに合意しました。
 浅妻さんにとって、翻訳者として最も報われたと感じる瞬間は、読者からの励ましの手紙を読む時だ。
「彼らの手紙を読む時、大変だったことが価値のあるものだと感じます。」と彼女は語ります。
 イギリス ウエストサセックスの(24)のベンさんの『はだしのゲン』について手紙を最近受け取りました。「ゲンの話は、力強く、感情に富み、すごいことです。すべての国の政府と兵士に、またこんなことが起こらないようにこの本を渡すことができたらいいと思います。」

 ターナー氏はこの読者の気持ちに対して、『はだしのゲン』が広く読まれることを強く願っています。彼は広島長崎の原爆から64年経ち世界は核兵器の恐ろしさを忘れていない事を願っています。
 「残念ながら、私たちは、不安定な状況の中核兵器を持つ国があり、かつてなく核爆弾の脅威に曝されている」と彼は言います。    <富永タカキ>

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月11日 (金)

ひろしま朝市

ひろしまし朝市に久しぶりに出かけた。
ひろしま朝市は、毎週日曜日、朝8時から、富士見町の平和大通りで開かれている。

1_8

前回行った時は11時近かったと思うが、影も形もなかった。
今回は8時20分ごろいった。
なんとか間に合った。
テーブルの上に載せられた籠はもう殆ど空になっている。
これでは9時頃には売り切れになりそうだ。

凄い賑わいだ。

主婦といった感じの人が多いが、犬の散歩がてら寄ったという感じの人もいれば、自転車に乗ってきた人、車で来た人もいる。
市営の駐輪場、駐車場が隣接しているから、便はいい。

自分の畑で採れたものを持って来ているからだろう、
売っている品物の量はそれほど多くはない。

朝市の良さは、作っている人の顔がみえることだ。
何か温かさがある。
「これ、いくら」
「2つで、100円でいいよ」
と話をするのがまたいい。

ショッピングセンターで買うのとは、まったく違った感覚である。

この野菜は、この人が作ったのだというのがわかるのも、また不思議な感じだ。

「朝市で、売っているのは、殆どが女性だ。
農家の嫁という立場では、個人のお金を持つことは今まで殆どなかった。
あちこちで開かれるこうした朝市は、それを可能にしてくれた。
朝市は農家の嫁の生活を変えた」
というレポートを、先日新聞で読んだことがある。

そんなことも朝市にはあるんだ。

色々な物語が、朝市にはあるようだ。

太田川のシジミも売られている。
売られているのは、今は野菜が殆どだが、魚だって売ったらいい。
牡蠣だっていい。
もっと多様な食材を売ればいい。

広島市の食料自給率は3%だという。
朝市は現状ではまだまだ趣味の域をでないが、その自給率を高めるためにも大きな役割を果たす可能性もある。

ひろしま朝市が、もっともっと盛んになることを期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月10日 (木)

店先の坪庭―松籟堂

袋町通りに面したビルの1階に、小さな緑の空間が作られている。
緑と石を巧みに使って、なんともシャレた空間を作り出している。
和風建築でよく使われる「坪庭」を、ここではお店の店先に作ったというわけだ。

1_7

「坪庭」をネットで検索すると、
「坪庭とは、坪単位の小さな庭のことで、『壷庭』と称されることもある。
日当たりが悪く、狭くて窮屈な間取りの京町屋において、採光と風通しを図るべく部屋と部屋の間に造られたものが起源とされている。
水のせせらぎやそよ風になびく木々、時間の経過とともに違った表情を見せる景石を使って、自然の風情を感じさせる要素を極めて小さな空間に凝縮して作られている。」とある。

坪庭は日本独特の芸術だ。
その技法をお店の店先の演出に応用したというのが上手い。
白い花も植えられている。
ちょっと今風にしているもいい。

板に筆のタッチで描きこまれた松籟堂と書かれたお店の看板もなかなか風情があっていい。
松籟堂は広島に古くからある表具・表装のお店のようだ。

こんなところにも広島の文化を感じる。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月 9日 (水)

シャレオとセブンイレブン

広島の地下街シャレオにコンビニ・セブンイレブンがオープンした。
朝7時から夜11時まで開いているという。
まさにセブン→イレブンだ。

1_6

それにしても、随分と混んでいる。
コンビニでこんなに混んでいる店は見たことがない。

シャレオを通る人は1日、17万人という。
そごう、パセーラと本通り商店街を行きかう人、アストラムラインを使っている人、バスセンターを使っている人、県庁、広島市立病院に行く人、周辺のビルに勤務する人と多種多様な人がシャレオの地下通路を通る。
お店があろうが無かろうが関係なく、シャレオを通らなければならないという人は多い。

そうした人たちにとって、このコンビニ・セブンイレブンは正にCONVINIENTなお店だ。

お店の看板も、他の店に合わせて、小さくオシャレに作られている。
通常コンビニの看板は、ビルのデザインなんかに関係なくバカでかく作られている。
建築家が設計した建物の外観なんか全く無視されている。

ここシャレオのセブンイレブンの小さな看板は、コンビニにしては極めて例外的なことだろうと思う。

通路から見るお店の外観もなかなか綺麗だ。
店の中も、他の店と随分と違った並べ方がされている。

こうした雰囲気を作り出すのに、シャレオもセブンイレブンも、両社が随分と苦労しただろうことが覗える。

もっと早くできてよかった類のお店だと思うが、今まではコンビニとしての必要な広さが確保できないとか、シャレオのコンセプトに合わないとか、いくつかの問題をクリアできなかったのだろうと思う。

シャレオは若い女性向けファッションタウンであることを、基本コンセプトにしてきた。
コンビニ導入は、そのシャレオにとって大きな方向転換を意味する。
勇気のいることだったと思う。

しかしこの混み方、雰囲気を見れば、結果オーライだ。

そこを通る人々にとっては最高に便利だ。
開いている時間も朝の7時からと早いし、閉まるのは夜の11時だから、それも便利だ。
閉開店時間が大幅に伸びたことで、いつ通っても地下街は明るいということになった。
通るのが楽しくなった。

このコンビニは、シャレオの他の店にも、いい影響を与えているはずだ。
紙屋町・基町地区の中心市街地にとっても大きな賑わいの発信拠点ができたことになる。

シャレオにはまだいくつかシャッターが閉まったままのお店がある。
これを契機に新しいお店がどんどんでてくることを期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月 8日 (火)

コンクリートブロック塀

住宅の塀にコンクリートブロックが使われているのをよくみかける。
どうも私はこれが好きになれない。
生垣と違って維持管理の手間がかからない、燃えない、工事費が安いとか、色々メリットがあるからこれだけ普及したのだろう。
しかしなんとも醜い。

1

ちょっと調べてみると、
「第二次世界大戦後、焼け野原になった都心を復興させるために、簡易で高い不燃性を有する素材が必要となったことからコンクリートブロックが注目された。アメリカからブロック製造機が輸入され、工場で規格化されたブロックの大量生産が始まると、またたく間に全国へ普及した。国産品も出現し、規格が乱立するおそれが出たため、早くも1952年にはJIS規格化されている。(JIS A5406)」とある。

戦後、あの焼夷弾で簡単に燃えてしまった木造建築に懲りた人々は、市街地を防災地区を指定し、住宅の防災化をするように求めた。その頃盛んにつくられたのは躯体を木造で作り、外壁に金網を張り、そこにモルタルを塗る、ラスモルタル造の住宅が凄まじい勢いで作られた。
その時、塀も防災性能を高めるためにとコンクリートブロックが使われたのだろう。

都市部で流行したコンクリートブロック塀は、格好いい塀と映ったのだろう、どんな田舎に行っても見られるようになった。

しかしそれ故に取り入れられたブロック塀は、同時にいくつもの問題点がある。

コンクリートブロックはただ積み上げただけでは地震にあえば簡単に壊れてしまう。
そのため地震の多い日本では厳しい安全基準が作られている。
望ましい高さは1.5M以下、厚さは12CM以上、基礎はコンクリート造でL型が良い、深さは45CM以上、控壁は3.4Mごとに40CM以上の突き出しを設ける、縦筋、横筋は直径9MM以上のものを80CM以下の間隔で入れる等
いろいろ基準がある。
しかし現実には、その基準の沿って作られているのは殆どない。

各地の地震でコンクリート塀が壊れ、死傷者がでたり、壊れた塀が道路をふさぎ、消火、救急活動の妨げになっている例は沢山報告されている。

コンクリートグロック塀は建物の間は50CM以上離すよう指導されているが、それだって殆ど守られていない。
建物の間が狭いことで、風通しが悪くなり、いつもじめじめしているケースも多々見かける。
隙間が殆どゴミ箱同然になっているケースも見かける。

しかしだからと言って、コンクリートブロック塀そのものが悪いというわけでは決してない。

使い方がいい加減すぎる。

古くからある神社仏閣の土の塀にはなんともいえない趣がある。
また季節ごとに違った表情をみせる生垣も美しい。
きちんと表面を白く仕上げ、コンクリートブロックで作られたとは思えないほど綺麗な塀もある。
コンクリートブロック塀だって、扱い方次第だろう。

平和祈念聖堂を設計した村野藤吾氏が、「建物の美しさは足元で決まる」といっていた。
そんないいかたをするなら、「街の美しさは塀で決まる」といってもいいだろう。

これだけ豊かな時代になったのだ。
コンクリートブロック塀のビフォー&アフターを考えて欲しい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月 7日 (月)

庭のビフォー&アフター

TVの人気番組に、所ジョージの司会する「ビフォー&アフター」という番組がある。
古く、狭苦しい住宅も、改修したら、こんな素晴らしい家になりましたよというドキュメンタリー番組だ。
改修前の状態=ビフォー、改修後の姿=アフターというわけだ。
どの家にもそれぞれそれなりの歴史がある。
まだ貧しかった若い頃に作った住宅には、いろんな思い出が詰まっている。
そんな思い出を全て取り壊して、新しい家を新築するのでなく、思い出を出来るだけ残すように改修していく。
それを、建築家はどんな風にやるのかということも面白いし、工事にかかわる人たちの奮闘振りも興味深い。
出来上がって、初めてそれを見た、家族の驚きの様子は、TVを見ているこっちも一緒に感動する。

改修工事とはいえ、その金額の安さにも驚く。
そんな金額で、あれだけ綺麗になるんなら、うちもやろうと誰しもが思うだろう。

ビフォー&アフターはなかなかの人気番組になっている。

先日のTVで、今度は「住宅の庭のビフォー&アフター」を取り上げていた。
家は改修したが、庭は以前のままというのでは、やはりおかしいということになったようだ。

今度は「造園家」の登場だ。
単に植栽に工夫をからすだけでなく、改修した住宅で不要になった材木を使って塀を作ったり、キチンの流し台を使って小さな池をつくったりしていた。
出来栄えは感心するほどではなかったが、まあ確かに庭らしくはなった。

豊かな時代になって、住宅の改修も一段落したら、庭をもっと綺麗にしようというのは、自然の流れだろう。

日本には後楽園や兼六園といった大名の有名な庭園があるが、そうした作庭の手法だけでなく、町屋の坪庭という手法もある。
盆栽なんて手法もある。
草月流や池坊といった生け花のノウハウもある。
作庭のノウハウは色々ある。
それらを応用したら、住宅の庭もかなり美しいのができそうだ。

学校の校庭も、今までは、グランドがあって、鉄棒が置かれていれば充分という感じだった。

近頃は土のグランドより、芝生のグランドの方が生徒の活動は活発になるという研究もされている。
木だって、校庭の周りに植えてあればいいってもんでもないだろう。
校舎、病院、オフィスビル等の外壁、屋上を緑化するということも始められた。

マンションのテラスも植木鉢を置いているだけでは、皆満足しなくなった。

もっとお金をかけてもいいから、もっと環境にいい緑化、健康にいい緑化、見て美しい緑化をしようというように変わってきた。

これからの時代にあって、庭師や造園家、ランドスケープデザイナーといった人たちに期待される仕事は多様にありそうだ。

そんな兆しを、YV番組「庭のビフォー&アフター」に見た。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月 6日 (日)

シルク・ド・ソレイユと広島

シルク・ド・ソレイユ
カナダ・モントリオールを拠点にする現代版サーカス団である。
彼等は自分たちをエンターテイメント集団といっている。

アキハバラ塾の河口さんが先日モントリオールで開かれたお祭りジャポンに出店した際、シルク・ド・ソレイユのアジア地区担当プロデューサー浅川さんと知り合い、「広島でもやってください」とお願いしたら、「いいですよ」といっていたという。
プロデューサー浅川さんは日本人女性だという。

これは可能性がありそうだ。

シルク・ド・ソレイユについて調べてみると、
「シルク・ド・ソレイユは、火喰い芸の大道芸人だったギー・ラリベルテが、1984年カナダ・モントリオールに設立された。
日本語直訳: 太陽のサーカス
複数のレジデントショー(常設公演)、ツアーショー(巡回公演)を平行して行っている。
ショーのスタイルは、サーカスの伝統様式を取り入れているが、演者としての人間を強調する「ヌーボーシルク(新サーカス)」と呼ばれるもので、動物を使った曲芸は行わない。
大道芸、サーカス、オペラとロックの要素をふんだんに取り入れ、体を自在に曲げる軽業や、ジャグリング、力業、道化と空中ブランコなどがよく登場する。
彼等のショーに登場する衣装は非常に多彩でそして創造的であり、祝祭の雰囲気を醸し出している。
日本人もバトントワリグの世界チャンピオンだった高橋典子さんや、稲垣正司氏が参加している。
元オリンピック・シンクロナイズドスイミングのメダリスト奥野史子さんも参加していた。
ショー「Varekai」の衣装デザインは石田瑛子が行った。」
日本では常設会場はディズニーリゾート内に作られ、2008年から公演が始められた。
巡回公演は1992年から日本各地の主だった都市で開かれた。
広島市でも開かれた」
と書かれている。

世界各地で公演し、人気を博し、ラスベガスでは常設公演をするほどになって、一気に人気が爆発したようだ。

広島でも開かれた?
残念ながらその時、私は見てない。

東京に住む私の友人は、その東京で開かれた巡回公演を見にいったという。
会場は、ディズニーランド脇の常設館とは別に、代々木競技場の脇に作られたようだ。
話を聞くと、「ベッドに寝ていた道化師が夢を見る。
ベッドはトランポリンになっていて、想像の世界に飛び跳ねる。
そこから話が様々に展開していった」
という。
まあミュージカルが歌+踊り+物語とすれば、こちらはサーカス+物語と思えばいいようだ。
会場はテント内で演ずるのが基本的なようだ。

最近のオリンピックの体操やシンクロナイズドスイミングはもうサーカスにみたいに曲芸的だが、そのオリンピックでメダルをとった選手を積極的にリクルートもしている。
技も世界的レベルにあるというわけだ。
メンバーの出身国はオリンピック参加国の数ぐらいあるらしい。
そんな国際的なメンバーによるシルク・ド・ソレイユの公演が、劇団四季の公演のように、広島でも度々催されるようになったら素晴らしい。

以前広島での公演は、会場が商工センターだったこともあってか、あまり話題にもならなかったようだ。
公演内容もその頃より随分と進化しているともいう。
市民球場跡地に予定される芝生広場で催されるようになれば、もっと人気も出るだろうと思う。
3,000人程度収容の格好いいテントが張られれば、あそこなら目立つ。
話題にもなるだろう。
中心市街地への波及効果も期待できそうだ。
シルク・ド・ソレイユの広島公演が待ち遠しい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月 5日 (土)

どうなる“県のゴルフ場の買収”

 8月初め、開発当初から時の県会議長が公私混同の我が物顔に振舞って問題の多かったゴルフ場を巡る問題で再度“公金をほしいままにするような事態”の報道に驚いた。

 三原市本郷の広島空港周辺でゴルフ場やホテル等を運営している広島県が出資の第三セクター「広島エアポートビレッジ開発(HA開発)」が解散を前提にゴルフ場会員の預託金28億円の返済のために県に対して36億円で買収するように要請している…。

 ゴルフ場は広島空港に隣接する「フォレストヒルズゴルフ&リゾート」で1997年に60億円投入してオープンした。当時、法人賛助会員・個人賛助会員の名称で建設費などに充てる一口1200万円の預託金を預け、10年後に希望すれば返還する約束で、会員300人を募集した。当時の県会議長桧山俊宏が企画開発に強く関与し、完成後の運営にも口を挟み、ハンディキャップ1~2の腕を維持するために週に数回のプレーを我が者顔で振舞い大きな批判の的になった。

 HA開発は県が36億で買収するが、県かHA開発への貸付金24億円を相殺するため、実質的な県の買収費は12億円としている。HA開発は同じエリア内のホテルも別の三セクに売却を打診しており、ゴルフ場とホテルの売却収入などを合わせて預託金28億円の全額返済に充てる…計画のようだ。

 預託金の返済は昨年秋の経済危機以降に増え、支払いが困難になっていたが6月に東京都内の会員から預託金の返還を求める訴えが出されている。この人は昨秋返還を求めたら猶予を求められ、5月に支払う確認書を渡されていたが支払われない為、訴えた。

 県は9月県会を前にゴルフ場買収費用を補正予算に盛り込むかどうか検討している…という。HA開発は県が筆頭株主で43%を保有しており、ここで更に会員権の補償に公金をつぎ込むことに対して議会内でも批判の声が強く出ているようだ。当然のことだ。

 県民のスポーツ向上の名目であったかどうか定かではないが、国政選挙を挟み県知事選挙に至る過程で、県の天下り組織・シィスティム・第三セクターのあり方を改めて厳しく見直す時期に来ていると言えそうだ。
 
 桧山議長には当初は担がれ登場したが、後に散々な目にあった藤田県知事が任期最後の議会で、どのような采配をして締めくくり、公金や組織を欲しい侭にする勢力に対する決着をどのように下すのかが注目される。ここは頑張って厳しい対応を!藤田知事!!最後っ屁?

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月 4日 (金)

64年目の夏・原爆忌前後

 現役を離れて6年、古希も過ぎて比較的ゆとりのある8月冒頭の時間を過ごしてきたが、今年は久しぶりに忙しい時間を過ごした。
 「はだしのゲン」全巻英訳化の出版応援パーティーに“2020議定書キャンペーン”の市民実行委員会の発足など、いずれも重く大切な関わりを持つことができた。

 5日は議定書絵本の大口販売を打診している生協の全国集会“虹の広場”に足を運んだ。
中沢さんの「被爆体験」の証言のあと、会場では様々な取り組みが展開されていた。うたごえ、ユニセフ、平和アニメ上映、2020ビジョン・コーナーets。全国からやってきた人達が参加できる碑めぐりや被爆者証言を聞く会、原爆映画を見る会、紙芝居、講演会・核廃絶に向けて私達に出来ること…などと多彩だ。

 広島研究に取り組んでいる一ツ橋大学大学院のN君や広島出身で津田塾の学生Sさんもそれぞれの取り組みで頑張っている姿を見かけた。
 富田会長や林理事長に岡村専務にあって大会終了後に、市民実行委員会が議定書絵本や全国キャラバンにご協力頂く手だてを相談に乗って頂くようにお願いした。

 このあと、映画の周防監督の従兄で音楽家、[shall we ダンス?] 「それでもボクはやっていない」で二度の日本アカデミー賞音楽賞を受賞している周防義和さんのユニットのライブを聴きに行った。映画の部谷京子美術監督とのトークに続いて公開中の映画「ハゲタカ」のエンディングテーマを歌っているtomo the tomoさんが独特の歌い回しを披露した。映画にまつわる話とヒロシマを目指す志を披瀝した。

 6日は義姉の眠る女学院の慰霊祭に出席。新しい場所に移転して初めての慰霊祭だ。
 構内の東擦メの大きな楠の木に抱かれたとても落ち着くいい場所だ。
 慰霊祭の後、テレビアニメ「忍者ハットリくん」「新オバケのQ太郎」役の声優堀絢子さんの比呂理芝居を見た。軍医だった父が広島で被爆死した。被爆翌日に亡くなる少女と母を描いた芝居「朝ちゃん」の上演は1989年にスタートし、“反戦(半千)”をかけた500回を目標に公演し、この日で177回目の好演だった。
 女学院では6月に中高生全員が鑑賞している。この日も、慰霊祭に参加した300人が、一人で五役を務める堀さんの45分間の迫力の舞台に引き込まれ、ハンカチを目がしらに充てる人があちこちに見受けられた。

 夕方は新聞社の記者に呼び出され、今年の8・6についてインタビューを受ける。「トンネルの向こうに灯りが見える?」本物になるかどうか…。8・6後の運動がどう持続できるかが課題だ。「YES! キャンペーン」の盛り上がり、議定書絵本の販売は秋、冬に向けてどれだけ拡大できるか…地道な取り組みが求められる。
 これまで、一歩も二歩も離れていた平和活動に自らの責任を自覚しなければいけない…。
 そんな熱い8・6だったことを改めて思い返している。
 抗がん剤を飲みながらの昨年とは気分は大いに違った夏を迎えられたことが嬉しい。
 健康を取り戻しながら…少しずつ、出来る取り組みを進めてみる覚悟をした夏だった。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月 3日 (木)

発展する「影絵展」

 本通りから平和公園に通じる元安橋東詰めで5回目を迎えた「小さな祈りの影絵展」
 今年のテーマは『家族』です。
 5日の午後5時前から始まった準備は日暮れまでに整って完了。
 女学院、城北、なぎさ学園の生徒達は3回のワークショップで、半年以上前から取り組んできた成果が展示されるとあって、早くから参加して見守った。

1_32

 日暮れとともに、恒例になった影絵を見るために足を運んで下さる常連さん、関係者のお知り合いが顔を見せて下さる。1年振りの逢瀬を懐かしみながら会話が弾んでいる。
 今年は映画の周防監督の妹さんで画家のまり子さんが4日から3日間ギャラリーGで友人と二人展「NO MORE WAR EXHIBITION」を開き、監督の従兄で映画[shall we ダンス]「それでもボクはやっていない」の音楽監督の周防義和さんが長野から自分のユニット「yukkoダダルカ」を引っ張って広島に登場してコンサートを開いた。6日には、原爆ドーム対岸の慰霊の音楽会にも初登場し、影絵展にも顔を見せて華やいだ。
 毎年、顔を見せる東京のYさんは今年も息子職場の仲間や友人5人で、パリの大学で勉強中のDさんも顔を見せた。新しい文化交流広場だ

3

 影絵展のプロデューサー部谷京子さんや作家の濱崎ゆう子さんの人間関係を手繰る人達も、年々増えて広島フアンが増殖中だ…。
 今年の特徴は作品の三分の一以上が幼稚園と3校の中学高校生の作品で、濱崎さんが当初から考えて来た“市民参加の影絵展”が見えて来た。
 <給食がはじまった:家庭団らん:城北中><かげおくり:楽しく遊ぼう:日々日常:女学院中高><母と子の愛情:一銭洋食の輪:なぎさ中高><平和と希望のエノキ:未来に向かって輝け!命:洋光幼稚園>と力作ぞろいだ。
 ワークショップの成果が家族の絆や結びつきと言うテーマに沿った形に発揮され、子供達の中に着実に平和の芽を育んでいるのが見とれる。来年以降の拡充発展が期待できる。
 小さな祈りの影絵展は<浜崎ゆう子:影絵プラネット http://kageepla.net >にあります。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月 2日 (水)

3人乗り自転車の解禁?

子供をもつ女性からの強い要望もあって、7月から施行される改正都道路交通規則では、その基準を満たす自転車に限って3人乗りが認められるようになった。
自転車もそれなりの強度をもっていなければいけないとか、荷台の柵も高くしなければいけないとか色々条件がある。
前後に子供を乗せる場合には子供はヘルメットをしなければいけないとかの条件もついている。

しかしそうはいっても、2輪車であるかぎり、停まれば倒れることには変わりはない。
それに前後に子供を乗せていれば安定性も悪くなる。
2輪車で3人乗りは、どうも危なっかしい。

何人もの子供を乗せるなら、本来3輪車とか4輪車にすべきだろう。

広島市交通科学館の広場では、おもしろ自転車として様々の形をした自転車が走っている。
自転車に乗ったこともない子供用に作られているから、3輪車であり、4輪車であり、要するに絶対に倒れないように作られている。
2人乗り、3人乗り、4人乗りもある。
母親や父親が乗っても大丈夫なように頑丈につくられてもいる。

1_2

安全な3人乗りの自転車とは、案外こんなところにヒントがありそうだ。
おもしろ自転車を子供用の自転車とバカにしていけない。

こうした自転車を参考に、3人乗り自転車を作ったらどうだろうか。

大きくて車道をこんな自転車が走ったら、自動車と衝突する恐れがある。
第一邪魔だ。
というなら、こうした自転車専用のスペースを道路に設ければいい。

街中をこんな多様な形をした自転車が走っていれば、見ているだけでもだけでも楽しくなるではないか。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年9月 1日 (火)

平和と英語の一石二鳥

今年の平和宣言は、核廃絶を願う世界の多数派をオバマジョリティーと呼び、2020年までに核廃絶を実現する意味を訴え、新たな国連の仕組みなども提案されましたが、夜には世界に向けて英語での平和宣言も行われました。

秋葉広島市長はアメリカで教鞭を執っていたばかりでなく、同時通訳もできるという英語の達人です。
平和と英語の絶好の教材として、何度でも聴く価値があります。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

« 2009年8月 | トップページ | 2009年10月 »

関連書籍

  • サイフもココロもハッピーに!ちょびリッチ
2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31