広島ブログランキング

  • 広島ブログ
無料ブログはココログ

« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »

2009年8月

2009年8月31日 (月)

日本語教育センターと旧理学部校舎

7月31日の中国新聞朝刊に中国地方の私立大学37校のうち25校、68%が定員割れになっていると載ってた。
定員に対する充足率は91%と、昨年に比べ2ポイント高くなっているそうだが、しかしそれも、大幅に定員われすると、国の補助金が減額されるため、定員を削減する大学が増えているということが背景にあるという。
しかし少子高齢化の進む時代にあって、このままでどの大学も入学者がどんどん減り続けるのは止められないというのも、明らかなことだ。
これは一つ抜本的な改革が必要だ。

アメリカの大学やイギリスの大学がそうしているように、広島市内の大学も中国等海外からの留学生を大量に受け入れなるということはどうだろう。
留学生の受け入れをして、単純に学生数を増やし、失敗した例は、過去に沢山ある。
そもそもそれは日本語がきちんと喋れないこと原因があるように思う。
読み書き算盤とよくいわれるが、その前に日本語をちゃんと喋れるようにする仕組みが必要だ。
日本語が喋れなければ、何事も始まらない。
広島市内にきちんとした日本教育センターを作る必要があるだろう。
そのためには、
「広大跡地の旧理学部校舎を日本語教育センターにして、海外からの留学生は一度そこで受け入れ、日本語教育をする。
そこを卒業したら、各人に希望に応じて、広島市内の大学に入学させる。
日本語教育センターでの教育は広大に任せる。
センターの運営費は国、市、各大学、専門学校で案分する。
2国間親善協会が支援する
旧理学部校舎は大きい。
その一部を学生たちの宿泊私設にする」
というのはどうだろう。

1_3

日本国政府も2007年4月の教育再生会議による「留学生100万人計画」を作成し、同年5月の「アジア・ゲートウェイ戦略会議」は「留学生35万人計画」を発表している。
国家として留学生の受け入れは極めて重要な課題として取り上げている。
広島に留学生の拠点施設をつくることは、その国家戦略に協力することにもなる。

こうした形の受け入れの仕組みをつくることで、世界の若者が広島に集まり、交流することは、世界が平和になることにも繋がる。
留学生の受け入れ拠点は、広島市にあってこそ相応しいことだ。

「広大跡地を知の拠点にする」という当初のコンセプトにも適っているではないか。

世界各国から1,000人位の留学生がきたら、中心市街地の賑わいにも大きく貢献するだろうと思う。
当然広島市内の大学専門学校も活気がでるはずだ。

日本語教育センターを作るにあたって、学校法人化をどうするかとか、公園の中に学校、宿舎を作るのは適法かとか、いろいろ法律上の問題がでてくることも予想される。
そうした問題をクリアするには、別途日本語教育特区として認可を受けるとことも必要かもしれない。
日本語教育特区取得についても検討したらいい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月30日 (日)

河口さんとアキハバラ塾とカナダ

私の友人、河口さんは変な人だ。
いい年をして、若者と同じようにヨレヨレのシャツに綿パンツ姿でどこにでも現われる。

いいと思えば、後先考えず、サッサッとやってしまう。
口より先に手が出るといった感じで、始めてしまう。
彼なりに理屈があるんだろうが、自分の感性を信じて行動している。

まあ今時珍しい人だ。

喋り出したら止まらない。
話はあっちこっちに飛ぶ。

ウツウツ、ジクジクといった類の言葉がおよそ似合わない人でもある。

うつ病とか登校拒否の子も、彼としばらく一緒にいれば、治ってしまうだろうとすら感じる。
精神病のお医者さんにかかるよりいいかもしれない。

体力はある。
朝から晩まで動いても全く疲れを見せない。

そんな彼は、とうとう広島を飛び出して、カナダのモントリオールで商売するといって出かけて行った。

昨年秋に市長のカナダ訪問団の一員としていったとき、日本から筆や折り紙、扇子を持っていって、売った。
意外と評判がよかったようだ。
その時の経験から、カナダでは日本の古いものは売れると感じたようだ。
日本では価値がなくともいい。
ガラクタでいい。
価値があるかないかを決めるのは、買う人が決めればいいというわけだ。

1_2

どこの家にも、世代が交代し、不要になったが、捨てるには勿体ないと、処分に困っている品物は結構ある。

結婚式の引き出物なんてのも、その最たるものだろう。

普通はそれをどこかのフリーマーケットに出して処分している。
捨ててしまう場合もある。

そんな品物をカナダに持っていけば、もっと高く売れるはずだというのだ。

「そんなガラクタでいいのですが、ありませんか」と私の友人達に声をかけたらどんどん出てきた。

アキハバラ塾の事務所の中はそうしたものであふれかえった。
古いものだからなんとも汚らしい。
河口さんらしいと言えば言える。

そうして集めた古いお茶のセットや古い漆器を、モントリオールで売るんだいって、仲間と一緒に出かけて行った。

今回は8月1日でのモントリオールの「祭りジャポン」に参加し、テントのお店を開いて販売したという。

結果は、初めてということもあって、なんとか足を出さずに済んだという程度らしい。
初めてにしては、は立派なもんだ。

写真で見ると随分とこじんまりしたお店だ。
この程度の規模のお店で儲けるというのはそもそも無理だろう。

「日本人にはさして価値がないかもしれないが、歴史のないカナダの人には、そうしたものがなんとも美しいもの、歴史を感じさせるものとして尊ばれるようだ」という。

「それとおまけが一つありました。
あの有名な「シルク・ド・ソレイユ」のプロダクトマネージャは日本人で、「広島公演の開催に協力したい」と言ってくれました。
市民球場跡地に作られる予定の広場を使って、大イベントが実現できるかもしれません」
と興奮していた。

インターネットと時代の最先端を行く技術に詳しい河口さんが、古いものに価値を認め、それを売って商売にしようというのだから可笑しい。

河口さんはほかにも沢山やっていることがある。

これからの時代は農業だと言って市民農園も借りている。
でもこれは数回でかけただけで、あとは荒れるに任せているようだ。

これも河口さんらしい。

今回の話の原点はアキハバラ塾にある。
アキハバラ塾は「ネットで販売する方法を無料で市民に教えます」というのだ。
ネット販売の技術は大学でだって教えている。
アキハバラ塾のユニークなのは、すでに自分でお店をやっていたり、作っていたりする人に、「こうすればネットで販売できます。そうすれば広島に住んでいる人だけでなく、広島以外に住む人、例えば中国でも、カナダの人にも販売できます」ということを教えている。

教える内容は極めて現実的だ。

インターネットとはそもそも何か、なんてことはいわない。
理屈なんかどうだっていい。
今自分のお店にあるものをネットで販売するにはどうしたらいいかを教えるのだ。

塾に参加した人は、いまさらITがどうのこうのということを勉強なんかしている暇はない。
HPが無料ででき、それでお店の商品が一つでも余計に売れればいいという人たちだ。

河口さんは「広島以外の人に物が売れれば、広島市にとっても最高じゃないですか」という。
「ネットで一つでも余計に売れればいいじゃないですか。
今は大して売れなくとも、いずれ売れるようになればいいでしょう。
そんなお店が100も200もできてくれば、凄いじゃないですか」
という。
極めてネット時代の発想だ。

河口さんは、自分が儲けるためだけに頑張るわけではない。
他の人が儲けるのを手伝うのだ。
自分の持っている知識を惜しみなく人にあげてしまう。
いわゆる社会起業家だ。

そうした試みのアキハバラ塾を広島市が支援している。
素晴らしいことだ。

アキハバラ塾から沢山の新しい起業が生まれることを期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月29日 (土)

巨大折り鶴に挑戦

修道大学の学生たちが中心になって、両翼80M、高さ35Mの折り鶴に挑戦するという。
8月29、30日に修道大学駐車場に作るという。
面白い!
完成すれば世界最大の折り鶴としてギネスブックに申請するという。

1

折り鶴は幾何学的に見ても極めてレベルが高い論理だといえるそうだが、建築構造学的に見てもそれなりに理に適っている。
胴体部分の中心部に大きな塊があり、そこから伸びて羽、首、嘴が作られている。
先に行くほど細くなっている。
それを3次元に折った紙が支えている。

35Mの高さ、80Mの広がりを紙で実現しようというのはちょっと無理なような気がするが、すでに秋田では28Mの高さの折り鶴を実現しているという。
ということであれば、あながち無謀ということでもなさそうだ。
クレーンをつかったり、プラスチックを吹き付けたりと色々工夫の必要はあるだろうが、どんな工夫をするのか、それがまた興味をそそる。

折り鶴は沢山の数を折り、平和のメッセージを伝えようとする方法が一般的だ。
しかし今回修道大学の学生たちは世界最大の折り鶴を折ることで、平和のメッセージを伝えようとしている。

折り鶴にはこんなにも多様な表現の仕方があるということに驚く。

同時に、折り鶴は平和のメッセージを伝えるツールとしては極めて上手くできたツールだということにも感心する。

そうした諸々の背景があって、巨大折り鶴がギネスブックに取り上げられるということになったのだろう。
ギネスブックも粋なことをする。

ポスターにあるように、こんな折り鶴が市民球場跡地にできるだろう芝生広場に出現したら面白い。

昔円谷監督の映画に巨大な怪獣が街を破壊するシーンがあった。
次は世界を救う巨大折り鶴が原爆ドームの後ろに出現するのだ。
なんとも象徴的だ。

そうなれば、その時には世界中から観客、参加者が集まるだろう。
それだけで、数十万人になる?

新しい映画の製作も生まれるかもしれない。
期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月28日 (金)

黒田・中沢の「反核コラボレーション」

 イラストレーターでピカドン・プロジェクトなど独自の平和活動家・黒田征太郎さんと「はだしのゲン」の中沢啓治さんが出会った。
 
 8月初めの日曜日の朝、黒田さんの「PIKADONN」イラスト展が開催中のオリエンタルホテル広島のロビーで初対面となった。黒田さんの呼びかけに中沢さんが応えたもので、会うなり昭和20年・国民学校一年生組の同級生で、戦中派らしく口数少ないにも拘らず妙に早く打ちとけて、トントンと話が弾んだ。

 NY滞在16年の黒田さんは米国でもいろんな場面で「はだしのゲン」は見たが、「ゲン」を活かしてポスターやステッカーなどを作り、遊びに来た若者が買って帰り、帰ってから考え「広島の象徴としてのゲン」に、気づいてくれる…。もう一度読み直してみたり、新しく買って読んだり…に繋がるそんな物作りにも挑戦したい…と、熱い黒田さん。
 自由に、どこでも何でも使って活かしてよ!!と中沢さん…も、熱い。

 昼食を挟んで4時間余り、原爆資料館で買ってきた漫画「はだしのゲン」英語版ゲンを目の前に、黒田さんの手が忙しく動いて30分後に小さな最初のポスター?が出来た。
 中沢さんの作品を活かしたコラボ1号で会場に飾られた。これから2人の提携から何が生まれるか、楽しみだ。若者を引き付ける新しい手掛かりの誕生に期待したい…。
「2020議定書」の「YES!キャンペーン」強化策が次々に打ち出されることになりそうだ。

1_122_33_3

 3日の夜は同じホテルで、黒田さんは「戦争への"NO“ではなく、生きること・大切なものへの"YES”を皆で考えたい」との思いから、ミュージシャンと組んで音楽に合わせて絵を描くライブペインティングを行い、音楽評論家で「ヒロシマ独立論」の東琢磨さんと平和問題を巡るトークをした。そこへ中沢啓治さんを呼び込んだスペシャル・トークだ。
「核兵器のない未来に」ピカドンを超えて…がテーマの熱い討論だった…。

 黒田さんは16歳で米軍の兵器や弾薬を輸送するLSD629に乗り組んで沖縄に米軍基地をつくるのに結果的に加担してきた…。野坂昭如さんの弟子として沖縄戦童話に向かい合ったとき、日本人は戦後と言うが、いつも世界のどこかで戦争をしていて戦後はなく今も戦争中だと気がついた。黒田さんの平和論の原点に触れた感じの…沖縄だった。

1_13

 中沢さんに初めて会って今年は8・6で止めないで中沢さんとはだしのゲンと組んで「ステッカー」や「ポスター」作りを、休みなく秋、冬に向けて取り組む…決意を披瀝した。
 手塚治の新宝島に憧れた同世代の二人の気持が一つになった。今年は夏以降のヒロシマが面白くなりそうだ。

 トークに続いて音楽に乗った黒田さんは3㍍×1.5㍍のキャンバスに向かって1時間を超えるペインティングに挑戦した。敢えて、タイトルの紹介は無かったが、私のイメージは「世界のグランド・ゼロ・ヒロシマ」とでもつけたい感じを強く受けた。今日、敢えて黒田さんに聞いてみました。題は?「命」かな。それぞれの感じが大切…と言った。

1_142_43_4

 出来あがった作品を前に黒田さんは「この作品値段はつけません。気持ちのある方は買ってください。YES! キャンペーンの資金にします」とさばさばした感じで呼びかけた。
 今年の広島は夏が過ぎても秋、冬が来ても「核兵器廃絶」を声高に言う訳ではないが、きっと小さくても熱く長く燃え続ける予感がする。

 その、ベースともなるスペースが4日、鷹野橋の映画館“サロンシネマ(3階)”直下の2階に仮オープンした。“ピース・カルチャー”略して「ピカ」の店だ。
 世界に広がっている黒田流平和活動パフォーマンス『ピカ・ドン』の姉妹になる?
 面白そうで、楽しみだ…。この場が、どう活かされるか期待して、時々覗いて見よう…。

1_152_5

 映画を見ての帰りにはYes!がいやが上にも眼に入る。中の壁には「ピース・カルチャー」が書かれ本格オープンが楽しみだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月27日 (木)

“ブログ”が朝日新聞の記事になった

 一週間前の日曜日「英語版10巻完訳記念『世界へ飛びたて はだしのゲン』出版応援会なる集いを開き、海外や全国からそして広島の“中沢・ゲン・フアン”が集まった。

 「はだしのゲン」が今この時期に、全巻の英訳が完成する意義を入れ変わり立ち代わって高い評価をされ、喜ばれた。私は、会の中締めのご挨拶に次のようなことを述べた。

 きょうの皆さんが書いたメッセージと「はだしのゲン」が手元に届けばオバマさんの考えを更に変えさせる可能性は十分にあると期待したい…ものです。広島に足を運ぶ可能性も考えられます。しかし、意外に知られていない事実をお知らせして、「はだしのゲン」に後押しをしてもらえる可能性に期待を寄せたと思います。

 広島市は一昨年秋から全米50州の各州2~3か所で「原爆展」を開いています。
 オバマさんは一昨年の10月20日、予備選挙の最中に、イリノイ州シカゴのデュポール大学で開催中の「原爆展」へ偶然足を運び、一人で見学した。「核抑止論」者だった彼はこの後から「核兵器のない世界」を発言をしています (広島出身の宮本ユキ順教授が見届けている。)
 彼の考え方を「ヒロシマ」「原爆展」がつかみ、チェンジさせた…と見ることができます。
 今日のこの会から、オバマ大統領に皆さんのメッセージと一緒に届ける「英語版:はだしのゲン」は更にオバマ氏の心を鷲掴みにして広島へ引き寄せるのではないだろうか…期待したい…と言う様なご挨拶をした。   

1_11

 このオバマ氏がアメリカ巡回中の原爆展を見た…記事はこれまで数回に亘ってブログタウンNEWS広島平和大通り」に書いた。広島在勤中にこのブログを見ていた朝日のT記者が数日前に電話で引用の了解を求められて、同意していた。
 記事は「広島の元放送記者はブログに『偶然の遭遇が、彼の心を揺さぶり、チェンジを触発した』とつづった…と短いが8月1日付け社会面トップを飾る記事だ。
同日、国際会議場で開かれた朝日新聞恒例のシンポで久方振りに会った朝日のベテラン記者が「今日の記事は典明さんですね…」と声をかけて来た。
 意外な人達が見ている事実に、改めて驚くと共に、「老人の腹たち紛れのはけ口…」などと言って、いい加減に書いていてはいけない…と改めて自覚し、反省させられた。
 それにしても過日の“マツダRX500”が呼び寄せた驚きのアクセス数…と共に、ブログを通じて時代の波を感じる場面だった。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月26日 (水)

「YES! キャン・ぺーン」は老人パワーの平和活動!!

 2020年までに核兵器廃絶の道筋を示す「ヒロシマ・ナガサキ議定書」をテーマにした絵本が完成し、市民レベルの普及を目指して活動する「YES! キャンペーン」が動き出した。

 ピース・ボートで世界各地を巡って被爆証言をした被爆者が全国を平和キャラバンしたい希望と独自の平和活動に取り組んでいるイラストレーターの黒田征太郎さん(70)の平和活動「ピカドン・プロジェクト」がドッキングして、春から計画の検討をしてきた。
 
 月一回集まって交歓している草の根平和活動グループをベースに「YES!キャン・ぺーン」実行委員会(広島市中区宝町9-25、延本真栄子事務局長:082-247-6727)を結成。平和市長会議が提唱した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を2010年開催の核不拡散条約(NPT)再検討会議で採択されるよう、啓蒙活動をする。その為に、専門用語が多く難解な議定書を判り易く噛み砕いて絵とイラストをまぶして60ページの『議定書を読む絵本』にした。

1_102_23_2

   なぜヒトはヒトを殺すのか。なぜ人間は戦争を、やめることができないのだろう?…
   地球の上にアクマの兵器が あぐらをかいて 次の出番をまっている…  
 英文も添えた議定書絵本は1条から2条、3条と噛み砕き、「ヤスラカニハ ネムレマセン」ときのこ雲を思わせる怒りをあらわにした女性のイラストが「2条の一日も早く核のない世界を実現するには…時間をきめよう。…」を判り易く解説します。
 表紙カバーは黒田さんの友人で建築家の安藤忠雄さん(67)が「命ある限り全力で生きる」とメッセージにイラストを寄せている。ユニークな芸術作品であり平和戦略用武器だ。

 実行委員会はこの絵本を1部500円で売った利益で、早ければ8月中に「キャラバン隊」を全国に送り出し、原爆展や被爆証言をして平和市長会議にまだ入っていない自治体の加盟や、加盟後、議定書に署名していない自治体の賛同や一般市民の署名普及活動を始める。
キャラバンを全国に動かすには最低500万円の資金が要る。絵本3万部販売が最低目標だ。
 秋葉市長、早速の“推薦”は有難く、これを手掛かりに販路拡大を図りたい…。
 世界の自治体3000が加盟したが、国内では1800自治体の内、未だ300余の17%足らず。
 来年5月のNPTまで、キャラバンの活動は大いに期待される。YMCAに生協や連合の大いなる協力も期待されている。乞う! ご期待・ご支援!! 頑張ろう! 老人パワー!!! 

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月25日 (火)

選挙報道と新聞記事の画策?

 最近余り見る機会は少ないが半年くらい前から普段はあまり政治的な記事を扱わない週刊誌までも次期総選挙の予測・観測記事が目立っていた。「民主300議席?」「自民大敗」と言ったたぐいの記事だ。たまに開いて見ると、地元事情をほとんどご存じないと思われる学者や政治評論家が“呪い程度”のコメント付きで○▲×印で採点している。
 
 先週、朝日新聞が総選挙序盤情勢調査の結果「民主300議席うかがう勢い、民主圧勝情勢」「苦戦の自民半減か」と打った。読売も日経もほぼ同様の扱いだ。
 世論の風向きは、自民党が大勝した4年前の郵政選挙と全く逆方向だ。

 世論の風向き、つまりこの時期から投票日までの“風”はマスコミのサジ加減が大きな変化が生じかねない。従って慎重であるべきだし、逆に読者は厳しいチェックの時だ。

 いわく、一連の記事では“民主党の背中を強力に押しているかに見える民意の風”もそう簡単ではない。政権交代で日本の政治はどうなるか「よい方向に向かう」と思う人は24%に過ぎず「変わらない」と思う人が56%と大きく下回っている…と、民主党に対する「不安」がある…事をピックアップしている。
 
 今回の総選挙の最大関心事は「政権交代。あり・なし」だ。しかし、記事は“民主に不安はあるが、それでも『自民への不信が余りに大きすぎるから』今回は民主へ…”つまり、有権者の多くは手放しで政権交代を期待している訳ではないと言うことだ…と解説する。

 民主党が深刻に受け止めるべきは、子供手当55%、高速道路の無料化67%は「評価しない」と答えて、これらの財源を民主党が本当に賄えるのか「不安に感じる」人は83%にも達している…と指摘する。
 ご指摘の通り…と言いたいが、この論記者は自民と民主を同じ目線で見て論じている…片手落ちに気づいていない?…意図的だとすれば、極めて悪質な「民主後退」を目論む仕掛け記事…とでもいえるのではないだろうか。最近の記事から考えて十分あり得ることだ。

 7~800兆円の借金を国民に負わせ、どこに埋蔵金が隠されているか判らずに政府予算を
民主党が全面的に組み替え少なくとも4年以内に消費税も増税せず、国民主体の新体制の実現を公約している。選挙、後半にこの風向きを変えようとする記事がどれだけ掲載されるか…。揺り戻しを画策する記事は十分にあり得る。場合によっては“新聞購読拒否“も辞さない構えで、記事チェックが大切な一週間だ。全国紙が裏で結託して”バランスと言う風“を調整している…とは考えたくない…が…。厳しい読者の目でチェックを!!

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月24日 (月)

ソーラーカーと交通科学館

夏休み中の8月20日、交通科学館の工作教室で、ペットボトルにソーラーパネルを付けた車の作り方を教えていた。
対象は小学校3~6年生、25名だ。
かなりの人気だったようで、数倍のお応募があったという。

1_2

子どもたちは、この工作を通して
・車が電気のモーターで動く仕組みを知る。
・太陽の光で電気を作る仕組みを知る。
ことになる。
電気自動車が持て囃され、自然エネルギー問題がいわれる今日この頃、このテーマは随分と時代に適ったテーマだ。

今回の工作に使っているソーラーパネルは普通に買うと1,000円位するらしい。
それにしても、ペットボトルに、小さな工作用ソーラーパネルを上に載せて、車を作ろうなんて、個人ではなかなか思いつかないことだ。
小学校の元理科の先生の提案で始めたのだという。

同行してきた親の方が、夢中になって作っているグループもいた。
完成した車が、外に出て、太陽の下で走った時には「走った! 走った!」と嬉しそうだった。
何ともほほえましい夏の一日だ。

子ども達にとっては、これで夏休みの工作の宿題を済ませたことにもなる。

交通科学館としても立派な社会貢献活動だともいえる。

ソーラーカーの製作。
この日1回だけでなく、もっと度々実施してもいいテーマだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月23日 (日)

ドライミストとパセーラ前広場

パセーラ前の広場のあちこちに白い霧が噴き出すポールが設置されている。
手をかざしても、濡れない。

ドライミストと呼ばれる技術だ。

水を霧状に吹き出し、熱を下げる。
夏、庭や玄関先に水を撒くと涼しく感じるが、それと同じ原理だ。

NTT都市開発もシャレたことをする。

このドライミストが設置されてから、この広場に座る人が増えたように感ずる。
皆、なんとなく涼しくなったように感ずるようだ。

1

ドライミストの研究は2003年ごろからすすめられていたようだが、2005年に愛知県で行われた愛・地球博で導入されたことで注目を浴びたのだという。

「水に圧力をかけて霧状に噴出し、それが空気中で蒸発するときの気化熱吸収作用を利用して、周辺の気温を下げる。噴射される霧の粒径は 16μmと極めて小さいため、噴射されてすぐ蒸発する。
白く見えるのは城発している状態だ。
霧に触れても、濡れたと感じはしない。
ドライミストは周辺の気温を2~3度下げる効果がある。
電気代もエアコンの1/4~1/8程度である」
という。

いろいろ考える人はいるもんだ。

これなら、エアコン設備がないオープンカフェにも使えそうだ。
すぐに蒸発するといっても、湿度は高くなるのだろうから、壁面緑化の水遣りと組み合わせたらどうだろうか。

デザインだってもっと格好いいのをつくれば、街中のあちこちで使われるようになるだろうと思う。

「ドライミスト」
しかし上手い技術だ。
ちょっとした生活の知恵というやつだろう。
感心した。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月22日 (土)

マニフェストと財源問題

民主党も自民党もマニフェストを発表した。
両党とも、あれもやる、これもやると言っている。
オイ、本当にやるの? 本当にできるの? といいたくもなる。

お互いに、相手のいっていることはバラマキ行政だと言って、批判している。

自民党は「民主党はその財源をどうするのか。財源を明らかにしろ」といって批判している。
民主党は「無駄を省き、全体を見直せば、そのお金は出てくる」と言っている。
自民党は「その財源は消費税しかない。なのに、消費税を4年間は据え置くという民主党は無責任だ」といって批判する。
あえて言えば、両党の1番大きな違いはその財源をどうするかの問題のようだ。

8月20日の産経新聞に、その財源問題について、榊原英資氏が面白いことをいっていた。
「今日本の国債と地方債の合計は800兆円だ。
日本人の貯蓄残高は1500兆円だから、日本全体で見れば借金はない。
子供手当も高速道路の無料化も、その財源は国債を当てればいい。
長期金利も1.45%だから、決して高くない」
といっていた。

対して、元政府税調の会長だった石弘光氏は
「民主党のいう特別会計と一般会計の見直しで16.8兆円出るというのは逃げだ。
消費税を上げる以外に財源はない」
といっていた。

石氏は、いわば自民党の顧問といった立場の人であり、榊原氏の民主党の顧問といった立場の人だ。
その2人の発言が、それぞれの党のマニフェストのベースになっていると見てよさそうだ。

しかし、その両者のいっていることを良く見れば、なんのことはない。
その違いは、資金を国債で調達するか、消費税で調達するかの違いでしかない。
所詮国民から今以上に多くお金を取ろうということのようだ。
それなら、国債だったら金利がつくが、消費税だったら金利はつかないという程度の違いでしかない。

消費税の徴収にはそれなりの費用がかかるだろうから、国債の金利負担とそんなに差はないだろうとも思われる。

両者のマニフェストを個々に見ていけば、これは自民党の方がいいとか、これは民主党のほうがいいとか、色々あるが、どうも今度の選挙は、詰まる所、いままでの継続でいくのか、変えるのかということになるようだ。

どっちにしろ、お金の無駄使いはなくして欲しい。


といったら「お父さんも、無駄使いは止めてください」と言われてしまった。

「人生、無駄がないと、息が詰まって死んでしまう。
あれは単なる無駄ではない。
なんでもかんでも一緒にするな」
といって反論した。
??

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月21日 (金)

露語「ゲン」翻訳者はチェルノブイリ被爆者

 英語版10巻完訳記念「世界へ飛びたて はだしのゲン」出版応援会には内外の翻訳者やゲンのフアン105人が出席した。ウクライナから出席したヴァシレンコ・ニーナ・ミハイロヴィナさん(73)はロシア語からウクライナ語に翻訳中の元小学校教師の詩人だ。

1

 ゲンのスタイルで名古屋の中国語翻訳者の坂東弘美美さんはニナさんが’94年、初めて広島に来た時に読んだ詩「未来のために過去を忘れてはならない」を朗読した。
広島よ…/ 遠くウクライナ、チェルノブイリより/ 太古から流れ続けるドニエプルの岸部より/ 挨拶をたずさえてあなたの悲しみに満ちた過去に出会うため/ 私は想像の世界を飛んで行く/ しずかに しずかにー そよ風が息づく/……/ 広島を見下ろす悲しみに満ちた夕暮れ/原爆ドームはガラスのない空っぽの窓で/悲しげに川を見ている/ その屋根はいつまでも1945年8月6日を忘れる事は出来ない/ 原爆の炸裂、恐怖、叫び、子供達の泣き声/
……<略>……/ 戦争を打ち負かそう/戦争を呪おう/ 地上に平和と幸福を!

 ニーナさんはチェルノブイリ原発事故が起きた1986年4月はチェルノ南西75キロの寒村で小学校の教師をしていた。事故後、一帯は汚染が深刻な〔第三ゾーン〕に指定され被爆し、住民の多くが白血病やガンを患い、夫もガ’00年に肝臓ガンで61歳の生涯を終えた。
彼女自身も心臓が悪く、長男は甲状腺異常、孫の一人は脳腫瘍で村には一人も健康な人はいない…と言う。事故前に680人いた住民は死亡か移住でいまは390人になった。

「ゲン」との出会いは’91年ロシア語第一巻を読み、ゲンの姿に感動して住民に回覧し大きな反響を得た。学校を退職した’04年にロシア語からウクライナ語への翻訳を決意して「ゲンに元気をもらった、事故後に苦しむ人に読んでほしい」とこの程、第一巻を完成させた。

「はだしのゲン」が多言語化され、多くの国で受け入れられている背景について、翻訳関係者は朝鮮、中国など日本が及ぼした植民地や占領の歴史を正しく捉えている上に、日本の軍国主義や天皇制等を厳しく捉えて描き、日本が歩んだ近現代史が歪められることなく描かれている…点を挙げる。日本の若者に留まらずアジアや世界の国々から、教科書的評価を得ているのではないか…と指摘する人もある。

 何はともあれ、チェルノブイリ被爆者のニーナさんは2巻の翻訳に取り組み10巻の完成を目指して今後も奮闘する。“ゲン”は今大きな役目を背負って改めて世界に飛び立った…。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月20日 (木)

“ゲンの多言語化リーダー”は肝っ玉母さん

 プロジェクト・ゲンを引っ張る2代目代表の浅妻南海江さん(66)は金沢の整形外科病院の院長夫人。ロシア語のゲンを完成させた時「残りの英語版も完成させたら…」の言葉に押され’00年に金沢の市民グループ10人で取り組みを開始した。
 浅妻さんは7人の子供を持つ肝っ玉母さんで、仲間の信頼は厚く、10人を引き連れて広島に乗り込み、滞在はウイークリー・マンションに陣取ってこの日の会も盛り上げた。

1_5

 英訳の最初は米国の平和行進に参加した当時若干26歳の大嶋賢洋さんが何も知らない米国人に読ませたいと「はだしのゲン」を読ませたいと英訳かを考え、今回東京からら参加した翻訳家アラン・グリースン氏らの協力で’78年に[BAREFOOT GEN]を完成し、日本山妙法寺の藤井日達上人や平和団体の協力で3000部を米国に送りこんだ。これを機に、多くのボランティアの手でフランス、ドイツ、イタリア、エスペラント、インドネシア、カタログ、ノルウエー、スエ―デン語に翻訳された。英語版翻訳は4巻まで進んだ。

 一方、二代目プロジェクト・ゲンは’95年モスクワに留学していた浅妻さんの友人が「ロシア語:ゲン」に出会い協力して2~3巻を翻訳しモスクワで出版し、図書館や学校、平和団体に無料配布した。しかし、ロシア経済の悪化で活動が弱まり活動は凍結状態なった。
 しかし、作者や被爆者の思いを伝えるには部数は少なくても全10巻の翻訳をしたいと決意してパソコンによる画像処理を行いながら、‘99年に再開し’01年に完成させて、金沢で自費出版にこぎ着けた。

 この勢いで'00年、英語版の翻訳に着手し、7人の翻訳者ボランティアが名乗り出た。
「ゲンが謳う替え歌や広島弁の感じを出す苦労をしながら」8巻まで完成させ、今回9、10巻を完訳し、秋までに印刷を完了して1000セットの販売にかかる。

 売り上げを見越して今回の企画に走った母、浅妻南海江さんを東京から駆けつけた娘の牧子さんは「何事にも一途な母を改めて見直し、敬意を払いたい」と母のバイタリティーに脱帽だった。
  全巻出版はロシア、朝鮮、スペイン、タイ、フランスに今回の英語だ。出版が進行中はトルコ、オランダ、ポーランド、イタリア、ドイツ、ギリシャ、フインランド、ウクライナ語。出版準備中は中国、フィリピン、クロアチアで18ケ国に拡大中だ。
 金沢の肝っ玉母さんが放つ「はだしのゲン 世界旅」は翼を広げて高く広く舞い上がっている。    *プロジェクト・ゲン project-gen@msg.biglobe.ne.jp

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

英語版完訳・世界へ飛び立て「はだしのゲン」

 4月から準備をして来た「はだしのゲン」の英語版10巻の完訳記念の出版祝賀会が開かれた。プロジェクト・ゲンが2代・15年にわたる努力の成果で各方面から高い評価を得た。

 26日に広島市のメルパルクで開かれた「英語版10巻完訳記念『世界に飛び立て はだしのゲン』応援出版会」にはタイや中国、ウクライナからまた国内では東京から沖縄まで40人、県内から62人総計105人が参加した。

 「はだしのゲン」の誕生は昭和46年、当時170万分の発行を誇っていた「週刊・少年ジャンプ」誌上に連載さ、昭和50年(’75年)に単行本化されて爆発的な人気を集めた。
 昭和51年には最初の英語版が出来、話題を呼んだ。その初代プロジェクト代表で当時27~8だった大嶋賢洋さんや米国人翻訳家のアラン・グリースンも駆けつけてくれた。30年余ぶりの対面だが、しっかり互いに顔覚えていた。彼も還暦を迎える年になっている。

 2代目プロジェクト・ゲンの代表を務める浅妻南海江さん達主力部隊の金沢の皆さんとは初対面だ。メールと電話での打ち合わせを重ねて、やっと開催にこぎ着けた。
             
1_423

 オバマ米国大統領の「核兵器のない世界」プラハ宣言で停滞していた世界の平和・反核勢力に灯りを点した事に並行してこの日の取材は東京、大阪、金沢、に広島のTV&Rに新聞陣合わせて40人が入り乱れての取材合戦になった。NHK国際放送局は在日外人と海外に向けた多言語で8・6特集で世界に発信してくれる。「ゲン」の吸引力を改めて認識した。

 “オバマジョリティー”の生みの親、秋葉市長は「はだしのゲン」に出会わなかったら私は広島に住み市長を務めていなかったかも知れない、『英訳:ゲン』が世界に向かってさらに大きく飛び立って欲しいと激励した。

 盛りだくさんなエンターテイメントを準備した。ゲンをあしらった色紙にオバマ&ファミリーに宛てたメッセージの書き込みも参加者全員が心をこめてしたためた。
3時間の「ゲン:英訳」出版激励会はあっという間に経ってしまった。
ユニークな参加者と多様な出し物の内容を引き続き、伝えます。<続く>

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月18日 (火)

豆匠

比治山の山裾に豆腐懐石料理店豆匠はある。
歴史を感じさせる立派な門くぐると、随分と広い玄関に入る。
畳の部屋からみる庭園は、ライトアップされ、きれいだ。
池には鯉が泳いでいる。
もともとは旅館だったというが、豆腐専門店になってもう14~5年経つという。
2階建の木造の瀟洒な造りは古く良き時代を感じさせてくれる。
比治山の鬱蒼とした森のなかにひっそりと造られている。
中心市街地から歩いても行ける距離の所に、こんな気の利いた料亭があるのに感激する。

1_3

料理は基本的にすべて豆腐が元になっている。
豆腐が様々にアレンジされ、姿・形を変えて出て来る。
最初のおつまみは豆腐の小さくスライスだ。
もちろんいわゆる豆腐もある。
ちょっと大きめの豆腐が笊に盛られてでてきた。
ちょっと固めでなかなかおいしい。
納豆の天ぷらなんてのもある。
不思議な味だ。
納豆も大豆を発行させてつくられているから、豆腐の親戚ということだろう。
豆腐をミックスしたソフトクリームもある。
これも豆腐?という感じだが、確かに豆腐の味がする。
最初から最後まで豆腐だ。
豆腐だけでコース料理を作ってしまうのだから凄い。
日本人らしい拘りだ。

大豆は畑の肉とも言われている。
健康にいいことは確かだろう。

豆腐はそれほど高くはない。
この豆匠の料金も手ごろな値段だ。

官官接待がなくなり、社用族がいなくなってから、広島の古い料亭は次々に消えていっている。
比治山の南東の山裾にあった料亭佐々木も4~5年前に閉鎖され、解体されてしまった。
料亭佐々木はちょっとお金持ちで、粋な文化人の住いのような佇まいであった。

そんな時代にあってこうした静かな料亭豆匠は貴重な存在だ。
広島の資産としてずっと残って欲しい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月17日 (月)

広島から 折り鶴を 送る

広島の中高生のグループ「中高生ノーニュークネットワーク広島」が、世界に現存する核兵器の数を上回る折り鶴を折って、オバマ大統領に届け、「オバマ大統領を広島に呼ぼう」という運動を始めたという。

1_2

広島には、いままで沢山の折り鶴が、届けられてきた。
今回は逆に、広島から折り鶴を送ろうというのだ。
折り鶴の新しい姿だ。

そして、その折り鶴を核兵器の数以上に折ろうという。
折り鶴と核兵器を対照して折るというのもいい。
今世界の核兵器は3万発以上あるという。
3万羽以上の折り鶴を折るというのは結構大変だ。

私も折って、彼らに届けようと思う。

それをオバマ大統領に送って、広島に来て下さいというメッセージにするという。
なかなか粋なアイデアだ。

折り鶴は、平和のメッセンジャーとして、多様なあり方を見せてくれる。
改めて折り鶴の可能性の多様性に驚く。

まだまだ他にも、色々ありそうだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月16日 (日)

これからの病院←医療+ホテル

私は注射とお化けは大嫌いということもあって、病院にはめったなことでは行かない。
お見舞いにはたまにいくが、それでもあの寒々とした病院の廊下は、どうしても好きになれない。
もっとも好きという人はいないだろうが。

病院は、近年特にIT等の最先端技術が導入されたこともあって、病気を治すハイテク工場というイメージをますます強くしている。
ますます怖くて近づきたくなくなった。

1

先日広島市内の大きな病院の関係者と話していた時、彼は次のようなことをいっていた。

「病院はいま大きな変わり目にある。
病院はいままで、病気を治す、その能力をいかに高めるかに力を注いできた。
その反面、病人の治療以外の時間、病人の気持ちへの配慮が、どうも欠けていたようだ。
病院へは付き添いの人、お見舞いの人と沢山の人、多様な人が訪れる。
そうした人への配慮もあまりされてこなかった。
病院の中にそうした付添いの人、お見舞いの人のための宿泊施設を作ることも必要だと思っている。
また病人だって、たまには上手い食事ができるレストランもあったほうがいいと思っていると思う。
さらにはコンビニだってあったほうがいいだろう。
そうした施設を病院内に作ることも必要だと思っている」
と話していた。

レストランも、コンビニも、すぐ外に出ればある。
だから、病院内になくてもいいではないかといういい方もあるが、実際に入院している人、付添いの人からすると、もっと近くにあればその方がいいということはあるだろう。

改装された広島市民病院にはすでにコンビニもカフェも作られている。
廊下には絵画も飾られている。
ちょっとしたホテルのようになっている。

随分以前から、産婦人科の病院はものすごく綺麗になっている。
病院とはとても思えない。
ホテルのようだ。

ホテルもホスピタルも語源は同じHospesだという。
旅人を遇する(もてなす)所として意味づけられており、さらに、手厚いもてなしとしてHospitalisという形容詞が生まれてきたという。
ということでは、医療+ホテル=病院というのが、本来の姿といえるようだ。

もっといえば、病院―ホスピタルにもホテルと同様人が24時間過ごすところ、それこそ一つの小さな街としての機能を備えていることが、要求されているともいえる。
生活するのに全てのものが揃っているところ、そして快的な生活をするためのサービスがされるということが必要なようだ。

しかし現実はなかなかそうはなっていない。

病院は医療保険との絡みもあってか、様々に制約を受け、雁字搦めになっているのも事実だろう。
しかも殆どすべての病院が赤字経営に陥っている。

「そんな状態にあるのに、ホテルのような施設にするとか、サービスをするとかは不可能なことだ。
その前に医師の確保とか、医療の充実とか、その前にもっともっとすべきことがある」というのが本音だろう。

しかし逆に、ホテル部門といえる直接医療に関係ない部門を充実させることによって、赤字経営から脱却する方法があるかもしれないという発想はできないだろうか。

日本の私鉄は、沿線の住宅地を開発することで、乗客を増やし、ターミナル駅にデパートを作ることで、乗客の利便性を高めて来た。
鉄道以外の様々の事業をすることで鉄道会社としての経営を、安定させ、向上させてきた。

そうした例に倣えば、病院の赤字経営脱却のヒントは、病院のもう一つの姿であるホテル的部門等の充実にあるのかもしれない。
付添の人、見舞客にとっても好ましい環境を作ることになるかもしれない。
それはホテルとしては安定した宿泊客を確保できることにもなる。

そんな病院が日本にないわけではない。
東京の聖路加病院は病院とホテルとが一体になっているだけでなく、大きな貸事務所ビルまでを一体に取り込んでいる。
こうしたことは縦割り行政の仕組みに縛られる公的病院ではおよそ不可能なことだろうが、ここ聖路加病院では私立だから可能になったのだろうか。
いずれにしろ聖路加病院では、そうすることが、極めて高度な医療と快適な病院環境とを作り出す上で大きく寄与していることは確かだろう。

人間は生まれた時から病気は悪化していく」ということもいわれる。
人は病院と無縁では生きて行かれないというのも事実だ。
そうであれば、病院にいる間が少しでも快適であって欲しいとは、誰しもが願うことだろう。

これからの時代にあっては、病院も医療に携わる優秀な医師を確保するだけでなく、病院事業という大きな複合ビジネスを経営する感覚をもった経営者も必要だろう。
いま病院は新しい姿に脱皮することが求められているようだ。

彼の勤務する病院が、そんな新しい病院のあり方のモデルとなることを期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月15日 (土)

政治におけるネット利用

今回の総選挙は、いつになく盛り上がっています。そして大手ネット企業も次々に政治参加サイトを立ち上げています。

ヤフーは「Yahoo!みんなの政治」で国会議員、国会で審議されている議案、選挙情報を検索・表示できるサービスを立ち上げました。ここでは議員の経歴はもちろん、各国会議員がどの議案にどういう意見を持っていたか、どの議案に賛成し、どの議案に反対したのか検索できます。

Googleは「未来のためのQ&A」で、YouTubeを使い、有権者と衆議院議員選挙立候補者が対話できるプラットフォームを提供しました。

そして楽天は「LOVE JAPAN 2009 選挙に行こう」です。

このサイトは27日に正式オープンしたばかりのサイトで、各候補者の情報を得ることと同時に、その候補者への献金をネットで行うことができます。

日本の選挙におけるネット利用は、5年前の韓国に比べても遙かに遅れています。海外では既に政治でもホームページやブログだけでは古くて、SecondLife、SNS、Twitterを駆使する時代ですが、日本の状況を見ていると、いつの時代のことか村上春樹の1Q84のような気分になります。

それでも、こうして民間が現行法の中で出来る事を始めてきたのは評価でき、期待できるところです。

楽天のサイトからできる献金は千円から150万円までのクレジット決済ですが、セカンドライフ辺りで、もっと少額のリンデンドル決済で法的にクリアできないものか・・・どこかやってみれば面白いのに、とも思います。

ただ、政治献金について言えば、政治家がお金集めのために時間や労力を使うのは良いことではありません。
その必要がなくなることが一番です。

 2009年07月29日

Yahoo!みんなの政治
http://seiji.yahoo.co.jp/

未来のためのQ&A
http://www.google.co.jp/intl/ja/landing/mirai2009/campaign/

LOVE JAPAN 2009 選挙に行こう
http://seiji.rakuten.co.jp/

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月14日 (金)

広島市はやっています

橋下知事の「ぼったくりバー」発言以来、「国の直轄事業と地方分担金」の問題がクローズアップされています。それまでにも東国原知事や橋下知事などの活躍は全国的にも大きく報道されて多くの問題も知ることができましたが、逆に、これまでの知事さん達は何をしていたのかという思いもありました。

ところが先日、橋下知事も出演している関西のテレビ番組で、既に10年も前から、この問題に取り組んでいる地方自治体があると紹介されていました。それが広島市です。広島市では秋葉市長の就任から国の直轄事業の地方分担金について見直しを行っているということです。

その結果、広島市では100億円を超えていた負担金を半減させるという成果を上げているということです。そして今も見直しは続けられており、その他にも、広告収入など僅かでも市の収入をあげようとする努力も紹介されていました。

ただ、広島市民の多くは、それらの努力も成果も十分に知らないのではないかと思います。
タレント知事の活躍はマスコミに大きく取り上げれ、それは悪い事ではありませんが、本当に実績を上げている首長のことも、もっと報道して欲しいものだと思います。

これはマスコミの責任ではないでしょうか。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月13日 (木)

被爆建物―旧陸軍被服廠をHIROSHIMA VISITOR’S HOUSEに

先日、中国新聞に、県は旧陸軍被服支廠の建物を、解体する方針を固めたという記事が載っていた。
被爆建物としての意味があるので、一部は保存するというが、それにしても、勿体ない。
勿体ないといっているだけは、事は解決しない。
もっと具体的に、どうしたらいいのか、市民として考え、行動しなければいけない時に来ているようだ。

現存する建物は4棟、3階建て、延べ床は約2万M2というからかなりの規模だ。
傍に行ってみるとその大きさに圧倒される。
しかし、なかなか味わいのある建物だ。
建物はRCの構造体に、レンガを貼り付けているようだ。
珍しい構造だ。
1913年建設というから、築後そろそろ100年近くなる。
それだけでも十分歴史的建造物といえる。

1_6

原爆投下直後は負傷者の救護所として使われ、その後校舎、寮、倉庫等様々に使われたが、今は全く使用されていない。
窓枠は壊れ、レンガも痛み、老朽化が進み、立ち入り禁止になっている。
屋根も相当に傷み、雨漏りもしているだろうと想像される。

途中博物館としての構想もあったが、それも財政難で頓挫したという。

売却するにも買い手はなし、かといって保存するには30億円以上はかかるという。
買手側としてもは、被爆建物としての価値を考えるとそう簡単には大規模な改修はできないだろうから、使い方だって制限を受ける恐れがあるとなれば、そりゃ躊躇せざるをえないだろうと思う。

ショッピングセンターにするにはアクセスも悪く、駐車スペースもない。
太い道路から1本入り、周りは住宅街だ。
前面道路は車が行き違うにはちょっと狭いくらいの道だ。
ショッピングセンター等の集客施設とするにはまったく不向きだ。

倉庫にするにも大型トラックのアクセスができないだろうから、不向きだ。

となると住居系以外の使い方は難しい。

しかし、だからといって、お金がないからとか、使い方が難しいとかのだけの理由で壊してしまうのはおかしい。

被爆建物としての平和を伝える場としての価値は、いまさらいうまでもない。
そうした面からだけでも、修復、保存するだけの価値があると思うが、使い方だって考えようによってはあるはずだ。

見方によっては、あれだけ大きな歴史建造物を30億円で出来ると思えば安いもんだ。
あれだけの建物を今から造るとすれば、坪50万円の建設費ではできない。
古い建物として、なんでも鑑定団的に評価したって、凄い価値がある。

世界のグローバル化がどんどん進んでいるが、同時に広島の平和の拠点としての価値はどんどん高まっている。
世界各国から沢山の人たちが広島に来て、平和について考え、交流することの意味も強く意識されるようになってきた。
そうした人たちが広島で宿泊しようとしたとき、最低でも1泊で5,000円はかかる。
日本の宿泊費は高すぎる。
安価に泊まれる施設が圧倒的に不足している。
1泊数千円で泊まれる施設が欲しい。

各部屋にバストイレがなくともいい。
シャワーと大浴場があればいい。
昔のユースホステルのように安く宿泊できる施設が今改めて求められている。

それなら、そんな要望に応える宿泊施設として、この旧陸軍被服廠を改装して、使ったらどうだろう。
HIROSHIMA VISITOR’S HOUSEを作るのだ。

これだけ大きな建物だ。
宿泊施設として改装すれば、1,000人位泊まれる施設となるだろう。
それでも、その程度の人数の出入りであれば、周辺の街とも融合するだろうし、前面道路が狭くとも大丈夫だろう。
主として国内外の個人客が泊まるとすれば、駐車場だっていらない。
タクシーの車回しがあればいい。

数日間泊まる施設としてもいいし、長期の滞在に対応する寮のような使い方をしてもいい。
広島平和文化センターを訪れた人は、文化センターの入場券の半券を渡せば、割引するようにしてもいい。

ここに泊まったことが縁で、あちこちの国の友人ができるかもしれない。
そんな場ができれば、それだけでも世界の平和に貢献することになる。

8月6日前後には広島市内には圧倒的に宿泊施設が不足する。
そうした状態を1年中、365日、創り出すためには、なんとしても安い宿泊施設が必要だ。

そうなれば、広島の街だってもっと賑やかになるはずだ。

広島から平和を発信するためにも、千客万来の広島市となるためにも、そんな安価で泊まれる宿泊施設の充実は意味のあることだろう。

HIROSHIMA VISITOR’SHOUSE財団を作って資金を集め、建設し、そこが運営に当たってもいい。
ネットの時代だ。
資金は、それこそネットを使って、世界中から集めるのも一つの方法だ。
世界中の人から、1人1,000円を集めれば、300万人で30億円になる。

ビジネスホテルの建設費は坪30万円位だそうだ。
この旧陸軍被服廠の建物は約6,000坪だから、まあ30億円くらいあれば、そこそこのHIROSHIMA VISITOR’S HOUSEはできる。

やり方によっては、単純にビジネスとしてやっていけるかもしれない。
そうした可能性も検討したらどうだろうか。

「HIROSHIMA VISITOR’SHOUSEを造る」
旧陸軍の施設を、平和を発信する拠点に作り変えるのだ。
壊してしまっては、もとに戻らない。

被爆建物の利用方法、資金集めの方法にしても、それに相応しいやり方があるはずだ。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月12日 (水)

広島原爆の日、英語で平和宣言

あるSNSのニュースから書かれた日記の数を見ると
「広島原爆の日英語で平和宣言」に対して730件、
「秋葉・広島市長の平和宣言」に対しては8件です。
つまり平和宣言に英語を入れたことが、如何に大きなインパクトがあったか分かります。

ただ、残念なことに英語(=原爆投下した国の言葉)に反発する人もいます。
もちろん、平和宣言に賛同し「Yes, we can.」で締めくくる人がマジョリティーです。

そのコメントのいくつかを紹介しておきます。


聞いていて、胸が熱くなりました。

オバマ大統領が『核保有国の責任』に触れた今年、中継で映し出された広島市長の声には、並々ならぬ熱が込められていた。その想いが『Yes, we can』に至る宣言に凝縮されていたように感じた

広島での平和記念式典についてはこちらケニアの地元の新聞でも取り上げられていました。 平和宣言に英語が使われていたことも興味深かったです。 これからますますヒロシマから世界へむけた平和への願いの発信の重要性を感じます。 (ケニア・女性)

オバマ大統領の核廃絶宣言を支持を表明した広島市だが、長崎市も含め、被爆国である日本は国を挙げて支持すべきことであろう(29歳・男性)

ノーモア被爆者! 廃絶!イエスウィキャン! 広島市長の、勇気アル激しい叫びを受け入れる(東京都・男性・音楽家55歳)

NPT準備委員会で秋葉市長がこの言葉を言った時には、感動しました。 オバマジョリティーキャンペーンの成功と2020年までの核廃絶を祈ります。

偽善と言われようが、「オマエに何ができる?!」と言われようが… 僕はこの日を覚えたまま死んでいきたい。 Yes,we can 明日を生きる全ての子供達へ (京都・男性)

広島市長の秋葉さんのスピーチは、良いスピーチだったと思う。 中でも印象的だったのは、オバマさんの核廃絶への意志に呼応して、「オバマジョリティ」という言葉を使っていたことだった。 そんな言葉があるなんて知らなかったけれど、なかなか面白い表現と思う。 私はたいていの場合、マジョリティは嫌いで、多数派の圧力に抵抗することばかり考えてきたけれど、ルソー風に言えば、全体意思ではない、一般意思であるならば(そして今のところ、オバマさんはよく一般意思を体現しているように思う)、オバマジョリティの一員に私もなろうかなあと思った。 (32歳・男性)

広島・長崎の両原爆の日、それぞれの市長のスピーチ(平和宣言)は、いつも感心して聞いている。日本の政治家たちが発信する言葉としては、例外的に格調高いものが多いからである(それにくらべて、例年の首相のスピーチはいかにも紋切り型で誠意が感じられないものが多い)。今年は、核兵器のない世界をめざすとした米国のオバマ大統領の演説(4月プラハ)への支持を表明し、最後にオバマ大統領の選挙キャンペーンの標語でもあった”Yes, We can"を引用して締めくくった。 (ドイツ・男性)

今年も広島の原爆慰霊の日を迎えた。秋葉市長の読み上げた平和宣言は、いつもながら大変格調高いものだったが、中でも「廃絶されることにしか意味のない核兵器」という言葉が私にとっては印象深いものだった。

今朝NHKで聞いて、なかなか面白いと思いました。日本の政治家もアピールが上手くなったと感じます。(埼玉県・学生)

今朝の市長の「平和宣言」。 いつになく力が入ってたように感じた。 大統領の現地入りは叶わなかったけど、 その「思い」は、 届いています。 Yes,we can (大阪30代・男性)

歩みは遅い。しかし、遅いことを批判する前に我々が後押しすることが重要ではないか。 (21歳)

mixi上ではきっとおつむの残念な人たち(右翼)がイタイタしい日記を書いてるんだろうなと思ってましたが、純粋に原爆の被害を思う日記を書かれる方が多くてなんだか嬉しくなりました。(23歳・男性)

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月11日 (火)

平和宣言と国連と都市

今年も8月6日、暑い夏の日が巡ってきた。
その日、広島平和祈念式で、秋葉市長の平和宣言が読み上げられた。
その言葉は力強く、核廃絶への思いがひしひしと伝わってきた。

今年の平和宣言で、秋葉市長はオバマ大統領を支持し、核廃絶を願う市民を「オバマジョリティー」として、世界中の市民が力を合わせ、立ち上がるよう求めている。

オバマ大統領のプラハ演説もあって、核廃絶の流れが一気に強まった感がある。
素晴らしいことだ。

しかし、核戦争、核テロの恐怖が消えたわけではない。
核をもつことで核抑止になるとの考えはまだまだ根強くある。

麻生総理は、日本国として核廃絶のために先頭をきって行動すると発言していたが、これもアメリカの「核の傘」の下にある日本としては、論理的にちょっと矛盾している。
しかしそれは、日本国としては現実的選択としてやむをえないことかもしれない。

秋葉市長は今年の平和宣言の中で、そうした厳しい現実を乗り越えることになるだろう新たな提案をした。

「対人地雷の禁止、グラミン銀行による貧困からの解放、温暖化の防止等、大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつあります。
その芽を伸ばし、さらに大きな問題を解決するためには、国連の中にこれら市民の声が直接届く仕組みを創る必要があります。
例えば、これまで戦争等の大きな悲劇を体験してきた都市100、そして、人口の多い都市100、計200都市からなる国連の下院を創設し、現在の国連総会を上院とすることも一案です。」
と提案している。
つまり秋葉市長は国連を日本の国会のように2院制とし、下院でいい、都市の代表を国連の正式メンバーに加えるべきだといっているのだ。

この提案は、歴史的変換点になるかもしれない。
凄い提案だ。
しかしあまりにいままでの常識から飛躍しすぎているからか、殆どの人、メディアはこの部分ついてふれてはいない。
残念なことだ。

1_2

現実の世界は、石油にしても、食糧にしても、どんどん国同士のつながりを深めている。
マツダの製品の8割は輸出されている。
ソニーの社長はアメリカ人だし、オリックスの株の所有者の6割は外国人だ。
あのIBMの製造部門は中国の資本に買収された。
企業のグローバル化はどんどん進んでいる。

情報はそれこそ瞬間に世界を駆けまわる。
インターネットは完全に世界を一つにした。
資本も人も情報ももう地球人、地球企業といった方がいい状態になっている。

ドイツ、イギリス、フランス等ヨーロッパの国々が加盟するEU=ヨーロッパ連合では、共通の貨幣=ユーロをもち、税関をなくし、各国間の移動も自由になった。
国境という壁がもう殆ど消滅している。

EUにあっては、それぞれの国、例えばフランスは国というより、フランス地方というべき方向に進んでいるといえる。

また温暖化の防止策のように、一つの国が頑張ればなんとなるということでもなくなっている。
今回の金融危機だってそうだ。
リーマンショックとして最初はアメリカから始まったが、その影響は世界中の国が受けてしまった。
地球上すべての国が協力しなければどうしようもなくないという現象が至る所で起こり始めているのだ。

核問題はその典型的問題だ。
世界のどの都市で核爆発が起きても、核の悲惨な犠牲者がでるだけでなく、世界の経済は破綻の危機に陥る。

世界は否応なしに繋がってしまった。
国際政治のプレイヤーがもはや国家に限られていないのも事実だ。
そんな時代にあって国という枠をベースにしたシステムだけで、平和を創り出そうというのはもう不可能だともいえる。

もう一つ別の仕掛けが必要だろう。
そうした背景があって、秋葉市長は「都市の代表を国連に加えるべきだ」といっているのだと思う。

都市は軍事力も持たない。
そもそも戦争する装置を持っていない。
悲惨な経験をしたのも都市だ。
人口にしても財政規模にしても国の規模を越えている大きな都市は沢山ある。

そうした都市から核廃絶、平和を訴えることでしか、地球上に平和はもたらされないかも知れない。

しかしいま全ての国をカバーするシステムは国連の他にない。
その国連の正式メンバーに、都市の代表を加えることは、世界に平和をもたらす大きな契機になるのかもしれない。

こんな凄いことは、普通の人はちょっと思いつかない。
思いついても、発言するのは躊躇ってしまう。
衆議院議員を9年、広島市長を10年勤め、アメリカでの生活が20年を越え、さらに世界各地に沢山の友達のいる秋葉氏だからこそ思いつき、発言できることなのだろうと思う。

秋葉市長が会長を務める平和市長会議も加盟都市が3,000を越えた。
すでに都市がネットワークを作って活動する仕掛けもできている。

国連に都市の代表を参加させることは、より具体的な核廃絶、そして平和への一歩となるはずだ。

いみじくも、今年の広島の平和祈念式に国連総会議長のミゲル・デスコト・ブロックマン氏が参加し、挨拶をした。
この秋葉市長の提案を、国連として受け止め、都市の代表を参加させることを実現して欲しいと願わずにはいられない。

実現を期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月10日 (月)

故郷・広島を愛した石本美由起さん

 「憧れのハワイ航路」や「悲しい酒」などのヒット曲で知られる、広島市出身の作詞家・石本美由起さんが先日亡くなった。くしくも7月12日に広島市制120周年記念「広島歌のコンサート」で「憧れのハワイ航路」が歌われることになっている。非常に残念だ。
 350曲を超える曲の中には、戦後の歌謡史を飾った名曲が多い。特に「憧れ・・・」は海外への憧れと明るさを訴え、戦後の暗い人々の心に大きな喜びや元気を与えてくれた。生家の小高い丘から別府航路の客船を見て、海や異国への夢をかきたて、広島県人がハワイへ多く移民していることを思って作詞された。
 故郷の風景や故郷への思いが多くの作詞の原点になっている。故郷を愛し、人との出会いを大切にする面倒見の良い人柄は、多くの仲間や後輩から慕われた。私も広島市が活性化の歌を制作するための審査員を務めた際、委員長をお願いしたところ、快く引き受け、補作までして頂いた。その時の曲が「ひろしま気分」(田川寿美歌)だ。
 東京での「作詞家生活50周年祝賀会」に招かれたり、帰広のたびによく声をかけて頂いた。平成元年、美空ひばり亡くなった時も、広島市内のホテルで一緒だったことをよく記憶している。時間があると「故郷広島を愛する会」を開いて、仲間と一緒に飲んで語り合った。その時頂いたメッセージがある。
 歳はいくつになろうとも「おい」と呼ぶ声 笑う顔 心の糸をたぐり寄せ 思い出つなぐ酒もある ああ広島春の宵
そして私が定年の時に開いて頂いた会へ
やるだけやった人生に やりたいことがまだ残る 花も実もある男なら 生きるこの世の意地いっぱい 歌謡航路の明日船
 地元亀居城跡には歌碑はあるが、記念館がない。偉大な足跡を後世に伝えるためにも、是非私だけではないはずだ。ご冥福を心から祈りたい。

 上村和博

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月 9日 (日)

マスコミの理数離れ

日本人の理数離れが問題視されて随分経ち、目にするデータも、国際的な学力調査で日本の学力がいかに落ちているかということばかりです。

ところが、ドイツで開かれた数学と、メキシコで開かれた物理の国際オリンピックでの日本選手達の出した成績は素晴らしいものでした。国際数学五輪で金メダルの筑波大付属駒場高(東京)3年副島真さんは、満点という成績です。

韓国ドラマなどを観ていると「数学ができる」ということが社会的にかなり高いステータスになっています。韓流火付け役の「冬のソナタ」の主人公も数学の天才ですし、その他にも「数学五輪」が絡んだサスペンスドラマなどのヒット作もあります。

今回のサブプライム問題に端を発した世界不況も金融工学という「数学」によるところが大きく、今は数学は世界を動かしていると言ってもいいほどです。

しかし残念ながら日本のマスコミは、スポーツで活躍している青年を「○○王子」と囃し立てますが、数学五輪での活躍に対する報道は極めて大人しく靜かです。

もっと注目されても良いニュースだと思います。

 2009年7月21日

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月 8日 (土)

大和ミュージアムの役割?

 呉の大和ミュージアムに大型の上映施設が新設され、修学旅行のオリエンテーションにも役立つと元気がいい。開館5年で5百万人の入館者クリアーは合併の遺産で全国に誕生した博物館・科学館・美術館などの箱物の中では抜群の実績を生んだ優等生…の新手だ。

「戦艦大和を通して技術の進歩と平和の大切さを伝える」のがこの博物館の目的で①造船技術を通して、呉の歴史を伝え②呉が関わってきた科学技術を新しい時代に活かし③平和の大切さを未来に伝え④周辺施設と調和を図り人が集う施設にすると掲げている。

 呉は明治22年に呉鎮守府、36年に海軍工廠が置かれ、戦前は戦艦大和を建造した軍港で海軍の街として栄え、戦後は戦前から培われてきた技術が新しい技術と連携して世界最大のタンカーを次々に建造し重厚長大型産業の礎として日本の近代化に大きく貢献した。
 
 入館するといきなり船首に菊の紋章が飾られた実物十分の一とはいえド迫力の戦艦大和が鎮座して見学者を迎える。様々な海軍の戦艦巡洋艦など軍艦の陳列に実物大の零戦までも陳列されている。教育的見地から「平和の大切さを未来に伝える」と展示の基本方針に掲げられた部分が全く見えてこない。
 
 見学中、随処で“すごい”“かっこいい”という囁きが聞こえてきた。
 目を向けると未だ小学生と思しき子と父の姿がある。教育的見地からの指導や展示は疑わしく感じてしまうのは、私だけではない。九州から来た友人夫婦も「戦争館か戦争賛美館」なのかと首をひねっていた。広島で原爆資料館を見た後だけに強い違和感を抱いていた。

 HPを開いて見ると教育プランの提案と言うページがある。修学旅行用に旅行業者や教師への手引き的なページに乗組員が娘に宛てた遺書や乗組員の間で「特攻で死ぬ事の意味」を巡って起きた大論争、乱闘騒ぎが「我々は日本の将来の為に死んで行く」と言う幹部の言葉で沈静化した…などが示されている。
 いま上映中の映画「真夏のオリオン」で、人間魚雷で出撃を焦る若い特攻兵に艦長は「死ぬために闘ってはいない、生きるための戦いだ」と敢えて出撃を抑え、命永らえる場面がある…反戦平和の志に似て非なるものがある。大和陳列はそれを微塵も発していない…?。

 原爆資料館とセットで見て初めてわかる戦争の悲惨や恐ろしさ、何よりも非人間性を訴えることができる…とするならば、隣の「鉄のくじら館」は何なのだ。海上自衛隊のPR館そのものだ。「核武装論」を振りかざす田母神元幕僚長のような人物を送り出す自衛隊の存在を改めて問い直し、今こそ「大和ミュージアム」の展示の見直しが必要ではないか。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月 7日 (金)

“爆心地から9条”への道

 ジャーナリストやマスコミ関係者でつくる広島マスコミ9条の会は「あの日の広島 爆心地から9条への道」を掲げた講演会を開き、「はだしのゲン」の作者中沢啓治さん(70)の被爆体験と講釈師の緩急車雲助さん(77)の「蟻の祟り」を聞いて、核兵器廃絶への道を目指して「憲法9条を守る」気勢をあげた。

 講演に先立って挨拶に立った平岡敬会長(前広島市長・元中国放送社長)は日米安保体制の下でマスコミは北朝鮮の行動を批判し危険を煽って憲法改正を勧めようとする動きを批判することなく当たり前のように報道する…この間違いを指摘し続けることがわれわれ広島の道義的責任と喚起した。

 原爆に目を背けていた中沢啓治に「はだしのゲン」を書かせた原点は、母親の遺骨まで奪った原爆への恨みだった。初作「黒い川の流れ」は子供を守るため、夜の女に身を落とし米兵に梅毒をうつし恨みを晴らして生きる被爆女性。黒のシリーズが「ゲン」の下敷き。

 ケロイドの瘡蓋を食べた蟻が繁殖し「軍法会議」を振りかざして強引に協力させたABCC配属の米国軍属にかみつき“伝染性湿疹”を発病させる。帰国後、歴代大統領や要人に次々に“不治の湿疹”を伝染させる。緩急車雲助さんの巷談「蟻の祟り」。原爆怪談と銘打って、荒唐無稽な創作のようだが原点がある。学徒動員中に被爆し,脅されてABCCに協力経験のある妻。子供を産み育てる過程で知った被爆二世の健康問題で苦しんだ経験が下敷きだ。
 二人の共通点は「恨み・怨念」だ。

 9・11テロの後、報復にはやる米国に対して、被爆者を和解のシンボルのように扱う傾向がある。オバマ大統領は「加害の道義的責任」に触れて「核兵器のない世界」宣言をし、核廃絶の灯りをともした。反面「生きているうちの実現は困難」とも言い課題は大きい。
 「はだしのゲン」の全巻英訳化が完成。オバマ&ファミリーに「英訳ゲン」を贈る準備中。「はだしのゲン」が世界を走り、巷談「蟻の祟り」の活躍は当分の間、国内外で必要だ。被爆者の恨みも怨念が消える、核兵器廃絶の道が見えるまで…。

1_223

 廃墟の中で辛惨を嘗めつくした中沢少年は本川小学校の先生が教えてくれた「これから戦争はない」という新憲法の話を希望の灯りに「平和になる」と心から喜んだ。米国に押し付けられた憲法と言う人がいるが日本人が血と汗で掴んだ平和憲法を、9条を子子孫孫まで伝えなければ成らないと訴えた。

 緩急車さんは「蟻の祟り」の紙芝居化に取り組んでいる。公務員ながら個人で平和活動に参加しアマチュア漫画家でもある福本英伸さんが絵作りと格闘している。「蟻の祟り」を聞いた参加者の間から笑い声や拍手が生まれる。“溜飲が下がる”“痛快”なのだ。
 被爆者の多くがいまだに『恨み・辛みを吐き出して、冥土の土産』を考えている…。
子供たちへの格好のプレゼントが生まれようとしている。楽しみに待ちたい。

 第三次世界大戦を起こさせない為に、ヒロシマの一人一人が本気で『9条を守り、核兵器廃絶の運動』に取り組もう!!!と呼びかけた。

 広島マスコミ9条の会が中心になって、各業界各層の被爆者を中心に「核兵器と人類は共存できない」と言う思想を生みだし、憲法9条の原点となった“地球・世界のグランド・ゼロ・爆心地”から改めて『9条の意味を爆心に重ねて考える:爆心・9条の会』結成を目指すことを申し合わせた。

<広島マスコミ9条の会HP http://www16.plala.or.jp/hiromas9jyo >

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月 6日 (木)

日野原先生「平和のメッセージ」

 昨年10月以来、8ケ月振りの日野原重明先生の講演はきょうも国際会議場のフェニックスホールをいっぱいにした。
 健やかな命を育む社会を作っていくために、現役を引いて傍観者になっている老人が立ち上がり、孫子の世代をバックアップしようと立ち上げた「新老人の会」の全国大会だ。

 あと3月で98歳を迎えられる先生は1時間に及ぶ講演の間一度も椅子に座らないで、話続けられた。100歳まで生き抜く自身はあるが105歳までのスケジュール・約束があるのでしっかりと生きて行く…と宣言された。ここまで言い切られたことは無かったように思う。よほど健康に自信をお持ちなのだと受けとめた。裏打ちされる健康の秘訣は少食だ。

 さて、この日のお話は新老人の大会とあって、新老人の会員を3万、4万人と増員して日本の憲法と平和を守る力になろうとの提案があった。日本の過去の歴史的誤りをどう改めて行くか、どうすれば平和な生き方ができるか…新老人の会の設立の意義である。
 1~2年先に憲法改正を問う国民投票が行われる可能性が高く、改悪に繋がる動きは老人パワーで防いで今の憲法を守らねばならない。国民の半分以上が支持する為に老人が先頭に立つ気概が求められる。投票権は16歳になる可能性もあり、18歳であれば少年達が考え成長する機会になる。少年達のリード役も老人が引き受ければ大きな役割を果たせる…とその意味と新老人の会だからこそできる自信のほどを示して、協力を求められた。

 更に、オバマ大統領の「核なき世界」宣言への期待と提案だ。核の脅威は5大国から8ケ国に保有国が拡大した。核保有国が北朝鮮に核を持つなと言うのは自分の核を捨てないでの要求は“NO”と言われるのが当然で、日本は米国の核の下で保有国と同じ…と見られるのも当然と言える…。日本の対北朝鮮対応は歴史認識の間違いが誤った政策として推進されていると手厳しい…。
 日野原先生はジョン万次郎が漂着後ボストン近郊で学び暮らした家を買い取り崩壊を防いで地元の街に寄付し、記念館として保存されている…この場所でオバマ大統領と日本の首相が首脳会談をして核兵器の廃絶を進めて欲しい…老人と子でもたちが力を合わせて働けば決して夢ではなく実現可能…と期待を寄せる。

 「人生70は古代希なり」は、今や新老人の会ではジュニア会員で、若い。100歳を超えないと古希とは言えない…と言い放つ先生の声が会場を包み大きな拍手に変わる。
 京大医学部に入学直後に結核を宣告され、父の赴任地広島に於ける(女学院院長)一年の闘病生活が先生の第二の故郷となり平和活動の根拠になって支えている。

 この日、多様な平和メッセージの中で哲学者カントの平和論を引用された。
 カントの論文「永遠平和の為に」の中で『…武器に頼らなくても話し合いによる妥協の道があるのに、人はどうして戦争を仕掛けるのか。暴力を受けた側は受けた傷の何倍もの反撃をすることで、テロや戦争は100年戦争になりうるのです。…』 

 これから進むべき道は医学を超えて平和の道の先頭をきって行動することで、次代の平和をつくる子供達に平和のセンスを教えることをカントに学んだ…と言う。“和解の道だ!”
新老人たちよ、手を取りあって前進しよう…との呼びかけだった。

 先生の頭には二回目の小澤征二さんとの「平和のメッセージ」プランが着々と具体化しているのだろう。
 益々お元気で活動されることをお祈りし、次なる広島でのサプライズプランが具体的に進むことを期待したい。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月 5日 (水)

広島市現代美術館とオープンカフェ

先日、平和大通りを散歩していたら、比治山に行きついてしまった。
平和公園から比治山までは意外と近い。
散歩するにはいい距離だ。

頂上の現代美術館の前には、動く彫刻の広場と、ムーアの大きな彫刻が置かれた広場がある。

1

こんなところでビールを飲めたらいいのにと思わず思ったが、そんな施設はここにはない。
ウーン。
広場の周りには大きな木樹が鬱蒼と茂り、涼しげだ。
ちょっと勿体ない。

現代美術館の建物もきれいな建物だが、白壁の蔵みたいな造りになっている。
展示される絵画等が直射日光を嫌うためか、美術館は壁の建築になっているから、ちょっと人を拒絶するような雰囲気だ。
北の棟にカフェがあるが、コーヒーを飲むためだけに入るにはちょっと気がひける。

広島の街は北、東、西の3方が山に囲まれ、南は海だ。
狭いデルタにコンパクトに街ができていて、極めて立体的に都市の景観ができている。
ムーアの彫刻広場からみる街の景観は美しい。

このムーアの彫刻広場にオープンカフェがあったらいいのにと思った。
昼間はコーヒー、夜はビールを飲めるようにすればいい。

素晴らしいデートスポットにもなる?

現代美術館の展示はちょっと理屈があるから疲れる。
そんな後には、広場まで降りて、街を見ながらコーヒーを飲むのもいいだろう。
夕方には、ビールを飲みながら、広島の夜景を眺めるのはまたいいだろう。

比治山の上にそんなオープンカフェができたら、広島の人々の生活が変わるかもしれない。
ムーアの彫刻広場のオープンカフェ!
いいと思うけど・・・

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月 4日 (火)

アトム←アストラムライン

アストラムライン沿線の女子大生は、アストラムラインのことをアトムとかアストとか呼んでいるようだ。
若い女の子は、何でもすぐ省略していう。
イケメンはイケてるメンズの略語だという程度のことくらいはわかるが、省略語でちりばめられた彼女たちのお喋りは、ほとんどチンプンカンプンだ。
周りの人が理解できていないということを知って、喜んでいるから、なおさら始末が悪い。
彼女たちのメールも、絵文字がワンサカちりばめられていて、それこそ謎解きのようになっているらしい。
ニャロメ。

“アトム”も、最初何をいっているのかわからなかった。
これも、彼女たちの創りだした省略語だ。

1_10

“アストラムライン”は長いだけでなく、発音もしにくい。
本当の会社の名前は広島高速交通株式会社だ。
こんな名前を聞いたって、殆どの人はなんの会社かわからないだろう。

“アトム”?
これならいいやすい。

鉄腕アトムみたいで格好いい?
鉄腕アトムは、性格は真面目で正義感が強く、何事にも子供らしく素直に反応していくのが魅力だ。

鉄腕アトムはアニメ化され、世界中の人々に愛された。
テーマソングは日本人なら誰でも知っている。

アストラムラインは明日=アス、鉄道=トラム、線=ラインを元に作られた造語だ。
ちょっと理屈っぽい。

“アトム”はアストラムラインを利用する女学生の中から自然に生まれてきた言葉だ。
アストラムラインは、いずれアトムと呼ばれるようになるかもしれない。

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月 3日 (月)

県立美術館とレストラン

県立美術館の1F、縮景園に面してレストランがある。
なかなか洒落たレストランだ。
料理も美味い。
そのせいか、いつも混んでいる。
入口の椅子に座って待つこともある。

1_9

通常、こうした公共施設に付設されているレストラン或いはカフェは、いわゆる食堂、喫茶店といった感じで、どうも入りたいという雰囲気じゃない。
あんまり綺麗でなかったりし、料理も美味しそうにみえない。
そもそも作る前から、使いようがないスペースができてしまったから、仕方なく飲食スペースにしたという感じである。
故に、何処にあるのかわかり難くかったり、中の空間も楽しくないし、サービスも悪いのが多い。

その点このレストランは縮景園の庭に面して作られているから、雰囲気もいい。
入りたくなる。
料理だって美味しそうに見える。

レストランは縮景園に隣接しているという立地を最大限に生かしている。

縮景園からも入れるようになっている。
縮景園を散歩して、ちょっと休憩をしたくなったり、お腹がすいたら入ればいい。

縮景園の中の芝生広場に椅子とテーブルが置かれ、オープンカフェになっていると、もっと楽しいのではないかと思う。

レストランからは縮景園に入るには別に料金が必要ということが、オープンカフェ開設の妨げになっているのだろうか。
技術的にはなんとてもなりそうだ。
オープンカフェのゾーンを使用する場合は、別途カバーチャージを取ったっていい。

県立美術館で素晴らしい展示をみたあと、外にでて、樹の下でビールを飲むなんてのはちょっとシャレてると思うけど。
気分だって、グンと爽やかになり、元気もでる?

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月 2日 (日)

痛いのイタイの飛んで行け!!!

 8日に2回目の診療を受けて1週間目の朝を元気で痛みなく迎えた。
この1週間は日野原先生の講演や幼馴染の友人の叙勲祝賀会に2020議定書市民キャンペーンの実行委員会など私にとっては多忙な週だった。

 何よりの驚きは『広島ブログ』に参加している「タウンNEWS広島平和大通り」がランキングのトップに躍り出たことだ。トップを走り続ける河野先生の「河野美代子のいろいろダイアリィー」やベストテン入りした「島本整体トントン」を一気に追い越してしまった。原因は元安川さんが昨年8月に書いた「マツダ:RX500」ロータリー車の記事やその復元に関する記事をyahoo ジャパンに取り上げられ、フアンやマニアが一気に集中し、数日間でアクセス件数が3万近く増えバナークリックも一日で千百件を超す状態が続いている。工場長の予測ではあと数日もすれば元の位置に帰ることになるだろうが、このブログが今後も注目されることは間違いない。それにしても、情報次第で大きな変化が生まれることを体験し、今さら改めて驚いている。

 さて、1週間ほとんど散歩はしないで過ごしてしまった。足腰の痛みは無い状態だが筋の引っ張りはきついように思う。じっと立っているとしんどく、杖に体を預け 椅子に座ってしまうが、以前のピリピリした痛さはないのはずいぶん楽だ。手のしびれはほとんどなくなり、足の指先の痺れも薄らいだ。とは言っても、杖なしで歩くのはゆっくりでないと難しい。
 数日振りに紙屋町まで歩いて往復した。行きは休まなかったが、帰路はバス停のベンチと近所のホテルが表に出している喫煙者用の椅子にかけて休んだ。足マッサージやアキレスの圧迫はやめて3~4分休むとまた歩ける。

 『痛い』と言うのは、骨に歪みがあることの証拠…と院長は言う。骨が歪むと筋肉が短くなり、筋肉と骨の長さが合わなくなる。その結果筋肉がひきつって筋肉が細くなって、血管も細くなる。血行が悪くなって『痛み』になる。血行が悪いと言う信号は『痛み』だけでなく『くすぐったい』『だるい』『重い』『痒い』『しびれる』『麻痺する』症状が現れる。血行が悪いと言う事は、組織に栄養も酸素も不足すると言うことで、骨の形を正しく修復することによって、筋肉と骨の長さが揃ってきて血行が改善されて痛みや違和感が消える…仕組みだ。骨組の形が良くなれば体調は良くなる…が、島本トントンの基本です。
 靴下やパンツのゴムは極めてゆるいものを使う…事も厳しい指導がある。
 一気に、全快とはいかないがもうしばらく、様子を見ながら3回目のトントンを受ける。自分でも楽しみながらの治療になっているのが嬉しい。また改めて報告したい。 <完>
(島本トントンHP  http://tonton1931.com/ )

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

2009年8月 1日 (土)

驚き・お尻の復活!!

 島本トントンでの驚きは枚挙にいとまがないくらいあるが、「なくなっていたお尻が復活」したのには驚いた。

 体重の変化がないのに尻の肉がひどく落ちて椅子に座ると骨が当たって痛さを感じていた。院長と3人の研修中の先生が見守る中で「お尻がない」と指摘され、手をあてて見ると全く尻の筋肉の膨らみが無い。早速、治療が始まった。
 膝の裏からひざ小僧、脛から足首、徐々に腰周辺から尻の下部に内股等をトントンが響く。10分前後で手を当て見ると、膨らみが戻っている。「お尻が戻った」。
 こんな事があるのだろうか。勿論今日になっても立派にお尻の膨らみは維持されていて、違和感はない。

1

 治療時間2時間余、トントンの回数は数えていないが恐らく数千回、いや数万回かもしれない。小さな鎚から大きい鎚まで持ち代えながら小刻みに添え木の上からのトントンは小気味よく、時には気持ち良い。両手の親指の下部の膨らみが無いのも指摘された。
 肩こりを和らぐと長年、左右交互につまんでマッサージしたつもりが、骨をゆがめ肉を削ぐ形で傷めていた…ようだ。幸いここも丁寧なトントンの結果、本来の盛り上がりを取り戻した。

2

 1回目もそうであったが2回目が終わって、夜になると疲れが出たようにいつもより1時間早い就寝をした。
 途中の目覚めは2度だけで、朝はまだ眠くいつもより遅くまで寝ていて、午前中に1時間余りの昼寝をしてしまった。寝覚めはすっきりで、体は少し腫ぼったい?感覚があったが、やがて消えて違和感はなくなった。

 2日目の朝も実によく寝て目覚めは8時前、途中2度起きたが眠りの深さを実感している。
 昨日あった倦怠感と言うか疲労感・疲れ感は無い。さわやかな目覚めだ。メールを開けて宝塚のS氏から奥様が大阪の公認支部で受信した様子を伝えて来た。少し、気長な付き合いの中からこれまでとは違った効果が得られることを切に期待したい。
 昨夜、リーパー理事長夫人のエリザベスさんが膝の半月板が壊れて?痛いと言うので「トンとトン」を話すと強い興味を示してHPを見ると言っていた。入院、手術?かも知れない…という状態を「トントン」で解決できることを願う…。私は今朝3日目も快調な朝を迎えた。<続く> 
 本整体トントン http://tonton1931.com/
 トントンブログhttp://tonton5484.blog14.fc2.com/blog-entry-205.html

*お願い
この文章の下にある《広島Blog》というバナー(画像)を クリックしてください。

« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »

関連書籍

  • サイフもココロもハッピーに!ちょびリッチ
2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30